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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年06月30日(土) 原稿アップ(´。`;)/『マンガ世界戦略』(夏目房之介)ほか

 突然だがまた、この日記の背景が変わってしまった。
 いや、今回は私の意思ではない。しげが勝手に変えたのだ。
 いったいどこから持ってきたんだか分らないけど、このコビトさんたちはなんなのだ。
 しかも白い背景になっちゃったから、今まで使ってた文字の中で、黄色なんかは薄くて読めなくなっちまった。
 それに「気に入ったら投票してほしいモケ」ってなんだよ。
 しげ、おまえ相原コージは嫌いじゃなかったのか。
 自分で気がついてないのかもしれないが、おまえのギャグセンスって思いっきり関西系でベタなんだぞ。


 今日はもう、まる一日カイてカイてカキまくってました。
 何って、『映画クレヨンしんちゃん』同人誌の原稿ですよお♪ なに想像してたの、イヤらしいわね!! ……って、しげのことをバカに出来ないベタなギャグだな(-_-;)。
 結局、原稿用紙何枚分くらいになったのだろうか、と思って数えてみたら53枚だった。同人誌がどういう版組になるか分らないけれど、まあ一頁に凝縮されて終わり、ということにはならないであろう。
 ……なんちゅうかねえ、どうでもいい内容なのに長々書くヤツの原稿ってさ、たいてい活字組小さくされて巻末に回されたりするのね。
 高校のころに私が書いてた文章はたいていそんな憂き目にあっておりました。ううううう(ToT)。
 当初は「100枚でも200枚でも書きます」、と豪語しときながら、結局その半分というテイタラクであったわけだが、まあ実質一日で書き上げたんだからこんなものであろう。
 「オトナ帝国大辞典」用の原稿も数えてみたら50項目ほど。
 もう少し頭を働かせれば思いつけそうな気もしたけれど、まあカキスギもカラダによくないかな(しつこい)。
 なんとかシメキリに間に合ったのはいいものの、山本弘さんにボツられないかとそれが心配。
 実はマンガのアイデアもあるにはあったのだが、さすがに描く時間がなかった。個人ホームページを立ち上げるときには、もしかして日の目をみることがあるかもしれない。


 夜は職場の宴会で、天神の某料理屋へ。上品なふりして食事は今イチだったので、店の名前は書きません。
 あまり職場の宴会には参加しないほうなのだが、別に私は宴会が嫌いってわけでもない。私は酒が飲めないのでいつもシラフなのだが、シラフでも常に酔ってるような人間なので実は何の心配もない。
 ただねえ、ウチの職場ってオカタイ人が多いんで、ギャグが通じなくってつまんないのよ。
 女性は多い。
 それはちょっとうれしいかもしれない。
 でも全員が全員ロッテンマイヤーさん。いやホントそんな雰囲気なのよ。
 それでもねえ、アニメのロッテンマイヤーさんは時々さばけたところもあったけどねえ、ウチの女性陣、酒でも入れば大らかになるかってえと、説教臭くなるばかりでさあ(+_+)。
 愚痴を言うんでも、楽しく言えりゃいいけど、ヘタすりゃ本気で陰々滅々となっちまうしねえ。
 今年はそれでもまあ気の合う同僚が何人かいたし、少しは楽しめるかとおもって行ってみたら、その方々が揃いも揃って欠席してやんの。
 あああ、周りがみんなマジメニンゲン。
 スケベニンゲンの私ゃどうしたらいいのか。
 でもそういう連中にもつきあってマジメぶりっ子してしまう私も相当偽善者であるのだった。


 なんとなく気が晴れないので、キャナルシティの福家書店に寄って帰宅。
 明日は休みなのでゆっくり本を読んだりDVD見たり。

 夏目房之介『マンガ世界戦略 カモネギ化するかマンガ産業』読む。
 ああ、この本についても語り出したら原稿用紙50枚くらいは軽くかかりそうだが、とてもそんな体力はない。
 「マンガなんてくだらねえ」と偏見の眼でマンガを見るヤツと、「日本のマンガは世界一ィィィ!」と、オタク先鋭化するヤツと、どうもマンガを取り巻く人々の状況は両極端に分れてしまい、マンガそのものの魅力を語ることから乖離してしまっている。
 客観的かつ冷静にマンガを見ていく眼というものがまだまだ日本では育っていないのだな。テーマ主義に偏っていたこれまでのマンガ批評を、絵とコマのダイナミズムから説明していった夏目さんの功績は偉大なんだけど、後に誰も続いていないのがどうもね。
 未だに俗に「一流」って言われてる大手の文芸誌なんかでは、手塚治虫や宮崎駿を「ヒューマニズム」の一言で語ってしまうような単純かつ短絡的な批評が幅を利かせてるし。
 本書でも、夏目さんは日本のマンガ・アニメが世界に受け入れられていく過程の中で、どのような齟齬を生んでいったかを実に細かく分析していく。簡単に言って日本人はこれまで、「世界の中での田舎もの」って劣等コンプレックスが強すぎたのだね。ちょっと日本のマンガ・アニメがウケるとすぐ有頂天になり、作品の輸出に関して、テキトーな契約結んじゃって、地団太踏む羽目になる。
 なにがビックリしたって、『攻殻機動隊』があれだけ世界でウケたってのに、監督の押井守に1銭も金が入ってないってんだから(もちろんアチラの会社が全部ぶん取って知らんふり決めこんでるのである)。
 夏目さんのマンガ国際化戦略は実に具体的だ。産業としてのマンガ出版を活性化させるための構造改革と海外進出。これ、出版社だけでなく自治体自体も真剣に取り組んでいっていい課題じゃないだろうか。

 ああ、それと以前オタアミで紹介されてた韓国性のアニメ、『三本足の男』や『チ○ポ橋』(タイトル分らないからテキトー。見てない人にはない様は「ご想像に任せる」と言っておこう。)の作者の名前がこの本でやっとわかった。
 梁栄淳(ヤン・ヨンスン)と言うのだ。作品名は『NUDL NUDE』。韓国では超人気のマンガ家さんだそうな。宣伝のし方によっては充分売れると思うんだが、マーケティングリサーチのヘタな日本人にこの本やアニメを売るチカラはなかなかないだろうなあ。
 日本で出版されれば少なくとも私とよしひと嬢は確実に買うであろう(^^)。


 キネ旬ムック『マンガ夜話』vol.11「山口貴由『覚悟のススメ』/藤田和日郎『うしおととら』」読む。
 と言っても『覚悟』のほうはマンガ読んだことないので斜め読み。
 少年サンデーのWEBサイトで『うしとら』の作者がマンガ夜話見て怒ってるって話を小耳に挟んでたので、さて、そんなに貶されてるのかと思って放送を見逃してたので読んでみたのだ。
 ……あれを「貶し」と取るんだったら藤田和日郎、あんたはマンガがなにもわかってないや。と言うより、知性低すぎ。
 たとえばいしかわじゅんの「どっかでもう絵に関しては諦めてる」という批評。藤田氏本人は「オレは諦めてないぞ! 日々努力してるんだ!」と文句言いたいんだろうけど、いしかわじゅんの言ってることは「マンガの様式化を脱却しようとはしていない」という意味であって、別に欠点として指摘しているわけではないのだ。逆に「いろんな様式を取り入れて自分の表現を豊にしている」と誉めてるのに。
 いしかわじゅんも言葉足らずだったとは言えようが、発表されたものに対して、誉められようが貶されようがそれは受け入れるしかないことなのだ。
 こういう作者のケツの穴の狭さは作品に反映する。
 『からくりサーカス』がつまんない理由ももしかしたらこの辺にも理由があるのかな。

 資料的に充実してるようだけれど、「唐沢俊一さんの『カスミ伝S』」は早いとこ訂正しとこうね。まあトシアキと間違えなかっただけマシかもしれんが。


 マンガ、和田慎二『少女鮫』10巻(完結)。
 いやあ、ここまで打ちきりとはっきり分る結末もかえって清々しくていいなあ。いや、和田さん、本気で怒ってるだろうけど。
 何しろ登場人物すべて殺して終わりって、おまえは火浦巧か。
 でも出版社移ったことでもあるし、最後の2巻はなかったことにして、リメイクしてもいいんじゃないかな。主役の女の子、「ウィルスによる突然変異で超能力に目覚めた」なんてニュータイプな設定は捨ててさ、「傭兵経験のある少女」ってことだけで押してきゃ、充分ウケると思うんだがなあ。


 DVD『刑事コロンボ 完全版』vol.1『殺人処方箋/死者の身代金』見る。
 LDボックスで大半揃えてたのに、DVDで完全版先に出しやがるんだものなあ。
 でもLDのほうも石上三登志の解説がついてるので売っぱらうわけにはいかないのである。多分見てないのは数本だろうけど、なんとか全巻揃えよう。
 最初のコロンボ、よく言われてるがキャラクターがはっきりしていないので、まだまだかっこよく見える。ミステリーとしてはこれがシリーズにつながるためのパイロット版なので二本とも屈指の傑作。
 『殺人〜』、細かいストーリーはミステリーの定石で明かせないけど、ちょっとした描写、犯人が現場にハンカチを忘れた! ……と思ったらちゃんと取りに帰る、なんてところがウマイのだね。
 声優の小池一雄が亡くなっているので、追加部分の声を銀河万丈がアテてるけど、ちょっと野太すぎる印象。
 それよりゲストスターのジーン・バリーの声、オリジナル版では若山弦蔵(NHK放送時は瑳川哲朗)なのに追加版では変更されている。死んでないのになぜ?
 『死者〜』、声優が山東昭子。政治家になって以来この人が元女優ってことも忘れられてるんだろうなあ。


2001年06月29日(金) フェイト教授、さようなら/『スカルマン』7巻(石ノ森章太郎+島本和彦)ほか

 朝のテレビ番組で、「博多のとんこつラーメンに異変!」と何やらただならぬ特集が。
 ……見てみると異変というほどでもない。博多の料理の代名詞のようになっている「とんこつラーメン」があまり食べられなくなっている、というだけのこと
だった。
 特に女性に。
 「臭い」「しつこい」「太る」と評判は散々だ。
 それに対して男は「博多のラーメンはやっぱトンコツやろ」と堂々と言い放つヤツが圧倒的に多い。
 いつ、誰がそんなこと決めた。
 とんこつラーメン屋の主人も得々として言うのだ。
 「やっぱ伝統の味ば守りたかけん」
 伝統?
 たかだか50年やそこらで「伝統」などと口にするな。片腹痛い。
 何度かこの日記でも書いてるが、先祖代々の生粋の博多っ子はあんな臭いものは食わんのだ。あんなものを「博多の味」なんて言うな。
 ともかく博多に対しての世間の大いなる誤解は、まず第一に「とんこつラーメン」の発祥が博多だということと(本当は久留米)、武田鉄矢が博多出身だと思われてることだな(本当は雑餉隈←他地方の人、読んでご覧)。
 私の子供のころには普通のラーメン屋もまだまだあったのに、気がついたらとんこつ一色になってたんだもんなあ。
 博多ナショナリストである私としては、このままどんどん博多からあの唾棄すべき残飯ラーメンが消えていってくれると嬉しいのである。脳までとんこつスープのせいでとろけた男どもはほっといて、女性のみなさん、どんどん味噌や醤油や塩ラーメンを食べましょう。
 

 昨日のトーベ・ヤンソンの死去に続き、今日はジャック・レモンの訃報を知る。
 最後に『おかしな二人2』でウォルター・マッソーと共演できたのがせめてもの餞なのかなあ。演技的には「痛々しい」としか言いようがなかったんだけど。
 私の個人的なレモンのベストアクトは『お熱いのがお好き』でも『酒とバラの日々』でもなく、『グレート・レース』のプロフェッサー・フェイト。
 あのトニー・カーティスをライバル視し、部下のピーター・フォークをこき使い失敗するたびにヤツアタリするキャラ、どれだけ模倣されたことか。
 『チキチキマシン猛レース』のブラック魔王も『ハッスルパンチ』のガリガリ博士も『名探偵ホームズ』のモリアーティ教授も、そのエピゴーネンの域を一歩も出てはいない。定番、なんて言っちゃいけない。完成された演技ってのはああいうのを言うのだよ。
 どこか地上波でも衛星でもいいから追悼特集やらないかな。昔は誰かが亡くなったらたいていやってたような気がするのに、最近はサッパリだものなあ。
 吹替版でもいいよ。
 というか、カーティスを広川太一郎がアテて、レモンを愛川欽也がアテた(マリリン・モンローはもちろん向井真理子!)『お熱いのがお好き』なら全然文句はない。


 午後から通院のため仕事は早引け。
 仕事をぱたぱたぱたと片付ける。
 帰りしな、同僚の女性に、鞄につけていた私としげとのペアのバースディ・テディベアを見られる。
 「なんでそういうのを付けてるんですか?」
 と本気で疑問に思われたようなので、「妻が付けたんです」と弁明。
 「浮世のしがらみで」と付け加えたら受けてたようだった。
 まあ、似合わないからと言って、外すわけにはいかないものなあ。
 途端にしげから、
 「あなたは私のことを愛してないんだわぁ〜わぁ〜わぁ〜わぁ〜わぁ〜
 と桜田淳子攻撃をされることは目に見えているのである。 

 病院で入院のための紹介状を貰う。
 診察はウチの近所ですませるのだが、入院は西新の成人病センターの予定で、ウチからはバスと地下鉄を乗り換えて、おおよそ1時間はかかる。
 入院ともなると当然この日記の更新も出来ないわけで、病院でその日あったことをメモ書きでもしておいて、あとでしげにパソコンに打ってもらおうかと考えているのだが、そうしげに相談した途端、
 「やだ」
 と言われる。
 「長く書くのはイヤだろうから、10行程度しか書かないよ。それならいいだろ?」
 と聞いたら、
 「違うよ。ウチから遠いから見舞いに来ないよ」
 だと。
 ……だからそういう態度で俺にばかり愛情を求めるってーのがそもそも「詐欺」なんじゃないのか?

 しげと天神で買い物をして食事。
 いつものことだが、しげが「肉を食べたい」と言うので、天神コアのレストランのフロアで、肉料理の店に入る。
 私はビーフソテーのセットで安く抑えたが、しげの野郎、遠慮なしに高い肉を選ぶ。いや、まあ、おいしかったからいいんだけどさ。店を出た途端、また「おなかがすいたね」だ。
 キサマの胃袋は底無しか(・・;)。
 結局、しげに引きずられるように紀伊國屋書店、福家書店、ベスト電器を回って、アクロス福岡地下のMKでまた食事。
 生まれて初めて北京ダックを注文する。
 藤子不二雄Aに、人間を北京ダックにするホラー漫画があったけど、そこまでしたくなるほどの味ではなし。というより、油っこいばかりで味がない。皮のパリパリ感は確かにあったが、それも人に勧めたくなるような美味ってわけでもないのだなあ。
 なんだか詐欺にあったような気分であったが、何より肉が思ったより少ないのがガックリであった。
 しげは一口二口食べただけで、おもむろに餃子を2人前注文。いや、おいしくなかったからって、別のを注文することはなかろうに。
 

 帰宅してひと寝入り、シメキリが明日の『クレヨンしんちゃん同人誌』の原稿を書く。
 まああまり同人誌が完成していない時点でネタバレ話をするわけにもいかんので、ちょっとボカして書くが、「こういうネタで書こう」と思っていたのに、それに関する資料が見つからず、困っていたのだ。
 ところが今日、偶然、本屋で『アックス』の21号にほしかった「情報」が載っているのを見つけた。
 これを天の配剤と言わずしてなんと言おう♪
 おかげで原稿が進むこと進むこと。
 やはりシメキリはギリギリまで粘るべきものである。


 マンガ、横山光輝『血笑鴉』。
 槙山光輝って、正直な話、評価がとてつもなく難しいんだよねえ。
 この『血笑鴉』を読んでみてもわかるけど、「醜い男が実は超人的な技能の持ち主」って設定、山田風太郎忍法帖シリーズの定番なんだよねえ。
 悪く言えばパクリなんだが、更に山本周五郎をミックスしたりするものだから、ダークな話なんだかほのぼのなんだかよく分らない仕上がりになっているのである。
 で、つまんないかと言うと面白いわけよ。山本周五郎は菊池寛の主題主義の流れにあるわけで、キャラクターもある程度リアルに描かれている。しかも「市井もの」と言ってもいいくらい何の変哲もない人物を配置して、それが世界観を作ってもいるのに、そこにダークな殺し屋をぶちこむのである。
 この違和感がかえって変な魅力を醸し出してるんだから、なんと言えばよいのやら。
 誉めてんだよ、これ。念のため。


 マンガ、石ノ森章太郎・島本和彦『スカルマン』7巻(完結)。
 なんというか、ラスプーチンはあっさり死ぬわ、飛岡は実は仮面ライダーだったわ、最後は変身忍者嵐にキカイダーにゴレンジャーにロボット刑事にキョーダインにイナズマンも出てくるわ、読者サービスのつもりかもしれんが、全然サービスされた気にならないぞ。
 世界観が違うものを一緒くたにしたって珍品ができるだけだろ?
 『マジンガーZ対デビルマン』みたいなもんだぞこりゃ。
 石森章太郎の原作の完成度が高かっただけに、この終わりかたはどうにも納得いかない。ラストは結局『幻魔大戦』だしね。


 DVD『人造人間キカイダー THE ANIMATION』5・6巻(完結)。
 ようやく完結、テレビ版との差異はわずかだが、ギンガメのカットが差し替えられたりしてるとこだろうか。テレビを見てたときには見逃したが、再生ロボットの中には、再生どころか初登場のブラックホースやカイメングリーン、ブルーバッファローなんかもいたのだな。……だったらそれまでの11話の中にちゃんと出しとけよって。
 『キカイダー01』の製作も決定したそうだが、そのタイトルだと、原作通りジローが主役にはならないんだろうか。


2001年06月28日(木) 事故&カラオケ地獄変/『機動戦士ガンダム THE ORIGIN 始動編』機供憤舵良和)

 事実を書きます。

 今日も朝から雨でした。
 雨合羽を着こんで、いつもの職場への山道を自転車をこいで行きました。
 下り坂の曲がり角、信号の向こうに通学中の小学生が人道一杯にたむろしていました。
 フードをかぶっていて視界が狭かったので気づくのに遅れました。
 子供たちは誰もこちらを見ていません。
 慌ててベルを鳴らしブレーキを踏みました。
 毎日の山越えでブレーキが利きにくくなっていた上に、雨が降っていたせいで、さほど減速は出来ませんでした。
 一人目は避けましたがその向こうにいたもう一人は避けられませんでした。
 男の子にぶつかって、自転車は止まりました。
 轢いた、というより押し倒した感じです。
 男の子は倒れました。
 「大丈夫? 立てる?!」
 顔を顰めて痛そうにしています。見ると膝小僧に血が滲んでいます。
 男の子の腕をとって立たせました。小さな、とても軽い子でした。骨折などはしていないようでしたが、痛くてかえって涙も出ないようでした。
 男の子の友達がワラワラと寄って来ます。
 口々に男の子の様子を聞きます。
 ケガをしたのは膝だけのようでした。
 リーダー格のような男の子が、「保健室まで歩いていけるようですから、ぼくたちが連れていきます」と言いました。
 私はその間「ごめんね、ごめんね」と謝るばかりでした。

 もし、人を死なせていたら、ごめんねですむ話ではありません。
 自転車でも充分人は殺せます。
 私はその程度のことも自覚していない馬鹿者なのでした。
 しげにその話をしたら、「人が避けてくれると思ってるからだよ」と言いました。更に「車の免許取るから、仕事の送り迎えしてやるよ」と言いました(私は視力が極端に悪いので、免許は取得できないのです)。

 人に反省することなど出来るのだろうか、と思うことがあります。
 取り返しのつかない失敗をした時、謝罪は事態を解決させるどころか、火に油を注ぐことになることすらあります。
 なぜなら、反省のしかたに人は「程度」を求めるからです。
 「その程度で反省したと言えるのか」と。
 私もこれまでに数々の失敗を繰り返して来ました。そのたびに思うのは、私の失敗を糾弾する人々の「憎しみ」の強さです。
 私は「憎しみ」そのものを否定はしません。たとえば私が人を殺したとしたならば、遺族の方が私を憎むのは当然だからです。
 しかし、「憎しみ」は必ずその人の心を押しつぶします。その人の夢も、希望も、理想も、憧れも。
 私が本当に心から「反省」しそれを実際の行動に移そうとするのなら、その人たちの「憎しみ」を解くことを考えなければなりません。
 しかし、そんなことが可能なのでしょうか。
 愛するものをなくした人の心を和らげることなど、その加害者には不可能なことなのではないでしょうか。
 私は自分の愚かさの原因を、人全体の愚かさにすりかえようとしているわけではありません。ただ私自身、一歩間違えれば人を殺していた立場になって初めて思ったのです。
 罪を償う方法なんてないのだと。私はただ、裁かれるのを待つしかないのだと。


 

 27日、トーベ・ヤンソン死去。享年86歳。
 昨年は弟さんのラルス(ラッセ)・ヤンソンさんが亡くなられた。月並みな言いかただが、まるであとを追うように逝ってしまわれた。
 トーベさんは生涯ご独身だったようである。弟さんと二人でムーミン谷の仲間たちの物語を紡ぎ出す生活は、トーベさんの人生そのものだったのであろう。
 この一年間、多分とてもお寂しかったのではなかろうか。

 アニメのムーミンは、旧シリーズは好きで嫌いだった。
 日本という風土に合わせて、原作を相当改変させていたせいであろう。東京ムービー製作の分も、虫プロ製作の分も、アニメファンはどちらが好きか、ということで論争していたが、どちらもムーミンのキャラクターが普通の人間の男の子だったのである。
 いや、もちろん外見じゃなくて性格がだけど。
 ならファンタジーにする必要ないじゃん、と子供の私は生意気にも思っていた。私が好きだったのはムーミンパパでありママでありスナフキンであり。
 つまり、「大人」が好きだったのだ。「大人」に憧れていたのだ。
 そして、ムーミンのあまりの子供っぽさに自分を見るような気がして、好きになれなかったのだ。
 大塚康生さんは私の最も好きなアニメーターだが、ムーミンを日本化してしまったことについてだけは余計なことをしてくれたなあ、と残念に思っている。
 もっとも、日本化したものが人口に膾炙したために、より原作に忠実な『楽しいムーミン一家』も作られたのだろうけど。
 事情はなかなか複雑だ。


 昨日の夜、テレビを見ていたら、番組名は忘れたが小倉智明が出ていて「迷惑なカラオケ客」ってのを特集していた。
 セクハラ親父ってのは論外だが、自己陶酔してるやつ(マイクを離さないやつ)、ヒトの歌を聞かないやつ、なんてのが大抵嫌われてるみたいだ。でも見てるとホントにひどいやつがいるね。
 しかも女で(ーー;)。
 もう、椅子の上に立膝で座って大マタおっぴろげて歌ってやんの。
 こんなヤツは滅多にいないだろう、と思ってたんですが。

 いました。

 すぐそばに。

 そうです。うちのしげです。

 いきなり「ねえ、カラオケいかない?」と言い出したのに、なんの気なしに「ああ、おごってくれるんならいいよ」と付き合ったのが運の尽きだった。
 最初はまあ、いつも通りで何ということもなかった。
 『木綿のハンカチーフ』を二人で歌ったとき、しげと私とで、「この男(女)ひどいね」と意見が分かれたくらいで(しげは「恋人を忘れる男がひどい」と言い、私は「男の思いを受け止めようとしないわがままな女がひどい」と言うのだ。この曲、フルコーラスで聞くと男女間できっとこの手の論争が起きるところが実は楽しいのである)、ごく普通に歌いあっていたのだ。
 異変が起きたのは食事を注文するのに時間がかかるので、連続で私が歌った後である。
 「じゃあ、今度は私が続けて歌うね」
 これが連続し始めた。食事の注文よりも歌うほうが目的であることは明らかだった。
 気がついたら後半、ほとんどしげ一人で歌いっぱなしである。
 結局4時間ですよ、4時間。
 8時から12時まで。こっちが「もう遅いから」と言っても無視。とても付き合う体力は私にはなく、最後の1時間は文字通りしげの独演会になった。
 だから私ゃ明日も仕事があるんだってば。
 言っても聞かない。
 しげの眼がイっている。
 しかも私に「これ歌って」と『水木一郎メドレー』なんてシャウト系を要求してくる。んな体力あるかい(~_~メ)。だから『快傑ZUBAT』は福岡じゃ放映されてなかったんで細かいところは歌えんのだよ。
 でも歌ったよ、結局(ーー;)。
 しかたなく最後まで付き合ったけれど、こんなことは二度とゴメンだ。

 途中で歌うのを止めたのは、毎回必ず違う曲を歌うようにする、と決めているので、そろそろ歌える曲が尽きてきたということもある。
 曲は知ってても演歌は歌いたくないし、好きなアニソンはたいてい女性歌手のだし。
 しげと二人だけだとうろ覚えの曲を練習できるので気が楽なのだが、もともと音域が狭いので練習しても結局歌えないことがわかるだけ、という曲も多いのだ。
 しかも新曲で好きになれる曲も少ないし。『コメットさん』の『君にスマイル』はいい曲なんだけどやっぱり女性歌手(^_^;)。


 しげが歌いっぱなしの間、ようやく手に入れた雑誌『ガンダムエース』の創刊号を読む。
 メインはもちろん安彦良和『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』。というよりほかのマンガや記事がしょぼすぎる。
 北爪宏幸との新旧キャラクターデザイナー競演ってのはちょっと酷ではないのか。マンガ家としての力量の差がありすぎるのである。

 もともと、安彦良和の線の持つ「揺らぎ」は基本的に閉塞線によって成り立つアニメには向いていない。安彦良和が参画した数々のアニメーションの中で、最も氏の資質が発揮されたアニメはといえば『クムクム』であろうが、それとても、もともとの安彦氏の絵が持っていた独特の温かみは完成作では半減しているのである。
 20年前とは、安彦氏の絵も相当に変化している。
 アムロも、フラウ・ボウも、等身が伸び、やや面長な印象を受ける。その「絵が変わった」点をもって、本作を貶めることは不当な評価というものだろう。
 未だにどこがどう違うのか明確に答えられる人間が少ないのが困りものなのだが、アニメとマンガは違うのだ。
 似て、非なるもの。
 マンガの止め絵が表現し得ること、静止画の持つ間、コマとコマのあいだの間に、アニメを引退し、マンガ表現に取り組んできたこの10年の蓄積が見事に評価されているのだ。
 流れは一見同じに見える。
 家族を失ったフラウ・ボウをアムロが叱咤し、「走れフラウ!」と叫ぶシーン。
 アムロは涙を流し、倒れたガンダムを、人々を殺戮したザクを見る。
 1ページごとに挿入されるアムロのバストショット。アニメでは一瞬で流す、テンポを考えたら流さざるを得ないワンカットも、マンガでは「溜め」となる。
 時間が止まり、読者はそこでアムロの心の怒りと悲しみを共有するための充分な時間を得る。
 20年以上経って、私は初めてこの「走れフラウ!」というセリフを、まるで自分がアムロに成り代わったかのように感じ、自分の発する声として読むことが出来たのだ。
 まさしく「オリジン」の名に相応しい。季刊誌ゆえに次号は秋の発売だが、週刊ペースで絵やドラマが荒らされる心配もない。おそらくは全20巻にはなるであろうこの今世紀最初の「大作」を読める恩恵に浴したことを喜びたい。

 まだ物語は始まったばかり。
 これから先、安彦さんの描くセイラさんに、ミハルに、マチルダさぁ〜んに、ハモン様にララァに会えるのだ(女ばっかりやんけ。それにミライさんはどうした?)。
 ああ、生きててよかった!


2001年06月27日(水) 「マチャアキ」離婚ってあまり言われてない。時代か(+_+)/DVD『八岐之大蛇の逆襲』

 昨日か一昨日か、しげと話してて、「うん、その通りだ!」と納得したことを思い出したので書く。
 
 「俳優・田中邦衛の代表作ベスト3は、『若大将シリーズ』の青大将と、『ルパン三世・念力珍作戦』の次元大介と、『金田一耕助の冒険』の等々力警部である。」

 反論は受け付けないのでよしなに(^^)。


 今週の『少年ジャンプ』30号、『ヒカルの碁』が一週間休んで後の久々の巻頭カラー(巻中はあったけどね)。
 塔矢行洋の引退で急展開、という表面上の動きはあるが、どうにも気になっていたのは佐為がここ二回、連続して全く姿を見せなかったことだった。
 ヒカルと佐為の別れはもう避けられないような感じだ。もしかして、本当に消えるように前触れもなく、このまま……。というような展開も予想していたのだが、今週はしっかりラストに佐為が登場。
 ほっとするというより拍子抜けした。
 まだヒカルの側にいたのなら、今まで姿を見せなかったのはなぜなんだろう?
 たいして演出上の意図があったようにも思えないし。
 ちょっとうがち過ぎかもしれないが、これってまたぞろジャンプの悪癖、「延命措置」なんじゃないだろうか。本当は佐為はこのまま消えてしまい、最終回に向けて最後の展開を……という予定だったのが、編集部が原作者にムリヤリ連載の継続を強要したとか。
 でも佐為のこと以外にも伏線を今まで張ったっきりになってるの多いし(高校の囲碁部はどうなった)、もはやジャンプ連載陣の一翼を担っている以上は簡単に連載を終えられないということも原作のほったさんは解っているだろうし、本当は『ヒカ碁』はまだまだ物語の中盤、と言ったところなのだろう。
 何より、以前から名前だけしか出てこなかった倉田厚、一柳先生らがいかにも主要キャラクター、といった風貌で登場してきたのだ(でもどうしてみんな揃いも揃ってデブ?)。当然、彼らとの戦いを描かないわけにはいくまい。
 そうなるとやはり気になるのは、佐為が今後どうなっていくかだ。
 このまま消える、ということはあり得ないだろう。しかしヒカルの側にい続けることももう不可能だ。かといって簡単にほかの人に乗り移るっていうのも安易過ぎるしなあ。アキラにとり憑いたりしたらそれこそ顰蹙ものだし。
 実は佐為は本当は怨霊で、本因坊秀策の早世も佐為のせいだったとか。塔矢行洋との一戦でますます現世への執着を弥増した佐為は、本格的にヒカルを操っていこうとする……ってそれじゃつのだじろうじゃんか(ーー;)。
 やっぱり他人に乗り移る可能性が一番大かな。残った候補はあかりちゃんくらいしかいないような気がするけど。姿を消した伊角さんという手もあるけど、ヒカルのライバルとしては弱いしなあ。
 いっそのことライバルを渡り歩くというのはどうだ? ヒカルと対戦するときだけ相手に佐為が乗り移るの。乗り移られた方はその間だけ記憶がない。ハッと気付いたら対局が終わってて、いつの間にか負けてたり……。
 「え? 俺、今ここに座ったばっかりなのに、どうしてもう終わってんの?」とか。
 ……冗談です、すみません。m(__)m
 第一、佐為が御器曽プロにでも乗り移ったりしたら凄くイヤだ(-_-;)。
 でも、今までいろんな意味でこちらの予想をいい意味で裏切る展開を見せてくれた『ヒカ碁』である。
 できることなら、今後も予測のつかないアクロバッティングなストーリーを期待したいものなのである。


 芸能ニュースやネットで堺正章の離婚が報道されてるが、これがまあ世間の反応が見事なくらい、岡田美里バッシングに終始している。
 まあ、普段なら芸能界の結婚離婚報道に興味持つことなんて滅多にないんだが、今回は『フロン』読んだあとで、その手のことについてつらつら考えたりもしてるし、どっちかと言うと離婚そのものより、世間の反応の方が興味深かったりもするしで、ちょっと書いてみたくなった。
 「てめー勝手なこと言ってんじゃねーぞ」とみんなの神経を逆撫でしたのは、おもに「芸能人の妻が夫が忙しいからって文句垂れてんじゃね〜」「それだけ自己主張しておきながらPTSD(心的外傷後ストレス障害)になったなんてふざけんな」「ハナ肇を馬鹿にするな」と言ったところであろうか。
 確かにラストのには私も思いっきり納得しちゃうな。
 「『新春かくし芸』でも(故人の)ハナ肇さんのように、銅像(の役)になればよかったのに…」
 ハナ肇に対するコメディアンとしての評価は、実は私も必ずしも高くはない。でもそれはあくまで「芸の出来」に対する評価であって、岡田美里の言うように「ハナ肇が楽をしていた」なんて思ったことは一度もない。それはハナさんの仕事に対する打ちこみぶりを見れば誰だって解ることだ。
 なんだかそれって、「いいよな、芸能人は、馬鹿やって金が貰えるんだから」と内情も知らずに放言するのと同じレベルだよな(私も父親から「お前の商売なんて俺でも出来る」と言われた時は、あ、こいつ所詮は世間知らずの坊ちゃんか、とガックリしたけど)。
 岡田美里がどういうタレントなんだかよく知らないんだけど、自分の仕事について「楽でいいね」と言われたとしたら嬉しいだろうか。心に傷を負ってるのかどうか知らないが、そのことで相手に対する思いやりを持てなくなったとしたら、そっちの方を治療せねばなるまいと思うのである。

 難しいのはそこなんだよなあ。
 どうも最近、マスコミでPTSDという言葉が安易に使用されてる面があって、少しは専門家に聞いてみたらどうだとハラを立てていたところでもあったのだ(例の池田小学校殺傷事件で、「被害者の小学生のPTSDが気がかりです」とか言ってるレポーターがガンガン小学生に子供の心を傷つけるようなインタビューしてた件とかね)。
 岡田美里がPTSDと診断されたってのはウソじゃないんだろう。だから「PTSDだなんて病気を隠れ蓑にして被害者ぶってるんじゃないか」という批判は当たらないと思う。
 岡田美里バッシングで気になるのは「その程度の軽い病気、我慢出来んのか」という思いが批判者の間に蔓延してるからなんだよね。それ、基本的に病人自体に対する偏見であり差別であるのだ。これだから病気になったことのないやつは始末に困る。
 病気は軽いからいい、重いからよくないというものではない。それぞれの症状に対して適切な処置をする必要があるのだ。「自分はその程度のことは克服できる。だからあいつのはただのワガママだ」というのは自分を基準とした傲慢でしかない。そう思うのは勝手だが、それが他人への批判になりえるなんて考えてたら大間違いだ。
 別に岡田美里を擁護したいわけじゃないよ。あの程度の記者会見や報道で、PTSDってホントかどうか、どの程度の症状だったのか、なんて、専門家でもないのに判断できるわきゃないのだ。「あれだけ喋れるんならウソだろう」って言うんだったら、40度の熱出してウワゴト言ってても「喋れるから健康」って判断してもいいのか。「E・H・エリックや堺正章が暴力的でなかった」と断言出来る証拠でもつかんでいるのか。何をみんなえらそうにもの言ってるんだ。
 「岡田美里のあの言い方では、PTSDに対する誤解を生じさせる」とか言ってるやつもいるようだが、病気に対して予め誤解と偏見に満ちた見方しかしてないからそうなるのである。その点に関しては岡田美里に罪はない。彼女の病気については、彼女自身と医者が考えていけばいいことであって、知識もない連中がとやかく判断できるものではなかろう。
 まあ、もっとも離婚した途端、彼女のPTSD治ったそうだけどもね(^_^;)。

 それよりも、私が「アタタ」と思っちゃったのは、岡田美里が会見の最後で「愛情がなくなったらいっしょにはいられないんじゃないですか?」と言ってたそのセリフでしたね。
 やっぱり「恋愛信仰」の中にどっぷり漬かってた人なんだねえ。
 歳の差のある夫婦の場合、世代的に共通の話題も少ないので、それを「愛情」で埋めようとするんだろうけど、それが間違いのモトなんだよなあ。
 「話題」は「話題」でしか埋められないのよ。ほかの何かで代用が効くものじゃない。だから彼女が「夫が忙しくて一緒にいてくれなかった」と言うのを「夫が忙しいんだから仕方ないじゃないか」と切り捨てるのはワーカホリックな日本人の暴論。
 若い妻と結婚したんなら、その「話題」を作るために仕事をセーブして時間を作る「覚悟」も必要になるのです。堺正章のほうにもその覚悟が足りなかったってことはあるんだと思うけどね。それは「愛情」の問題ではなくて、「夫としての仕事」なのですよ。
 「芸能人としての仕事」を優先したいのなら「結婚という仕事」との両立は無理でしょ? 堺正章も結婚当初は仕事がなくて(^_^;)両立できてたみたいだけど、状況が変わったんだからしかたがないやな。
 実際に芸能界に限らず、世の中には「仕事が楽しいから結婚しない」あるいは「仕事が忙しくて家庭と疎遠になったから別れる」って人たちも多いわけだし。だから、堺・岡田の離婚は、極めて自然なものなのであって、それ自体は別に誰から批判されるべきものでもないのよ。
 エリック・クラプトンのように「結婚するから引退する」って言えりゃあよかったんだろうけど、多分、堺正章、妻との収入を合わせても貧乏だったんだろうねえ。……ホントか?


 今日も残業があったが、なんとか切り抜けて7時過ぎには帰宅。
 テレビをつけるとNHK『クローズアップ現代』で、アメリカの「代理母」の問題を取り上げてたのだが、その特集のタイトルが「代理母は許されるのか」。
 ……だからなんでみんなそんなにえらそうなんだよ。
 許されるかも何も、代理母を必要としている人がいて、それを引き受けてあげたいという人もいて関係が成り立ってるのに、一体なんの権利があって「許す」の「許されない」のと判定したがるのだ。神様にでもなったつもりかNHK。
 番組の中でも代理母が口々に言ってたが、子供を引き取る親が、代理母を自分たちの子供を作るための「道具」としてしか見ようとしていない、そちらの方が問題なのである。特にその問題は日本人の親の場合に多いという。
 つまり、代理母から生まれた子供である、ということを隠しておきたいというのだね。
 ……隠しておきたいような子供なら最初から作るな(`´メ)。
 これも代理母がさも罪悪であるかのように意識誘導しているマスコミに責任の一端があるのである。
 「クローン反対」の問題も含めて、「差別を撤廃するフリをして実は逆に差別を蔓延させてる」事例が頻出している。
 やっぱり日本人は心の底で「常に誰かを差別したがってる」のよ。


 DVD『八岐之大蛇の逆襲』見る。
 まだガイナックスがダイコンフィルムだったころ(←『仮面の忍者赤影』風♪)、そのスタッフが総力を結集して製作した超豪華なアマチュア特撮映画。
 ブックレットで監督の赤井孝美さん(最近は『プリンセスメーカー』の、と言うより『星界の紋章』のって雰囲気になってきてるなあ)が、「最低のプロ映画」と卑下しておられるが、やっぱりこれは「アマチュア」として評価してあげなきゃ酷ってもんだろう。
 だって脚本も演出も、樋口真嗣の特撮だって「アマチュアのくせに凄い」ってレベルでしかないんだもん。平成『ゴジラ』の特撮が部分的に「アマチュア以下」で、『八岐之大蛇』が部分的に「プロ以上」なんで、いかにも伝説の名作と錯覚されてるだけじゃないかな。確かに屋外での自然光による撮影は『ガメラ』三部作の先駆と見なせようが、ぶっちゃけた話、「照明費を浮かせる」手段でもあるのだ。
 いや、自主映画は私も何度も作ってるから、その辺の事情は痛いほど伝わってくるし。
 じゃあつまんなかったかっていうともう最高に面白いのよ。イタイけど面白い(^_^;)。勢いだけで作ってるのがビシビシ伝わってくるから。
 ヤマタノオロチの背中が岩と草ってのもちゃんと『古事記』読んでるなあ、とか、でも首があんなに短いのは特撮の限界だなあとか、「やれることとやれないこと」がはっきり見分けられるのね。だからプロの映画に対する「ここはこうやれたはずだ」という批判が出て来ない。
 昔、ビデオで出てたころは「アマの映画か」と見ようともしなかったんだが、今思い返すと痛恨の一事だったな。
 しかし、赤井さんも樋口さんも庵野さんもみんな若いし「学生」だねえ。見てるだけでもう赤面♪


 疲れが溜まっているのかそのまま落ちる。明後日は病院だし、同人誌のシメキリでもあるし。もうひとふんばりしなきゃなあ。
 体重は82.2キロで微増。
 昨日しげが作った山盛りスパゲティのせいだな(ーー;)。


2001年06月26日(火) やっかみをキャッチコピーにしてちゃねえ/『高校天使』3巻(加藤四季)ほか

 昨日の体重書き忘れてたけど83.4キロで一昨日と変わらずでした。
 それが今日は一気に81.8キロ!
 しげは「一体何をしたん?」って何か私が悪いことでもしたようなもの言いをするが、別に魔道に通暁してるわけでもなんでもないので、考えすぎというものである。
 ああ、でもそろそろ80ラインが見えてきたなあ。来月までにはホントに切れるかも?


 社民党のCMが物議を呼んでいるらしい。
 「本当に怖いことは、最初、人気者の顔をしてやってくる」というコピーが「他党への誹謗中傷に当たる」として、放映を自粛する局もあったとか。
 このコピーそのものが誹謗中傷に当たるかといえば、そんなことはないと判断するのが妥当だろう。
 そりゃあね、これが小泉首相を揶揄してるというのは誰だってわかることだよ。
 でもね、まず第一に、具体的に「自民党」とか「小泉」の名前を出してるわけでは決してないんだよ。「本当に怖いこと」ってのがどんなことなのかも具体的に何も言ってない。あくまでここに提示されてるのはイメージにすぎない。
 なにが怖いことなのか、それは国民一人一人に考えてほしい、CMはそう言ってるだけなのだ。
 したがって第二に、そしてこれが大事なことなのだが、そうやって国民の想像と判断にまかされてることを、マスコミが勝手に「他党への誹謗」と解釈し、国民の「知る権利」を阻害しているということだ。
 どこまで傲慢になりゃあ気がすむんだテレビ朝日。

 そんないらんことをせんでも、小泉首相をヒトラーになぞらえるような姑息なCM、みんな嘲笑うだけだよ。
 社民党は7年前、自民党と組んで政権取った時点でもう終わっちゃってるんだから、これがなりふりかまってられないアザトイ戦略だってことくらい、誰だって気がつく。
 馬鹿は勝手に躍らせときゃいいのだ。


 もういい加減、雨は振り尽くしたろう、と思いたいのに今日も昼から雨。
 おかげで未だに雨合羽での自転車通勤が続いている。
 いやねえ、降ってる時はいいけどさあ、急に雨が上がったりするもんだから、炎天下、合羽姿のままで走ってるともう暑さで全身がカッカしてくるし頭はフラフラしてくるし、熱射病でぶっ倒れちまいそうでさあ。
 しげは「サウナスーツ」着てるようなもんだから痩せられていいじゃん、と軽く言ってくれるが、6月の時点でこうなんだから、7月、8月になったらどうなることか。
 たいがいで一日晴れててほしいものなのである。


 残業で帰宅が8時すぎ。
 これでも鳥目で夜目が利かないので早めに帰してもらったのだ。
 町中ならまだ明かりがあるからいいけど、山道だとマジで命が危ないからなあ。
 帰りに「ポプラ」(←コンビニ。全国規模のチェーンなのかな?)に寄って弁当のほか、「バースディテディ」を買う。
 以前、しげの誕生日のものは買っていたが、今度は私のもの。
 持って帰るとしげは喜んで自分のと一緒に私の鞄にぶら下げた。
 ……なんで女はこういう飾り物が好きかな(-_-;)。
 もう私は人からどう見られようが言われようがどうでもいいと達観しつつあるので、斑な二体のグロテスクなクマがぶら下がっていようが構わないけどね。
 ちなみにどんな配色か知りたい人は自分で9月15日と12月30日のクマの色を調べてみてください。


 「OTAKING SPACEPORT」にリンクしてもらったおかげだろう、いきなり60件近く、この日記にアクセスがある。
 でも特にメールにも掲示板にも反応が全くない。
 唯一ある人の日記に「辛辣だけど正論」と書かれていた。
 ううむ、またか(-_-;)。
 どうも私の文章、自分ではできるだけ砕けさせ、ふざけたように書いているつもりでも、人からは「マジメ」と捉えられてしまうことが多いのだよなあ。
 唐沢俊一さんにも以前、「マジメな人だなあ」と言われちゃったし。
 タイトルの「無責任賛歌」の名が泣くよなあ。
 思わずしげに、「俺ってそんなに正論吐き野郎か?」と聞いたら、即座に「うん」と頷かれた。
 くそう。
 でも私よりも死んだ母親の方がよっぽどイヤミな正論吐きだったんだがなあ。
 何しろ本気で「私は今まで正しいことしか言ったことがない」と言い切ってたのよ。
 でもしげは「かあちゃんが言うと納得するけど、あんたが同じこと言っても納得できない」なんて言いやがる。
 お袋と私のなにが違うというのだ。
 年季。
 そうですね。はい、すみませんでした(`´メ)。


 マンガ、加藤四季『高校天使』3巻(完結)。
 雑誌のマンガとマンガの間のつなぎのような四コマってのが昔から結構好きだった。
 これなんかも絵ははっきり言って相当ヘタなんだが、ともかく30半ばで童顔で中学生にしか見えず、精神年齢も中学生並の小松先生のキャラクター造形が秀逸。
 要するに小松先生に振り回される周囲のドタバタがメインなんだが、それに巻き込まれつつも小松先生への愛を貫く元ヤンキー娘のしょう子さんがいじらしい。
 3巻で終わるのは惜しいけど、連載年月で言えば軽く5、6年は続いているのだ。作者がまた次の作品を書かせてもらえるかどうか分らないけど、出来れば第2作、第3作と書いていってほしいなあ(花ゆめのこういうコママンガ出身の人はレディースに流れること多いけど、この人の絵柄じゃ無理っぽいし)。


 CS時代劇チャンネルで『柳生武芸帳 双龍秘剣』(1958・東宝)。
 以前持ってたビデオはスタンダードにトリミングしてたのだが、今回録画したのはシネスコ版そのまま。やっぱり殺陣もシネスコを前提に撮られているので迫力が違う。
 でもこの東宝版、東映版の近衛十四郎の十兵衛シリーズとは全く違う展開なんだよなあ。第一、十兵衛が脇役でしかも死んじゃうし。
 しかし先日見た『地球防衛軍』のコメンタリーで「このころの東宝映画はみんな踊る」って樋口監督が言ってた通り、この映画でも岡田茉莉子が踊ってる(^^)。でも伴奏の間の山節を歌ってるのが上田吉次郎だよ、あのダミ声の(知らないってやつは黒澤明の『羅生門』すら見てないってことだな)。
 『疾風! 鞍馬天狗』でも妖術使いの坊主を演じていた上田吉次郎、ここでも似たような役で岡田茉莉子を虜にしてるのだな。なんてオイシイ役だ。
 鶴田浩二と三船敏郎の共演という豪華なキャスティング、伊福部昭の勇壮な音楽にもかかわらず、なんだか散漫な印象になっちゃってるのは、全体的にメロドラマの要素を入れすぎたせいだろう。
 女が邪魔。ラブシーンに伊福部音楽は合わないよ。


 パソコンの前にこないだゲーセンで取った「グレイ(←宇宙人のほうだ)の逆回転時計」や、ガチャポンのウルトラマンコスモス、アボラス、クール星人、ワイアール星人なんかを並べてるものだから、またぞろしげが「邪魔」と怒る。
 「ちょっとくらいなら鑑賞しててもいいけど」
 と言うので、
 「ちょっとってどのくらい?」
 と聞くと、
 「二、三日」
 普通、こいのぼりだって数週間は出してるぞ。セコイことばかり言うなよ(ーー;)。


2001年06月25日(月) 1時間日記(^_^;)/アニメ『名探偵コナン』オープニング

 うひゃあ、しげが仕事に出かけたあと、つい布団に横になったらそのまま落ちちまった。
 マジで疲れてるぞ。早く休みたい。
 というわけで仕事から帰ったのが7時半、寝たのが8時半なので、書くことが1時間分しかない。
 仕事中の余談を書こう煮もここんとこホントに真面目に仕事をしているので(普段はしてないのか)あまり書くわけにはいかないことばかりだしなあ。
 本だって読むヒマなかったし。
 あ、福岡は今日も雨です。蒸し暑いです(^_^;)。


 テレビで『名探偵コナン』見て、昨日の日記の追加をして、やったのはそれだけ。昨日のニュースも知らない。
 かと言って、今更『コナン』についての感想なんて、「またこじつけのトリック考えやがって」以外にないぞ。
 あ、そうそう、この四月からオープニングが以前の「踊るコナン」から各キャラクター中心のものに変わりましたが、相変わらず憂いに沈む表情を描かせたら作画監督の須藤昌朋さん、原作者の青山剛昌さんより各段にうまいんですよねえ。というか、青山さんは空くまであれを「少年マンガ」の枠からはみださせたくないのだろう、蘭ちゃんの孤独な表情ってほとんど描かないのね。「いつでも新一を信じて待ってる」って。
 でも、アニメ版のオープニング、エンディングでしばしば描かれる蘭ちゃんは、「なぜ私の前に現れてくれないの? 私はいつまで待たされるの?」という伏目がちで何かにすがるような切ない表情だ。……こっちの方が自然だよなあ。
 だから『コナン』の最高傑作はいつもOPとEDなのである(←まあ大抵のテレビアニメがそうだったりするけど)。
 あ、でも本編についてもひとこと言うなら、外国人キャラクターにちゃんと外国人の声優をアテていたのは立派。世間知らずの私はよく知らない人たちだったけど、もしかしたら有名人のゲストかもしれない。
 日本人の声優さんがよく「外人のフリ」をすることあるけどさ、故・藤村有弘さんの中国人のマネみたいに芸になってる例って少ないんだよ。
 「オウ、ワタ〜シ、ニポンゴワカリマセ〜ン」
 みたいなアホらしいもの。そんな喋りかたしてる外人、ホントにいるのかよ。


 岡田斗司夫さんのホームページ『OTAKING SPACEPORT』に6/23日の日記の『フロン』の感想をリンクしてもらった(期間限定)。
 ああ、しかし「こんなこと書きましたよ〜」とお知らせはしたけど、まさかホントにリンクしてもらえるとは思いもせなんだ。こんなことならもっとマジメに書いて、誉めときゃよかった。結論もおざなりだし、ちょっと恥ずかしい限りである。
 実はあれ、内容を相当カットしてるんだよねえ。
 最初書いた時に既定登録枚数の原稿用紙20枚分を軽く越えちゃったらしいので、しげとの会話部分なんかを削ったのだ。
 だからなんで私ゃそんなに書きたがるかな。実際調子に乗れば20枚程度を2、3時間で書くのは苦痛でもなんでもないのである。
 しげが「原稿早く書け!」とせっつくのも宜なるかな。


 と言うわけで今日はホントに短縮版。読みやすいでしょ?(^^) 


2001年06月24日(日) マンガ読みのマンガ知らず/DVD『地球防衛軍』ほか

 新創刊の週刊マンガ誌『コミック・バンチ』が青年誌としては画期的な部数(70万部くらいだったかと思う)を記録したと言う。
 いったい誰が読むんだという意見を以前、この日記に書いたが、実際に読んでる人が継続しているということなら、それはそれで不況に喘ぐ出版業界が少し活性かしたということでもあるので喜ばしいことだ。
 『北斗の拳』や『シティー・ハンター』のパート2にどんな魅力があるのかと揶揄したのも、私にマンガの魅力を見る目がなかったということになるのであろう。一般的には。
 でもやっぱり面白くないんだよねえ。
 いや、もともと『ジャンプ』の従来のヒット作については、鳥山明を除けば私は全く興味が湧いていなかったのだ。『リングにかけろ!』『キン肉マン』以降、ストーリー的にも作画的にもヘタクソとしか言いようのないマンガが続々とヒットを飛ばしていて、かつては永井豪、ジョージ秋山を擁し、星野之宣や諸星大二郎を世に送った雑誌の質がどうしてここまで落ちるものか、と愕然としていた。
 年1回の愛読者賞でも、作品として完成度の高いコンタロウの『東京の青い空』や江口寿史の『GO AHEAD!』なんかが2位以下に留まり、池沢さとしの『誓いのチェッカー』とか車田正美の『リングにこけろ!』なんて手抜きマンガが受賞するような状況にあって、『ジャンプ』の読者って馬鹿ばかりかと憤慨していたものだった(後に愛読者賞は廃止されるが、これは価値のないマンガが連載作の人気のみで受賞してきた結果だろうと思う)。
 今、冷静になって考えてみれば、それはマンガドランカーとなってしまった私のいしかわじゅん的偏愛のなせる感想にすぎないということにも気がつく。例え完成度が低くとも、破天荒なエネルギーを発散していたそれらのマンガが読者層を広げた功績は否定できないからだ。
 それでもやはり私はまだ首肯し難い。
 例えば私は「つまんねえな」と思いつつも、そこにマンガとしての面白味が少しでもあれば『キン肉マン』だろうが『キャプテン翼』だろうがともかく読みはする。しかし、これらのマンガを本気で面白いと思ってる連中は他のマンガを一切読まないのだ。
 そして大人になれば「いつまでもマンガでもねえしな」と「卒業」していく。
 ……それはホントにマンガファンか?
 そのマンガを本気で好きだったと言えるのか?
 そんな一過性のファンにしか読まれないマンガを送り出していくことが、本当にマンガの将来を考えることになるのか?
 『リンかけ』あたりから始まった「やおい」読者の少女たちに対して私がやや批判的になってしまうのも、その辺に理由がある。
 『聖闘士聖矢』の氷河や瞬、『幽遊白書』の飛影や蔵馬、『るろうに剣心』の剣心や左之助にラブシーンを演じさせている少女たちは、見事なくらいに他のマンガを読む力がない。自分たちの読んでいるマンガの魅力を他人に語る術すら持ってはいない。「やおい」がいけないと言っているのではなく、もともとマンガファンでもない者がマンガファンのフリをしている状況が、マンガの未来を狭めていると言いたいのだ。
 『コミック・バンチ』が人気、というのもどうにも宣伝臭さを感じる。本当に売れているなら、なぜ創刊1ヶ月を経てテレビCMを作る必要があったか。その時期のズレが気になるのである。

 疲れが溜まっていて朝起きられず、テレビ番組も殆ど見逃す。
 朝方、父から電話がかかった時(冷蔵庫の調子を心配しての電話であった)だけ目覚めたが、練習と仕事が連続しているしげとは一日会えず。
 おかげで日記のネタがない(^_^;)。
 日記と同人誌の原稿書きで1日を過ごす。体重は83.4キロ、昨日よりちょっと下がったが、82キロ台に戻すにはまだまだだ。

 夕方、外出して生ビデオテープを買いこむ。買い損なっていたマンガを、博多駅のメトロ書店で探し、何冊か見つける。
 帰りにザ・めし屋に寄ってチキン南蛮と筑前煮にワンタンスープ。今日の食事はこれだけ。これで明日も太ってたら泣くよ。
 今日はようやく晴れたので、散歩に出ようとした瞬間、また土砂降り。
 とことん雨に祟られるなあ。

 絵本、たかはしみき『こげぱん パンにも出会いがあるらしい…。』。
 『こげぱん』シリーズ第3弾。
 キャラクターグッズの絵本化にもかかわらず、いい出来なんだよな、このシリーズ。
 たれぱんだよりもだんご三兄弟の流れにあると思うんだよね。「こげぱん」って。更には意外なことに正統的なメルヘンの流れに位置していたりするのだ。つまりは「永遠」の物語。
 だんご三兄弟もほったらかしてたらカチカチになるが別に死なない。
 こげぱんもこげたまま売れ残ってるけど別に腐らない。
 ふてくされてもすねててもこげぱんはこげぱん。まあ人生そんなもん。

 マンガ、八神健『ななか6/17』2巻。
 時折6歳のななかが、17歳に戻る瞬間を作っているのはいい演出だ。
 果たして17歳のななかは6歳に退行している時の自分を認識しているのか? 完全に意識が戻った時、ねんじとの関係はどう変化するのか? など、読者の興味を惹く方法として実に効果的。
 今巻は更に雨宮さん(名前がゆり子と判明♪)のオンステージでもあり、すっかりフリークになってる私は大満足なのであった。
 でもネタ的にもう面白そうなエピソードは使い果たしちゃったような気がするなあ。あまり引かずに5巻くらいで終わった方がまとまりよくなると思うんだが。

 マンガ、北崎拓『なんてっ探偵アイドル』4巻。
 毎回同じ感想しか書けないのになぜ毎回買うかな(^_^;)。
 だからトリックが成り立ってないってば。
 もういいっスよ、ミステリがどうのこうのじゃなくて、トリコロールの三人娘のエッチなポーズ楽しむのが目的で見るってコトでいいから。

 DVD『ウルトラQ』2巻。
 『ペギラが来た!』、ヒゲの越冬隊員の声を内海賢二がアテてるが、これもクレジットなし。声優に対して全く無頓着なのは時代のせいもあるかもしれないけど、こうやって現在復刻してるのに、なぜ改訂しないかな。
 しかしペギラはいつ見てもいいなあ。
 『育てよカメ』、中川晴之助作品は今見返すとなんだか切ない。子供を主人公にしたブラックユーモアがこの監督の持ち味なんだが、それより何より、主役が子供だと私のココロはこの昭和40年代に容易にタイムスリップしてしまうのだ。
 大泉滉みたいな先生もほんとにいたし(^^)。
 『SOS富士山』、先日亡くなった金井大が警官役で出演。このころから印象が変わってない人だったんだなあ。でもよく見ると野生児タケルの服、きちんと縫われている。……金井大に縫ってもらってたのか?(^o^)
 『甘い蜜の恐怖』、モングラーを巨大化させてたのは「ハニーゼリオン」という名前になってるが、撮影時の名称は「ラゼリー・B・ワン」という名の薬品。もちろんこれは『ウルトラQ』の提供がタケダ薬品になったためのやむない変更だが、だからよく見ると、アフレコでは「ハニー」と言ってるのに口の動きは「ラゼリー」のまま。
 これも有名な話だけど、ラストの火山爆発は『空の大怪獣ラドン』のフィルムを流用したために、よく見ると炎の中に羽ばたくラドンのハネが見える。おいおい、モグラにいつハネが生えたんだ(^O^)。
 円谷英二が妥協を許さない完全主義者だったってのはやっぱりただの伝説だと思うな。

 DVD『地球防衛軍』。
 特技監督、川北紘一と樋口真嗣の対談コメンタリーがなんと言っても白眉。
 樋口真嗣の映画へのツッコミが激しく、それに対して円谷英二を信奉する川北紘一が「なにを言っとるんだこいつは」とムッとしながら、なんとかその感情を抑えているのだけれども、結局は怒ってるって様子が声の端々からわかるのがもう楽しくて(←悪趣味)。
 樋「なんでこの当時の映画ってみんな踊るんスかねえ? そういう時代?」
 川「……かねえ」
 樋「モゲラって迷子になってただけなんじゃないスか?」
 川「……」
 特撮の専門用語をいちいち字幕で説明してくれるのも嬉しかった。

 しげ、夜中の1時に帰宅。
 「疲れた疲れた草臥れた」とウルサイのでどうしたのかと聞くと、練習のあと志賀島までみんなで遊びに行ったんだとか。
 そりゃ疲れるに決まってる。そのまま仕事だと分かってて遊んでるんだから同情なんかしてやんないのだ。


2001年06月23日(土) 愛のバカクサ物語/『フロン』(岡田斗司夫)/DVD『ウルトラQ』1巻ほか

 ひいいいい!
 た、体重が83.8キロぉぉぉぉ!
 恐るべし、お好み焼きパワー!
 わずか一日で1キロも太らせるとは! ここ四、五日、雨続きで、夜の散歩ができないでいるけど、その分、雨合羽着て汗だくで自転車通勤してるからそう増えはすまいとタカを括ってたんだがなあ。
 ああ、でも今日も大雨。
 私もそうだが、この休日、世間はみんななめくじになっていることであろう。
 昨日の日記に書き忘れてたこと。
 父の日のプレゼントは、昨日しげが私から奪い取っていったオカネでお風呂セットを買って持っていったそうである。
 そのときの親父の反応を知りたいとは思ったが、人の顔色を読み取ることのできないしげは全然説明できないのだった。


 岡田斗司夫『フロン』読む。
 近所の本屋を探しまわって全然見当たらなかったのに、博多駅の紀伊國屋と、天神の福家書店にはしっかり平積みで置いてあったのだった。
 「先に読ませて!」とタダをこねていたしげは、昨日のうちに読んでしまっていた。
 今日、私が読み終わったところに、てぐすね引いて待ちかまえていたかのように、「ねえ、面白かった?」といかにも疑問、と言った面持ちで聞いてきたので、かえって私はキョトンとしてしまった。
 私はてっきり、しげは『フロン』を読んでいろいろ共感するところも多かったのではないかと思い込んでいたのだ。実際「オンリーユー・フォーエバー症候群」の権化みたいな女だし。
 「女が全部そうだってのは納得するんだけど」
 という前置きをした上で、しげは言うのだ。
 「なんでこんなに特殊な女しか岡田さんの周りにはいないの? アンケート取ったって言ってるけど、ヘンな例しか挙げてないんじゃない?」
 ……そう思うのはお前が特殊だからだ、と心に思いつつ口にも出したのだが、実はしげのその指摘、間違っていなくもない。

 実際、この本に載ってる女性の意見、まともに考えたらツッコミ入れやすいこと。
 「本当に結婚という制度は私を幸福にしてくれるのだろうか?」
 結婚はもともと幸せになるための手段ではありません。私だって、しげに対して「幸せにするよ」なんて言ったことは一度もないです。あなたはユメを見ているだけです。早く覚めなさい。
 「子供はほしいけど、結婚してうまくやる自信がない」
 養子を持ちなさい。自分の血を分けた子供でないとイヤなら「えっちはしたいけど妻と子供が付いてくるのはいやだ」という男を捕まえなさい。
 「いい母親になれる自信がない」
 ならなくていいです。
 「結婚したら生涯、他の人を好きになってはいけない。だから自分は結婚などできない」
 しなくていいです。
 「飽きっぽい私に結婚など不可能」
 だから誰もあんたに結婚してくれなんて頼んでないよ。
 「結婚しても他の人を好きになるのは止められない。いったいどうやって今現在結婚してる人はそういう衝動を抑えてるのか。その秘密を知りたい」
 秘密なんてありません。そんな衝動がある人は普通結婚しません。してもやがて別れます。なんでそこまで結婚したいのだ。しなきゃいけないと思いこまされてるのか。それとも貴様は「結婚して夫からお金をもらって、その金で他の男と浮気したい」と考えてるのか。
 馬鹿。

 特殊な例ではない。
 女性に幻想抱いてる男性諸君、これが女の真実なのだよ。
 世の中の大抵の女が「どんな最低な男よりもレベルが低い」とは宮崎駿も断言している事実なのである。
 おっと、こういう言い方はまた誤解を招くな(^_^;)。
 でも、男に依存するあまり自分の不幸の原因まで男のせいにする女が多いのは事実だと思う。
 岡田さんは「現代の結婚は女が不幸になるように出来ている」と言うが、そんな女しかいない世の中でその女に育てられ、そんな女と結婚させられる男のほうだって充分不幸だと思うなあ。

 「こういう意見が出る、という状況がいかに根源的で深刻か、いかに私たちの幸せを大きく左右するかに気がついた私は、『この問題を本にしよう』と決心しました」と岡田さんは本書の執筆動機を語っている。 
 つまり「こういう馬鹿女をはびこらしたのは今の社会を作ってきた馬鹿男の責任でもあるから、なんとかせんといかんな」ということであるわけ。
 結論として導き出される「家庭から夫をリストラせよ」ってのが、「男が自由で女が子育て全部しなきゃいけないなんて女に不利じゃん」って見られちゃうかもしれないけど、「リストラ」ってのは「無能を雇う余裕はない」ってことなわけでしょ?
 社員が二人しかいない会社で片方が足引っ張ってたらその会社が潰れるのは当たり前じゃないの。「無能な男に頼るな。自分の頭で考えて自活せいや、この馬鹿女」って言ってるのと同じなわけです。

 実はウチの親、岡田さんの言ってる男のリストラ、もう三十年も前に実行してたようなもんでね。
 実家は床屋なんだけど、私が子供の頃、夫婦にありがちな「離婚の危機」に発展したらしい。でも商売人の離婚ってのは、即、売上に響く。世間体とかなんとかより、そっちの問題の方が大きかった。
 でどうしたかと言うと。
 床屋の支店開いて、それぞれに独立したんだわ。
 会計も何もかも別。もっとも片方の店が忙しくなったら、私が留守番して、本店と支店を行ったり来たり。
 いやもう、子供のころはその留守番のために一日に何度も両方の店を自転車で往復させられてたんだけどね。……そうなのよ、本店と支店って、距離が100メートルしか離れてないの。
 でもこれだけで夫婦の危機が回避されてたんだから不思議なもんだ。
 実の所、お袋の方の店は経営が苦しくて、また「女の店か」と客に馬鹿にされることも多くって苦労もしてたらしいけど、それでも自立する道をお袋は選んでた。そしてその苦労を親父には一言も愚痴らなかった。
 お袋が死んで跡を姉が継いで、親父も自分の店をたたんで姉の店を手伝うようになったんだけど、そのときになって初めて親父のやつ、過去の家計簿見て「あれはこんなに苦労してたのか」って気付きやがった。

 そうだよ。覚悟もなしに結婚も離婚も出来るわきゃないのだ。
 男も女も「愛情」なんかで結婚が続くと思ってるようなガキな発想はいい加減捨ててもらわなきゃ後の世代が苦労する。
 ある意味、岡田さんが21世紀の今になってもまだこんなことを言わねばならないくらい、戦後60年近く、世の大半の男女は自分のアタマでものを考えることを放棄してきたと言えるのだ。

 でもここまで言いきっちゃうと、例えばしげなんかは物足りなさそうに「でも『愛情』がオマケについてきたほうがいいじゃん」なんて言い出すのだ。
 そりゃ、オマケについてくるのが金のエンゼルならいいけどね、銀のエンゼルどころか、「毒入り、食べたら死ぬで」ってやつばっかりだったら誰も買わんでしょう。
 あのね、結婚と愛情は別とか、岡田さんは優しい言い方してるけどね。結婚に愛情は「毒」なの。
 愛情以上の「意志」と「覚悟」と、それに「運」がいるのよ。

 しげはね、私が浮気一つしない亭主なもんだから気がついてないんだけどさ、世の中のたいていの男は自分に言い寄ってくる女が五人いれば五人とも付き合いたくなるものなのよ。これだけでも「愛情」が「毒」だってこと、解るじゃないの。私を除けば身近にいくらでも例はいるでしょ。
 だからたいていの女は男の浮気グセに悩まされることになるよねえ。特殊でもなんでもない。しげは多分「じゃあ最初っからそんな男と結婚しなきゃいいじゃん」と思うかもしれないけれど、そんな男しか世の中にいなけりゃ、どうしたって不幸になるのが女の「運」ってことにもなるのよ。

 要するに男も女も馬鹿だから不幸になるの。

 『フロン』のサブタイトルは「結婚生活・19の絶対法則」となっているけど、これはもちろん、岡田さんお得意のハッタリ。表記通りに鵜呑みにしちゃあいけない。今まで述べてた通り、岡田さんが提示した「夫のリストラ」ってのはこれを読む馬鹿女の頭脳レベルに合わせた「救い」のサンプルにすぎないのであって、結局どんな家庭を作るかってことについてはこの本の100ページに「じゃあ自分はどうしようと考えて見ることが必要」とちゃんと書いてる。
 かと言って、岡田さんが読者の女性を「本気で」馬鹿にしているわけじゃない。岡田さんの発想は、「教師」なのである。もっと簡単に言えば「啓蒙家」。
 「世の中の人は、こうすれば物事がうまくいくのにどうしてこうしないのかなあ」と気付いたら、それを「教えて」あげなければ気がすまない。ともすればその言質は「こんなことも知らないの?」的優等生の発言になってしまって、説教めいてしまうものなので、劣等生が読んだらムッとくるところも多いのだけれど、「馬鹿にされた」と思うのは劣等生の被害妄想。
 優等生ってのは別に劣等生を「フフン」と鼻で笑ったりはしてないんだよね。ホントに単純に、「どうしてこんなこともわかんないの?」と思うだけ。
 でもそう言う誤解を招かないように、「一緒に考えましょう」的な論理展開をするのが「教師」の方法。
 「私が考えた理論」ってのならイヤミに取られるけど「結婚には法則がある」と言えばそれは自分の埒外のところにあることになるので、読者も拒否反応が少なくなる。これも「教師」の方法。
 さすが『ぼくたちの洗脳社会』の著者である。
 この辺の商売感覚は本を売る上では、あって当然のものだ。別に悪いことじゃない。

 もともと結婚の絶対法則なんて、「法的に結婚している」事実があるだけで他に法則があるわけもない。歴史的、世界的に形態は異なれども、男と女を結びつけるシステムを社会は常に必要とし続けてきたのだ。簡単に言ってしまえばそこには「男女がくっつく」結果がありさえすればいいので、愛だの義務だのそんなのはあとづけの理論でしかないのだ。だから「結婚」という形態だってホントはいらないんだよね。
 にもかかわらず我々が往々にしてその「愛」が先にあってその成果として「結婚」があるように錯覚してしまうのは、そうじゃないとなんで二人がくっついているかうまく説明できなくて自信がなくなっちゃうからなんだろう。
 あるいは「打算」と「悪意」と「妥協」と「世間体」で結婚していると自覚したくないからかも?
 打算のなにが悪い。
 打算のない人生があるとでもいうのか偽善者め。 
 現実逃避してるくせに現実の苦労を愚痴るな、馬鹿。

 家庭の問題の大半は、「他の家庭」と比較して身の不幸を感じてしまうことから生じている。
 私も今までに別れたカップルってのをいくつも見てきてるけど、たいてい別れる前に私に言うんだわ。「有久さんとこがうらやましい、夫婦仲良くて」って。
 もう、オタク道ひた走りの私と、家事も何もしないヒステリー女のしげを見て、そんなタメイキが出るくらいだから、これはもう最悪だ。
 他人の家庭は比較するものではなくて観察して楽しむものだ。
 ましてや「サザエさん」みたいな家庭とか「しんちゃん」みたいな家族が理想、なんて語るやつは逆さ吊りにしてサンドバッグ代わりにぶっ叩きたくなるな。

 岡田さんもチクリチクリとは皮肉を言ってるんだよね。
 現代社会は「自分の気持ち至上主義」であるって。
 でもそれって「ワガママ女に『お前はワガママだ』って言っても聞く耳持たないのは解り切ってるから言葉を変えた」ってだけのことだ。
 リストラした夫に金を要求することを許すほど、女のワガママを認めてるわけじゃない。

 ともかく、変えていかなきゃ困るめんどくさい社会システムはゴマンとある。
 この本は、「結婚してない男女、浮気している夫婦、離婚した夫婦、子供のいない家庭は精神的に何かが欠落している」という偏見というか幻想を吹き飛ばすための岡田さんの、「オタク認知洗脳運動」に続く第2の戦略なのである。

 ま、確かにこういう戦略中に『クレヨンしんちゃん』を誉めきれない岡田さんの立場もわかるわなあ。
 でも、あれも「家族」の一形態にすぎんので、それはそれとして考えてりゃいいとも思うけど。どうもあれをただのエンタテインメントとして思いきれないものがみんなの心の中にあるのだよなあ。


 仕事を半ドンで切り上げて、天神を回り、ベスト電機と福家書店に寄る。
 今月から来月にかけてほしいDVDや本が目白押しなので絞るのに苦労をする。見たり読んだりする時間だってそうそう捻出できんのに。

 マンガ、雷句誠『金色のガッシュ』1巻。
 新人さんらしいがこれが初連載というわけでもないらしい。
 あはは、現世における魔王決定戦って、つまり『魔女っ子メグちゃん』だな。もう最近はこういう「懐かしさ」の感じられる漫画の方が好きになってきてるなあ(昔はマンガはもっと先鋭化していいと思ってた)。
 たった1巻だけど展開が早い早い。
 主人公の少年のところに大鷲に乗って謎の子供(ガッシュ)がやってきて、電撃を吐いて少年のピンチを救って、ヒロインの女の子が銀行強盗に捕まったのも助けて、第2の謎の子供が現われてガッシュと戦って、更に第3第4の子供が現われてその子たちが魔物の子であるとわかって……。
 要するに人気がなくて打ちきられるかもしれないので、描きたいことはどんどん描いとこうと思ったのだろうけれど、おかげで面白い。
 シリアスな展開の間に挟まるギャグも惚けてていい。
 ケンカから逃げようとした主人公の清麿、自分を助けに来てくれると信じるガッシュ、そのときのセリフが「清麿が今来ないのはウンコをしてるからだ!!! きっと、きっと太い、そう、アナコンダよりも太く、金魚のフンよりも切れが悪い、最悪のやつだ!」は良かった。
 でちゃんと、「誰がそんなウンコするか!」と清麿が出てくるのも定番だけど、こういうベタなギャグもタイミングがうまけりゃ笑えるんだって。
 『少年サンデー』ここんとこ気を入れて読みたいマンガが少なくなってきていたので、これはなかなか買いかも。


 DVD『ウルトラQ』1巻、LDボックス持ってるのに買っちゃいました。
 いや、つい二、三日前まで、買う気は全くなかったのだ。
 でも『キネ旬』7月上旬号で「特典映像よりもオリジナルのクォリティの再現を第一に考えた」って紹介されてたんでねえ。
 「保存されてたフィルムを見付け出し、ブラッシュアップして新たにテレシネがかけられ、さらにデジタル化された映像をレタッチしてキズが取り除かれ、色調を統一した」って書いてあるけど機械オンチの私には意味が全然解らん。誰か説明してくれ。
 要するにすごい画質、音質になってるらしい。
 で、見てみたのだ。

 ……凄いよ、由利ちゃん!
 アンタがこんなにかわいかったとは!(女見てねえで怪獣見ろよ)

 一部にまだ傷は残っているものの、少なくとも以前見たビデオ、LD版と比べて各段に画質が向上していることは事実だ。いやあ、モブシーンの服のシワや背景の小石まで鮮明に浮かび上がって見えるぞ。
 逆にゴメスなんかはキグルミの細密な状況までわかるので、そこは作りものっぽくて不利なのだが、ナメゴンは逆に合成の妙ともあいまって、そのぬらぬら感といい、巨大怪獣が襲ってくる恐怖をヒシヒシと感じさせてくれる。
 ああ、この『宇宙からの贈り物』が『鉄腕アトム・ゲルニカ』の二番煎じじゃなけりゃ、もっと評価するのになあ。
 今見ると、多分脚本か編集のミスだろう、製作第1話の『マンモスフラワー』では、お堀端の怪物体の調査もすんでいないのに一の谷博士が「植物」と決めつけてたり、命名される前に「マンモスフラワー」と怪獣を呼名するシーンがあったり、ミスは随所にあるのだが、それでもそれ以前の実写版『アトム』やら『月光仮面』、『快傑ハリマオ』に比べたら脚本も映像演出も格段の違いがある。
 と言うか、これを越える特撮SF番組は未だに日本では生まれてないのではないかという気がしてならない。

 封入のパンフも佐原健二氏のインタビューや当時の時代背景など充実しているのだが、スタッフ・キャストについての調査などは未だにきちんとなされていない。東宝の特撮DVDシリーズは可能な限りこれをやってるのに、こういうのを特典映像としてつけてくれないと、マニアはなかなか納得しないものなのである。
 『ゴメスを倒せ』のジロー少年の声、小宮山清がアテレコしてるっていい加減でどこかに書いとけよ。マニアの口コミだけで知られてるって状況は恥だぞ。
 後、先着限定の店頭プレゼント(オープニングパラパラマンガ、怪獣大相撲、フィルム栞、新聞式の紙袋)もあるので、買われる方はお早めに(^^)。
 でも、「紙相撲」、怪獣がガラモンとケムール人なのはいいとしても、あとがカネゴンとM1号というのは納得いかんぞ。身長が違うではないか。

 さて、新作のウルトラシリーズ『ウルトラマンコスモス』、脚本監督がこの『ゴメスを倒せ』の脚本や『2020年の挑戦(ケムール人)』、『虹の卵(パゴス)』演出の飯島敏弘監督である。「少年とウルトラマンの友情ものかあ。臭くなりそうだなあ」と心配していたのだが、『キネ旬』のインタビューでは、「少年とウルトラマンの関係が希薄なのが狙い目」と言っていた。これは意外と拾いものになるのかも?

 あともう一つ『キネ旬』で気になった記事。
 あの『恐怖奇形人間』で江戸川乱歩『パノラマ島奇談』『孤島の鬼』を合体映画化した我等が石井輝男監督が再び乱歩世界の映像化に挑む。
 題して『盲獣VS一寸法師』!

 ……ぶわはははは!
 いやもう、できる前から珍品ができると保証つきの超B級なたいとるだねえ。
 これはもう乱歩フリークならずとも、映画ファンを自認するものならば見るしかない大傑作になるであろう。
 いや、またぞろお蔵入りして幻になりそうだって意味でね。
 主演が『サウス・パーク』キリスト役のリリイ・フランキー、他のキャストは映画監督の熊切和嘉、手塚眞、中野貴雄で占める。……明智は誰が演じるんだ?


 深夜、CS時代劇チャンネルで『大菩薩峠 完結編』(1959・東映)を見る。
 机龍之助が死んだ息子の幾太郎の名を呼びながら濁流に巻き込まれるところで終わってるけど、これ、原作じゃ全20巻のうち2巻目までの映像化なんだよね。
 だから机龍之助、あそこで死んでません(^_^;)。
 何度も大河ドラマ化が企画され、そのたびにスケールのデカさゆえにボツってる、時代小説至上最長にして最大の傑作だから、映画を見てみたい、原作を読んでみたいという人もいるでしょうが、ともかく膨大な原作で、あれからが長くてしかも作者の死によって未完になってると言うことは知識として知っといたほうがいいと思う。
 でも今どきはタイトルすら知らないという人も増えたかな?
 けど、『大菩薩峠』がなかったら、後の時代小説や映画におけるダーク・ヒーローの系譜、『眠狂四郎』も『仕掛人梅安』も『壬生宗十郎』も生まれなかったに違いないのだ。
 誰が言ったか、時代小説の三大傑作は、国枝史郎『神州纐纈城』、白井喬二『富士に立つ影』、そして中里介山『大菩薩峠』。多分これに異論を唱える人はそうそういまい。
 ああ、こんなことも昔は常識だったんだけどなあ。みんなもっと時代物も読もうよ。


2001年06月22日(金) 冷蔵庫は8年で買いかえるものだそうな(電器屋談)/『ななか6/17』1巻(八神健)ほか

 さて、久々に職場でのことを書く。

 ちょっとビックリしちゃったことなのだが、今年、チームを組んでる同僚二人が、なんと私と同じ高校の出身者だということが解ったのだ。
 なんつーか、私ゃヒトの経歴とか全く気にしないタチなんでねえ、今までそんなこと気にもしてなかったんだが、私が以前お世話になった同じく同門のある人が、私のことを気にかけていろいろ喧伝してくれてたらしい。
 その同門の同僚の女性、「偶然ってあるものねえ」と仰ってたが、私の驚きは学閥だのなんだのそういう小うるさいことを全く無視しているのに、気の合う人が大抵同門だったりする、という偶然が今までの人生の中であまりに多い、ということだ。
 偶然なのか?
 それともやはりウチの高校にはある種の「校風」というか「伝統」があって、その流れの中にあって共感し合えたということなのか?
 確かに在校中、誰もが「ウチの校風は『自由』だ」と思っていた。
 かと言って校則がなかったわけでもなし、とりわけウチだけが特別だと思っていたわけでもない。
 でも確かに、オトナになってみて他の高校の状況を知るにつけても、ヨソはなんでこうしがらみが多いのか、ということには気付くようになっていったのだ。

 例えばウチの高校、教師がよく出張になると自習になってたんだよね。
 普通、他の高校は自習はさせない。必ず、誰か代理の教師が授業に来る。空き時間を作らない、というのが普通の高校のタテマエだからだ。
 でも、ウチの高校の場合、それどころの話じゃないんだよね。その自習が5、6時間目だったりすると、学校を早引け出来ていたのだ。
 なぜそんな自由が許されたのか?
 簡単である。
 自由にやらせたほうが、生徒が勝手に勉強したからだ。
 「教師に教わるより自分で勉強したほうが実力がつく」
 それがウチの高校の出身者のコモンセンスであったのだ。
 もちろんその「勉強」ってのが「学校の勉強」ってものよりも多少幅広く捉えられてた面はあるけれども(^o^)。

 その同僚の女性Kさんとの、今日の会話。
 K「(読んでた本に「紅」という字があるのを見つけて)紅、紅、紅。紅孔雀
 私「ま〜だ見ぬ、く〜にに、住〜むとゆう〜♪」
 K「おっ、昭和30年代だね。何年生まれだっけ?」
 私「37年です。Kさんは?」
 K「……36年」
 ……サバ読んでるなあ(^_^;)。
 でも、女性に年齢を聞いても失礼にならないのもウチの校風なのである。
 しかしまさか『紅孔雀』ネタで職場で盛りあがれる日が来ようたあ、思いもしなかったぜ。

 ちなみに私の宴会芸の持ちネタの一つに、「妖婆の魔術に翻弄される浮寝丸(『紅孔雀』の登場人物の一人で元祖美形キャラ。演じるは絶頂期の東千代之介!)のマネ」というのがあるが、やってみせても何のことか解らん人が多いので、披露する機会がないのが残念である。


 仕事から帰ると、しげがえらく慌てている。
 「ど〜しよ、冷蔵庫が壊れた!」
 「はあ? なんで?」
 「なんでって、私が壊したんじゃないもん!」
 誰もそんなこと言うとらんわい。ただどういう事情なのか聞いただけなのに。
 「ねえ、直して!」
 「故障が直せるかよ、電器屋じゃないんだから」
 「じゃあどうすれば!?」
 「だから電器屋に電話しろよ!」
 どうもパニックに陥った時のしげの頭の回転は半分以下に落ちるようだ。日頃がヒトの半分くらいの回転力だから、四分の一といったところか。
 しげが電機屋に連絡している間に、冷蔵庫を確かめてみる。確かに電気が来ていない。
 コンセントを確認してみたがネズミに齧られてる様子もない。
 どこかで断線してるんなら、やはり部品を取り換えねばダメかもしれない。
 電話を終えたしげが、ますます困った顔で問い掛けてくる。
 「ど〜しよ、古い型だから部品がないかもって」
 「それなら買いかえるしかないかなあ。もう10年使ってるしなあ」
 金を使うことをとことんしぶるしげは、思いきり渋面を作っている。
 「ともかく、冷蔵庫の中身を腐る前に片付けなきゃな」
 で、冷凍食品のチキンを温めて食べようと、電子レンジに入れてつまみをまわしたのだが。

 え?

 電子レンジが、ウンともスンとも言わない。
 思わずしげのほうを振り返る。
 「……おい、これ、バッテリーが落ちてるだけじゃないのか?」
 「……え?」
 バッテリーのスイッチを確かめてみると、確かに台所のスイッチだけ、下に落ちている。
 そのスイッチを上げた途端。

 ウィ〜……ン。

 故障なんかしとらんじゃないかあああ!

 「お前、バッテリーが落ちたんじゃないかって最初に考えなかったのかよ!」
 「え? だって天井の電気はついてたし……」

 天井と台所の配線は違うに決まっとろうがあああああ!

 腐っちゃいかんと思って、しげは冷蔵庫の卵を使いきって目玉焼き10個も作ってるし、私は私で牛乳ひとパック一気飲みしちまったし、これで太ってたらいったいどうしてくれる。

 ……一部のみなさまにはこの件でご心配もかけたようですが、事態は解決いたしました。
 どうも申し訳ありませんでした。
 お怒りの方々、しげのことはちゃんとシメときますのでどうかご容赦下さい。


 唐沢俊一さんの日記はもちろん毎日欠かさず読んでいるのだが、21日(木)冒頭に「親父が死んだ程度でこんなに悲しいのだから、猫が死んだらどんなに悲しいか。」というフレーズがあって爆笑。
 もちろんこれは、お父様が亡くなられて本当はお寂しいだろうに、それを読者に気遣わせまいとギャグにされているのであろう。
 しかし、となるとこういう場合、笑った方がいいのかいけないのか。でもそんな風に迷うのは、たいてい笑っちまったあとである(^_^;)。
 「死」をギャグにするのは古今東西のギャグの基本みたいなものなのだけれど、確かこのフレーズも落語か何かにあったような記憶があるんだが思い出せない。うーむ、隔靴掻痒。
 

 で、落語と言えば、魔夜峰央『パタリロ!』である(^^)。
 ついに今巻で72巻(落語ネタもちゃんと「寿限無」あり)。
 「いったい誰が買ってるんだ」と突っ込まれることの多いマンガに『本気!』とかがあるが(^_^;)、『パタリロ!』も既にその一つであろう。もう既にエンドレスって気がしてくるよなあ。
 いったん『花ゆめ』本誌で連載が終わった時、『鉄腕アトム』テレビモノクロ版の最終回のパロディネタで締めくくっといて、全く何気なく翌月から『別花』で連載再開した時には、「食えないマンガ家さんだ」と思ったものだったが、今回もなんと72巻目にしてパタリロのおばあちゃんが登場する。
 今更(^_^;)。
 『少年マガジン』で連載再開した蛭田達也の『コータローまかりとおる!L』でも今更コータローのかあちゃんが登場してたが、この長々々期連載で主役の身内が出てくるというパターン、最近はやってるのか。『こち亀』でもやりそうだし。
 でもこういうの特に嫌いではない。多分、このばあちゃんも、あまた登場してきたパタリロの親戚同様一回こっきりの出演であろうし、今までもキャラクターとして使えなくなったときの魔夜さんの見切りのつけ方は潔くすらあったからだ。ザカーリしかり、ラシャーヌしかり、エトランジュしかり、警察長官しかり。
 準レギュラーならまだしも、ほぼレギュラーに等しかった警察長官まで切ったときには、「ああ、この人は純粋に『ギャグ』が好きなんで、『キャラクター』でマンガを描くタイプではないのだ」と納得したものだった。
 パタリロもバンコランもキャラクターが立ってるのでキャラクター主導タイプのマンガに見えるんだけど、それは方便なのだね。譬えて言うならパタリロは水道の蛇口なのであって、流れてくる水(ギャグ)の出口として機能しているだけなのである。
 だから、実のところ、「守銭奴でがめつい」といったキャラクター設定も、実はしばしば無視されることが多い。あとからどんどん親戚が増えるのもそう言った理屈だろう。真面目にマンガを読んでる人には「設定が変わって整合性がなくなってる」と文句をつける向きもあろうが、『パタリロ!』に関してはそういう批判は野暮であろう。
 でもオカマバー「東カリマンタン」がレギュラー化するとは予想もしてなかった(・・;)。
 ああ、でも今巻で一番笑ったのは「やおいとはもちろん やめて おしりが いたい の略です」と言う身もフタもないギャグだった。
 ……その通りじゃねえか。

 マンガ、牛次郎・ビッグ錠『釘師サブやん 釘師見参!!』読む。
 いやあ、懐かしい。なんたってパチンコが電動でなかった時代のマンガだ。
 子供のころ、パチンコ好きの母親についてって、一生懸命「忍球玉バサミ」を練習してたのを思い出した。もちろんできるわきゃなかったのだが。
 ビッグ錠の野太い線で描かれてるおかげで気付かれにくいけど、それまでマンガの対決ものと言えば野球や柔道、つまりはスポーツに限られてたのを、「パチンコ」という意表をついたものを持ち込んできた功績は大きいと思うのである。
 何よりこのコンビ、グルメ対決ものの元祖である『包丁人味平』を少年ジャンプ」で連載することになるのだし。
 つまり、マンガのネタで「勝負」に持ちこめないものはない、そのことを証明してくれた作品でもあるのだ。
 つまりこのマンガなくして『ヒカルの碁』は生まれえなかった、とも言えるのである。
 でも今度久しぶりに読み返してみて、何ページか欠落があるのに気付いた。「忍球玉バサミ」のアップのシーンなどがまるまる2頁ほど、抜けているのだ。
 紛失かなあ。古いマンガだし、そんなことに気付かなかった編集者のせいかもしれない。
 
 マンガ、八神健『ななか6/17』1巻。
 ジャンプからチャンピオンに移った八神健の正統派「少女」マンガ。
 実際、ここまで古き懐かしき少女マンガの王道を踏んだ作品というのも今時珍しい。
 ひょんな事故から精神が6歳にまで退行してしまった17歳の少女・ななかと、彼女を守ろうとする幼馴染の不良少年ねんじ。
 今どき「不良少年」が少女を守る話ですがな。『愛と誠』だね、全く。
 でもね、実はね、何つ〜か、こういうストレートな関係提示されただけでもう、私ゃダメなんスよ。そういう基本パターンにどっぷりハマる体質になっちゃってるし。
 だってね、幼馴染の二人がいてさ、女の子は子供の頃にお母さんをなくしましたと。
 で、男の子のほうは悲しむ女の子を元気づけようと、アニメの魔女っ子になったつもりで「オトナになあ〜れ」と呪文をかけてやると。
 で、「ほれ、これでもうオトナになったぞ、もう泣くなよ」と肩を抱き。
 それから女の子は立派なオトナになろうと努力して努力して。
 努力しすぎて嫌味な優等生になっちゃったと。
 男の子の方はそんな女の子に反発して不良になっちゃったけど、女の子が退行しちゃったときに、初めて決意すると。
 「俺が大人にならなきゃ、あいつを守っていけねえ」と。
 王道というより「古典」だね、こりゃ。でもだからこの作品には今時のおしゃれ風なマンガにはない、「力」がみなぎっているのだ。
 しかもちゃんと恋のライバルのピアノ少女、雨宮さんまで登場するんだけど、このキャラがモロ綾波レイ。『エヴァ』の残滓はまだこんなところに残ってたか(^^)。
 これで私にハマるなと言うのは無理というものでしょう。 


 夜、鈴邑くんから電話。
 先日録画したライブのビデオを取りにくるついでに食事に誘われる。
 ううむ、ちょうどスパゲッティを食べたところだったのになあ。でもこういうお誘いには私もしげもとことん弱い。
 結局お誘いに乗ることにする。
 今日は愛上嬢は里帰りとか。ふなちゃんもいないので三人だけで平尾の「もみじ」という広島風お好み焼き屋へ。客が多くて30分ほどちょいと待つ。
 チラシに地元のテレビ局に何度も取り上げられた旨、宣伝している。
 なるほど、メニューを見るといわゆる「変わりダネ」が多い。
 牛スジ焼きなんて歯に引っかかりそうだがなあ。
 とりあえずこういうとき私は一番珍しそうなものを食べると決めているので、「キムチホルモン焼き」というのを頼む。
 ……ウン、適度な辛さでうまいわ、これ。
 つい満腹しちゃったけど、明日の体重が心配である(^_^;)。みなさん、あまり私を食事に誘わんでください。意志が無茶苦茶弱いんですってば。


 ああ、全然短縮版になっとらん。なんで私ゃこんなに書きたがるかなあ。猿だね全く。
 あ、今日の体重は82.6キロでした。微増。


2001年06月21日(木) つーきも、おぼーろに、しらーああうおの、/舞台『黙阿弥オペラ』(井上ひさし)

 朝まだき。
 まどろみの中、隣から聞こえてくるしげの声に目が覚める。

 「……お願い……縄をほどいて……」

 ……え?(・・;)

 「ああっ! だめ……」

 慌てて飛び起き、寝室から居間を覗くと、パソコンの画面を食い入るように見つめて『虜2』にハマッているしげの姿が。

 そう。
 最近、しげはエロゲー三昧の日々を過ごしているのだ。
 どうやら劇団メンバーの誰かから借りたらしいのだけれど(特に名を秘す)、いったんバソコンの前に座るや否や、しげの目は爛々と輝き、女の子をひっくり返したり縛ったり、好き放題している。

 だからお前、女だろうが。
 なんで美少女エロゲー、しかもSMものにハマるんだよ。

 「……私をこんなにしただけじゃ足りないんですか……」

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(脱力の間)

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 ……知るか!(`_´メ)



 あまり私がいやがるので、しげはヘッドホンをつけるようになったのだが、そこまでしてエロゲーに賭けるその情熱がいったいどこから生まれてくるのかは謎である。

 ようやく雨も小降り。
 それでも自転車の山越えはちとキツイ。
 
 ようやく懐が豊かになったので、仕事から帰って博多駅の紀伊國屋書店に向かう。
 しげを誘っていこうとしたが、どこかに遊びに行ってるのか姿が見えない。仕方なく一人で外に出る。
 途中、父と姉の店(床屋)に寄って散髪。
 父の日のプレゼントが遅れたことを詫びる。
 「そんなことより、なんで店に顔ば見せんか」
 「ときどき側は通りよるとばってん、しげが寄りたがらんとよ」
 「なんでや」
 「なんか怒られると思うとるんやない?」
 「なんで俺が怒るとや!」
 今怒ってるのはなんなんだ(-_-;)。
 でも、しげのほうも、昔ながらの臆病だからといって、何か土産がなければ顔も見せられないというのは、ちょっとどうかと思うのである。
 親父も言っていたが、「そのうち俺はいなくなるんだから」。
 お袋とももっと話をしろと言ってるうちにさっさと先に行かれてしまった。
 そういう点ではしげは、相当、人生を損していると思う。

 父、有馬温泉と嬉野温泉の土産をくれるが、全部饅頭。
 だからダイエット中だってのに。自分の息子が糖尿だって知っててなんでこんなことするかなあ。
 ……もしかしていやがらせ?
 ここらで濃いお茶が一杯怖いぞ。

 帰宅してみると、しげはいつの間にか家にいる。
 この日記の4000HITのご褒美に、本屋で売ってた「大人の科学 エジソン式蓄音機組みたてキット」をプレゼントするが、しげは一言、「糸電話?」と言っただけだった。
 しげは私に「プレゼントしても無表情だから、やりがいがない」と、いつも文句を言うが、それはお互い様というものだ。

 腹がすいたのでしげと近所のCOCO一番屋でフルーツカレー&豆腐とオクラカレー。

 ……組み合わせを間違えたなあ。

 オクラとパイナップルは合わない。

 帰宅してしげは「眠い」と言って寝る。
 私も眠かったが、がんばって昼間録画しておいた舞台『黙阿弥オペラ』を見る。
 以前福岡に来た時に生で見てるのだが、良くも悪くも作者の井上ひさしの癖が出ている作品。
 ともかく情報量を詰め込みすぎててセリフがすべて説明口調なのだ。
 河竹新七が「この度引退を決意して黙阿弥と名乗り……」なんていちいち自分で説明するのだものなあ。普通、どんな新人戯曲家だって、「新七さん……いや、違った、黙阿弥さんだったな」とかなんとか、他人との会話のなかで状況の変化は説明するぞ。
 基本的に井上氏、シナリオ技術に関しては素人レベルなのだが、それでもそう退屈せずに見られてしまうのは、やはりその「情報量」によるところが大きいのだ。
 「へえ〜、黙阿弥ってこういう人だったんだ」
 「樋口一葉って苦労人だったんだなあ」
 「共通語を作るって大変だったんだなあ」
 とか、そんな興味である。
 でも、そんなの芝居にしなくてもドキュメンタリーの方がもっと凝縮して説明出来るぞ、と突っ込みたくなるのは私だけではあるまい。
 更に言えば井上氏の作品は小説もそうだがすべてオチが弱い。見ようによっては尻切れトンボと感じられるほどなのだ。
 タイトルにまで『黙阿弥オペラ』と銘打ってるのに、黙阿弥、結局オペラ書かないし。……史実に拘らず、観客を満足させる脚色をしてもいいと思うんだがなあ。
 しかし、暗転が多く、間延びして退屈なこの芝居でも白眉と言えるシーンが1ヶ所だけある。
 『カルメン』のメロディーに『三人吉三』の詩を乗せて島田歌穂が歌うシーンだ。
 これが実によく合う。
 このアイデア一つでこの芝居は持ってると言えるだろう。

 と言うところで眠気に勝てずついに寝る。
 今日の体重は奇跡の82.4キロ。ついに80キロのラインが見えてきたぞ。もうひといきだ。


2001年06月20日(水) べとべと、ぬめぬめ、もわああっ/『トガリ』3巻(夏目義徳)

 久しぶりに気分を変えて、日記のバックの色を青から多分緑っぽい色(色弱なんで自信がない)に変える。
 前回は不評も多かったけど、今度のはどんなもんでしょ?


 今朝も雨がポツポツ。
 昨日の土砂降りで背広はぐしょ濡れなまま、今朝になってもまだ乾いてない。
 幸い、職場にクリーニングから受け取ってきたばかりの背広を置いたままにしてあったので、向こうに着いてから着替えればいいやと、自転車に合羽で山越え。
 殆どサウナスーツを着ているようなものなので、職場に辿り着いた頃には合羽のウラは汗だくである。
 いや、行きはいいんだけどね。
 帰りは生乾きのその合羽、もう一度着なきゃならんのよ。

 昔、大学時代のこと、体育の授業で「フェンシング」を選択していたんだけど、スーツの数が足りなくってねえ、仕方なく前の授業で他人が使ってたやつをそのまま着てたんだけど、これがまあ汗臭いやらハダにべとついてくるやらで、まさに地獄の苦しみ。
 あの時つくづく思ったな。
 わしゃホモには絶対なれん。
 かと言ってなりたいわけじゃないから勘違いしないよ〜に。

 最近の合羽、防水が完璧だから皮膚感覚はあの時と全く同じなのだ。
 うう、自分の汗でもやっぱり気色悪いよう。

 でもそんな思いをしたのに体重は83.6キロ。
 ちょっと揺り戻し。夕べ飲んだココアが原因だろうか。


 帰り道、川岸を通ると、カラスがカップ麺のカラをくわえて飛んでいるのを見かける。
 雑食性と言うのは知ってたが、ホントになんでも食べるんだなあ。

 カラスと言えば、マンガなんかでは大抵「アホー」と鳴いている。少なくとも赤塚不二夫のマンガでは確実にそうだ。
 実際、「アーホー」と鳴いてるカラスの鳴き声を聞いたこともあるのだが、普通に「カーカー」と鳴いてるカラスと種類が違うのかと思ってたら、そうではないようなのですね。
 ハシブトガラスは多種多様な鳴き声を持っているらしく、よく「人の言葉を真似る」というのも訓練すれば出来るようになるのだとか。
 逆にハシブトに追いやられて数が少なくなっちゃったハシボソガラスの方は「ガーガー」以外の鳴き方を知らないらしい。
 で、その昔の文献を紐解いてみると、『万葉集』にカラスの鳴き声について次の二首が見える。

 暁と夜烏鳴けどこの岡の木末の上はいまだ静けし

 (「アサー!」って、カラスの野郎が鳴きゃあがるけどよ、この岡の梢の上のほうはまだ全然静かじゃんかよ。)

 烏とふ大をそ鳥のまさでにも来まさぬ君をころくとぞ鳴く

 (オオウソツキのカラスの野郎がよ、あのひとが来るはずもないのに「来るよ」っ鳴くんだよな。ええかげんにせんかい。)

 この二首の内容を信じるなら、既に昔からカラスの鳴き声は「アカツキ」と「コロク(子ろ来=あの人が来る)」の二通りがあったことになる。
 確か江戸落語には「嬶(かかあ)」と鳴くってのがあったような気がする。なんにせよ。人語に移しやすかったんだな。


 模倣犯と言っていいのだろうか、池田小学校の殺傷事件以来、子供を狙った事件が続発している。
 昨日は、東京杉並区の幼稚園に、杖を持った50代の女が、包丁を振り回して乱入しようとした。
 今日は今日とて岐阜で、37歳の女が、下校中の女の子に包丁でおなかを傷つけたそうである。
 昨日になってようやく池田小学校はマスコミに対して「過剰な報道は自粛してほしい」と申し出たそうだが、今更、素直に言うことを聞く報道機関があるものか。
 そのニュースを伝える「ニュース23」自体、またぞろ「報道の義務が」などと自己弁護の苦しい言い訳をしている。
 てめえらに義務なんてねえよ。
 ネットをいろいろ覗いてみても、批判めいたことを言いながらも、実はみんなこの事件を楽しんでいるのだ。
 犯人のことを「タクマくん」などと愛称で呼んでいるのがその証拠だろう。

 ネット上における無自覚な悪意を私は否定はしない。
 まさしくそれは、一般的な表現媒体には表れにくい、「時代の潜在意識」とでも言えばよいようなものだからだ。個人の場合と同じく、時代のそれもまた、単純に「いい悪い」で査定していいものではない。
 その「悪意」は、後の時代から見て、この時代の人間が、「他人の不孝を精神的な糧として生きていたのだ」という事実を確認するための、何よりの証左となるのだ。

 だからと言って、私ゃあの犯人を「タクマくん」なんて呼ぶ気にゃ絶対になれん。
 別に善人ぶってるわけじゃないよ。
オノレの「悪意」をコントロールできない人間にシンパシィを感じなきゃならん義理はないだけの話だ。


 マンガ、夏目義徳『トガリ』3巻読む。
 またタイムリーにも、主人公のトーベエが通り魔殺人犯を追いかける話。タイムリーすぎて、自粛とかさせられないか心配だな。
 ついにトーベエ、子供の命を助けてしまう。しかし「咎」を倒すことの出来る木刀「咎狩(トガリ)」は、「悪」を力に変える刀。人を助けたトーベエは「咎狩」を操る力を失ってしまう。
 この二律背反な設定を作者はまだうまくコントロールしきれていない。でもだからこそ一つ山を越せれば俄然面白くなりそうな予感はある。
 地獄の統率者エマの「扉の向こうにあるのは希望か絶望か」というセリフ、ありふれてはいるが、まさしく「咎狩」の設定はそこに収斂されてゆくべきものだろう。
 ここまで話を広げたのである。作者には、悪を倒すのに、愛と正義では足りないものなのか、生きることはより強い悪を求めねばならないことなのか、あまり小ぢんまりとまとめずに答えを出していってほしいものである。
 ちゃんと百八つの「咎」を倒した先に何が見えてくるのか、『どろろ』みたいに尻切れトンボにならないようねがうものである。


2001年06月19日(火) 孤独な自転車乗り/『となりのののちゃん』(いしいひさいち)

 昨日は昼間土砂降りになったものの、朝と夕方は晴れていたので、今日もタカを括って自転車で通勤。
 行きは濡れずにすんだのだが、帰りはしっかりやられた。
 霧雨ほどにも降っていなかったのに、あと100メートルで家、というところでドザザッと来た。
 下着までぐしょ濡れである。
 ここまでの豪雨だと傘どころか合羽も役に立たないからなあ。かと言ってそうそうタクシーにばかり乗って行くわけにもいかんし。

 タクシーと言えば、福岡ではここしばらく、同一犯と思われるタクシー強盗が続発している。
 手口はほぼ同じで、深夜、刃物で運転手を脅して金を奪ったあと車から降ろし、犯人はそのまま逃走、車を乗り捨てる、と言ったやり方。
 タクシー会社によっては、アメリカのような客席との間のシキリを導入することも考えていると言う。
 ひと月ほど前、タクシーに乗った時に、運転手さんに「強盗なんか怖くありませんか?」と聞いたら、「タクシー強盗するやつなんていませんよ。たかだか1万か2万しかないんですから」と笑って答えていたんだが。
 逆に言えばその「たかだか1万か2万」のために犯罪を起こす程度のバカがその辺をウロチョロしているわけだ。
 冗談じゃなく、職場の近所で事件は起こっているのだ。
 あまり残業しないでさっさとウチに帰るようにしよう。
 って、いつもそうしてるけどね。
 
 しかし明日も大雨だと?
 給料日直前で金もないってのに、どうやって職場に通えってんだよう。

 CSチャンネルNECOで鈴木清順監督『すべてが狂ってる』を見る。
 鬼才、鈴木監督の旧作だけれど、今の眼で見ると、メカケの子だからとか親が不倫してるからとか、その程度でグレてる若者ってのも純情に見えてしまうのだから、今の時代は昔に比べてやっぱり殺伐としちゃったのだろうか。

 マンガ、いしいひさいち・おがわひろし『となりのののちゃん』読む。
 『ホーホケキョ となりの山田君』アニメ化の騒動をフィクションを交えて書いた一連のマンガを、7月から新しく始まるテレビシリーズ『ののちゃん』のアニメ化に際しての出来事であるかのようにスライドさせて収録しているが、これはちょっと事実の捏造に近いやり方だ。
 まるでジブリの鈴木プロデューサーが今度の『ののちゃん』を企画製作しているように仕立てているのはジブリから訴えられても仕方がないように思うが、この程度のことはディズニーのパクリに比べりゃ微々たるもんで見逃されちゃうものなのだろう。

 今日の体重83.2キロ、昨日と変わりなし。
 結構汗かいてるのに一進一退って感じだなあ。


2001年06月18日(月) オンナノウラミ/『うる星やつら 努力、女の道!!』(高橋留美子)

 いきなり蒸し暑い一日。
 昼間は土砂降りだったし。
 でもラッキーなことに通勤の行き返りはどちらも晴。濡れずにすんだ。
 いよいよ本格的に梅雨なのだろうな。


 あちこち「エンピツ」のご近所さんの日記を読んでいると、「ニュースキャスターが『小春日和』って言葉の使い方を間違えてた」という記事を読んで苦笑。
 私も昔は(小学生のころだよ)間違えてたからね。
 「小春」というのは陰暦10月(陽暦なら11月から12月にかけて)の異称。つまり初冬のころの春みたいに晴れた日のことをいう。
 単に「春」ってつくだけで季節が春だと勘違いしてる人、多いんだよね。
 だもんで、以前『徘徊する異人達』という芝居の脚本を書いた時に、そのネタを使った。
 日本語の間違いを外国人に指摘されるというギャグ。
 あの時の藤田君の慌てた演技は堂に入っていたなあ。

 日本人のほうが日本のことを知らないのはよくあることだ。それを短絡的に「日本人の恥」とは言いたくないけれど、「別に知らなくたっていいじゃん」と開き直るのは人間として恥ずかしいと思う。
 そういう人、大人にも子供にも増えたよなあ。


 仕事の帰り際に残業を頼まれる。
 しまった、逃げ損ねた(^_^;)。
 帰りが7時を過ぎてしまったので、予定していた原稿書きが出来ず。仕方がないので散歩をしながらアタマの中で構想を練り上げる。


 マンガ、高橋留美子『うる星やつら 努力、女の道!!』読む。
 インタビューはラムちゃんの声優、平野文。
 魚河岸のオカミさんになってたのは知ってたけど、ホントにすっかり老けちゃったなあ。『うる星』声優の中じゃ一番の若手だったのに。
 80年代のアニメだからもう20年が経つのだ。

 平野さん、「高橋先生はどうしてあんなに男の気持ちを描けるのか」と発言されているが、これは押井守の「『うる星』は原作者の男への恨みから成り立ってるからね」という批評と表裏一体をなすものだろう。
 高橋さんがしょっちゅう「自分はマンガが描ければいい」と発言されてるのを読んでると、その背景に多分あまり言いたくない過去があるんだろうな、ということが何となく感じられるし。
 だって、高橋マンガの男って、必ず女を裏切っているもの。
 あたるがラム以外の女の子にちょっかいを出すのを初めとして、『めぞん一刻』の五代くんも響子さん以外にもこずえちゃん、小夏ちゃん、まあ他にもいろいろあったみたいだし。らんまの外道ぶりはもちろん、あのストイックそうな犬夜叉ですらかごめと桔梗の両天秤。
 「男に恨みがあるんじゃないか」と言われても仕方がないのだ。
 普通、これで男に人気が出るわきゃないのだが、ヒロインが決まって「鈍感な聖母」なものだから、そういう男が物語の中で「許されてしまう」という構図を持つのだね。
 だから、「好き勝手しても、男の一番汚いところには気付かないでいてくれる」ラムちゃんや響子さんやあかねやかごめに、男のファンがつくことになる。
 ……結局、高橋さんは同じマンガしか描いていないのだよなあ。
 つまりは『四谷怪談』のバリエーションなのだ。実は結構、「根」は古い。
 だからこそ、そのパターンからはちょっと離れた『人魚』シリーズの再開を待っているんだけどねえ、こっちは。


 ああ、短く書くつもりがそれでも少し長めになっちゃった。
 昨日から桑田乃梨子の『おそろしくて言えない』を読み帰してハマっている。
 今晩もそれを見返して寝よう。

 体重は83.2キロ。一日で昨日増えた分が消えたばかりか更に痩せる。やっぱり熱くなって汗かいてるせいかなあ。
 ……こまめにフロに入ろう(-_-;)。


2001年06月17日(日) 父の日延期(^_^;)/映画『高校教師』

 唐沢俊一さんより弔電(じゃないよな。でも「弔メール」ってのも変だし)の御礼のメールが届く。
 恐らく何百本も来ているメールにいちいちご返事を差し上げてたんだろうなあ。簡単なメールを一本お送りしただけなのに余計な手間をかけさせてしまって(まあコピーするだけだろうから、数十秒だろうけど)申し訳ないことであった。
 
 ウチの親父も多分あと十年は生きてはいまい。
 いつ寝込んでもおかしくない体調ではあるので、こちらも覚悟はしておかねばならんのだが、あの偏屈の頑固者の、それでいて甘えん坊の、あまりに人間的なオヤジが死ぬなどとはやはり実感が湧かないのである。
 葬式代の貯金もしてないしな(出す気がなくても焼き場に持ってくのにいくらかはかかるらしいが、それもない)。
 でもそれも私の現実逃避だろう。
 そろそろ準備はしておかねばならんのだ。

 とかなんとか言ってるが今日は父の日ではないか。
 何も用意してないぞ(^_^;)。
 って、もちろん、先立つものがないからであるが。
 先日からしげと相談はしてたのだが、ともかく一緒に昼間、出かける時間が取れないので、買い物一つできないのだ。「近所のスーパーやコンビニで買うのもなあ」ということで、給料出てヒマが出来たら、ということで先送り。
 親不孝は相変わらずである。

 とかなんとか言ってたら父から電話。
 察しがよすぎるぞオヤジ(^_^;)。
 「ああ、ゴメン、父の日のプレゼント買っとらん」
 「ああ、どうせ受け取れんからよか」
 「……なんで?」
 「今、嬉野」
 「……はああ?」
 オヤジももう先がないと悟ってるのか、もう好き勝手遊びまくりである。先日は関西にも旅行していて、土産があるので、そのうち取りに来いとのこと。
 それはいいのだが、毎回挨拶で「生きとったか?」と聞くのは心臓に悪いのでやめてほしいんだけど(-_-;)。


 夕べから頭痛がして朝からずっと気分が悪い。
 しげがカレーを作り出したのはいいのだが、換気扇を回さないものだから、部屋中に妙に焦げ臭いカレーの匂いが充満してしまったのだ。
 ちょっと吐き気まで催してしまったので、早々と寝たのだが、夜中に帰ってきたしげ、またぞろ寝ている私の口の中に皿うどんを押しこんでくる。
 だからなんで寝てるのにムリヤリ起こすんだよう。
 しかも寝てる時に食わされたら確実に太るではないか。
 案の定、今朝の体重は85.0キロ。……い、1キロ以上太ってやがる……(T_T)。

 起きてもずっと頭痛が激しく、何度もパソコンに向かうが、同人誌の原稿が書き進まない。せっかくの休日だというのになあ。
 冗談ではなく、もう1週間ほどしか余裕はないので、この日記も明日からは縮小版とさせていただきます。
 いや、別に長く書かなきゃならないと決まってたものでもなかったんだけどね。

 原稿が進まないので、昼間はCSチャンネルNECOにかかってた劇場版『高校教師』を漫然と見る。
 ああ、これ、新婚2年目くらいのころにか、しげと観に行ったんだなあ、と懐かしく見る。
 当時の二人の感想は「岡本信人がいいね」で一致してたのだが、実際、今見返してみても脚本の破綻が大きくて、どうにも笑っちゃうしかない部分が大きいので、その辺しか誉めるところがなかったのだ。
 破綻の原因は荻野目慶子と鈴木杏樹のキレタ演技に負うところが大きいんだよね。脈絡もなくテメエの過去のトラウマ語り出してヒステリー起こすキャラをこんなに出したって、客は白けるばかりなんだが。
 唐沢寿明と遠山景織子の二人だけにドラマを集約させておけば、それなりに楽しめる映画になってたと思うんだけど。
 遠山景織子は芝居が下手なところ(特に発声)が、かえって繭という少女の不安定さをうまく表現出来ていて、テレビ版の桜井幸子よりずっとよかったと思う。
 唐沢の「僕は繭を抱いていたのではなく、その寂しい魂に抱かれていたのだ」というナレーションにも納得できたし。
 男は少女に対しても(少女だからこそか)母親を求めてしまうものなのである。


 まだじっくり読んでなかった今月号の『ニュータイプ』『アニメージュ』などをパラパラと読む。
 『アニメージュ』で押井守がエッセイの新連載。
 「映画で非現実を描かんでどうする」みたいな調子の、いかにもな押井節が楽しい。佐伯日菜子(しかも蛇女)のファンだったとはなあ。
 黒井ミサといい、貞子といい、確かにその手の「非現実的な」役が似合う人ではあるのだが(今、『三大怪獣地球最大の決戦』をリメイクするとしたら、サルノ王女役は絶対この人だろう)、私ゃ『静かな生活』や『毎日が夏休み』の佐伯さんも好きなんだがなあ。自然な演技だって(今いち下手だけど)出来る人なのだ。あまり役が偏ると、次の仕事が来なくなるぞ。
 大森望が『クレヨンしんちゃん オトナ帝国』について、「大人向けにアニメを作るのはいかがなものか」と批判的意見。だからもともと『クレヨンしんちゃん』は子供向けじゃないんだってのに。
 こういう批判を「木によりて魚を求む」というのだ。


 ご飯が切れたので、改めて炊くが、水の量を間違えたのかとぎが足りなかったのか、パスパスで食えたものではない。仕方なくドライカレーにして炒めて食う。
 これでまた気分が悪くなり、まだ夕方だというのに横になる。
 しげが練習から帰ってくるが、やっぱり疲れてるようですぐ横になる。
 今日はなんだか二人揃って疲れてる日だった(いつもそうか)。

 9時過ぎに目が覚めると、もうしげは仕事に出ている。
 しまった、CSで『エコエコアザラク掘戮鯱寝茲垢襪遼困譴討拭
 吉野公佳(『高校教師』にも出てたな)から佐伯日菜子にバトンタッチした映画版だ。まだ再放送があるみたいだから、その時は録りのがさないようにしよう。


2001年06月16日(土) 通産12時間睡眠/『QUIZ』下巻(浅田寅ヲ)

 日記のカウンタが4000HITを達成いたしました。
 長ったらしいばかりで面白味のない日記をご愛顧してくださるみなさま、どうもありがとうございます。
 最初は1000HITするのに2ヶ月近くかかってたのに、最近は一月かからなくなりました。「エンピツ」から飛んで来てくれる方の他にも、マンガや小説のタイトルでgooとかに検索かけて読みにきてくださる方もいるようです。
 なのに項目が多すぎて、肝心の記事を探せないだろうことは予測出来るので申し訳ない限りですが。
 早いとこ個人HP作って、あいうえお順で検索出来るようにしないとなあ。
 夏場、休みが取れるかどうかが勝負ってとこでしょうか。

 せっかく読みにきてもらっても、書いてるのが中年のオヤジだと楽しくないだろうなあ、とは思います。
 かと言って、女のフリするのもいやだし。
 その分、内容で面白がってもらえるといいんですけどね。


 ここのところ日記上でしげの悪口を書くことが続いているので、ついにしげが切れて掲示板に反論の書きこみ。
 こういう身内のバトルってのは要するに「痴話ゲンカ」なワケで、端から見てれば「ケッ、やってろよ!」ってことにしかならない。
 だからこそ、照れ隠しも含めて、かえって過激な書き方になってしまうのだが、こういう「身内の者を決して誉めない」というのは博多の人間の特徴でもあるのだ。
 もしご心配の方がいらっしゃったら、そういう事情ですので(^_^;)。

 実際、さらに反論の書きこみを私がしたら、そのあとしげは「何か買ってくれるの? 嬉しい!」と喜んでいるのだ。
 ゲンキンなやつ(-_-;)。

 半ドンで帰宅したが、疲れ切っていたのか、そのまま夜まで熟睡。
 夜になって起きると、テレビにもと超能力少年の清田くんが出て念写していた。
 番組が『USO?!ジャパン』だから、スタッフも信憑性なんかどうでもいいって感じで出演させてるんだろうけど、ブームが去って飽きられたあとでも「超能力少年」って肩書きで商売していかなきゃならんってのはつらくないのかなあ。
 ……いや、久しぶりにゆっくり休んだせいか、アタマがぼーっとしてて、この程度のことしか考えられん。

 マンガ、浅田寅ヲ『QUIZ』下巻読む。
 テレビシリーズも見てなかったんだけど、一応本格ミステリと言えなくはないかな。マンガとテレビのストーリーが全く同じかどうかは分らないけれど、巻末の解説によればだいたいは共通しているのだろう。
 少なくとも犯人は同じらしい。
 ラストで随分賛否両論を呼んだらしいけれど、ミステリの世界ではこういう犯人も動機も別に珍しいことではない。
 私が最初にこのトリックを知ったのは藤子不二雄の『オバケのQ太郎』だ(^o^)。
 それどころか現実にこういう犯罪を起こす犯人だっていた。
 不道徳だ、というのも当たらない。犯人は自分で自分に裁きを下している。
 この作品に不快を感じる人間は、恐らく犯人が最後に叫んだセリフを投げつけられるべき人間なのだろう。
 でも、これを面白く感じたのは、浅田寅ヲさんの(女の人だったとは!)あの流麗かつ淫靡な(^_^;)線があってこそだという気がする。ドラマでここまでの「演技力」を犯人役の俳優が演じ切れたかどうか疑問はあるのだな。

 夕方まで寝ていたのに、睡魔に勝てず、また眠る。
 あ、体重は昨日と同じ、53.8キロでした。


2001年06月15日(金) 毎日がクイズです/映画『大菩薩峠 第二部』(1958・東映)

 睡眠は充分取っているのに、朝がツライ。
 私は寝つきはいいが寝起きは悪いのだ。
 しげは夜通し起きて昼寝る生活なので、ときどき「朝起こしてくれ」と頼むのだが起こしてくれたためしがない。
 全く屁の役にも立たんやつだ。

 出勤しようとして、洗濯物を見ると、二日前に干したシャツがまだ乾いていない。
 しげに頼んでおいたのだが、あれだけ「しわを伸ばせ」「シャツを重ねて干すな」と言ってるのに、なぜできないかな。
 仕方なく、生乾きのシャツとパンツを来て出る。
 これでイ○○ンになったらオマエのせいだからな、しげ。


 今朝の体重、83.8キロ。
 わはは。わずか二日で83.0キロラインも突破だ。この分だと、夏が終わる頃には結構いいセン(ってどんな線だ)まで行くかも。

 「体重減って嬉しい?」としげが聞く。
 いや、嬉しいかって聞かれても、どう答えたらいいんだ。
 しげはしょっちゅうこういう答えにくい質問をするが、いったいどういう心理なのか。
 まず、何を聞きたいのか、その意図が解らない。
 体重減らしてるのは役作りと健康と両方のためであることはしげも理解してるはずで、嬉しいか嬉しくないかというような感情的な観点で判断されても困る。もちろんその時々の達成感はあるが、これは別に一般的な「嬉しい」という感覚とは違うものだ。
 例えばしげは、ほかにも「仕事してて楽しい?」と聞くことがあるが、これこそ楽しいか楽しくないかなんて観点で見ることではなかろう。

 更に言えば、この質問、相手の感情だけを忖度し自分の感想を述べようとはしない点で非常に独善的である。
 簡単に言えば、会話のための質問ではないのだ。
 私が仮に「うん」と言えばしげは「そう」と答えるだけだし、「別に」と言っても「そう」で終わる。
 要するにしげは私に答えてもらうことで自分が満足出来ればいいのである。会話を続けることで私とのコミュニケーションを図ろうという意志はないと言っていい。
 私はしげを自己満足させる道具に使われてるだけである。
 「し、しげったら、私のコトバだけが目当てだったのね! ひどいわ!」
 とでも叫びたい気分だ。気持ち悪いからやんないけど。

 ……これ、予測じゃなくて今までが大抵そうだったのね。
 その都度私は「何のためにそんなこと聞くの?」と逆に聞き返すのだが、しげは「聞いちゃいかんの?」と怒るのである。
 別に「いかん」なんて言ってない。何を聞きたいか、どう答えたらいいのか判らないと答えようがないから質問してるだけなのに。

 いや、しげがこういう質問をするのは、少女マンガなんかでよくやる「ヒロインが恋人をケムにまく質問」のシチュエーションを狙ってるな、というのは解るのだ。
 「ねえ、今、私が何考えてるか解る?」
 「……さあ、解らないな。何?」
 「フフフ、ヒ・ミ・ツ!」
 ってやつ。……書いててそれだけで恥ずかしくなるな(-_-;)。
 そんなに「ミッチーとよしりん」がやりたいのか、しげ。
 「ねえ、あなた、私のこと好き?」
 「ああ、好きさ。海よりも深く、空よりも高く、君のことを愛してるよ」
 「ええ〜? その程度?」
 ……誰がやるか、ンな会話。

 読者のみなさんの中には、自分の妻なんだからそのくらいのサービスはしてやれよ、と仰る方もおられるかもしれない。
 しかし、そういう方は、エスカレートしたしげの質問がどこまでいくかご存知ないのだ。本気で「何をどう答えたらいいのか判らない」のだから。
 いきなり何の脈絡もなく、こう聞かれた時の気分を想像していただきたい。
 「ねえ、インド人とアフリカ人、どっちが好き?」
    
 「エンピツ」の日記の「アニメ/漫画」のジャンルの投票ランキング、ここんとこずっと漫画家の安奈さんとお隣同士だったのだが、今朝は間に別の方が入っていた。
 それを見て、途端にしげは、「ねえ、寂しい?」
 だからどう答えたらいいんだよう(T_T)。


 仕事から帰って、台所を見ると、やっぱり流しが片付けられてない。
 もうこれ以上待ってやっても仕方ないので、排水溝のゴミを取り、流し全体を磨く。
 ようやく終わって一休みしたら、しげが、「ねえ、台所片付けようと思うんだけど」
 「……もうやったよ!」
 だからこっちは仕事もして疲れて帰ってきて、さらに家事まで全部やってお前の相手までしてやるほどの元気はないんだよ。
 少しは迷惑かけてるって自覚持ってくれ(T_T)。


 テレビで『クレヨンしんちゃん』を久しぶりに見る。
 野原一家が「またずれ荘」に引っ越して、新キャラクターが登場してきているが、「ギャルママ」なんて原作に登場してなかったなあ。
 これはあれかな、原作の「謎の外国人(どう見てもアフリカ系)」の代わりなのかな?
 でもいくらギャルママだって、ネーミングが「靴底厚子」ってのはないだろう。確実に流行がすたるって解ってるのに。というか、もうすたってんじゃないのか。


 昨日、録画しておいた内田吐夢版『大菩薩峠 第二部』を見る。
 褪色が激しく、上映当時はその色鮮やかさで観客を魅了したという無明をさ迷う机龍之助の幻想シーンも見る影もない。
 前回書いた分だけでは主演の片岡千恵蔵をけなしているように見えたかもしれないが、その演技力は『赤西蠣太』のような軽妙な役まで演じたほどであるから、確かに第一級なのである。だからこそ柄ではない机龍之助も演じられるのだが、やはりトシをとりすぎているのはネックだ。
 犬のムクがお玉を助けるシーン、映画によってはムクが着ぐるみだったりするのだが、本作では吠え声だけで姿を見せていない。おかげで拍子抜けはするのだが、これは苦肉の策と言ったところだろう。今ならCGになるかな。
 

 散歩のついでに、しげとスーパー大栄で買い物。
 散歩の間中、しげは「きつい」「眠い」「だるい」「今何時?」とウルサイ。
 「文句をいうなら付いて来んな!」と一喝したら、しげはさっさと帰っちまった。
 だからどうして自分が悪いと判ってて拗ねるかなあ。
 こう心にムラがあるんじゃ、いざって時にものが頼めない。
 入院中はかえってしげには側にいてもらわないほうがいいかもしれないな。

 テレビでやってた『ルパン三世 カリオストロの城』、最後の方だけ見る。
 今見ると、いろんなところで手抜きしてるのが見えはするが、それでもこれだけの作品をたった四ヶ月で作ったというのは驚異的だ。
 てっきりラストで『千と千尋の神隠し』、CMがあるかと思ったけど、「来週初公開」だそうな。でも来週の映画、『コマンドー』だぞ。なぜそのときに『千尋』を?
 ……特報、間に合わなかったな?


 コーヒーの「ボス」のCMを今日、初めて目にする。
 電車の中で『あしたのジョー』を読んでるサラリーマン。
 突然、マンガのジョーが「打つべし! 打つべし!」と喋り出す(ように見える)。
 ビックリして左隣を見ると、そこにはあおい輝彦が(^O^)。
 さらに右隣を見ると細川俊之が。
 これを見て、「なんだ、映画版じゃん」と思ったのは私だけではあるまい。でもTV版の力石徹を演じた仲村秀生の顔なんて、一般人は知らないだろうから仕方ないんだけど。


2001年06月14日(木) ミステリー波止場の片足/『あひるの王子さま』1巻(森永あい)

 今朝のニュース番組で、「なぜ男は波止場に行くと片足を上げてポーズを取るのか?」という特集をやっていた。
 ご丁寧に「石原裕次郎記念館」に取材までしてるのんだから、ヒマなことだ。
 心理学者が「男の示威行為だ」と分析してたが、それはそうだとしても、やはり「波止場で」って条件を考えると、裕次郎や赤木圭一郎のイメージが、元ネタが忘れられたあとも無意識的に世代を越えて受け継がれていると考えたほうが妥当だろう。
 でも女から見るとそれってただの「バカ」にしか見えないのだよねえ。「なにカッコつけてんの?」ってなもんだ。
 そう見られてると解っててもつい、ポーズ取っちゃうんだよねえ、男は。悲しい生き物である……って私も多分やるだろうな、つい(ーー;)。
 裕次郎のファンも、その中心は圧倒的に男で、女のファンの割合は少なかった。松田優作のファンもそんな感じかな。
 じゃあ女性が熱狂的にエールを送るのはどんなタイプかっていうと、いつの時代でもユニセックスな美形俳優なのだ。
 長谷川一夫しかり、沢田研次しかり、藤原竜也しかり(^o^)。ウチのお袋は大川橋蔵だったな。
 ヤオイ系の同人誌描いてる女の子、耽美趣味の女の子ってのが、実は昔ながらの「女の子」の典型だったりするのだ。
 しげが緒形拳や蟹江敬三、風間杜夫が好きだったりするのはやはり変態だからであろう。どう見ても20代の普通の女の趣味ではないよな(と言うか10代の頃からそうだったからなあ)。
 私と出会ってからダン・エイクロイドや渡部篤郎に入れこむようになったが、ますます主流派からは外れてきている。
 ……ホントに女か? お前。  


 小学生殺傷事件の包丁男、支離滅裂なことを口走っていたのは精神病者を装って罪を逃れようとしていたのだ、と言い出したとか。
 テレビの心理学者やコメンテーターたちが、昨日までは「キ○○イですよ、これはキ○○イの犯行ですよ」と言っていたのに、今日は一転して「あれは詐病です。キ○○イにあんな計画的な犯罪はできない」とコロリと意見を変えてやがる。
 オイ、福○章、お前のコトだよ。
 この事件のたびに引っ張り出されてプロファイリングモドキの意見を述べる学者さん、これまでも状況の変化に合わせてコロコロ意見を変えてたからなあ。ホントに心理学の専門家か?
 外見はいかにも落ちついた好々爺って感じなんだけど、その言動は結構いかがわしい。それを承知でテレビがこの人を使ってるってことは、本気で専門家の意見を聞こうって気がサラサラないってことなのに違いない。
 要するにその時々の、テレビ局側に都合のいい意見を述べてくれる人がほしいだけ。
 犯人の精神鑑定で、やっぱりキ○○イと言う結果が出たらどう言い訳するつもりかな、この人。

 それにしてもこの「キ○○イのフリをした」ってので思い出されるのは、兼好法師『徒然草』八十五段中の、「狂人のまねとて大路を走らば、則ち狂人なり。惡人のまねとて人を殺さば、惡人なり。」という一節である。
 まあ、狂人のまねしただけで狂人扱いされるなら、俳優はみな狂人だが(かもしんない)、今回の事件の犯人、宅間守について言えばこの兼好の言葉が見事に当てはまってる気がするのである。
 精神病者と狂人を同一視したような発言が多いので、混乱してしまうのだが、当然これはイコールではない。精神病者は精神病者のふりをしようなどとは思わない。しかし狂人は狂人のまねをしたがるものなのである。
 宅間守の精神鑑定の結果がどう出るか見当もつかない。例の宮崎勤事件でも、医者によって精神鑑定の結果がバラバラで、こんなに精神分析ってのはアテにならんものかと呆れたものだった。
 しかし結果がどう出ようと、世間の人々が憤っているのは、20人以上の子供たちを殺傷した人間が刑に服さないなんてことがあっていいのか、というごく当然な疑問故にだろう。
 警察は何としても犯人を「精神病者ではない」として刑事責任を追及するつもりなのだろうが、一般的な感覚で言えば、彼は立派な「狂人」なのである。そして「人を殺さば惡人」なのである。
 狂人として、悪人として彼を処罰することのほうが「精神病者のフリをしよう」なんてアホウが再発することを防止できると思うんだがなあ。
 

 台所が半端でなく匂ってきているので、さすがに腹を立てて「いい加減で片付けろ」と言ったのだが、バカしげは「指、怪我してるから洗えない」と駄々をこねる。指の怪我ったって、楊枝でつついた程度のもんだ。化膿するようなら医者に行って治療してもらえと言ったのに、それも無視してほったらかしている。
 それで悪化させて家事も出来ないってのは言い訳にもなんにもならない。
 明日帰って来た時点で片付けてなかったら、もう来月から給料は渡すまい。
 マジだからね、これ(`_´メ)。

 台所が使えないので、晩飯は冷凍食品のつけ麺にレトルトのカレー。味気ないけどしゃあない。

 テレビアニメ『週刊ストーリーランド』、今週は総集編だというのでちょっと見てみた。
 アイデア的にもありきたりで(もっともコンセプトが多分アニメ版『世にも奇妙な物語』だから、下手にヒネったものはかえって困るわけで、ほどほどに解りやすいものが求められてるわけなんだろうけど)、大して引かれるところもなかったのだが、久しぶりに見てみて、「傑作選」と言いつつあのレベルの低さはいったいなんなのだ、とアタマが痛くなった。
 謎の婆さんが「正直なパソコン」や「戻るパラシュート」や「ぴったりのベルト」といった不思議な品を売りつけると言う番組内のシリーズがあるのだが、要するに基本は「黒イせえるすまん」なわけだよね。
 だとしても、若返りたがっていた老人が「戻るパラシュート」を使ったら、若返りすぎて猿になったってのはヒドすぎやしないか。
 なのに視聴率は悪くないらしいんだよね、この番組。
 アニメファンが見るとも思えないし、実際、どこにどういうファンがいるんだろう。

 先週に引き続き、ドラマ『R−17』を見る。
 家庭崩壊のドラマの嚆矢は山田太一の『岸辺のアルバム』あたりなんだろうけど、だいたいにおいて悪いのはオヤジってことになっている(^o^)。
 西村雅彦の親父、「誰のために働いてると思ってんだよ」と叫ぶステロタイプさ故に妻からも娘からも見捨てられていることに気付いていない。
 「……今、心の中で母さんを刺した。父さんも殺した」
 娘がそう呟いたとき、親父は娘を殴るが、口にすることでまだ父にすがろうとしている娘の心に気付いていない。
 黙っていたっていいものを、両親の目の前でそれを口にした娘の「勇気」に、父親はなぜ気付いてやれなかったか。
 父はこのとき娘に謝るべきではなかったか。
 断絶を作っているのは娘の方ではなく、父親の方なのである。
 ……腹が立つことに、この親父、私の親父にそっくりなのだよなあ(-_-;)。もうすぐ父の日だってのに、また親父に対する恨みが湧いてきたぞ。どうしてくれる(どうにもしようがあるか)。


 マンガ、秋本治『こち亀80』。
 そうか、「本口リカ」なんてキャラもいたいた。
 でも秋本さんの描く女の子キャラって、初期のは殆ど出来合いのものが多くって、印象に残らないんだよな。
 まあまあキャラが立って来たのは意外に最近で、麻里安や纏や早矢が出てきてからくらいじゃないか。
 劇画的によく描きこんであるから錯覚しやすいんだけど、秋本さんのマンガは、もともと構図もコマ割りも単純で工夫がない。キャラの表情のつけ方も種類が少ない。
 正直な話、マンガとしては下手な部類に入るのだ。
 だったらつまんないのかっていうと、そうじゃないから説明が難しい。岡田斗司夫さんが以前『BSマンガ夜話』で「こち亀=ドラえもん」説を唱えていたが、それだけでは「こち亀」の魅力は語りきれない気がする。
 ある意味『うる星やつら』以上に「なんでもあり」の世界だからかなあ。ヒントになるのはやっぱり今巻から登場の「日暮熟睡男」じゃないかとも思うのだ。ちょっと破天荒な警察官物語ってだけじゃ、こんなキャラが出てくるはずがない。
 とりあえず「こち亀」=「オタク的でないうる星」説を唱えてみようか(^。^)。
 
 マンガ、森永あい『あひるの王子さま』1巻。
 チビでメガネでオタクな男の子が、憧れの女の子のペットの犬の命を助けたら、その犬が実は魔法を使えて、男の子は美少年に変身……って、筋だけ書いたらつまらなそうだけど、あの『山田太郎ものがたり』の森永さんである。フツーのマンガになるわきゃない。
 犬の正体は実は大昔の王子様で変態だし、園芸部の教師は魔法使いの生まれ変わりで変態だし、なんでこう変態ばかり(^_^;)。
 ヒロインの女の子も変態とまではいかないが、美形よりも変な顔のほうがかわいいって言っちゃう不思議ちゃんだし。
 一応純愛ものになりそうな雰囲気はあるんだけど、どう展開していくか解らないところが楽しみだ。

 今月号の『ニュータイプ』で、マンガ家のゆうきまさみさんが新しくホームページを立ち上げようとしていることを知って、早速覗いてみる。
 『ゆうきまさみのにげちゃだめかな?』、準備中でまだイラスト3枚しかないが、『クレヨンしんちゃん オトナ帝国の逆襲』のパロディイラストがいろっぺくて素敵だ。
 どこの世界に「太陽の塔」のコスプレする女がいるか。
 でもああいう女の子なら、ぜひつきあってみたいぞ♪

 寝る前にしげにメールを書き置きしておく。
 「飲み物買っといて」という簡単なものだが、メールを本気で喜んでるのなら、頼みごとも聞いてくれるだろうな。
 無視するようなら、もう送るのもやめよう。別に交換条件を出してるわけじゃなくて、メールを心で受けとめられないやつに何を言ってもムダだってことなのよ。


2001年06月13日(水) とんでもございません(←これも誤用)/『少女鮫』6〜9巻(和田慎二)ほか

 文化庁が今年1月に全国の男女3000人を対象に実施した「国語に関する世論調査」の結果、こういうの、何年か置きにやってるみたいだけど、さて、いったいどういう目的があるんだろうね。

 以下、ア○ヒ新聞よりの引用(^^)。

⇒ ことわざでは、「情けは人のためならず」を「人に情けをかけて助けてやることは、結局はその人のためにならない」という誤用が48.7%で、本来の意味である「人への情けは結局は自分のためになる」の47.2%を上回った。
 「一姫二太郎」(正答=子どもの一人目は女、二人目は男が理想)でも「子どもは女1人男2人が理想的だ」が33.7%、「かわいい子……」(正答=子どもは甘やかさず世間に出して苦労させた方がいい)でも「子が望めば、希望通りに旅をさせてやるのがよい」の選択者が7.8%いた。
 「やる」とその丁寧表現「あげる」の使い分けでは、「植木に水を――」「相手チームにはもう1点も――(ら)れない」の2問で、ほぼ7割が「やる」を選んだ。ところが、「うちの子におもちゃを買って――たい」では、「やる」46.8%に対し「あげる」44.8%、残りは「両方使う」だった。5年前にも同じ質問をしており、3問すべてで「あげる」派が増えていた。

 言葉がなぜ変化するかってことだけど、誤用と言ってはやや言い過ぎかもしれないけれど、発音にしろ意味にしろ少しずつ「ズレ」が出て来るせいだってことは理解出来る。
 さて,気になるのはその「ズレ」がなぜ生まれるかってことなんだけど。
 ここでフロイトを出すのは定番すぎて固陋な見方かもしれないけれど(^_^;)、「無意識の願望の現われ」と考えれば確かに殆ど説明がついちゃう。
 ……となるとごく一般的な日本人って、「他人に同情することなく、子供は男の子が多い方がよくって、子煩悩、というより子供にヘイコラ低姿勢でいる」ってことになるねえ(^o^)。
 まあここから日本人は堕落している、という結果を導き出すのは簡単だけど、文化庁、そう思わせるように大衆を意識誘導しようとしてるんじゃないの? つまりは「言葉の乱れは心の乱れ」と大衆を説教したいわけね。
 でなきゃわざわざこんないかにもな言葉を選んで訊いてる理由が解らない。
 でも、例えば童謡『赤とんぼ』の「負われて見たのはいつの日か」を「追われてみたのはいつの日か」、『ふるさと』の「うさぎ追いしかの山」を「うさぎ美味しかの山」と勘違いするのなんて、どう分析するんだ? 現代人が「とんぼに恐怖を感じて、肉食を望むような野性に戻りたがっている」と考えてるとでも分析するか?
 あまりフロイトには頼らんほうがいいよな。

 それはそれとして、単純によく解らんのは、この手の誤用、余りにも有名で、恐らく学校の授業などで正解を聞かされたこと絶対あるはずなのに、どうしてこうも誤答率が高いのか。小学生相手にアンケート取ったわけでもなかろうに。
 単に記憶力のない馬鹿が増えたってだけデータのようにも思うな(^^)。

 福岡発信の朝のニュース番組、『やじうまワイド』でもこの問題を取り上げていたが、そこでコメンテーターの一人が、「最近、レストランのウェイトレスが注文取ったあとで『以上でよろしかったですか?』って言ってるの、おかしいよなあ、『よろしいでしょうか?』だろ?」と言っていた。
 確かに、ここ2、3年、ファミレスも喫茶店も、ほぼ9割の店で若い子が「よろしかったですか?」と過去形で喋るようになっているのだ。料理を運んできたあともやっぱり「以上でよろしかったですか?」だ。
 なんだか、「もう注文は終わりか? これ以上余計な注文するなよ」と暗に言われてるようで、聞いていてむなくそが悪くなるのだが、若い人は別に違和感を感じていないようなのである。
 どうも東京のほうでこんな喋り方は流行っていないようなのだが、いったいこれは福岡だけの現象なのだろうか?

 ネットやメールの「顔文字」も年代を超えて受け入れられているというニュース。
 あまり使いすぎると却ってくどい気はするが、私もけっこう重宝させてもらっている。ただこれも数ある「専門用語」「術語」同様、セクトを作るだけのものになりかねない危険性は孕んでいるのである。何しろ、長い年月の間に練られて多様な表現力を獲得している言語に比べて、まだまだ記号性が強すぎるのだ。
 日本語を使えた上で、硬い文章の緩和剤的に使うような配慮がないと、ただむやみやたらと使ったところでただのバカにしか見えなくなるのだ(^_^;)。


 体重84.6キロ。ううむ、昨日より600グラム増。
 でも85.0キロを越えてないのでホッと胸をなでおろす。ほんとにチビチビとしか体重減らないなあ。70キロ切るのは1年先か?(-_-;)

 まあ、体重増加の原因は解っているのだ。昨日の晩飯の春雨丼である。
 市販の「ゴハンがススムくん」の具にネギと卵を加えて飯にかける。カロリーとってくれと言わんばかりだが辛味が卵の甘味で適度に中和されて、これが実に美味いのよ。
 しげに作ってやったら、どんぶり一杯「こんなに食べきらん。おなか苦しい」と言いながら全部きれいに食べました。
 で、今日も晩飯は春雨丼。本気でダイエットする気あるのか?

 『パワーパフガールズ』、『セキララ白書』などテレビを漫然と見る。
 『パワパフ』は最初はずっと録画をしていたが、場所を取るばかりだし、DVDが出れば買うんだろうしで、時間が合えば見る、程度になっている。
 でも今日のはちょっと録っておいてもよかったかな、と後悔した。
 終日雨で(ちょうど現実にも今日は雨だ)事件も起きず、仕方なく部屋の中で「パワーパフガールズごっこ」をするパワーパフガールズ。でも暴れるモンスター役をバブルスが演じてるものだからバブルス役がいない……ああ、博士、そんなあられもないお姿を!
 『セキララ』、身長158センチの女性、62.5キロまではデブではないそうである。ホントにどーでもいーことばかり調べてやがんなこの番組。
 今、一番視聴率を稼いでいるのは、みのもんただそうだが、別に何かでブレイクしたわけでもないのに、いつの間にかあの顔が見えないとテレビが寂しく感じられるようになってるってのは、一種の中毒症状なのか。いや、私は別にハマってないんだが、なぜかしげにはみのさんがマイブームらしいのである。
 ……なぜ?(@_@)

 CSで映画『ひばりの三役 競艶 雪之丞変化 前編』見る。
 最初に美空ひばりの口上で始まるのが気が利いてる。
 でも見ながら一番ドキドキしたのは波路役の北沢典子だったりする(^。^)。
 ……いや、やっぱり「清楚」って言葉を体現してた女優さんが昔はいたんだよねえ。
 「タメイキ出るくらい美しい」ってホントに思うもの。……雪之丞、なんで振るかな、こんなにキレイなのに。
 

 宮澤賢治の弟さん、宮澤清六氏死去。
 97歳で老衰、ということだが、賢治没後50年で著作権が切れ、映画化、アニメ化が立て続けに行われた10年ほど前、そのことごとくに監修として参加していたとき、既に80歳を過ぎていた計算になる。
 『銀河鉄道の夜』がアニメ化される時、最後までキャラクターを猫にすることに反対していたそうだが、その理由が「兄は猫が嫌いでしたから」といういかにも「身内」な発言であった。
 確かに研究者の間で賢治の猫嫌いは有名であり、エッセイでその猫嫌いを語っているほどである。
 にもかかわらず、『猫の事務所』『どんぐりと山猫』など、賢治童話に猫を主軸に据えた作品は多い。
 アニメスタッフがキャラクターを猫で、と考えたのは、人間ではファンタジーにはならない、それに「実は賢治は猫が嫌いではなかったのではないか」と考えたからだというが、実際、あの猫のキャラクターは悪いアイデアではなかったと思う。
 「身内の反対」であれが人間キャラになってしまっていたら、さて、あれだけの透明感を出すことが可能だったかどうか。賢治作品の復刻に尽力した清六さんだったが、果たしてその世界観をどこまで理解していたかはちょっと疑問である。

 唐沢俊一さんのお父上が亡くなられたことをホームページの日記で知る。
 唐沢さんには一度お会いしたことがあるだけだし、ご自宅を存じ上げてるわけでもなし、ある意味失礼かとも思ったが、メールで弔意を表す。
 なんかね、そうしたくなっちゃったのよ。
 くどくは書かず、ご挨拶のみ。

 マンガ、和田慎二『少女鮫』6〜9巻読む。
 しげが「最終10巻が見つからな〜い(ToT)」と嘆いているが、そこで打ちきりになってるのが解っているので、買って読んでも楽しいかどうか疑問があって迷う。
 実際、日本編になった途端、それまでのハードな展開はどこへやら、なんだかどうでもいいような文化祭の話なんかが紛れてこんできて、つまらないのだ。
 『スケバン刑事』以来、全部そうだが、和田さんのギャグはオーバーであまり笑えない。作者だけが楽しんでるような印象が強くて、読者が乗り切れないんだよねえ。
 テーマだけはでっかく「人類滅亡のタイムリミットが遺伝子に組みこまれている」なんてぶち上げてるけど、もともと3巻の予定の作品をどこまで続くかわからんような引きをするから編集部とケンカになるのだ。
 悪いのは編集部だけじゃないような気がするなあ。


2001年06月12日(火) マンガの画力って?/『新しい歴史教科書 市販本』(西尾幹二ほか)

 ああっ、更新遅れさせまいと思っていたのに、また一日遅れになっちまった。
 だから二日分まとめて書くのはツライってのに。
 事情はあとで書くとして、まずは今日の体重。

 は、は、84.0キロジャスト!

 うおお、減っている、確実に減っているぞ!
 当たり前と言えば当たり前かもしれんが、ダイエットの極意は運動することなどではない、「食わないこと」なのだと実感。腹が減って昼はフラフラしてるがもうひと息だ。今月末までに80キロ切るぞ!(マジかよ)


 マンガ家の西原理恵子さんのホームページ、『鳥頭の城』で、去年の末から「私の画力って、他のマンガ家と比べてどうよ」という無謀な(^_^;)アンケートをとってらしたのだが、その集計結果の発表があった。
  1位 蛭子能収 ………… 17票
  1位 しりあがり寿 …… 17票
  3位 さくらももこ …… 16票
  4位 中崎タツヤ ……… 13票
  5位 とがしやすたか … 10票
  6位 漫☆画太郎 ……… 8票
  7位 けらえいこ ……… 7票
  7位 谷岡ヤスジ ……… 7票
  9位 吉田戦車 ………… 6票
  9位 中川いさみ ……… 6票
 わはは。サイバラさん落ち込んだみたいね。間違っても「小畑健」なんて出て来ないものな。死語になっちゃったけど、「ヘタウマ」の流れにある人ばかりだもんなあ。
 一般的なイメージとしてはそんなもんかな、とは思うが、ただの絵のうまさとマンガの絵のうまさの違いに気付いてない読者って多いんだなあ、とつくづく思う。
 絵画的な意味で絵がヘタでもギャグマンガとしてはそれが魅力になってるって場合が往々にしてあるのだ。
 だから、いくら一般的に「画力」があると思われてるマンガ家だって、ギャグが書けるとは限らなかったりする。例えば、大友克洋には逆立ちしたって『まあじゃんほうろうき』は書けない。サイバラさんは自分が自分の絵に相応しいマンガを描いてることに誇りを持っていいと思う。
 この中でマンガとしての絵のうまさが今イチ(つまりギャグを絵でいま一つ生かしきれていない)なのは、私見ではしりあがり寿、さくらももこじゃなかろうか。
 しりあがりさんはパロディマンガ、模写マンガを描かせたときには、その中途半端に似ているような似ていないような、といったところがギャグの面白さを減殺している。
 さくらももこの代表作は『ちびまるこちゃん』ではなく『神のチカラ』だ。あの地に足のついてない絵柄は思い出マンガより不条理マンガの方によく合う。
 サイバラさん、「なんでエビスやとがしと同レベルなんだよう」と絶叫しておられるが、谷岡ヤスジと同レベルと見られたことに関してはもって瞑すべしだと思うがな。


 西尾幹二ほか『新しい歴史教科書 市販本』読む。
 ……困ったなあ、面白いぞ(^_^;)。
 とにかく歴史問題に関してはヒステリックに叫ぶ連中や、ちょっと意見を言っただけでネチッこく絡んでくるやつも多いので、閉口してしまうのだが、別に私ゃ右寄りでも左寄りでもないんだけどね。
 例えば、南京事件については、全く虐殺がなかったとは思わないが、民間人を三十万も殺せるか、と思っている。でもそういうどっちつかずの言い方してると、右の人も左の人も、一生懸命自分の陣地に私を引きこもうとするのだな。それがイヤなんで、下手に意見を言えなくなってしまうのだ。
 この教科書について、例えば「神話が載ってるのは面白いねえ」などと言おうものなら、「皇国史観に基づいた神話を歴史と認めるつもりか!」と左の人が怒ってくるのは目に見えている。
 あるいは「安重根の名前がないのはちょっとどうかな」と言ったら、今度は右の人が「テロリストを英雄視する気か!」と突っかかってくるに違いないのだ。いや、安重根を肯定的に見たりはしないけど(だってあの暗殺事件がきっかけで「日韓併合」させられちゃったわけでしょ?)、一切触れないのは変じゃん、と言いたいだけなんだけどね。
 実際、何度もそういう無意味なバトルを経験してきているのである。こちらの言うことをこうも勝手に拡大解釈、曲解されるんなら黙ってたほうがいいなって気にもなってくるよ。
 でもそこで黙ってられないのが、私の悪いクセなのだろうな。
 実際、黙ってると、右の人も左の人も図に乗ってつけあがってくるし。一応、一言「バカ」って言ってやっとかないと、周囲の被害者が増えるばかりなのだよなあ。
 一応、この本で評価されるべき点は、その基本姿勢にあると言えるだろう。
 「歴史を学ぶのは過去の事実について過去の人がどう考えていたかを学ぶことである」という本書の執筆動機は全く正しい。現代人の常識や感覚で過去の人々の行動にムリヤリ基準を当てはめては、歴史の持つ意味など理解できるはずがない。文化相対主義はタテの時間軸にも連用されねばならぬものなのである。
 その点「神話」が盛り込まれていたからと言って、その事実をもってのみ「偏向」と呼ぶのは批判になっていない。「神話」が歴史であった過去は確実にあったのだから。それを否定すること自体「歴史の捏造」にほかならないだろう。
 しかし、そういう姿勢で書かれたはずの本書が、その方針通りになりきれてない点があるのはやはり指摘されてしかるべきではないか。
 例えば、「神話」をとりあげるのはよいとしても、そこで特にピックアップされているのが神武天皇と日本武尊であるというのはどういうわけか。『古事記』『日本書紀』を子細に研究した者なら理解できることだが、大和朝廷を正当化しようという意図のもとに編纂されたにもかかわらず、日本の神話は「まつろわぬ人々」の痕跡を色濃く残している。
 国造りの神ということで言うなら、出雲神話の主役である大国主の扱いが少ないのは明らかに偏向である。日本の国造りを行った実質的人物は彼だということになっているのに。
 その程度の偏向は大したことない、という人もいるかも知れない。決して民主主義を否定するものではないからと。
 しかし、たとえそうだとしても、この教科書を使って「皇国史観」を生徒に教えこむことは可能なのである。何しろ日清戦争時の「木口小平」までこの教科書では復活しているのだから。
 結局は教科書がどうだろうと、「教える者の意志」次第だってことになっちゃうんだよなあ。
 

 夕方6時ごろ、ビデオカメラを借りていたUさんから電話。
 「撮影終わりましたので、今からお返しにあがっていいですか?」
 「いいですよ」
 「じゃあ、ちょっと用事があるんで9時に参ります」
 ……え? 今、「今から」って言わなかった? Uさんの「今」ってのは3時間後ってこと?
 相変わらずどこかハズしてる方だが、かと言ってまた返しに来る機会がいつになるかわからなくなるのも困るので、どうぞお出で下さいと言う。

 以前の日記で、Uさんの要領の悪さについてクソミソに書いてたのだが、どうやらUさん、全く読んでいなかったらしい。私も性格が悪いので、読んだらどんな反応してくるかなあ、と楽しみにしていたのだが、なんの音沙汰もなかったので、ちょっと拍子抜けしていたのだ。
 ウチに来るなり、パソコンで件の日記を読んだので、Uさんご立腹されるかと思ったら、「申し訳ありませんでした」と謝られたので戸惑う。
 非難されるだけのいい加減なことやっときながら開き直って逆ギレしたウチの職場の上司と比べると雲泥の差だ。人間ができている。
 ……困ったなあ、こんなにいい人じゃあ、そうそう悪口が書けないではないか。この日記、基本的に他人の罵倒をネタにするというイヤらしいコンセプトで書かれているにもかかわらず、実際には私自身の小心さゆえに、ごく少数の身内のことしか書けずに困っていたのに。
 本人の意志はともかく、しげと藤田くんと桜雅さんとUさんについては何を書いてもいいと思ってるとこがあるのだな、私は(^_^;)。貴重な一人を失うか?
 でも、「すぐ帰りますから」と言いつつ、夜中の1時まで居座ってたから、もちっと悪口書いててもいいか(^。^)。

 世間一般の常識と私の常識とはズレている点もあるだろうから、ここで書いておくが、私にとって他人にかける迷惑、他人からかけられる迷惑というものはどちらも腹立たしくはあるが、否定されるべきものだとは思っていない。
 つまり人は人に迷惑をかけずに生きられるはずがないからである。かと言って「どんどん迷惑をかけよう」とは言えないから、私が迷惑をかけたら謝るし、迷惑をかけられたら怒る。注意しなさいとは言う。
 ただし、「二度と迷惑をかけるな」とは言わないのだ。
 私は他人に無理難題を押しつける気は毛頭ない。


 Uさんが帰ったあと、今日は仕事が休みのしげと散歩。
 ずっとUさんと喋っていて構ってやらなかったので、しげはちょっと機嫌を悪くしている。
 「何話してたの?」
 「楽しかった?」
 と、しつこい。こういうとき、へたになだめるとしげはかえって拗ねちゃうので適当に相槌だけ打ってあしらう。
 え〜、電話でもメールのやりとりでもなんでも、私と楽しく喋ったあとは、必ずしげは私に「私といるより楽しい?」と絡んできますので、ウチに家庭争議を起こしたい人はどんどんメールをください(^o^)。
 帰宅したあとさすがに日記を書く元気はなく、そのまま寝る。
 しげに一緒に寝ようと誘ったのに(まあ♪)、「一瞬で落ちるくせに」と断られる。
 実際その通りなのであった(^_^;)。しげのストレスがたまるのも解るけどしゃあないじゃん。


2001年06月11日(月) 誰だってどこか変なんだし/『ぶたぶた』(矢崎存美)

 体重、84.6キロ。
 おお、昨日体重が減っていたのは夢ではない。
 しげが言う。
 「じゃあこれから何も食べない?」
 「いや、何も食べなかったら死ぬじゃん」
 「でも食べなきゃ痩せるよ?」
 「だから死ぬって」
 私を殺したいのか。ホンネは料理を作るのが面倒臭い、ということだな。グータラ野郎めが。

 連日報道がエスカレートしていく小学校乱入殺人事件(そろそろ名称が定着するかな)、この手の報道の定番で、犯人の宅間守の過去のトラブル歴が紹介されている。
 やれ、タクシー運転手時代に一方通行を逆走して注意したホテルマンに頭突きを食らわしただの、学校に勤めてたときにゃ同僚のお茶に薬物を混ぜただの、まあ十数年、既知外ロードをまっしぐらに来てた感じだ。
 笑えたのはバスの運転手をしてた時、女性客の香水が臭いと言って、「運転手にも客を選ぶ権利がある」と嘯いたという話。客にだって運転手は選べないんだがな。ちょっとほかの職業にも当てはめてみようか。
 「医者にも患者を選ぶ権利がある」
 「教師にも生徒を選ぶ権利がある」
 「警察官にも犯人を選ぶ権利がある」
 どんどん選ばれちゃ困るもんになっていくな(^o^)。
 犯人の父親(14、5年前に犯人とは縁を切ったそうな)が初めて心境を語る、とかで、息子が池田小学校のIQテストで落ちたことがある事実を告白。
 するってえと、犯人の「エリートの子供を殺せば死刑になると思った」って供述も前半はともかく後半の方は信憑性が薄くなるな。結局、単に犯人から見た「エリート」を殺したかったってだけじゃないのかねえ(つまり小学生にも劣るわけだな犯人は)。
 やっぱり「子供」に勝つことでしか自分のアイデンティティを維持できなくなってたってことか。こりゃ既知外と言うより、心がオトナになれなかった、と言ったほうが正しいのかもしれない。
 もっともだからって罪が免責されるわけでもないけどさ。

 ネット上では、「法改正しろ」とか「犯人は死刑だ」とか、ヒステリックな叫びが飛び交う事態になっている。
 別にあの犯人を許せと言いたいわけでもないが、あんまり声高に叫んでる様子を見ると、お前らも充分危険だぞとツッコミ入れたくなってしまうねえ。
 だからみんなさ、正義派ぶったマスコミと同じになってるんだってば。
 もちろん精神障碍者の人権が侵害されかねないことを憂慮する冷静な声もあるのだが、今回ばかりはその声も「犯人憎し」の叫びの渦の中に飲みこまれていきそうな気配である。でもそっちのほうがよっぽど「危ない」ってことに気付いてないのかな?
 確かに、ヒステリックになってるとは言え、ああいうイカレた犯人が続出する現実をなんとかしなきゃならんという意見は当然のことである。
 危険性のない障碍者(例えば知恵遅れのような)までが偏見の目で見られることは極力避けねばなるまいが、「病人は一律罪に問わない」みたいな十把ひとからげ的法解釈が、これまでは幅を利かせ過ぎていたのだ。そのことがかえって精神障碍者たちに対する一般人の偏見を助長していた事実に人権擁護派は気付いておかねばならなかったのではないか。
 そのことに対するストレスが溜まりに溜まっていた末に、被害にあったのがいたいけな児童たちである。
 マス・ヒステリーは嫌いだが、本気で行政が対処せねば、危険人物は野放し、被害者は今後も発生、安全な障碍者は差別されるという、八方塞がりの事態になってしまうことは予測しうることである。

 で、この問題、法改正だけですむ問題ではないのだ。
 エイズと同じく、精神障碍者に対する一般的な知識を普及させ、偏見をなくし、対応施設を地域に住む住民みなが受け入れていく土壌を作っていかねばならないことなのである。
 犯人のオヤジが「あのとき病院が入院させておいてくれれば」とほざいてやがったが、結局、誰も彼も病院を座敷牢の延長線上でしか見ていないんだよねえ。それが一番の問題点なのだよ。
 あのさ、例えば「不治の病」の人間ってさ、現実的に「病院から出られない」わけだけど、「病院から出さない」ことを目的に入院させるわけじゃないでしょ? あの犯人を社会に出すわけにはいかないけど、「閉じこめとけ」と言うのは間違いというのはそういうことなのよ。
 彼を隔離しておくにしても、治療や管理のためには今後も誰かが彼に関わっていかなければならないってこと、忘れてないかな? 専門家に任せて自分は知らんぷりか? 自分の家族にキレたヤツが出ても、「あとは病院に」で終わらせるつもりかね? それじゃあの犯人のオヤジと同じだわな。
 自分が関わる気もなくて、簡単に「閉じこめとけ」とか「死刑にしろ」って言うのは、結局「臭いモノにフタ」「事なかれ」的発想の、無責任な発言でしかないのよ。
 ……おっと、この日記のタイトルにもあるまじき責任ある発言をしてしまったな(^^)。
 もちろん私はしげがイカレて刃物振り回すことになっても、一応病院にはブチ込むだろうが、それでそのままに放置する気はないぞ。たとえ治らない病気でも、治ることを信じて看病するよ。その覚悟もなくてなぜ「家族」でいられる?
 もっとも逆に私が狂った場合、しげの方は私を見捨てそうだけど(^_^;)。

 だからさ、この事件でまず問わねばならんのは、あなたの身内がイカレたらどうしますか? ってことなんだよ。それについてきちんと考えてからものを言おうね、みんな。


 仕事が長引いて帰宅が遅れる。
 『犬夜叉』も『コナン』も見損ねた。テレビを慌ててつけると『水戸黄門』のオープニングが。
 あっ、頭から初めて見たけど、オープニング演出、市川崑がやってたのか。六分割の(と言っただけで市川ファンは何のことか解るね)黄門とは大笑い。でもさすがにトシ取ったせいか、往年の『木枯し紋次郎』のオープニングほどの才気は感じられなくなっていたな。
 新世紀の黄門、を謳っているわりには新味がない。石坂浩二はまるで黄門に見えないし。助格が目立たないってのも何だかねえ。伝統的に黄門ものの主役は助格の方だってこと、忘れてるんだよなあ。爺さんより若手が動かんでドラマが成り立つかい。

 矢崎存美『ぶたぶた』読む。
 『ぶたぶた』シリーズ第一作。正直言って、題名に引かれただけで、何の期待もしないで買って読んだ。
 やられた。
 笑って泣いて、映画でならよくする経験を小説でやられるとはなあ。
 タイトルロールの「山崎ぶたぶた」君、彼は喋るぬいぐるみである。
 主役、というわけではない。これは彼に出会った人々の、困惑と驚愕と、笑いと涙とちょっぴりの感動の物語なのだ。
 なぜぬいぐるみが喋り、牛乳を飲み、パスタを食べるのか。
 そんなもの解らない。けれど彼は何となくそこにいて、何となく周囲に受け入れられていく。
 特別ニュースになるわけでもない、まあ、世の中そんなこともあるか、というお気楽さで彼はそこにいるし、彼と出会う人々も初めこそ驚いていても、いつの間にか心が和んでいる自分に気付く。
 たまにぶたぶた君に説教されたりもするのだ。
 ぬいぐるみに説教されてもなあ、と思いはするが、でも全然押しつけがましくないその言葉を聞いてると、なんだかつまらんことで悩んでる自分が馬鹿馬鹿しく思えてくる。
 ぶたぶた君はいったいどれくらい生きているのだろう。
 ある時はベビーシッター、ある時はタクシーの運転手、ある時はフランス料理店のシェフ、ある時は玩具屋の店員、ある時はただのプー、ある時は殺され屋、ある時はサラリーマン、ある時は記憶喪失のぬいぐるみ、しかしてその実体は!
 ぶたぶた君である。
 いいじゃないの、それで。
 ……ああ、これって『異星の客』のその後なんだな。
 SFファンにもファンタジーファンにも、いや、ともかく「何となく変な自分が愛しい」人々に一読を勧めるものである。


2001年06月10日(日) ハカセ、負傷?!/『少女鮫』2〜5巻(和田慎二)ほか

 昨日夜更かししたので起きたのは11時。
 もっとも、朝の7時に寝るのを通常、「夜更かし」とは言わんかもしれんが。
 しかし、そのおかげであろうか。
 今朝の体重が、ついに……ついに……。
 84.8キロ!
 ダイエットを始めて幾星霜(ひと月だってば)、どうしてもクリアできなかった85キロの壁を、ついに破ったのだあああああ!
 よし、これで明日は一気に80キロの壁を破るぞ!(死ぬってば)

 せっかく体重が減ったんだから、食べすぎない程度に朝飯(というか昼飯)はトウモロコシの梅茶漬け。
 お茶漬けになにかヒト品混ぜるだけで何となくリッチに感じちゃうんだから、庶民は気楽なものである。


 劇団の練習日であるが、今日は出勤で出られない。
 でもヨシヒト嬢も穂希嬢もいるわけだし、そう話が進まんということもあるまいとタカを括っていたら、穂希嬢からメールが。

 「半ギブスなんですけど重たいんです…月曜日に病院に行きます」

  ギ、ギ、ギプス?!(゚o゚;)

 い、いったい何があったんだ?
 説明がないんで全く解らんぞ。
 階段からこけ落ちたか、車にはねられたか、はたまたエイリアンにアブダクションにあったか、桜雅嬢にネジられたか。
 なんでウチの劇団の連中はみんな説明が下手なヤツばかりなんだよう。


 状況が解らん以上対処のしようもない。
 昼からともかく仕事に行く。
 でも、休日出勤くらい気分が乗らないものはない。ましてや心配事があると尚更だ。
 まあ、仕事だからちゃんとやるし、手当てがつくから文句もそう言えないけどね。

 手当ていらないから休ませて……(T。T)。

 自分で疲れが取れてないってわかるの、マジでツライんよ。
 でも不況でリストラでって方にとってはとっても贅沢な悩みを言ってるのだろうな、私。
 どうもすみません。


 『キネマ旬報』6月下旬号、三谷幸喜『みんなのいえ』特集。テレビや映画館でも随分、予告編を流してるが、なんだか全然面白そうじゃない。
 いや、設定はいいのよ、家を建てるのに、家族と大工とデザイナーの意見がわかれてシッチャカメッチャカになるって言う。
 でもね、ホントはその大工の役、三谷さんホントは伊東四朗にお願いしたかったんだと思うんだよね。それはこの映画のもとになった『アパッチ砦の攻防』初稿を書いた時点で、伊東さんを主演に据えてたことで推察できる。
 田中邦衛には悪いけど、伊東さんのほうが合ってるよ、頑固な大工役。田中さんじゃもっさりしてて伊東さんほどのパワーがない。
 それに予告編の画面見る限り、カメラワークが演出としてうまく機能してないの一目瞭然だもんなあ。動きがなくて、シチュエーションがうまく伝わってこないのだ。
 でも本編見ると面白いってことあるかもしれないし。
 それに人気者に対するやっかみで、三谷さんへのバッシングも多いので(「ビリー・ワイルダーが好きって言ってるわりに全然理解してないじゃないか」ってなもの。でも「理解できる」って言ってるヤツがいたらそっちの方がエセだと思うがな)、やっぱり応援したいのだ。
 だからムダにメディアに出てつまらんギャグ飛ばすのはやめよう、三谷さん。イタいってば(^_^;)。

 今回の記事の出色は「黒澤映画を読む!」かな。これまでに出た、黒澤明研究本、数十冊について、短いページ数の中で村川英・野村正昭・植草信和の三人が特徴をうまく捉えて批評している。
 暴露本、スキャンダル本がなぜつまらないかと言うと、その人をネガティブに描こうとする結論が先に立って、それに合わせて記事が書かれるために、結局は表面的にしか人間をなぞれなくなるからである。
 だから暴露本の面白さはその書いてる本人のヒネクレぶりのほうだったりするのである。清少納言の悪口書いた紫式部みたいに。
 でも黒澤の生の声を知りたいと思ったら、ただの礼賛者でなく、しかし批判者でもない、冷静な批評者の筆になるモノを選んで読まねばならないということになる。
 私も黒澤関連本はあれこれ読んでて、全集はもちろん、パイオニア的なドナルド・リチー『黒澤明の映画』、佐藤忠男『黒澤明の世界』なんかも持っているのだが、それらの批評をも一刀両断、「つまらん」と言いきるところが小気味いい。
 買おうかどうしようか迷ってまだ買っていなかった野上照代(黒澤映画のスクリプターで『雨あがる』の監督補佐)の『天気待ち』は絶対に欲しくなった。黒澤明の「オレが撮りたい画は一つも撮れたことがないんだ!」って叫び、この人だけが聞いてるんだなあ。
 アニメファンには『何が映画か』の宮崎駿との対談が必読だろう。これを読むとなぜ『もののけ姫』があんなにつまんなくなったかがよく解る(いや、視点一つで面白く見れはするんだけどね)。

 新作情報、一番の期待は恐らくは岡本喜八の遺作になるであろう(からかいではなくてトシを考えればそれを覚悟せねばなるまいということ)『助太刀屋助六』がもうすぐ完成。
 いや、時代劇だってことだけで筋は全然知らないんだけど、必ず捻ったアイデアを盛りこむ岡本監督のことだから、逆に事前情報余り入れずに見に行きたいんだよね。
 キャストは仇討ちの助っ人を生業にする助六に真田広之、幼馴染の太郎に村田雄浩、太郎の妹お仙に鈴木京香、やり手婆のおトメに岸田今日子、そして仇の片岡梅太郎に仲代達矢。
 渋いなあ。これでこの映画見に行こうってヤツいるのか。私は行くけど(^^)。

 今まで数えるほどしかLD、DVD化されてこなかった岡本作品、先月から立て続けに発売され出した。
 まだ買っていないのだけど、『英霊たちの応援歌』『幽霊列車(赤川次郎の永井夕子シリーズ第1作!)』に続いて、あの幻の『遊撃戦』が!
 そう、あの『独立愚連隊』のTV版がDVD化だよ!
 キャストも映画版そのまんま、佐藤允、大木正司、小川安三、堺左千夫の岡本組に、小坂一也、三橋達也も絡む。
 今は金欠で買えないが、ボーナスが出たら……ボーナスが出たら……!

 あ、貯金はするからね、しげ(^_^;)。

 も一つ新作情報。『ドラドラ子猫とチャカチャカ娘』実写映画化って、誰が見るんだ?


 帰宅したら今日は桜雅嬢が遊びに来ていた。
 早速、穂希嬢の容態を聞いてみるが、「さあ?」の一言。

 桜雅嬢に聞いた私がバカであった(ーー;)。

 実際知らないんだろうし、悪気もないんだろうけど、友達がいがないぞ。せめて心配して見せるくらいのフリしろよな。
 例の事件のについてのコメンテーターほどじゃなくってもさ。

 でも、ペットポトルのオマケについていたアロマテラピーを見て「お香?」と言う、相変わらずのボケぶりじゃムリかな。


 マンガ、和田慎二『少女鮫』2〜5巻読む。
 しげがネットで白泉社に検索をかけて驚く。
 「『和田慎二』の項目が全然ない!」
 私も驚いて、あちこち調べてみると、この作品が白泉社での最後の仕事であったことが解った。なにやらトラブルがあって連載打ち切りになったらしい。
 ああ、『超少女明日香』の版元が変わったのはそのせいだったのか。今まで知らなかった。
 しかしどういう事情があったか分らんが、出版社のほうが作家を消耗品的に扱ったことは間違いあるまい。でなきゃ「決別」なんて事態にまで関係が悪化するわきゃないのだ。どうせ「ウチのカラーに合いませんよ、こんな戦争モノ。もっとラブラブしたモノ描けませんか?」とかなんとか言ったんだろうな。
 そりゃ、私だって、和田慎二のマンガが面白いとは思わない(そこそこだとは思うけど)。けれど、「つまんないから切る」方式が将来的には限界をもたらすことは、少年ジャンプの凋落を見ても解ることじゃないのか?
 『花とゆめ』、一時期の勢いはなくなってるけど、作家の扱い間違えてばかりいると客は確実に離れてくぞ。

 でも確かに「レトロウィルスが少女をミュータントに変え、戦闘能力を引き出した」なんて話、『花ゆめ』誌で客がつくわけねえよなあ(^_^;)。

 『らんま1/2 DoCoミュージックビデオ』をかけながら日記を書く。
 今見ると無茶苦茶豪華なキャストだよな、DoCo。林原めぐみ、日高のり子、高山みなみ、井上喜久子、佐久間レイだもんなあ。みんな1本立ち出来る実力の持ち主ばかりじゃないの。
 本家のCoCoより絶対に歌うまいし。
 「わ〜す〜れ〜ない〜、<この空を>」
この「この空を」んとこ、誰かカラオケで一緒に歌ってくれるヒトいませんか?
(それ以前に「思い出がいっぱい」を入れてるカラオケ屋がまず見当たらんのだが)

 やっと日記が当日分に追いついたぞ。もう二度と一日に二日や三日分書きたくない。頼むからしげ、トラブルおこさんでくれ(T_T)。


2001年06月09日(土) イカレポンチ天国/映画『大菩薩峠 第一部』(1957東映)ほか

 休日出勤が続く中、今日は今月初めての(というか先月中旬以来の)休み。
 けど明日はまた仕事なんだよなあ……。
 これで溜まっている数々の原稿の山、ホントに完成出来るのだろうか?
 体重、85.6キロ、空腹なのに壁は相変わらず厚い。
 夕べ夜中に寝て、4、5時間しか経ってないのに、しっかり7時に目が覚める。もちろん、トイレが近くなったからだ(-_-;)。
 トシヨリになったのかなあ……。

 さて、それはともかくリレー小説のシメキリがいよいよ今日だ。
 しげが朝寝してる間に書き上げないと、どうせまた邪魔される。というわけでさくさく原稿を書く。
 それまでのいかにもラブコメなタッチな胸さわぎな放課後な初恋スキャンダルな展開を、いきなりファンタジーにしてしまったのは、恐らくリレー小説参加の皆様方には驚きだったろうが、これもみんなしげが悪いのである。
 だって前回のラストで、主人公殺してるんだもの。ちょっと事故ってるだけならともかくカラダが引きちぎれて真っ二つだものなあ。
 ……しげ、あの男にオレのイメージ重ねてないか? (;¬_¬)
 なんだかそのうちしげに真っ二つにされそうでそれも怖いが、ともかく主役をなんとかするためにはお話自体をなんでもアリな世界観にシフトするしか手はないなあ、と考えてああなった次第。
 いや、『幽遊白書』にはしたくなかったんで。
  
 でも、つい、既定字数1000字をオーバーしてしまったので、後半を慌てて削除。
 実はあのあと、火の龍サラマンダーに襲われた二人は、湖の向こうから現われた謎の船、『バンド・ワゴン』に助けられて、空を行く、というストーリーを考えていたのだけれど……。
 はい、お気付きになられたかたもいらっしゃいますね。東映動画の傑作の一つ、『空飛ぶゆうれい船』の換骨奪胎であります。
 ……そこのお客さん、怒らない怒らない。パクリでない程度には工夫してるぞ。それが証拠に空を飛ぶものが同じく『海底3万マイル』の「火炎竜」のイメージから取られているが、そのことに気づいたものも誰もいないであろう。
 でもさすがに「空飛ぶ船」出してたら顰蹙ものだったかもしれない。途中で話が切れてよかったあ(´。`;)。


 テレビニュースは終日、池田小学校の包丁男のことばかり。
 全く、他人の不幸や事件をあっという間に祝祭にしちまうマスコミのエネルギーには頭が下がる(もちろん皮肉で言ってんだよ)。
 海外でも「日本の安全神話が崩れた」とかセンセーショナルに報道してるらしいが、このキャッチフレーズ、地下鉄サリン事件のときにも使ってたぞ。日本赤軍の企業爆破事件だの、暴力団同士の銃撃戦だの、もう何10年も前から市民だって別に安全じゃなかったと思うがね。
 それでも大抵の日本人がのほほんと「日本は安全」と思い込んで暮らしてられたのは、「自分が被害にあうことはない」と思ってられたからだよな。
 隣の誰かさんがもしかしたら豹変して自分を襲ってくるかもしれない、という考えは、日本では「被害妄想」として排斥される。「平和ボケ」することでお互いの安全を図るというとんでもない方法、つまりまさしく「赤信号みんなで渡れば怖くない」って考えて暮らしてたわけだ。
 それで自動車にはねられたからって、誰かのせいに出来ることでもないように思うが。
 日本において、犯罪は地震や火山噴火のような天災と同じく、不運でしかないのである。だから日本の安全神話はまだ全然壊れちゃいない。だって「明日自分が襲われるとは思わない」なんて、まさしく根拠のない「神話」じゃないの。

 今日も“裏”モノ探偵団会議室にこの事件について書きこみ。
 なんだか私、正義漢ぶりっ子、良識派ぶりっ子のマスコミに対して本気で怒ってるぞ。
 エロの冒険者さん、つながりの関係上一部文章を引用してますが、ご容赦下さい。ダメだったら削除します。



 池田小学校、今が一番無防備なんじゃないですかね。
 ともかくテレビのニュースを見ても、児童へのインタビューの多いこと多いこと。しかもいくつかは明らかに敷地内に入りこんで撮影している。
 あの報道陣の中に紛れこんで、インタビューするフリでもして、「ねえ、キミちょっと、ここじゃちょっとウルサイからさ、あの体育館のウラにでも来てもらってさ……」(ホンマは関西弁なんやろな)と誘いこめばもう、新鮮なおサカナが釣り放題。

 校長もよ、亡くなった児童のご家庭に慰問するのは当然だし、「かわいそうで」と泣く気持ちも解るけど、バカな報道陣を野放しにしといてどうする。残った先生たちにシャットアウトさせるくらいのこと指示しとけよ。それが安全管理ってもんだろう。
 いかにも良識派って顔で「PTSD(心的外傷後ストレス障碍)が心配です」とか言っときながらだよ、「(犯人)どんなだった?」「刺されたお友達はどうだった?」なんてそれこそ児童のPTSDを助長するような質問しまくってるんだぜ?
 イカレ男と同レベルのイカレポンチがうようよいるのに何チンタラやってんだ。
 ニュース番組のキャスターやゲストで呼ばれた心理学者の類も、「報道陣を引き上げさせなさい」と言わない時点でエセだと思うぞ。

 犯人、「駅前で100人殺したけど小学校には乱入してない」とか支離滅裂なこと言い出してるらしいけど、こりゃますます罪には問えないような感じになってきましたねえ。
 小泉首相、「法改正」も言い出したそうだけど、急がないと、今回の事件で「池田小にはかわいいコが多い」というのが全国的に有名になっちゃったから、もうあちこちから変質者さんたちが大挙して押し寄せてきちゃうぞ(^_^;)。


>  私の小学校時代のように、オルガンが弾けなかった男先生が、女先生に
> 音楽の授業だけ変わってもらうという牧歌的な風景、もはや遠い昔のことに
> 成り果てたのか。悲しいなあ。

 イカレポンチが出ちゃったら、昔でもやっぱり危険だったろうと。
 例の「津山30人殺し」も本当は別に「呪われた村」で起こったってわけじゃないですし、普段は「牧歌的」だったんじゃないでしょうか。
 でも、どっちかと言うと昔のイカレポンチさんは浅沼稲次郎さんを刺すとか、権力者に向かって行くパターンの方が多かったように思います。
 弱いモノにしか向かって行けなくなったってのは、やっぱり反抗心を少しずつ剥ぎ取っていく学校教育の賜物だったりして(^o^)。



 昨日より表現が過激になってるなあ。
 でもやっぱりこれでも抑えているのである。「子供に群がるマスコミは一人残らず○○○○○○○○!」くらいのことは言いたいんだけどね(^^)。


 今日は一日外出しないでいるつもりだったが、しげがいきなり「カラオケ行きたい」と言い出したので、近所のカラオケ屋、「シダックス」に出かける。
 家族サービスも楽じゃないなあ、と言いたいところだが実はしげのオゴリ。もう今月の私の小遣いはないのだ(おい、給料日までまだ十日以上あるぞ)。
 アニソンが充実していた前回の「ジョイサウンド」、残念ながら今日は満室だったので、別の機種にする(機種名は忘れた)。
 テレビでフォークをよく聞いていたので、井上陽水『夢の中へ』や加藤和彦『あの素晴らしい愛をもう一度』なんかをキイも合わないのに無理して歌う。……アニメファンには『カレカノ』と『ラブ&ポップ』の主題歌として有名(^^)。
 しかし、どっちの曲も実に詩に中身も深みもないね。前のはナンパ、後のは未練の詩じゃん。だからこそヒットしたのかもしれないけどね。
 しげは「あんたの曲を歌うよ」と言って林原めぐみ『MIDNIGHT BLUE』を歌う。別に私の歌じゃないけど(^_^;)。確かに好きでよく歌ってるけどもねえ。

 夜、CSファミリー劇場でなつかしのアニメ、『新造人間キャシャーン』の第1回を見る。バタ臭くてデザイン的に余り好きになれなかったタツノコアニメの中で、これは比較的好きだった。
 でも今見返すとやっぱり脚本、演出ともに古いね。ともかくナレーションが多過ぎるし、それがホントにただの解説にしかなってない。
 オープニングの名調子はいいのだけれど、あとはもう紙芝居を見せられてるようなもの。……昔のアニメのほうがよかったってのは、やっぱりプリミティブなものを楽しむ意味でならばともかく、本気でそんなこと言ってたら見識疑われるよな。やっぱり今のアニメのほうがずっと脚本技術も上達してるよ。あのあかほりでさえ(^^)。

 日記を書きながら日曜洋画劇場『ランボー』見たりする。
 いや,今更感想書くほどのことはないが、この1作目はやっぱりトンデモ映画に成り果てた2・3とは一線を画してあげたほうがいいと思うんだけどねえ。
 考えてみりゃ、偏見と差別のせいで壊れて暴れ出すって設定、無茶苦茶リアリティあると思うぞ。金嬉老事件や小松川高校事件だってそんなもんだったでしょ? 特に向こうじゃベトナム帰還兵、ホントに心に傷負ってた人が殆どだったんだろうし。
 最後、緊張の糸が切れて泣き出すランボー、好きなんだよ実は。
 銀河万丈の声も、なるほど、スタローンに似てるかな、という感じでそれほど違和感がなかった。
 確かこの1作目は淀川長治さんもアクションだけじゃなく内容も誉めてたんじゃなかったかな。淀川さんが亡くなって数年が経つけど、昔の作品を放送するなら、解説も再放送してほしいなあ。


 深夜、CS時代劇専門チャンネルで、東映作品、内田吐夢監督、片岡千恵藏主演版『大菩薩峠 第一部』、録画しながら見る。
 以前民放で放送された時、3倍速で録ってたんだけど、シネスコを縮めた例の縦長画像の、あるいはスタンダードサイズにカットされたものだったので、ワイドに近い今回の放送は嬉しい。
 でも何分古い作品なので(と言っても1957年だけど)、カラーの退色が激しいのが惜しい。映画的には後の大映、三隅研次監督、市川雷蔵版や、東宝、岡本喜八監督ろ、仲代達矢版より評価が高いみたいだが、私は全く逆である。
 確かに片岡千恵蔵、熱演なのだが、机龍之助演じるには老けすぎ、太りすぎだよ。映画化の時点で中村錦之助がまだ若かったってのはあるんだろうけど、アレは後10年待って、錦之助に演じさせるべきだった。

 遅れていた日記を更新させるべく、朝4時までパソコンの前でパコパコ。
 一応明日は日曜出勤なのだが、昼間からなので、少しは朝寝ができるのであった。


2001年06月08日(金) 子供の命は地球より軽い/映画『ハンニバル』

 わあ、またとんでもない事件が起こってやがる。
 大阪教育大教育学部付属池田小学校(手塚治虫の母校だそうな)にイカレた男が包丁持って乱入、23人を殺傷し、内、8人の児童を死に至らしめた。
 昼間、仕事してた時には全くそのニュース、聞かなかった。
 ウチの職場にゃテレビがないから当たり前なんだが、リアルタイムでワイドショー見てた人なんかは興奮したろうなあ。

 帰宅するとしげは留守。
 ああ、どこか買い物にでも出てるのかとフンフンと風呂に入る。
 玄関でガチャガチャと音がするので、おう、てっきりしげが帰ったかと、そのまま出てきたら。
 しげがドアを薄く開けて、シャイニングのように顔を覗かせて。

 「……人がいます」

 慌てて服を着に脱衣場に逆戻り。
 穂希嬢が遊びに来てたのであった。
 「8人も死んだんですか? 昼は4人って言ってたのに」
 穂希嬢、リアルタイムで見てたクチらしい。
 しげや穂希嬢が事件に無関心なのはしようがないんだが、私には今回の事件、どうにも気になって仕方がない。
 犯人は「何もかもイヤになった。死刑にしてほしい」とか動機についてはマトモっぽいことを言ってるらしいけど、さて、精神病院の入院歴もあり、今までの職場でも様々なトラブルを起こしてきた男の言葉にどれだけ真実味があるものだろうか。
 この手の事件が起きるたびに、両親は口を合わせて「病人は隔離しとけ!」
と叫んでたもんだったから、かれこれ30年以上もこの国は精神障碍者に対して何の対策も取ってこなかったってことになる。
 その「放置しといてもなんとかなるやろ、わしんとこの代でこないな厄介な事件、扱うてられまっか」という姿勢が腹立たしいのだ。

 で、鬱憤ばらしにFCOMEDYの「お笑い“裏”モノ探偵団」会議室に書きこみ。「オタアミ」にはよく書き込んでたけど、「“裏”モノ」には久しぶりだなあ。
 それじゃいつもの如く、Niftyを見られない人のために、以下にご紹介しときます。



>  これを契機に、この小学校では、しばらくは、警備員が導入されたり、集団登
> 校したりするんだろうな。無駄な対策だと思うけど。
>  たとえ無駄であっても何らかの対策を取らねば済まないのだから、組織とは面
> 倒くさいものだ。

 学校の場合、組織だから、というより、マスコミとPTAが怖いから、でしょう。
 で、もっと馬鹿馬鹿しいのは、形だけの対策しか取ってないのに、「そんなんで児童の安全が守れるか!」と誰も追及しないこと。
 子供の安全なんて学校もマスコミも本気で考えちゃいないのですね。

 まあ、本気でその「安全警備」とやらを考えるなら、大学紛争の頃のようなバカ高い塀を作るとか、正門に声紋認識機能付きのセキュリティシステムを取りつけるとか、学校のシステム自体を廃止して自宅でインターネット学習できるようにするとかしか方法がないんでしょうが、そんな予算がどこかから湧いて出るわけでもなし、第一、教師やPTAが犯人だったら何の対策にもなりゃしない。
 結局、今回もコメンテーターが「患者の長期隔離を」と主張してるのが人権に関わる問題はあれど妥当なとこかな、とも思うんですが、じゃあ、その施設をどこに作るかとなると、必ずと言っていいほど地域で反対運動が起こるんですよね。
 「そんな危険な施設をウチの町に作るな!」って。
 だから患者を飽和状態にして溢れさせてるのは自分たちなのに、危険性を云々するのは間違いだって―の。
 まずは学校の側に病院を建てましょう(^^)。



 抑えた表現してるなあ。
 「教師なんて無能な連中の集団になにができる」なんて言ってないし(^o^)。

 穂希嬢、ゲームソフトを借りて帰る。
 書き忘れてたが、今朝の体重は85.2キロであった。

 夜、しげを誘ってキャナルシティへ。スターバックスで新発売の「マンゴシトラス」を食べたあと(ああ、これでまた体重が元通りに……)、AMCで『ハンニバル』を見る。

 シリーズ3作目、と言っても、第1作の『刑事グラハム 凍りついた殺意』(ビデオタイトルは『レッド・ドラゴン レクター博士の沈黙』というミもフタもないもの)なんて、誰も知らないよな。
 レクター博士役はブライアン・コックス。痩せた、細長い顔で、アンソニー・ホプキンスのレクターのイメージが定着した今となっては、ただのバチモンにしか見えない。
 それを思うと、今回のジュリアン・ムーアのクラリス・スターリング、前作『羊たちの沈黙』のジョディ・フォスターに負けず劣らずの熱演だ。「ジョディじゃなきゃやっぱダメ」ってファンはいるだろうが、少なくとも「どっちがいいか?」論争に発展するくらいのものにはなっている。
 ストーリーは前作までにあったミステリー的要素はほぼ消えて、レクター博士とそのかつての被害者メイスン・ヴァージャーとの対決に終始している。
 犯罪者とは言えレクター博士、こういう対決ものの図式の中では敵のほうが明らかに「悪」として行動するから、どうしたってヒーローになっちまう。クラリスとの関係は『春琴抄』以上の愛を描いたと言えなくもないし。
 でも本当にダークなキャラクターを際立たせるためには、やはりクラリスがレクターを追いかける関係をもっと前面に出したほうがよかったかも、とは思うのだ。ラスト近く、ヴァージャーに捉えられたレクターをクラリスが助け出すんだけど、この「助けられる」ことを期待してレクターめ、ワザととっつかまった嫌いがある。
 でもそうやって「女に甘える」ってえと、キャラとしては弱くなっちゃうんだなあ。結局自力じゃ逃げられないってことだし。
 でもその辺は瑕瑾だ。
 全体としては十分満足できる出来だったと言える。……ちょっとテンポがタルくて眠くなるけど(^_^;)。
 
 あともう一つ、特筆すべきは、このヴァージャー役がゲイリー・オールドマンだったってこと。おいおい、そんなん、事前情報にもなかったぞ。
 レクターとのかつての関係の中で顔の皮を剥ぎ取られた、という設定だけど、そのメイクが生々しくて、ラストのスタッフロール見るまでゲイリーだとは気付きもしなかった。もうこのゲイリーの狂気の演技が見られただけでもこの映画、損はない。
 残酷描写の一つと判断されたか、パンフじゃ一部のインタビューを除いてゲイリーの名前もスチールも一切カットされてるけど、せめてキャスト紹介の解説くらいはするべきじゃないのかなあ。

 帰宅した途端、しげが「お茶がない!」と騒ぎ出す。
 自分で冷蔵庫を探そうともしないで私を責めるのでまた口ゲンカ。で、結局またヒス起こしてごめんなさいとしげが謝って終わり。
 おかげで夜の散歩に行き損ねた。下らんことで喚きたてるそのクセ、ホントにどうにかしてほしいもんだ。
 草臥れてそのまま落ちるように眠る。


2001年06月07日(木) MURDER IS EASY/『詩的私的ジャック』(森博嗣)ほか

 体重86.4キロ。
 昨日より1キロ増えているが、機会の故障なので気にしない。
 日記を書くのが遅れると、その日何を食ったか思い出せないのだが(これも二日遅れで書いてるのよ)、多分つけ麺くらいしか、食ってないので、太ってるはずがないのである。
 しかし、しげも私も最近買い物と言ったら必ず冷凍のつけ麺だのうどんだのを買って来てるが、そんなに調理をするのが嫌いか。
 ウチの台所、排水溝が詰まってるんだが、未だに私もしげも底を浚おうとしてないのである。……星里もちるの『いきばた主夫ランブル』にゴミの山と化した部屋に暮らす哲学者夫婦ってのが出てきたけど、あんな感じか。
 いや、笑い事じゃなくて、ウチのマンションで異臭騒ぎが起きたら、ウチらの責任かもしれない。
 じゃあさっさと片付けろと言われそうだが、いい加減しげの後始末をするのにも疲れたのだ。そこまで全部私がやってたら、しげがウチですることなど何もないのである。昼間はしげ、寝てるかゲームしてるかだけだもんなあ。

 実は、フロの排水溝ももう何週間も詰まっていたのだが、フロのお湯が流せなくて困っていたので、今日やっと底を洗い流した。
 おお、排水溝のフタが白くなったぞ♪
 ……喜んでる場合じゃねーや。で、しげは結局なんにも家事をしないわけよ。汚い所を片付けるのはいつも、私。
 トイレ掃除なんかこの10年、しげがしたことなんて、数えるほどしかない。それも余りに放ったらかしてるので私が怒ってさせた時だけだ。気づいた時にちゃっちゃとやればたいした苦労は要らないのに、いつだって逃げてるんだから、人間として何かが欠けてると言わざるを得ない。
 家事しない分、バイトの金を家に入れるかというと、それもしない。全部、しげ本人の小遣いである。もう何ヶ月も前から「少しは家に金入れろ」って言ってるのに無視してるしなあ。
 これで家ん中でしげがエラソーにしてるのはどう考えても理不尽だ。
 でも叱っても叱っても次の日には忘れてるのである。だから脳みそが豆腐でできてるってんだよ。
 ウチが家庭円満でいいねえ、なんて勘違いしてる人は多いようだが、それは単に私が諦めてるだけだということです。
 ……家政婦さん雇った方がずっとマシだなあ。でもそんな余裕はないし、せめて台所くらいなんとかしてくれ(T_T)。

 で、そのしげからいきなりメールが来る。
 「小説今日中。頼むよ、もう!」
 劇団ホームページのリレー小説の催促である。ああ、またボケたかしげ。
 シメキリは明後日だってのに。


 いろいろ仕事は溜まっているが、なんとかちゃちゃっと片付けて定時に帰宅。 しげのバイト先の人から、今日の『フォークソング大全集2001』第三夜を録画してほしいと頼まれてたためだ。
 サムシングエルスのファンだってことらしいけど、私は全然知らない。この事実一つ取ってみても私とフォークが無縁であったことがよくわかる。
 アニソンとアイドルで充分世界が語れるというのに、軟弱なフォークなど聞いてられるかとか当時は思っていたのだな。
 今はもう、そんな偏見はなくなっているので、『オトナ帝国の逆襲』でフォークが立て続けに流れてきた時も素直に泣けたのだが、偏見が消えた分、その時々で気に入った曲をテキトーに買って聴くようになったので、ウチのCDライブラリーはクラシック、ジャズ、映画音楽からアイドルポップス、アニソンまで、実に脈絡がなくなっている。
 今日の番組を見ながらも思ったことであるが、日本中を探しても、村下孝蔵の『初恋』を、三田寛子バージョンの方がいいと思ってるのは私くらいのものであろう(^_^;)。
 あ、しかしベッツィ&クリスの『白い色は恋人の色』の映像が見られたのはうれしかった。発音が変だったからもしかしてと思っていたがやっばり外人だったのだなあ。


 ドラマ『R‐17』第3回、初めて見る。
 中谷美紀が『ケイゾク』の時みたいな惚けた役で出ているが、周りで起こる事件は教師と女生徒の爛れた愛だのドラッグ中毒だの、センセーショナリズムを全面に出しすぎていてウソっぽい。
 いや、そういうのが一つならいいけどね。詰め込み過ぎるとかえって白けるのよ。
 でも、「ドラッグと共存するのよ」と言う、ある登場人物のセリフには否定しきれない真実が含まれているのではないか。中島らもが「なんで日本じゃ毒性の強い煙草が認可されてて低い大麻が非認可なんだ」という意見についてはやや疑問があるものの、政府広報のような一般的なドラッグについての情報提供については、センセーショナリズムの方が先行しているように思うのである。
 いつだったか「ダメ、絶対」ってキャッチフレーズが出まわったことがあったが、あんなイメージのみで中身に乏しい、しかもイメージ操作としての力も貧弱というどうしょうもない標語もなかったと思う。
 実際、風邪薬でだって、トリップはできる。どんな薬だって、扱いようによっては危険だ。「ドラッグとの共存」は成人病に無縁な人間がいない現代においては、真剣に考えねばならぬ課題なのである。
 私もクスリがないと生きていけないカラダだし。
 ……いや、糖尿のクスリのことですからね。


 ZUBATさんのホームページが先月から開設されていることに、今日になってやっと気付く。
 しげがこっそりと「お気に入り」の中に登録していたのだ。あの野郎、全然教えてくれなかったんだものなあ。私にヒミツでいろいろとコトを運ぼうというクセはなんとかならないものか。
 私がしげに隠してる秘密など、アレとアレとアレとアレとアレとアレとアレとアレとアレとアレとアレとアレとアレとアレとアレとアレとアレとアレとアレとアレとアレとアレとアレとアレとアレとアレとアレくらいしかないというのに。


 マンガ、和田慎二『少女鮫』1巻読む。
 しげがいつの間にか古本屋で買ってきていたもの。
 和田慎二は絵で表現すべきところを言葉で解説しちゃう梶原一騎の悪癖をそのまま踏襲しちゃってるところがある。おかげでキャラクターのセリフがまるで生きてないのが気になっていたのだが、なぜか小さな女の子を描かせたときだけはチカラが入って傑作をモノにしちゃうんだよな(『アリス』シリーズとか。このロリコンめ)。
 そのためなのか、主人公のリョーコが女子高生である第1話はイマイチの出来だが、戦場編になるとリョーコの少女時代が描かれていて俄然面白くなる。
 と言ってもトンデモ的な面白さなんだけれども。
 どう考えても、ろプロの傭兵が、戦場に10歳の女の子を連れてくなんてことはしないわな。理由が「幸運の女神だから」って、プロが神頼みしてるなよ。これでよく部下が反乱を起こさなかったもんだ。
 でもこの程度のコート―ムケイは和田慎二の味でもあるので(要するに『スケバン刑事』の変形だ)、もしかして「少女傭兵」ジャンルってものの嚆矢になるかもしれん。
 あ、史実でもアチラの国の大富豪の娘が誘拐されて洗脳され、テロリストになったって事例があったな。なんて名前だったっけ?

 森博嗣『詩的私的ジャック』読む。
 普通の意味でのミステリィを書くつもりはないと言うことが解っているので、もう特に犯人アテをしようとはしない。
 一番怪しいやつが犯人に決まってるからだ(^o^)。
 もうこの人の作品について語るためには、トリックや犯人について触れざるを得ないと思っているので、これからあとの文は、本作を未見の人は読まないように。まあ森ミステリの場合は読んだって構いはしないとも思うけど、一応、世間には気にする人もいるので念のため。






















 以前から、森ミステリのシリーズ探偵、犀川創平はハンニバル・レクターに似ている、と思っていた。
 いや、それは『すべてがFになる』の間賀田四季博士だろう、と言われる人もあろうが、間賀田博士と犀川がポジとネガの関係にあると考えれば、やはり犀川もレクター博士の末裔であると言える。
 犀川とレクターの共通点は、世界に対して徹底して無関心であることだ。
 世の中には二つの種類の事柄しかない。
 解っていることと、解らないこと。
 あるいは、解っていると思っていることと解らないこと。
 つまり本当は、世の中にはたった一つの種類のことしかないのだ。
 解らないこと。
 だとしたら、人が何かに関心を持つことに意味があると言えるだろうか。本当は我々は何かに関心を持つフリをしているだけなのではないか。
 自ら動くコトをせず、クラリスや萌絵によって事件に巻き込まれるレクターや犀川は、そのことを自覚しているのだ。
 それでも事件に関わりを持ってしまう犀川にとって、一番興味を引かないのは犯人の「動機」である。
 人の本当の心など分らない。そんなモノに関心を持ったって仕方がない。
 人に関心を持ちたい人にとっては腹立たしいことだろうが、人の心が分らないのは事実である。そういう人種にとって、人の心を解明した気になっているミステリほど愚かしいものはあるまい。

 つまり、森ミステリは、もともとミステリを否定する主人公を主役に持ってきているのである。

 芥川龍之介の『藪の中』、坂口安吾の『顔のない犯人』、犯人も動機も解らないミステリの先駆作品はあったが、一応の結末をつけながら、「その結末自体に意味がない」と言ってのけるミステリは森作品をもって嚆矢とするであろう。

 本作の密室トリックも前作までと同様、実にチャチである。
 もちろん、それはワザとだ。ミステリそのものを否定するミステリに、リアリティのあるトリック、整合性のあるトリックなど逆に無意味だろう。現に、作者は犀川の口を借りて「密室なんてどうにでも作れる」と言わせている。
 つまり読者は、「密室がどのように構成されたか」と、従来のミステリならばメインの謎となったであろうトリックを解明しようと頭を痛める必要がないことになるのだ。
 だからこそ、セメントを利用した物理的な密室トリックは、あっという間に西之園萌絵によって、解かれてしまうのである。ワトソン役たる萌絵によって、というところが、この密室トリックがさして重要ではない、ということの暗示にもなっている。

 では、読者に提示された「謎」は本作にはないのか?
 ホームズ役(というか、人を食わないハンニバル・レクター)の犀川創平は、「なぜ無意味な密室が作られたのか?」と語るが、実に驚くべきことに、物語の5分の1ほどで、早々と本作のトリックが、ディクスン・カーが散々多用して批判された「密室のための密室」であると、彼によって説明されてしまうのだ。  
 古今東西のミステリを見ても、予め「なぜ犯人は無意味な密室のための密室を作ったのか?」なんて提示がされた謎があり得ただろうか?

 そして、それは、最終的に、4番目の殺人が、実は密室殺人ではないのに密室殺人だと錯覚させるための心理トリックだったということが説明される。そのことによって、犯人にはアリバイが成立する仕掛けになっているのだ。
 つまり高木彬光の『刺青殺人事件』の応用である。しかし、この応用の仕方には意味がない。そうやって作った4番目の密室モドキも、結局はトリックのためのトリックにすぎないからだ。

 森ミステリに拒否反応を示す人はそこで思うだろう。
 「トリックのためのトリック」を使う犯人なんてリアリティがないと。

 最後に犯人の動機が語られるが、恐らくマジメなミステリファンは更に激怒するだろう。
 最初の殺人は実は真犯人の妻の犯行だった。
 殺人犯の妻を持つことは潔癖症の犯人には許せなかった、だから殺したと。
 横溝正史『本陣殺人事件』の動機の応用である。
 もう真面目に読んでたらツッコミ入れて下さいと言わんばかりの説明である。しかも本作では、オソロシイことにそのような動機を暗示させる伏線、ヒントというものが事前に全く提示されていないのである。

 読者はまた思う。
 伏線張らずに謎と結末だけ提示するミステリなんてあり得るものかと。

 ……だからそこのミステリファンのみなさん、森作品はミステリでも推理小説でもないんですってば。
 パッケージに騙されてはいけない。この事件の犯人は、トリックのためのトリックが好きな人間で、殺人犯の妻を簡単に殺してしまう程度のメンタリティしか持たぬ人間なのである。
 そんなやつはもともと小説に描くに値するようなヤツではない。でも、そんな程度のヤツは現実にはいくらでもいるのである。
 人と葛藤することも知らず、短絡的に、しかし犯罪をカモフラージュする程度の知性はあるイビツな人間。
 そんなやつのことなど、理解出来るはずがない。謎が、そこにあるだけ。そして最後に「彼がやった」という事実だけが。
 だから、伏線も描けない。

 では森作品は純文学か? と言われれば、それも違う。
 強いて言えば、これは「伝奇小説」なのです。
 
 犀川創平が言うように、「要は幻想の有無」である。言葉は意味を伝えるためにある。しかし言葉で説明出来ることがどれだけあるだろう。結局は全て不可知の海に沈む。
 その事件の先に何があるか判らず、一応の解決をつけても結局は何も解ったことにはなっていない。純粋なリドル・ストーリー、それが森ミステリの正体なのだ。
 「伝奇小説」は未完をもって基本となすように。

 森ミステリを読むのもこれで5冊目。
 犀川と自分の共通点を感じるたびに苦笑いをせざるを得ない。こういう人間に無関心な人間は必然的に非道になってしまうものだが、犀川が犯罪者とならないのはひとえに西之園萌絵の存在による。
 で、私が犯罪者にならないでいられるのも……おっと、タイムアウトだ。余り誰かさんばかりを喜ばすことまで書いてやっても仕方ないのである。


2001年06月06日(水) フォークって民謡って意味なんだが/『メトロポリス』(手塚治虫)ほか

 体重、85.4キロのまま推移。
 全然つまんねーぞ、とみなさんもお思いだろうが、それは私も同じだ。
 先週、食事をかなり制限したせいか(なのに体重が変化していないが)貧血で倒れそうになったので、今週は食いすぎこそしていないが、きちんと食事をとるようにしている。
 それでも腹が減ってグーとなるのだ。決して食べすぎているわけではない。普通に食事するだけで太るってのは理不尽だ。きっとユ○ヤかフ○○メイ○ンの陰謀に違いない。


 新聞で社民党の辻本清美議員が小泉内閣批判。
 私はピー○○ートに乗っていた人間というものはどうかと思っているので(どう思ってるんだよ)、日頃のこの人の言動も「アイデンティティの基盤が薄い人だなあ」と思っていたのだが、やっぱりというか、あーあやっちゃったというか、「人気だけの政権は危険だ」と言い出しやがった。
 もちろん、人気だけの政権は危険である。従って小泉首相をヒトラーにたとえるのも故なしとは言えない。
 しかし人気のない政権はもっと危険なんだけど? 前の森政権の方がよかったとでもアンタは言いたいのかな? 政権の危険性は人気とは関係ないんだよ。
 人気がある分、小泉政権にはチェック機能が自然に働く。別に野党だけにそれが任されてるわけではないので、「今、社民党がやらなければ」なんて意気込んでもらわなくてもいい。
 結局、辻本さんの言ってることはただの揚げ足取りにしかなってない。
 記事によれば辻本さんとこには、脅迫メールみたいなのも届いてるようで、そのこと自体には私も憤りを覚えるが、それを言う前に自分の政治構想を先に語るべきじゃないのか。
 結局そんなもんがカケラもないから「イジメられてる」ことを主張することで反作用的に自己の正当性を訴えようとしているのだ。
 でもねえ、日頃のこの人の言動からは、どうにも「オッチョコチョイのあわてもの」というイメージしか浮かんで来ないんだけどねえ。言っちゃなんだが「苛められてもしかたがない」と思わせる要素がこの人にはあるのだ。社民党内でも大喜利の前の色モノ扱いされてる気がしてならない。

 エンピツ仲間の少女マンガ家、安奈さんが新しくHPを立ち上げているのを発見。
 ピンクで可愛らしくって、私のような中年オヤジが覗いているのは端から見たらさぞやキモいであろうと思われるほどである。
 ああ、私もHPを開設しようと準備してたのになあ。
 先を越されちゃったなあ、と言っても、私の作ろうとしてるHPは全然コンセプトが違うんで比較したってしかたがないんだが。
 ウチの日記もそろそろカウンターが4000に近づいてるってのに、HPの準備はストップしたままである。早いとこ原稿を揃えて開設せねば。

 マンガ、手塚治虫『メトロポリス』読み返す。
 初期作品であるために、稚拙で、お世辞にも面白いとは言えないが、それでもアニメ版よりプリミティブな魅力がある。
 「太陽黒点が増えている間だけ、ミッチィは生きられた」という設定、アニメ版では無視されていたが、こういう手塚マンガの核と言ってもいい設定をことごとく外している点がアニメ版をつまらなくしている最大の要素だろう。
 りんたろう、『火の鳥』作った時も手塚さんから「これは僕の『火の鳥』じゃないね」と酷評されてたのに結局同じ轍を踏んでるんだよなあ。
 ここで手塚治虫のキャラクターシステムというものについて考えてみたい。
 手塚治虫が自分のマンガのキャラクターを映画俳優になぞらえて何度も再使用するこの手法だが、果たしてマンガ的効果が高いと言えるだろうか。
 当たり前の話だが、他のマンガ家でこの手法を使っているものは非常に少ない。石森章太郎や永井豪が時折行うが、それでそのマンガが面白くなっているかというと考えものだ。
 俳優と違って、マンガのキャラクターはそのマンガの世界観と密接につながっている。例えばアトムはあくまでロボットであるし、ブラック・ジャックは医者なのである。それが他の手塚マンガにゲスト的に出た場合、極端な場合アトムが「人間」として描かれていると、余りにも違和感が生じてしまう。
 アセチレン・ランプ、ハム・エッグ、スカンク草井等の悪役に使いまわしが利くのは、彼らがステロタイプの悪役で無個性だからであって、それは『メトロポリス』のレッド公にも言えることだ。
 『メトロポリス』にはこれが初登場のレッド公とミッチィという二大キャラクターがいるのだが、レッド公がこのあと何度も役を変え、ある時は善玉、ある時は悪玉と幅広い役を演じるのに対し、ミッチィはこれ一作で消える。
 しかし、それはミッチィのキャラクターがこの『メトロポリス』世界観と不可分なためで、本来マンガのキャラクターはそうあるべきなのだ。
 私だってハム・エッグや丸首ブーンはご贔屓だけれど、キャラクターシステムには「ミスキャスト」だってあり得ることを忘れてはならない。で、手塚作品って、マンガもアニメもこのミスキャスト、やたらと多いのだよねえ。

 今回のアニメ版、アトラスは完全にミスだと思うが(だからロボットを人間にするなってば。途中まで実はロボットなのに人間のフリしてるのかと思ったぞ)他の手塚ファンはどう見るかな。

 マンガ、青山剛昌原案・太田勝と江古田探偵団まんが『名探偵コナン特別編』13巻。
 読みはしたがもう今更感想書くほどのことはないな。あっそうってなもんで。
 コナンに関してはここの推理が穴だらけとも言いたくないし。特別編で子供向けだからとは言え、少しはコナン以外のキャラクターも立ててほしいと思うけど。

 夜、テレビで久しぶりに『パワーパフガールズ』を見る。
 モジョがPPGのところにベビーシッター(のフリして世界征服の手伝いをさせ)にやってくるが、逆に降りまわされちゃう話。
 ああ、そうか、この三人、考えてみれば生まれたばかりなんだよなあ。通ってるところも小学校ってより幼稚園に近い感じだった。
 この子供にオトナが降りまわされるってコメディのパターンってのも古いよなあ。ルーツはチャップリンの『キッド』あたりか?
 親の留守中に子供が大暴れってんなら『トムとジェリー』にもそんな話があったなあ。

 NHK衛星第2、BSスペシャルで『日本フォークソング大全集』第2回見る。
 しまった、昨日第一回を見損ねた。
 でも実は私って、フォーク全盛期より若いんだよね。
 そりゃ確かにガロの『学生街の喫茶店』や平田隆夫とセルスターズ『ハチのムサシは死んだのさ』、ソルティーシュガー『走れコータロー』、フォーク・クルセイダーズ『帰ってきたヨッパライ』、はしだのりひことシューベルツ『風』、カルメンマキ『時には母のない子のように』、かまやつひろし『わが良き友よ』、ばんばひろふみ『「いちご白書」をもう一度』、風『22才の別れ』、かぐや姫『神田川』、みんな好きだったけど、特に入れこむほどじゃなかった。陽水には全く引っかからなかったし。基本的に70年代フォークってムサイ男が歌ってたもんだったから、小中学時には共感しようもなかったのだ。
 ぶっちゃけた話、高校の半ばくらいまではフォークより、アイドルに夢中だったのだな。
 ……だからアグネス・チャンと石野真子と薬師丸ひろ子が私の青春だったんだよう(T_T)。
 フォークをもうちっと熱心に聞くようになったのは、やっばり女の子の影響である。イルカの『名残り雪』もリアルタイムでは特に好きでなくて、親戚の女の子から「いいでしょ?」と言って聞かされたのが最初だった。で、付き合い始めた彼女もやっぱりイルカのファンでって、イルカとの縁が続く。
 でもそれも当然と言えば当然で、女の子の三人に一人はイルカのファンだった時代なのである。
 今じゃ考えられないよなあ。
 浜崎あゆみの女性ファンが今は多いようなもんかね? それにしてもなぜあのころあれほどイルカが流行っていたか、理由は謎だ。ともかくイルカのファンにあらずば女の子と話をすることもできなかったので、必然、聞くようになっていたのである。
 不純な動機だ(-_-;)。
 さらにその彼女の影響でNSP『夕暮れ時はさみしそう』とかマイペース『東京』とか谷山浩子『カントリー・ガール』なんてマイナーかつダークなフォークにまでどっぷり浸ることに(^_^;)。覚えてる人いるかな?
 でも最近のポップスって、アレンジはともかくメロディーラインはフォークっぽいものが増えてる気がするんだがなあ。時代は巡ってるんだろうか。

 同じくBSで映画『エイリアン』、シガニー・ウィーバーのインタビュー見る。
 「自分の望んだ役につけたためしがない」というのはホンネなんだろうな。にもかかわらずあれだけの熱演ができるというのはさすがだなあ。
 特に好みのタイプの女優さんではないのたが、気がついたら結構な本数の映画を見ていて、演じるタイプが全部違うのである。アメリカの岩下志麻って言ったらファンが怒るかな?(^^)


2001年06月05日(火) 一日本しか読んでません/『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』(長谷川町子)ほか

 今朝の身長40メートル、体重1万5千トン。
 つまんないジョークですみません。ここんとこダイエット状況にあまりにも変化がないもので、だんだんこっちもつまんなくなっているのである。
 便秘が続いていて85.4キロってことはもうチョイ痩せてるとは思うんだけど。
 こうなったら、巷に溢れるダイエット法をいろいろ試してみるべきかなあ。


 先日大塚英志さんの著書を読んで以来、昭和40年代の連合赤軍事件、日本赤軍事件に興味が沸いて、関連本をいろいろ読み漁っている。

 『一億人の昭和史』で、ようやく森恒夫の写真を見られたが、ちょっとヤクザな飯場のおっちゃん、という感じで、実は内心、岸田森をイメージしていた私は肩透かしを食らわされた。何となく「光クラブ」事件のような挫折のエリートってイメージ持ってたんだけど、根拠はなかったな。
 共産主義革命だの世界同時革命だの銃による殲滅戦だの、当時のムードに飲まれたとは言え、殆ど妄想の域に達している言動をとっていたんだから、知恵らしい知恵なんか持っちゃいないのは当然だったんだが、当時、子供心にも「革命」という言葉に理想的な響きを感じていた私は、たとえそれが残虐なリンチ事件を起こした犯人であったとしても、冷酷で狂気を孕んだ知性派であってほしい、と思っていたのだろう。
 私も危険なフィクションの中に生きてたんだなあ。

 『文藝春秋の昭和史』、重信房子の父、重信末夫氏の、娘を弁明した文が収録されている。
 このとっつぁま、井上日召の血盟団事件(団琢磨が殺されたヤツね)に参加して逮捕された経験のある人だったんだな。極右の娘が極左ってのも面白い、というかある意味当たり前過ぎる展開かな。
 「あたしはとうちゃんみたいにはならないわよ!」ってか?
 にもかかわらずこのとうちゃん、実に悪びれず堂々と娘のテロリズムを弁護しており、ある意味で清々しくさえある。
 家庭の貧困ゆえに娘を進学させられなかったことが娘が共闘して行く契機になった、と言っているが、でもそれって結局は「みんなビンボが悪いんや」と責任転嫁してるだけじゃん。ガキか。
 マスコミが自分たちの図式に合わせて事件を捻じ曲げて行くのは今に始まったこっちゃない。娘を「女の魅力でテロリストたちを操る毒婦」のように喧伝すしていることに対して、憤りを露わにしているが、それで娘のやった罪が相殺される訳じゃないんだがなあ。
 
 安岡章太郎『私の戦後史掘戞▲螢鵐岨人事件が戦時中の軍隊のシゴキによく似ている、としながらも、「殴り方のノウハウも知らない」と、なんだか「近頃の子供は集団で行動する機会が減ったために加減を知らなくなった」みたいな安っぽい論法を持ち出している。作家だから立派な分析ができるなんて思っちゃうのは権威主義的な発想なのだろうな。
 犯人たちが被害者たちについて「死ぬとは思わなかった」なんて言ってるのは、もちろんウソで、当然被害者を殺すつもりであったことは間違いない。
 だがここで興味深いのは、今言ったことと矛盾するが、この「殺すつもりはなかった」というのが、彼らの心理においてはウソではなかったのかもしれない、という可能性もあるからである。
 ここで「総括」という言葉がクローズアップされてくる。これが現実の「死」から意識を乖離させるために編み出された言葉だとしたらどうだろうか。
 と言うか、まさしくそれは事実なのであって、「総括」だからこそ彼らは仲間を死に至らしめることができたのである。「殺人」には抵抗あっても「死刑」は平気ってなもんだよねえ。
 彼らの悲劇は、そういったカリモノの革命思想に操られたまま、自分たちが洗脳されていることにも気付かず、自らの言葉を持とうとしなかった報いである。その意味で言えばまさしく戦時中の軍国思想と全く同じだ。
 ……そう言えばオウムも「ポア」って言ってたよな。言霊は現代でも生きているのだなあ。

 永田洋子『私、生きてます』を読んでも、その印象を新たにした。
 「私が仲間の女性を殺したのは私がブスでみんなが美人だからとマスコミは言ってますが、当時は女性の美はそれだけでブルジョアに通じるもので、共産主義革命を実現するためには否定しなければならないことだったからです」と弁解している。
 でもそれが即ち「私がブスだから美人のみんなを殺した」ってことなんだがな。
 結局言葉をすりかえることで、自分にウソをついてることから目を背けているのだなあ。
 誰ぞが言ってたな。
 「男はウソをつくが、女は自分がウソをついていることにすら気付いていない」って。
 吉行淳之介だったかな? でももとネタは『ハムレット』の「弱きものよ、汝の名は女なり」だな。
 あ、それと、永田洋子が少女マンガを模写していた、と大塚さんの本に書いてあったが、この自伝の中に収録されてたのは「みつはしちかこ」「ちばてつや」そしてなんと「友永和秀」(もちろん『名探偵ホームズ』などで知られるジブリ系のアニメーター。多分そうだと思うが、絵が歪んでるので、もしかしたら宮崎駿本人の絵の模写かもしれない)であった。
 誰が差し入れしてんだろうか。

 丁度、あの連合赤軍事件を扱った立松和平の『光の雨』が映画化されるそうである。
 もっとも映画はリンチ事件を「劇中劇」として描くそうだが。
 大塚さんの本の再出版も含めて、こういった一連の動きは、やっぱり重信房子の帰国の影響なのかな?
 

 で、ここらで赤軍から離れて(^^)。
 マンガ、長谷川町子『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』読む。
 『うちあけ話』、西日本新聞の連載を毎週楽しみに読んでたのももう20年以上前だよ。
 NHK朝の連続ドラマ『マー姉ちゃん』の原作で、主役のまり子が熊谷真美で、作者の町子役がこれが人気爆発のきっかけになった田中裕子で、『のらくろ』の田河水泡が、まるで似てねーぞふざけんじゃねえ、の愛川欣也で、と、今じゃ誰も覚えてないよなあ。
 基本的に連ドラは見ない私が、母親のススメもありはしたけれど、案外丹念に見ていた番組だったんだけど。
 更に言えば、作者ばかりでなく、サザエさん一家ももともと福岡人だってことももう知ってる人は少ないんだろうなあ。
 アニメのほうでも、たまに「九州の親戚」なんてのが出てくるだけだし。
 でも、長谷川町子が磯辺でサザエさん一家を思いついて、私も子供のころ毎年海水浴に出掛けていた百道の海岸は、今やホークスタウンだ。かつての面影まるでなし。
 だもんで、私ゃあまりホークスファンにはなりきれないのである。
 『似たもの一家』、サザエさんちのお隣に住む作家の「伊佐坂難物」さんちのマンガである。でもこれも古い。昭和24年だもんねえ。
 長男が甚六、長女がウキエってギャグも、もう若い人には解らないだろう。
 実際、いつだったか塩浦さんに「惣領の甚六」の解説してあげたこともあったような気がする。本人はもう忘れてるかもしれないが。
 伊佐坂先生のヒロポンを隣の子が遊びに来てうっかり飲んじゃった、なんて話も、今なら絶対描けないネタ。昔は誰でもヒロポンやってたって、ホントなんだなあ。いっぺん親父もやってたかどうか聞いてみようかな。
 
 マンガ、高橋留美子『うる星やつら 夫婦ゲンカ始末記』。
 あれ? 高橋留美子のインタビューがなくなってるぞ。1ページだけだったけどそれが楽しみで毎号買ってたのに何考えてやがる小学館。
 今回読み返して驚いたのは、あれだけ読みこんでた原作なのに、何話か、細かいところを忘れていたこと。
 ちょうど作者がスランプでつまんない話が続いてたころだったからだな。タヌキのO島なんて、気の抜けた話だったしなあ。
 でもこの直後、「竜之介」登場で『うる星』は第2の山を迎えるのである。

 日記の更新、さっさとすませたかったが、元気なく寝る。
 でも先週に比べればまだカラダは楽だ。
 もうひとふんばりしたいなあ、トシのこと忘れて(^_^;)。


2001年06月04日(月) Nobles oblige/『韃靼タイフーン』1・2巻(安彦良和)

 おお、今朝の体重は85.2キロ、順調に減ってきとるな。
 ……って、元の体重に戻ってきただけじゃん。そろそろいい加減、85のラインを切りたいんだがなあ。いったい何が足りないというのか。

 世間ではネパール国王一家惨殺事件がどうのと騒いでいるが、ここまで遠く離れた国だと、興味がわくわかない以前に、何をどう考えてよいのか、皆目、見当がつかない。
 何しろネパールなんて、スガオくん一家が引っ越してった先って知識しか私にゃない(^_^;)。

 「おまえ、世の中の知識って全部マンガから仕入れてるだろ」
 「えっ?! それ以外に学ぶものってあるんですか?!」
 はい、クイズです。このギャグ誰のギャグでしょう♪

 それはそれとして、文化的な背景の全く解らぬ国のことである。
 言っちゃなんだが、報道してるマスコミだって事件の猟奇性に引かれてニュースにしてるだけであって、別にネパールに詳しいわけでもなんでもないと思うわけだ。
 それが証拠に、新聞じゃネパールの王制について、日本のような象徴制だが政治的影響力はあると説明しているが、これ、意味がわかって読んでるやついるのか。
 象徴制なら政治的影響力があっちゃマズイだろう。
 コトバ自体に矛盾があるんで、これ一つ取ってみても、ネパール王の立場ってのが、日本人の考える「象徴」とは別の意味を持っているんじゃないかと推察される。
 で、推察されるだけでどんなものかはまるでニュースからじゃ解らんのだな。
 国王一族を、結婚に反対されたって理由で殺した新国王が自殺して、新新国王が即位して、「あれはただの銃の暴発だった」と発表して、新新国王が即位することに民衆が反対して治安が乱れてって……。
 え?
 いや、まず国王が新国王に殺されたってことは民衆はもう知ってるわけでしょ? それを今更「銃の暴発」のヒトコトでごまかせるとでも?(ネパールの王室ってバカ?)
 それに新新国王の即位になんで反対運動が起きるわけ? もともと王室にトラブルの火種でもあったの? 王位継承順ってのが決まってないのか? ほかに王位を継ぐべき人でもいるの? 
 何がどうなってそんな展開になるのか、日本的常識じゃ全く理解不能じゃないの。
 そういった文化的背景を説明しようとしないんじゃ、見てるほうは、へえ〜、ふ〜んで終わるしかないがな。
 ニュースは何を伝えたいのか?
 何も伝えたくはないのだろうな(^^ゞ)。

 でもイギリス王室と言い、「王族だって人間だい」というのが世界的な現実だとするなら、日本の天皇家のあの品行方正ぶりってのは何なんだろうね。もしかしたら奇跡に近いことではないのか。未来永劫そうだとは言わんが、少なくとも現在の天皇家において、今回のような事件が起きることは有り得まい。
 意外と知られちゃいない事実だけれど、昭和天皇、現天皇、皇太子と、結婚にあたっての周囲の(天皇家以外の)反対は確かにあったのだが、全て、本人たちの意志で押し切っているのである。
 もちろん、親の反対はない。常に「本気で好きならいいよ」である。
 ……解るかな? もし結婚の相手次第で皇位を捨てねばならぬ事態が生じるならそれも構わないと今の天皇家の人々は考えてさえいるのだよ。
 現実的にそれはなかなか難しいとしても、実は、世界で最もリベラルな王族であることは間違いないのだよなあ、日本の天皇家って。
 昔、お袋が、別に天皇礼賛主義者でも何でもなかったけど、「ああいう礼儀正しい人たちがいてくれるとホッとするよ」と言ってたのは確かに首肯できなくもないのである。
 オトモダチにするには気詰まりだけど、“象徴”ならまさしく納得ってところか(^^)。

 まあ、遠い国のことより、目下私がアタタ、と頭を痛めているのは、キャナルシティからのメガバンドール(ダイエー系列)の撤退である。
 確かに家電はヤマダ電器やコジマ電器で買うほうが安いし、スポーツ用品は私にゃ縁がないし、あそこで買うものってなかったんだけど、集客力が減って他のテナントにまで悪影響が出るのは困るのである。
 ましてやAMCが潰れるようなことになったらまた博多から映画館の灯が(+_+)。だから私ゃ天神東宝になんか行きたくないんだってば。
 ああ、でもてっきり潰れるのはリバレインの方が先と思っていたのに、キャナルが危なくなるとはなあ。

 仕事から帰ってひと寝入り。最近は二度寝しないと疲れが取れない。
 昨日も『アギト』を録画し損ねるし、『犬夜叉』もあまり熱心に見なくなったし、ちょっとエネルギーがダウンしているのは否めない。
 「最近見るアニメや特撮がないなあ」というコトバを吐く人は多いが、見る側のエネルギーがなくなってる場合の方が圧倒的に多いのである。
 枯淡の境地に辿りつくのも悪くはないが、20代でそれ言ってるやつはちょっと老けすぎてないかね。少なくとも『パワーパフガールズ』や『クレヨンしんちゃん』は毎週追っかけて見る価値はあるぞ。


 マンガ、安彦良和『韃靼タイフーン』1・2巻読む。
 安彦さんもすっかりアニメからご無沙汰してしまったが、書きたい作品が、「現代まで生き残っているアラハバキ党が、ロシアの世界征服戦略に対抗して、日本から孤立しながらもロマノフ王朝の末裔の姫を守ってゲリラ戦を繰り返す」なんてんじゃあ、アニメの企画が通るわきゃないよな。
 一応、北方民族を「アラハバキ」、ロシアを「ザバイカル」、アナスタシア姫はクローンと、少し設定を「緩和」してはいるものの、“問題”はてんこ盛りである。
 ザバイカルのトップはイっちゃってるヤツだし、「アラハバキは天皇家より古い」だの「北方領土返せ」だの、危ないセリフの乱れ撃ち(^_^;)。ちゃんと連載が続けられるのだろうかという不安が大だ。
 それにしても『韃靼タイフーン』とは凄い題名をつけたものである。「韃靼」というコトバも若い人には何のことか分らないだろうが、もともとバイカル以東に住むタタール人などのモンゴル系、トルコ系の遊牧民族を指す言葉だ。でも、安彦さんは「韃靼海峡」(間宮海峡)を視野に入れて、このタイトル付けてるんじゃないかって気がする。
 つまり、樺太からこっちの土地はもともとロシアの土地でも日本の土地でもなくアラハバキの……。
 さあ、果たして3巻は出るのかな?

 なんだかえらく固いマンガのように思われるかもしれないけど、安彦マンガ恒例のヌードシーンもちゃんとあるのでご安心を(^^)。
 セイラさん以来のお姫様キャラ、アナスタシアもいいけど、多分、安彦さんが初めてメガネっ娘をヒロインに据えたとおぼしき日出子ちゃんも萌えるぞ。ずっと制服で通してるところもよく解ってらっしゃる(^^)。


2001年06月03日(日) 全集員合(←解る人には解るね)/『だめだこりゃ』(いかりや長介)

 今朝の体重、85.4キロ。
 思わず胸をなでおろす。
 そうだよなあ、昨日のいきなりの87.0キロ、いくらなんでもそんなことあるはずないと思ってたけど、やっぱりメーター自体、イカレてたんだろうなあ。
 大したことなにもしてないのに一日で1.6キロも痩せるわきゃないわけだし、と、安堵の涙である。
 と言いつつ、今日のメーターの方が壊れてたんだったらどうしましょ(+_+)。

 FCOMEDYのオタアミ会議室、『メトロポリス』の感想がぼちぼち書きこまれている。
 しかも誰もアレを誉めようってヒトがいない。
 やっぱり言いだしっぺというか、勇み足のお調子モノが現われるのを、みなさん、手ぐすねして待っていたのだな(^^)。
 実際、まともな批評眼を持ってる人間だったら、いくら作画がよくたって(それにしたところで映画の表現としてみた場合、技術が先走るばかりで意足りず、といったレベルなのだが)、あの映画の出来が決して誉められたものではないということは判断がつくと思うのである。
 ダメな映画の見本みたいなもので、書きこみも実に具体的に『メトロポリス』のどこがどうダメなのか、客観的に分析している。
 仮にあれを誉めるってえと、「1+1が3になったっていいじゃないか」くらいのゴリ押しが必要になる。せめて「出来が悪いのはわかるんですけど、昔から大友さん好きなんで今回は勘弁してください」くらいの賛同者くらいはいるかな、と思っていたのだが、さすがにいくらオタアミのお歴々とは言え、アレを擁護する気にゃなれなかったのだろう。

 しかしである。世の中は広い。
 アレを誉める人が捜せばいるのですねえ。

 映画フォーラム、『メトロポリス』のオフィシャルサイト、大友克洋のファンページ、どちらかというと、このあたりの方々は賛否両論、いや、それどころか「ストーリーも作画もすばらしい!」と絶賛している御仁までおられるありさまである。
 基本的に私は、誰がどんな感想を抱こうが、それは別に構わないと思っているし、映画のイロハもわからぬやつがアレを褒め称えようが、まあ、我関せずをきめこんでりゃいいだけの話、と、鷹揚に構えていたのである。
 でもねえ、よく読んでみると、アレの賛同者って、やっぱただの信者なんだわ。
 手塚教、大友教、りんたろう教の信者。
 理論もへったくれもない。
 「アレの価値がわからぬやつはイカレてる」の一点張り。
 広義のカルト(「ダメ映画だけど好きだ!」)は映画の多様性を許容するもので、ファンシーンを活性化する働きがあるが、ほんまもんのカルトは始末に悪いだけだ。世界中のアニメーターたちが「ディズニーにあらずばアニメにあらず」の風潮を打ち壊していくのに半世紀をかけたことを忘れてはならない。
 大友やりんたろうごときが持ち上げられてカルトになっちゃったら、ほかのアニメが潰されちゃうぞ。
 まあ、これだけ百花繚乱たるアニメ大国の日本にあって、そこまでの事態に陥る心配はなかろうが(セルアニメ偏重というイビツさはあっても)、20年ほど前の一時期、SFファンの間で、平井和正が好きだと言っただけで「もしかしてオタク『幻魔』?」と揶揄されたごとく、「あんたオオトモ?」と言われるような状況になりつつあることを、かつて『童夢』の完結を一日千秋の思いで待ち続けた経験のある私は危惧するのである。

 ……そうだよう、好きだったんだよう、オオトモ(T_T)。なんでここまで落ちやがるんだよう。

 いいか、『アキラ』以降の大友しか知らない若きファンの諸君、今のオオトモは大友の皮をかぶった人間モドキだ。
 『童夢』を読め。
 『さよならニッポン』を読め。
 『気分はもう戦争』を読め。
 『ショートピース』を読め。
 『アキラ』が彼の最低作だということが理解できるだろう。
 日本のマンガシーンを塗り替えた「大友ショック」は、『アキラ』以前のことだったと、それはマンガ史に残る事実として、リアルタイムの体験者たちが正確に証言しておくべきことなのである。


 いかりや長介自伝『だめだこりゃ』読了。
 『8時だョ!全員集合』が視聴率40%を常時取りつづけるオバケ番組だったころには、あれが「東京の」笑いだとは殆ど認識していなかった。
 カトチャンは「スンズレイしました」のギャグで解る通り福島出身だったし、シムラの「東村山」だって関東ではあっても埼玉だ。
 いや、地方の笑い、というより全国区の笑い、という気がしていたのである。更に付け加えるなら、「東京の笑い」の代表は、そのころの私にとっては落語でありクレージーキャッツであったから。
 しかし、『全員集合』のギャグは、実の所、ほとんど「東京都墨田区出身」であるいかりや長介のイニシアチブのもとで創案されていたのである(もっともご先祖は新潟らしいが)。
 洗練された笑いにはほど遠い。
 ナマの勢いだけで見せている部分も多々あった。
 でも自伝を一読して、やはりあの番組は東京者の一徹さのもとに作り上げられていたのだなあと、思うに至った。
 プロデューサーの居作昌果(いづくりよしみ)が以前上梓した全員集合本と比較して読むと、『全員集合』が終了する際の事情が微妙に違う。
 居作氏は疲れの目立ついかりやさんにちょっと休んでもらうつもりだったという。しかしそれをいかりやさんは「肩たたき」と受け取った。
 居作氏は「あの時いかりやさんを引き止めるべきだった」と言い訳する。しかし、実際にはそれをしなかったのだから、ウソをついているのがどちらかは明白だ。
 いかりやさんは抗弁せずに身を引いた。それが江戸っ子(東京っ子?)というものなのだろう。

 この本の中に、いかりやさんの、いかにも東京っ子らしい、そして私の好きな文章が二箇所ある。
 プロローグの「注さんへ」の最後の部分。
 「これから、いろいろ記憶を辿っていこうとおもう。そうすれば、また荒井や時田(ジミー時田のこと)にも会えるだろう。」
 もう一つは、エピローグ、この本のシメの文章。
 「私の人生に残り時間がどれだけあるかはわからない。ただハッキリしていることは、これから先も『ザ・ドリフターズ』の名前の通り、漂流物のごとく、流され続けていくことだけだ。
 こんな人生があってもいいのだろう。」

 何年か前、同僚と「ドリフ」の話をしていて、調子に乗った私がドリフのギャグスケッチを十数個、舞台設定から人物配置、ストーリーの流れに至るまで、微に入り細に入り、ルーティーンの微妙な変化も含めて、立て続けに披露した時、「よく覚えてますね」と感心されたことがある。
 みんな「ちょっとだけよ」とか「カラスの勝手でしょ」とか、決めのセリフは覚えていても、スケッチの流れそのものは覚えていない人が多いのだ。
 「ドリフよりクレージーの方が面白い」というのが私の子供のころからの印象だったのだが、でもやっぱりドリフが好きだったんだと自覚させられた一瞬だった。

 今日は休日出勤だったのだが、仕事から帰って半日はひと寝入り、そのあと朝まで、更新し損なっていた日記を書きつづけて過ごした。
 読んだ本の感想くらいしか書くことないけど、こんなもんでカンベンしてください。


2001年06月02日(土) レトロポリス/アニメ映画『メトロポリス』(2001)

 体重が、体重が、87キロ〜(T_T)。
 だから野菜ばかり食ってんのにどうして太るんだよう。
 ズボンのベルトがだんだんしまってきてるから、痩せてるはずなのにどういうわけだ、やっぱり筋肉がついてきてるのか?

 土曜で半ドン、先週行き損ねたアニメ『メトロポリス』に行く約束をしていたのだが、帰宅してみるとやっぱりしげは寝ている。
 まあ、日記の更新が遅れているので、ギリギリまで寝かしといてやるかと、夜までひたすら日記を書く。古い分になると、もう一週間くらい時間が経っているので、思い出すだけで時間がかかるのだ。やれやれ。

 さすがにそろそろ起こさねばと、7時過ぎにしげを起こす。
 多分人気がなくてすぐに打ちきりだろうから、今日あたり行かないと前売券がもったいないのだ。
 そうまでして、天神東宝まで自転車をかっ飛ばして見にいった結果はどうかと言うと……。
 ちょっとトサカに来て思わずオタアミ会議室に書きこみをしたので、それをちょっと転載。
 いや、なんというか、同じような内容を二度書く元気がなくて。



 会議室のみなさま、こんにちは。藤原敬之です。

 公開一週間が過ぎたってのに、だ〜れも話題にしないな〜、もしかしたらつまんないのかな〜。
 でもあの『メトロポリス』を21世紀に蘇えらせようってんだし、作画監督が『メモル』『ムーミン』『天たま』『お勢』の名倉靖博だし、まあ、脚本が大友の、監督がりんたろうのと、不安材料はどかんとあるんだけど、全然楽しめないってことはないんじゃないかな〜、そう思って見に行ったんですが……。




















 うわあ、これほど誉めるところのないアニメを見たのは『プロ野球を100倍楽しむ方法』以来だ。
 ともかくどこからどう貶していいか分らないくらいにひどい。

 とりあえず脚本から行きますけどね、手塚原作がこのままでは映画にならないと考えたことは一応理解できる。
 でもだからって、新たに付け加えた設定やキャラクターに説得力がないんじゃまるで無意味だ。『スプリガン』の時にも思ったけれど、根本的にドラマツルギーってものを理解してないんじゃないのか大友克洋。
 原作のミッチィにあたるティマ、こいつが登場するまでがともかく長くてタルい。丸首ブーン大統領とレッド公の政治的駆け引きだの、ヒゲオヤジ探偵のロートン博士探索だの、人間対ロボットの確執だの、背景を説明したくなるのは解るけどね、盛りこみすぎて整理がついていない。手塚流のキャラクターシステムの使いすぎなんだよねえ。
 なのに、原作にある「おそらくいつかは人間も発達しすぎた科学のためにかえって自分を滅ぼしてしまうのではないだろうか?」というセリフを述べるベル博士を省いたのは、あまりに説明的過ぎるからということなのかもしれないが、その分余計な設定を加えてしまって結局説明過多になってるのは、言ってみれば自家中毒。
 ヒゲオヤジの捜査に協力するロボット刑事や、革命を狙っている地下組織(『罪と罰』からの流用?)の存在など、思わせぶりに登場させといて、あっという間に消してしまう。これじゃドラマに殆ど寄与しない。
 『未来少年コナン』を見習えとは言わんが、「都市」を描くのなら、民衆の存在を早々と消してしまうのは矛盾だろうに。ラングの『メトロポリス』だって民衆は最後までいたぞ。「引く」技術を知らないのか。
 主人公のケンイチの行動原理も不明瞭。
 というか、殆ど主体的な行動をしないし、何も考えてないような印象しかない。
 ティマに逢って、照れて、ロックに追われて、レッド公にとっ捕まって、メトロポリスの崩壊とともにティマを失って、それでどこが主人公だ。
 そのティマを失うあたりも、前提となる彼女との心の交流が充分に描かれてないために、何ひとつ感動を呼ばない。
 おい、ケンイチ、おまえ、言葉も満足に喋れないティマと出会って、その正体をちったあ疑問に思うことは無かったのか。
 ティマが人間ではないと知って、ショックを感じたり迷ったりすることはなかったのか。
 新人の脚本家だって、主人公の心の葛藤を描かなきゃならないってことは知ってるのに、ケンイチについてはそんな感情が全く描かれない。
 おい大友、乗り越えるべき障碍を描かなくて、観客がキャラやドラマに感情移入できると思っとんのか、コラ。

 ああ、だめだ。
 脚本のアラ書きたてるだけで長文になってしまう。
 りんたろうのアホ演出ぶりまで書いてたらキリがない。

 こんなアホ映画について書き込みするのは時間の無駄かもしれないですけどね〜、この映画、女房誘って見に行ったおかげでね〜、「手塚で大友でりんたろうで何を期待したの」って散々言われて夫婦喧嘩になっちまってね〜、その恨みをつい吐き出したくなっちゃったんですよう(T_T)。
 私怨でどうもすみません。
 ネタバレ改行したにもかかわらずここまで読まれて、まだなお見に行ってやろうと考えてるお方がいらしたら、せめてパートナー同伴では行かないのが身のためとご忠告させていただきます。
 ……言わなくてもみなさん、クソつまんねーって事前情報を知ってらしたんでしょ、通のかたばかりでしょうから。うじうじ(ーー;)。



 ああ、文章が上ずってるなあ。
 しげとケンカしたって書いてるけど、これマジで、帰りがけに「これからどうする?」「帰るよ!」となんとも些細なケンカ。
 これで離婚にでも発展してたら、私、大友刺しに行っちゃうよ。
 まあそういう佐野善左衛門みたいなことはしないけど、オタアミに書かなかったりんたろうのアホ演出について少しだけ補足。

 例えばアクションシーン、ケンイチがティマを連れて逃げる所、いわゆる「追っかけ」なんだけど、ここでまずりんたろう、銃を取り出すロックと、逃げようとするケンイチをスローモーションで描くのね。ここまではいい。つまりこれは果たしてその銃口から逃げられるかどうか、気を持たせる演出なんだから。
 でも、そのあと、弾をよけたなら、後は一気呵成にスピードアップして逃走劇に突入しなけりゃいけない。
 けど、二人のタテになって撃たれたロボットのフィフィ(原作にも出てくるけどデザイン的には『火の鳥宇宙編』のロビタに近い)が出てきて動きが止まる。そしていきなり画面が超ロングになるのね。二人がメトロポリスのどこを逃げてるか見えないくらいに。
 追っかけをロングで描くなどと言うアホな演出を私は初めて見たぞ。
 移動撮影が困難だった昔、例えば『隠し砦の三悪人』で黒澤明がカメラを複数台直線に配置して次々と馬で追いかける三船を捉えるような苦労をしていたことをりんたろうは知らないのか。
 いや、せめて『カリオストロの城』くらい見て勉強しろよ。
 りんたろう、今回は手塚っぽくしないために「虫プロ」系のアニメーターを外したと言ってたが、なんで平気でそんな嘘つくかな。マッドハウスは立派な虫プロ系でないの。
 演技のつけ方もタルいわりに手を振りまわしたり背筋を反らしたりというオーバーアクト、つまりディズニーの悪影響を受けっぱなしの虫プロ系演技のまんまだ。こんなんで感動できるやつの鑑賞眼は、はっきり言って最低である。

 ティマは可愛かったんだけどねえ。
 初めはケンイチをどう誘うのか、天使か悪魔かどっちかって雰囲気があって。でもデザインがよくても、脚本と作画と演出の三つが三つともアホじゃどうにもならないのであった。

 しげとケンカしたので、寝たのは午前4時(仲直りに時間がかかるのよ)。
 二時間しか眠れなかった。明日は休日出勤だってのにもう(+_+)。


2001年06月01日(金) あえて美人殺しの汚名をきて/『「彼女たち」の連合赤軍』(大塚英志)

 ううう、書きたくはないが書かねばならぬ。

 今朝の体重86.0キロ……(T_T)。

 なんで一日で1キロも太るかなあ、これはきっと便秘だ、便秘のせいなのよ、おなかに溜まった宿便を全部ひり出せばきっと痩せるのだわ〜。

 汚い話ですみません。
 なんというか、この栄養を全て体重に還元してくれる中年太りのカラダが恨めしい……。


 ここしばらく体はダルイは、目眩で頭はクラクラするは、ふらつきながら仕事をしていたが、今日は比較的楽。でも睡眠を取っても取っても疲れが取れずに昼間眠くなるというのはどういうわけかと思っていたら、いかりや長介自伝『だめだこりゃ』の中に「ピックウィック症候群」とあるのを発見。
 なんでも肥満等で睡眠中の気道が確保できないために慢性的な睡眠不足に陥って、居眠りしてしまう病気らしい。高木ブーが稽古中でも居眠りしていたのはその病気のせいだというのだ。
 特徴は断続的なイビキ。激しいイビキをするかと思ったら、途中、無呼吸状態になることもあるという。

 オレじゃん(・・;)。

 いや、勝手に自分は何の病気だなんて決めつけたがるのはみっともない。
 自分のナマケグセを病気のせいにして逃げているみたいだ。でもホントに病気だったらどうしようかなあ。もう罹ってる病気が多過ぎて覚えきれないのだが。


 大塚英志『「彼女たち」の連合赤軍 サブカルチャーと戦後民主主義』読む。
 1972年、あさま山荘事件、というより一連の連合赤軍事件当時、多分私は事件の一連の首謀者たる森恒夫と永田洋子の写真も見ていたはずだ。
 しかしあれからおよそ30年、さて、彼らがどんな顔をしていたのかどうにも思い出せない。
 興味本意と言われればそれまでだが、私には彼らの顔がどうにも気になる事情があった。
 一般に、あの連合赤軍内部での「総括」事件は、思想統制を図るための粛清であったと思われている。しかし最初の犠牲者たる遠山美枝子を追いこんでいく永田洋子の詰問は以下のようなものだった。

 「あなたはなぜここに来たの?」
 「なぜって、軍事訓練に来ました」
 「違うのよ、あなた自身がどんな気持ちで来たかと言うことよ」
 「私は(中略)革命戦士になる必要を理解したから……」
 「あなたは自分のことを何も語っていない。なんであなたは山に来たの」
 「何を言えばいいの?」
 (中略)
 「それじゃ聞くけど、なんで朝、化粧をしていたの?」
 「……」
 「山に来て、どうして化粧をする必要があるの?」

 つまり、「化粧をしている→戦士としての自覚がない→総括」という極めて短絡的な思考の流れの果てに遠山は殺害されたことになる。
 あるいは予め永田らには遠山たちを殺害したい理由が別にあり、この論法はその口実として使われただけだ、という説もある。
 永田洋子は不美人であった。だから美人だったほかの女たちを殺したのだと。それが真実だとすれば古今未曾有と言われたあの事件、結局は「痴情のもつれ」と同じレベルのものに過ぎないということになる。

 真実はどうあれ、私が引っかかってしまったのは、この永田の詰問のしかたが、私自身が論争の相手を詰問する方法と酷似していたからだ。

 「君はこの件について、なぜこのような判断を下したのですか」
 「○○○だからです」
 「それは理由としては非論理的で根拠がありません」
 「あなたは私に何を言わせたいのですか?」
 「あなたの説明した理由と行動の間には矛盾があります。その理由を説明してください」

 この詰問のしかたのどこがズルイかと言うと、「人間は矛盾した行動しか取れない」「人間はそんなにものを考えて行動しているわけではない」という誰もが持ってる弱点にツッコミを入れている点である。
 このやり方で論争に負けることはまずない。
 では向こうが同じ論法で攻めてきた時にはどうすればいいかというと、「前提となる基本認識が異なっている」あるいは「あなたの言いたいことの意味がわかりません」と論点をずらせばいいのだ。

 で、この卑怯な手段を私に仕込んだのが誰かと言うと、他ならぬ私の母親だったりするのだ。しかもウチの母親が更に卑怯だったのは、そんな卑怯な手段で他人を言い負かしていたくせに「私は間違ったことは言わない(から論争にも負けない)」と断言していたことだ。

 子は親の鑑である。
 しげが私との口ゲンカで常に負け続けるのも、こんな親に育てられた男とつれあいになった運命のなせるワザだと思ってもらいたい。

 で、気になって調べてみた永田洋子の写真だが、ちょっとお袋に似ていた。
 美人ではないかもしれないが、不美人かどうかというのも主観だろう。大塚が「美人」と言った重信房子の若いころの写真も見たが、これも美人か不美人かは時代の雰囲気に左右されているような気がする。
 月並みな言いかただが、彼ら彼女らの反社会的活動は、やはり時代に躍らされていただけではないのか。

 冗談はさておき、安保闘争以来の一連の学生運動の過激化は、幼いころの私にはどうにも理解のできないことだったが、テレビで東大の立てこもりを見ていた時も、ハイジャックやあさま山荘事件を見ていた時も、私の父の感想は一言、「バカ」であった。
 父は彼らよりひと回り上の世代ではあったが、戦後の社会主義革命思想に対しては、ある種のシンパシーを感じていたのだと思う。方法には賛同できないが、理念には、と言ったようなものなのかもしれない。
 しかし、彼らの内実がそういった理念とは縁遠い、ただの嫉妬などの感情の発露にすぎなかったことを知ったら、いったい父はどう思うだろうか。何しろかつて彼らを「バカ」呼ばわりした父は、今や「あのころの学生のほうがエネルギーがあったね」と言って憚らないからである。
 それって、オウムやバスジャック犯を擁護するのと変わらないってことに気付いてるか? 親父よ。

 大塚英志は、永田洋子が少女漫画風のイラストを描いていることから始めて、80年代のフェミニズムと、サブカルチャーとしてのフェミニズムを対照させながら、それぞれの「危うさ」について警鐘する。
 確かに「君ってキレイだよ」の一言すら言わせぬ女性の性を封印するかのようなフェミニズムは狂信的といえるし、萩尾望都や大島弓子ら、24年組のマンガが女性の性を否定しつつ発展してきたことは事実であろうが、それをいっしょくたにしてしまう論法にはかなり無理がないか。
 大塚はマスコミが永田の犯罪を不美人ゆえの嫉妬に収斂させていくことを批判しているが、実際、その通りである可能性の方が高いと思うがどうか。
 更には「宮崎勤事件」の、「オウム真理教事件」の、サブカルチャーが生み出したと言っても構わぬ事件について、その「矮小さ」について「分りやすい」と言いながらも「笑い飛ばせない困難さ」があると、矛盾したもの言いをしてしまっていることを大塚はどう考えているのか。
 その程度の分析なら、彼らを「バカ」と言い切りつつ、「エネルギーがあった」と評価してしまう私の父と実は同レベルなのである。
 連合赤軍事件の犯人たちや、オウム真理教事件の犯人たちについて、分析を施してやること自体、彼らを甘やかしてしまう大塚の日本的で単純な「母性」に他ならない。
 大塚は気付いていないかもしれないが、傍目にはそれはとても「気持ち悪いこと」なのである。
 多分大塚は、一つ時代が違えば、あるいはきっかけさえあったなら、彼らの中に名を連ねた可能性があったことに対して自分自身を許したいのだ。『多重人格探偵サイコ』の残酷描写も、自己弁護、自己正当化のためだったかと思うとやや興醒めである。

 大塚もまたコミュニケーション不全症候群のオタクなのである。
 「常にぼくの関心は<矮小>なる者の歴史化に向けられる」とする大塚の意見は、一見オタク擁護のように見えて、自分をその歴史の中に含めようとしない点においてただの差別化である。
 「オレはオタクだ!」と叫んだ後でないと、まともに大塚の言説を受けとめる者は、少なくとも彼が擁護しつつ甘えようとするオタクの中からは現われないと思われるがどうであろうか。

 ああ、今、気がついたが、つかこうへいの『熱海殺人事件』(初稿ね)、「ブス殺し」ってところ、連合赤軍事件の暗喩だったんだなあ。


 仕事から帰宅してみると鈴邑君夫妻(ふなちゃんも入れるのなら、親子、あるいはご家族と呼ぶべきか)がウチに来ている。
 仕事の都合でパソコンが使えないので、リレー小説の第1回、ウチのパソコンを使って書き込んでいるのだ。
 うーむ、第1回を読むかぎりでは普通のラブロマンスにもファンタジーにもホラーにもできそうな雰囲気である。果たして2回目のしげがどうつなげてくれるか。

 ついでに晩飯もご一緒しようと、鈴邑君の車で、井尻のMKに向かう。
 先週キズのついた鈴邑君の車だが、愛上さんの話によれば、翌日すぐに修繕に行ったとかで、見た目キレイになっている。
 「ああ、修繕したんだね」
 と鈴邑君に声をかけると、
 「え? 何のことですか?」
 と、トボケる。
 私のほうが呆気に取られていると、愛上さん、
 「傷つけたことは記憶から抹消してるんです」
 と耳打ち。
 鈴邑君、結構プライド高いのだなあ。

 で、しゃぶしゃぶの食い放題。鍋が二つなので、鈴邑君としげ、愛上さんと私がペア。まるでス○○○ングのようだが(こらこら)、これにはちゃんと理由があるのだ。
 鈴邑君としげの二人は肉好きと言えば聞こえはいいが、徹底的な野菜嫌いなのである。野菜を勧めても「食べた」と言って、実はエノキしか食っていない。後はひたすら肉、肉、肉である。
 愛上さんにふなちゃん、私はもっぱら卵に野菜に豆腐なので、1時間もすると、向こうの鍋のスープは、表面に分厚い油の層ができていてどんよりと黒く、こちらの鍋は未だに澄んだ色である。
 こういう食べ方は人間としてどうかと思うが。

 食事の後、本屋とマルショクに寄って買い物。
 マルショクでついに「ゴジラ名鑑」、残りの『初代ゴジラ』と『ゴジラVSデストロイア』を購入。ああ、これで四体全部そろったわけだけど、せっかくこれだけ造形がよいのだから、今度の新作に合わせて、『大戦争ゴジ』や『ミレゴジ』も出してくれないかなあ。
 前に買って破損していた『ゴジラVSデストロイア』、やっぱりしげが落として壊してたようだが、新しく手に入れたことだし、今度だけは許してやろう。
 もう二度と「フィギュアなんて集めるな」なんて言うなよ。

 帰宅は10時。
 くたびれ果てていたので、帰宅するなり日記も書けず、散歩にも出られず爆睡。明日の体重が心配だなあ。



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藤原敬之(ふじわら・けいし)