無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年03月31日(土) 藤村俊二はよかったけれど/舞台『ラ・テラス』ほか

 わああ、ね、寝過ごしちまった。
 起きたのが八時過ぎ、『幻のペンフレンド2001』の最終回、せっかく再放送やってたのに録り損ねちまった。仕方がないので途中からテレビにかじりついて見る。
 『六番目の小夜子』を見た後だと、どうしても見劣りがしてしまうのはいたしかたないか。『小夜子』の出来がよかったのが、NHKにしては稀有であったのである(こらこら)。ドラマはやはり時代との関連無しには語れない。「学校の怪談」を巧みにドラマの中に組みこんだ『小夜子』に比べて、「ネットが人間とアンドロイドをすりかえて人類を支配しようとしている」という設定はどうしても70年代の名残にしか思われない設定なのである。さらにはキャラクターの配置も今一つで、後半、主人公とアンドロイドの少女以外のキャラクターの存在感がどんどん希薄になっていったのが痛い。ラスト、敵基地の突入の時、ほかのキャラが邪魔にしかなっていないのだ。
 それにラスボスがひさうちみちおってのはいったい何を考えているのか。黒板にイラストまで描きだしたときには頭抱えちまったぜ。裏ボスにエビスが出てくるんじゃないかと一瞬、妄想しちまったよ。
 全体的に間延びした印象を受けたのは、そう長くもない原作を12回連続に引き伸ばしたせいだろう。

 『マンガジンマガジンvol.2 江川達也』読む。
 良かれ悪しかれ、江川達也というマンガ家はマジメな人である。江川さんには明確な社会認識、教育観、人間観というものがあり、児童向けマンガであろうが、エロマンガであろうが、それを打ち出そうとする。
 マイナー作品ならそれはそれで70年代マンガ風で悪くもないんだろうけれど、メジャー作品でそれをやれば、読者の反発を食らうのは当たり前だ。マンガで説教を聞きたいヤツはそうそういない。
 『タルるーとくん』と『DEADMAN』くらいしかまともに江川作品を読んだことのない私が言うのもなんなんだが、もともと江川さんの絵がアピールする読者層というのは非常に狭い範囲に限定されていると思うのだ。ヒロインはかわいらしい顔、スレンダーなボディで、でもチチだきゃデカい。これに引っかかってくるヤツって、はっきり言えばラブコメ(清純系とエロ系の中間あたりの)好きなオタク連中だよね。で、なぜ江川さんはそういう客をターゲットにしておきながら「教育論」をぶち上げるのか。
 かと言って、コチコチの本当にクソマジメな教育家に江川さんが受けがいいかというと、それも違うのである。現行の教育システムを完全否定する江川さんの意見が受け入れられるはずがない。
 言ってみれば、江川さんは釣り上げられた魚に向かって「なんで釣られたんだよ、馬鹿だな」と言っている釣り人みたいなものだ。そりゃ、魚にしてみりゃ腹立つわなあ。いくら江川さんが「洗脳されるな、自分の頭で考えろ」と言ったちころで、オタクも教育家も、さらにはそれ以外の読者も、みんな「考える」ためにマンガを読んでるやつなど殆どいない。「洗脳されることで安楽な位置にいたい」ことを無意識に選択している連中に向かって、どんな言葉が通じるというのか。江川さんの立っている位置は本当に江川さんしかいないところなのだ。
 少なくとも田島陽子と本気で言い争うのはやめた方がいいと思うがなあ。

 女房の夢の話。
 五月に東京に行く予定なのだが、当日の朝、飛行機に乗り遅れた夢だそうだ。
 当日、どういうわけか私と別行動をとり、買い物をしていた女房、気がついたら出発30分前、慌てて自転車をかっ飛ばすけれど、カードを持っていないことに気がついて万事休す、東京のこうたろうくんからも「それ見たことか」とわらわれるという、なんだかなあ、な夢。
 基本的に強迫神経症なんだよなあ、女房のヤツ。

 夜、メルパルクホールでジャン・クロード・カリエールの『ラ・テラス』を塩浦ご夫妻と一緒に見る。
 あの『小間使の日記』の、『欲望のあいまいな対象』の、『ブリキの太鼓』の、『存在の耐えられない軽さ』のジャン・クロード・カリエールですよ。ちったあ期待しようってもんじゃないですか。なのに……。
 つまんないぞ。
 原因は脚本ではない。役者と演出だ。役者はセリフを覚えて喋ってるだけで、役をまるでつかんでいない。女房が辛辣にも「みんな所詮小劇場あがりじゃん」と言ってのけたが、実際、その通りだ。
 脚本を頭の中で反芻し、別の演出プランを構築してみて、これが上質の不条理劇であるということに気づいた。不条理劇を演じる役者が何に気をつけねばならないかというと、自分の立っている位置が、実は現実とずれたところにあることを意識しなければならないということだ。それができなきゃ、そこで何が行われているのか、客に伝わりはしないのだ。
 離婚寸前の夫婦の部屋にやってくる謎の訪問者たち、不動産屋の女、傍若無人な中年男、若い色男のスケコマシ、ボケた将軍とその若い妻の織り成す群像劇。……って、私も似たような芝居以前書いてたな。
 端的に言って、不条理劇がハッピーエンドになることは絶対にないのね。彼らは殆ど最後にはこの「テラス」を去って行くのだけれど、妙な余韻を残そうとする演出は、脚本家も役者もホンが読めていないことの証拠だ。ラストは、脚本では残された二人が「時間はたっぷりある」なんてセリフを未だにはきつづけている不気味なムードで終わってるのに、なぜか演出はほのぼのムード。何を考えているのだ?
 翻訳劇を日本の舞台に移すのは本来不可能に近い。『屋根の上のバイオリン弾き』がおもしろかったのは、森繁久彌が無理にテヴィエを演じようとせず、あくまで「森繁久弥」を押しとおしたからで、それくらいの開き直りがなきゃ舞台は映えない。カリエールの『小間使の日記』を昔、吉行和子の一人芝居で見たことがあったけど、これも役を自分のものにしきれていない、つまらない芝居だった。
 今回の舞台で唯一よかったのは藤村俊二の「将軍」である。藤村さんは少しも無理をしていない。そこにいるのが紛れもなく藤村俊二であるために、カリエールはどこかにすっ飛んじゃってるんだけど、それでいいのだ(ほかの人たちは自分が演じられるはずもない役を演じようとして失敗している)。滑って倒れてソファーでそのまま寝てしまうベタなギャグで笑いをとるって、芸がないと出来ないよ。やはり鍛えられてた芸人さんは強いよなあ。
 今回の芝居、昔の友達も出てるんで悪口あまり言いたくないんだけど、もっといい役者で見たかったなあ。

 ロイヤルホストで四人で食事。
 塩浦さん、大学の単位を二つも落としたとかで、しばらく劇団の役者は無理のよう。これからは小倉に行ったっきり、アパート住まいでDVDもパソコンもない生活になりそうだとか。でも学生はいつだって時間はあっても貧乏なものである。貧乏の中でしかつかめないものもあるし(なんなんだ)まああまり道を踏み外さないようにしてもらいたいものである(^^)。就職はまだ3年先、しばらくはウチの劇団も戦力が落ちることになりそうだが、それはそれでなんとかしていくしかないな。


2001年03月30日(金) シラフでも酔える夜/『怪奇探偵小説傑作選2 横溝正史集/面影双紙』

 全く日記とは関係ないが、『幻のペンフレンド2001』のOP、「日比谷っ日比谷っ」て歌ってるように聞こえるんだが、耳がおかしいのだろうか。
 ……「日比谷」と「渋谷」の違いが分らないってネタもよく聞くけど最初に言い出したのは誰だったかなあ。

 朝は上天気だったのに、昼から大雨。先日コケた時の痛みがまだ取れていないので、通勤にはタクシーを利用。散財だなあ。
 「雨でもなんでも自転車で行くくせに」
 と女房から言われるが、そこまで無理したことはない。
 だいたい女房は、車で行けば「もったいない」と言うし、自転車で行けば「危ない」と言うのだ。脳の中身が矛盾だらけだと、要求内容が矛盾してても平気なのだな。
 「今日はどうして雨が降るって分ったの?」と聞かれたので「天気予報」と答えると、「なんだ、予知したのかと思った」と言われる。
 わしゃエスパーか。超能力の存在を完全否定するつもりはないが、SFに登場するようなご都合主義的なクレアボワイアンスの実在は眉唾だなあ、と思っているので、女房がしょっちゅう私を予知能力者扱いするのには、正直参ってはいるのである。
 確かに私は女房が考えていることを先読みして行動することはよくあるが、それは別に私にとんでもない能力が備わっているからでは決してない。……十年も一緒にのたくってりゃ、女房が何考えてるかくらい少しは分ろうってものだ。ただ、あまり見え透いた態度を女房がとる時には、ははあ、こいつは分らせようとやってるな、と気づいてノってやらないこともよくあるが。

 ちくま文庫『怪奇探偵小説傑作選2 横溝正史集』、斜め読み。
 一人の作家の作品を網羅して読むことなどは不可能に近いが、横溝正史に関しては8割は果たしているように思う。何しろあの昭和40、50年代の横溝ブームの時に出版された角川文庫だけでなく、春陽堂文庫の『人形佐七捕物帳』ほか、全集収録のエッセイに至るまで、目に付くものはたいてい読み尽くしているからである。後は『佐七』に改作される以前の原型となった『朝顔金太』などの捕物帖作品などが残ってはいるが、古本屋めぐりをしてもそうそう読むことはできなさそうだから、「入手可能なものは全て」読んだと言い直したほうがいいかも。
 今回の選集も全部読んでる作品ではあるけど、高木彬光の解題が載っていたので買った。殆ど誉め殺しのような、かえって読書欲を殺ぐような駄文なんだが、横溝正史の初期作品についてまとまった批評を行っているものは少ないのである。その意味では貴重な文章だろう。「恐るべき名作」「珠玉にもたとうべき一篇の美しい散文詩」「愛誦おくあたわざる傑作」だの、何かを語っているようで何も語ってはいない。ミステリはネタバラシができない分、批評や解説が難しいのだが、それにしても適当な美辞麗句を並べてりゃいいってもんでもあるまい。しかし、実はこの作家は何を誉めるにしてもこの調子なので、ひねくれたファンは高木さんの文章のヘタレ加減を味わいとして読むという……作者のファンが聞いたら激怒するかな。いや、悪気はありません、つい本音を言ってしまいました(^^)。

 ZUBATさんが鹿児島から来福されるので、エロの冒険者さんから「迎撃会」(なんちゅーネーミングじゃ)のお誘いを受ける。
 もちろん女房ともども喜んでホイホイと参加することにして、アクロス福岡の前で8時に待ち合わせ。来られたのはエロさんZUBATさんぴんでんさん、ほかにもあと何名かいらっしゃるはずだったらしいのだが、どうやらエロさんが「3月30日」を「4月30日」と連絡したらしく、いつまで待ってもお見えにならない。
 仕方なく集まった面子だけで中洲の居酒屋へ(店の名前忘れた)。
 ZUBATさんの来福の主な目的は『ギャラクシークエスト』鑑賞だったりするので、いやあ、リキ入ってるなあ、と感心してたのだが、予想通り、話は思いきり盛りあがる。
 エロさんが「なんであんな傑作が単館上映なんだあ!」と叫ぶと、ZUBATさんが「元ネタわかんないと受けないでしょう」と応酬、エロさんさらに「いやそんなことはない、『スタトレ』の名前を出さない方がヒットする」と反論。何気ないやりとりのようだが、お二人とも「オタクじゃなきゃ、あの作品の『本当の面白さ』はわかんないだろう」という認識については共通しているのである。……これまでの人生でオタクであるがために、どれほどの偏見と迫害を受けてきたかが偲ばれるなあ。
 最近のヘタレな映画についても話題が及ぶ。
 エロさんはもう長いこと海外のクソのようなSF映画を見続けてきたために、「これは見なくてもよい」というカンが働くようになったそうである。で『ミッション・トゥ・マーズ』や『アンブレイカブル』も見にいかなかったとか。ZUBATさんから「でも面白い映画を見たいという気持ちと、どれだけダメか確かめたいという気持ちと、両方ありますよね」とネタを振られてとしまったが、その昔『ゴジラ』シリーズの中では『オール怪獣大進撃』が一番好きだった私には何も言えないのであった(^_^;)。
 「こないだCSで『宇宙からのメッセージ』と『さよならジュピター』と『ガンヘッド』の三本立てやっててさあ、いやがらせかと思ったよ」というエロさんの話を聞きながらも内心思っていたのは、そもそも日本SF映画に傑作はないということであった。海外にはあるのかと言うとそれも疑問なんだけど。……スタージョンの法則は正しいよなあ。
 ぴんでんさんの話も凄く面白かったのだが、あまりにアチラに走っていたのでちょっとここには危なくて書けない。ただ一つ言えることは、ぴんでんさんの話に一番受けていたのが女房であるということである。
 話の内容、解ってて笑ってるのかなあ、と思っていたら、女房、
 「○○行ったことないから……」
 行けるか、アホウ(-_-;)。
 その後、カラオケになだれこんで、みなさんしたたか酔いながらも2時間熱唱。エロさんから「有久さん、オタク的自分と一般的な世間との折り合いつけるのうまい方でしょう」という意味のことを聞かれたが、勤務先が勤務先なだけに、それもなかなか難しいのである。
 もともと受け答えが得意な方ではないので、いろんな話題に対応できるようにと自分なりに濫読していたつもりではいた。なのにそれらの知識が私の勤務先の人々の間では人間関係の潤滑油として一切役に立たないのである。ま、考えてみりゃオタク的知識とか雑学的知識ってのははっきり「常識」と対立するもんだからな。世間ってのは基本的に「常識」以外の知識を必要としてはいないのだなあと、このごろはつくづく感じてしまっている。
 その点、ZUBATさんも仰ってたが、AIQつながりのみなさんとは「何の説明もせずに会話が出来るなんていいなあ」なのであった。

 帰宅は午前3時。さすがに疲れ果てていて、そのまま日記も書かずにバタンと寝る。外はまだ小雨そぼ降る寒さが身に染みるホドであったが、みなさんあれだけしこたま酔っていながら風邪引かなかったであろうか。女房はカルピスサワーを都合7、8杯は飲み干していたが2時間もすればケロリとしている。……化け物か。 


2001年03月29日(木) 血の収穫/ドラマ『六番目の小夜子』ほか

 1ヶ月くらい前から、やたら鼻血が出るようになったのだが、今朝もどうした拍子にか、鼻血が出て止まらなくなってしまった。
 以前医者に行ったときに貰った「ソーク」という鼻薬を射して、横になる。鼻腔の血管を収縮させる働きがある薬だそうだが、鼻血だけでなく鼻水も全て止めてしまうので、使ったあと頭が重くなるのが欠点だが、好き嫌いは言っていられない。
 女房が「脳から血が出てるんだよ。医者に行きなよ」と再三言うのだが、もうここ数年血尿やら下血やらで血を見るのには慣れているので、もう鼻血くらいでは驚かなくなっている。どうせ検査してもらったって、なにか手立てがとれるわけではないんだろうなあ、と思うと、出かける気にもなれないのである。
 普通、尿や弁が血まみれだったら、人は周章狼狽、右往左往するものだろう。私も初めはそうだった。ところが医者に何度尋ねても、「体質ですね」の一言ですまされ、「治療法は?」と恐る恐る聞いたら「水をたくさん飲んでください」で終わりじゃあ、何のために医者にかかった意味があるんじゃい、と言いたくもなるのである。
 でも私が死ぬときゃ死因はやっぱり脳溢血なんだろうなあ。

 DVD『明日への追跡』見る。
 昭和51年なんて、ついこの間じゃないか、なんて感覚になっちゃってるのも、トシを取った証拠なんだろうな。
 でも、光瀬龍の原作も読んでるし、キャストの顔にも見覚えはあるのに、ストーリーの方はコロリと忘れているのである。まあ、地球に移住しようとした宇宙人が、中学校に生徒のふりして潜入するうちに、地球人の少年との間に友情がうまれるという、ありふれていて記憶に残りそうにもない話ではあるんだけど。
 さりげなく「番地名が違っているのに裏で繋がっている二つの家」、という江戸川乱歩が散々使っていたトリックが出てくる。区画整理がデタラメな東京だけの現象かと思っていたら、舞台は鎌倉。全国各地にそういうところはあるのかもしれないが、ミステリのトリックとしてはこれ、少々アンフェアな気がしないでもない。
 宇宙人同士の争い、一方が「金持ちの恥知らず」で、もう一方が「貧乏だけど誠実」という余りにも社会主義的な図式の設定に思わず笑う。宇宙人もマルクスを読んでるのか。こういうところにもまだまだ「戦後」は生き残っていたのだなあ。
 女房が「昔の中学生って、みんなこんなに老けてたの?」と聞く。まあ俳優だから必ずしも当時モノホンの中学生ってわけでもなかったんだろうけど、ヒロインの斎藤とも子などは劇中では中二という設定だったのに、実際には中学一年であった。……確かに老け顔かなあ。
 しかし当時は私も中学2年だったが、テレビの中学生たちと自分たちとの間に違和感は全く感じなかった。今の子供たちの方が、スタイルはよくなったかもしれないが、顔は童顔が増えたということなのではないのか。脳に栄養が行き届いてないせいかも、なんてことはあまり言いたくないけど(もう言っとるがな)。

 DVD『六番目の小夜子』6話〜12話(完結)、やっと見終わる。
 うーん、見終わった感想を一言で言えば「学園青春友情ドラマちょっとオカルト風味」って感じかなあ。「サスペンスホラー」というキャッチフレーズとは微妙にズレてる。
 ラストが今一つすっきりしないのもどうもねえ。いくつかの事件の犯人はわかったものの、オカルティックな現象についての解明は「分らない」の一言で済ましたまま。あえてそうしているのは分るんだけど、それが必ずしも「余韻」に繋がっていかないのが残念なのだ。
 謎が謎のままで終わってもそれは構わないんだけど、それを登場人物が気にしている描写くらいはないと、結局は視聴者に不満を抱かせるだけになる。これは脚本段階でのミスなんだろうな。
 それでも本作が『愛の詩』シリーズ中、というより『少年ドラマシリーズ』中、屈指の傑作であることに間違いはない。映像、音楽、演技、それぞれの要素が見る物をぐいぐいその世界の中に引きこんでいく手腕は、旧『少年ドラマシリーズ』を遥かに凌駕する。……子役の演技力ってのも向上したんだなあ。古尾谷雅人や多岐川由美、富士真佐美といったベテランの中で、少しも引けを取ってないのだもの。栗山千明なんか、『死国』のころは一本調子で少しもいいと思わなかったんだけどな。私的には特に美人とも感じなかったんだけど、だんだん「いいな」と思えてくるのは単純なことだけど、ちゃんと普段の「表情」をつけさせているからなんだよねえ。
 ホラーをホラーとして成立させるためには、役者にただ沈痛な表情さえさせてりゃいいってものでもない。普段の顔と恐怖の顔、そのコントラストをハッキリさせる必要があるのである。

 夜、ようやく鼻血も止まる。血が抜けた分、血を補給せねばと『ロイヤルホスト』で食事。割引券があるので、少し安くすむ。
 本屋で、星里もちる『危険がウォーキング』新装版全3巻を見つける。既にコミックスを持ってはいるんだけど、新作書き下ろしの帯に惹かれて3巻だけ買う。
 最近、星里さんの作品はドロドロと救いのない話が多くてちょっとイヤだったんだが、久しぶりの新作は、少しもそんな気配がなく、ひたすら明るく元気である。パパがずっと着ぐるみ着たまんまなギャグも健在だし。こういうの、少年誌でもっと描いてくれないかなあ。

 ホームページのために今日はLD『飛びだす冒険映画 赤影』を見ながらメモをとる。殆どがテレビシリーズからの流用なのだが、新撮部分もあり、天津敏さんも再び甲賀幻妖斉を演じている。でもやはりセリフにどんな字をあてたらいいかが分らない。でも「忍法風水陣」って、これ以外の字は思いつかないよなあ。


2001年03月28日(水) 悪役NO.1/映画『隠密剣士』/『名探偵コナン 科学トリックBOOK』ほか

 今日は仕事は休み、午前中は昨日の日記の手直しをしていた。
 夕べは夜が遅く、寝惚けながら書いていたので、文意が通らないところも多かった。おかげで全部訂正し終わるまで、結構時間がかかってしまう。過去の日記を丹念に読んでくれる読者もそう多くはないと思うが、一回書いちゃったやつだからもういいや、という気にはなかなかなれないのである。
 読者のみなさま、誤植、あるいは意味不明な箇所を発見なさいましたら、遠慮なくご指摘下さいませ。ツッコミももちろんOKでございます。

 ホームページの原稿の資料として、ビデオ『隠密剣士』劇場版を見る。
 テレビシリーズの映画版だが、テレビに引き続いて、私が一番好きな悪役俳優の天津敏さんが甲賀竜四郎役で出演している。
 好きな俳優を取り上げようと思った時に、先ず真っ先に思い浮かんだのが天津敏さんだった。当初の予定では、当然、天津さんの全出演作品リストを作ろうと思っていた。でも、ちょっとネットを検索しただけでもそれこそ星の数ほどの膨大な作品が紹介されているのだ。しかも、そのどれもが完全に網羅してはいない。
 映画だけでなくテレビ作品まで確認しようとしたら、完成はいったい何10年先になるだろうか、というのが現状なのである。
 でもただ単に映画を見た感想を述べるだけなら、わざわざコーナーを作るまでもない。必要なのは(誰にとってだ)データである。というわけでリスト作りは後にまわして、とりあえず一作一作のキャスト・スタッフ解説を記録していこうと思ったのだが……。
 それだけのことでも、やっぱりうまくいかないのよ。
 字幕見ればそんなの一目瞭然だと思うかもしれないけどね、役名までは書いてないじゃない。
 そりゃ主要キャストは誰が何の役やってるかなんて一目瞭然だけどさ、伊賀十三忍と甲賀十三忍の一人一人、顔と役者の名前覚えてるほど映画に詳しいわけじゃないのよ、私は。かろうじて鬼目道斎を演じてたのが大前鈞だなあくらいは解ったんだけどさ。それにその「オニメドウサイ」ってのがホントにそんな漢字を当てるんだか保証はない。宇佐美淳也が演じてた「ドンカイ和尚」って、字は「呑海」でいいのか。更に言えば歴史考証もデタラメ。松平定信がいるってことは寛政の改革の真っ最中なんだろうけど、「将軍は幼少」って、そのころ家斉は一応若いとはいえ十代だ。それに忍者の黒幕の尾張ヨシチカって誰だ。そんな人間、尾張家にゃいないぞ。
 ああ、しかしこうしてホームページ立ち上げることになると知ってれば、ファミリー劇場のテレビ版『隠密剣士』(こちらは風魔小太郎役)も全話録画しとくんだった。
 あと、天津さんが甲賀幻妖斉を演じた『仮面の忍者赤影』と、鉄羅漢玄竜を演じた『水戸黄門・第五部』は絶対リストからは外せない。でも前者はともかく、後者はDVD発売の可能性はないしなあ。通販で傑作選が出てるのは知ってるけど完全収録じゃないと買っても意味ないしなあ。どうすりゃいいんだ。
 とりあえず、あと『飛び出す冒険映画 赤影』のリストは作ろうと思うけど。

 マンガ、鈴木由美子『クソババアに花束を』2巻(完結)。これもいつの間にか女房が買ってた本。
 「白鳥麗子」もそうだけど、絵柄は好きでもないのに、読むと泣かされる。かといって名作だとは言いたくないんだけど。特に今回、老人ボケを題材にしてるせいもあって、泣いたあと、どうにも後味が悪い。つまりは「こんなきれい事で終わるものか」という思いと「きれいごとで終わらせたい」という思いが同時に心のうちに起こってしまうからなのです。
 例えばウチの親父がボケ老人になっちゃったら、やっぱりどこかの施設に入れざるを得ないし、それは私がトシをとった場合でも同じです。……誰だろうね、日本じゃ子が年取った親の面倒を見るのが当たり前、なんてとぼけたこと言ってたやつは。可能か不可能か、現実見てから言えってば。それなのに施設に親を入れる子を人非人のように扱う風潮が未だにあるものなあ。
 何で女房が鈴木さんを買って読んでるのか今一つ解らん。どっちかというとこんなのは嫌いなタイプのように思ってたんだが。

 青山剛昌・太田勝と江古田探偵団『名探偵コナン・科学トリックBOOK」。
 「名探偵コナンが作品中のトリックで使われている科学原理を簡単で面白い実験や身近な現象をもとに解説!」って本だけど、まあ、「虹はどうして出来るか?」という小学生レベルのものばかり。昔、読んでた「○年の科学」とかを思い出したな。
 でもだから退屈ってことはない。実験は好きだったし。「炎を消す空気砲」なんて今でも作ってみたいぞ。
 『コナン』にどうして科学トリックが多いかと思ったら、青山さんのご兄弟が医者に科学者だからなんだな。『金田一少年』よりレベルが高かった理由はそのおかげか。『コナン』対『金田一』の争いは、結果的にアニメもマンガも『コナン』のほうに軍配が上がったみたいだけど、創作の姿勢自体に差があったように思えてならない。

 フルタの『百鬼夜行』シリーズ第2弾、なかなかモノが集まらない。売ってる店が少ない上に同じ物ばかり置いてあるのだ。キャナルの「ラ・ブーン」で、箱から出して全シリーズを揃えて売っているのだが、定価の二倍以上の値段をつけている。揃いのセットなんか、9体で9800円だ。元値は1個300円だというのに、ボリやがって。さすがにそこまでして揃えたいとは思わないので、全部揃わなくても仕方ないかなあ、とチビチビ買っている。
 更には洒井ゆうじ造形の「ゴジラ名鑑」まで買い始めたから、ちょっと女房のツノが気になり始めているのである。でも『ゴジラVSデストロイア』のジオラマ、五センチほどの高さしかないのにディテールが実に細かいのである。パッケージで見ると初代ゴジラは国会議事堂、キンゴジは流氷、モスゴジは埋立地と、名場面のツボを抑えているのがいい。これは四体だけだし、全部揃えるのは楽だと思っていたのに、どこへ行ってもほとんど売り切れで「デスゴジ」しか残っていない。怪獣ファン、ちょっと好みがハッキリしすぎてないか。


2001年03月27日(火) 今日も伏字、明日も伏字/『トランジスタにヴィーナス』2巻(竹本泉)ほか

 年度末で仕事がゴタゴタしてくる。
 どれくらいゴタゴタしてたかというと、○○○○○○○○○、○○○○○○○○○○○、○○○○○○○○○○○○○○○○○。○○○○○○、○○○○○○○○○○○○○、○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○。○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○、○○○○○○○○○。
 ……なんだかホントに戦時中の検閲みたいだな。戦後民主主義の最大の罪は、自分たちが戦前とは形を変えただけのファシズムを標榜しているのだという自覚を、本人たちから取っ払ってしまった点にあると思う。
 この伏字は「自主規制」という形をとっちゃいるけど、ストレートに書けば必ずファシストたちの目の敵にされてしまうのだ。具体的になにかを書かずとも、2001年という時代に、どれだけの既知外どもが跳梁跋扈していたかの証拠になろう。

 サッポロビール記念館『ビールのポスター』見る。
 戦前までビールのポスターはたいてい手描きの絵で、写真は殆ど使われなかった……というのは知ってたが、実際にその絵を見てみると、他にいろいろと気がつくこともある。例えば、その絵のモデルさん。
 絵だから、完全にオリジナルのキャラクターかというとそうではなくて、殆どが写真を模写したようなリアルな和服美人、しかも映画女優のスチールあたりを勝手に使ったと思しいものばかりなのである。著作権とか気にならない時代だったんだろうけど、面白いのは、「ニセものだからちょっと違う」という感じで、微妙に変えてあるところなんだよね。
 最も初期の1915年ごろのポスター、顔を見る限り、それは栗島すみ子だったり(知ってるかな? 日本初のアイドル女優であり、芥川龍之介の小説に出てくるくらい古い人です)、山田五十鈴(ホントに長いよな、芸歴)だったりするのだ。しかも、よく見ると、胴体と顔の向きがあってなかったり、比率があってなかったりする。つまりこれ、もともと胴体の絵と、顔の絵と別物だったのを、合体させて作ってるんだね。80年前のアイコラかい(^^)。唐沢さんの『キッチュの花園』で取り上げてもいいようなネタだよなあ。
 惜しいのは、この本を編集したのがオタクだったらもっと面白かったのにな、ということである。ポスターをただ収録してるだけで、少しも解説もツッコミもつけていない。……自社商品にツッコミはつけんか(^^)。でも一言くらいコメントが欲しかった。
 初期のポスターの中には、でっかいビール瓶に寄り添って立つセミヌードの女性が描かれているものが一枚だけあるのだが、後書きを読むと、「当時どのような反響を巻き起こしたか、記録されていないのが残念である」と、ちょっと編集者の本音が出てるところが微笑ましい。
 「ミュンヘンビール」のポスターなんて、外人の子供がビール飲んでたなあ。これまさか、子供でも飲める酒って意味なのか?

 光文社から『山田風太郎ミステリ傑作選』として、文庫シリーズ全10巻が刊行され始めた。風太郎ファンとしてはこれはもう買うっきゃないのだが、代表作はたいてい読んでいるのである。
 第1巻の『眼中の悪魔』、もうウチに何冊あることやら。昔、江戸川乱歩が「うちには『陰獣』が何冊あるか分らない」と言ったとかいう話だが、似たような状況の本はウチにもたくさんある。長編の場合はあまり重ならずにすむが、中短編は編集のしかたによってどうしてもダブリが出てしまうのである。それだけ評価が高い作品だということだから、ファンに取っては嬉しいことじゃあるんだけど。
 『眼中の悪魔』もそうだが、『黄色い下宿人』のような無駄のない短編を三十になったばかりの年齢で書けるというのは凄い才能だ。風太郎ミステリのファンは忍法帖シリーズを馬鹿にし、忍法帖ファンは風太郎の本格ミステリ作家としての才能を無視する傾向があるが、この二者の幅の広さこそが、風太郎の面白さの本質なのである。
 名探偵もののパスティーシュは数多いが、『黄色い下宿人』はその中でもベストに数えてよいくらいである。ホームズ失敗談って設定、熱心なシャーロキアンは嫌うかもしれないが、これくらい上等な出来映えなら満足するんじゃないだろうか。やっぱ「ジュージューブ氏」が最高っスよ(^^)。残念なことに、その面白さは日本人にしか解りそうにないんだけどね。昔、栗本薫のエッセイでこの作品の存在を知って、懸命に探したけどどうしても見つけることが出来ず、旺文社文庫の『虚像淫楽』に収録されたときに狂喜したこともあったなあ。

 『SF Japan』2号、マンガと対談だけ先に読む。
 マンガ、伊藤伸平『天使の微笑み 悪魔の頭脳』、女マッド・サイエンティストものだが、SF雑誌に載るギャグマンガって、どうしてこう吾妻ひでおの亜流になっちゃうのかな。横山えいじしかり、とり・みきしかり。で、みんなマイナー作家のコースを突っ走っちゃうとこまで同じだ。いいのか? それで。
 あさりよしとおやあろひろしはも少しメジャーかもと思ってたが、だんだん仲間になってきた感じだな。唐沢なをきは『スピリッツ』に書いてる限りは安泰であろう。
 いや、マイナーが悪いってことじゃなく、マイナーのくせに亜流になっちゃまずいだろう、ということだ。オリジナリティのないマイナーはただのクズだし。
 で、もう一本の森脇真末味の『ナビゲーターから一言』はフレドリック・ブラウンと。ということは藤子・F・不二雄か。SFギャグでこの二つのパターン以外のものも見てみたい気はするが。諸星大二郎の『ど次元物語』みたいなものとかね。
 上遠野浩平と三雲岳斗の対談、若手のホープ(うぷぷ)同士の激烈バトル……という感じにはならない。私より五、六歳年下なんだな、この二人。イマドキの若い人たちは大人しいねえ。
 確かに上遠野さんも三雲さんも、私より若いのによくSFを読んでいる(というか、私が読んでないだけなんだが)。でもなにか違和感を感じるのは、上遠野さんが「ジャンルとか歴史なんてどうでもいい」と言いながら、「SF」に拘っているという矛盾である。なんだか、第一オタク世代にどうしてもかなわない第二世代のオタクが、仕方なく否定的言辞を用いてるんだけれども、それが結局は自分のコンプレックスを顕在化させることになってしまってるって感じがするんだよな。
 「『ペパーミントの魔術師』は、ヴォネガットの『猫のゆりかご』」……って言われても、どこがどうそうなんだかよく分らないなあ。ただ、「乗り越えようとする意識がないから過去の作品が使える」と上遠野さんが言ってるのは、明確に自己欺瞞である。「乗り越えられないからパクってるのだ」という第三者が見れば明らかな事実に気づいてないのだな。ちょっと上遠野さんにガッカリした。
 読者にSF史を遡って本を読まねばならない義務はないが、作家が過去の作品に敬意を払うことをしないのは、ただの怠慢だと思うけどなあ。

 帰宅すると女房が珍しく買い物をしている。でも買ってきていたのはインスタントラーメン。
 「おカネないから」とトボケたことを言う。「お金を使いたくないから」だろう、この守銭奴め。
 買い忘れている本があるので、本屋に行くことにする。女房は仕事で行けないので、また僻む。
 「どうせおいしいもの食べるんでしょ」
 何を食べたか解らないのが気に入らないらしい。なら解るようにしてやろうと、本屋を回ったあと、女房のバイト先のリンガーハットに行く。
 仕事中だから親しげに会話するわけにもいかない。何気なく太めん皿うどんを注文し、さりげなく、ほーら、この本買ったよーと見せびらかすつもりでテーブルの上に表紙がわかるようにして、竹本泉の『トランジスタにヴィーナス』2巻を置いた(さりげなくもなんともないがな)。
 すると、料理を運んできた女房が、ボソッと「それ、もう買った」と言う。あっ、こいつはまた本を買って私に隠していたのだ。ウチでは私と女房がお互いに同じ本を買ってしまうことがよくあるのだが、それを避けるために出来るだけ行動をともにし、私が本を買った時は「これとこれは買ったよ」と必ず報告しているのに。
 それでもダブリが出るのは、100%、原因は女房にあるのである。買ってきてそのまま本の存在自体を忘れてしまうのだが、どうしてそんなことが可能なのか。この鶏頭め。
 で、普段はケチ臭い女房が、こういうムダ遣いをした時だけはテメエを棚に上げて「気が合うからいいじゃん」と言い訳するのである。別にお前と気なんかあってねーや、ボケが。女房について私はよく「人間としてどうかと思う」というが、これは「性格」よりむしろ「能力」のことを差して言っているのである。

 『ヴィーナス』、1巻の設定を忘れてたけど、23世紀で男女間はおろか、女同士、兄弟間の恋愛もほとんどタブーのない時代になっていたのね。実際にヒトゲノムの読み取りが進んで、遺伝的に障碍者の生まれる危険がなくなれば、近親婚だって別に問題はなくなる……はずなんだけど、そうはなかなかなるまいな。結局、これってただの因習だし。
 ヒロインのイーナス、1巻に比べて胸がどんどん大きくなっていてセクシー。胸の位置をちょっと下に描くので、日本人的で意外とリアルなのだ。ちょっとタレ気味なとこまで(^^)。竹本さんのマンガが少しずつアダルトになっていくのは嬉しい限りだけど、バストトップを絶対描かないあたり、何となく脱ぎそで脱がない元アイドル歌手のような印象を持ってしまうのは私だけだろうか。竹本泉のファンって、「脱がせ」派と「脱がすな」派にはっきり分れていそうな気がするが、率直な意見を聞いてみたいものである。
 え? 私はどうかって? やだなあ、解ってるくせに。

 録画してた『仮面ライダーアギト』、今週分を見る。
 翔一の秘密を知っていたらしい女が何者かに殺害されるという、ちょっとベタベタな展開。犯人は翔一か? って、んなわけないじゃん。前にも書いたが、いっそのことホントに翔一が人殺しってことにしちゃえばいいのに。こうありきたりな設定が続くってのは、早くも「中だるみ」してきた感じなのかなあ。
 アギトとギルスとG3のドラマが交互に現れるのはいいのだが、それぞれの接点が未だに出て来ないのである。……もう1クール経とうってのに、いくらなんでも引き過ぎじゃないのか。

 LDで『ガス人間第一号」を見返す。『サトラレ』を見たためだが、若いころの八千草薫って、本気で震えるくらい美しかったのだなあ。
 実はウチの親父も八千草薫のファンだったりするのだが、親子の趣味はやはり似るのだろうか。もっとも親父が『ガス人間』見に行ったとも思えんが。
 昔、どんなシチュエーションだったかは忘れたが、お袋が親父に「あんたは八千草薫みたいなタイプがいいんだろう」とヤキモチ焼いて膝をつねったりしてたのを思い出した。お袋も女だったのだなあ。


2001年03月26日(月) アカデミーよりラズベリー/『幽霊暗殺者』(赤川次郎)/ほか

 朝から通院。
 実は今の病院、今日で最後にして、次からは父の勧める別の病院に変わるつもりなのだが、主治医にそのことは言わない。今日だってもう行かなくったっていいのだが、診断書を貰わねばならぬのでそうもいかないのである。
 待ち時間に『週刊文春』をまとめて読むのが習慣だったのだが、それも出来なくなるなあ。新しいとこ、確か『文春』は置いてなかったし。
 小林信彦の連載『人生は五十一から』と、ナンシー関の『テレビ消灯時間』だけは必ず読んでいたのに。

 マリリン・モンローに関して、小林さん、「モンロー伝説が始まったのは死後だ」と語っているが、何を今更。そんなことは別に小林さんが改めて語らんでもちょっと映画史を齧ったことのある人間なら誰でも知っている。全くの映画初心者である若者に向かって語っているのだとしたら、マリリン・モンローの名前すら知るまい。誰に向かって書いてるんだか分らん文章になっているのだ。
 若くして死んだ俳優が伝説化するのは当たり前の話だし、「現役時は大した評価はされてなかった」のはジェームス・ディーンだって同じだろう。逆に「当時の感覚」から離れて映画を見られる現代の方が、より客観的にモンローを評価できる面もあると思うのである。
 モンローをアメリカ史上最高の女優だとは思わないが、「セックスアピールだけでなく、演技力もあった」という評価に対して、小林さんほど「それはただの神話だ」と異議を唱える気にもなれない。「モンローの最高傑作は『お熱いのがお好き』だ」という意見にはちょっと賛成してもいいけど。

 新聞で「ゴールデン・ラズベリー賞」の報道。
 知らない人のために解説。これ、アカデミー賞の前日に、有志が集まって前年の「サイテー映画」を選んじゃうというものなのだ。こういうシャレが通じるところがアメリカのいいところ。日本じゃ本気で怒り出すヤツの方が多いだろうからなあ。で、受賞作は『バトルフィールド・アース』、主演サイテー賞も本作主演のジョン・トラヴォルタ。おお、オスカーとラズビーの両方を手にしたのだな。もっとも、ラズビー授賞式に出るとも思えんが。女優賞はマドンナ。彼女は昨年、「20世紀サイテー女優」にも選ばれたが、新世紀ももしかしたら受賞して「二世紀に渡るサイテー女優」のレッテルを貼られるかもしれない。めでたいことだ(^^)。
 ちなみに「アカデミー賞」の方は下馬評通り『グラディエーター』に決まったようである。でも見てないからコメントのしようがねーや。

 『柳川屋』で定番の「櫃まぶし」を2ヶ月ぶりに食べる。しばらくこれを食べることもないと思うと、なんだかもの寂しい。特上にしようかとも思ったが、検査結果が悪かったので(薬が切れてたしなあ)、松にする。
 塩浦嬢は小倉でうなぎ屋のバイトをはじめるということだが、あっちにも地元メニューがあるのだろうか。
 うなぎではないが、以前、北九州の若松に住んでいたころは、地元の「五平太そば」というのが好きだった。五平太舟というのが昔、炭坑から若松まで石炭を運ぶのに使われていて、その船の形に模した鉄板で、普通の日本そばを炒めるのである。そば粉が焦げた匂いが香ばしく、パリパリとフニャフニャの中間の微妙な歯応えが美味いのだ。
 福岡にも箱崎に似たような料理を出す店があったが、本場はやはり若松ではなかろうか。
 丁度、今日のニュースで、その五平太舟を再建して、かつての軌跡を辿る、という報道がされていたので思い出した。若松に行くことがあればもう一度食べてみたいもんだが、もう店の名前も忘れているのである。誰か案内してくれないものかなあ。

 女房にはほか弁を買って帰ってやる。
 ところがまた女房は「あんたはウナギ食べてきたんやろ」と僻む。別に抜け駆けして食ってるわけではなくて、いつも誘っているのに、出かけるのが面倒臭いと言って付き合わないのである。
 なのに土産を買ってきたのに文句をつけるとはわがままにもホドがあると、本気で怒鳴る。怒られると解っていて毎回僻むのはバカな証拠だ。バカの罰で、しばらくは土産を買ってやるのもやめにしとこう。

 赤川次郎『幽霊暗殺者』読む。
 赤川次郎をミステリとして評価するかってことを大学の推理小説研究会にいた時に論争したことがあるが、私は肯定派だった。
 「謎が解かれるためのデータが、予め読者に提示されていること」という本格ミステリの条件からすれば、赤川ミステリは殆どそれから外れてしまうのだが、現実的に考えれば、じゃあ「予め提示される完全なデータ」なんて有り得るのか、ということになる。指紋が残っていようが遺留品があろうが血液型が解っていようが、現実に犯人がつかまらないケースは多いのである。「データ」は可能性が示される程度で充分ではないか、と思うのだ。
 確かに今回の連作も、別の解決だって有り得るあやふやなものばかりだが、「こう落ちがつけば面白い!」という発想で赤川さんは小説を書いているのである……多分。
 偶然に頼ろうが、そんな設定有り得るか馬鹿野郎、というような話であろうが、おもしろけりゃそれで別に構わんじゃないか(なんか誉めてるように聞こえないかもしれないが、そんなことはないんだよ)。
 ……一応ミステリなんで、チャチでもトリックは明かさずに置くが、犯人当てなんか考えずに読むのが赤川次郎の一番楽しい読み方じゃないかな。
 ……でもウチの女房のように、謎もトリックも一切気にせずに全てのミステリを読むというのはさすがに噴飯ものじゃないかと思うが。



 DVD『ガメラ』、今日は『レギオン襲来』と『邪神(イリス)覚醒』を続けて見る。
 劇場公開時には1作目の感動が大きすぎて、2作目3作目が今イチのように思えていたのだが、連続して見ると、一作ごとに前作との差別化をどのように図ろうとしたかが解って面白い。まさに『エイリアン』シリーズに匹敵する面白さではないか。
 劇場公開時、一番不満だったのは、ともかく俳優の演技がヘタで仕方がない、というものだった。これは『ゴジラ』シリーズにも言えることだが、怪獣映画は狭義のSFの範疇には入らないもので、ファンタジーに近いものである。SFよりも遥かにそのアクチュアリティを成立させることが困難なのである。
 特撮がいかに見事であっても、それを受ける人間の演技がダメだと、その映画は死ぬ。解りやすく言えば、逃げる群集の中に笑ってるヤツがいたら、それだけで観客はしらけるよね。でもなぜかキャストが一列に並んで怪獣同士の戦いを怖がりもせず見つめてる不自然さを突っ込む批評家は誰もいない。そんなもんを約束事にしちゃった時点で日本の怪獣映画は死んだのだ。
 敵を作るのを承知で、更に突っ込んで文句をつけよう。
 目の前にでかい怪獣が突っ立ってるのに前田愛がただ見つめて「ガメラ……」とか「イリス……」なんて呟く演出も、結局は怪獣の存在を卑小化させてしまうことになるのだ。ましてや手塚とおるや山咲千里に至ってはアホにしか見えん。第一作がよかったのは、ギャオスを目の前にした時の中山忍の演技が抑制が効いていてよかったからだ……って、こればっか言ってるな。伊集院光と蛍雪次郎みたいに、大げさに驚かせちゃうのもわざとらしくなるし、怪獣に対するリアクションに現実感を持たせるのは無茶苦茶難しいのである。
 この失敗は脚本の伊藤和典がアニメ出身だということが関係してると思う。絵に演出をつける場合はセリフや演技が過剰じゃないと画面が持たないからだが、それをそのまま実写に持ちこんでるんだもんなあ。
 日本映画が海外で評価されないのは、日本映画的な微妙な演技が外国人には理解されにくいためで、『七人の侍』が評価されたのは三船敏郎の演技が派手で分りやすいからだと断言していい。じゃあ小津はどうなる、と反論する人はいるだろうが、ところがぎっちょん(←なんだこの表現は)、小津って実はモダンで派手なんだよ。……あんな不自然な演技するやつ、当時の日本人だっているものか。
 コメンタリーで蛍雪次郎が言っていたが、「役者はつい余計な演技をしてしまう」ものなのである。
 では、再見してその否定的な印象がなぜ変わったかと言うと、これが「子供」のおかげだったのだ。『レギオン』での前田亜季の「ガメラ生き返る?」というセリフ、『イリス』での「ガメラはボクを助けてくれたよ」のセリフ、子供と動物にゃ勝てないというが、このセリフには明らかにリアリティがあった。
 で、気がついたのである。ガメラは「怪獣」ではないことに。もともと、旧シリーズからガメラは怪獣ではなかったのだ。ゴジラとは違う。ゴジラがシェーをすれば顰蹙を買ったが、ガメラがガメラマーチにのって踊っても誰も文句は言わなかった。ガメラは「子供の味方」、はっきり言えば「子供の友達」だったからだ。
 新しい『ガメラ』スタッフは、一生懸命、ガメラをリアルにしようとした。しかしどうしてもガメラをリアルにしきれなかった。今回、コメンタリーで、金子修介はついに言ってしまった。「所詮『亀』だよな」……そうである。ガメラは、「カメ」であることを認めたところからしか始まらなかったのである。それを認めたからこそ、『イリス』は傑作になった。繰り返すが、ガメラシリーズは「怪獣映画」ではない。どんなにリアルに造ろうとも、ゴジラよりは『ダイゴロウ対ゴリアス』に近いのである。逆にガメラを「怪獣映画」と認めるなら、『ゴジラ』の方が「怪獣映画」ではないということになる。「モンスター映画」であるといえばいいだろうか。
 子供しか守らないエコヒイキなガメラがロリコンイリスを倒す話だと気づいた時、私は平成ガメラシリーズの中で『イリス』が一番好きになっていたのである。


2001年03月25日(日) ハカセ登場!/『カムナガラ』1・2巻(やまむらはじめ)ほか

 二週間ぶりの練習日。
 と言っても、殆ど脚本担当で通常の仕事がない私は、日頃あまり熱心に顔を出してはいない。今日はミーティングがあって練習場に行けない女房の代わりに、ロッカーのキーを預かって出掛けることになったのだ。
 でも、よしひと嬢はインフルエンザで欠席、鴉丸嬢と其ノ他君は携帯の契約とかで欠席、鈴邑くんは日曜出勤の職場に就職が決まったのでしばらく来れなくなったとか、奥さんの愛上さんもふなちゃんの手がかかり始めたとかで欠席、塩浦さんも引越しの準備とかで欠席、来られるのは桜雅さんだけである。
 これで私に何をせよというのか。
 「とりあえず柔軟と腹筋させといて。異常に体固いから」
 女房にそう言われて小雨振る中、千代町の「パピオ」に向かった。

 途中、自転車が雨で滑って、派手にこける。
 車道の端を走っていたら、後ろからププウとクラクションを鳴らされ、慌てて人道に上がろうとして上り損ねたのだ。自動車は謝りもせず(まあ追突したわけじゃないから仕方ないのかもしれんが)、そのまま行ってしまった。
 腰や肩を結構強く打ちつけたので、すぐには歩けなかったが、出血は右の掌をちょっとすりむいただけである。
 後で女房にこの話をしたら、「どうして慰謝料をとらなかったのか」と言われたが、俺は当たり屋じゃねえぞ。第一、掌すりむいたくらいで金を要求する方が犯罪だってばよ。
 「私はちゃんとおカネもらったよ?」
 「何それ」
 「だから、この夏の事故が示談になったから……」
 「おい、それ初めて聞くぞ。いつだ」
 「先月末……」
 このアマめ、金が入ったこと、私に内緒にしていたのだ。金額を聞くとまあちょっと贅沢ができる程度の金額ではある。
 「これは私のおカネだもーん、だから別に誰にも知らせなくってもいいんだもーん」てな心理なんだろうが、セコイよなあ。
 女房は貧乏生活が長かったので、すっかり性格が歪んでいるのだ。だから、たとえ私が女房のカネをピンハネしたりはしないと解っていても、どうしても隠してしまうのである。金が絡むと人が変わるとはよく言うが、女房はこれがフツーだ。永井豪のマンガに出てくる「欲ふか頭巾」みたいに一度握ったものはゴミでも離さない(と思う)。
 昔、宮部みゆきの『火者』を読んだ時に、女房が「金が絡めば親でも死んでてくれって思うの普通だよねえ」と平然と言いはなってたことを思い出したな。
 女房の外面を見て、「ちょっとマヌケだけど基本的にはいい人」だと思ってる方もいるようだが、本性はこんなヤツなので、信用したりないように。

 練習場には時間ピッタリ10時に着く。
 桜雅さん一人かと思っていたら、お友達の女の子も一人連れてきていた。
 なんと入団希望者である。ウチは基本的に出入り自由、入団試験などというものは全くないのだが、オタクや社会不適合者は多いので(^_^;)、ウッカリ入っちゃったりしてもいいのかなあ、と思う。世間話なんかしながら、どんな子か確かめてみる。
 私の得意技の一つに「カマかけ」というのがあって、気がついたら相手はプライバシーのいらんことまで喋っちゃってるってことはよくあるのだが、別にそんなことしなくてもこの子は自分からペラペラ喋るのであった。
 なんとこの子、まだ19歳なのに、○○、○○○○○○○、○○○○○○○○○○○。しかも、○○○○○○○○、○○○○○○○○○○○○○。
 ああ、そんなことを初対面の人間に全部喋っちゃっていいの? そのあともとてもここには書けない危ない話が続出。……なんでこんな子が桜雅さんの友人なのだ? 全く正反対ではないか。
 でも、こういう屈託のない子は好きである。派手なようで、優しいところもあって、怪我をしていた私にバンソーコーを貼ってくれた。中年になると、こういう若い子の愛情に弱くなっちゃうのよ。立派なオヤジキラーになれる要素があるな、と思ったら、
 「オヤジのほうが好きですね」
 なんてことを言う。……なんか、ウチの劇団、そういうやつが多くないか。……類友?
 「キャストとスタッフどっちが希望?」
 「……どっちがどっちなんですか?」
 これくらい演劇に関して知識がないほうがかえって変な先入観がなくっていいよな。まだ芸名は決まっていないので、便宜上、彼女のことは「ハカセ」と呼ぶ。……女房の話によると、桜雅さんは人間ではなく実はメカなので、それを造ったのが彼女なのだそうだ。

 桜雅さんは相変わらず桜雅さんである。
 「昨日の地震、凄かったねえ」、と私が聞くと、
 「全然気がつかなかったんですよ」と言う。
 思わず、「どこにいたの」と聞き返すと、
 「パチンコ屋にいて、うるさかったから……」
 ……揺れは音とは関係ないと思うが。
 私はパチンコ屋に殆ど行かないのでよく解らんのだが、揺れにも気がつかないほど熱中しちゃうものなのだろうか。

 女房が意外と早く、11時に練習場にやってきた。せっかく入団者がいることでもあるし、肉練を徹底的にやる。
 もちろん私は見学だ(^o^)。
 確かに桜雅さんは身体が固い。私並に固い。上半身が90度も曲がらないというのはトシを考えるといくらなんでも固過ぎるのではないか。女房なんか足が完治してないのにそれでもジャンプ力が桜雅さんよりあるのに。
 ハカセは発声が弱い、というた顎があまり開かないのがちょっとネック。丁度島崎和歌子みたいな喋り方をするのだ。でもそれは大したキズではないので、練習次第でなんとかなろう。

 11時30分ごろ、見学の男性が来る。人数が少ない時で申し訳なかったのだが、30分ほど練習を覗いて帰って行った。見学者が居付いた例はあまりないのでこちらもあまり詳しく説明したりはしない。
 純粋な演劇青年は頭でっかちでウチみたいなお気楽な雰囲気は芝居を舐めてるようにしか見えまいし、全くな初心者はオタクな会話についていけなかったりするからだ。結局は気の合う者しか残っていかないようになっているのである。

 3時半までみっちり練習。シノプシスの打ち合わせは人数が少ないのでアイデアをちょっと出しあっただけ。女房は既にネをあげていて、第一稿を私に依頼してくる。でもホントに設定だけで殆どストーリーらしいストーリーもないのである。殆ど一から書けと言ってるのと同じではないか。また一つ仕事が増えたなあ。
 でもまあ、ハカセという強力な新人も入ったことでもあるし、本気で板に立ってくれるつもりなら書きがいはある。なんだか数年前の鴉丸嬢によく似た雰囲気の子だったなあ。……シモネタOKなところも含めて(^^)。

 帰りにトンカツ屋に寄って、二人で盛り合わせを食べる。
 今日の飯はこれで終わり。一日一食は、健康に悪いと言うが、三食食ってるとやっぱり太るのである。

 途中、私だけ家の近所の「ベスト電器」に寄って、『アヴァロン』のサントラCDを買う。やっとあの「ア〜ヴァ〜ローン」というコーラスが聞けて燃えるが、なぜか歌詞カードが入っていない。いや、どうせポーランド語なんだろうから歌えね〜だろうけどさ、原詩は川井憲次さん自ら作ったそうだし、意味だけでも書いておいてほしいよなあ。
 CD製作のエピソードがパンフで読めるのが最高。
 押井監督が曲の出来映えに感心して、「これ、どうやって作ったの?」と聞いた時に、川井さん、つい指を横に振って「ひ・み・つ(はあと)」と言ってしまったとか。かわいいぞかわいさん(←シャレ(^^))。
 歌詞が分らないので、適当にコーラスに声を合わせてデタラメに歌うのであった。
 「♪ひーひーふー、ははほ、へほーへ、あーばぁーろーん♪」
 ……バカだなあ。

 夜、広島の友人から電話。
 昨日の地震でこちらを心配して電話してくれたのだが、震源地の人間がどうして震度の低い地域の人間の心配をするかな。こっちは「死人が二人なら大したことないな」と電話も入れなかったのに。
 確かに、私の住んでる階があと1階上だったら、山積みの本やビデオが崩れてたかもしれないが。
 友人は丁度本屋にいたそうだが、本屋の店員がみんな総出で「本棚を守れっ!」と、張り付いていったそうである。……もうちっと震度が大きかったら自殺行為だと思うが。いざというとき人間はやはり冷静さを失ってしまうものなのだなあ。

 夜、福岡シンフォニックのUさんに電話。
 四月の休日に福岡市総合図書館で、羽仁進監督の文化映画の上映があるのでお誘いである。
 ついでに最近の某さんや某さんなど、共通の知人のウワサ話を、いろいろと脚色を交えて伝える。
 「○○さんは実は○○○○、○○○○○○○、○○○○○ですよ」
 「えええええっ!?」
 「しかも○○さんは、○○○○○○○、○○○○○○○○ですよ」
 「えええええええええええっ!?」
 「人生いろいろありますねえ」
 なんだか私や女房に大して事件がなくって平凡なのが申し訳ないくらいだが、そういうのがかえって他人からは羨ましがられるものらしい。羨ましがられるくらいならいいんだが、世の中には更に僻んでイヤガラセしてくるやつもいるから始末に悪いんだよなあ。
 
 マンガ、波津彬子『雨柳堂夢咄』8巻、読む。
 作品の出来にムラのあったこのシリーズも連載十年を迎えると安定してくる。よく連載が長引くとマンネリ化してつまらなくなるのではないか、と思われがちだが、基本的にこういう百物語形式の怪談は、そのマンネリを楽しむものなのである。構造そのものを変えてしまうとかえってつまらなくなるので、もうへたにあの贋作師など出さずに、毎回、別の妖怪・幽霊を出していった方がいい。
 『むさし野』などは小泉八雲の怪談・奇談の中で語られても構わないほどの名編。いくつかの別の話が一つの話に収斂されていくパターンは、岡本綺堂や都筑道夫も使っていた手だが、これまでこのシリーズにその形式が使われなかったのが不思議だ。

 マンガ、やまむらはじめ『カムナガラ』1・2巻。
 表紙絵とタイトルに惹かれて殆ど中身を知らずに買うがなかなかの拾い物。
 タイトルの「かむながら」、「神であるままに」とか「神の御心のままに」という意味の古語である。この手の神道の知識ってのは一昔前だとあまり知る人もなかったので、私のようにちょっとかじったことのある程度の者でも、そこそこ薀蓄を傾けて威張って見せることもできたんだが、最近は若い子でも専門的な知識を持っている人が増えちまって、ボロを出しちゃうことも多いのだ。
 参っちゃうよな(^_^;)。
 異世界からの侵略者とそれを迎え撃つ「剣の一族」、ただし主人公は前世の記憶を失っており、自分の能力に気づいていない、という基本設定はまあフツーだ。しかし、その記憶を失っているがゆえに自らの使う剣を制御できず、右腕を失ってしまう展開がショッキングである。
 主人公が片腕なんて、最近のマンガじゃ差し障りがあってなかなか描けなかったからなあ。作者も編集部も、本気で描こうとしてるんだってことがよく解る。ちょっと暗めの展開になりそうだけど、10巻、20巻と続いていく大河ロマンになりそうな気配である。
 ヒロインの武弥香奈多ってやっぱりタケミナカタもじってんだろうな。んじゃ、タケミカズチは誰なんだ?


2001年03月24日(土) 女の子が好き!/アニメ『フリクリ』6巻/『低俗霊DAYDREAM』1巻(奥瀬サキ・目黒三太)ほか

 土曜の朝は『サイボーグクロちゃん』の再放送で一日が始まる。
 ……別に始めるつもりはないんだが、女房が、土曜はそれで始めちゃうんだものだから仕方ないのだ。確かに今日もいきなり空母シージャック事件は起きるわアメリカの船長が切れまくりだわ、子供向けアニメとは思えぬノリで面白いんだが。これが原潜だったら時期が時期だけに再放送でもヤバかったかな。

 朝から女房と天神にお出掛け。
 ここ何日か、女房を置いてきぼりにすることも多かったので、まあ、女房サービスである。と言っても、「一緒に行こうよう」なんて優しい言葉は決してかけず、「ついて来るか?」なんてぶっきらぼうな言い方しちゃうからいつも冷血漢扱いされちゃうんだが。
 ベスト電器の『LIMB』で予約しておいたDVDを買いこむ。
 毎月買っているDVDは先月あたりでほぼ全部買い終わっていたのだが、今月は『ガメラDVDBOX』というオオモノがあるので使うおカネに変化はあまりないのであった。
 しかも『ジャッキー・チェン ポリス・ストーリーセット』なんてものも見つけちまったもんでさあ。ああ、つい衝動買いしちまったぜ。ウチではジャッキー・チェン作品は無条件で傑作と認めることになっているので、こういうものは買うしかないのである。エアチェックで充分と言う意見は却下。
 中国語からの輸入版で石丸博也の吹替えが聞けないのはちょっと残念だったけど、これでウチにはDVD『ポリスストーリー四部作』が揃ったのであった。
 ベスト電器の玄関ではなぜか餅つきをしていて、つきたての餅を売っている。そりゃお彼岸だからってことなんだろうけど、客寄せに餅つきする電器屋ってのも珍しいよな。しかも隣ではタコ焼きまで売っている。彼岸とたこ焼き、なんの関係があるのだ。6個入りで300円、結構大きいのでまあ安い方か。
 女房がいかにもものほしそうにヨダレを垂らしていたので、ひとパック買って、市役所前の広場でひなたぼっこしながら分けて食べる。タコがでかくて底から抜けている。これって生煮えってことかもと思いつつもともかく食う。
 結構それだけでおなか一杯にはなったのだったが、女房はまだ口寂しい様子だったので、天神コアのなんとか言う(店の名前忘れた)うどん屋で再度昼飯。カツ丼を分けてやると、女房、この世の幸せを全て満喫したような笑顔で貪り食う。……いいよな、人生の幸福の2/3が食うことで占められてるやつって。

 帰宅して、DVD『フリクリ』6巻(完結)を見ていたら、突然の横揺れ。
 福岡は他地方に比べて比較的地震が少ないところで、体感できるような地震は数年に一回くらいしかない。東京にいたころはしょっちゅう微震を感じていたので、こげなところに住めるなんて東京人は肝が太かぱい、と思っていたものだった。久しぶりだったので、ああ、地震だなあ、どのくらい続くかなあ、とのんびり構えていたが、マンション全体が、ゼリーがプルプル震えるみたいに少しずつ揺れがひどくなっていく。平積みしていたビデオや本の山がふにふに踊りだし、ラックの上に置いてある作画用の人形モデルもケツをふりふりダンスしている。
 寝室にいた女房が、私の名前を呼び、「どうする!?」と哀願するような声をあげる。縦揺れが来れば震源地は近い。しかし横揺れだけならなんとか収まるんじゃないかと女房に「大丈夫だよ。もう収まるよ」と声を掛ける。様子を窺っているうちに、揺れは少しずつ小さくなっていった。棚から何かが落ちてくることもなく、危険は去った模様。時刻は午後3時28分、時間にして1分もなかったろう。
 あとでニュースを見ると、福岡の震度は3、震源地の広島では縦揺れもあり震度は6、落ちてきた壁や鉄骨のせいで死んだ人も2人、怪我人も160名以上出たそうな。規模的には阪神大震災と同程度だそうだが、震源地が深いためにさほどの被害は出なかったとか。だったら阪神と比較だってしなきゃいいと思うが。ひどい地震には違いないが、針小棒大にコトを大きくしたがるマスコミも見ていていやらしい。
 笑えるのは内閣府防災担当の「地震被害早期評価システム(EES)」で、地震発生直後に「死者165人、建物の倒壊7377件」とはじき出している。このEESってどんな基準でそんな数字をはじき出したんだ。政府の科学技術ってこの程度のものなのかね。実際、日本の「震度」の決め方は5年前まで科学的なものでもなんでもなく、人間の「体感」で測っていたとか。「震度計」が導入されたのが1996年ってんだから真面目に取り組む気があるんだかないんだか。
 天災って、ある程度回避できる努力はしとかなきゃなんないけど、結局は運不運なんだよなあ。
 
 マンガ、奥瀬サキ原作・目黒三吉作画、『低俗霊DAYDREAM』1巻読む。
 『低俗霊狩り』の直接の続編ではなくリニューアル、と言った感じ。主人公の崔樹深小姫がSMの女王様だったり、謎の使い魔(?)「鬼縫」の登場など、新たに加わった設定はあれど、ギャグとシリアスのコンビネーションが快い面白さに変わりはない。
 それでも、やはり奥瀬さん本人の絵で流香魔魅の活躍が見たかったなあ、と思うのは、いかにも出版社との折り合いが悪そうな奥瀬さんが心配だったりするからである。

 アニメ『フリクリ』最終6巻。
 内容書こうとしたら殆どネタバレになっちゃうから書けないんだけど、最終的に「平凡な日常」に対する逼塞感と、そこから脱却したいって少年の思いが「大人のオンナ」にむけられるというあまりにストレートな表現にちょっと頬染め。
 ……簡単に言っちゃえば、少年は女の肌に触れて大人になるってコトっスよね。うーん、構造的にはこれ、まんま『麻雀放浪記』ではないの。ってことはハル子さんは加賀まりこか。ハル子さん本人は「私は少年の日の幻影」ってどこぞで聞いたようなセリフを吐いてたが。
 SF色を排除したって言ってたけど、SFのためにSFをムリヤリ作ってみたってしょうがないので、この話ならこれで充分。むしろもっと排除したっていいくらいである。アマラオの眉毛を海苔にしなくったっていいし(分りやすい表現だけどね)、メディカルメカニカのアレが実はアレだったってのもどうだっていいし。というか、1巻の段階で思っていたが、謎が謎のままで終わったって全然構わない物語なのである。
 ……ラストでは『銀河鉄道999』よりも、とり・みきの『ぼくの宇宙人』を連想した人もいるんじゃなかろうか。泣きそうになる手前でサラリと流す感覚は好きである。

 DVD『タイムトラベラー』、最終回だけとは言え、幻の「少年ドラマシリーズ」記念すべき第1回作品を再び見られる日が来ようとは……! ああ、生きててよかった!
 世のSFファンのみなさん、これが元祖『時かけ』、元祖芳山和子ですよ。原田知世も南野陽子も内田有紀も中川奈奈もみんな本作主演の島田淳子さんのエピゴーネンでしかないのです。
 後に芸名を浅野真弓と変える島田さん、中年になっちまった今の私の眼で改めて見ると「ちょっとかわいい女子中学生」、という感じだが、小学四年生の当時はホントに「きれいなお姉さん」という印象だったのだ。……15歳なんだけどね。ああ、ぷっくらほっぺもセーラー服のリボンがズレているのもかわいいぞ!
 ええ、ええ、ファンでしたとも。76年の『敬礼!さわやかさん』なんて誰も知らない主演ドラマまで毎回見てましたよ、私は。いやあ、元祖『逮捕しちゃうぞ!』って感じでこんなきれいな人にならやっぱり逮捕されちゃいたいナ、だって婦警の制服がなんとも健康的かつセクシャルなんだもの……って当時私ゃいくつだ。
 アグネス・チャンが歌ってた主題歌だって未だに歌えるぞ。「あァっさ〜がきます〜、そよ風〜も吹きます〜、あとあァ〜なァた〜がァいれェばァ〜」(歌うなっちゅ〜の)。
 だから80年の『ウルトラマン80』で目の下にクマ作って出演してた時には、「ああ、お姉さん、何があったの!?」って泣いたものです。……しかし小学生のころからヒロイン目当てで特撮見てた私って、なんてスケベだったんだ。
 それにしても『タイムトラベラー』の放映は1972年、昭和47年である。別にそんなに昔というわけでもない。昭和46年から始まった『帰ってきたウルトラマン』や『仮面ライダー』は全話しっかり残されているのに、NHKだけがビデオテープをどんどん破棄していったっていうのはバカとしか言いようがない。批判はこの当時からされていたはずだが、この後もNHKはアホンダラな行為をどんどん続けるのである。
 おかげでいくら私などが「脚本家の石山透って人、凄かったんだよ、『タイムトラベラー』も『新八犬伝』も『プリンプリン物語』もみんな石山さんが書いたんだ!」と言っても若い人には通じない。再放送がないから説明のしようがないのだ。
 長らく幻であったがゆえに思い出の中で美化されすぎている面はある。俳優たちの演技は一本調子だし、視力障碍者を考慮したと見られる説明的なナレーションもくどい。何より予算がないのがバレバレでセット撮影がチャチ。
 しかしそれを補うにあまりあるハードなSFマインドがここにはあるのだ。原作にはない、戦時中にタイムスリップする老婆のエピソード、病気で死にかけた娘を過去から現代へと連れてこようとするが、タイムパラドックスに阻まれ、老婆は歴史の流れに押しつぶされて消滅してしまう。それをなす術もなく見ているしかない和子とケン・ソゴル。
 二人の別れも含め、石山透ははっきりこの『タイムトラベラー』シリーズ(『続』もあるのよ!)を「悲劇」と位置付けて脚本を書いたそうだが、その視点が後のリメイク作品には決定的に欠けている。時間とは、それ自体、悲しみの象徴であるのだ。
 だから『時かけ』映像化の最高傑作はやはりこの『タイムトラベラー』で決まりなのである。
 ……大学時代、「原田知世はいい!」と叫んでいたことはとりあえず置いとく。

 DVD『ガメラ 大怪獣空中決戦』、金子修介監督、蛍雪次郎、中山忍のコメンタリーで再見。
 やはり何度見ても飽きないし、中山忍が最高に美しい。ギャオスが福岡ドームで射殺されるのを中山忍の長峰が真正面から見据えるカット、あれは特撮映画史上、最高に美しいといってもいいアップなのではないか。映画を始めて見ていた時から、「長峰はギャオスをある意味愛し始めているのだな」と思っていたのだが、金子監督がしっかりラストでそのことを「浅黄がガメラにシンクロしているのと同様に長峰はギャオスに心引かれるようになっている」と語ってくれたのが嬉しかった。やはり映画は「愛」の物語であるのだ。
 われわれ怪獣ファンは映画を見ている間ずっと、怪獣に片思いをしているようなものだ。その心情を代償してくれるキャラクターがゴジラシリーズには見られない。かつて子供のころ、私はゴジラよりガメラが圧倒的に好きであったが、それはもちろんガメラが「子供の味方」であったからだ。馬鹿馬鹿しい設定と笑ってはならない。ゴジラの背中に乗りたいとは思わないが、ガメラの背中には乗って空が飛びたいなあ、と思わせるだけの魅力を子供に感じさせたのはその設定ゆえにである。かつてのガメラシリーズより、平成三部作はリアルにはなったが、その思いだけは浅黄と長峰が観客の代弁してくれているのだ。
 欲を言えば、たとえ多少リアルさを犠牲にしても、浅黄がガメラの背中に乗るシーンが見たかったなあ。

 CS時代劇チャンネルで『鞍馬天狗』第5話『地獄の門』を見る。
 アレですよ、杉作が実は女の子でお姫様だったというアレですがな。いやあ、伊藤つかさがかわいいのなんの! もう大学当時アルバム何枚も買ってましたからね。エンディングテーマの『夕暮れ物語』も未だに歌える……ってホントに今回女の子の話ばかりしてるな、私。
 1時間で終わるはずのない原作をダイジェストで詰め込んでるからスカスカで、それを更に人情話で補ってるから、まるで鞍馬天狗じゃなくなってるんだが、財津一郎の近藤勇という珍キャストが見られるというおトクな要素もありはする。まあ顔だけは財津さん、ホンモノの近藤に似ちゃいるんだが。
 このテレビシリーズ以降、『鞍馬天狗』は市川崑監督の単発もの、中井貴一・ビートたけし出演のテレビスペシャルしか作られていない。小説としての面白さ、ミステリーとしての完成度は、他の時代劇ヒーローものの中でも群を抜いているのだから、また映像化してもいいと思うんだがなあ。 

 ウィリアム・ハンナも死んでしまった。
 遺作は監修だけだけど、やはり映画版『トムとジェリーの大冒険』ということになるのだろうか。
 MGMを離れて、テレビシリーズを乱発してからのハンナ&バーベラは実はあまり好きではない。『チキチキマシン』も『原始家族』や『宇宙家族』も、アニメーションとしての面白さは全くといっていいほどなくなってしまっているからだ。
 それでも私たちの世代にとって、ハンナ&バーベラの名がディズニーよりも遥かに大きいことは認識しておかなければならない。テックス・アヴェリーの短編とともに毎日5時半から放映されていた『トムとジェリー』シリーズは何度見ても笑えた。純粋なスラップスティックギャグは、時代を越えても面白いということをチャップリンやキートンに出会う前に子供たちの脳裏にすりこんでくれていたのが『トムとジェリー』だったのである。
 今度のディズニーの新作『ラマになった王様』、ディズニー初の純粋ギャグアニメだそうだが、さて、果たしてハンナ&バーベラやテックス・アヴェリーのレベルに少しでも近づけるかどうか。

 ホームページ用の原稿その他をチビチビ書きながら午前様。
 夜の時間がやはり一番落ちつく。
 女房はさっさと寝てしまったが、明日の練習のためのシノプシスは出来あがっているのだろうか。女房、いつもは夜の勤務なのに、明日の朝、急なミーティングが入って遅刻するので、代わりに私が練習場を開けねばならないことになっているのである。
 よしひと嬢も明日は来れないし、ネタがないとこちらも話が進められないんだがなあ。


2001年03月23日(金) ストレス解消!/映画『サトラレ』/『犬夜叉』20巻(高橋留美子)ほか

 ふう、明日から連休、今日でやっと一息ついた。
 いろいろとシバリのかかった仕事してるせいで、ここ数日は顔面が痙攣しまくってたんだが、休みに入った途端に収まってしまった。心因性なのは明らかなので、ひどくなるようなら医者に罹らにゃならんかなあ、失神するようにストンと落ちちゃうのも病気なのかなあ、と、いったん気にし始めると、どんどん気になっていくのである。
 とりあえずまだ意味不明な言葉を口走ったり、同じ言葉を繰り返したり同じ言葉を繰り返したり同じ言葉を繰り返したりはしていないと思うのでほちょぷってん、日常生活にうんがらな支障を来たしてはいないし支障を来たしてはいないだろうが、ほりゃっぴうるぴっぴょで大丈夫だとは思うが、用心に越したことはないし用心に越したことはないので、うげうがぷりたんへてかるぴ、大丈夫だろう。

 今日は夜、一緒に映画に行こうと約束していたのに、女房、蒲団を被ったまま出て来ない。何度声を書けても起きないので、諦めて今日出かけるのはやめようかと思っていたら、8時になってやっと起きてくる。てっきり出かけるのかと思ったら、映画の時間に間に合わないから行きたくないと言う。
 ウチから天神まで自転車で30分で行けるのに、9時の上映にどうして間に合わないのか、言ってる意味が分らない。ゆっくり行ったって45分で行ける距離なのに。だが、毎回女房は寝過ごすと頭がパーになるので、もう間に合わないと思いこんでしまっているのである。
 こうなるといくら「まだ充分間に合うよ」と言っても聞く耳持たない。押し問答をしても仕方がないので、また一人で出かけることにする。
 8時10分にウチを出て、天神東宝に着いたのは8時40分であった。映画は9時10分からなので30分も早い。全然余裕であった。



 映画は『サトラレ』。
 『踊る大捜査線』『スペーストラベラーズ』に続く本広克行監督作品。なんだかんだと文句つけながらやっぱりこの人の映画、好きなのかな。毎回設定だけは興味引くんだよなあ。
 でも東宝は興行的には既に本広監督に期待はしてないようだ。天神東宝では一番小さなコヤで、百人、入らないんじゃないか。やっぱり前作の『スペトラ』がコケたのが影響大なのだろう。
 金曜の夜で少しは客が多いのか、場内は30人ほど。殆どが女性同士のグループで安藤政信のファンと思しい。一人で来てる男性も若干名。天神東宝名物の(と言うほどのもんか)「むき栗」を買って座席に陣取る。
 出だしのツカミはまあまあ。24年前の飛行機事故でたった一人助かった少年、これが後の「サトラレ」になるのだなあ、とは当然予測されることなんだが、救命隊員の「サトラレ発見!」のセリフで、ああ、この世界では「サトラレ」が認知されてるのだなあ、というのが解る仕掛けになっている。……救命隊員の中にオモシロ事件の特番なんかで結婚詐欺師とか暴力亭主とかやたらと犯人役を演じてる鼻の大きな優男風のヒトが出てたが、あの人なんて名前なのかなあ。
 でも冒頭から空撮は延々続くわ、かけつける隊員をスローモーションで延々映すわ、音楽はまだ状況がはっきりわかんないのにやたら荘重だわ、意味なくくどい描写は今までの本広克行映画と同じ。たいていの映画評でも今までこの「くどい」描写をなんとかせい、という批判が出ていたのに、この監督、それがいいのだと信じきってるらしい。
 ともかく、これ以降、「あ、このカット要らない」「ここ3分カットできる」ってシーンが続出。ああ、たるい。
 それでも前半は思念波が外にもれまくりな主人公の周囲で右往左往する人々を描いていて、しかもその俳優たちに芸達者をそろえてるものだから実にいい味が出ているのだ。病院の食堂のオヤジなんか、ほんのチョイ役なのにこれを高松英郎が演じてる。
 サトラレを監査する役の鈴木京香も、実にいい表情をする。最初は全くサトラレの安藤政信から相手にされてないのに、これも仕事だからと近づいていくうちに逆に惚れられてしまう。でもその思念波がストレートに伝わっていながら気がつかないふりをせねばならない時の嬉しいような困ったような引きつった表情がかわいい(はあと)。で、その表情もサトラレに「かわいい」と思われちゃうのだ。どうすりゃいいんだか(^^)。まあ全く精神分析医に見えないというネックはあるんだけど。
 でも最高にいいのはサトラレのばあちゃん役の八千草薫である。
 いいよいいよと聞いてはいたけど、ホントにこんなにいいとはなあ! この映画を見て全く泣かなかった庵野秀明が唯一「八千草薫がいい」と言っていた理由がよく解る。イマイチな脚本を八千草さんの演技が十全にカバーしているのだ。これはもう「理想のおばあちゃん像」と言ってよいであろう。どんなにいいかは映画をまだ見てない人のために書かないでおくけど、『ガス人間第1号』と合わせて私はこの二本を「八千草薫SF二部作」と呼ぶことにしたぞ(^^)。
 しかし後半、物語がコメディからシリアスに転換していくあたりから、脚本の齟齬が露呈していく。ドタバタコメディで処理するならともかく、シリアスにしちゃうと、サトラレの思念があたり障りのない「いいひと」的なレベルを超えないことの不自然さが露呈してくるのだ。人間の心って、きれいごとばかりのはずがないからね。それで映画はもう一人のサトラレを出して、欲望だの憎しみは全部そいつにおっかぶせちゃった。
 でも、これって姑息な手段なんだよなあ。本来、主役一人にサトラレ的特徴は集約させるべきなのにそれを分散させているってのは、結局、この監督が客に迎合しているからなのである。いや、それよりもっと悪い。監督は堂々とこれを「泣きの映画」と宣言してるのだから。
 客は汚いものなど見たくはない。サトラレが心の奥底の黒い思念を周囲に振りまくキャラであったら、客は拒否反応を起こして決してそいつに感情移入しない。だから、主役はあくまで純粋で子供のような心の持ち主と設定する。そうすることで、サトラレの悲しみを観客は自分の悲しみであるかのように感じて泣くことができる。姑息と言うより卑怯な手段かな。
 当然、「そんな純粋な人間が現実にいるか」という思いを抱くやつも出るだろうから、「いや、決して人間を表面的に捉えてるわけじゃないんですよ」と客とヒヒョーカをだまくらかすために、もう一人の「醜い」サトラレを出した、と、そういうことなのですね。
 しかし、この程度の欺瞞で客を泣かせることが出来ると監督が考えてるってのは、あまりに客をバカにしてはいませんかねえ?
 でも会場の客たち、泣きまくってたんだよなあ。ああ、なんでみんなこんなにコロリと騙されちゃうのかなあ。
 人間は誰でもどこかドス黒いものを持ってて、それを含めた上での人間なのである。それを認識しない人間描写など、ただの差別だ。これを見て無条件で泣く客ってのは、自分自身の醜い部分から目を背け、他人の欠点だけを糾弾して平気でいられる無自覚な偽善者である。
 さて、ならばエラソーな口叩いている私自身がどうだったかというとしっかり泣かして頂きました(^o^)。だって私は偽善者だもの。
 多少他の客と泣き所が違うとは言え(私が映画見て泣くのはたいてい「悔し涙」で、今回も「あんなばあちゃん欲しかったなあ」である。ウチのは祖母さんもお袋も因業ババアだったしな。だから好きだったんだけど)、泣いたことに変わりはないから偽善者であることは否定できんわな。で、その偽善者的なところも人間のドス黒い部分なので、目くじら立てずにお互い許しあいましょうよ。さあ、みんなで泣いてりゃ恐くないよん。
 本広監督、なんで庵野監督と対談したのかなあ、と思っていたら、実はこの映画にも『エヴァンゲリオン』の影響があるのである。このサトラレって、結局「ボクをいい子だといってよ」「ボクを好きになってよ」っていうキャラなんで、やっぱりシンジくんなのである。で、実際に「うん、君はいい子だよ」って言ってもらえるという「癒されたい人間」にとってはもう嬉しい映画。これでラストが「あんたって気持ち悪い」で終わってたら凄かったと思うが、まあ迎合映画でそんなことは絶対しない(『エヴァ』にはまって、そのあと憑き物が落ちたように「『エヴァ』なんてさあ」といってたオタクは多いが、よく見てりゃ最初から「癒されたいオタク」に冷水を浴びせるドラマを庵野監督が作ろうとしてたのは一目瞭然だった。だからラストで怒るくらいなら自分のオタクとしての洞察力のなさを恥じるべきなのである。あくまで癒されたいオタクさんはこの『サトラレ』や『ギャラクエ』系の映画だけを見ていればいいのだ)。
 なんかこう書いてると見る価値ない映画のように聞こえるかもしれないが、そんなことはないのである。「癒され系」の映画を否定したいわけじゃなくて、「それ一辺倒じゃ困る」と言いたいだけなのね。例えば世界のアニメが全てディズニー製作になっちゃったらイヤじゃないですか?
 欠点も多いが、ラストまでサトラレが自分自身がサトラレであることに気がつかずに終わる点は「嘘」=「虚構」の力を信じていることの表れであろうから評価できるし、少なくとも八千草薫の絶品の演技はぜひ見ていただきたいものだ。演出のクドさを一人の女優の爽やかな演技が緩和している稀有な例を見ることが出来ます。

 映画の帰り、どうせ女房が拗ねてるだろうと、土産にコンビニで串カツを買って帰る。帰宅すると案の定「面白かった?」と聞いてくるので、土産を渡して「うん、最高だった! お前もレディースデイに見て来いよ」と言う。
 「泣いた?」
 「泣いた泣いた。八千草薫がよくってさあ」
 「ああ、死んだんでしょ」
 「……どうしてそう思うの?」
 「だってあんた、人が飛んだか死んだかすると泣くもの」
 そういう見切り方はないよなあ。でも否定が出来ない(^_^;)。
 多分、女房が『サトラレ』を見ても泣くことはまず有り得まい。女房の性格、庵野さんによく似ているからである。

 マンガ、高橋留美子『犬夜叉』20巻。
 アニメ化されたおかげで少し物語が延命している感じだが、本来、高橋さんはこういう妖怪同士の戦い(といいながら実質的にはジャンプ的なトーナメント対決)は合わないと思うんだがなあ。「必殺技」まで出て来たんじゃ白ける。「ライバルのインフレ現象」がもう相当進んでるし、『らんま』の時もそうだったけど、終わりどきを見失ったマンガは辛いよなあ。

 『キネ旬』4月上旬号、アメリカ映画のオールタイム興行収入トップ100のリストが載っていたので、漫然と眺めていて驚いた。
 いや、1位はもう周知の通りタイタニックなんだけど、殆どの作品が70年代以降、いや80年代以降に集中しているのに対し、例外が2作品だけあるのである。
 33位の『風と共に去りぬ』と49位の『白雪姫』であり、どちらも1930年代の製作。
 物価を考えると、今の10分の1、いや20分の1くらいの入場料金でこの記録である。実質上のトップ2はこの2作と言っていいのではないか。
 どのくらいその映画がヒットしたかというのは、興行収入ではなく、どれくらいの人が見たか、ということだと思うのに、入場者数が公表されることは少ない。特にアニメーションや特撮は入場者には子供も多いので、興行収入で比較するのはどう考えても不公平である。
 この3月のヒット映画も、『キネ旬』は『キャスト・アウェイ』と『東映アニメフェア』がともに30億突破は確実、と言っているが、なら、より客が入っているのは『アニメフェア』の方だろう。

 出かけている間に、よしひとさんから女房に電話があったらしい。
 なんでもこのところずっとインフルエンザで寝こんでいるとか。当然今度の練習も参加不可。公演の疲れが溜まってたのかなあ。
 パソコンも開けぬほどの状態らしいので、せめて電話で連絡したのだとか。
 ううむ、せっかくよしひとさんのシノプシスでいくことになったのに、相談がなかなかできないなあ。しかし風のウワサで「先なんて考えてない」とか恐い話も伝わってきてるがちゃんと形になるのだろうか(・・;)。


2001年03月22日(木) DO YOU REMEMBER?/『梶原一騎伝』(斎藤貴男)ほか

 探偵作家・水谷準と俳優・新珠三千代、死去のニュース。
 どちらも好きな方だったので、何か書こうと思って、ふとカンが働いて唐沢俊一さんの裏モノ日記を覗いてみたら、しっかりお二人について語られている。しかも私が書こうと思っていたエピソードまで同じ。
 まさしくシンクロニシティってやつなのだが、世代が近いと、その人物に対するイメージというものは自然と似通ってくるものなのだろう。
 とは言え、好きな人がなくなったというのに他の人が書いているからと言って書くのをやめるのも変な話である。特に日頃「ミステリ」という一般的な呼称を使いつつも、本当に好きなのは「探偵小説」なのだ、と思っている私が(エラそうに)、水谷準の死に何の反応もしないというのは、ファンとしての名がすたる。というわけで、唐沢さんのとあまり話がダブらない程度に書いとこう。

 「水谷準」という名前を聞いてもピンと反応する人は殆どいなくなってしまったのではないか。
 戦前、モダニズム文化の発祥、探偵小説の牙城として一世を風靡した雑誌『新青年』の編集長も勤めたが、創作、翻訳にも健筆を振るった。『お・それ・みお』や『カナカナ姫』などの幻想探偵小説は今でも各種作品集で読むことができる。丁度角川文庫で『新青年傑作選』が復刻されていた矢先だったので、興味のある方は読んでみてもらいたい。

 代表作の一つ、『恋人を喰べる話』はこんな筋である。
 浅草の歌劇団に通い詰める一人の青年がいた。彼はその歌劇団の踊子の一人、百合亞という名の少女に恋していたのだ。青年はやがて百合亞と知り合い、心を交わし合う。しかし百合亞は病魔に冒され、余命幾ばくもない身となった。百合亞はさりげなく青年に自分を殺してくれるように頼む。
 「私の首を絞めて下さらない? そしたら私はきっといい児になれますわ……」
 数刻後、百合亞は青年の腕の中で息絶える。
 青年は百合亞を庭に埋め、その上に無花果の木を植えた。
 数年の後、青年自身も胸を病み、死の床で友人に一個の無花果の実を振舞う。
 「君も僕の恋人の肉を食べては見ないか……」

 大正15年にして「ユリア」というネーミングもすごいが、清廉さと凄惨さの入り混じった独特の作風がご理解頂けただろうか。
 筋を全部明かすのはあまりよいことではないが、謎解きものではないし、他の傑作短編もまだまだあるので、そのガイドということで今回は諒とせられたい。
 タイトルから「サガワくん」や「レクター博士」みたいな猟奇的人肉くらいの話かと思った人もいるかもしれないが、そう思わせておいてさらりと流すオチが秀逸なのである。
 水谷準はあの「金田一耕助シリーズ」の横溝正史の畏友としても知られる。私の手元には、横溝正史の『真珠郎』の復刻版があるのだが、これが題字・谷崎潤一郎、序文・江戸川乱歩、口絵・松野一夫という大変なもので、その装丁を担当しているのが水谷準なのである。
 表紙を「紫」の絹地で覆い、「横溝の作品はいつまで経っても完成されない。紫という色は悟り切れない人間臭い色である」と、賞揚する。でもその「人間臭さ」はそのまま水谷自身のことでもあった。水谷は「紫の弁」をこう結ぶ。
 「横溝よ、この次には、俺が浮浪人生活をするようになったら、精魂を打ち込んだ装丁をしてやるよ。長生きをしようぜ」
 横溝正史は1981年に79歳で死んだ。水谷準は丁度20年、友よりも余計に長生きしたことになる。享年97歳。

 唐沢さんは「今まで存命であったことに仰天」と書かれていたが、横溝正史が死んだ時に、「最後の探偵作家死す」の活字が新聞に踊り、「まだ水谷準と西田政治と渡辺啓助がいるぞ」と憤慨した記憶がある。
 西田政治は1984年に91歳で死んだ。
 渡辺啓助は現在101歳、新作こそないものの、作品集が未だに再刊され続けている。

 新珠三千代が夏目漱石の『こころ』(1955年・市川崑監督版)のヒロインだった、と知ったら、テレビの『細うで繁盛記』しか知らない若い人(若くもないか)はビックリするだろうか。
 今月の『キネ旬』で、偶然にも車谷長吉がこの『こころ』を「駄作」と切って捨てているのだが、そういう意見が出ても仕方がない面がある。何しろ、第一部の「先生と奥さん」、そして第三部の「私とお嬢さん」、その間十年以上の時が隔たっているのに、演じているのは同一人物、つまり先生は当時44歳の森雅之で、奥さんが24歳の新珠三千代であったのだ。
 トシとってからのシーンはともかく、原作の設定でいけば第3部の「私」はハタチ、お嬢さんは17歳である。……森雅之にツメエリの学生服ってのはいくらなんでも無理があった。
 でも、新珠三千代は違ったのですね。下宿に帰ってきた「私」と「K」(若き日の三橋達也!)を出迎えて駆け足で玄関に飛び出してきた時の笑顔……「可憐な女学生」というのはああいうのを言うのでしょう。……コギャルも少しは見習え。
 十年後のシーンでは一転して「先生」の苦悩の理由が分らず眉をひそめる奥さんの心痛を微妙な仕草で演じきっていました。いや、うまい人でしたよ。
 演技の幅ということでなら、岡本喜八の『江分利満氏の優雅な生活』の奥さんも忘れられない。道を歩いている時にまっすぐ前を向いていながらその眼はどこか空ろでたゆたっているように見える。それに対して夫の江分利満氏(小林桂樹)、彼は現代人の空虚さにため息をついて、いかにも戦中派らしく苦虫をつぶしたような顔をしている。二人は実に対照的で、ああ、新珠さんは自分の現実以外は夫すら見ようとしない女を演じているのだな、と気づいて、舌を巻いた覚えがある。
 晩年は他の女優同様、舞台に活動の中心を移してテレビや映画に出なくなったのは寂しいことであった。

 唐沢さんが紹介している新珠さんの精神病院でのエピソードは実はデマで、出典はフランスの小話である。だから別に新珠さんでなくても、浅丘ルリ子でも三田佳子でもいいのだが、何となく新珠さんだとそれらしく聞こえてしまうのも人徳と言うものだろう。
 唐沢さんはかなり簡略化して書いているので、その全貌を(^^)。

 京都で映画の撮影中、右眼にものもらいが出来てしまった新珠三千代、ある人の紹介で、嵯峨野にある眼科医へ、撮影所の助監督を伴って出かけていった。
 ところが近くに眼科医と同姓の神経科があった。もちろん二人は迷わず神経科の方へ(^_^;)。
 院長が出て来て、新珠さん、美しいポーズですっと立ち、サンローランの絹のハンカチをちょっと眼のあたりに当てて挨拶、
 「新珠三千代でございます」
 すると院長先生、助監督に小声で聞いたことには、
 「このかたはいつから自分を新珠三千代だと思いこんでるんですか?」

 ちなみにこの話が紹介されてた本は、『シャボン玉ホリデー』や『8時だヨ!全員集合』の構成作家だった故・前川宏司の『猛爆ドジ全集』である。
 唐沢さんに教えてさしあげてもいいのだが、誰かがもう言ってそうだし、でしゃばるのもなんだからやめとこう。

 斎藤貴男『梶原一騎伝』読む。
 私を含め、現在30代後半から40代の人間で、梶原一騎作品に熱中したことのない人間は皆無だろう……って書き出しで始められないんだよね、これが。実は梶原作品で完読したことのあるもの、皆無なのである。
 『巨人の星』も『あしたのジョー』も『愛と誠』も、拾い読みしかしていない。というか子供のころはハッキリ嫌いだった。物心ついた頃からテレビアニメと言えば『鉄腕アトム』『鉄人28号』『8マン』『宇宙少年ソラン』『遊星少年パピイ』などなど、SFづけで宇宙や未来に夢をはせていた子供にとって、たかが地上の野球やボクシングごときのすったもんだが面白いはずがない。唯一好きで読んでいたのは『タイガーマスク』だったが、これは覆面プロレスラー同士の戦いを怪獣ものと同じような感覚で見ていたからである。「ちびっこハウスの子供たちのために」という偽善性は子供の眼にもイヤらしく見えていたのだ。
 「東宝チャンピオンまつり」では、『巨人の星』だけ退屈なのでロビーに出て終わるのを待っていたという生意気なガキぬだった私である。それらの作品が全て「カジワラ印」だと知った後は、飛雄馬やジョーについて熱っぽく語る連中を知性のないバカなのだと断ずるようにまでなってしまった。
 大学生になった頃、ガキの頃は偏見でものを見てたかもしれないなあ、真面目に読んでみようか、と思って読み始めたことがあったのだが、『巨人』も『ジョー』もやはりつまらなくて読み進められないのである。ともかくセリフが臭い。キャラクターがみな自分に酔いしれているばかりのバカ揃いでどう感情移入せよと言うのか。
 三十を過ぎてもう一度挑戦してみたら、このときは発見があった。『ジョー』の中で琴線に触れるシーンが結構あったのである。
 特に、ジョーが初めて紀子と二人きりで語り合い、「拳闘が好きなんだよ、真っ白な灰になって燃え尽きる……」というジョーのセリフと、「矢吹君にはついていけない」という紀子のセリフ。二人の男女のすれ違いの描写が見事であった。
 ところが、そういった私が「いいな」と思ったシーン、それらはことごとく梶原の原作にないものだったのだ。
 『タイガーマスク』の怪人たちの原案や、『聖書』についてのルリ子さんの話、『あしたのジョー』のドヤ街の子供たちとの交流、これらはみな作画を担当した辻なをきやちばてつやのオリジナルだったのである。
 あの『ジョー』の感動の最終回も、梶原の原作無視の結果だったのだ。というより、原作がどんどん手抜きになっていくので、オリジナルにせざるをえなかったと言った方が正しい。
 ちばがキャラクターを掴めなくて梶原に質問する。
 「葉子はジョーが好きなんですか?」
 適当に答える梶原。
 「そのうちわかるよ」
 しかし梶原は全く葉子の心情を描かない。仕方なくちばは最後に葉子に告白させる。
 「好きなの、矢吹くん! 私のために行かないで!」
 ……しかし、ジョーは葉子の制止を無視してホセとの試合に赴く。試合が終わり、グラブを葉子に渡す。
 「あんたにもらって欲しいんだ」
 そしてジョーは白い灰に……。
 ここには梶原の原作は全く使われていない。原作は丹下段平が戦い終わったジョーに「お前は試合にゃ負けたがケンカには勝ったんだ」と声をかけて終わるものである。……どこが面白い、こんなもん。
 この評伝は懸命に後年スキャンダルにまみれた梶原一騎の魅力を浮かびあがらせようと「子供の魂を持った人だった」と強調しているが、さて、「子供」ってことが下らんマンガ原作を書き、暴力や脅迫で良心的なマンガ家たちをつぶそうとしたことの免罪符になるのだろうか。
 いみじくも選挙に出ようとした梶原に、その母が「あんたはファシストなんだから、政治家になるもんじゃない」とたしなめたというのは、さすが息子の本質は見抜いている、といったところか。
 梶原マンガが面白かった、というのは幻想ではないのか。「飛雄馬の目がホントに燃えてやがる」と笑って楽しむならともかく、本気でアレに「猛烈に感動する」連中って、いささかヤバイと思うのである。

 4月からの卓上カレンダー、『ひめくりあずまんが』、女房が本屋で見つけてもの欲しそうにしてたので買ったのだが、単行本からの再録のイラストぱかりであったので拍子抜け。セリフをちょっ変えてはいるがそれもそんなに面白くない。
 ……しかしウチには「机」も「テーブル」もないというのに、女房はどこに置こうというのだろうか。

 晩飯は近所のカレー屋「ココイチ」で季節メニューの「あさりカレー」を食べる。辛さや量を選べるのはいいのだが、単価が高いのがこの店のイマイチなところである。
 「ココイチじゃなくてイマイチだな」というシャレを思いついたが、女房に言ったってジト目で見られるだけだから言わない。
 女房はそのまま仕事に行くので、今日は映画はナシである。物足りないので馴染みの本屋を廻り、電気屋で安売りのS‐VHSビデオテープを30本買いこんで帰宅する。この30本がひと月できれいサッパリ消えてなくるから不思議なのだよなあ。

 昨日あたりから、マンションのエレベーターに防犯カメラがついている。
 警備員室から中が見えるようになってるのだが、その警備員室に誰もいないんじゃ意味がないのではないか。
 それにそんなものがついていたら、エレベーターに乗った時に、
 「だめよ、こんなところで……」
 「体はそう言ってないぜ……」
 と、「ミサトとカジごっこ」が出来なくなるではないか。
 ……って今までそんなことやってたみたいなこと書いてるだが、誰がやるか。

  テレビ『カバチタレ!』最終回、偶然見る。
 あっ、これって法律モノだったのか。どうせクソつまらんほれたはれたのトレンディドラマだと思って全くチェックしてなかったが、結構面白いぞ。
 常磐貴子はクソ大根演技だし、『タイガーマスク』や『鉄人28号』の主題歌を意味なくBGMに流すし、つまんない要素は腐るほどあるのだが、罪に問えないセクハラ男を誘導して新たに犯罪を犯させて告訴するって手は、刑事コロンボ的で面白い。
 深津絵里も整った顔を崩して頑張っている。常磐貴子のツッコミが弱くてテンポが合わないのが難だけど。
 でも無茶苦茶面白いから見てねと人に勧めるほどじゃないのであった。原作マンガは『ナニワ金融道』の青木雄二で、女房も興味があるみたいだったから、そのうち読んでみようかな。
 ……で、「カバチタレ」ってどんな意味なの。

 夜中に仕事から帰ってきた女房、もう眠っていた私をたたき起こしてムダ毛の処理をさせようとする。
 「起こしたらやってくれるって言ったじゃない!」
 女房はそう主張するのだが、私はいったん眠ってしまうとそれ以前のことをたいてい忘れているので覚えがないのである。
 とは言え、「そんなん知るか」と言えばまた拗ね始めるのは分り切っているので、しぶしぶ始める。しかし夜の夜中、3時も回ってるってのに、女房のムダ毛を毛抜きでプチプチ抜いてる私って、何なんだろうか。
 馬鹿なのだろうな(-_-;)。


2001年03月21日(水) 『GQ』余燼/映画『アンブレイカブル』/『さすらいエマノン』(梶尾真治)ほか

 『ギャラクシー・クエスト』の余韻がまだ残っている感じで出勤。
 ツラツラ考えるに、あれをパロディ映画と呼ぶのは全く当たっていないのだな。日常ではダメだったやつが、ひとたび非日常の状況に放りこまれた途端、大活躍するという、『ドラえもん』映画版のような堂々たる冒険映画の系譜に連なる物語なのである。
 だからこういう映画が当たると、たいてい「日本ではどうしてこういう映画が作れないのか」と利いた風な口を叩くやつが出ると思うが、そういうヤツらには「『ドラえもん』見たことないんですか?」と言ってやればよいのである。
 このパターンのルーツがなんなのか、と考えてみたが、どうもこれだっていうのが思いつかない。『ゾロ』はダメ男のふりしてただけだしなあ。チャップリンは結局ダメなままだしなあ。
 ニセモノがホンモノになると言うか、嘘から出たマコト、ってバターンは、『国士無双』や『三悪人』あたりがルーツかなあ、とも思うんだが。『サポテン・ブラザース』自体、『三悪人』に相当インスパイアされてる感じだし。
 ルーツ探しは、別に映画の価値と直接関係はない、という意見もあるが、パクリとパロディの区別もつかんヤツがいる以上、批評する上ではきちんと考えてかなきゃならんことなのだ。

 マンガ、高橋葉介『KUROKO 〜黒衣〜』1巻読む。
 掲載誌の『少年チャンピオン』では既に巻末近くになっていて、あと何巻続くのかアヤウイなあ、という感じなんだけど、妖怪退治ものとしてはそれほど新味がないので仕方ないかな。新米コンビで失敗続きって設定もそんなに面白くないし。
 それでも1巻買っちゃったのは巻末に『夢幻紳士』の新作が載っていたからである。一応完結しちゃってるシリーズだけど、いつ再開したっておかしくない終わり方だったし、戦後編でもやってくれないかなあ。

 梶尾真治『さすらいエマノン』。
 『エマノン』シリーズ第2弾。五編の中では巻頭の『さすらいビヒモス』がエマノンの設定を生かしきっていて一番面白いが、「ビヒモス」のネーミングがやっぱりタイムパラドックスの輪の中に入っちゃっているのが気になるなあ。
 最終編の『いくたびザナハラード』で作者本人を出したのはちょっと悪ふざけが過ぎたんじゃないかな。エマノンシリーズは『地球はプレインヨーグルト』の系列とは別物なのである。それとも梶尾さんは電話口で始めて口を利く女性に向かって「はらほれひれ」なんて口走っちゃう人なのであろうか。チャネリングの正体の分析が面白いだけに、そのあたりの寒いギャグがちょっと惜しかった。

 仕事から帰ると久しぶりに女房が料理を作ってくれている。くれたのはいいんだが、モノが何かと言うと、「鶏の唐揚げの豆腐和え」。
 どういうやつかというとコンビニで買ってきた鶏の唐揚げに豆腐をぶっかけて混ぜたもの。味は鶏の唐揚げに豆腐の味……。和える意味がどこにあるんだよう(T_T)。

 なんだか急に思いたって、今日もキャナルシティに『アンブレイカブル』を見にいく。これで三日連続だ(女房は二日だけど)。久しく映画館に行けなかった反動が来てるんだなあ。
 福家書店で東京のガイドブックを買う。と言っても選んだのは女房で私は1ページも見てない。何が恥ずかしいって、本屋の旅行案内コーナーで、「ねえ、私ここ行きた〜い」「君が行きたいところに連れてってあげるよ」なんて会話しているカップルくらい恥ずかしいやつらはいないので、私はこんな時は女房から逃げてしまうのである。
 しかし女房は外で私と手をつなぐのさえ恥ずかしがるくせに、どうして「一緒に旅行ガイドを見よう」なんてクソ恥ずかしいことが言えるのだ。謎だ。

 『アンブレイカブル』、一応ラストのアレがどんでん返しというか意外な結末ってことらしいので書かないで置いてやるが、慈悲だと思えよ、M・ナイト・シャマラン。
 結末がどうこういう前に、ブルース・ウィリスの「アンブレイカブル」(要するに「ダイ・ハード」ってことだ)って設定をドラマとして生かしきれてないのだ。もっと面白い展開をいくらでも作れそうなものなのに、ただラストの意外性に収斂させるためにそれらの可能性を全て放棄してしまっている。
 悪人がみんななぜか赤い服を着ているとか、無意味な意味付けもやめた方がいいよなあ。前衛映画ならともかく商業映画でやる手じゃない。
 『シックス・センス』はまだ登場人物たちの悲しみが伝わってくるけれど、この映画の場合、観客は「勝手に苦しんでろバカ」という感想しか出て来ない。相手役のサミュエル・ジャクソンがミス・キャストなのも大きなマイナス要因だろう。
 でもこの程度の脚本でもみんな面白いのかなあ。ここにはプロットやアイデアはあってもドラマが全く不在なんだけど。

 買い損なっていた『アニメフェア』『ギャラクシー・クエスト』のパンフも買う。ところが『アニメフェア』のパンフは、裁断ミスの不良品であった。帰宅して気がついたのでしょうがないのだが、改めて持っていっても取り換えてもらえるかなあ。
 『GQ』のパンフはポテトチップスの袋に入っているという趣向を凝らしたもの。ミニサイズなわりに、映画バンフレットとしては情報量が多い方だが、それでも『スタトレ』との関連についての説明が不充分な気がする。

 映画の帰りにロデムさんから女房の携帯に電話。
 イベントのお誘いだったが、劇団の練習日と重なっているので行けるかどうかはキビシイ。ロデムさんのプロットが没になったこともお知らせしたのだが、私のものも含め、殆どが没を食らっているので、申し訳ないがカンベンしてもらいたい。屈託なく笑ってくださったが、採用されたプロットがわずか五行で、しかも作者はその先をなんも考えてないと知ったら怒りゃせんだろうか。
 どうもウチの劇団の連中は女房を買い被りすぎている嫌いがある。思いつきだけで後先考えない性格だと言うことに、いい加減気づいてくれてもよさそうなものだが。

 このまま行くと明日も映画に行ってしまいそうだがそこまでのことはない。明日は女房が仕事だからだ。明後日はどうか分らんが。
 なんだか一日遅れで日記を書くのが定着しつつあるが、なんとか明日あたり、元のペースに戻すよう努力しよう。そうでないと、ホームページの原稿などが全然進まんのだ。
 ああ、せっかく『GQ』の心地よい余韻がどこかに吹っ飛んじゃったなあ。


2001年03月20日(火) オタクの花道/映画『ギャラクシー・クエスト』/『Q.E.D.』9巻(加藤元浩)ほか

 うわあ、どうしちゃったんだろう、昼寝をして起きたら、午前中何してたか、きれいサッパリ忘れちまってるぞ。
 けけけ、健忘症だろうか。久しぶりの休日で脳のニューロンも緩みきっているのかなあ。……それともまさか、クスリの副作用か。……風邪薬だからね、念のため。
 えーっと、確かホームページ用の原稿を書いてたんだよなあ。でも起きてきた女房に邪魔されて、なかなか書き進めなかったのだ。それで私もふてくされて寝ちまったと……。
 そのあと女房も寝ていたということは、女房のやつ、やっぱりまる一日寝てばかりいやがったんだな。なんとか寝る前の女房との会話を思い出す。
 「『しりティー』どこ?」
 「なんだそりゃ」
 「『しりティ〜〜〜!』
 ……やっと分った。昨日、映画に行ったついでに買った『私立T女子学園』9巻のことだ。
 省略するのは構わんのだが、二度も三度も略語だけ繰り返したって分るものか。「シリシリ」言うから、○○○○、○○○○○ほしいのかと思ったぞ。変態。
 ……そう言いながらそのまますぐに落ちやがったんだよな、こいつ。私の眠気は薬のせいだろうが、こいつの場合は天然だ。最近女房はどんどん寝太りしているが、そのうち八畳敷きまで広がっちゃいそうだ。

 昼飯は何食ったかなあ。そうだ、糖尿病食の酢豚と豚肉とヒジキの和え物とふかひれスープを食ったのだった。
 何だか糖尿の癖にえらく贅沢そうに見えるメニューだが、この日記を見て「よく食ってるねえ、あんた」と皮肉を言ってくるバカがたまにいるのである。当然、量やカロリーは制限されとりますがな。糖尿とは言え、栄養は摂らねばならんのだが、そこを誤解する人間が多くて困るのである。

 ああ、なんとか朧気に午前中のことが思い出されてきたぞ。
 結局今日は、昨日買ったマンガ読んだり、パソコンで日記書いたリしてたんだな。

 マンガの感想は多過ぎるし、ざっとしか読んでないので、明日からチビチビまとめて書いていこう。今日はもっと書かねばならぬことがあるのである。
 ……そうである!
 ついに見たのだ!
 幽霊? UFO? モケーレ・ムペンペ?
 ちがーう! そんなベタなツッコミはいらん!(自分でしてるんじゃねえか)
 福岡に来るか来ないか、危ぶまれていた『ギャラクシー・クエスト』がついに来たのだ!
 今日はちゃんと女房と一緒に行ってきましたよ。第一、「『GQ』来るよ!」とはじめに情報教えてくれたのは女房なのだ。キャナルシティAMCだけの公開というのが業腹だけどな。
 でも実のところ不安だったのである。ヒューゴー賞受賞だの、辛口の批評家も絶賛してるだの、前評判がこれだけ高いと、私のようなヒネクレものなど、「意外とたいしたことないんじゃない?」と拒否反応を起こしてしまうからである。
 前半、確かにちょっと展開が強引だなあ、とは思った。
 ティム・アレン、そんなに簡単に宇宙に出ちゃっていいの? 『サボテンブラザーズ』のスティーブ・マーティンのように、見るからにネジが一つ切れてるキャラクターならともかく、ただのお調子者がいきなり星間戦争に参加しちゃうのはモチベーションが弱いぞ。これはティム・アレンの演技力不足に起因するのだろうなあ。……と初めは思ったのだ。
 でもそれには理由があったのだよなあ。
 後半、ティム・アレンの顔がどんどんウィリアム・シャトナーに似てくるのである。シャトナーファンは怒るかもしれんが、彼は役者としては大根である。『刑事コロンボ』に何度か犯人役で出ているが、特に『ルーサン警部の犯罪』は、本人が「役者」として登場していその大根ぶりを如何なく披露している(今回の映画もこのネタをある程度下敷きにしているとおぼしい)。
 更には『GQ』で描かれたようなキャスト間の確執、これも特に『スタトレ』ファンというほどでもない私の耳にもチラホラと入ってくるほどのウワサである。
 「ウィリアム・シャトナーならホントに宇宙に出ても戦争しまくるぞ」
 推測でものをいうが、きっと『スタトレ』ファンはそう思っているに違いない。あれは多分、リアルな設定なのである。
 しかし、後半からの展開は、オタクにとっては嬉し涙の連続であった。ネタバレを避けて詳しくは書かんが、「癒し」の嫌いな私が「癒された」のだ。これはまさしくオタクへの「福音」であろう。
 ……『エヴァ』じゃん(^_^;)。
 オタクはね、オタクはね、一生懸命ね、社会にね、順応しようとね、努力してるけどね、ホントはね、心のどこかでは思ってるんだよ、例えばね……。
 どこかにホントにゴジラいねえかなって。
 小ネタだけど、ドクター・ラザラスが最後まで「トカゲヘッドに賭けて」、「シェークスピア」を忘れなかったのもよかった(^^)。



 で、続きである。
 もちろん今日のこの機会に『ギャラクシークエスト』のパンフだのグッズだのを買ってやろうと思っていたのだが、給料日前で泣く泣く諦めたのであった(T_T)。
 近いうちに改めて映画を見に来ねばな。
 映画を見終わって、会場を出ようとしたら、女房が「エロさん来てるよ」と指を差す。
 なるほど、足早に会場を出ようと急がれている姿はそれらしい(私は視力が弱いので人の識別はもっぱら仕草に頼っている)。ロビーで待ち構えて(通せんぼするみたいだな)二言三言挨拶するが、「あのファンが○○○ところがいいですねえ」と、やはり感動されていたようでほっとする。
 お急ぎのようだったのであまり長話も出来なかったが、かと言って、どこかに流れていくには手持ちの金が三百円しかないのであった。……いや、前日また本買いこんじゃってたせいでね(^_^;)。
 エロさん、お誘いできずにすみませんでした。
 
 「それにしても、おまえ、よくエロさん来てるって分ったな」
 「エロさんの仕事、明日休みでしょ? ネットの日記を見てても映画観に行くの火曜の夜が多いし、多分来てると思って。それにエロさん、途中で席を移動したでしょ? そのとき、いつも着てる服が見えたから」
 「……よく、そんな、人の仕事の休みの日まで覚えてるもんだな」
 「……どこの店がいつ休みかとか、気になるものなの!」
 女房はてっきり浮世離れしたやつだと思い込んでいたのだが、結構、生活臭いやつだったようだ。
 それにしてもホームズとまではいかないにしても、立派な探偵の才能である。これでどうして女房にミステリーが書けんのかが不思議なのだ。

 マンガ、加藤元浩『Q.E.D.』9巻。
 本格ミステリのゲーム性を追及し、必ずしも殺人事件に拘っていない点、また、探偵があくまで狂言回しで事件の傍観者に過ぎない点などがこのシリーズの好ましいところである。
 今巻の2編は今まででも出色の出来。相変わらず線が硬質で、人間の微妙な表情を描けていない欠点はあるが、プロット、トリックともに『金田一少年』よりはずっとレベルが高い。
 「ケーニヒスベルクの橋」を渡る方法があるとは知らなかったなあ。今まで私が読んだクイズの本にはたいてい「オイラーが渡れないことを証明した」としか書いてなかったぞ。「理系ミステリ」に見せかけていながら、それが実は「心理トリック」をしかける伏線になっているあたり、相当な実力である。
 生意気なだけだなあと思っていたヒロインの水原可奈も、最近はだんだんかわいく見えてきた。出来れば10巻、20巻と続いて欲しいんだが。

 あだち充『いつも美空』3巻。
 3巻目になるというのに、作者がまだどういうことがやりたいのか分らない。ソフトボールマンガになるのか、演劇少女ものになるのか、超能力SF(^o^)になるのか。全然方向性が見えんぞ。
 ……と言うか、作者も迷走してるんじゃないかな。
 キャラクターの幅が狭い人だから、シチュエーションを一本ビシッとしたものにしないとシマラナイんだがな。でも展開が妙に川原泉の『笑う大天使(ミカエル)』に似てるんだがな〜。まさかああなってこうなってみたいな展開になるんじゃないだろうな〜。ちょっと心配だな〜。

 夏目義徳『トガリ』2巻。
 「現世での108日間で108の『罪』を集めてくること」という「シバリ」がまだ物語に緊張感をもたらすには至っていない。内容的には1巻の拡大再生産で、もう少し新しい展開が出てきてもいいように思う。

 蛭田達也『新コータローまかりとおる! 柔道編』27巻(完結)。
 長かった『コータロー』シリーズもついに終わり……じゃないんだよな。まだコータローの両親出て来てないし、次からは『最終章』だそうな。通巻するとやっぱり百巻越えるんだよな。……でもそれだけ続いていてもマンガのレベルが落ちてないからすごいもんだ。
 今回のオチもなかなか粋である。コータローが面白いのは、ギャグなようでいて意外と本格的な格闘マンガであるからってことや、キャラクターの魅力など色々挙げられようが、ひとえにコータローが「粋」だからだ。
 ……でもここまでキャラ増やしたら、最終章、収拾つかなくならんかなあ。

 CSでぼんやり長谷川一夫の『源氏物語』見ていたら、音楽がまたまた伊福部昭で、馬の早駆けのシーンに『怪獣大戦争』マーチがかかっていた。……伊福部音楽は神格化されつつあるが、あの人、こういういい加減な仕事も数多くしているのである。ちょっとどうかと思うけどねえ。
 


2001年03月19日(月) 文句ばっかり言いたかないけど/映画『ONE PIECE 〜ねじまき島の冒険〜』ほか

 朝方、『アニメージュ』と『NEWTYPE』の4月号をやっと一通り読み終わる。今回、読みたい記事が多くて、読み通すのに時間がかかってしまったのだ。……って、朝っぱらからアニメ誌読んでる中年って、そう多くないだろうな。

 まずは『アニメージュ』の記事から。

 『千と千尋の神隠し』、声優がようやく決まったが、主役の二人は子役なのでよく知らない。脇を声優以外で固めるのももう定番で、沢口靖子に内藤剛志とはまたどこで宮崎さんの琴線に引っかかってきたのやら。宮崎さんの役者の起用の仕方に私は基本的に反対ではないので(俳優と声優を分けて考えること自体ナンセンスなのである)、これはどう化けるか期待は大。『ゴジラ』に『ビオランテ』、果ては『竹取物語』で悪評紛々たる沢口靖子だが、演技的に云々できる映画に出ているわけじゃないから、評価は今度が正念場ってところではないかな。

 『山本麻里安のうぷぷん訪問記』(なんちゅータイトルじゃ)、ジブリの高橋先輩のインタビュー。うわあ、ひさしぷりに顔見たけど老けないなあ、先輩。私のほうが年下だなんて顔だけ見たら信じられないよな。
 ご自身の仕事ぶりについて、「アニメーション全般が好きだったわけではない」とか「流されて適当にやってた」とか、やたらと謙遜されているが、どの口でそれを言うか(^_^;)。高校時代、SFとアニメを熱く語り「未来は君に託した」とかテキトーなことを言って私をオタク道に突き進ませたのはこの人のせいだと言うのに。第一今回の記事でも「頭にくるのは、アニメーションをまだ子供だけのものだとか思ってる人が多い」と本気で怒ってるのである。
 全然、「雀百まで」でないの。早口で捲くし立てるあの口調まで聞こえてくるわ。
 前に電話でお話ししたのはもう『平成狸合戦ぽんぽこ』の頃である。今度上京することでもあるし、お会いできないもんだろうか。『千尋』の追い込み時期だろうし、難しいだろうけど。

 『フリクリ』、いよいよ最終巻発売ということで、今まであまりたいした評判も聞こえてこなかったのが、大森望がエッセイで誉めている。「SF的な日常をマジックリアリズム的に受け入れて、その中で生きる人間たちのドタバタを描くっていうのが現代SFの主流になりつつあるんじゃないか」っていう意見には今更何言ってんだって気はするけど。
 『パトレイバー』で太田が「レイバーがどうやって動いてるか分るか?」と言ってたが、いつの時代であろうと、個人にとって世界のあらゆるモノはその全てを把握することの不可能なSF的存在なのである。だからよく考えるとその「すこしふしぎ」な日常を切り取ってドタバタさせて見せる手法、四十年以上前から藤子・F・不二雄がやってるでないの。『フリクリ』が『ドラえもん』の構造に極めて近いことに気がついてないのかね。
 監督の鶴巻和也は今号のインタビューで「『フリクリ』ではSFを断念した」と語ってるが、それは「サイエンス・フィクション」としてのSFではないということだろう。とうの昔にそんな狭い概念のSFは滅んでいるので、もちろん『フリクリ』をSFと呼ぶことに私は一切躊躇しないのである。
 
 『NEWTYPE』の記事から。

 りんたろう(いつの間にか間のナカグロはつかなくなったみたいね)の『メトロポリス』も声優が決定。ティマ(手塚原作のミッチィにあたる)役の井元由香って『オードリー』に出てるらしいが、よく知らない。ケンイチとロックも若手の歌手ということで、このあたりは実際に演技を見てみないと出来の予想もしようがない。脇はやっばりベテラン声優陣で、ロートン博士が滝口順平(絵は手塚原作にもモデルのチャールズ・ロートンにも似てないぞ。なぜだ)。レッド公が石田太郎。ヒゲオヤジはこの人でなくっちゃの富田耕生(熊倉一雄や大塚周夫より私は好きだ)。
 実のところ、このトシになってくると、映画に対してワクワク期待するという気持ちは昔ほどにはない。本当の名作、本当の傑作なんてものがそうそう生み出されるものではないということが見えてくるからだ。ではなぜ命を削る思いまでして映画館に足を運び、アニメやマンガに入れこみ、果ては自分で脚本を書いて芝居を打ったりするかって言うと、余りにもこの日本でタテのつながりが途絶えているからだ。大人はなぜアニメを見ないか。子供はなぜ過去の名作映画を見ないか。自分の狭い価値観の中だけで汲々として、他者を顧みる余裕も、その価値観を認める努力も怠っているからである。
 手塚治虫の『メトロポリス』の映像化に私が惹かれるのは、単純に言えばその世代間の断絶をSFが埋められる可能性を持っていると信じているからだ。SFがただの未来予測小説などではなく、半世紀を経てもなお現実のアンチテーゼとして機能し得るものならば、大人と子供の感動は一つになろう。

 庵野秀明と本広克行の対談、「21世紀になって毎日が未来」って庵野さんの発言、言ってる意味は分らなくはないが、それって自分の想像力の枯渇を表明してるのと同じだぞ。やばいなあ。
 でも日本のSFがハリウッドのSFが勝てない理由が、予算の多寡のせいなどではなく、「法律」の違いだと切って捨てるあたりは、いかにも憤懣やるかたないという感じである。この怒りのエネルギーがある限り、庵野さん、次作も面白いものを作ってくれることであろう。
 でも『アストロ球団』映画化はやめたほうがよかないかな(『トップをねらえ!』で「ジャコビニ流星アタック!」のもとネタが『アストロ』だと気づいたやつがどれだけいるんだ)。私は見るだろうけど。

 4月からの新番組もそろそろ情報が出揃ってくる。
 少女マンガ系で出来のいいのは滅多にないが『コメットさん☆』は悪い予感が当たってキャラデザインが今風にリニューアル。声優に前田亜季使ったって見る気にゃなれんな。『ARMS』、『逮捕しちゃうぞ』も福岡じゃやらないみたい。
 タツノコの『ソウルテイカー』がどの程度かってところだろうか。
 どっちにしろひととおりは録画してあとで見返して保存するものを決めよう。
 特撮では『鉄甲機ミカヅキ』の放映が決まったみたいだが、深夜らしいし、気をつけないと見逃しちまうな。
 『ウルトラマンコスモス』のテレビシリーズは劇場版の続き、という形になるらしい。となると早くて夏ごろかな。旧ウルトラシリーズに関わった恐らく最後の監督、飯島敏弘氏の脚本監督作である。これは期待しないほうが無理ってものでしょう。


 休日前の最後のお仕事。これからしばらく会議は増えるが仕事自体は楽になる。ホームページの原稿なんかも少しは捗るかな。
 今日も帰りにマクドナルドで「てりたまバーガースーパーバリューセット」を女房に買ってやる。昨日は二つ買ったてりたまを両方女房にやったので、今日は私もてりたまを食べる。この程度なら自分で作っても作れないことはなさそうだが、ハンバーガー(サンドイッチも)を自分で作る、という習慣自体、もう日本からは消えつつあるのではなかろうか。
 ……女房の作ってくれたオニギリやサンドイッチぱくついて、花見とかピクニックしてえんだけどなあ。あまり味に期待できないもんなあ。


 女房は夜から仕事だが、せっかく明日が休みでもあるし、意を決して一人で『2001春東映アニメフェア』を見に行く。
 一人で行くよ、と言うと、「自分だけ」と文句をつける。だったらなぜこの間一緒に行かなかったのか。
 拗ねる女房をあとに残し、キャナルシティへ。結婚以来十年、一人で映画を観に行くのは多分初めてである。でも女房は女房で、こないだ一人で『二人の男と一人の女』見に行きゃあがったんだからおあいこだよな。
 こういうすれ違いが二人の間にヒビを入れていくのである。離婚は近い。多分百年後には確実に二人は一緒にいないであろう。
 9時の回を覗こうとしたら、チケット売り場にメガネにデブで髪を櫛でといた形跡もないいかにもオタク風な連中がたむろしている。……って私も同類だ(T_T)。
 もしやこいつらも『アニメフェア』を? と思ったが、買っていったチケットは『ギャラクシー・クエスト』であった。これは女房も見たがっていたので、今日行ってきたと知れたらますます拗ねられるので、近いうちに改めて二人で来よう。

 しかし『東映まんがまつり』の頃は、五本立て、六本立てがザラで、三時間以上たっぷり楽しめたのに、今は堪え性のないガキンチョが増えたか、三本で二時間だ。でも9時過ぎなので会場にお子さまの姿はなし。それどころか全部で十人くらいしかいないがみんなカップルだ。
 ……こんなことなら女房と二人で来れる時に見に行きゃよかった。でもデートするのに寄りに寄って『アニメフェア』を選ぶとは、日本もまだまだ捨てたものではない。

 『ジャンゴのダンスカーニバル』、あれれ、てっきり原作の表紙をアニメ化するのかと思ったら、ちょっと設定借りただけで殆どオリジナル。でもこれが実にいい出来。
 ロトスコープを使わずにダンスをアニメートできる技術は日本アニメの真骨頂。ミュージカルアニメが少なくなってきた中、短いながらもこれは貴重な一本だ。尾田栄一郎の絵って、等身がはっきりしているのでダンスさせるのに向いてたんだと発見。「いやあ、ナミさんセクシー(はあと)」とサンジ風に(^^)。
 もともと東映動画って、『白蛇伝』以来一貫してミュージカルアニメを作って来たんだから、こういうの毎回やってもいいくらいなんだよな。デジタル技術による空間の描写が実写には出来ない奥行きとスピード感を演出している。

 『デジモンアドベンチャー02 ディアボロモンの逆襲』、オープニングがラヴェルの『ボレロ』で始まるのは一作目からのヒキだな。この辺の細かい演出は当然ファンサービスの意味もあるわけだが、うまく合わせることが出来ればこの『ボレロ』って曲、実に使い出があるのである。
 あまり熱心に『デジモン』を見ていなかった頃は、『ポケモン』のバチモンかと思っていたのだが、映画を三作続けて見て思ったのは、これは『ポケモン』との関連性は全くなく、どちらかと言えば『エヴァンゲリオン』の系譜に連なるものだということだ。
 デジタルワールドからのデジモンの侵略、それを迎え撃つ「選ばれし子供たち」という設定、何より「怪獣対決」の舞台設定と画面演出が特撮を範とした『エヴァ』の系列の流れにあるのだ。
 前作が「デジモンの憎しみと悲しみの内面世界」を舞台にしてしまった(この辺も『エヴァ』だな)ために、どうにもカタルシスを得られない展開になってしまったのに対し、今回は敵のディアボロモンを絶対悪として設定している。だから純粋に怪獣対決を楽しめるのだ。
 アニメによる怪獣対決を描くのは無理かなあ、という常識を打ち破ってくれたのが『エヴァ』だとすれば、それを『デジモン』は更に進化させていると言ってよい。その迫力は『ゴジラ×メガギラス』を軽く凌駕している。
 毎回大人が全く出て来ない(だからデジモンを倒すために自衛隊が出動したりもしない)点を不自然に思う向きもあろうが、それは敵となるデジモンの存在自体が「大人」の象徴であるからに他ならない。物語の構造自体は謎が多いようでいて実は単純なのだ。……そういう点も、「使徒」を倒さなければ大人になれなかったシンジくんとよく似ているなあ。
 いやあ、映画はやっぱり予断でバカにしたりしないで、自分の目で見てみるものだなあ。

 『ONE PIECE 〜ねじまき島の冒険〜』、うわあ、五対五の対決モノ、やんなきゃいいのにやりゃあがった。「ジャンプまんがの王道なんだからいいじゃん」という反論はこの場合当たらない。これで『ONE PIECE』が、サンデーの『うっちゃれ五所瓦』の完全な盗作になっちゃったからまずいのである。設定が似てるってだけなら野球マンガは全部『ちかいの魔球』のパクリかってことになるし、あまり目くじら立てたくはないんだけど、ゾロに「俺は二度と負けねえ」と言わしちゃ絶対にいけない。シチュエーションとセリフまで同じだと言い逃れが効かないのだ。
 原作の第一話は本当によかったのになあ。なぜあのまま素直に冒険ものにできないのか。敵のキャラクターは、悪魔の実を食べて物理的に強くなってるだけだから、ルフィたちが一旦敗れても、どうせすぐに巻き返せるさ、という程度のやつらにしか見えない。……その辺を豪華な声優陣でゴマかしてるけど、ゴマかしきれるものじゃない(声優は本当に贅沢だよなあ。玄田哲章・林原めぐみ・青野武・田の中勇・島本須美だぜ!)。
 本当の敵とは、心と心がぶつかり合うものだ。……子供にそんな難しいことは分るまい、なんていうやつは『太陽の王子ホルスの大冒険』を見たこともないんだろうな。もともとルフィってのはホルスみたいなキャラクターに成長する予定じゃなかったのか。強くなるということが誰かの犠牲の上に成り立つものであってはならないと決意した少年ではなかったのか。最近のルフィって、ただ怒りにまかせて乱暴振るってるバカにしか見えないのが辛いのだ。
 でもこの映画がつまんないかっていったらそんなことはないからかえって困るのである。
 途中までは物語の説明でややもたついていたが、ねじまき島に潜入してからのアクションは力技の迫力で見せてくれる。敵の城の螺旋階段ぶち壊して駆け登っていくわ、釣り天井を持ち上げ屋根をぶちぬいて一気に頂上を目指すわ、挙句はゴムゴムで砲弾を跳ね返して島全体を崩壊させるわ、おまえらみんなダーティペアか(・・;)。
 でも面白くっても感動はない。初めからそういう『Dr.スランプ』的な迫力を求めるだけのマンガならいいんだけどね。『ONE PIECE』が目指してたのはそういう方向じゃなかったと思うんだが。
 もういい加減シャンクスと再会させてほしいなあ。そうでないとルフィはいつまで経ってもバカなままだ。連載もどんどんつまんなくなるし、『きん肉マン』や『ドラゴンボール』と同じ運命を辿るぞ。

 予告編で見たが次の『アニメフェア』は『きん肉マン2世』をやるらしい。また旧シリーズのようなヘタレアニメになるならご免被りたいが。


2001年03月18日(日) めおと変態/『セクサドール』(石ノ森章太郎)ほか

 休日だけれども出勤。と言っても午前中だけだし、帰りに買い物もできるのでまあいっかな。
 この間から女房が「マクドナルドの照り玉バーガー食いたい」とぴーぴーうるさいので買ってきてやる。女房はやっぱり寝ていたが、「ハンバーガー食うか?」と聞いたら「食う」と言って起きてくる。
 ポストの中に郵便局の不在通知が入っている。送り主を見てみると、「アートスフィア」。わわわっ。シティボーイズミックス『ラ・ハッスルきのこショー』のチケットではないか。女房のやつ、また寝ていて郵便に気がつかなかったな。
 いつも「一日中寝てるわけじゃない」と嘯く女房だが、それなら全ての郵便が不在通知になる事実はどう説明をつけるのだ。
 慌てて郵便局に電話して、夕方に届けてもらうようにする。
 6時過ぎにチケットが届く。ちゃんとS席3枚、5月3日の分だ。前の方でもやや端のほうの席。チケット販売2時間後だとこんなものか。ともかくこれで東京行きは完全決定である。今月と来月は節約せねば……って、『ガメラBOX』に『ブルース・ブラザースBOX』もあるんだよう。食費を減らすしかないじゃないか。
 ……来月はラーメン生活だな。
 チケットと一緒にチラシも封入されていたが、表はタイトルのみ、裏は会場と問い合わせ先のみ。出演者の写真すら載っていない。情報量は必要最低限に絞られているのだが、それがかえって潔くすっきりしたデザインになっているのはさすがである。ウチのチラシはこうはいかないものなあ。
 来年の仕事の予定が先日決まったのだが、5月6日に休日出勤なんぞが入っているのである。……危うくニアミス(・・;)。もっともぶつかったらぶつかったで仕事を誰かと交代してもらったのに違いないのだが。
 
 女房に「飲み物持ってきてくれ」と頼むと、突然、口にお茶を目いっぱい含んで「むふふふふ」と気持ち悪い笑い声を立てながらせまってきた。
 思わず女房を蹴飛ばし「な、なんだ!?」と叫ぶと、女房はお茶をゴクンと飲み干し、ドアのカレンダーを指差して、「あれのマネ」。
 見ると、そこに掛かっているのは「妖怪暦」で、寝ている人間の口から精気を吸い取っている妖怪「山地乳(やまちち)」の絵が。
 何が楽しゅうて貴様はこんな毛むくじゃらのトンガリ口のナインティナインの岡村似の化け物のマネをせにゃならんのだ、この変態めが。
 ……ちなみにこの『絵本百物語・桃山人夜話』から採られた絵だが、山地乳に寝息を吸われている若衆、年配のオヤジと同じ蒲団に寝ているのである。……するってえと、こいつ、ホ○……?(・・;)

 なんだか最近女房の変態度は以前よりも更に輪をかけてグレードアップしてきているのである。

 昼間疲れてぐっすり寝ていたので、ビデオも本も少しだけ。
 録画しておいた『仮面ライダーアギト』8話。
 一杯地にまみれたアギトのリベンジ編、というのは定番だが、おもちゃの飛行機を見ているうちに飛んで攻めてくるカラス男の弱点を発見するあたりが、描写不足でよく分らない。
 真魚が、壊れたベッドを修理している翔一の姿を見て、自分の父を殺したのが翔一であるはずがない、と納得するのもちょっと展開があっさりしすぎているのではないか。「超能力少女」と言っても、こう簡単に迷いが生じる程度の能力だと、今一つドラマを牽引していけるほどのベクトルには欠けるのである。
 謎の少年、またひとまわり大きくなっちゃったが、このへんで打ち止めだろうなあ。アンノウンの正体のヒントがまるで出てこないので、どうもシナリオライター、先の展開をあまり考えてないんじゃないかという気もしてくる。アギトにギルスにG3と、三本のドラマを互いに関連させつつ進めて行くというのは大変だろうが、なんとかうまくまとめてほしいものだ。
 今日は深夜にも、『サンデージャングル』で『アギト』の特集をやっていた。三人の主役は女性週刊誌の取材も受けるほどの人気で、その秘密は「くしゃっとした笑顔が癒し系」だからなそうな。でも番組のプロデューサーは「癒し系って意味はよくわかんないんですけどね」と正直にコメントしていた。
 私なんぞは藤岡弘の生きざま見てた方がよっぽど癒されるがなあ。
 ヒロインの秋山梨奈ちゃんは今年から高校一年だそうな。素顔はフツーの女の子である。おおっ! いつも番組では髪を下ろしていたが、髪を上げると首筋にホクロがっ! これはチャームポイントだっ! ……って何を娘みたいな女の子に入れこんでんだ(-_-;)。
 私も結局、女房と同じく変態(T_T)。

 ビデオ『D』episode2。
 この監督、てっきりダーティーヒーローものがやりたいのかと思っていたら、そうじゃなくてただ単にグロがやりたいんだな。隕石怪獣が鶏にとっつくってのも明らかにグロ狙い。
 見ていてどうにもイライラするのは、まともな神経を持った人間が誰もいないってことだ。「どうせ死刑囚だから怪獣にぶつけちまえ」って、『スケバン刑事』でもやってた設定ではないか。というか、西部劇でならず者を保安官にしたてたネタあたりがルーツだろうから、新味のないこと夥しい。
 安手の『県警対組織暴力』の中に怪獣とロボットぶちこんでるようなもので、主役も脇役もみんなさっさと死んでくれないかなー、とこちらも殺伐とした気分になる。
 ああ、あと一話か。見るのキツイなあ。最後に一人くらい、清純なヒロインが現れて、「もうこれ以上、人を殺すのはやめて!」とか主役に涙ながらに訴える……なんて展開にはならんのだろうな。

 マンガ、石ノ森章太郎『セクサドール』1・2巻(完結)。
 先日から石森さんの旧作を少しずつ揃えていこうと買ったもの。エロマンガでもちゃんとSFしちゃうってところが石森さんらしい。
 というか、「ロボットに心はあるのか」とか「人とロボットの間に愛は生まれるのか」とか、これ手塚治虫の『鉄腕アトム』と同じテーマではないか。手塚さんの存在って、やっぱりトキワ荘の人たちには抜き差しならないほどの影響与えてるんだよなあ。トラウマに近いのかもしれない。

 さあ、明日仕事をすれば休日だ。今度こそ原稿を……書ければいいな。


2001年03月17日(土) 嫌煙権を振り回す気はないけど/『風雲ライオン丸』(うしおそうじ・一峰大二)ほか

 夕べからの頭痛が、一晩寝ても治らない。
 日頃煙草の匂いと全く隔絶した生活を送ってるので、たまにちょっと道端なんかで匂いを嗅いだだけでも覿面、アタマに来てしまうのである。
 あ……、そう言っている間にも頭の奥がガンガンと……。

 駅のホームなんかで平然と煙草吸ってるやつらや歩きながらカッコつけて煙草吹かしてるやつらは、自分が周囲にどれだけ迷惑かけてるかなんて意識はカケラも持っちゃいないんだろうな。喫煙コーナーで吸ってるんだからいいんだ、とか、風に流されてるから迷惑なんかかけてない、なんて思ってる連中に至っては最低なクソ野郎である。か、風で流れるから被害が広がるのではないか。煙はそんなに簡単に薄まったりはしないのだぞ。そんな簡単なことも認識できんのか。ほ、ホームのどこにいようと煙は風で流れてくるのだ。逃げられないのだ。被害は無差別に周囲の人間を攻撃し、苦しめているのだ。私がそれでどれだけ苦しめられ脳細胞を破壊されてきたか知っているのか貴様らは。こ、これはもうまさしく毒ガス攻撃ではないか。げほげほげほ。サリン事件がどれだけ多くの人間を巻きこんだかを考えてみればいい。貴様の一回の喫煙で少なくともその近くにいた数十人、数百人、数千人が確実に被害にあっているのだ。お、お前らはナチスドイツやオウムと同じ行為をしているのだぞ。この鬼め人非人め悪魔めド外道め。私の壊れた脳細胞を返せちぎれたニューロンを返せ。
 喫煙の常習者は既に脳が犯されているのでもうそんなことも想像できないくらいバカになっているのだ狂っているのだ。そのくせやつらは我々非喫煙者を大人になれぬやつらとバカにし、シニカルに笑って煙を吐きつけてくるのだ。こ、この既知外どもめが。あんなやつらを放置しているから巷には犯罪者が増え教育が荒廃し政治が腐敗し国家が崩壊していくのだ。喫煙者はみんなとっ捕まえて隔離してしまえ。踏絵を踏ませろ。改宗をせまって従わぬやつは拷問にかけろ。クズどもはみんな粛清だ。血だ血だ血だ。日本を喫煙者の血で染め上げるのだ。まずは私が手近にいる喫煙者を始末してやるぞ。
 ……お? あそこに女を待ってるらしい喫煙者がいるな。吸殻が足元にうずたかく山になっていやがる。どうせ喫煙者のことだから女を引っ掛け弄んだ挙句に捨ててやろうとしてるに違いない。あんなやつはこの世から消えた方が世界のためだ。あいつのノドもとにグサリとこのナイフで……。うひひひひひひ。

 ……ほら、煙草ってとっても危険でしょ。心の健康のため、吸いすぎには注意しましょうね。

 帰宅して風呂に入り昼寝する。夕方近くになってようやく頭痛も収まった。ほぼ丸一日、苦しい思いをしたが、気分もなんとか落ち着いてくる。
 その間、多少危険な考えが心を支配していたようであるが、まあ、私の中のトレイシー・ハイド氏(*)の仕業であるので、あまり読者の方は気になさらないように。あ、藤田くんに其ノ他くん、私の近くで煙草を吸っても多分危険はないと思うので安心してね。

 昨日は「ポパイ」に5時間以上居続けだったので、日記を書くヒマもなかった。こういう時に限ってやたらと本を読んでいて、書くことが多い。うわあ、一昨日の分から溜まっているのだ。もう何をしたか細かいところは覚えていないぞ。なんとかちぎれかけたニューロンをつなぎ合わせ、記憶を取り戻しつつ、ひたすら日記を書く。

 マンガ、内藤泰弘『トライガン・マキシマム』5巻。
 うわあ、ミッドバレイがもう死んじゃった。ナイブズへの反逆の芽を持っていた人物だけにもう少し引くかと思ってたけど。GUNG-HO-GUNSももう殆ど残ってないなあ。あと数巻で終わりってことなんだろうか。
 私はこの『トライガン』シリーズを「人を傷つける意志もないのに傷つけてしまった人間の贖罪の物語」と受け取っている。この場合、その「贖罪」をしようとする主人公のヴァッシュが実は「人間ではない」ことが逆に重要な意味を持っている。「人間でないモノ」だけが贖罪を考えているということは、つまりはそもそも「人間に贖罪が可能なのか」という問いにも繋がっていくからだ。
 しかもそこにもう一つ「人はどこまで非暴力を貫けるのか」という問いまでが絡んでくる。
 実にハードなテーマに取り組んじゃったなあ、この作者、と思っていた時に起こった、例のバクダン事件。掲載誌の変更といい、作者もいろいろと不運なことであったが、メゲずに書き続けているのは立派だ。出版社が少年画報社というのも幸いしたのかもな。あまりデカいとこだと、連載切った方がリスクが少なくてすむ、と判断されちゃうだろうし。
 アニメ版と展開が違ってきているのも嬉しい。もしかしたらウルフウッド、死なずにすむかも……と言うか、死なさない方法を考えて欲しいなあ。彼もまた彼なりの十字架を背負いつつ生きているのだから、それが「死」という形でしか決着を付けられないというのは安易だと思うからだ。

 マンガ、和田慎二『超少女明日香 聖痕編』2巻(完結)。
 完結ったってどうせまだ続く(^^)。というか出版社を白泉社からメディアファクトリーに変えて(これで二度目だ)、更なる新シリーズを始めるためのプロローグって感じの作品だった。
 おかげで一也も出て来ない。でも明日香のヌードが初めてカラー収録(うへへ)。どっちかというとチンチクリンの明日香の方が私は好きだが。
 しかし明日香を自然の友という設定にしておきながら、いつまで経っても一也と結ばれないように仕向けているということは、自然ってのはやっぱり意地悪なものだってことなのであろうか。前作までで自然保護団体の欺瞞をバッサリ切って捨てた和田慎二だけに、中途半端な話にはならないと期待しちゃいるが、無理矢理なすれ違いドラマにするのはもうそろそろカンベンして欲しいかな。

 うしおそうじ・一峰大二『快傑ライオン丸』2巻、『風雲ライオン丸』(完結)。
 あっ、テレビ版でゴースンの人間バージョンを演じていたの、天津敏さんだったのか。放映当時見ていたはずなのにすっかり忘れていたぞ。こ、これはなんとしても手にいれねば……って、どうやって(-_-;)。
 多分DVD発売なんてそうそうやるまいし、されたとしてもBOXだろうし。一話かそこらのために全話買うほどの番組じゃないしなあ。
 それより『隠密剣士』と『仮面の忍者赤影』のDVDBOX出ないかなあ。これなら天津さん目いっぱい出てるし、絶対に買うのだが。
 それはそれとして『ライオン丸』である。
 一峰大二の絵は、イマドキの若い読者には濃過ぎて親しめないかもしれないが、私は好きで愛読していた。昔のマンガの伸びやかでやわらかな線と、劇画の硬質で骨太な線とが混じったような感じで、後半完全に劇画になりきって面白味のなくなっていった川崎のぼるの『巨人の星』より、一峰さんの『黒い秘密兵器』の方が野球マンガとしては好きなのである。
 『風雲』の第2話、『シャゴン』は特にギャグが満載で(設定がもともとギャグという批評は置いといて)、三吉が作った機関銃の石のタマが地虫忍者の口に「ガポッ」とはまるシーンだの、その三吉を誘拐して無理矢理作らせた特製火薬による弾丸が暴発した途端、怪人シャゴンが「ムハーッ」とのけぞるシーンだの、擬音が水木しげる的に大げさで、その大らかさが本来シリアスなドラマ展開を適度に緩和していていいのだ。やっぱり敵を切る音は「ドバッ」でなくちゃな。
 キザなシーンもあるぞ。志乃と三吉を救ったジャガーマン、三吉から「なぜおいらたちを助けてくれたんだい?」と聞かれて、「おまえの姉さんがきれいだからだ」。……豹に「きれい」って言われてもなあ(^_^;)。
 テコ入れのためだったのだろうが、ライバルのジャガーマンを殺し、ライオン丸も傷つき挫折し、新たに『快傑』のレギュラーライバルだったタイガージョーの弟を登場させてライオン丸を激励させる展開も定番だが充分ドラマチックだ。
 だから戦国時代なのに「ロケットライオン変身!」はないだろう、なんてクダランツッコミはどっかにすっ飛んでしまうのである。いや、突っ込んで楽しむのはいいんですよ、もちろん。
 うしおそうじはまたぞろ「立体アニメでリメークを」なんてラッパ吹いてるが、誰も金出しゃしねーって。
 『快傑』と『風雲』の巻末に収録されているうしおそうじ本人の筆になる原作版『風雲ライオン丸』、昭和48年の時点でもこの30年代を思わせる絵物語風の絵柄で堂々と描いていたというのはすごい。
 設定のいい加減さは一峰版の更に上を行く。一峰版では三吉たちの馬の名は「アオ」なのにうしお版は「しぇーん号」。ひらがなにしたってなんの意味がある(^_^;)。セリフも妙にくどい。「これは母上がかたみにくださったかたみのポンチョです」。ポンチョもなんだかなあ、なんだが、「かたみ」を二度繰り返すのはなぜなのよ。
 ブラックジャガーに変身する時のセリフ、「豹変!」……いや、文字通りなんだけどさ、「豹変」ってそういう意味じゃ……。しかもそれを見た敵の怪人のセリフが「変身したぞ! なまいきなやつめ!」。なるほど「豹変」するのは「なまいき」なのか。世の女の子は、もし男に襲われそうになったら「なまいきよ!」と怒鳴ってあげよう。きっと相手は自分のなまいきさを恥じて退散してくれるでしょう(^o^)。
 脱力するセリフはとても多過ぎて書ききれないので、あとはどうぞご購入して確かめて下さい。ただし各巻1800円します(T_T)。

 半徹夜で日記を書きつづけていると、夜中に東京の友人のこうたろうくんから電話。何だか成り行きで劇団の関東支部長になってしまったのでご挨拶である。
 「ホントに俺がはいっちゃっていいの?」
 と、遠方でなにも手伝えないのにオジャマムシではないかと気にしている。何がお邪魔なものか。「人生は舞台」というのが真実ならば、その舞台に立ってる人は「必要だから」「役に立つから」そこにいるのではなく、「そこに立ちたいから」そこにいるのである。
 演劇が他の職業と違うのは資格なんかいらないということである。その人に芝居の才能があるか、とか、練習をどれだけ積んだか、ということは、演劇をする上では実はなんの意味もないのだ。そこで「何かをしたい」(「何かが出来る」ではない)、という気持ちだけが唯一の条件と言えば条件。
 ……となれば、ウチの劇団に入るのなんて、「何かしたい」だけで十分で試験なんていらないんだけどね。女房のやつ、こうたろうくんにレポートまで書かせたらしい。なんてイジワルなやつなんだ(^_^;)。
 久しぶりに声を聞けたので、つい『ホームズ』や『ワンピース』、『仮面ライダーアギト』の話など、長話をしてしまった。オタク同士で話をし出すと、楽しいことは楽しいのだけれど話の切れ目がなくなるのが玉にキズなのである。電話代かけさせちゃって申し訳ない。
 しかしこうたろうくんに「面白い!」と勧められて、俄然、『ワンピース』と『デジモン』、見に行きたくなってしまったぞ。女房と一緒に行く時間もなかなか取れないし、困ったなあ。

 (*)今日の蛇足。
 ギャグが通じない人がいると困るので一応書いとくけど、「トレイシー・ハイド」ってのは映画『小さな恋のメロディ』の主演の少女俳優です。『ジキルとハイド』とはなんの関係もありません。……頭ん中にトレイシー・ハイドがいたらちょっと気持ちいいかも。
 あちこちタグを使おうかとも思ったけど、今日のはちょっと切れた演技をしているので、それを本気に取るバカがいると困るなあ、刺激が強すぎるかもと思ってやめました(兼好が『徒然草』の中で「既知外の真似するやつは既知外」と言ってたな。当たってる場合もあるがそうなると役者はみんな既知外である)。
 個人のホームページでそこまで気をつかわんでもとは思うんだけどね。


2001年03月16日(金) ワーオ、なんてこったい!/DVD『シックス・センス』ほか

 ここ数日、すっかり春めいてきていて、仕事場に自転車で行く時もしっとり汗ばむようになってきた。でも桜はまだつぼみもつけていない。
 季節は春が近くとも、世間じゃ殺伐とした事件が続いている。新聞は「戦後初のデフレ」を大見出しで載っけた。昔、やたらインフレが続いてたときゃ、「物価は上がるしかないのか」と暗澹たる気分になったが、デフレはデフレで物価も下がるが給料も下がるんでやはりよくないそうである。……だったら結局、経済が安定してる状態、なんてものが幻想じゃないのか。
 女房はよく「大金持ちになりたい」と妄想してるようだが、端で見てると『どですかでん』の乞食の親父(三谷昇が演じてたね)みたいで、いつか「プールが出来たよ!」と言い出すんじゃないかと思うと気が気でない。とりあえず私も「うん、そうだね」と相槌を打つのみである。

 昨日の寝不足がたたって今イチ元気が出ない。自業自得なので早退するわけにもいかない。それに今日は女房の夜の仕事が休みということなので、前々から約束していた通り、博多駅のインターネットカフェ、「ポパイ」に行くことにしているのだ。平日の夜というのは正直な話、ちょっとキツイのだが、今週は休日出勤もあるので、何曜日に出掛けようが大した差はないのだ。なんとかペース配分しつつ、体を誤魔化すことにする。
 体調がよくないのは糖尿の薬がそろそろ切れかけているせいかもしれない。仕事の関係で医者に行くのが遅れているので、仕方がないのだが、どうせ病院変わるんだしなあ、と思うと、薬だけをもらいにいくのも億劫になるのだ。毎日飲まねばならぬのを二日に一回と言うように分けているが、これだと検診の結果が悪くなるかも知れず、またまた医者の説教を聞かねばならぬかと思うと気鬱になる。

 帰宅してみると女房があられもない格好をしている。と言ってもコスプレしているわけではない(女房に出来るコスプレなど、ドラミちゃんぐらいのものだ)。
 てっきり出かける気をなくしたのかと思ったが、やっぱり行くという。
 ……あとで判明したが、目当てはやはり『ナニワ金融道』であった。
 だからなぜそこまで『ナニワ』にハマる?
 外はうっすら霧が出ているようで少し冷えていたが、まあ雨が降るほどではなかろうとタカを括って出かける。
 先に紀伊國屋書店で、買い忘れていたマンガなどを買う。『超少女明日香 聖痕編』2巻がやっと手に入った。でも奥瀬サキ『低俗霊デイドリーム』1巻はまだ……。一度買い損ねるとなかなか見つからないからなあ。
 「ポパイ」、前回来たときには安い席に座ったが、今日は奮発してペア席を取る。パソコンにプレステ、両方あるが個人席より大して値段が高いわけではない。6時間使い放題で一人2200円。
 女房はイスがふかふかのソファなので早速横になってニコニコしている。……私が座れんじゃないか。
 女房がひたすら『天才柳沢教授』全巻読破に挑戦している間(『ナニワ』は見つけられなかったようだ)、私は私で、DVD見たり、マンガ読んだり、ハヤシライスやエビグラタン食って、ドリンクバーで際限なく飲んで(あ、抹茶ミルクとかだからね)5時間。気がついたら午前様である。明日も仕事だってのに何考えてんだろうなあ、私は。しかも途中から隣のブースに入ったやつらがヘビースモーカーで、すっかり煙草にやられてしまった。外に出るころには頭痛と眩暈で吐き気までしている。もしかしたらと心配していた雨まで降っていた。
 途中でコンビニに寄って傘を買い、買った本が濡れぬよう、ビニール袋をもらったが、女房は「傘をさすくらいなら濡れた方がいい」と濡れ鼠になって帰る。
 体力に自信があるやつはいいよな。もう私には「春雨じゃ、濡れていこう」なんてカッコつけは出来ないのである。
 帰宅しても風呂に入りながら買ってきた本を読む。就寝は今日も2時。ああ、4時間しか眠れんやんけ。

 DVD『シックス・センス』、特典映像を目的で見る。
 公開当時は賛否両論、ラストのどんでん返しでビックリするか腹を立てるかバカにするか、反応は色々分れていたようだが、落ちついて見返してみりゃ、それほどバカにするほどのものでもない。「ありふれたネタ」とか、「途中でネタバレする」とかいうのは、この映画の場合、実は批判にはなってないのだ。別に本格ミステリーじゃないんだから。
 早い段階でネタに気づいたら、それぞれのキャラクターの演技をじっくり見てもらうのがこの映画の一番楽しい見方だと思う。
 ホント、ハーレイ・ジョエル・オスメントもトニ・コレットも半端じゃない上手さだよ。
 未公開シーンは、別にカットしなくてもよかったんじゃないかな。特にラストシーンがカットされた理由は「悲しすぎる」ということらしいが、あれは絶対あった方がいいな。

 マンガ、久保田眞二『ホームズ』1巻。
 シャーロック・ホームズのパスティーシュはこれまで小説か映画が主で、マンガは少なかったと思う。まあ、ヘタなもん作っても貶されちゃうだろうから、手をつけないほうが無難、というところなんだろうけど、そう考えるとこのマンガ、結構無謀だ。
 ホームズに鹿撃ち帽を被らせなかったのはひとつの見識かもしれないけれど、絵としてのイメージとして「ホームズに見えない」というのは失敗だよなあ。
 トリックがチャチなのも(といってもホームズの原典が今の目で見るとチャチになっちゃってるけど)、小学生向けのミステリ入門的な『コナン』ならともかく、青年マンガとしては興味を半減させるばかりだろう。
 でも何より脱力させられるのはワトスン役の「明智大五郎」。……そのうち夏目金之助とも共演させるつもりなんじゃないのか。

 マンガ、山本貴嗣『夢の掟』2巻(完結)。
 あっ、もう終わりなのか。話の展開からすると、まだプロローグって感じなのに、人気なかったのかなあ。確かにジル・ハワードっていかにもテコ入れキャラって感じだったけどな。
 作者ご本人は格闘ものに造詣も深く、それをマンガに描くことがお好きのようだが、本人が思ってるほどにはその格闘術のスゴさを伝えきれてないのではないか。格闘の「型」を描くこにこだわるあまり、「動」が今一つ感じられないのである。効果線で誤魔化してあっても、『イガグリくん』の方がマンガとしての迫力という点では勝っているのだ。

 マンガ、北崎拓『なんてっ探偵アイドル』3巻。
 借りて読んじゃったわけだけど、買うべきか買わざるべきか未だに迷う(なら買わなきゃいいじゃん)。
 ミステリマンガブームの仇花(にすらならんかもしれんが)としてとんでもないことやってくれんかと期待して読んでるようなもんだものな。既に「アイドルだけど実は大金持ちの大立者の娘(らしい)」というトンデモなキャラなら出てるけど。

 マンガ、阿萬和俊『ガダラの豚』3巻。
 ようやく原作の前半部にあたるところまで進んで終わる。ということは全6巻くらいか。中島らもの原作を気に入っているだけに、絵がヘタなのがどうにも気に掛かる。もっとマンガチックな絵柄の方がかえって恐怖感は増すと思うんだが。

 ここまでが借りた本。買い損ねた本ばかりだ。先に読んじゃってはいるけど、この辺の本も改めて買っちゃうんだろうな。……丹念に古本屋を回ろう。で、もし見つかったら『ナニワ金融道』も女房に買ってやろう。


2001年03月15日(木) ナニワの謎/『怪盗対名探偵 フランス・ミステリーの歴史』(松村喜雄)ほか

 仕事が長引いて帰宅が遅れる。
 あぶく銭が手に入ったので、久しぶりに女房を誘って外食でもするかと、餌を持って帰る親鳥の気分で帰ってきたのだが、なぜか部屋のどこにも女房の姿がない。
 パソコンは点けっぱなし、前のテーブルには食べ掛けの焼肉が置きっぱなしになっている。
 なんだかメアリー・セレスト号のような状況で、いったい何があったのかと、あたりを見まわすと、女房の携帯電話がない。もしかして待ちくたびれて一人で食事にでも行ったのかと、コールしてみると、女房はすぐに出た。
 「なんだ、外、出てたのか?」
 「うん、そうだよ」
 「今どこだい?」
 「ウチの近く。もうすぐ帰るとこ。……なんでいきなり電話してくるん?」
 「いや、仕事がないなら食事にでも行こうかと思って……」
 「なんで!? 貧乏やなかったん!?」
 ……確かに給料日前の生活は楽じゃないが、テメエの夫をホームレス寸前みたいな言い方するなよ。

 帰宅した女房と、どこで食事したいか相談する。
 女房は仕事があるのであまり遠出はできない。
 「食事はね、ガストかロイヤルがいいの」
 「どっちがいいんだよ。ちゃんと決めろよ」
 「『超少女明日香』の2巻が出てるはずなんだよな。『積文館』にはなかったんだろ? じゃ、『ホンダ』に行こうか」
 「じゃ、食事はロイヤルだね。デザート食べてもいい?」
 「いいよ。先に本屋寄っていこう」
 「うん、探したい本もあるし」
 「何を探してんだ?」
 「……秘密」
 「なんで? はっきり言えよ」
 「……『ナニワ金融道』」
 「……なんでいきなり!?」
 「こないだ『明日香』探しても見つからなかったから、代わりに1巻買ったの……」

 よくわからないのは、女房がどうしてよりによって『ナニワ金融道』を選ばねばならなかったかということだが、理由は永遠の謎である。

 本を買いこんで、ロイヤルホストでチキンカツを食べる。女房はハンバーグ。
 食事中、女房は『笑点の謎』に読み耽り、私は『石ノ森章太郎キャラクター図鑑』2巻に没頭する。
 ……ウェイトレスさんは変なカップルだと思ったろうなあ。



 女房は仕事があるので、本屋の前で別れて、私はもう一軒、馴染みの本屋を廻る。一気にン万円使っちまったが、これでも買う本絞っちゃいるのだ。

 帰宅して風呂に入りながら本を読む。

 松村喜雄『怪盗対名探偵 フランス・ミステリーの歴史』。
 昭和61年度日本推理作家協会賞評論賞受賞作。600ページはある大著だが、面白くて一気に読んだ。
 筆者は江戸川乱歩の従弟半にあたる。子供のころから乱歩の薫陶を受け、日本で出版されたミステリはことごとく読破し、飽き足らずに、海外ミステリを原書で読むためにフランス語を学んだというツワモノである。
 ……でも羨ましい環境だよなあ。偏見かもしれんが、これが清張だとミステリファンにはならないのではなかろうか。私も親戚に乱歩が一人ほしいぞ。
 私もそれなりにミステリファンを自認してはいるので、ミステリの歴史については中島河太郎や九鬼紫郎、ハワード・ヘイクラフトの著作なんかで一通りお浚いはしている。だから羅列される海外のミステリ作家の名前で知らないものはない。
 でも名前を知ってるということと、読んでるということは別だ。
 ……白状しよう。私はジョルジュ・シムノンのメグレ警部シリーズは『男の首』と『サン・フィアクル殺人事件』くらいしか読んでいないのである(あと短編を少々)。
 S・A・ステーマンやボアロー&ナルスジャックは一冊も読んでない。ミステリファンが聞いたら、「えっ!? 『マネキン人形殺害事件』や『悪魔のような女』を読んでないの!?」とバカにされるのは必定だ。持ってはいるんだけど積ん読になってんだよねえ。……20年くらい前から(-_-;)。
 本を読むのにも「縁」というものはあると思っている。人間、逆立ちしたって、一生のうちに読める本なんて、十万冊いかないのだ。ちょっと興味をもって読み始めたはいいけれど、何となくそのまま放りだしたって類のものはいくらでもある。それをもう一度読む気にさせよう、ってのが評論の使命の一つではなかろうか。
 松村さんの批評は、日本のミステリが英米の影響下にあるという通説に真っ向から反対して、むしろフランスミステリに源流を置いている。その論理にはやや我田引水的なものも感じないではないが、確かに乱歩の『怪人二十面相』シリーズに『ファントマ』や『ジゴマ』の影響を感じないわけにはいかない。
 『ファントマ』の表紙絵を見てビックリしたのは、そのいでたちがシルクハットに覆面で、二十面相のイラストにそっくりだったことだ(実は原作小説にそういう描写はない)。イラストだけに留まらず、逃げる怪盗と追いかける探偵の活劇パターンを、乱歩はフランスのロマン・フィユトン(新聞小説)からそのまま自分の通俗小説に移植したと言っていい。
 ……それが巡り巡って、『ルパン三世』や『キャッツ・アイ』、『怪盗セイント・テール』にまで及んでいるのだ。これは冗談でも何でもなく、昔見た映画で、ジャン・マレーのファントマと、それを追うルイ・ド・フュネスのジューブ警部の関係が、あまりにルパンと銭形にそっくりだったので驚いたこともある。
 コナン・ドイルよりもモーリス・ルブランの方がトリッキィであり、ルパンシリーズを冒険小説と見るのは不当だ、という筆者の意見にも賛成だ。ホームズとルパンはある程度読んでいるから、その比較は容易だ。例えば『ホームズの冒険』と『怪盗紳士ルパン』『ルパンの告白』『八点鐘』を読み比べてみればよい。犯人が仕掛けるトリックとしては、ドイルよりルブランの方が相当凝っている。
 目からウロコが落ちたのは、ジュール・ヴェルヌをSF作家としてではなく、ミステリ作家として捉えていることだ。もちろん、ヴェルヌがSFの鼻祖であることを否定するつもりはないが、『八十日間世界一周』の最後のどんでん返しを一つのトリックと見るなら、それはまさしくミステリのものである、という指摘には思わず首肯した。
 こういう評論読むと、俄然、積読本の中から読み逃してたミステリを引っ張り出してきたくなっちゃう。で、ステーマンの『マネキン人形』とサジイの『ジゴマ』、枕元に用意したけど、今度こそ読み通せるのだろうか。 

 マンガ、青山剛昌『名探偵コナン』31巻。
 小学館漫画賞受賞は遅すぎた感じもする。読者の心を掴む要素はちゃんとあるのだ。相変わらずトリックには無理があるし、犯人があまりにも犯人っぽくはあるけど(^^)。
 笑えたのは裏カバー見返しの「青山剛昌の名探偵図鑑」。31人目ともなるとネタが尽きたか、「遠山左衛門尉景元」だと。
 ……多分、青山さん、テレビ見てただけで、原作小説は一冊も読んでないな。「私のオススメは『遠山の金さん捕物帖』」なんて書いてやがるが、陣出達朗の原作は『すっとび奉行』とか『はやぶさ奉行』とかの『〜奉行』シリーズであって、『遠山の金さん』シリーズとは言わないのだ。山手樹一郎の小説版なら少し近いが、こちらも『遠山の金さん』で、「捕物帖」という言葉はない。……こりゃそのうち鞍馬天狗や旗本退屈男も出してくるかも知れんな。

 マンガ、矢野健太郎『ネコじゃないモン! ミレニアム版』10巻(完結)。
 ♪おっはよっで、始まるっ、まったねっで、お休み、そして、好っきよっで、も一度、ネコじゃないモン♪
 ……最近、谷山浩子も聞いてないなあ。
 女房に冷ややかな目で見られつつ、シツコク買いつづけてた『ネコモン』も、やっと完結。今読み返すと作者と登場人物は真剣に恋に悩んでるつもりかもしれんが、相当支離滅裂で、その時々のイキオイに引きずられてストーリーが右往左往している感じが強い。というか、絵の演出力がないので、話が薄っぺらになっていくのだ。カッコつけのキャラ、多過ぎだもんなあ。
 じゃあ、今は画力も演出力も上がったかなあと、巻末の新作を見ると……。
 クサイ演出は変わっとらんわ(-_-;)。作者、もうトシなんだから無理してコギャルを主人公にするなよ。
 でも当時の私がなんでこんな恥ずかしいシロモノに入れこんじゃったかというと、登場人物と年齢が全く同じだったからである。しかも似たような恋愛沙汰やってたし(^_^;)。ああ、青春ってバカなんだよなあ!!
 「昔ハマって読んでたことが今になると恥ずかしいマンガベストテン」、なんてのを作ってみてもいいかも知れんな。とりあえず私の場合、この『ネコモン』に小山田いくの『ぶるうピーター』は絶対にランクイン(^o^)。

 『石ノ森章太郎キャラクター図鑑 volume002[仮面ライダー+中期作品編]』
 第1巻からほぼ一年ぶりの第2巻発売。編集に時間が掛かったのか、それともよっぽど売れなかったか。メディアファクトリーのショウタロウ・ワールドシリーズも売れ行きが厳しいとも聞いたし、原作がちゃんと売れてくれないと、『仮面ライダーアギト』や『キカイダー・アニメ版』の続編も、『009』のアニメ化も苦しくなるからなあ。
 しかし改めて思うが、石森さん、手塚治虫の執筆量に負けないくらいの作品数があるんじゃないだろうか。手塚作品もとても全作読破は難しいが、石森作品もこうしてカタログ見ているだけで、ああ、あれもこれも読んでない、というのがゴロゴロあるのである。何しろ私は『リュウの道』をまだ通して読んだことがないのだ。ってこればっかだな。
 『仮面ライダーアマゾン』が単行本になっていないのは、ページ数が少ないせいなのかな。あれだけテレビの原作を担当しておきながら、石森さん自身がマンガ連載を行っていないものも多い中(『ビッキーズ』や『ポワトリン』のマンガ版、見てみたかったなあ)、この『アマゾン』はペン入れこそ石川森彦に任せはしたものの、下書きは石森さんの手になるものなのである。なんとかショウタロウワールドの第3期に収録して欲しいんだがなあ。
 晩年の描けなくなった時期の作品は哀れで見返すのも辛いが、初期、中期の傑作群は今見ても充分楽しめる。SF作品に比べて、ギャグマンガは今イチ評価が低いが、『ちゃんちきガッパ』はぜひ再版して欲しい傑作だと思う。今や忘れられかけているこの作品が、ちゃんと2ページ使って紹介されていたのがうれしかった。
 ……でも女房の好きな『シロクロード』は紹介されてないな(^o^)。

 マンガ、MEIMU『キカイダー02 SGE』。
 ついうっかり買っちまったが、これ、あくまで「スペシャル・グラフィック・エディション」ということだから、普通の単行本をあとで出すんだろうか。
 ……1900円もしたぞ。2巻以降もこの薄さ、この値段で出すんだったら客はちょっとばかし怒ると思うが。
 キカイダーやダークロボットがエヴァンゲリオンモドキの生物的デザインになっちゃってるのもなんだかなあ、という感じだが、光明寺ミツ子の弟のマサルが、謎の美少女って設定に改変されてるのはただのウケ狙いと違うか。いや、美少女出すのはいいのよ。MEIMUさんの描く女の子キャラ好きだし。ただ……ネーミングがねえ……ヒナノはねえだろ、ヒナノは(-_-;)。

 マンガ、『藤子・F・不二雄SF短編PERFECT版』8巻(完結)。
 パーフェクトといいつつ『中年スーパーマン左江内氏』は未収録。中公愛蔵版ではちゃんと収録されてたのに、なんでやねん。
 更に巻末に『絶滅の島』があたかも藤本さんの遺作であるかのように収録されているが、これは同タイトルの作品を改稿したもので、既に1988年の中公愛蔵版『SF全短編』に収録されている。初出一覧で「1995年8月てんとうむしコミックス」とあるのは間違いだ。小学館は、こういう書誌的なことにはひどく無頓着なところがあるんだよなあ。
 ホントの遺作の『異人アンドロ氏』、「ビッグ・コミック」に載った時には「新シリーズ!」ってアオリがついてたんだよなあ。一作一作、雑誌掲載時にリアルタイムで読んでたものが多いので、当時の思い出と相俟って切なさがいやでも募る。
 石森さんも藤本さんも、病気になってからは極端に作品数が減っていった。『ドラえもん』だけで手いっぱいになっていたのだ。死ぬ少しまえのインタビューで、「手塚さんの『火の鳥』みたいな大長編SFを書いてみたい」と語っていたのが思い出される。それは中絶した「四万年漂流」などへの思いもあったのかもしれない。
 『ドラえもん』はもういいからもっとSFを、と思っていたのは私だけじゃないはずだ。

 マンガ、岡田康則『ドラえもん のび太と翼の勇者たち』。
 藤本さん亡きあと、『南海大冒険』『宇宙漂流記』『太陽王伝説』と続いてきた中では、一番よい出来。やっばり駄目な少年が努力するってパターンは継承しないとね。
 それでも表情一つとってみても、単調に見えて微妙に線を変えて複雑な心理を表現していた藤本さんに比べれば、雲泥の差があるが、それを言うのは酷というものだろう。ただエピソードを詰め込みすぎて、イカロスレースや、イカロスの島探索があっという間に終わってしまうのは感心しない。お子様は長い間は画面に集中していられないからどんどん場面転換させようという考えなら、とんだ考え違いだ。子供は速い展開を望んでいるのではなく面白い展開を望んでいるのだ。画面の密度を上げることに最近のドラえもん映画は腐心していない。
 映画、未だに観に行くかどうか迷っているのである。

 手塚治虫『ブラック・ジャック豪華版』16巻。
 ああ、今日はなんでこう昔を懐かしまねばならないマンガばかり読んでるんだ。年取っちゃったのかなあ、やっぱり。
 初期の傑作、と言うか、この作品が圧倒的好評で迎えられたために連載が決定した『ミユキとベン』が、やっと収録、というのはどういう事情があったのか。雑誌掲載時は「ブラックジャックの正体は誰も知らない。ただ彼は今もどこかで奇跡のメスを振るっているだろう」というナレーションがラストのコマに入っていたはずだが、さすがに16巻まできて今更それはないだろうということなのか全面カット(本名「間 黒男」ってのも分っちゃってるしな)。
 でもこれがかえってラストに余韻を醸し出しているのだ。怪我の功名ってところかもな。
 ラストを飾る『過ぎ去りし一瞬』は、唯一の中編。『サンメリーダの梟』というタイトルでアニメ化もされたけど中身は殆ど別物になっていた。
 多分描いてる途中で構想が変わったのだろう(手塚治虫にゃよくあることだ)、前半と後半で主役が変わっちゃうというとんでもない話なのだが、ラストで『鉄腕アトム・キリストの眼』を髣髴とさせるシーンが出てきたのは手塚さんのファンサービスかも。

 マンガ、高橋留美子『うる星やつら・コピーdeデート』。
 山口勝平と高橋留美子のインタビューが目的でまだ買ってる雑誌版『うる星』。依然持ってたやつは人に貸してるうちに所々抜けてしまっている。文庫でもう一度揃えなおしたいんだけど、18巻もあるから古本屋で買うしかない。
 しかし今見返してみても、『うる星』に出てくる女性キャラって、性格的に男に敬遠されても仕方のないやつらばかりである。連載当時、よく「うる星の男キャラってどうしてバカばっかりなんですか?」という質問がファンからされていたが、あたるほどのバカでなければ性格ブスのラムと付き合ったりはできまい。
 『めぞん一刻』の響子さんもそうだが、男が付き合いたくない女の要素、嫉妬、ひがみ、鈍感、無意識の傷つけ、そんなものをやたら持ってるのである。で、未だに『犬夜叉』のかごめでそれやってるのな。
 高橋さんは「あたるに絶対ラムのことを好きだと言わせない」と禁じ手を作って物語を作っていったそうだが、端から見てはっきりそれと分るものを言わないでいるのは白けるだけだ。
 私の場合、『うる星』はやっぱり映画版第2作『ビューティフルドリーマー』で終わっちゃってるのだ。

 ……こんなに読んでちゃ寝る時間がなくなるのも当然だな。気がついたら時計は2時なのであった。というわけで女房が買ってきた『ナニワ金融道』1巻にまでは手が出ないのでありました。


2001年03月14日(水) さて、勝ったのはどっち?/『HUNTER×HUNTER』11巻(冨樫義博)ほか

 ホワイトデーである(昔は「クッキーデー」とか「マシュマロデー」って呼び方もあったがすっかり消えたな。お菓子屋の陰謀だってことがこのことからもはっきりとわかるな)。

 期待してる人も、石投げつけたい人も、両方いるだろうからあらかじめ言っとく。
 今日はノロケるぞ。読みたくないやつぁ、さっさとご退場願おう。

 儀式だイベントだというのは所詮は欺瞞なのであまり好きではないのだが、かと言って、人の思いに背を向けたいというわけでもない。「お返し」はちゃんと用意してある。

 バレンタインデーの前に、「アンタ、欲しい?」と女房が聞いてきたが、これは「あげたい」という言葉の裏返しである。私も決して素直な人間ではないので、「くれるならもらうよ」とそっけなく答えたものだった。
 女房はどうも私とのコミュニケーションを一種の「勝負」だとみなしている向きがあるのだ。女房のアタマでは、自分の方からアプローチすること、即ち「負け」ということになるらしい。
 その辺の発想が私にはよく分らんのだが、なんとか私の方から「チョコ欲しいよう」と言わせようとしている時点でもう「負け」てるようなものだ。私は実際、女房がくれる気がないならもらいはしないし、仮にくれなかったからと言って別に気を悪くしたりするわけでもない。
 そういう執着のなさが女房には暖簾に腕押し、糠に釘で気に入らないんだろうが、それが私の自然なのだから仕方がない。逆に私が粘着質な性格で何かにつけ執着するタイプだったら、そのほうが女房は困ると思う。

 今日も女房が「私のこと、好き?」と聞いてくる。
 いつものことで私も「好きだ」なんて言ってやらない。「オレが浮気するとでも思ってるのか?」と言い返す。
 「今日は職場で私のこと考えてた?」
 「考えてたよ」
 「ほんと? 忙しいのに私のこと考えてられたの?」
 「いや、そんなヒマなかった」
 「……ウソついたの?!」
 「違うよ。お前のことは心の基本にあるんだ」
 「なんかウソっぽい……」
 「冷蔵庫にホワイトデーのブレゼントがあるよ。よしひとさんの分も買っといたけど、それもお前にやる」
 「なんで?」
 「よしひとさんには改めて別のを買うよ。古くなったのあげるわけにはいかないし」
 「私には古いの渡すんだ」
 「今はまだ買ったばかりじゃないか」
 「中身はなに?」
 「さあ。忘れた」
 冷蔵庫からお返しを持ってきて女房に渡す。女房、早速中を見て確かめる。包み紙を破り、箱のフタを開ける時の女房の目がランランと光る。いや、ホントにお菓子には眼がないのだ。
 クランチチョコミックスと抹茶ロールクッキー、そう言えばそんなの買ってたなあ、と今更ながらに思い出す。
 女房、そのまままたフタを閉めて引き出しの上に置く。
 「なんだ、食べないのか?」
 「すぐには食べないよ」
 あとの楽しみに取っておくということか。多分私が寝入ったあとで食べるつもりであろう。美味しそうに食べる様子を私に見られると「負け」になると思っているのだ。
 ……だからその時点でもう負けなんだってば。
 つくづく解りやすい性格してるやつだ。
 
 ……自分で書いてても思ったが、私は基本的にはタラシだな。親の血か。
 
 マンガ、冨樫義博『HUNTER×HUNTER』11巻読む。
 前巻の重大発表、子供が生まれたことと、アニメが3月で終わることだった。……引くほどの話題じゃないよなあ。
 明朗マンガのフリして始めておきながら、さすがは冨樫、期待を裏切ることなく、幻影旅団のあたりからまた『幽遊白書』の「仙水編」の時みたいにコワれ始めてきた。もう随分、テレビアニメ向きじゃなくなってきたなあ、と感じていたが、今巻15ページのノブナガや、154ページのクラピカのアップはすでに少年マンガのワクからはみ出した作者自身の狂気の顔になっている。
 こういうキャラクターが頻出するようになると、もう主役のゴンに活躍の場はない。しかし、私としては冨樫さんはヤケになっちゃった方が面白いと思っているので、ストーリーが迷走しても構わない。作画レベルも決して落ちてはいないし、このまま順調にコワれていってくれることを期待するものである。



 漫然とテレビのニュースなど見る。
 ここしばらくニュースをまともに見てなかったので、ここらでチト世界情勢でも、と『ニュースステーション』にチャンネルを合わせると、久米宏の白髪がえらく増えている。……私はいったいどれだけニュースを見ていなかったのだろうか(^_^;)。
 森降ろしの話題が未だに続いている。
 誰が言い出したか、景気対策が先で総裁選なんぞやっとれるかい、というよく分らん論理で六月まで政権が伸びるかもということである。総裁選をあと回しにしたって景気対策できるとも思えんが、具体的な方策も示さず、それで話を都合のいい方に無理矢理通そうってのが国民をナメとるね。でもなめられても仕方ないくらい、国民だって大した識見もなく「森やめろ」コールを繰り返してるだけである。
 キャスター連中も憤ってるが、どうせマスコミもなぜここまで森総理を嫌っているか、原因なんか忘れているに違いない。というか原因なんてあったのか。
 もはや「怒り」の雰囲気だけが先行していて、報道としての姿勢は完全に失われている。松本サリンの冤罪事件のころからちっとも変わっちゃいないのだ。
 愛知で女の子を放置して餓死させた両親の公判の報道も、偏向が目立つ。
 被告の母親に取材して、なんとか「娘を甘やかして育てたのが悪かった」という証言を誘導して引き出す手口がいやらしい。子供を死なせて平気な馬鹿親は昔だっていたろうに、それがあたかもイマドキのヤンパパ・ヤンママのせいであるかのように仕立て上げようとしてるんだものな。
 そうやって誰かを悪者に仕立て上げなきゃ自分たちのアイデンティティが保てないくらいに、日本のマスコミの思想的基盤は脆弱なのである。結局、弱い犬ほどよく吠えるってやつだからな。
 ああそうか、テレビのニュース番組丹念に見なくなったのは、久米宏も筑紫哲也も、その正義派ヅラを見てると吐き気を催すからだったな。
 女房がニュースを一切見ようとしないのもひとつの見識ではある。

 『唐沢俊一のキッチュの花園』読む。
 キッチュ、という言葉自体、もう八十年代の遺物のような印象を持ってはいたが(その点を考えると、この本の売れ行きが心配ではある)、世間からキッチュな物件が消えてなくなったわけではない。
 誰も言わないからはっきり言っちゃうが、福岡の街中はまさしくキッチュの花園である。キャナルシティなんて存在そのものがキッチュと言ったっていいくらいのものだ。天神だとジークスあたりがそれらしいか。ともかくちょっとうろつくだけで、妙なもの、変なものが目に付いてしまうのである。
 私は唐沢さんのように変なものを集める趣味はあまりないのだが(と言いながらよく探すと変な物が部屋のあちこちに転がってはいるが)、カタログ的に見せられるとちょっと欲しくはなってくる。
 コンドームに、こんなに変り種があるとは知らなかったなあ。知ってても使うとは限らんが(^o^)。シンプソンズ型コンドームなんて使いたくもないわ。
 アナル用コンドーム、「ナイスガイ」、そもそもなぜ必要なのか用途が分らん。妊娠の心配もなかろうに、何から何を守るというのだ? それともコンドームに関する私の基礎認識自体が間違っているのだろうか。
 ウチにあるモノは多分一つもなかろう、と思っていたが、健康器具のコーナーの「ネックストレッチ」、たしか女房が昔、使ってたような気がする。女房も健康のためには命もいらぬってとこがあるので、ムダなものをよく買うのである。20年前なら、たとえユリ・ゲラーに命じられなくともきっと、ルームランナーとぶら下がり健康器を買っていたに違いない。
 先年つぶれた「大分ネイブルランド」には、「炭坑夫グッズ」がやたら売っていたが、あれなんか唐沢さんが見たら狂喜したかも知れんな。残念ながら人にやっちゃって、「炭坑夫ボールペン」も「炭坑夫スプーン」も手元にゃないけど。
 ……スプーンの柄の先に、真っ黒でリアルなヘルメットかぶった炭坑夫の首がついてんですけど、そんなもんでコーヒー飲む気になれるやつ、いるんだろうか?


2001年03月13日(火) 少女しか愛せない/『NOVEL21 少女の空間』(小林泰三ほか)ほか

 仕事帰り、坂道を自転車漕いで登っていると、後ろから追い越してきたバイクのヘルメットがぽ〜んと飛んで、私にぶつかりそうになった。
 いや、軽く書いちゃいるが、マジで危なかったのだ。坂道は結構急勾配で、片側は工事中で深い溝があり、しかも西日が真正面から照らしていて、視界がホワイトアウトしていたし。
 でも目が悪くいつ危ない目にあってもおかしくない私が今まで殆ど事故にあったことがなく、注意深い女房の方が事故にあうというのは、やはり日頃の行いの差というものであろうか。

 テレビで『伊東家の食卓』を見ていて、女房と口喧嘩になる。
 私はこの番組、ああ、こういう裏ワザあったのか、今度やってみよう、とか、なんでこんな面倒臭いもんに鐘鳴らしてんだよう、とか思いながら見るのが好きなのだが、女房は大っ嫌いなのだそうだ。
 「なんで? 結構役に立つじゃん」
 「シロウトが妙にカッコつけて喋ってんの見るのヤなんだよ!」
 確かにテレビが素人に侵食されて行く状況と言うのは見てて面白いものではないが、これは別にそれを見るための番組じゃないと思うけどな。
 更に『踊るさんま御殿』見ていて口論。「妙にハラハラしてしまった時」という題を見て、
 「俺たちもしょっちゅうまわりの人をハラハラさせてるよなあ」
 と言うと、女房、
 「なんで?」
 とキョトンとしている。
 「『なんで』って、よくバカやるんで、みんなの前で喧嘩になりかけたりするじゃんか」
 「あんたが?」
 「お前がだ!」
 ……自覚がないやつはこれだからなあ。
 そう言えば先日、練習の帰りに、鈴邑君の新車のテールランプを見て、「これって、遠ざかるから赤く光るの?」
 と聞いてた。
 ……車のライトが「ドップラー効果」起こすか! もちろん、このギャグはあさりよしとおのマンガ『がんまサイエンス』がもとネタだが、女房はアレを真実だと思いこんでいたのである。ウソではない。女房の天然ボケは軽く西村知美や釈由美子を凌駕しているのだ。

 徳間デュアル文庫『NOVEL21 少女の空間』読む。
 「少女」というキーワードが物語のオルガナイザーとして機能し始めたのは、80年代のロリコンブームを経てからだろうと思う。
 いや、もちろんそれまでにだって少女を主役とした小説や映画、マンガは数限りなく作られていたわけだし、印象に残る少女キャラクターは少なくなかった。
 『若草物語』は、『不思議の国のアリス』は、『秘密の花園』は、『少女パレアナ』は、と、一世を風靡した少女たちを思い浮かべるのは簡単である。
 けれど、それら外国文学の少女たちと、わが現代日本の「少女」たちとは何かが微妙に違う気がする。いずれは大人になるはずなのに、なぜか少女は少女のままで永遠にあり続けるような……そんな幻想を少女たちに対して私たちは託してはいないか。
 『少女の空間』とはよくもつけたタイトルだと思う。少女にとって時間はあまり意味を持たない。そこにあるということ、空間をいかに占有するかということ、そこに少女たちの価値はあるように思うからだ。
 ……なんかワケのわからん前振りしちゃったな。んじゃ一作ごとに感想など。

 小林泰三『独裁者の掟』
 うひゃあ、こりゃまた、とんでもない傑作が生まれたもんだなあ!
 冗談ではない、これくらい一読して感嘆し、一文一文を吟味するように味わい、何度となく読み返しては心が打ち震えるのを感じたのは、ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』短編バージョンを読んで以来のことだ。
 この短編集のコンセプトは、「ハイブリッド・エンタテインメント」、つまりは異なるジャンルの「混血」を目指したものだ。過去の作品の中で例をあげればアジモフの『鋼鉄都市』みたいな「SFミステリー」がそうで、本作もその流れの上にある。
 混血が差別されるのは世の常で(うわあ、危ないこと言わはる)、「SFミステリー」は、SFファンからもミステリファンからも「邪道」扱いされてきた嫌いがなきにしもあらずだった。
 しかし、そういうコテコテのSFファン、ミステリファンでも、この作品にはきっと納得するに違いない。今年の星雲賞短編部門最優秀作がこれでなかったら、私ゃ世のSFファンの目を疑うぞ(ああ、またなんて挑戦的なコトを……)。
 ストーリーは、一人の少女が世界を支配する独裁者の総統を倒す話なんだけど、構成と叙述の妙が絶品。全短編の中で、この作品だけが少女が大人になることの意味を問うている。
 多分、少女は少女であるということだけで「罪深き存在」なのであって、それを償うために大人になるのだ。世の少女たちがみなその業を背負って生きているのだとすれば、彼女たちの居場所はこの世のどこにもないということになる。
 少女である証を渡された少女もまた、新たにその業を背負ってしまったのだ。その事実は、あまりにも切なく、悲しい。

 青木和『死人魚』
 『インスマウスを覆う影』と『猫目小僧・妖怪水まねき』を足して2で割ったような作品。と言っても出来は悪くない。
 現代の怪異談として、うまく纏まっている。

 篠田真由美『セラフィーナ』
 本アンソロジー中、唯一の女性による「少女」の小説。
 「ロリコンブーム」以来、「少女」を語るのは常に男だった。しかし男がどんなに少女の「秘密」を解き明かそうとしても、そこに予め「少女」と言う括りがある以上は、男の描く少女像は常に幻想が実体に先行してしまう。
 「『少女』は一個の絶望である」と作者は言う。この一言で目からウロコが落ちた。「少女」とは文字通り「女」ですらないのである。異形であり、フリークスであり、男たちは明らかに少女を玩具化していながら、それを幻想のオブラートに包んで誤魔化していたのである。
 昔、大林宣彦の映画にハマリつつも何か胸がむかつくような居心地の悪さを感じていたが、その正体にようやく気がついた。『はるか、ノスタルジィ』で石田ひかりは「少女をなめんじゃないよ」と嘯くが自分自身を「少女」と語ることが何よりの欺瞞だった。
 少女であることの苦しみなど、大林宣彦にはカケラも理解できていなかったに相違ない。
 だから少女は常に心に武器を持つ。男に弄ばれ、嬲られ、苛まれて、何一つ抵抗できずに、ひたすら媚びるしかない立場でありながら、それでも男にはむかう武器を心に持っているのである。
 本作ではそれが実にイヤなかたちで具象化されているが(^_^;)、確かに少女はああいうモノも持っちゃいるなあ、と納得させられてしまうのであった。
 そうだよね、天使って、飛鳥了なんだよね。

 大塚英志『彼女の海岸線』
 さて、本家本元「ロリコンマンガ」のパイオニアの一人、白倉由美作品のノベライズ。と言っても私は原作の方は読んだことない。
 日本には昔から「マレビト」の伝説が伝わっている。つまり「異界」からの来訪者である。本作のヒロイン未生も、「キツネ少女」という設定からして、正しくそのマレビトにほかならない。
 彼らはみな、どこか(たいていは海の彼方か山の奥)からフラリと現れ、幸運を与えたあと、去っていく。『古事記』の少名彦名命や豊玉比売に始まり、民話の『鶴の恩返し』に至るまで、異界の住人たちは「どうしてそこまで」と言いたくなるほどに人間に尽くしてくれた末に去るのだ。
 いや、そもそも彼らはなぜ人間界に来なければならなかったのか。伝説はたいていその理由を明かさないが、実は明かす必要がないのだ。それは彼女たちが「少女」であること自体にあるからだ。
 男は一度は少女を抱かねば男にはなれないのだ。いみじくも本作で「ライナスの毛布」と譬えたごとく、「少女」とは男にとって「支配できる母親」に違いないのだから。



 二階堂黎人『アンドロイド殺し』
 このアンソロジー中、最低の作品。しかも他の作家とのレベルがあまりに違いすぎるほどの駄作。
 編集者もこの作品の扱いに困ったのではないか。巻頭にはとても置けないし、あまり前の方に置いたのでは、読者が脱力して、あとの作品を読む興味が失せてしまう。トリを取らせるなんてとんでもない。最後から二番目に置かれているのが、編集者の苦衷を思わせるではないか。
 題名見ればわかると思いますが、これ、アガサ・クリスティーの『アクロイド殺し』のパロディーなんですよ。つまり犯人が○○○ってやつで、まさかそのまんまじゃないだろうなあ、と思ったらそうだった。
 それだけじゃ芸がないから、もう一つどんでん返しつけるんじゃないかなあ、でもそれがまさか「○○、○○○は、○○○○○○」って結末じゃねえよなあ、と思ってたらその通り。
 断定してしまおう。この作家はバカだ。この人、手塚治虫ファンクラブの会長だった経歴があるが、どうもマンガ的な感覚で小説を書いてるんじゃないかって感じがする。というのが、構成の破綻の仕方が手塚治虫そっくり(^_^;)。
 前半のSF部分が結果的に無意味なあたり、サービスでいろんなエピソード詰め込みすぎて構成が無茶苦茶になっちゃう手塚さんの癖そのまんまなんだものな。それでも手塚さんの場合はマンガだから読めるが、小説でこれやっちゃ馬鹿晒すだけだよ。
 アンソロジーってのは恐いんだよね、作家としての力量が他作家とモロに比較されちゃうから。それにしても、SF作家がミステリーを書くと佳作をものにするのに(アジモフの『黒後家蜘蛛の会』や筒井康隆の『富豪刑事』)、ミステリー作家がSF書くと駄作しか書けない(高木彬光の『ハスキル人』とかな。山田風太郎は例外)のはなぜ?

 梶尾真治『朋恵の夢想時間(ユークロニー)』
 「ユークロニー」って初めて聞く単語だぞ。「夢想時間」ってどういうことだ。小説の内容から判断すると、過去の心的外傷みたいな感じだが。哲学か心理学用語なんだろうけど、そうなるとその辺の哲学事典か何かを調べないと分らんのだろうか。
 過去の過ちを時間遡行することで償おうとするパターンはよくあるし、それを時間それ自体が妨害しようとするってのも、ありきたりといえばありきたりなんだけど、空間が変形し溶解していく描写でぐいぐい読ませる。
 それにしても梶尾真治がSF短編集のトリを飾る時代になったんだなあ。と言っても梶尾さんも五十歳過ぎてるんだから当たり前だけど。

 CSで映画『あらかじめ失われた恋人たちよ』見る。
 なんと監督があの『朝生』の田原総一郎だ。一応清水邦夫が協力監督してるけど、70年代の青年たちが自らの肉体と言葉をもてあまし、にもかかわらずその無力さに打ちひしがれて沈黙して行く過程を象徴的に描いていて面白かった。
 石橋蓮司が若い。そしてよく喋るのがいい。
 加納典明が若い。そして全く喋らないのがいい。
 桃井かおりがいい。モノクロ映像のせいかも知れないが、こんなに美人だったかなあ。
 でも漂泊の果てに言葉を捨てた彼等が若き日の田原氏だとすれば、今の田原氏、なんであんなに喋ってるのか(^o^)。

 仕事でくたびれ果てていたので、電気を消してぐっすり寝ようとしたら、女房が「恐いから電気を消すな」と言う。
 日ごろ「電気代がもったいない」と言いながら、夜は電器点けっぱなしでないと眠れんというのは矛盾してないか。
 構わず部屋を真っ暗にして寝る。女房の悲鳴が多少うるさいが10秒で私は寝付くので関係ない。おかげで久しぶりに7時間眠れました。


2001年03月12日(月) 伏字な話/ドラマ『D』episode1 ほか

 仕事のことは××の×××××のせいで書かなくなっちゃったが、今日は職場の女の子にお芝居に誘われちゃったので、これはまあプライベートであるし、まあよかろうと言うことで書く。
 なんでもその子の知り合いが出演しとる劇団なのだそうな。
 とは言え、やはり具体的なことは書けないのだな。それは私の正体が××だからで、××に××だと言われる以前からやっちゃいないんだが、それをあの××が×××××などとは×××××め。××、××××××××××から、××××××、×××××××のだ。××、××××××××、××××! ××××××××、×××××××××、××××××××!(c.諸星大二郎)
 ……いかん。つい興奮してしまった。伏字の中身が知りたい人は、私が忘れんうちにメールで問い合わせてくださいませ(^^)。こちらが教える前にすべて当てた方には(同趣解でも可)なんかしょーもないプレゼントを上げましょう。
 女の子に誘われたからと言って、決して私がもてもてさん(c.シティボーイズ)というわけではないので、ご注意。女房や劇団のみんなも含めてのお誘いである。
 もらったチラシのイラストを見るかぎり、思いきり耽美なので、意外と面白いかもしれない……って、ストーリーがチラシになんにも書いてないのよ。
 で、チラシくれた女の子に聞く。
 「これどんな話なの?」
 「あ、私は分ってますから」
 ……? い、いや、キミが分ってても私にゃ分らんのだが(・・;)。
 それで、それでなのね。キミがみんなから「不思議ちゃん」と呼ばれているのは。そのこと、けろっと忘れてました……(-_-;)。

 先日から未整理のビデオテープをなんとか片付けようと四苦八苦しているが、既に一生かかっても無理ではないかと思えるほどにたまりまくっていて、まるで進む気配がない。
 諫早湾がブルドーザーで埋めたてられてくのを耳掻きで掻き出そうとしてるようなもので、今更どうにもなりゃしないって感じなのである。
 見てないビデオをいくつかピックアップして、見ながら背ラベルを作っているのだが、つまりは見るスピードより録画するスピードの方が速いわけですね。だったら録画しなきゃいいじゃんと言われそうだが、それをやっちゃうのが業というものなのです。
 
 というわけで、たまらないうちに昨日録画しておいた『仮面ライダーアギト』を見る。
 おっ、謎の少年が成長したぞ。このまま急成長して少年は不動明に……ってのは冗談だけど、ずっと子供のままじゃキツイなと思ってたのでこれはいい展開。最後は老人になって死ぬかな、こりゃ……って、あんまり先読みして見るのも楽しくないね。
 真魚の父親を殺したのが翔一かも、という展開は、第一作で本郷猛が緑川教授を殺したとルリ子に誤解されていたエピソードを彷彿とさせるが、いっそのこと誤解じゃなくて本当に殺したということにしてしまってもいいんじゃないか。ヒーローが殺人なんて! という反対意見もあろうが、『スカルマン』は平気で殺人してたし。真魚の父が実は悪人だったってことにしとけば別にモラル的には問題ないが、さすがにそこまではやれないだろうなあ。
 それに『クウガ』のときにも思ったが、飛行する怪人のビデオ合成は、どうしてもバレバレだ。なんとかならんのかアレは。

 WOWOWで『野獣死すべし』見る。昔見たときも『蘇える金狼』と違って大薮春彦の味が出てないなあ、と思ったが、戦争経験したからといって、人間、エキセントリックになるとは限らないと思うが。見方が甘いと観客に思われたんじゃ、迫力は出せない。かえって冷静な態度を取らせた方が凄みが出るよなあ。
 松田優作がやたらと神格化されるのはどうもちょっとな、と思っているが、本作でも奥歯抜いてまで演技に専念した、と誉めそやされてるが、そうイバレたものでもない。
 田中絹代が『サンダカン八番娼館』のときに前歯を抜いたって聞いたときも、それは演技ではなくて考えなしなだけだな、と思ったものだったが、本作も同様。だいたい役者は行き詰まった時はとっぴな行動を取りがちなもので、やんなくていいことをやっちゃったりもするのである。
 映画を見る限り、伊達邦彦はただのバカにしか見えないので、映画自体の吸引力が低下している。



 女房が東京行きの飛行機のチケットをネットで予約してくれる。
 ゴールデンウィークだし、安いチケットなんてないだろうなあ、と覚悟はしていたが、やっぱりスカイマークで片道22000円。二人で往復88000円か。スカイマークの野郎、テレビのCMでは「東京、福岡間、9900円!」とか謳ってるくせにGWは別ってか。こんちくしょう。
 こりゃ確かにそうそう上京なんてできるもんじゃない。
 銀行からお金が落ちるのは七月だそうだから、なんとかボーナスで賄えるな。でなきゃとても行けるもんじゃない。
 でもシティボーイズのライブはそれだけの価値はある!
 ……思い起こせば十年前、WOWOWで『鍵のないトイレ』を見て以来、いつか行こういつか行こうと思いつつ、諸般の事情で(ってオカネだけど)断念してきたのを、ついに決行するのだ。
 ……ここまでして見に行く客もいるんだから、来年こそは九州に来てね(はあと)、とアンケートに書いてやるぞ。
 ライブ自体のチケット代も今日、銀行から卸してくる。これで今月の私の小遣いはあと千円だ。給料日まであと1週間もあるのに。もう飯食う以外のことは何もできんな。
 
 うっかりめくり忘れていた各部屋のカレンダー、三月も半ば近くになってようやくめくる。四月五月の予定が気になりだしたので慌ててめくりまくったんだが、日ごろから日付けを気にしてない生活をしてるってことがバレバレだな。
 それにしても、今、ウチに掛かっているカレンダー、全部で7種類もあるんだが、それが『エヴァンゲリオン』、『クレヨンしんちゃん』、『妖怪暦』、『士郎正宗』、『どこでもいっしょ』、『猫』、『世界地図』とまるで脈絡がない。実はこれにもうひとつ、もらいもので『藤あや子』ってのがあるんだがこれはどこにも貼ってない。別に嫌いな人ってわけではないが、掛けてたら藤あや子ファンと誤解されちゃうのもちょっとアレなんで。

 DVD『六番目の小夜子』第5話見る。
 今回は津村佐世子役の栗山千明、出番が少ない。前回エスパーっぽい活躍をしたので、こ、これはミステリーやホラーではなくてSFだったのか、とますます本作の方向性が見えなくなってきたが、“四番目の小夜子”一色紗英の新登場と言い、味方のはずだった山田孝之の妨害工作と言い、委員長の謎の行動と言い、ちょっと伏線の詰め込み過ぎになってきた感じはする。ちゃんとうまく収まりがつくのかなあ。今んとこまだ面白いからいいけど。

 録画しといた『D』第一話を見る。
 ああ、コンバットスーツのデザインがまんまザク(-_-;)。要するに街中を実写のザクがドンパチやる映像が作りたかったのだなあ。だからストーリーと役者については、恐らく殆ど何も考えてないぞ。
 戦争オタクの切れた主人公が、こっそりソ連のコンバットスーツを隠匿してたって設定が、まず見る者の感情移入を拒絶してる。これ、別に「将来の有事を想定してた」ってワケじゃないんだもんなあ。ただ「いつかこいつを使ってみたい」ってだけ。たまたま怪獣が現れたからいいものの(この「たまたま」ってのも強引)、何もなかったら本当にただの既知外だよなあ。
 無名俳優ばかり使ってるのは予算の関係もあるんだろうけど、ここまでヘタクソ揃いだと見ていて苦痛だ。せめて女の子くらいはもちっとマシなの選べなかったのかなあ。

 寝つけなくて、気がついたら午前4時。女房も仕事から帰って来る。
 女房、公演の打ち上げの計画を立てようと、メールをメンバーに送りまくるが、鴉丸嬢、まだ寝てなかったらしく、すぐに返事を送ってくる。
 こんな夜中まで何やってたんだ……って人のことは私も言えんが。
 でも結局女房、どうせ起きてるんならと電話でやりとり。やっぱり体力あるよな、若いやつらはよ。
 どうやら四月の第2土曜あたりを予定しているそうだが、日曜以外でみんな集まれるのかねえ。


2001年03月11日(日) 多分、猫たちにもある愛/『CYBORGじいちゃんG』2巻(小畑健)ほか

 朝方、『仮面ライダーアギト』を録画するので一旦起きるが、夕べの半徹夜が聞いていてすぐにダウンする。
 結局起きたのは昼過ぎ。昨日の日記の続きなど書いているうちにそろそろ練習に行かねばならない時間になる。
 練習場に顔を出すと、来ているのは鈴邑夫妻(+ふなちゃん)と桜雅嬢だけ。
 鴉丸嬢は突然職場で盗難事件があったとかで、緊急会議が開かれ来られなくなったそうである。「会議」って、内部犯だと断定しているな。どこの職場も殺伐としてるなあ。
 よしひと嬢は体調崩してダウンとか。せっかくホワイトデーのお返しも用意していたのに残念なことである。練習の帰りに『ワンピース』の映画を見に行く予定もこれでポシャリである。次の練習、2週間後だけど、まだ上映してるかなあ。
 他のメンツはどうして来られないのか、聞くの忘れた。……なんか男に関しては冷淡だな、私。でも男に親密なのよりは自然であろう。
 「やあ、次の企画、決まった?」
 「うん、一応、二本立て」
 「二本立て?!」
 「よしひと姐様のと私の」
 私のは「芝居より映画向きじゃないのか」と言う意見が出てボツを食らったそうな。ボツ自体には別に何も文句はないのだが、「映画的」という批評には首を捻ってしまう。
 前回の芝居の反省で、「もっと明るいものを」「地に足がついたものを」「愛と感動路線で」なんてことを言ってたから、そういうのをみんな書いてきたのかと思ったら、よしひとさんのも女房のもシノプシスを読む限り、どちらも暗い不条理劇。
 「え〜? ほのぼのしてるじゃん」
 ……どこがだ。
 まだ設定段階で、企画進行中なので、シノプシスの詳細は明かせないが、あれを明るいというなら、『人情紙風船』も『ひかりごけ』も希望に満ちた明るい映画だ。常識的な感覚がズレてるとしか言いようがない。
 もちろんこれは悪口ではない。実際、よしひとさんのも女房のも、まだ設定しか分らないが、それだけでも充分面白いのである。しかしその面白さは、決して「老若男女、大人から子供まで誰もが楽しめる」ディズニー印のようなモラリスティックなものではない。毒を毒として楽しめる人たちのためのものである。
 基本的に、ウチの劇団に「地に足がついてるやつ」なんてのはいないのだ。もっとはっきり言っちゃえば、インモラルで、反体制的で、わがままで、他人の不幸を横目で見て笑うような非常識なやつらばかりである。
 だから「もっと現実的にしよう」なんて自分たちの質に合わない発言などはせず、非現実的でへんてこで、他人からは一人よがりに見られようとも、自分たちにしか出来ないこと、自分たちが好きなことをしていけばいいのである。
 ああ、でもあの清楚で優しげなよしひとさんが、まさかあんなモノを書かれるとはなあ。知ってたけど(^^)。

 ということで、ちょっと恒例になりつつあるが、ボツ脚本シノプシスの供養。
 「なんだ、こんなんならボツでも仕方ないじゃん」とご笑納下さい。



『多分、猫たちにもある愛。』(仮題) 


 登場人物

  女(元女優)
  男(詐欺師)

  桂 葉子(メイド)
       
  遠藤 晋(映画監督)
  モトムラ(友梨香の召使)

  館野友梨香(正興の娘)
  館野正興(映画俳優・女の夫)



 男が語り始める。
 「……今からみんなに話すことは、ぼくの『犯罪』の顛末だ。犯人がどうしてここにこうしているかって? それはね……」

 ある邸宅で女主人がビデオを見ている。街中の猫を撮ったとおぼしき映像。ただ坦々とたくさんの猫の映像が次々と映しだされる。
 猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫。
 女は喪服である。
 そこへメイドの葉子がやってくるが、どこか悲しげな表情。
 「正興さんの遺品、何かほしいものある?」
 女が優しく葉子に語りかける。
 「あの……奥様、私、やっぱりここにいちゃダメなんですか」
 屋敷の主人が死に、莫大な財産が女のもとに転がり込んだ。女はもともと映画俳優だった主人の愛人だったが、つい先日籍を入れたばかりだったのだ。
 女ももと女優だったが、夫の死後、一人暮らしが気楽だからとメイドの葉子を解雇することにしたのだった。
 夫はまた、たくさんの猫を飼っていたが、女はその猫も全部、「処分」してしまっていた。
 「迷い猫を飼ってる余裕はなくなったの。でもどこかに猫たちの集まる町はあるわ。そこに行きなさい」
 女は萩原朔太郎の『猫町』を譬えに出した。葉子に残された時間は1ヶ月。

 途方に暮れる葉子に冒頭の男が忍び寄り、客席に連れ出す(以下、二人の会話は全て客席で行われる)。
 「どうだ葉子。決心はついたか?」
 「……駄目。私に奥様は殺せない。それにあなた、そのあと私を捨てるでしょ?」
 「ばれたか」
 あっさり肯定して笑う男。数ヶ月前に男は女を殺して財産を横領する計画を葉子に持ちかけたのだった。しかし男は決して自分の素性は明かさなかった。
 「ねえ、教えて、あなたは誰? なぜ奥様を殺そうとするの?」
 「ノラ猫に教える名前はない」
 女を殺す別の手を考える、と言って男は去る。

 男は語る。
 「女は猫か。女がいつだって男にだまされたがってるっていうことで言うなら、それはその通りだ。男をトリコにしているつもりで、餌を与えなければ野垂れ死にだ」

 女主人が映画監督の遠藤と話をしている。
 「いきなりこんな話をするのはなんだが、カムバックする気はないかね?」
 猫をモチーフにした女の映画を撮りたいのだと語る監督。
 女は丁重にことわる。残念そうに帰る監督。帰りしなに手紙が来ていたと手渡す監督。
 葉子が覗きこむとそれは死んだはずの女の夫、正興の筆跡。
 驚く葉子を見ながら平然と女は、
 「悪戯ね」
 と破いて暖炉に捨てる。

 葉子の報告を聞いた男は笑みを浮べる。
 「あなたのしたことなの?」
 「いや、違う。でもこれは利用出来る」

 それから屋敷には夫の「影」が現れ始めた。

 「あの……今、お電話があったんですけど、男の人の声で、意味のとれない言葉を喋って……」
 「……心当たりがあるのね?」
 「でもまさか……旦那様の声だなんて……」
 「……馬鹿馬鹿しい」

 白い服を着た男の影が窓に映る。
 「旦那様がそこに……」
 その姿が猫に変わる。
 「見間違いよ……」
 日が経つにつれ、女の顔が蒼白になっていく。

 「ねえ、あなた、夕べ奥様に電話かけた?」
 「いや?」
 「じゃあ、あの猫の声は……」
 「ホンモノの幽霊だって? まさか。悪戯ものはほかにもいるさ」

 猫の声は少しずつ増えて行く。
 女は見えない猫の影に怯える。
 「猫の首に鈴をつけるの……」
 どこにもいない猫を追いかけて鈴を持って邸内をさ迷う女。

 「もうひと押しだな」
 葉子は男にもうやめるよう懇願するが、男は聞き入れない。男は女が夫を殺して財産を横領したのだと言う。信じようとしない葉子。
 「……ねえ、でも、あんなにたくさんの猫、どうしたの?」
 「録音さ。実際につれてきたわけじゃない」
 「でも……私も見たのよ。庭に一面、ビッシリと、たくさんの猫」

 女はうわ言を言うようになる。
 「恨んでるのよ、あのひと。私を許さないって……」
 ふと、男の「女が夫を殺した」という言葉を思い出す葉子。
 「……奥様が、旦那様を殺したんですか?」
 頷く女。
 女は自分を愛人として住まわせておきながら家にいつかない夫を恨んでいたと言う。葉子は自首するよう女に勧めるが、女は首を横に振る。
 「この家を離れるのはいや……。あの人の家だもの……」

 男は語る。
 「女はじきに参るはずだった。女は遺言で財産を葉子に残す。あとは僕の自由になる。そのはずだったんだ」

 葉子は男にもう協力しない、と宣言する。
 憤る男。
 二人がもめているところへ偶然現れる女。
 「あなた……あなたなのね!」
 とっさに夫の振りをする男。
 女は涙を流しながら男に抱きつく。
 「愛してるわ……あなた!」
 常軌を逸したらしい女には、男が夫に見えるらしい。男はなんとか女をなだめてこの場を去ろうとする。
 自分を放っておいたことを恨み、懐からナイフを取り出す女。てっきり自分を殺そうとするのだとびびる男。ところが女はナイフを自分の胸に突き刺す。
 しかし血は流れない。それは撮影用の小道具だった。
 「そう……ここは天国なのね……だから、あたし、あなたと一緒にいられるのね。ずっと、ずっと……いつまでも……」
 ようやく眠りにつく女。
 男も女が哀れに思えてくるが、でも殺さなきゃならないとあくまで言い張る。
 「なぜそこまで殺したいの? あなたは奥様の何?」
 口篭り、立ち去る男。

 男は語る。
 「全く、どうなっちまったんだか……。
 僕はへんだ。おかしくなっちまった……」

 ある日、召使を連れた一人の少女がたずねてきて、女に出て行くように命じる。
 「誰、あなた……」
 「館野友梨香。館野正興の娘よ」
 夫が死ぬ間際に女を籍に入れたのは、少女の保護監督者を必要としたからだった。この1ヶ月の女の行状で、監督者としての能力に欠けると裁判所に判断されたのだという。
 愕然とする女。
 少女は葉子に言う。
 「あなたは残っていいわ。この女を追い出すのによくやってくれたようだから」
 明日までに立ち去るよう女に言い残して、笑いながら去る少女。

 あとに残された女と葉子。
 女、ゆっくりと酒を飲み、なぜかほっとしたような表情。
 「お辛くないんですか……思い出の家を手放しちゃうのに……」
 「辛くなんかないわ。思い出なんかなかったもの。あんなに好きだったのに、あの人との思い出なんか何もなかったのよ。……だから、幽霊だっていい、あの人との思い出がほしかった」
 「え、それじゃあ、あの幽霊さわぎは……」
 「殆ど私。……あとはあなたたちよね?」
 夫を殺したと言うのもウソ。男に抱きついた時も正常だった。全ては女の演技だったのだ。
 しかし、庭にいた一面の猫。あれは二人のどちらでもなかった。
 「どういうことでしょう?」
 「悪戯ものがほかにもいたんでしょ。でももし……あれが夫だったら……」
 夢見るように瞳を潤ませ、女優にカムバックすることを決意して、女は去る。

 葉子に近寄る男。
 男は女を殺す気がなくなったと話す。
 「もともと殺す気なんてなかったんじゃないの? あなたもご主人の隠し子じゃないの?」
 「たいした想像力だな。どうしてそう思った?」
 「あの女の子と、クセが似てるのよ。ほら、その鼻に指をやるクセ」
 「……僕はただの詐欺師さ」
 幸せに、と言い残し、男は葉子のもとを去る。

 男は語る。
 「こうして僕の計画は失敗に終わった。
 え? 女の名前はなんて言うのか分らないって? 女優に名前はないさ。詐欺師に本当の名前がないようにね。
 それでも聞きたけりゃ教えてやるよ。彼女の名前はね……」
 男の口から猫の鳴き声が漏れる。

                              (幕)


 
 ……女房にいわせリゃ「もったいぶってて事件がない」のだと。こないだまで「事件が起こるのはいやだ」といってたくせにな。
 なんだかんだ言いながら、みんな以前にやった『徘徊する異人達』や『ディオゲネスの樽』の路線の方が好きなのだなあ。
 もう、ウチは不条理劇一本で行くようにしていいのではないか。

 映画に行くのを中止したので、帰りに回転寿司屋に寄って寿司を食う。
 なぜか桜もちが流れていたので、こんなの20年以上食ってないなあと思って食べてみたら、中は全部アンコだった。
 いや、だからこの手のものって食べつけてないから味の予測がつかないのよ。
 食感は美味しかったが、こんなに甘いものだとはなあ。ああ、またこれでカロリー消費の計算をミスっちまった……。

 去年の7月に録画しておいた月曜ドラマスペシャル『垂里冴子のお見合い事件帖』見る。
 原作は山口雅也の『垂里冴子のお見合いと推理』。原作ののほほんとしたキャラクターを若村麻由美が好演しているが、脚本が雑なところがいくつかあって(うまいところもあるのだが)、その推理が冴えているという印象が今一つ感じられないのが難。うじきつよし演じる刑事の見合い話ノエピソードなんか、特に必然性がない上に尻切れトンボだったりするし。
 でも私は隠れ若村麻由美ファンなので、まあまあ満足度高し。いや、実際この人、無名塾で鍛えられてるから表情や仕草を作るの抜群にうまいのよ。『らんま1/2』のカスミ姉さんを実写で演じさせたらこんな感じかな。
 冴子の父親役の石田太郎さんが、カリオストロ伯爵の声で(今ならコロンボの声か)重厚に推理を語るところなんかはオタクには必見。こういう2時間ドラマって、声優さんが結構オイシイ役で出ること多いので(石田さんは声優専門じゃないけど)、チェックしていくとなかなか面白いのだ。

 マンガ、小畑健『CYBORGじいちゃんG 21世紀版』2号(「巻」じゃないのだった。凝ってるなあ)、読む。
 平成元年の連載ってことはもう12年前か。若い読者は完全に初見なんだろうな。ウチのメンバーも若いやつぁ『ランプランプ』からしか知らんし(と言いつつ、私もこないだまで存在自体忘れていたが)。
 今読み返してもコマ割りがキツイ。ともかく読みにくいので、読み終わるのに一週間以上かかっちまった。このコマ割りのキツさは、師匠のにわのまこと譲りなんだろう。今は完全に脱却してるけど、『ヒカル』の初期までちょっと残ってた。
 確かにね、後の『ヒカルの碁』の片鱗はあるよ。新人でこれだけデッサンがしっかりしてるのは立派だ。けど、絵の技術はあってもマンガ的な画力という点で言えば決して面白いとは言えないのだ。キャラクターの表情がパターン化されすぎていて魅力に欠ける。
 ストーリー自体も、どのエピソードのアイデアもありきたりで、ジャンプマンガの悪い面があっちこっちに出てる。サイボーグ出すなら、やっぱりSF感覚は要るのよ。
 岡田斗司夫さんが以前「BSマンガ夜話」で「ジャンプは懸命に『ドラえもん』のようなマンガを送り出そうとしては失敗している」と語ってたけど、その代表的失敗例が『まじかるタルルートくん』だとして、この『じいちゃん』もその中に含めることが出来るだろう。読者が憧れるセンス・オブ・ワンダーが決定的に欠けているのだ。
 後半、やたらとじいちゃんばあちゃんのヤングバージョンが出るのが、いかにもテコ入れっぽくて痛々しい。
 小ヒットで終わっちゃったのは仕方ないとしても、今の小畑さんの画力、構成力でリメイクしたら面白くなるんじゃないかな。

 さてまた明日から仕事だ。もう遅いけど早寝しよう(^^)。


2001年03月10日(土) きのこを手に入れました/アニメ『青山剛昌短編集』

 今日でカウンターが1000ヒットを超えました。
 1月26日から一月半、一日に25人が覗いてくれてる計算になりますが、実際はその半分にも満たないとしても何だか感無量です。
 どんな人が見てくれてるのかよく分らないのですが(知り合いが主だろうけど)、全く私のことを知らない人が読んでくれて「面白い」と思ってくれてたら嬉しいのですが。
 そのうち個人ホームページを立ち上げると言いつつ、まだ原稿が全然足りず、作業も遅々として進んでいないのですが、2000ヒットする頃までにはなんとか目途をつけようかと考えています。
 この日記を読んで、ご意見、ご要望を言いたけれど、メールをわざわざ送りつけるのもなあ、と考えておられる方には、掲示板もちゃんと作る予定ですので、もうしばらくお待ち下さいませ。
 自らオタクと名乗っている以上は、オタクらしい読み応えのあるものにしなくてはならず、そのプレッシャーが日々背中にズンとのしかかってきておりますが、まあなんとかなるでしょう。なんてったってこの日記のタイトルがアレですから(^^)。

 へんてこな夢をまた見る。
 一歩歩くたびにキモノが脱げてしまうという奇病に罹ったのだ(病気か? それって)。
 ともかく10歩も歩けばオールヌードになってしまっているので始末に悪い。一計を案じ、予め行く先々の道の上に、10歩ごとにクロゼットを置いておくことにした。これで服が脱げてもすぐ着替えられる(って、そんなもん道端に置いてられるか。なぜここで夢だと気づかんかな)。
 ところがある時、駅のレストランで女房とある女の子(誰やっちゅーねん)と食事をしていたら、その女の子がいきなり逃げ出してしまった。
 慌てて追いかける私(なぜ?)。
 女房が後ろから「服が脱げるわよ!」と怒鳴る。
 しかし私はあの女の子を捉まえて連れ戻さねばならんのだ。たとえ道端で全裸になろうとも(だからなぜなんだよう)。
 駅を出て100メートルほど先で女の子を捕まえたが、道路のドまん中で私は見事に素っ裸になっていた。
 いかん。このままでは警察にとっつかまってしまう。
 慌てて私は駅にとって返した。
 しかしどうしたことだろう。レストランがない。影も形もなくなって地下道になっている。当然クロゼットも消えているのだ。うわあああ人が集まってくるよう、向こうからおまわりさんが来るよう。にょ、女房はどこへ行ったんだ、おれのこと弁明してくれえ。
 ところが女房の姿は見えず、声だけがどこかから聞こえてくる。
 「裸で女の子なんか追いかけるからよ〜」
 ……と、そこで目が覚めた。

 で、今日も女房に布団を奪われていたのだな。へっくちん(>o<)。

 さて、起きたのは9時半、万全の態勢である。
 ……何がって、「シティボーイズミックス presents ラ・ハッスルきのこショー」チケット予約開始の日ですがな。
 すぐに取れるとは思わない。しかし、10時ジャストが勝負のはず。
 ぴったり、その瞬間に電話が繋がるように番号を打ち込んで……やった! ジャスト! ところが呼び出し音は鳴らず、代わりに「ツ〜・ツ〜・ツ〜」。
 し、しまったあ! 0.1秒、遅かったあ!
 もう、『宇宙戦艦ヤマト』でワープの瞬間のボタンを押し間違えた島の気分よ。
 「ああ、宇宙が全て消えて行く……」(注・『ヤマト』にこんなセリフはありません)。
 それとも『イデオン』かな?
 「みんな星になればいいんだ!」
 でも気を取りなおして再度チャレンジ。
 「こちらNTTです。おかけになった電話番号は、現在大変繋がりにくくなっております。もう一度時間をおいて、おかけ直し下さい」
 ……脱力。
 再々度チャレンジ。
 「ツ〜・ツ〜・ツ〜」(がちゃ)
 「誠に、ご迷惑をおかけしております」(がちゃ)
 「ツ〜」(がちゃ)
 「こちらエヌ……」(がちゃ)
 ……全部聞いてられっかい。延々と続く単調作業。受話器を上げ下げしているうちに腕が痺れてくる。
 30分ほどしてトイレに行きたくなり、女房に代わってもらう。途端に女房のやつ、電話をスピーカーホーンに切り換えて、ボタン操作だけで何度もリダイアルしている。……そんな楽な方法があるならなぜ教えてくれなんだ。
 よく聞くと、NTTのアナウンス、ねーちゃんとおばちゃんの2バージョンあることに気がつく。どうして2種類必要なのか分らんが、ねーちゃんのほうが私は断然いい。
 初めこそ「次はねーちゃん、次はツ〜ツ〜、次はおばちゃん」と予知能力の訓練に励んでいたものの、あまりに単調作業が続くうちに、殺伐とした気分になり、おばちゃんの声を聞くたびに、明日あたりNTTに爆弾しかけたろかという気になって来る。
 これも「ハイウェイ・ヒュプノシス」ってやつか? 違うよな。
 もう半分諦めかけ、私はもしかしたら一生、このボタンを押し続けるのだろうか、それもまた人生かと諦観し始めていたとき……。
 「ジリリリリン……」
 ……鳴った!
 「(ガチャ)はい、こちらアートスフィアです」
 ……あ、慌てて、またボタン押して切るとこやった。ま、間違いなかとやね。うっうっうっ。ほんなこつ泣こうごたる(T_T)。
 いやあ、あんなに慎重になったことってないね。丁寧に応対して、取りました取りましたよ、5月3日、夜の部の公演。
 ああ、たとえ当日、仕事でどんな予定入れられても、絶対キャンセルするぞ!
 大竹さんが見られるっ、きたろうさんにも会っえるっ、斉木さんも来っるぞっ、いとうさんとゆうじさんのおっまけっつきっ(狂った)。
 時計を見ると12時過ぎ。……まる2時間電話掛け続けか。どっと……疲労が……。

 でも女房は疲れた私を休ませてはくれないのである。
 劇団のホームページのプロフィールを一新するので書けという。
 なにやら色々質問の項目が並んでいるが、異常に多く、しかも似たような質問がダブっている。
 好きな映画、好きな俳優、好きな芝居って、若いメンバーは生の芝居なんて殆ど見とりゃせんだろうに、これは酷な質問ではないのか。
 私もつい調子にのって(疲れてたんじゃなかったのか)、好きな芝居ベストテン、なんてものを書いてしまったが、そのうち三本はテレビ中継である。生で芝居を見る習慣って、日本人には定着してないのよ(映画も見なくなってるよな)。
 プロフィールには書かなかったが、私が生で芝居を見た最初は、東宝の『サザエさん祭り』である。もちろん上京して見た。確か中学生のころだったな。
 サザエさんはもちろん江利チエミだったが、カツオ役が子供の頃の松田”アシタカ”洋治くん。今考えると結構豪華だったかな。

 プロフィールを書くと、さすがにくたびれはててダウンする。
 でもそのまま夕方まで寝てしまい、『幻のペンフレンド2001』を録り逃した。ううう、最終回一話前だったってのに。多分『愛の詩』シリーズは再放送があるからそんなに心配してないけど。
 でも今日はそのあと『古館伊知郎トーキングブルース13th』もテープの長さを間違えて録り損ない、踏んだり蹴ったりだったのである。チケットが取れた反動だろうか。

 CSで『青山剛昌短編集』を見る。最初の二本、『ちょっとまってて』と『夏のサンタクロース』は既に民放で見ていたが、『探偵ジョージ』『10個の惑星』『プレイ・イット・アゲイン』は初見。
 どの作品も初期短編なので、見栄えがしないのを今の絵柄に合わせてリニューアルしてある。おかげでなかなか見ごたえのある作品に仕上がっていた。
 ヘタに凝った作りの作品より見ていて安心感がある。『名探偵コナン』ファンには、赤ん坊時代の新一の活躍が見られるのは嬉しいサービスだろう。



 ちょっと時間が逆戻りするが、朝食は糖尿病食の蟹風味ミートボールに味の薄いハンバーグ。作り置きのスープもやっと終了。
 女房「味が薄い」と文句をつけるが、病人用だもの、当たり前だ。
 病院食をレトルトパックしたもので、これならいちいち計量をする必要がなくて楽なのだが、いかんせん、値段が高い。一食千円するのである。今日は女房にも分けてやったので2千円出費の計算になる。これじゃ外食と変わらん。
 昼は女房が悪いと思ったのか、ほか弁を買ってきてくれる。でもやっぱり自分で作ろうとはしない。安くて腹の太る、でも美味しくてカロリーの低い食事ってないものかな。世のダイエットに悩む女性にとっても絶対朗報となり、売れに売れるだろうに。
 と言いつつ、今日も友達に贈ってもらった「ラスク・フランス」を齧りつつ、着実に体重を増やしているのであった(-_-;)。
 女房が「あんたの子供の頃って、このお菓子あった?」と聞くが記憶が曖昧なので答えられない。似たようなのはあったかもしれんが、しょっちゅう食ってた気がしない。
 だいたい小学生のころからそうそうお菓子を食ってた子どもじゃなかったのだ。われ等の世代は親から「お菓子ばかり食ってんじゃない、飯をきちんと食え」、と躾られた世代だし、早いうちから小遣いはお菓子に使うよりマンガ本、貸し本に使ったほうがいいや、と思ってたんで、ホントにたまにしかお菓子は食べてなかったのである。あのペコちゃんマークのお菓子だって(ミルキーだったかバルキーだったか忘れたが)、多分生まれてこのかた食った回数って、片手で足りるぞ。
 だからお菓子を買いまくってた経験というのは殆どイベントがらみでしかない。例えば銀のエンゼルを集めるとかな(それだって集まったためしがない。すぐ飽きるからだ)。
 まあ、一番お菓子を買ったってのは例の「仮面ライダースナック」だろう。みんなカードを集めるばかりで、お菓子は捨てる、と社会的に非難の集まったお菓子だったが、あれだって、1冊ファイルブックを手に入れた時点でやめてしまった。しばらくして怪人の解説を網羅した、ムックの類が山の洋に出版され始めたからである。
 カードを薄い紙袋に入れて隠して、どの怪人のカードが入ってるか分らないようにしてたのがヒットの要因の一つだろうが、あれって一種の詐欺ではなかったのか。だって商品の「品質」が事前に確認できないわけじゃん。持ってるのと同じカードが出たらクーリングオフさせてもらってもいいじゃんかよう(まだ恨んでるのか)。
 今はもうああいう商売成り立たないだろうなあ、子供も昔ほどバカじゃないから、と思ってたら、大ヒットを飛ばしたのがあの「ビックリマン」だったのである(これもちょっと昔だけど)。ガキはガキであるがゆえに永遠にバカなのだな。
 でもピカチュウ人気もそろそろと見たがどうだろう。それとも『ドラえもん』みたいに延々続くことになるのだろうか。

 女房がヤフーオークションで『花嫁はエイリアン』のサントラCDを落札したのが届く。
 オークションと聞くと、私はどうしても燕尾服を着た連中が何食わぬ顔でズラリと並んで座っている前のステージで、オーナーが木槌をトントンと叩いて「次はゴッホの『ひまわり』、10万ドルから」なんて言ってるシーンを思い浮かべちゃうのだが、なんか女房の顔とまるでイメージが合わん。
 でも話によると女房は非常に質のよい参加者だそうである。お金を送るのでも即座に対応するし、メールなどのやりとりも丁寧で、ということらしい。
 本人を目の前にしていると、とてもそんな礼儀正しい印象はないのだが、女房曰く、「迷惑は他人にはかけない。アンタにだけ」ということだから、そういうことになるのだろう。とほほ(T_T)。

 女房は珍しく早寝。
 ダン・エイクロイドの歌声を聞きながら、この声質って誰かに似てるよなあ、と思いながら思い出せない。何だか隔靴掻痒のまま、半徹夜で、明日の練習に向けて、次の芝居の(採用されるかどうか分らんが)シノプシスを書き上げる。
 続けて今日の日記を書いていたら、半分以上書いたところで、なんの拍子にか、いきなり文章が全部消えた。
 一瞬呆然となり、もう日記を書くのやめようかとも思ったが、意を決して、一度書いたものより長めに、しかも文章に工夫も加えて書き直す。従って、罫線から前の文は全部書き直しの分なのです。
 で、時計を見ると朝の5時。起きてきた女房に新しいシノプシスも貶される。
 ……何だか今日(もう明日になったけど)はいろいろと祟られた日でありました。
 ふうう(´。`;)。


2001年03月09日(金) ふうふのしんしつ/『掌の中の小鳥』(加納朋子)ほか

 夜中にも雪が降ったらしい。
 うっすら地面にも雪が積もっているし、昨日ほど吹雪いてはいないがチラチラ雪も待っている。
 今朝もやっぱり、布団にいつの間にかもぐりこんできた女房に追い出されていて、半裸状態で目が覚めた。
 ああ、咳が出るノドが痛い鼻が詰まってる。
 私をこんなメに合わせておきながら、女房は一人で布団にヌクヌクと……と思ったら、こいつも寝惚けて掛け布団とバトルロイヤルを繰り広げた末に、全部リングアウトさせていたのであった。
 二人揃って風邪を引くことが多いのはこのせいか。くそ。
 よっぽど仕事を休もうかと思ったが、
 この仕事に命を賭け、
 世のため人のために働くことを使命と信じ、
 愛と正義の使徒たる私が、
 仕事を休むなんてトンデモナイ。
 というわけで仕事に行きましたとさ(^^)。

 加納朋子『掌の中の小鳥』、読む。
 ハートウォーミングなミステリ、『ななつのこ』の作者が贈る、殺人も詐欺も誘拐もない、けれど紛れもなく上質の、日常の中のミステリ。
 謎が簡単過ぎる、という批判は本作の場合は的外れだろう。作者は恐らく読者に謎を当ててほしがっている。
 例えば、登校拒否に陥った少女がいる。少女は本当は学校に戻りたいと思っているが、きっかけがなく、勇気を奮い起こせない。少女の祖母が、少女に一つの賭けを申し出る。
 「おばあちゃんが向こうを向いてる間に碁石を一つ選んで。それから今度はあなたが向こうを向いている間に私が石を一つ取るの。もし二人の石の色が違ったら、あなたの勝ち。おんなじだったら、おばあちゃんの勝ち。どう?」
 確かにトリックはバレバレ(^^)。
 でもそれでいいのだ。こねくり回してメタだかベタだかわかんないトリックをふりかざして悦に入ってるアマに毛が生えた程度の連中のミステリに比べりゃ、加納さんの作品はよっぽど口当たりがよい。
 それはそれとして、この人、言葉遣いにちょっと特徴がある。
 例えば、「とんでもないです」というセリフ。これ、「とんでもありません」とか「とんでもございません」って誤用を平然と言ったり書いたりしてる人、多いんだよね。形容詞に直接「です」をつけるのもホントはよくないんだけど、話し言葉なら許容範囲内。
 さらに、「障害」を「障碍」と正確に、「大盤振る舞い」を正しく「椀飯振る舞い」と書いてるのも今時は珍しい。どっちも誤用が定着しちゃったものだ。このパソコンだって、正しい方は一発じゃ出ないってのに。
 この辺の言葉のさじ加減に関するこだわりが、もしかして、この人、文学部出身じゃないかなとふと思った。
 で、経歴を見てみたらやっぱりそう(^^)。どうも作者と、ヒロインの勝気な女の子とのイメージがダブってきちゃうんだが、優しげに見えて実は芯の強い女性なのだろうな。

 帰宅が遅くなったので、女房は既に仕事に出ている。
 何気なくパソコンでメールチェックをすると、ちょっとイスからこけそうになるメールが混じっていた。
 うーん、これは今のところここで書くわけにはいかないのだが、かと言って将来書くことができるようになるかどうかも解らず、第一それが真実であるか否かも実は確定的ではなく、いや、本来書くべきことかそうではないのかを判断すること自体が難しく、女房に相談しても多分「好きにしたら?」としか言うまいし、でもホントに書いたら軽蔑されそうだし、我々に関することであればきっと書いてしまうのだろうけれど、結局まあ様子を見るしかないということもわかっているわけで、だったらこうウダウダとワケのわからんことを書く必要もなかったのである。
 なんのこっちゃ。
 まあ、書かねばならぬ時が来れば書くこともあろう。

 そろそろ女房の作ったスープ、三日経っているので、いい加減飲み干さねばならんのだが、もともと鍋に山ほど作っていたので、とても二日や三日で飲み尽くせるものではないのである。冬場で寒いし、明日までなんとか持つんじゃないかと思うが、夏だったら一日で部屋中に酸っぱい匂いが充満しちゃっただろうな。
 桑原桑原。

 アニメ『無責任艦長タイラー』25、26話(最終話)見返す。
 途中をすっ飛ばして最終話だけ見るってのもせっかちなことだが、さすがにラストの作画は堂に入ったもの。でも元祖植木等の「無責任」に比べると、底が浅いのは否めない。結局タイラーが「いい人」になっちゃってんだよねえ。いや、ネタ元とは言え、今さら植木等と比べるべきもんじゃないんだろうな。

 女房、1:30に帰宅。明日が休日なので夜更かししてでも待っててやろうという夫心(^^)。でも、帰って来るなり腰が痛いのなんのと言いながらのしかかってくる女房はただひたすら重いのであった。……腰が痛いのはテメエの体重のせいだ。
 友達に贈ってもらった「ラスクフランス」というお菓子、美味しくて女房と二人でバリバリ食っているが、メンバーのみんなに分ける前に食い尽くしそうで怖いな(^_^;)。……だから夫婦揃って太るんだって。

 今日はこれでおしまい。まる一日分、日記を書いたので、続きは久しぶりになし。


2001年03月08日(木) ゴジラ対バラゴン。……地味だ(-_-;)/『Heaven』2巻(佐々木倫子)ほか

 寒の戻りかなんだか知らんが、また雪である。
 昼の雪は殆ど積もりゃしないから通勤の足に響くこたあないが、三月も半ばだってえのにどう言うこっちゃ。
 「季節外れの雪」と聞いて真っ先に思い浮かぶのが横溝正史の『本陣殺人事件』だったりするのは、昭和50年代のミステリブームの洗礼を受けたもののサガであろうか。『本陣』は金田一耕助のデビュー作ってことだけじゃなくて、密室トリックの傑作としてもすばらしいんだけど、現代の作家が今更「雪の密室」なんて設定を出してきちゃあ、いささか興醒めであろう。
 雪景色の中の死体ってのは確かに絵になるが、そこで提示される「謎」がたいてい「犯人の足跡がありませんでした」ってパターンに陥っちゃうのが陳腐なのである。
 その点、都筑道夫さんの『最長不倒距離』は「木の両側を通り抜けたスキーのあと」というちょっと工夫のある謎を紹介してたな。

 諫早湾の水門開放問題、今度は「水害の危険がある」とかで、長崎県や地元民が国に開放の反対を陳情し始めたそうな。
 国としてもアチラを立てればコチラが立たずで頭の痛いところだろうが、ノリの不作は全国的レベルの大問題だから、結局は水門開放の方向で押し切られるんじゃないかな。
 事業を進めてるのは確かに国だろうが、当事者間の話し合いがまるでされてないってのは、喧嘩して物わかれにしかならないってこと、知ってるからだろう。だからオカミに頼って、相手の方を何とかしてもらおうとする。
 つまりはノリ業者も長崎県も、どっちも相手の立場なんか考えるつもりもなく、テメエの要求を通したいだけで、しかも自分の手は汚したくないって連中ばかりだってことだ。どいつもこいつも自分のエゴ剥き出しにしてるだけ。
 となりゃあ、誰もが納得するような調停はハナから無理ってもの。どっちかが犠牲になるしかないのだ。その覚悟もなく言いたいことだけ言ってんのはみっともないとしか言いようがない。
 だったら私もエゴ丸出しで、ノリが食えないほうがいやだから、長崎県の方に犠牲になって欲しいって言ってもいいよな。
 三宅島の人たちはもうそこに戻れる見込みすらなくなってきてんだ。水害だってもともと天災じゃないか。人災のノリ不足と一緒にしてガタガタ言ってんじゃねえや長崎県。
 
 花沢徳衛さんが89歳で死去。
 この人も代表作をどれと断定しにくいほどにバイプレーヤーとして活躍した人だった。新聞には『おはなはん』が紹介されてたが、私だって生まれちゃいないくらい昔じゃねえか。
 松竹版『八つ墓村』の磯川警部が花沢さんだったなあ。あのシリーズが二作三作と続いていれば、花沢さんの磯川警部も定着していたろうに。
 藤子不二雄Aが『黒イせえるすまん』の『チ漢さん』の話で、明らかに花沢徳衛をモデルにしたとおぼしき老人の痴漢を出していたが、あれも出演歴に入るかな。

 ドラマ『カバチタレ!』の主題歌、『DO YOU REMEMBER ME』のヒットで、オリジナル曲である岡崎友紀版も注文が殺到してるそうである。
 70年代ポップスのカバーバージョンにもかかわらず売れるってことは、メロディーラインそのものの嗜好は昔も今もあまり変わっちゃいないってことなんだろう。アレンジさえよければ、『銀座カンカン娘』だって再ヒットさせられるかもしれんぞ。それはないか。
 でもジャズ系は比較的長持ちするよなあ。『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』って例もあったことだし(^o^)。
 
 『ゴジラ』の新作、やはり金子修介監督に決まったようだ。
 題して『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』。頭になぜ「東宝チャンピオン祭り」とつかんかな。
 実際にはもう何ヶ月も前から水面下で動いてはいたので、脚本なんかはもう上がっているのだろう。モスラ・バラゴン・キングギドラ連合VSゴジラって構図だけで興味は半減だが、『キネ旬』の記事だとどうやら東宝もそろそろゴジラに見切りをつけかけているそうで、それで華々しく旧人気怪獣を出して打ち止めにしようと考えたものらしい。『怪獣総進撃』のパターンだな。でもギドラが「ヤマト聖獣」で正義の味方ってのはその時点で間違ってる気はするが。
 オフィシャルページのストーリー紹介では、あの三つ首のギドラは未完成体で、戦いの中で完成体になるそうなのである。……で完成体がヤマタノオロチだったりしたら世間は怒ると思うが。
 ニューゴジラのデザインもまたブタ鼻に戻って背びれも小さくなり、今イチ威圧感というものが感じられない。
 ああ、でもどうせ金子さんにやらせるくらいなら、脚本も伊藤和典さん、特技監督も樋口真嗣さんにすりゃよかったのに。でも『ガメラ3』がきっかけであの三人、喧嘩しちゃったらしいし、東宝も妙なところにだけプライドが残ってる感じだし、それは無理なのかもなあ。



 シティボーイズのライブ(今年から「ライブ」と言わずに「シティボーイズミックス」と名前を変えるそうな)『ラ・ハッスルきのこショー』のチケット発売が明後日10日の10時から始まる。
 九州公演してくれないかなあと何年も待っているのに、シテイボーイズのお三方、全く来てくれる気配がないのだ。大阪や名古屋には行くくせに。大阪なんて、小手指のタコ焼きしか食うもんありませんよう(←偏見)。名古屋の人間はみんなぼったくりですから身ぐるみ剥がされちゃいますよう(←差別)。なんで九州に来てくれないんですかあ。
 いい加減、待つのにも痺れを切らしました。こうなったら、こっちから出向こうと決意……って、借金取りじゃあるまいし。
 もっとも、殆ど即日完売のチケットなので、取れるかどうかわからん。誰か一緒に行くかなあと思って、よしひと嬢や塩浦嬢に声をかけるが、あえなく撃沈。やっぱり東京は遠いかなあ。
 まあ、遠出の旅行するってえと、女房はたいてい興奮して体調崩しちゃうから、連れが少ない方がいいのかもしれんが。

 仕事帰りにコンビニに寄って、レトルトカレーやパンを買いこむ。冷蔵庫に食材は残っているが、昨日あたりからまた咳がひどくなってきたので、料理に時間をかけたくないのだ。
 そして、今週末の休日こそ外に出ないで原稿書くのだ。部屋も片付けるぞ(少しは)。
 で、とりあえずはコンビニで買ってきたマンガを読むことにする(そうやって時間は過ぎていくのさ)。

 マンガ、吉田秋生『楽園のこちらがわ』読む。
 『夢見る頃を過ぎても』も『十三夜荘奇談』も持ってるのに、どうして再録ものばかりのこの雑誌、買っちゃうのかなあ。
 しかも大学のころはボロ泣きしながら読んだこの作品、今やずいぶん覚めた目で見るようになってしまっていることに気づく。
 少女漫画の中では格段にリアル、と評された吉田秋生作品だが、よく読みこんでみれば、男の子どうしの友情の描きかたなんか相当に恥ずかしい。……惚れた女は親友の彼女、そのコをあきらめるために親友に向かって言うセリフがこりゃまた「何も言うな、黙って一発殴らせろ」だもんね。
 そりゃ恋愛って確かにファンタジーだけどさあ、女のコって、この程度の陳腐なシチュエーションにすら憧れを抱けちゃうものなのかね。……なんてアイロニカルな見方しちゃうから、私は純愛ものが書けないのである。

 女房が仕事に出かけたあと、万年床の枕元を探してみると、佐々木倫子『Heaven?』の2巻が。
 畜生、こうやって隠しておくから、私が読みそこなったり、知らないままうっかりもう1冊買っちゃったりする羽目になるのだ。
 しかし佐々木さんもすっかり「ビッグスピリッツ」の看板作家になっちゃったなあ。もともと少女マンガ家のクセに恋愛的要素の希薄なマンガしか書いてこなかったから、かえって今のほうが水に合っているのかもしれないけど。
 準主役(実質的には主役)の、レストランのオーナーのセリフの中に、突然『虚無への供物』なんて単語が出てくるのでビックリしたが、今巻で本職がミステリ作家だと判明。さりげなく伏線を張っていたのだな。しかし『虚無』のファンとは相当にコアな。誰がどれだけ気づいていたことか。

 ここ数日、女房の帰宅が遅いので、私は先に寝入っていることが多い。
 で、朝起きたらいつのまにか女房が隣にいるという状況が続いているのだが、それだけならまだしも、私はなぜか肌着一枚でくしゃみをしながら目覚めているのである。
 つまり女房が隣にいると言っても、一緒の布団にいるわけではなく、私が布団から追い出されているのだ。
 ……なぜそんなことをするのだ。おかげでまたぞろ風邪が悪化してきてるんだぞ。
 ……今回はじめて夫婦の寝室を描写してみたがいろっぽくもなんともないな。期待してた人、すみません。


2001年03月07日(水) 優しい妻ごっこ/『てきぱきワーキン▽ラブ』6巻(竹本泉)ほか

 ああ、今朝も寝起きは体調がよくない。
 風邪はぶり返しぶり返し、もう3週間も引きっぱなしで、一度咳が出だすと、まるで止まらない。クスリの効果も一時的で、朝目が覚めるのは鼻詰まりで呼吸困難に陥るせいである。
 朝風呂に入って、血行をよくする。
 でもうっかりするとそのまま落ちる。今日も落ちた。
 はっと気づいて仕事に遅刻しそうになってることに気づいて、慌ててヒゲを剃る。
 途端に安全剃刀の刃の部分がポキリと折れる。
 ……なんだなんだ、剃刀がふやけてたのか?
 仕方なく刃を取り換えて、もう一度剃り始めると、またポキリ。
 これ以上グズグズしてはいられないので、仕方なくそのまま出勤。
 モミアゲのあたりだけ剃り残しがあるが、まあそうみっともないほどでもあるまいと勝手に自分で思いこむ。この辺のアバウトさというか、見てくれを気にしないところが旧世代なのだなあ。
 弊衣破帽を美徳とする精神は現代ではただの不潔だもんな。私に言わせりゃ今の潔癖志向のほうがよっぽど病的なんだが。

 『キネマ旬報』3月下旬号、今号の特集は『サトラレ』。
 女房があまり見たがってなかったので、行こうかどうしようか迷っているのだが、特集記事にもかかわらず必ずしも評判はよくない。しかも出演者から(^_^;)。提灯記事でないのはいいことだが、監督の本広克行自体が映画業界の人たちからあまり好かれてないんじゃないかという気がする。
 『踊る大捜査線』にしろ『スペーストラベラーズ』にしろ、興行成績のわりにつまんなかったんだけど、どうもこの監督、自分の作品のどこが駄目か全く気づいてないし、そのことを指摘してくれる人についてもナメてかかってるような感じがあって、印象がよくない。以前富野由悠季からカメラワークの雑さを指摘された時も「気づかれましたか」なんてアホなこと言ってたしなあ。
 でも「他人に自分の考えてることが全部伝わってしまう」という設定にはすごく惹かれてるのだ。ううむ、悩むなあ。

 第73回アカデミー賞のノミニー、見事に一本も見ていない。これから日本公開の分もあるにせよ、『エリン・ブロコビッチ』や『グラディエーター』は見たかったのになあ。どちらも女房は食指を動かしてくれなんだ。
 どうしてわが女房ドノはこうも「ヒット作」「名作」を避けたがるかなあ。映画は好き好きとは言え、ちょっと偏りすぎるのもなんなんだか。

 新作情報、『ワンダーウーマン』『アウターリミッツ』映画版より何より、最高に期待しちゃうのは鈴木清順の新作、『殺しの烙印・ピストルオペラ』だ。
 前作をベースにしてはいるものの、伊藤和典オリジナルの脚本、しかも特撮監督は樋口真嗣と、『ガメラ』コンビが復活!
 実は原『殺しの烙印』もチラッとしか見たことないので、新作の前になんとか見ておきたいのだ。この機会にDVD化してくれないかなあ。

 帰宅が仕事の都合でちょっと遅くなる。てっきり女房、仕事に出かけているものと思ったが、今日は休みだったようで、グーグー寝ている。
 レトルトカレーを暖めようと台所を覗くと、珍しく女房がシチューを作っていた。昨日のお礼のつもりかなあ、と思って食べようとしたが、具が非常に少ない。具を先に食べ尽くして、残りがスープばかりになるのもなんだかなあとイジマシく考えて、カレーにスープのみを混ぜて食う。
 意外や意外、これが絶妙にうまい。100円カレーがこんなにコクのある、まろやかな味になるとは!(ぜひお試しあれ)
 でも、あとで起きてきた女房は、私が混ぜものをしたことで、スープがまずかったのか、と勘違いする。いや、ちょっと贅沢してみただけだって。

 ふとソファを見ると、ジム・キャリー主演の『ふたりの男とひとりの女』のパンフレットが。女房、今日は水曜日でレディースデイだったので見てきたものらしい。
 「ひとりで見に行って悪かった?」と聞かれるが、こういう時の返事が一番困るのである。
 「何で俺に黙ってひとりで行くんだよ!」と言えば、女房を束縛することになるし、「一緒じゃなくても構わないよ」と言えば、逆に「妻への愛が足りない!」とゴネられる。しょうがないんで無愛想に「別に」と、どっちともとれる返事をして誤魔化しちゃうのだが、本心はどっちでもないのである。
 行ける時には一緒に行くし、別々になっちゃうこともあるさ、ってな軽い感覚なんだが、その程度では、女房ドノはお気に召さないようだ。
 全く、どうすりゃいいんだか。



 女房、新刊マンガを2冊、買って来ていたので読む。
 星里もちる『本気のしるし』2巻。
 これがまあ、昔『危険がウォーキング』の爽やかラブコメを描いてた人と同一人物とはねえ。まるで第二の柳沢きみお(^o^)。
 女に入れあげるというのは理屈ではない。殆ど縁みたいなもんなんだろうけど、だからこそ落ちていくのを止めようもないのである。頼りなげでウソツキで、意識するわけでもなく自然体で男を誘ってしまう女、同性からは嫌われれば嫌われるほど、男はその女をかばう。
 ああ、1巻にもましてドロドロ。
 でも「本気のしるし」とは挑戦的なタイトルをつけたもんだ。実際、取り澄ました顔で「俺はこんな女にかかわるほどバカじゃねえよ」と嘯くような男は作者から見りゃ全く「本気」じゃないってことなのだな。
 ちょっと同感できるところがあるのが自分でもイタい。

 竹本泉『てきぱきワーキン▽ラブ』6巻(完結)。
 結局、完結巻まで殆ど「ラブ」がなかったな。竹本さんの描く女の子が好きな私だが、このシリーズでいいな、と思ったエピソードは全て男の子のエダルトに関するものだった。今巻でも原始時代エリアの話とママのお弁当の話、気に入った二つの話がどちらもエダルトがらみ。全話通じて一番好きな話も、コンビュータ内に沈んでいる人格データをサルベージする話で、これもエダルト。
 いや、男の子好きってワケじゃないんだが、竹本さん、絵によっては女の子より男の子の方がしとやかで魅力的だったりするんだよなあ。
 ヤバイヤバイ(^_^;)。

 小説版を読んだので、久しぶりにアニメ『無責任艦長タイラー』1・2話を見返してみる。1993年ってことは、もう8年前になるんだなあ。
 スチャラカしてるのになぜかトントン拍子に出世しちゃうって往年の『日本一の男』シリーズの宇宙版という狙いはわかるんだけど、映画ほどの醍醐味はない(口先三寸がもうひと味足りない感じか)。悪いけど、キャストがみんな演技が固過ぎるのだ。
 ああ、作者に絶賛された山本正之版の『タイラー』、もう手に入らないんだろうなあ……。

 WOWOW放送の『A.LI.CE』、評判の悪さは聞き知っていたがさもありなん。フルCGで作ってみましたって実験アニメだよこりゃ。キャラデザインがせめてテライユキ程度にかわいけりゃ、もう少しなんとかなったかもしれないけど。

 風呂に入って、折れた剃刀を新しいのと取り換える。明日の朝、ちゃんと起きられる自信がないので、今日のうちにヒゲを剃っておこうと、剃刀を頬に当てた途端、ぬるっとした感触。……今度は刃が新しすぎて、思いっきりニキビを削って出血してしまったのであった。
 未だにニキビがあるなんてわしゃ高校生か(ただの吹き出物という説もあり)。


2001年03月06日(火) 優しい夫ごっこ/『真・無責任艦長タイラー2 奮闘編』(吉岡平)ほか

 夢の中で女房の白髪を抜いている。
 昨日全部抜き尽くしたはずなのに、なぜかまた固まって天頂から生えているのだ。しかもさっきまで黒々としていたはずのところまで、私が掻き分けると白髪が五、六本、固まって見つかる。
 もしかしたら私が掻き分けるから増えるのか? このまま女房がどんどん白髪女になったらどうしよう……と考えていたところで目が覚めた。
 あまり波瀾万丈な夢を見るほうではないのだが、それにしても小市民的な夢ばかり見るものだなあ。
 でも女房はしょっちゅう「私のこと夢に見ないの?」と文句をつけていたので、きっとヨロコブことであろう。……天頂しか見えなかったが。

 芥川龍之介『河童』『桃太郎』、再読。
 ……のはずなんだが内容まるっきり忘れてるな。『河童』の構成、昔から東宝特撮怪奇映画『マタンゴ』とよく似てると思ってたんだが、あまり誰も指摘してないな。精神病院の患者の語る話、ってパターン、いかにも多そうだもんなあ。もっと昔に、外国の怪談小説あたりで元祖的なものがあるのかもしれない。
 エドガー・アラン・ポーにそんなのあったような気がしたけど忘れた。『メエル・シュトレエム』だったっけか?
 『桃太郎』は太宰治の『御伽草子』よりよっぽどキレのいい現代批評になっている。何の罪もない鬼を、自分が「桃太郎である」という理由のみで殺戮した男の末裔は、現代にもまた……。あっ、これって怪談。
 こないだ読んだ『妖怪馬鹿』でも語られてたが、芥川は大正期の「隠れ妖怪オタク」だったのである。新現実主義なんて名称、誰が考えたか知らんが、芥川を括る言葉としてははなはだ不適切だと思うんだがなあ。

 『剪燈新話』、再読。
 『怪談牡丹燈籠』のもとネタが載ってる本だが、はっきり言って原話はつまらない。書いてあるのはただのできごとだけで、行間に漂うムードってものがないのだな。女幽霊に取り殺された男もまた幽霊になって祟るけど、高名な道士に捉まえられるって、『霊幻道士』じゃん。
 『棠陰比事』、再読。
 昨日、大岡政談を読んでいて、多分この辺にもとネタがあるんじゃないかと調べたら、別の死体の首を切って、自分たちの服を着せて、あたかも殺されたのが自分たちのように見せかけるトリックや、死体に偶然ぶつかった男が服に血が付いたために犯人と間違えられる話など、『越後伝吉』のエピソードがいくつも見つかる。
 『棠陰比事』自体は実録ものらしいので、リアリティがあるといえばあるんだろうけど。「左利きのやつが犯人」ネタもこんな昔からあったのか(^o^)。



 夕べ、固くなりかけたお釜の残りご飯を使って、チキンライスを作った。玉葱を買い忘れていたので、チキンとグリンピースしか混ぜてないが、結構美味しくできた。茶碗5杯分は作っていたので、一杯分ほど食べて、あとは残しておいたのだが、朝になったら量が減っていた。
 ちゃんとフタをしておいたので、ゴキブリやネズミの仕業ではない。
 もっと大きなドーブツである。
 ドーブツが「鍋の中の、もらったよ。いい?」と喋ったので、ドーブツのクセに口をきくとは生意気なと思いつつ、
 「い〜よ。おまえのために用意したんだから」と言ったら、口をモゴモゴさせていた。
 どうもまだ食い足りないらしいな、このドーブツは。
 グリンピースとチキンはまだ残っているので、この次はもっと美味しく作ってやろう。ペットを飼うのもなかなか大変である。

 吉岡平『真・無責任艦長タイラー2 奮闘編』読む。
 アニメ版や数々の外伝を経て再開された本シリーズ、結末は知ってるわけだし案外つまんないかと思っていたら、1巻2巻と脇キャラは増えてるわ、展開はシリアスだわ、斜め読みするつもりが結構はまってしまった。
 元シリーズは都筑和彦のほんわかした絵柄にやたら挿入される無責任ソングの効果もあって、スチャラカ小説の性格が強かったが、新シリーズは堂々たるドラマである。それどころか、元シリーズを今読み返すと、小説というよりただの設定の羅列、といった感じに見えてしまう。それくらい、キャラクターの描写はおろか、ドラマの盛り上げ方も格段にうまくなっているのだ。
 作家というのは成長するものなのだなあ。
 ただ、スチャラカでなくなったために、タイラーの強運がますます絵空事のように見えてしまうようになったのは誤算かもしれない。
 それにユリコさんはもうちょっと意地っ張りのままの方がいいと思うんだがなあ。
 作者がアニメ版を嫌っていたとは知らなかった。たいていの原作者はそういうものかもしれないが、あのシリーズはテレビアニメにしては相当出来がよかったのに。

 女房が仕事に出かけたあと、バソコンを扱っていると、突然メールが届く。
 Yahooオークションからの案内で、『ザ・ビーチ・ボーイズ アン・アメリカン・バンド』のビデオの落札価格を更新するかどうかの問い合わせだった。
 「ただいま3600円です。価格を上乗せされる場合は、××××にアクセスしてください」
 一瞬何のことかわからなかったが、女房がオークションに参加していたのだなと気がつく。
 音楽オンチの女房が「ビーチボーイズ」とは何事、という感じだが、目当てはまず間違いなく、ゲストで出演しているダン・エイクロイド。
 どうせ数シーンしか出てなかろうにオークションに参加するくらい欲しいのか、と思って笑ってたが、オークションの締め切りを見ると、12時まで。……今は10時ってことは……。あと2時間しかないじゃないか!
 これをこのまま放っておいては、あとで女房に何と言われるか分らない。かと言って、こちらが勝手にどんどん値を吊り上げていってもいいものかどうか……。
 これは女房に直接聞くしかないと、雨の中、自転車をかっ飛ばして女房が働いているリンガーハットまで行く。
 仕事中の女房を覗きに行くのは初めてだが、どこにいるかと見てみると、しっかり制服を着て接客している。……それにしてもあの制服、サイズが小さいんじゃないか? やたらピチピチして見えるぞ。
 女房、私の姿を見て、一瞬眼を丸くするが、何事もなかったように応対。
 「いらっしゃいませえ。ご注文を受けたまわります」
 「君が欲しい」
 いや、言わないけどね。店に来た以上は注文しないわけにもいかないので、皿うどんを頼んで、ついでにこっそり、
 「……オークション、どうする?」と聞く。
 女房、声に出さずに首を横に振る。
 「いいの?」
 眉間にシワを寄せる女房。これ以上声をかけてくれるな、ということのようだ。
仕方なく、うどんを食って何事もなかったかのように帰宅。
 ところが、ものの30分もしないうちに女房も帰宅する。今日は早帰りの日だったようだ。
 「中古屋だったら1000円もしないものに4000円も払わないよ」
 ……あっそ。
 慌てた私がアホやんか。
 でもこんな些細なことで飛び出してくる夫に、少しは愛情というものを感じてもらえたらいいな、って思うんだけど、記憶力のない女房のことだから、どうせ明日にゃ忘れちゃってるんだろうなあ。ふん。

 ポストにワーナーからの封筒が入っている。
 開けてみると、中にはミュージックカード1000円が。そう言えば「ウィンターキャンペーン」とかで、DVDについてたシールを3枚一口で送ってたな。クジ運がないことで有名な私によく当たったもんだ。
 ちなみに3枚のDVDとは『アイアン・ジャイアント』『オズの魔法使い』『バットマン マスク・オブ・ファンタズム』である。なんでそんなん買ったってのも混じってるかな?
 ふと思い出したが、今朝の星占い、山羊座は最高じゃなかったかな。……つまり私の「最高」ってのはミュージックカード1000円分なわけね。……ぐすぐす(T_T)。


2001年03月05日(月) SMOKE IN MY EYES/『銀河帝国の弘法も筆の誤り』(田中啓文)ほか

 山のほうではまた雪が降ったらしいが、平地は何ということもない。
 ただ、風はいつもより冷たい。窓を開けると寒風が一気に入りこんでくる。そうしなくてもどこかから隙間風は入りこんできて、足だけが異様に冷える。
 なのに生まれてこの方、ヒビ、アカギレになったことだけはないのだ。「面の皮が厚い」って言葉はあるが、「足の裏の皮が厚い」ってのはどんな意味になるのだ。

 某図書館で『アサヒグラフ』のバックナンバーを探す。
 去年の11月に77年の歴史に幕を閉じ、休刊しちゃったのだが、その休刊号を読んでいなかったのだ。
 目当ては團伊玖磨の『パイプのけむり』の最終回。
 1964年から延々続いてきた連載だが、ここしばらくは作者もずいぶんお年を召し、昔ほどの切れ味がないなと感じていた。……というか、回によっては文意がどうにも取れないときもあり、考えてみれば作者は1924年生まれ、もう76歳で多少ポケも始まってるんじゃないかと失礼なことを想像もしていたのだ。
 ところが最終回を見て、驚嘆、仰天、何がボケなものか、その無駄のないキリリとした文章、社会の欺瞞に対する鋭い視線、去り行くものの潔さ、どれ一つ取っても「名文」の名に恥じない。
 戦後の日本は「“民主主義”ファシズム」「“戦争反対”ファシズム」「“差別反対”ファシズム」ゆえに戦前と何の違いもない、と断じたその口跡が清々しく小気味いいだけに、結局は何一つ頭を働かせることなく「平和」「平和」と連呼するだけのバカどもが跳梁跋扈している現状が情けなくてならない。
 民主主義が独裁を生まないわけでもないし、戦争は起こっちゃったら戦うか逃げるかするしかないのだし、差別反対の名のもとに差別が行われてるのはちょっと現実を見ればすぐわかることなのに、それを口にすれば現実に弾圧してくるやつらがいるのである。
 長い連載の間に、團さんもそういうやつらとの争いに何度も巻き込まれてきた。しょっちゅぅ右寄りと揶揄される朝日新聞社の発行物の中で、『パイプのけむり』を有する『アサヒグラフ』は異色だったのだ。
 連載は今後もほかの刊行物で、という朝日新聞社からの申し出があったにもかかわらず、團さんがそれを固持したのは、「『アサヒグラフ』だからこそ」という思いがあったからだという。
 「けむりはもう流れることはない」という最後の言葉が目に染みる。

 後藤長男・辻達也『マンガ大岡政談』読む。
 何だかいきなりこんな妙なもん読んでしまったが(^_^;)。原作は『東洋文庫』から取られており、マンガ技術は置いておいて、話だけは講談に忠実なのである。
 その殆どが創作とされる大岡裁きだが、江戸・明治の庶民がこぞって「名判官」としての偶像を祭り上げたのは、圧政に苦しむ民衆が公正な裁判官の理想を求めたもの、とアッチ寄りの歴史学者は短絡的に評しちゃうが、ホントにそうだろうか?
 実はたいていの話で大岡越前が登場するのは最後のシメの部分だけで、それまでは延々事件の流れ、それも殆どが「累ヶ淵」のような因果物語が展開されているのだ。落語に取られた『三方一両損』みたいな頓知話はごく少ない。
 『越後伝吉』なんか、主人公の伝吉がもとは名主の家系で、それが落ちぶれて苦労するが、正直さが認められて次第に出世し、冤罪事件に巻き込まれたりはするものの、ついには名主の地位に返り咲く、という、完全に「鉢かづき」以来の貴種流離譚の流れの果てにある物語である。……大岡、別に必要ない話なんだよね。
 その辺の考証、南方熊楠が相当調べてるらしいがまだ読んだことない。今度探してみようかな。



 女房、今日は仕事が9時から。
 女房が玄関を出た直後、何気なく鍵を閉めたのだが、無意識でチェーンロックまで掛けてしまった。
 その音が聞こえたのだろう、女房、猛然とドアを叩く。
 慌てて鍵を開けると、そこには私を睨みつける女房の大魔神のような形相(というか、もともと私の妻は大魔神にちょっと似ている)。
 「あんた、今、ロックしたろう!?」
 「ああ、ご免、うっかり閉めちゃった」
 「『閉めちゃった』じゃないやん、なんで閉めるん!?」
 「いや、無用心だから。大丈夫だよ。帰ってきたらちゃんと開けてやるよ」
 「そう言って、寝とったらどうするん! 今まで3回は締め出されたことあったんよ!」
 私の記憶では一回だけなのだが、一回でもあれば立場は弱い。仕方なく鍵は閉めないでおく。
 ……で、女房が帰ってきた時、私はしっかり眠りこんでいたのであった。わはははは(^_^;)。

 マンガ、ほったゆみ・小畑健『ヒカルの碁』11巻、読む。
 ヒカルもついにプロ試験合格。碁を始めて丸2年ってのは長いのか短いのか。
 連載雑誌も立ち読みしていて、このあと展開が二転三転することを知っているので、今読み返すとこのあたりは非常に静かな流れに見える。越智が敗れることは予想がついちゃうし。院生のキャラ、初めから立ってた和谷、雑魚キャラに見えたのがどんどん凛々しくなっていった伊角と比較すると、越智は最後の敵にしてはいかにも傲慢な性格で、ちょっとステロタイプ過ぎた嫌いがある。
 でも、ヒカル勝利のシーンを見せず、伊角の呆然とした眼のアップで処理する演出の細やかさ、連載2年を経てなおドラマとしてのレベルが落ちないことには驚嘆する。
 ……佐為があとであんなことになっちゃう伏線は既に張られているのだなあ。でもまさか塔矢があんなになっちゃうことまでは予想もしてなかったなあ。不安な要素を漂わして読者の興味を引き、意外な展開で落とす、その緩急自在な演出力は当代随一だ。
 しかしここまでキャラを増やし、話を広げて行くと、どう考えても30巻やそこらでは収まりがつかないぞ。しかもこの話、登場人物の成長と現実の時間がリンクしてるから、少年ものの連載としてはあと四年が限界。……終わるのかなあ?

 時雨沢恵一『キノの旅供 the Beautiful World― 』、『掘戮里△箸貌匹鵑世、全く支障を来たさなかった。
 作りとしては文学史上では散々叩かれることになった「主題(テーマ)小説」の流れに位置しているが、別にそれが悪いことだとは思っちゃいない。
 確かに語りたいテーマなりメッセージなりが先にあって、それに合わせて物語を構築していけば、その世界は自然とリアリティを欠いた作り物めいたものになってしまう。菊池寛の諸作はそうであったし、本作もそうなっていると言えばその通りだ。
 しかし、それ以上に、本作で揶揄される日本(これはあくまでファンタジー世界ということになっているが、キノが旅するどの国も日本のある一面を記号化したものであることは一目瞭然である)の「現実」が、もともと「作りものめいて」いるのである。
 第2話『過保護』の、息子のためと称して「戦争」に送り出す親も、第3話『魔法使いの国』の、「飛行機を飛ばした娘」を「魔法使い」と崇める民衆も、第5話『絵の話』の、画家がただ好きだからという理由で描いた「戦車」の絵を、「反戦絵画だ」と勝手に読みとって絶賛する批評家たちも、みな、形を変えて今の日本にいるのである。
 「まさか、三文小説に出てくるようなバカが現実にいるはずはない」なんて思っていたら大間違い。現実の人間は、その「現実」に対処するために、自らの意志を何らかのステロタイプに合致させようとするものなのである。つまり、「虚構」が「現実」のマニュアルになってしまっているのが現代日本の姿なのだ。
 でも第8話『優しい国』の人々のように、最後の最後で人は優しくなれる、というテーマだけは、やはり現実においても「虚構」のままのような気がするな。

 田中啓文『銀河帝国の弘法も筆の誤り』……これはすごい。
 タイトルが全てを語っており、それ以外の何物もないなどというバカ小説がこれまでにどれだけあったことだろう。
 私は横田順彌氏のハチャハチャSFが昔から大好きで、ただの駄洒落のみで話が始まりそして終わる『メグロの決死圏』(これもタイトル見ただけでオチが分るにもかかわらず面白いという稀有の作品)は日本SF史上最高傑作の一つと信じて疑わぬものだが、本短編集も充分それに匹敵する。
 表題作自体、ファースト・コンタクトした宇宙人が禅問答をしかけてきたので、それに対抗すべく、高野山に今も<生きている>空海を呼んでくるという、トンデモナイ作品だが、それだけ大風呂敷を広げときながら、ラストをただの駄洒落で落とすなんてアホウがどこにいる。
 ここにいたのだ。
 最高傑作は『火星のナンシー・ゴードン』。
 わはは。これもタイトル見てもしや……と思ったが、やっばりあのネタだったか。それで主役の女がでぶなのだな。
 数ページ読んだらオチはすぐに分るが、にもかかわらずおもしろい。ここまでバカに徹されちゃ、もう笑うしかないのだ。
 「ィドゥンもすぐにあとを追いもうすでグォバス」
 著者紹介を見ると、この人私と同い年。きっと若い頃ヨコジュンにハマった口なのだろうな。

 CSで『サタデーナイト・ライブ』を見る。
 おお、今日はスティーブ・マーティンの『キング・タット』(もちろんツタンカーメンのことね。『バットマン』に出てきたデブのエジプト怪人のことではないぞ)の日ではないか!
 LDで持っちゃいるんだが、丁度流れてるのを見るのもいいなあ、と思って見ていたら……。
 なんだ、あの字幕は。
 「キングタット」を「キムタク」とか「金太」なんて訳すな! それでギャグになってるつもりか……?
 脱力して寝る。


2001年03月04日(日) 一日が短い。寝てるからだな/アニメ『ソル・ビアンカ』1・2話ほか

 夕べ寝る前に『仮面ライダーアギト』の録画予約をしておいたのだが、朝目覚めると八時前。
 『ガオレンジャー』をチラチラ見ながら昨日の日記など書く。さすがに昨日はその日のうちに日記を書くことが出来ないくらいにぶっくたびれていたのだ。
 昨日も焼肉つつきながら、ぴんでんさんが「ガオレンジャーはこれまでの戦隊ものの寄せ集めだ。武上純希じゃ仕方がないけど」と仰ってたが確かにそういう印象。でも今更工夫のしようもないんじゃないかって気もする。
 『仮面ライダーアギト』、6話目にしてようやく第3のライダー、「ギルス」登場。しかもその見せ方がうまい。
 一瞬の変身を恋人に見せて、二人の別離のきっかけにし、去って行く恋人を付け狙うコブラ男を倒すために初めて自分の意志で変身するというシチュエーション、それ自体はありがちベタベタなんだが、やはり特に変身ポーズを取らせず、変身前の人間の姿の隣にギルスを立たせるという演出、子供が見れば「ギルスとあの人って別人なの?」って誤解するだろうが、お子様向けではないので全然構わない。
 ギルスのモチーフはカミキリムシだそうだけど、言われてみりゃなつかしのカミキリキッドにちょっと似てるか。
 でも敵の親玉をガキンチョにするのはどうかな。『クラッシャージョウ・美しき魔王』も『スプリガン』もその設定でコケたしなあ。

 一度目覚めたのはいいものの、やはり疲れが溜まっているのか、また眠る。
 というわけで休日だと言うのに外にも出ず、殆ど寝ちゃ起き寝ちゃ起きですごしてしまった。ある意味休日らしい過ごし方ではあるかな。
 昼は女房にラーメンを作ってやる。スープを何種類も混ぜるので、うまいと言ってどんどこ食うが、眠くなってまた寝る。ああ、自堕落だ。

 通算して12時間くらい寝てるがそれでもまだ眠い。というわけで今日の続きはまた明日、このすぐ下にまた書く予定。



 と言っても、寝てばかりいたのであまり書くことないのだな。

 今日までで女房の頭の白髪、ほぼ取り尽くす。ったって、全部でせいぜい20本ほどだが。
 私などは小鬢に生える白髪が一番多いのだが、女房はそれがほぼ天頂に固まっている。多分あれは知恵熱をしょっちゅう放射しているせいであろう。
 ふと女房が呟く。
 「陰謀やん」
 「何が?」
 「19歳までは白髪なんか一本もなかったのに、20歳になった途端、生え始めるなんて、自分の体に嵌められてる」
 「嵌めるって……自分の体じゃんか」
 「だまされたあ」
 そういう支離滅裂なこと考えてるから白髪が増えてるのかもしれんぞ。
 
 エロの冒険者さんからお借りしたDVD『怪獣ウラン』、輸入版なので日本語字幕が付いていないものを、高校時代の英語テストの最高得点70点の耳で、無謀にも見る。でも芝居が臭いので、何をやってるかちゃんとわかるのがいい。B級映画は世界の壁を越えるな(^^)。
 でもくたびれているので20分ほどで寝入ってしまう。

 次に起きて、風呂に入り、少しは眼が覚めたかなと時雨沢恵一の『キノの旅供戮鯑匹濟呂瓩襪20ページほど読んで落ちる。で、結局本格的に目が覚めたのは夕方の6時。……ああ、一日損した気がしてならん。世間は「サザエさん症候群」にかかっている時間帯だというのに。
 女房もたっぷり寝たあと、仕事に出かける。働き始めてようやく一週間、もうそろそろ研修も終わるのではないかな。

 マンガ、高橋留美子『うる星やつら・見合いコワし』、ラムのお見合いをあたるが宇宙まで行ってぶち壊す話。『うる星』の最終話『ボーイ・ミーツ・ガール』は結局これのバリエーション。それに『らんま』も『犬夜叉』も、男と女の意地っ張りを繰り返してるパターンは本作と同じで芸がない。
 何だか昔ほど高橋留美子を追っかけるのに熱意がなくなってきたなあ。高橋留美子の最高傑作、『人魚』シリーズの新作が未だに出ないことも原因なのだけどな。

 CSでアニメ『ソル・ビアンカ』の1・2話見る。
 宇宙海賊モノはできるだけスペースオペラっぽい明るいノリが王道で、本作もキャラクターだけ取り上げればそういう面もあるのだが、デザインがどうにも濃くって今一つ明るくなれない。地球圏を離れた人類たちと、地球を聖地と崇めるものたちとの対立って構図も食傷ぎみ。もう一つこれって要素が足りないなあ。

 1時過ぎに就寝。夜中に帰ってきた女房に起こされた気もするが、既に覚えていない。
 「寝ぼけんなよー」と叫んでる女房の声は何となく覚えがあるのだが、また私は寝言でなにかヘンなことを言ったのだろうか。


2001年03月03日(土) オトナの会話/アニメ『サウスパーク・CHINPOKOMON』

 雛祭りってえことで、ニュースじゃどこそこの雛人形展示会だの変わり雛だのが紹介されてるが、もちろん雛人形の元ネタは天皇皇后両陛下である。意外とこのこと気がつかれてないのな、歌にもちゃんと「お内裏さまとお雛さま〜」と歌われてるのに(この歌詞も厳密に言やあ、「全部お雛さまじゃん」というツッコミはできるが)。だから典礼のときの衣冠束帯姿を見て、「わあ、お雛さまみたい!」と抜かしよるやつばらがおるが、実は本末転倒だったりする。
 ましてや「キティちゃんの変わり雛」などは、カケマクモカシコクモすめらみことを口ナシのケダモノごときになぞらえるとは怪しからん……と誰も怒らんのはなぜなのかね。
 また逆に天皇制反対を唱えてる連中の家でも、多分雛祭りやってるとこはきっと多いぞ。その辺の矛盾は心の中でどう折り合いをつけてるのかな。
 その辺のテキトーさ加減がイデオロギーに凝り固まった連中を好きになれない理由だったりするのだ。
 だいたい雛祭りが女の子の節句だなんていつ誰が決めた。もともと桃の節句ってことじゃないのか。
 ……ぐすぐす。なんで男は雛祭りを祝っちゃいけないんだよう。女の子に誘われなきゃ男はひしもちだって食えないし、女の子に白酒だって振舞ってもらえないし、「も゛も゛くりー、さんーね゛ーんー、かきーはーちーね゛ーん」といっしょに歌ったりかくれんぼしたり、ときかけったりすることだってできないんだよう。
 ……すみません、青春をどこかに置き忘れてきた寂しい男の愚痴でした。ううううう(T_T)。

 仕事から帰宅すると女房が居間で寝ている。何だか寝室にたどりつくことも出来ずにぶっ倒れて寝ちまったっていう印象だが、実際その通りだったようだ。
 「ずっと寝てたのか?」
 「いや、さっき寝たばかり。殆ど寝てない」
 夕べパソコンゲームを始めたら熱中して寝つけなくなり、さらにDVDで『六番目の小夜子』を見ていたら夜が明けたそうである。
 昼は昼でウチに藤田君、其ノ他君に鴉丸さんが来て、眠れなかったとか。
 土曜にもかかわらず、私は終日お仕事をしていたというのに、そのあいだ、いろいろ遊んでやがったのだな、こいつは。
 ……遊びにというのは語弊があるかな。ホームページに載せる写真の撮影や次の脚本のネタの検討などをしていたそうだから。

 鴉丸さん、小林泰三の『玩具修理者』を持参。次回作はこんなのをやりたいらしい。ウチにもこの本、ちゃんとあるのに、これも女房がどこかにやっちまってるので、現物を見せに来たもの。
 ……しかしこれを役者でやるのは難しいよなあ。作中、人形が出てくるシーンがあるのだが、人形を演じられる最高の役者は当然人形そのものだ。役者に人形を演技させるのには、相当な演出の工夫が必要になる。おーい、次の演出、誰がやるんだあ?
 私もシノプシス早いとこ書かないとなあ。

 女房、半月遅れではあるが藤田君にバレンタインチョコをあげたらしい。もしかしてまたあのブロックチョコか? 其ノ他君もホームページの日記に書いていたが、味がどうのという以前に、食うこと自体、労力を要するものらしいのである。……一回、鍋かなんかで溶かして型に入れ直して食った方がいいんじゃないのか。受け取った本人はすごく喜んでたそうなので、苦労してでも食うんじゃないかとは思うが。

 岡田斗司夫さんの『OTAKING SPACE PORT』のオタク日記1月24日に、青木光恵さんのピンナップ・カレンダーが紹介されてある。
 女の子がいろんな衣装・スタイルでポーズを取る中、いったいどれが岡田さんの一番好みか当てて見せよう、というのである。「もうね、男はみんな同じ子を指名するんですよ!」と挑戦され、岡田さん、いきりたって「これ!」というのだが見事に撃沈(^^)。「ははは、男の好み、みんないーっしょ!」と青木さんにからかわれて、岡田さん、悔しがること悔しがること。
 今から覗いて見ようと思われる方のために、それがどんなキャラか説明するのは省くが、私も「岡田さんなら、いや、たいていの男はこのキャラを選ぶだろうなあ」と言うのがすぐに見当がつく。『ぼくたちの洗脳社会』を書いた岡田さんにして、既にステロタイプな「理想の女」像を刷り込まれてしまっているのである。
 しかし、洗脳されることが悪いと言いたいわけではない。意地の悪い人間なら自分の好みをはずしてでも、別のキャラを選ぶところを、見事にハマったというのはそれだけ岡田さんが「素直」だということなのだ。
 と言うか、男は一度刷りこまれた自分の女性の好みについては、なかなかウソがつけないものなのである。なぜなら、男は結局(特に日本人は)、女の中に母を見ることしか出来ないように、社会的に躾られてきているからだ。息子に厳しい母も、息子を溺愛する母も、息子を放任する母も、実は息子との心理的距離は全て密接につながっている。マザコンはいうまでもなく、亭主関白に見せかけてる男だって、ありゃあ女から自立したい男の反作用でしかない。結局は母の呪縛からは逃れられていないのだ。
 「男の趣味は全て一緒」。至言だが言われりゃ確かに悔しいわな。自分がガキだって言われてるのと同じだから。
 従って、男が抱く理想の女性像は、男にとって多分に都合のいい「幻想」にすぎない。現実の女性にとっては、別に相方に息子を求めてるわけでもなんでもないので、そういった男の存在自体が非常に迷惑になったりもするのである。世間の夫婦間の齟齬はそういうところに原因があったりするのだよなあ。
 ちなみに私は性格が悪いので、青木さんのイラストを見て、ほぼ全ての男が好むであろうキャラをはずし、別のを選んだ。私にマザコン的傾向がないのではないが、同時に私に女性的な傾向があるためでもある(オカマってことじゃないぞ)。男にしては例外的な部類になろう。
 ……実は私は、現実の女性に関しても、今まで全て、普通の男が好むタイプをはずしてきたのだ。で、ヒネクレモノの選択がいかなる結果を呼んだか。
 それは、我が家の家庭生活をチラとでもご覧になった方ならば説明の必要もあるまい。保守的でない男になるには、相当な覚悟が要るのだよ、諸君(って誰や)。

 夜、ダーリンのオデッセイで送ってもらって、エロの冒険者さんのお宅に、『サウスパーク・チンポコモン』を見にご訪問。
 女房、エロさんにもブロックチョコをプレゼントするが、どこまで犠牲者を増やそうというのか。さすがに少しは反省したのかノコギリ付きで渡したらしいが。……ノコギリ使わないと食えないチョコって、既にチョコでない気もするが。
 メンツが揃うまで時間があったので、塩浦夫妻、エロさんに「犬が飼える鹿児島本線沿いの家がないか」などと聞いている。
 「犬ってどんな犬?」
 「こんな小さいの」
 って、手のひらひとつ見せられても、手乗り犬なんていないぞ。塩浦さんは待ってるあいだしょっちゅう体を左右に揺らしていて、ダーリンから頭を抑えられていたが、脳が攪拌されないのだろうか。
 8時半ごろ、ぴんでんさん、ロデム君も来られていよいよ上映会。
 「チンポコモン」って原音でも「チンポコモン」って言うのかな、と疑問に思っていたが、本当にその通りであった。
 いちいち数えたわけではないが、恐らくテレビ史上、「チンポコ」という単語が最も多く発せられた番組であることは間違いあるまい。ほぼ5秒起きくらいに「チンポコ」「チンポコ」と繰り返されていたので、しまいには頭の中が「チンポコ」だらけになりそうだった。……って、そういうネタの話なんだよな、これ。
 「チンポコモンするぞチンポコモンするぞチンポコモンするぞチンポコモンするぞ」……やりすぎてケニーがテ○カ○起こすあたり、例のポケモン騒動との関連もあるが、オウム真理教のイメージも重なってる気がするなあ。
 テレビの中に登場する「チンポコモン」アニメが、「似てるけどニセモノなのでちょっと違う」という感じのヘタレた絵柄なのがいい。ピカチュウモドキもニャースモドキもそれとすぐ分るし。『鉄腕アトム』以来、「日本製のテレビアニメは出来が悪い」というのは向こうの共通イメージなのかな。アメリカ製アニメだって相当粗製濫造であるとは思うが。
 日本でこいつが放送禁止になっちゃうってのは、やはりシャレにならん点が多いからかな。ヒロヒト社長の陰謀で、日本のおもちゃ会社が、一見土下座外交をしてみせながら、内心アメリカに対しての復讐を狙ってるって設定、たいていの日本人は笑ってられることだが、一部、図星さされたと思って本気で腹立てる右や左のダンナさまは確実においでになるからである。
 いや、案外「日本人のぺ○スは小さい」というセリフに過剰反応するかもな、あいつらは。「思想信条の自由は認めるが、俗悪なのは許せない」とか論点ワザとずらしてな(^^)。
 日本人のに比して、アメリカ人の「ペ○ス」は、ビッグでラージでガルガンチュアなのだそうである。「ガルガンチュア」と聞くとどうしてもオタクは『ザ・ウォー・オブ・ザ・ガルガンチュア』(『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』の米タイトル)を思い出してしまうが、元々は中世の伝説上の巨人の名前である。日本人がなんでそんな単語知ってんだって感じだが、これはどっちかって言うとRPGなんかのゲームに出てくるキャラクターあたりをイメージしてるんだろうな。いちいち芸が細かいことではある。

 エロの冒険者さま、滅多に見られないものを鑑賞させて頂いて、更には『怪獣ウラン』のDVDまでお貸し頂いて、ありがとうございました。今度は『カニバル・ザ・ミュージカル』の上映会をよろしくお願いします。

 上映会のあと、高宮の「東洋ショー」という焼肉屋で2次会。
 なぜか店内に浜崎あゆみのサインが飾ってある。この辺の出身だったかな。
 肉をつつきながら、オタク話のはずが気がついたらエロ話に移行していくのが、オトナのアソビゴコロというものであろうか。
 女房は初めてソープランドのスケベイスの使い方を教えてもらって感心していた。私も生まれてこのかたソープランドというところには行ったことがないので、教えようにも教えようがなかったしなあ。……ってテメエの女房にソープについて解説する夫ってのもいなかろうが。……いるかな?
 特撮番組の話題を延々としていく内に、昔のヘタレた番組も無性に見返したくなる。『宇宙猿人ゴリ』や『快傑ライオン丸』もCSあたりで再放送してくれんかなあ。

 帰りもダーリンカーで送ってもらって、まだ塩浦さんが見ていない分の『サウスパーク』のDVDと、『妖怪百物語』と『東海道お化け道中』をお貸しする。この大映の妖怪シリーズ、二作目の『妖怪大戦争』だけ店頭になくて買い損ねていたが、これが日本妖怪対西洋妖怪の対決という純然たる娯楽作である。関西弁の「油すまし」が好きだったなあ。どこかの中古DVD屋を回って探してみようかな。
 さすがにぶっくたびれていて、日記を書く元気もなく寝る。明日は出来るだけ書物を片付けていこう。


2001年03月02日(金) あっいぃ、うー、えぇおー♪/『ドラゴン株式会社』(新谷かおる)ほか

 ふにゃー。
 気がついたら午前様だ。
 昨日、ゆっくり眠ろうと決意したのに今日またなぜこんなことになってしまったのかというとまた女房のせいである。
 先日買ったばかりの『唐沢俊一のキッチュの花園』、女房がどこかに片付けていて場所が分らない。場所を聞いて探してみるがない。
 「多分その椅子の上にあったと思うんだけど」
 「なかったよ。それに椅子の上にあったのならテーブルの上に片付けたよ」
 「片付けたつもりでどこか別の場所にポンと置いたんじゃないか?」
 「いや、その山の中以外には片付けてない」
 そう言われても現実にないものはないので、女房の言葉を信用せずに別の場所を探してみると、やっぱりビデオの山の陰に無造作に押しこんであるのを発見。
 「ほら、別んとこにあったじゃないか」
 「通り道に置いといたから邪魔でどけたんだよ! 第一椅子の上じゃないじゃん」
 「椅子の上じゃなくても片付けたのはお前じゃないか。どこにやったか忘れるんなら片付けにならん!」
 延々会話を書くのもバカらしいので省略するが、実に不毛な喧嘩が12時過ぎまで続いたのだ。
 だから記憶力もないのに片付けはするなと日頃言ってるのに。
 元々私は結婚する前、本棚だけはキレイに作者別に整理していたのである。ところが女房は本を勝手に取り出したあと、絶対に片付けない。そこいらに放りっぱなしである。新刊を買って来ても勝手にどこかに持って行って適当なところに押し込むということを繰り返すので、買ったばかりの本が読めなくなり、整理も全然出来なくなってしまったのだ。
 「私だって、ちゃんと片付けたいんだけど、本が多過ぎて無理なんだもん!」
 とは女房のいいわけ。
 まあ、女房の処理能力を超える蔵書数であるには違いないが、かと言って普通のオタクに比べりゃ多いと言うほどでもない。
 女房に本の整理が出来ないのは、実は本の量に原因があるわけではないことを私は知っているのだ。
 私は本をたいてい作者別、アイウエオ順に並べているのだが、女房はその「アイウエオ順」が分らないのだ。
 ……学校はやはりマジメに行っておいた方がいいよなあ(-_-;)。

 続きはまた明日。



 ……と書いておいたら、女房が、「一日の日記を二回に分けて書いたら、下のほうのに気がつかない人も出るんじゃない?」と言われた。
 その可能性もないことはないが、かと言って、次の日の日付のところに、前日の内容を書きこんでも混乱すると思うのである。
 まあ、この日記を熱心に読んで下さっている方々なら、翌日に量が増えることもあるということは先刻ご承知だろうから、それほど気にせずともよいであろう。

 マンガ、新谷かおる『ドラゴン株式会社』読む。
 今はなき『少年キャプテン』に廃刊号まで連載されていたもの……と言っても、全6話しかない(^_^;)。
 どこぞのインタビューで作者がこんなことを語っていた。
 「傾きかけた雑誌があると、起死回生の手段として『ひとつ連載を』と依頼されることが多いんですよ」
 これも今はなき『少年ビッグコミック』がジリ貧状態にあった時、名作『エリア88』が文字通り救世主となったことは周知の事実。恐らく『キャプテン』もそれを狙っていたのだろうが、いかんせん、『エリア』と『ドラゴン』とでは、その作品レベルが天と地ほども違う。
 言っちゃあなんだが、新谷さんのマンガは作品によっての出来不出来の差がありすぎるのだ。『ドラゴン』は人口過密による異次元への移住、という設定そのものは悪くないが、そこに中世の剣と魔法のファンタジー世界を構築するという発想があまりにありきたり過ぎる。主役三人娘のキャラクター造形も、ドジっ子としっかりものとトラブルメーカーとって『なんてっ探偵アイドル』なみの陳腐さ。これで人気をとろうってのはちょっと客をナメちゃいないか。
 末期の『キャプテン』は読者ターゲットとしてのオタク層を角川の『少年エース』に奪われた形で失速して行ったが、「オタクはファンタジーに釣られる」みたいな安易な発想が却って命を縮める結果になったように思えてならない。
 でも、廃刊間際の雑誌って、たいてい「なに考えてんだ」的なヤケのやんぱち企画が連載されること多いんだよな。『少年キング』の『風雲輪投げ野郎』とか。

 和田誠・三谷幸喜『それはまた別の話』読む。
 以前『キネマ旬報』に連載されて単行本化された、お二人の映画についての対談が、文春文庫に収められたもの。これはきっと文庫になる! と、単行本を買わずに我慢してたかいがあった。
 基本的に映画評の類は、自分が見たことのある映画についてしか読まないようにしているので、12本の映画のうち、読んだのは半分の6本である。
 でも卑しくも映画ファンを自認してる男が、『アパートの鍵貸します』や『恐怖の報酬』をまだ見てないってのは恥以外のなにものでもないなあ。
 だからあまり大きな口は本来たたけない、たたいてはいけないものだとは思うのだが、『トイ・ストーリー』についてお二人がしきりに「今までのディズニーっぽくないアニメ」「ディズニーにしては珍しく主人公が人間臭い」「歌の中にストーリーの説明があるのもディズニーらしくない」とか言っているのが気になって仕方がない。
 あれは提供はディズニーだけど、制作はピクサーなんで、厳密に言えばディズニーアニメとは言えないのだ。あれをディズニーアニメと言っていいんだったら『となりの山田君』だってディズニーアニメになるぞ。あれを「ディズニーにしては珍しく日本人の家族を主人公にしている」なんて言うか?
 三谷さんはともかく、和田誠さんは広島アニフェスにも参加してたし、ピクサーのアニメについては知っててもおかしくないはずなんだけどなあ。連載中もおかしいなあと思っていたが、誰も訂正しようとしなかったのかなあ。
 森卓也、何してたんだ。

 女房と口げんかしてしまったので、せっかく一緒に食べようと買ってきたチーズパン6個入りひと袋を、自分一人で食い尽くす。おかげで腹が苦しいまま寝る。時計を見ると午前2時。明日は仕事が早いので、どう考えても4時間しか眠れない。私の睡眠時間を返せ……って、適当なところで喧嘩を打ち切っちゃえばよかったんだがなあ。下らんことで喧嘩をするなという喧嘩をしてしまうことほど下らんことはない。 


2001年03月01日(木) ダブルマインド/『ブギーポップ・パラドックス ハートレス・レッド』(上遠野浩平)

 わはあい、3月だあ。ヽ(^o^)丿
 「弥生」って聞いただけで、急に冬から春に変わったような気になるのだから、人間の感覚なんていい加減なものである。昨日と今日とで何が変わったというのだ。朝から外はそぼ降る雨、世間じゃ風邪も大流行りだってのに。
 「弥生」の語源は、「いや・おい」が縮まったものだという説がある。「いや」ってのは「やあ」とか「おお」とかいう掛け声と同じね。いわゆる感動詞。「おい」ってのは字のごとく新芽が生えてくること。だから「やあ、春になって草も萌え萌え〜!」ってのが「弥生」って言葉の元々の意味だってことだ。
 ……誰が言い出したか分らんが、一人くらい「別の言葉にしようよ」って止める奴ぁいなかったのか。

 ここしばらく変な夢を見ているらしいのだが起きてしばらくすると忘れている。ただ、私が夢の中では全く別の環境のもとで全くの別人として生活していたことだけは覚えている。
 だから、目が覚めたばかりの半睡半醒状態の時は、自分を取り戻すのに少し時間がかかってしまう。
 そう言えば、2、3歳の頃、私の記憶している最も古い思い出は、目が覚めた途端、目の前に「畳の目」があって、自分がうつ伏せになって寝ていたことに気づき、「ああ、やっとこの世に戻れた!」と安堵し、周囲にいる大人たちを見て、「あれがボクの新しいお父さん、お母さんなのだな」と確認した、というものだった。
 ……こういうこと話すと、いかにも私がリインカーネーションとかオカルトなことを信じているように聞こえるかもしれないが、残念ながらこの体に入りこむ以前のことは全く覚えていない。
 もしかして、夢の中のもう一人の私は、2歳以前にこの体の中にいたもともとの私のあるべき未来の姿だったのかも……って、うまくこねくり回したら何とかSFにならんかな、このネタ。
 それはそれとして、夢の中でこうしょっちゅう別人になっていて、しかもそのときは起きてるときの記憶が全くない、そして反対に起きてるときは寝てるときの記憶がない、というのはちょっと多重人格症に似てないか。
 日本人に乖離性人格障害は滅多に見られない、いや、そもそもそんな病気はない、なんて言ってる医者もいるようだが、ひとつ頭のネジがはずれて、この夢の中の私を私がホンモノの自分だと思いこんだとしたら、それはどう診断されちゃうのだろうか。
 全部一緒くたに関係妄想とかの中に組みこまれるのかなあ。それともただのボケか?
 どっちにしろ、トシを取ればヒトのココロは自然に壊れていくのである。それが人間というものの正体だとすれば、「自分」に固執することは所詮無駄な努力ということになる。
 いっそのこと、全国民が、ある一定期間、A山B男として暮らしたら、次の日からはC田D太郎にならねばならないって制度ができたら、気分も変わっていいような気がするがどうだろう。人格そのものが変わることにみんなが慣れていけば、「あんなおとなしそうな人がどうしちゃったんだろう」とか「あなたがこんな人だとは思わなかった」なんてショックを受けることも少なくなると思うぞ。……自分の奥さんが、姿形は変わらないのに、次の日からマリリン・モンローになったりしたら楽しいかな。でへへ(~∪~)。
 ああ、これもちょっと捻るとSFになりそう……。

 今日は映画の日でしかも仕事も半ドン。昨日から晴れたら映画に行こうと女房と話していたのだが生憎の雨。
 私一人なら雨くらいで映画に行くのを諦めたりはしないのだが、徹底的な雨嫌いの女房は、バス停に行くのに傘を差すのすら億劫がるのである。歩いて1分の距離なのに。
 でも夜には仕事もあることだし(今日は遅くて午前様になるそうだ)、無理強いするのも悪いかと諦める。
 何だか今年は去年に比べて映画に行く日が減りそうだなあ。

 キネ旬ムック『動画王』12号、特集は石森キャラクターズと題して、『人造人間キカイダー THE ANIMATION 』、『仮面ライダーアギト』などを取り上げている。
 石森プロの早瀬マサトさんのインタビューによれば、『キカイダー』も『アギト』も、故・石森さんの意向を組んで、ハイターゲットを狙っている、とのこと。その出来が本当に大人向けになっているかどうかの批評は別として、昔の明るく楽しい『ライダー』や『キカイダー』をスタッフが作ろうとしているわけではない、ということは前提として理解しておかねばならないのではないか。
 高いところに立ってギターを鳴らしているジローや、変身ポーズを取るライダーが登場しなくても、元々原作にそんなシーンはないのだし、スタッフだって今更ただのリメイクを作りたいわけではあるまい。昔の特撮版が懐かしいなら、ビデオ屋で昔のを借りてきて見ればよいのである。
 あとは『サイボーグ009』の完結編と、アニメ版が実現してくれることを望む。石森プロがこれだけ力を入れていいものを作っているのだから、そうそうひどいものにはならないと信じる。

 上遠野浩平『ブギーポップ・パラドックス ハートレス・レッド』、しばらく『虚空牙』シリーズばかり書いていた上遠野さん、久々のブギーポップシリーズである。
 一作ごとにほかの作品とのリンクが楽しいこのシリーズ、今回はまた少し時代が遡って、第一作『ブギーポップは笑わない』の半年前。
 だからこれまでの作品で最後はアレになってしまった辻希美や穂波顕子、水乃星透子なんかも登場してくるのだが、何より新登場かつ今回の主人公、九連内朱巳のキャラクターがよい。なんと言っても、ついに登場した霧間凪のライバルである。したたかと言うか、野放図と言うか、天性の詐欺師で、しかし女の子であるってとこがニクイ。
 私が詐欺師とか怪盗とかの登場するピカレスクロマンが好きなのは、主人公たちの人格が簡単にひと括り出来るような単純なものではなく、常に矛盾を抱えているからである。
 断言しちゃうが現実の女は基本的に詐欺師であって、自分のウソをウソだなんて認識しちゃいない。なのにフィクションに出てくる女って、たいてい純真なんだよね。それでなきゃロマンにならないってのは、薄っぺらなもんしか書いてないやつの言い訳だ。他人をだますことも自分をだますことも得意な女を描けて初めてそれはロマンになり得る。
 それにしても、「炎の魔女」の由来があんなことだったとは……上遠野さん、自分の作ったキャラクターを弄んで楽しんでるなあ。
 いろんな意味で『ブギーポップ・パラドックス』というタイトルの持つ意味が楽しい本作でありました。



 実はよく分ってないのだが、今日からパソコンの接続が「ふれっつのあいえぬでいえぬ」とかいうモノになったんだそうである。
 女房が「これでどれだけ使っても料金は変わらないよ」と言う。1時間で五千円ポッキリとか、そういう類のものなのだろうか。たいていそういう惹句はガセであることが多いが大丈夫なのかな。
 思うに「ふれっつ」というのはチョコプリッツかフレッシュコーンの親戚であろう。音が似ている。食べすぎると鼻血が出るやつだな。
 「あいえすでいえぬ」というのは「あいしーびーえむ」にすごく似ているのですごく危険そうだ。たしかCMではハジメちゃんが宣伝してたが、ハジメちゃんがいるということはその裏にはバカボンのパパが控えているということでもある。
 バカボンパパがチョコプリッツを食べて鼻血ブーしながらあいしーびーえむをママに向かって発射しているイメージが脳裏に浮かぶが、私は変態だろうか。

 あさっての『サウスパーク』上映会、一応この日記でメンバーに声かけはしたものの、最終的に何人参加するかを確認するためにメールをいくつかやりとり。
 時間の関係もあって、全員の確認は取らなかったが、別にエンガチョ切ったわけではなく(博多弁じゃ「エンガチョ」って言わないんだったよなあ。でもなんて言ってたか忘れちゃったなあ)みんなそれなりにオタクではあるのだが、やはりそれぞれに好みは違うので遠慮したのだ。
 これまで『サウスパーク』の「サ」の字も聞いたことのない人にまで声をかけても、どう返事をしていいものやら分らないだろうしなあ。しまったなあ、鈴邑夫妻や鴉丸さんがウチに来てたときに見せてあげればよかったかも。でもギャグでもああいうオバカ系はマジメな鈴邑君あたりは嫌うかもなあ。
 とりあえず既にハマっている塩浦夫妻と、遠方ではあるがよしひと嬢には確認の連絡を入れる。塩浦夫妻は二つ返事でOK、待ち合わせの時間と場所を確認する。
 よしひと嬢からの連絡が一向に来ない。仕事が忙しいのだろうが、ご自宅に電話を入れて、ご家族に伝言を頼むのもちょっと憚れる。
 ……だって、「アニメの上映会があるんですけど……」
と言って、お母さんから、
 「どんなアニメですか?」
 なんて聞かれた日にゃあ、どう答えたらいいのだ。
 「『チンポコモン』です」
 なんて言えんぞ(-_-;)。適当なこと言って誤魔化しゃいいじゃないかと言われそうだが、そういうウソって、私はとてつもなく下手なのである。
 (結局よしひと嬢からの返事を受け取ったのは翌朝で、ご都合が悪くて今回は断腸の思いで断念、とのことでした。ううむ、残念)

 女房が帰宅するのを待っててやろうかとも思ったが、睡魔には勝てず眠る。やはり一日最低6時間は眠らないと、体がもう持たんのである。



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藤原敬之(ふじわら・けいし)