悲しい出来事。

人は生きている限り、必ず老いていくもの、
そしていつかは必ず死んでいくもの。

今回は、とうとう来てしまった、
とてつもなく悲しい出来事について。


XXXちゃん、母方の従姉妹、
享年29歳(早生まれなので誕生日が来ていればだが)
岩手県盛岡市出身 2月2日死去 病名:子宮癌

当初は4日が通夜で、5日は友引だから6日が葬儀とのことだったが、
まとめてやってしまう、ってことに変更になった。
3日が通夜で、4日が葬儀ってことなのかな。

午前中トイレに立った際、ついでのように黙祷してみた。
「あなたの分も、というわけじゃないけど、生きてみるよ。
ここしばらくは無理せず、それなりにだけどやってます。」
、、、てなことを唱えていたら、じわりじわりと涙が溢れてきて
結局1分も出来なかったが。

仕方なく、午後になってからもう一度、黙祷する。
おそらく今頃、火葬されて空に上っている頃だろうか。。


思えば。
子供の頃からバレエを続けていて、
10代半ば、高校を退学してスイスへ留学。
そのときに白血球が少なくなるという病気になりバレエを断念。
帰国後はモデルの仕事へ。

美少女コンテストでおなじみのオスカープロモーションに
所属していた東京在住時は恵比寿に住み、近くにあった店で
ばか高い野菜を買っていたこともあるそう。
ちょっと歩けばもっと安い店があったのに。
あたしが記憶しているところでは、雑誌だと、ヘアカットや
ストレッチの特集で見たぐらいかな。

故郷岩手で放送されたという某TV番組のビデオでは、
第三回国民的美少女コンテストで入賞者で、
一時期はベイビーズというグループでも活動していた
某女の子と一緒にレッスンしている模様や、
上手くもなく下手でもない歌をレコーディングしていたり。
子供の頃から通ったバレエ教室に遊びに行くシーンがあったり。

オスカーを退いたとあとは盛岡に戻り、
仙台の事務所に所属して東北を拠点に活動、
ときどきはジャズダンスの講師などもしていたよう。

そんな矢先に発覚した子宮ガン。
三年間の闘病生活、一度は克服して通常の生活が出来た時期も
あったけど、昨年夏終わりに再発。
きっと大変とか、辛いとか、そんな言葉で表せる以上に
壮絶なものだったんだろう。

その、克服して普通の生活をしていた頃に、
あたしはDWLで安比高原に行ってお泊りする予定で、
もしかしたら会うことができたかもしれない。
結局はその二年前くらいの母方の祖母の葬式か、一回忌のときが
最後だったのかもしれない。


三連休の初日、母親から電話があり、葬儀の様子を聞いた。
今回、市議会議員であるお兄ちゃんが新聞に告知を出したそうで、
場所は某ホールを借り切って、という結構なものだったようだ。

そもそも、兄が市議会議員(あの覆面レスラーが同僚にいる)なら、
父は陶芸売り、祖父は写真家でエッセイスト、叔父には直木賞作家。。
よぉく考えないまでも、親戚では一番の芸能一家だ。

葬儀で使われた写真は、バレエをやっていた頃のもの、
モデルとして雑誌の表紙になったもの、
全てプロにとってもらったもので、
本当にすごくきれいなものだった。
葬式というにはふさわしくない、
でも、彼女の人生としてはある意味ふさわしい、
最後の最後まで華やかなものになったようだ。


盛岡というと、2歳で患った足の火傷の手術のために
岩手医大に入院したのが小学校四年。
退院後も、中学の頃までは一年に一度という割合で通院していた。
大人になってからは、民生、ドリ、ELTと、3回も
ライヴで岩手県民会館に行き、親戚宅にお泊りした。
で、上記のDWLは行けず。。

3月の三連休の頃に行ってみようか、と母親から言われている。

身近な人の死というと、最初の派遣先のお仲間だった人が
白血病で、やはり、当時ぎりぎり20代だったと思うが、亡くなった。
ちょうど二年前の今頃のこと。
うちのほうだと二年でも三回忌だけど、どうなんだろう。

いずれにしても、あたしは生きている。
今までも、これからも、死へと向かって生きていくんだろう。。。
2005年02月18日(金)

より自分らしくあるために / さお