Restart

新年明けて一発目のライヴはMISIAだった。
前回ツアーに続いて二回目の生MISIA。
ちょっと予習を始めるのが遅れたけど、聴き込んでいただけはある。
最初から最後まで笑顔でいられた。

世間では仕事始めという6日の週、あたしは休職兼求職中。
とはいえ、前回去年の春と違ってPCはちゃんと動いてるし、
この時期は結構、仕事があるようだ。

申し込んだ仕事はすでに候補者がいるということだったが、
別の仕事の紹介を受け、そこで進めてもらうこととなった。

そんな中でも、たまたま見た火曜日「笑っていいとも」の
テレホンショッキングのコーナーではもっち〜が登場。
水曜日、D・A・Iの伴ちゃんと亮くんとつないだ。

で、伴ちゃんの誕生日である9日、渋谷へ。
シークレットライヴが行われるのだ。
迷ったんだけど、早起きしちゃったので、9時40分頃には
会場のひとつであるタワレコに到着。

10時からの抽選には余裕で間に合った。
にしても、学生さんなのかな、思ったよりは少ないけど
結構早くから並んでた人もいたみたい。

あまりはずれがないのでは?と思うように、
当たる人が多く、自分も見事に当選。
その後、色々と時間つぶしして、17時半からライヴスタート。

演奏してくれたのは3曲、
でも、「いいとも」の話があったり、
タワレコスタッフの入荷日のちょっとした話、
そして伴ちゃんへのケーキ献上、
ファン何人からプレゼントがあったり。。

結局、先にあげた紹介受けた仕事は先方の条件を見直したいという
理由からお流れとなったが、これを機に改めて頑張るぞ!という思い。

それにしても、この一年の間、D・A・Iを見れたのって、全て「タダ」だったんだ。。
観覧と無料招待と今回のシークレット、経済的というか良心的というか、だわ。

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そして、25歳が終わる日、あたしは山形にいた。
自分にとって特別な日を故郷山形で過ごせて、
そして良い気分で26歳を迎えられるというのは嬉しい。

22歳、23歳はオフミに、24歳、25歳はライヴに命をかけた。
25歳は全部で24公演、新記録樹立!野望を達成!
それゆえ、オフミ貧乏、ライヴ貧乏だったけど、
なりたくてなったんだから良いのか。

ただ、ここ1年半くらいは会いたい人たちに会う機会は少なくなった。
どっちかというと、春以降は予定のない土日はできれば家にいたい、
つまりは誰とも喋らないというのが常。
外出しても片言話すだけ、それってどうだろう??っていう。

でも、思えば、これが当然のことだったんだよね。
遊ぶことに目覚めた22歳、23歳、色んな人に会いすぎて、
色んな人と仲良くなりすぎたから感覚がおかしくなっちゃったんだな。

20歳を過ぎてからの色々な経験は役に立ったとは一概には言えないけど、
自分にとって必要だったことは確かだ。

話したり、一緒に行動したり、触れ合ったり、
思い遣ったり、我慢したり、怒ったり、泣いたり、笑ったり、
そういったいわゆる人と接することで得たこと、たくさんある。

待ってるだけじゃ誰も構ってはくれない。
だから、自分から行動した。
でも、結局は待ってたのかもしれない、そう、相手からの返事を。

2002年を振り返ってみると、
何度、「ごめん」という言葉を言われただろうか。
いや、実際にはメールでその言葉を読んだだろうか、だ。

そもそも、男女問わず、断られ続きだった。
ちなみに、あたしはお誘いするばかりで誰にも誘われない。。

いや、誘われたことは何度かあっても、オフミだけだ。
いくらなんでもね、、ライヴ貧乏なんだもん、
それ以外でお金を使いたくなんてない。

そう、たいていの誘いは断ってた。
理由は、すでに予定があるから、その日は仕事があるから、じゃない。
お金がないから、それだけだ。

一番の趣味=音楽にお金をかけすぎた。
好きな食べ物、好きなブランドの服、
そして、会いたい人改め好きな人、いや、好きだった人か、
それらを我慢しても、癒しになる音楽だけは諦められなかった。

物事を始めるときには力が要ることはわかりきってる。
それをやめるときには始めるときの数十倍、力が要るだろうことも
十分、承知だったけど、実際にやってみて、思った以上に力が要った。

だからかな、なんだか、ものすごく疲れてしまった。
まずは、「人付き合い」そのものに疲れてしまった。
オフミにはまった頃、これでもか、って具合で人と会いすぎたからなのか。

あたしが何かやることでこんなにも喜んでくれる人がいるんだ、
そう思ってちゃんとした付き合いに転じていくよう望んで始めたこともあったけど。

「誘う」という行為には特に疲れたかもしれない。
「断る」という行為にも力が要ることは知ってる。
でも、毎回のように断ってくる相手に対して
誘ってばかりいるのが申し訳なくなってくる自分がいた。

ついに、断られるくらいなら最初から誘わない方がいい、
そう思うようになってしまった。。
それはマイナス思考、悲観的、そして諦めがち、それだからなのか。

懲りずに誘うことが出来た頃は常にプラス思考だったし、
楽観的だった、それだからなのか。

ま、人付き合い自体全くなかった人が遊び始めると
これでもかって感じで、去年の春先にはこりゃやばすぎという状態にもなった。
このまま行くと破産宣告か??
それで、ついに改心したのだ。

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以前から決めていたことがある。
すぐには無理でも2004年春頃には始められるよう、まずは貯金だ。
いや、当初は2002年中には貯金を作る、これが目標にあったけど、
無理だということがわかったので春頃に変えたんだけど。

本格的に倹約モードに入る。
ゆえに、ライヴも厳選していかなきゃいけない。

今のところ、26歳になってからの予定は
2月2日の民生@日本武道館、
6月6日のヤイコ@東京国際フォーラムホールA。

ほんと、しばらくは遊びの予定が作れない、人付き合い自体やめる覚悟。
でも、ヤイコは2枚で申込んで当たったから、春になったらツレ探ししなきゃだけど。

二年ぶりの単独ツアーがあるELT、これは絶対!
そしてまだまだ身近なD・A・I、これも絶対!
あ、四年に一度のDWL、「フライデー」の後だけに今はちょっと。。
いずれにしても夏だ、その頃にはいったんは復活できることをのぞむ。

元職場仲間からのメールでの一言。
「26歳で想い描いた将来像は実現の確率が極めて高いっていうからね」
やっぱり、そうなのかな。

そういえば、D・A・Iの「あいのうた」ではこんなフレーズがある。
「3年前と今 比べるより 10年先のこと イメージしたい」

「もうダメかも」、そう思うのはもともとの性格だから仕方ないけど、
自分の気の赴くまま行動する、それは変わらないかも。
そして、改めて、自立した女性、それを目指していく。


誕生日ということで、何通かメールをもらった。
みんな、ありがとう。
素敵な一年になるかどうかは自分次第。

これからしばらくこのページは更新しない。



平成15年1月15日 26歳になって将来像への再出発 さおりんごこと小野寺早織
2003年01月15日(水)

終わる、、、そして。

15日を過ぎて、本格的にご褒美月間がスタートした。

17日、入荷と同時にELTのマキシ「UNTITLED 4 ballads」と
あゆのアルバム「RAINBOW」をゲット。

ELTは早速開封して、壮大なバラード「愛の謳」、
母親への愛をつづった「nostalgia」ではついつい、ウルウル来たり。
「UNSPEAKABLE」は、もう、聴きまくりだった。

19日、aiko@日本武道館、最初から最後まであきさせないライヴ。
最前列と思ったが違った、紛らわしいチケットめ。。
案の定、aikoは最後、泣いていた。
観覧含めると、2002年は4回、aikoに会えたことになる。
これからもず〜っと、aikoを愛し続けるのだ!

21日、ドリ@日本武道館、ライヴ前にグッズ売り場に並び、
買ったばかりの手帳を落とした、っていうか気付いたらなくなってた。
ライヴでいったんは持ち直したけど、結局、ブルーは続いた。
ちなみに、「すきダメ」のあたりでは今の自分の気持ちと
リンクするようで泣けてしまった。。
2002年5回目のドリライヴは、泣き笑いで終わった。

あゆのアルバムは18日に開封、ひととおり聴いてみての感想は。
手の届かないところに行ったような、、、そんな気がした。
「over」〜「HANABI」のところではつい、泣けてしまう。
その後、連休中に聴いてみたときには、まだまだ身近な感じもして、
ドリでブルーになった心をどうにかして高揚させてくれつつあった。

25日、ヤイコライヴ、東京ドームがゆれた。
二回目のアンコールでオーラスの「Life's Like A Love Song」では
ついウルウル来てしまい、ヤイコ本人も泣きそうになってた。
そして、約一ヶ月続いた風邪の菌も、このライヴでふっとばせたようだ。

その夜、DCTオフィシャルでSALのCDと一緒に注文、
やっぱりドリ手帳は単なるグッズの域を越えてるし、
2500円を余分にPPに貢献したと思うことにしよう、ってことで。

リリースの26日に買ったものの、すぐには開封できなかった
D・A・Iのアルバムは28日に開封、やっと聴き始めた。
3年前にデビューしたD・A・Iは今の余裕が歌詞にも散りばめられてる。

一曲目の「空想旅団」やラストの曲で「あいのうた」、
それぞれ3年前というのがキーになってるせいか、泣けてしまった。
自分自身の3年前を思い出す。
色んなところで出会いがはじまりつつあって、
そこで人と接することが好きになり、どんどん自分から出かけて行ったっけ。。

たまってたビデオを見た。
「恋愛マスターSP」はなんか、良かった。
つい録画してしまった「キッズウォーSP」なんか、、
青さとか、良いなって思えた。
もし、中学生の頃にお付き合いとかはじめていたら、
今のあたしはもっと違ってたのかな、、などと思ったり。
ドリの「mgo TV-mix」はちょっと泣けてしまった。
映像で見るドリライヴはやっぱり、泣いちゃうみたい(_ _;

30日は2002年最後のライヴ、hitomi@々木第2へ。
最初は原宿口から入ってみて、あゆカウントダウンの様子を見つつ、
18時の時報とともに鳴り始めたドリソングを耳にしつつ。
ぐるっとまわってNHKホールや渋公に近い渋谷口から入るのは知ってたけど、
実際に入るのは初めてだ。

まさか、アリーナの配列がこんなだったとは、、
今度こそほんとに人生で初の最前列!!!
すっご〜い、こんなに近くて良いの???

hitomiの左手薬指には指輪が光っていた。
MCでも家事の話とかしてくれたり。。
でも、ずっとエンジン全開で最後まで突っ走ってくれた。

こうして、2000年はあゆ、2001年はELT、そして2002年はhitomiと、
12月30日だけはavex勢アーティストのライヴが続いた。
次は、、、どうなるのかな??

大晦日は午前中から部屋の掃除と片付け。
午後、田舎から宅急便が届き、中に入ってた御菓子を食べる。
夜はレコ大、途中から紅白、そしてCDTVSPと見て、終わるのだった。


最後に、不安と絶望を感じることが多かった2002年、何度も音楽で励まされた。

「一人でも大丈夫」、以前なら単なる強がりでしかなかったこの言葉。
でも今は、ある程度の実績もあって、多少は自身がついたかもしれない。

そう、やっと結論が出た。
あたしはあたし。
誰かに合わせたり、誰かに合わせてもらったり、そんなのはおかしい。
気の赴くまま、一人で行動するのが合ってる。
今後も、基本的には一人でやっていく。

、、、と思ったところで、これをアップして良いのかどうかで迷ったんだけど。
次回15日アップするだろう分に続く。
2003年01月01日(水)

より自分らしくあるために / さお