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第5章 (4) マイルストーン
私たちの中には人生街道の一里塚に達したときのことを、はっきりと思い出せる人がある。
/「エミリーはのぼる」
エミリーは、高校二年のとき、親友のイルゼと新聞の予約勧誘のアルバイトに回っていて道に迷い、畑の干草塚で野宿することになった。周囲に人家とてない干草塚の上での一夜、イルゼが話し疲れて眠ってしまったあと、エミリーはひとり満月に照らされて空想の翼をはためかせ、人生の一里塚、マイルストーンといえる至福の時を体験する。それは純粋にエミリーの個人的体験で、「どんなに申し分のない友でもこのときにエミリーにとって人間は相容れない存在であった」(/「エミリーはのぼる」)。
振返ってみるとき、星の下で過ごしたその夜がエミリーにはいつも一種の一里塚のように思われた。この夜の出来事やこの夜に付随する一切の物がエミリーの力となった。彼女はそのうつくしさに浸りきった。
/「エミリーはのぼる」
しかし、これが最初ではない。エミリーが最初のマイルストーンを経験したのは、14歳のとき。'ブレア・ウォーターの年代史はじまっていらいの大雷雨'の夜、狂人の老モリソンさんと一緒に、灯の消えた教会に閉じ込められるという、ホラー小説風事件に巻き込まれる。そして幼なじみのテディ・ケントによって助けられ、異性への想いを自覚してもまだ終わらず、教会横の墓場で、トラウマを抱えたテディの母と真夜中の全面対決に及ぶという、一夜で耐えるには強烈すぎる体験をした。
エミリーが大人への階段をのぼった要因は、ひとつにはテディの告白を聞いたこと、そして、母親に敢然と対峙したときの、どこからくるのかわからないほど的確な言葉を放つみずからの声を耳で聞き、確信することによって、得られたのではないだろうか。
干草塚のてっぺんで過ごした一夜に起こったことは、心話とでもいうべき、言葉の要らない自己の奥深い霊的な本質との対話であり、一方、教会での、それまで恐れていた大人との対決は、他者がいてなり立っているという違いは興味深い。ヒロインの成長期を詳細に描いたという意味では、モードの作品のなかでも最長のエミリー・シリーズなだけに、エミリーの体験するマイルストーンも一度ではすまないのだった。
モード晩年のヒロイン、パットもまた、親友のベッツの家に泊まった冬の夜、エミリーの干草塚での体験にも似た美しい体験をしている。エミリーと同じく、一緒にいたパットの友ベッツもこの体験をともにしてはおらず、ひとり夜半にめざめたパットの個人的な体験となっている。エミリーもパットも、きわめて繊細な美への感受性を終生友として拠りどころにしたヒロインたちであった。
パットはこの世のものならぬふしぎな、深い感動におそわれた……それは肉体や理性を越えたもので、子供のパットには分からない心の奥までもしみとおっていった。 この「大きな家」の屋根裏部屋で過ごした銀色の夜のひとときは、パットの一生をとおして、一つの里程標となったのである。
/「銀の森のパット」(上)
アン・シャーリーの口癖でもある『道の曲り角』は、モードの作品のなかでも最も有名なマイルストーンである。クイーン学院を卒業して意気揚揚と家に帰った直後に、マシュウは逝った。養父マシュウの急死によって独りになったマリラ。愛するわが家、グリーンゲイブルズを守るためには、お金や、一緒に住む家族の支えが必要となる。奨学金を得たレドモンド大学への進学をあきらめたアンだが、一時はあれほど敵意を感じていた級友ギルバート・ブライスの好意的な申し出もあって、地元アヴォンリーの学校で教えることになる。これがアンの最初のマイルストーンであった。
いつもさきまで、ずっと見とおせる気がしたの。ところがいま曲り角にきたのよ。曲り角をまがったさきになにがあるのかは、わからないの。でも、きっといちばんよいものにちがいないと思うの。
アン・シャーリー/「赤毛のアン」※(補足参照)
それまでのアンが、どちらかといえば苦境に立つたび得意の空想癖に逃げこんで自分を守っていたのに対し、思春期を経たアンが家族の危機に際して取る選択は、私たちが予想していた以上に立派な飛躍だった。みずからの選択によって大切なものを守ることで大人への階段をのぼったアンに、単純な自己犠牲以上のものを読者は感じとるだろう。あの幼かったアンが、マシュウの死をきっかけに、ただ大人へと変化しただけでなく、そこに、アン独特の想像力の翼をもたずさえていることを知って、自分もそういう大人になれるかもしれないという希望を得られたのを私も覚えている。
アンの地平線はクイーンから帰ってきた夜を境としてせばめられた。しかし道がせばめられたとはいえ、アンは静かな幸福の花が、その道にずっと咲きみだれていることを知っていた。(中略)そして、道にはつねに曲り角があるのだ。
/「赤毛のアン」
『道の曲り角』は、「赤毛のアン」の最終章のタイトルになっている。文字どおり、曲り角に立ったアンの姿を最後に、第一赤毛のアンは締めくくられるのだ。ちなみに、アンの導入部は、リンド夫人がアヴォンリー街道を監視している場面から始まる。現実の街道から始まり、人生街道の曲り角でみごとに完結していながら、第二巻への予感にも満ちたエンディングである。
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※補足:本文中で『マイルストーン、一里塚、里程標』と書き分けられている訳語は、原書ではすべて'milestone'である。アンの最終章タイトル『道の曲り角』は'The Bend in the Road'。引用させていただいた村岡訳では省略されているが、引用部分の原書にはmilestoneという言葉も含まれている。
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