マンガトモダチ
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○鬼頭莫宏『残暑』
現在は『IKKI』誌上で、『ぼくらの』を連載している鬼頭莫宏であるが、前作『なるたる』は、非常に陰気な作品であったと思う。作品の明るさを担当していたのは主に主人公であるシイナであったけれど、その彼女の明るさも、最後にはすっぽりと陰のなかに隠れてしまう。超越的な力によって人類がリセットされる、というエンディングは、つまり、どれだけ経っても世界は何も変らない、いつまでだって人々はグダグダとウダウダと延命するだけなんだ、というネガティヴティの産物であったのではないかと、そのように考えたりもする。
短編集である、この『残暑』を読むと、90年代に、社会的な事変に呼応するかのように馬鹿みたいに叫ばれた閉塞感とでもいうべきものが、鬼頭のバックボーンには存在している感じを受ける。と同時に、多用されるモノローグが、価値観の揺らぎによって生じたなにか大きな欠乏のようなものを、こちらに伝えてくる。青春はけっして明るくなく、輝きのある未来は果ての果てに達してもまだやってこない。だいたいのところ幸福が何を指すのかもわかっちゃいない。ときどきは死ぬことを考える。けど、まあ、それでも死なずに生きてはいる。
このなかで、個人的にもっとも印象深いのは、『週刊少年チャンピオン』94年37・38合併号に掲載された『三丁目交差点電信柱の上の彼女』で、当時鬼頭というマンガ家の存在は知らなかったけれど、偶然にも僕は、それをリアルタイムで読んでいたのだった。
〈僕はどうやら死んだらしい。〉
そんな身も蓋もないモノローグではじまる『三丁目交差点電信柱の上の彼女』は、しかし、鬱とした読後感を残さない、むしろ、やさしくあたたかな作品である。交通事故にあった乾秀人は気がつけば、地縛霊として、電信柱の上をさ迷っている。柱の上から彼が見下ろす世界は、多少の誤差を含みながらも、大勢は変ることのない分刻みの風景で、4日もすれば、退屈を覚える。けれども、彼はその土地に何かしらかの因果によって縛られてしまっているので、どこにも行くことができないでいる。そんな彼を、ある日、幸田純子という少女が見つける。彼女は明るい笑顔で、〈こんにちは〉って彼に向かい声をかける。乾の姿が見え、声が届くのは純子だけであり、純子は、乾の存在をごく自然に受け入れてゆく。
ストーリーの大枠としては、生者と死者が交流することによって、両者の間にほのかな恋心が芽生える、という体をとっている。が、『三丁目交差点電信柱の上の彼女』がすぐれているのは、それとはべつのレベルで、無力であることと無駄であることとは同一ではないといった言い切りがなされているからだろう。ネタバレになってしまうかもしれないので、くわしい内容の説明は避けるが、ここで行われているのは、いわばイノセンスの交換である。無償であるような行為が、当人の自覚しない無意識のうちに、誰かを助けるばかりか自分自身すらも救いうるかもしれない、そうした可能性が、ふいに、生きていることの掛け替えのなさを思い出させてくれる。
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