ケイケイの映画日記
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2024年07月30日(火) |
「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」 |
これだよ、これ!私が観たかったハリウッド映画は!と、感涙にむせびながらの鑑賞でした(大げさ)。アメリカでも、大作のヒーロー物ばっかりが公開で、「ヒーロー疲れ」なる言葉が出てくるほど、その手の作品にお腹いっぱいな昨今、大作でもなくインディーズでもなく、社会派でもない、人気俳優を使った秀逸なラブコメです。監督はグレッグ・バーランティー。
米ソ冷戦時代の真っただ中の1969年。アメリカに先駆けて、ソ連が宇宙船の飛行に成功したのに対して、失敗続きのNASA。国民の関心も薄れ、資金繰りにも困窮する始末。この最悪な状況を打破するため、政府関係者のモー(ウディ・ハレルソン)は、NYを起点に活躍しているマーケティングのプロ、ケリー(スカーレット・ヨハンソン)を雇い入れます。全世界にアポロ計画を周知させるため、手段を選ばないケリーに、真面目なNASAの発射責任者コール(チャニング・テイタム)は反発しますが、トントン拍子に事が運ぶ様子に、次第に打ち解ける二人。しかし、モーがある計画をケリーに打診しますが・・・。
打診というのは、月面着陸が失敗した時のために、フェイク画像を撮っておくという代物。私は知りませんでしたが、着陸成功時、ソ連がフェイクだと訴えていたのだとか。それを逆手に取ってプロットにしていたのですね。私はこれがメインのプロットだと思って見に行きましたが、実はとっても上質なスパイスだったのね。
ケリーの手法は、ほとんど詐欺といって良い代物。美しい容姿と抜群のファッションセンスを武器に、口八丁手八丁で相手を懐柔。いやもう、あまりに鮮やかなもんでね、見事なもんだと見惚れてしまう程。ポイントは、相手を傷つけない事。そして相手に隙なんか全然ないのね。まっ、鼻の下は多少伸ばしているけどね。詐欺は騙されたもんが悪い風に言う人がいますが、違いますよ。
実直というより、愚直なまでに生真面目なコールは、元優秀な飛行士。そこには自分のミスで、打ち上げ失敗で同僚を亡くした事が起因しています。ケリーとは水と油なのに、惹かれ合う二人。容姿端麗の反目し合う妙齢の男女がいつしか・・・、なーんてね。ハリウッドの王道ではござませんか。
一つ一つのプロットの積み重ねが、楽しくて明快。マーケティングのあれこれ、お金の集め方、否定的な議員の黙らせ方。そして月面着陸のフェイク画像のドタバタ等は、サクサク描いていますが、これは相当練った脚本と演出でないと、こうは楽しめないです。
食えない女を装いながら、実は本当の自分を曝け出せないケリーの理由は、本当は深刻です。月面着陸だけではなく、あちこち「フェイク」だらけの作品の中、敢えて苦悩をライトに描く事で、作品の楽しさを損なう事無く、くっきりケリーという女性を浮かび上がらせ、塩梅の良さが光ります。
この作品、2024年製作となっているので、オスカーは来年になるのかな?絶対にスカヨハは候補になると思います。早口からポンポン飛び出す嘘で周囲を煙に巻きながら、嘘から出た真を見つけた時の純真さよ。どこを切り取っても抜群にチャーミングで、出色の存在感と演技でした。
私はチャニング・テイタムは「マジック・マイク」が好きなくらいで、全然眼中にない人でしたが、こんな無骨で純情な男の役が出来るなんてと、見直しました。
ラストは当然ハッピーな二人の姿で終わります。その時のキスシーンがもう素敵。テイタムがスカヨハを引き寄せ、ちょっと背伸びをしたスカヨハが彼の肩に手を置きキス。壁ドンも頭ポンポンも、ケッ!しょーもなーの私ですが、このクラシックなキスシーンには溜息でした。
忠実に往年のハリウッドのラブコメの感性を再現した作品。ビリー・ワイルダーを彷彿させるというと、褒めすぎかしら?案外志も高いかも?黒猫は不吉ではなく、実は幸運の猫ちゃんだと確認もする作品です。
ヒューマンサスペンスとのキャッチコピーに惹かれての鑑賞です。主人公の卓(たかし・森山未來)と父(藤竜也)の間柄は、私と重なる部分が多く、とても納得の行く内容でした。随所に心に響く描写があり、号泣ではなく、幾度か涙が頬を伝った作品です。監督は近浦啓。
俳優の卓。30年前、自分と母を捨てた元大学教授の父・陽二が、問題を起こしたと警察から連絡が入ります。妻の夕希(真木よう子)を伴い、介護施設に出向く卓。父は認知症でした。父と再婚したはずの直美(原日出子)は家には居らず、どこにいるのかも判りません。差し当たって卓がキーパーソンとなり、父の世話をすることに。疎遠だった30年間に何があったのか、卓は誰もおらぬ父の自宅を訪ねます。
冒頭に少し、アクションタッチの息詰まる様子が描かれ、少しびっくり。後から思えば、混濁し混乱した自分に追い詰められた陽二の、頭の中の様子だったかも知れません。陽二の頭の中のように、物語は遠い昔の事から、最近の様子まで、織り交ぜて描かれます。そこには、視点が違えば、事実も違って見える事が描かれます。
直美とは離婚後に縁があり再婚したと聞いていた卓。実は卓の母親と結婚前からの恋仲で、所謂ダブル不倫で結ばれた仲と、家を探索して初めて知ります。五年前の25年ぶりに父を訪ねた卓を、精一杯持て成す直美には、贖罪の気持ちがあったのだと思います。
直美は自分の息子(三浦誠己)に陽二はとても良くしてくれた事、でも卓に会っていない事を理由に、息子の結婚式は辞退した事、卓が大河ドラマに出演して大変喜び、毎週楽しみにしている事など、卓に語ります。「普通の父親」として、理屈をこねて息子を説教する陽二に代り、心を込めて卓に話す直美は、善き人だと思いました。
父と息子の様子が絶妙です。他人行儀で敬語で話す息子に対して、長い年月に疎遠だった事も無かったような父親。多分養育費など、金銭的には息子に苦労をかけていなかったのでしょう。そういう自負が、70代の父には、根拠としてあるのでしょう。子供はお金だけで育つわけではないのが、解らないのではなく、知らないのです。
過去と現在が行きつ戻りつする画面は、父子、夫婦のその時々の感情を表します。認知症を患ってからの夫婦の様子も秀逸です。物理学者として、知性的な反面、自分に恋する激情をぶつけてくる、かつての夫の手紙を大切に持ち続ける直美。その時の感情を綴った日記も、彼女にとって、手紙と同じく宝物です。直美の息子は、家政婦のように母をこき使い、自分から母親を遠ざけたと言いますが、嘘をついてまで金を無心する息子の様子に、直美から自分の息子を遠ざけたように感じました。二つの家庭を壊した分、彼女には陽二の妻としての覚悟があったのでしょう。
認知症を患ってからの藤竜也の演技と演出が素晴らしい。初期の頃は、忘れ物ぐらいですが、何気ない場面で激昂する場面など、とても怖いのです。今まで穏やかであったろう人が壊れていく様子に、成す術なく、世話をするのが精一杯の直美を観るのが辛い。
不倫の果て結ばれ、まだ子供を望める年齢だったはずですが、そうしなかったのは、せめてもの別れた人への配慮でしょう。夫婦を結ぶのは愛情という、形の見えないものです。それが認知症のせいといえでも、夫が否定した時、妻の感情の糸が切れるのは、とても理解出来ました。直美に取っては、この30年間、幸せでいなければと、常に緊張した、穏やかな暮らしとは程遠いものだったのかも知れません。これが不倫の果ての末路かと、哀切と共に納得もしました。直美の妹(神野三鈴)が、卓に渡した直美の日記は、直美の30年間のと決別です。
対する卓と陽二はどうか?幾度目かの面会の時、卓の記憶にない幼児の頃の息子の昔話を、喜々とする父。私も両親の離婚後、疎遠にしていた父と再び交流が始まった時に、同じようなシチュエーションがあり、思い出しました。愛の向う岸は憎しみではなく、無関心。憎しみはなくとも、父に対して蟠りはある卓が、父の言う事を何故素直に聞くのか?血の通った他人として認知しているから、反抗すらしないのです。
観ている人は自分を捨てた親なのに何故?、または、やっぱり親だから素直に聞くのかと思うでしょうね。違います。形式は父子でも、父親としての認識が薄いから、揉めたくないだけ。この様子も自分と重なり、監督も脚本も、とてもデリケートに演出しているなと、感心しました。
幾度目かの面会の時、幼い卓を殴った事を赦してくれと、涙ながらに語る父。卓は覚えていません。どう答えるのかと、固唾を呑んで見守りました。「覚えていないけど、赦すよ」と答えました。最愛のはずの直美の事は支離滅裂なのに、幼い卓への謝罪は覚えていた父。この時からです、卓の父への敬語が無くなったのは。彼の中で陽二の事を、理性と感情が一致して、父として認識したのでしょう。
私の両親が離婚したのは、私が結婚直後の21歳の時です。私が短大に入る直前の18歳までは同居していましたが、父はほとんど家におらず、三年間の別居の時も、幼い頃からの壮絶な夫婦喧嘩を観なくて済み、安堵したほどです。
母が亡くなり、世間並とは行かずとも、病院に付き添ったり買い物を手伝ったり、それなりの父と娘として接していた時、「お父ちゃんは、男は金を稼いで、家族に贅沢だけさせていれば、何をしても許されると思っていた。でも今はそれは間違いやったと思っている。ケイケイ、お父ちゃんが悪かった」と、私に頭を下げ、謝ったのです。父は認知症はなく、最晩年に、所謂耄碌した状態だっただけの人。85歳くらいでした。卓が託つわだかまりと同様な感情が、私から消え去った時でした。
ベルトがダメになったと言う父に、自分が締めていたベルトを外し、父に締めてあげる卓。「大いなる不在」が完全に埋まった瞬間だと感じ、涙が溢れました。
藤竜也、森山未來が共に絶品の演技です。藤竜也は、インテリの人が認知症になるのは、こういう状態なのかと、深々見入ってしまうと共に、息子と妻に向ける感情の落差も、とても心に響きました。森山未來は、淡々と演じているのに、卓の心の変遷が、画面に映らない、幼い頃から今の感情まで、私に届きました。二人とも、脚本に対する理解力が深いのだと思います。
原日出子も出色です。彼女が直美を演じたからこそ、描かれない直美の内面まで、私に想起させたと思います。主役二人よりも、一番キャスティングが合っていたのは、私は原日出子だったと思います。
この作品では、30年暮らした最愛であったはずの妻より、子供の時捨てた息子を覚えていましたが、これが認知症の全てではないと思います。この逆もあるだろうし、あろうことか、家族は忘れても、他人は覚えていたりもする。世話をする身内は、相手の記憶に自分がいるのかどうか、大いに囚われると思います。それが当たり前です。その時の自分の感情はどうなのだろう?その時、相手との関係性の本質が、浮かび上がるのかも知れません。
地味な作品ですが、私的な今年の邦画のベスト1になる予感がする作品です。
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