ケイケイの映画日記
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2023年07月31日(月) 「ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE」




愛しのトムちん、観て参りました。日頃、長い映画が大嫌いを公言しているワタクシですが、トムちんと一緒なら怖くない(笑)。164分が、全編ほぼ超がつく山場ばっかりという作品で、安定のクオリティでした。監督は近年トムの盟友とも呼べる、クリストファー・マッカリー。

IMFエージェントのイーサン・ハント(トム・クルーズ)。今回チームのルーサー(ヴィング・レイムス)とベンジー(サイモン・ペッグ)、イルサ(レベッカ・ファーガソン)と共に望む仕事は、ある2本の鍵を探し出す事。その鍵に、人類の未来が託されているのです。CIA、武器商人のホワイト・ウィドウ(ヴァネッサ・カービー)、そしてイーサンの過去を知るガブリエル(イーサイ・モラレス)などが鍵の争奪戦に加わり、複雑化していきます。そして片方の鍵を持つグレース(ヘイリー・アトウェル)は、イーサンたちと組むのでしょうか?

冒頭のシーンで、ロシアの潜水艦が出て来たので、懐かしの米ソ冷戦時代を思い出しました。本作の鍵を握る背景が描かれます。今回手に入れたいのは、「それ」と呼ばれますが、AIで合っているのか?人の心を読み取り、自在に誘導したりするらしい。そんなの悪人の手に渡っては一大事なわけで。

今回目新しいのは、MIFに入る前のイーサンの回想が出てきます。私は勝手にチームのみんなは、CIAの選りすぐりだと思い込んでいましたが、それなら「死して屍拾うもの無し」の世界に飛び込むのは、ちと解せません。NOとは言えない背景があったと、匂わせています。

このシリーズ、アクションの合間合間にぶっこんで来るのが、愛と友情です。今回決死の場面で、ベンジーにも言わせちゃってる。なんかもぉ、ここまで繰り返されると、胸が熱くなるのね(私だけ?)。でも今回もイーサンは、また・・・(ネタバレにより秘す)。

ストーリー的には、今回も特別なものはありません。というか、鍵の往きつ戻りが、あんな格段のハイテク能力と身体能力に恵まれたチームが、簡単に鍵を盗まれちゃうのか、イーサン愛しのイルサと、どこの馬の骨とも判らんグレースとを、同等の扱うのか、???でした。特にグレースなんか、何度も裏切られてんのに。そしてガブリエルの手下、パリス(ポム・クレメンティエフ)との、情けの掛け合いとという、スパイと刺客にあるまじき様子まである(笑)。

まぁそんな謎やツッコミはは、壮大な手に汗握るアクションの連続の前に、お前さん、野暮よのう、とかき消されてしまいます(←このシリーズの正しい観方)。そうよ、監督とトムが、一途に愚直に一生懸命、こんなにワクワク面白いシーンばっかり作っているのに、そんな小さな事に拘ってはいかんのだよ、うんうん。

グレースを演じているアトウェルですが、私は女優としても、イルサのキャラとしても、レベッカがシリーズで出色だと思っているので、今回のヒロイン抜擢はどうかな?と、多少危惧していました。画像だけだと美人でもないし。でも勝ち気で甘さのない、でもクールでもない所が、とても良かった。華やかさが薄い反面、親しみやすさが魅力でした。これはグレースの背景を得てのキャラ作りだと思います。アクションのキレもよく、歴代のヒロインに全く引けは取りません。

今回大掛かりなベニスロケも慣行。危機を脱した束の間に、「ベニスは初めてよ」と、イーサンに甘えて寄り添うイルサ。「僕もだよ」と抱き寄せるシーンが、私は大好きです。実はね、この作品の鑑賞後、駅について、メトロのカードと家の鍵を落したことに気が付きました。急いで劇場に戻るも次の回が上映中。出てきたら連絡してくれる手続きをしたものの、しょげている私を観た夫が、「もう一度詳しく電話したら?書いただけより、印象が強くなり劇場も入念に探してくれるはず。」と言うのですね。なのでそうしたらあなた、劇場から、当日に電話がありました!嬉しくて思わず「ありがとう、お父さん(夫)!」と、抱き着いてしまったわよ。その時脳裏を過ったのが、↑のシーン。三度の離婚で長らくの独り身のトムちん。私生活でも寄り添ってくれる女性がいてくれたら、ファンとして私は滂沱の涙だわと、しんみり思いました。でも次の日、予告編でも使われた、崖から飛び降りるシーンのメイキングを見て、気が変わりました。

「以前から崖から飛び降りるのに、憧れていた」(byトムちん)。???はい?あのシーンね、本当にあの高さの崖から飛び降りているんですよ。私はメイキングを観るまで、半分CGだと思っていました。それも「なんちゃらがもう少し」と、監督の一言でテイク6。そう、6回飛び降りてます。このシーンを撮るため、一年訓練したんだって。・・・。アホですね(きっぱり)。

きっとね、三度の結婚で、自分は結婚しちゃいけない男だと、学習したんですね。結婚は相手の人生にも責任を負うもの。結婚していたら、こんないつ死ぬか判らないシーンを、嬉々として撮っていられませんて。どうぞ、気が済むまで独身でいて頂戴ね。

今回でトムちんは、イーサン・ハントから引退と聞いていましたが、「PART ONE」という事は、2とか3とか、幾らでも作れるって事?。きっと崖から飛び降りる事以外でも、まだまだ憧れている事があるんでしょうね(笑)。挑戦し続けて下さいませ。ファンとしてついて行きます!


2023年07月19日(水) 「夕方のおともだち」(Amazonプライム)




見逃していた作品を、偶然アマプラで発見。速攻観ました。いや面白かった。予想以上。私の人生にはかすりもしないけど、とっても面白かった(笑)。最近息子の虹郎に推され気味の村上淳が、初めて素敵に見えた作品。監督は廣木隆一。

寝たきりの母(烏丸せつこ)の世話をしながら、真面目に水道局に勤めるヨシダヨシオ(村上淳)。唯一の趣味は夜な夜なSMクラブに通い、ミホ(菜葉菜)に痛めつけられる事。でも最近はどうも調子が出ません。彼を調教してくれたユキコ女王様が忘れられないのです。それが、たまたまミホと釣りに来ていたヨシオは、選挙カーに乗り、ウグイス嬢をしているユキコ女王様を見つけます。

この作品、真正の変態の憂いと哀しみ、悦びがテーマだと思います。それと並行して、男女の友情は成立するのか?も、描かれています。

冒頭から痛々しくも滑稽な、SMプレイの様子が描かれます。すげぇ痛そうなんですが、それより何より、菜葉菜のプロポーションの良さに目が釘付け!お尻なんて本当にカッコ良くてね、ボンデージファッションが超似合っています。
傷だらけのヨシオに、店長が「はい、化膿止め」と抗生物質を渡すのには笑ってしまった。いやーもー、プレーの数々を観ていると、命懸けよね。

真冬の凍える寒さの中、素っ裸の傷だらけの身体を縄で縛られ、一晩中公園で放置。翌朝、「よく頑張ったね。ご褒美をやろう」と、女王様の聖水の御慈悲に、何て温かいと至福のヨシオ。全然私には解らん(笑)。でもこの作品、SMシーンの随所で、痛い痛いと思いながら、思わず声まで上げて笑ってしまうのです。その時思い出したのが、かのSMの巨匠・谷ナオミ様のお言葉。

「SMは体臭や匂い、汚らしさを画面から感じさせては、失敗です」。確かに嫌悪感も汚らしさも感じず、むしろヨシオに哀愁を抱き続けていました。そう言えば廣木監督はピンク出身。その辺の抜かりはないようです。

友人もおらず、寝たきりの母の世話と仕事に明け暮れるヨシオは、一見孤独に見えるけど、そうじゃない。自分を好きだという興味ない女性には、俺は変態だぞ!ベルトでしばけるか!おしっこひっかけられるか!どうだ!出来ないだろ!と、威圧して追っ払う(笑)。孤独じゃなく、孤高なんだね。SMは彼にとっては、ただのストレスの捌け口ではなく、ほぼ生き甲斐。至福のカタルシスをもたらす行為なんでしょう。

今一度お手合わせをと懇願するヨシオに、ユキコ女王様は、自分の要求がエスカレートしても受け入れるヨシオに、いつか殺してしまうのではないかと、怖かったと、身を隠した理由を吐露します。

これも以前目にした記事ですが、女王様はマゾが育てるんだとか。調教なんて言うから、私は逆だと思っていたから、強く印象に残りました。確かにヨシオは、ユキコ女王様からマゾに開眼。しかし、それまでお仕事女王様だった彼女を、真の女王様に開眼させたのは、これまたヨシオだったんでしょうね。

私は変態には寛容でな、法を犯したり相手の心を傷つけたり、人に迷惑かけなければ、全く問題ないと思っています。いうなれば真面目で誠実な変態(笑)。死んでもいいです!と言うヨシオに、ユキコへの強い信頼も感じられます。多分、死に至る事で完結する関係なのでしょうが、それは出来ない。特異な性癖を持った人の、滑稽で切ない心情が浮かび上がります。

私はドSとかドMとかの言い方が嫌いでね。なんか品がないでしょう?これを使うのは、SMに真摯に向かい合っている人ではない。ヨシオを見て、真正の人に対して、失礼だからだと、理解しました。

そしてミホ。プレイは盛り上がらねど、ヨシオと友人関係は育んでいます。恋人未満友達以上の関係に、ミホの方がやや好意の度合いが強いよう。ある日、ユキコ女王様のプレイ以降、セックス出来ないので、ミホにお手合わせを願い出るヨシオ。そこには愛は無いけれど、誰でも良いわけではなく、試すならミホが良いヨシオ。複雑(笑)。

一抹の寂寥感を感じるミホですが、OK。しかし二回とも不首尾に終わります。「前にいたヘルスに、ブスなのに売れっ子の子がいたの。どうしてなのかと聞いたら、いいわー、感じる!を連呼するんだって」。まぁ、なんてちょろい。と、思った瞬間、徐にまたミホに手を出すヨシオ。意味を汲んだミホは、あ〜いいわ〜、感じる!の連呼(笑)。ちょろいんじゃなくて、嘘でもいいんだ。哀愁に満ち満ちた男心ではございませんか。

嘘と言えば、母親の大嘘も、多分ヨシオは判っているはず。判っているから、面倒みているけど、結構雑な扱いだし、介護の人も来ないのよね。でも人として、凄い器量ですよ。変態と人格は別ってか?(笑)。

ヨシオに惹かれる自分を自覚していたミホですが、それを上手く友情に転換させて、彼女も器量のある人です。風俗業界にどっぷり浸かっている彼女ですが、やっぱり職業と人格も別物ですね。

これから二人はどうなるか?北は北海道から、南は九州沖縄まで。ミホがどこにいようと、二人は友達として逢瀬を重ねると思います。時々「頼もう〜。またお手合わせ願いたい」「お相手仕る」「忝い」てな事はあると思いますが(笑)。ジジババになって、独り身なら結婚するか、の話くらい出るかもです。案外その日を待ちわびて、二人とも独身で過ごすかも。

大人の男女の性を、滑稽で切なく、優しく描いた小品佳作でした。




2023年07月09日(日) 「Pearl パール」




「悪魔のいけにえ」テイスト+老婆のシリアルキラーというインパクト大な、正統派スプラッタホラーとして、私も大好きな「Xエックス」の前日譚。前作で大活躍だったパールお婆ちゃんの若かりし頃を描きます。今回は、エログロびっしり、ある意味華やかなホラーだった前作とは異なり、1918年という時代を通して、今も垣間見られる女性の哀歓を描いていて、しっかりしたドラマ性のあるホラーでした。少々びっくりしたけど、今回もとても堪能しました。監督はタイ・ウェスト。

1918年のテキサスの貧しい農場。年若い人妻パール(ミア・ゴス)は、婿入りしてくれた夫のハワードは志願して戦地へ行き、今は厳格な母(タンディ・ライト)と、病で寝たきりの父(マシュー・サンダーランド)の三人で暮らしています。来る日も来る日も、父と家畜の世話で日が暮れる生活に、飽き飽きしているパールは、ダンサーとして銀幕スタになる夢を見るのだけが、生き甲斐の日々でした。

冒頭、ガーリーな服装でにこやかに踊るパール。クラシックで鮮やかな、夢のある導入部分の演出は出色。「オズの魔法使い」風で、おとぎ話を思わせ、ホラーとは全く思えない。しかし、夢を見るのは一時だけ。母に見つかり、服装はサロペットにブーツと、農夫の格好で仕事するパール。孤独な彼女は家畜に名前をつけて友達のように接しますが、前作の姿を彷彿させもし(鰐もまた仕事してるし!)、なかなか不穏です。

時はスペイン風邪(インフルエンザ)が猛威を振るい、作中は今のコロナ禍を思わす様子でいっぱい。そして母と娘の関係性も不穏で、昨今言われる「毒親」が頭を過る。母は厳格なだけではなく、パールに対して超抑圧的。ニコリともせず、正論の押し付けばかりで、娘の感情を踏み躙る。観客はパールに同情するでしょう。しかし作り手は、この母に憐憫の想いを寄せるのです。

「生活が厳しく始末しろ」「雨風凌げて飢えてはいない。何が不満か」「この境涯を受け入れれば、幸せになれる」。これと全く同じ言葉を、私は生きていれば100歳の姑から聞きました。嫁の私に説教したのではなく、こう思いながら、自分を律して生きて来た、と言うのです。舅に苦労させられた姑は、「これが幸せと自分に言い聞かせてきた」「親から、女は下を見て生きろと言われた」。男は出世をしろと上を目指せと言われて、女は下には下があるので、我慢しろと言われる。洋の東西を問わず、同じ辛さを強いられていたのだと、愕然としました。

一人ベッドで咽び泣く姿、「私は妻であって、母ではない」と、夫の介護の辛さを露にし、決して母は成りたくてこのような人になったのではないと描いていた事に、深く共感。この掘り下げなくば、夢見る夢子ちゃんではいられなかった、パールの哀しみも半減するというものです。

父は病に倒れ、ハワードは出征。折しもパールの家はドイツ系。夫・父という守って貰うべき存在の不在は、母と娘に重く圧し掛かっている。そこに戦争が起因しているのは、明白です。

案山子とのセックスめいた自慰、映写技師(デヴィッド・コレンスウェット)とのセックスにのめり込むパール。ニンフォマニアの片鱗を見せ始めますが、心の渇きや不安をセックスに求めるところなど、メンヘラ女性の典型です。

圧巻だったのが、長回しで義妹のミッツィー(エマ・ジェンキンズ=ブロー)を前にしての、パールの独白。自己肯定感が著しく低く、そこには確かな愛情を求めては得られない、彼女の辛さが正常な思考や感情の芽生えを奪ってしまったと、じっくり描いています。決して元からのニンフォマニアや、シリアルキラーではないと思います。

メンヘラって女の専売特許なんですが、どこかで引き返せるポイントはあるんですね。パールの場合は母との関係ですが、ああ見えて多分母もヘラっていたと思います。時代に翻弄されたように感じさせる脚本も、秀逸です。

段々と壊れていくパール。「怖い」という言葉は、彼女に絶望をもたらし、逆上させる。もうこの辺になると、ゴア描写や血しぶきも、ちっとも怖くなく、ただただパールが哀しくて。これ本当にホラーだったんだろうか?(笑)。

ラストのミア・ゴスの狂気の泣き笑いの姿も圧巻。いやいや、こんなに良い女優だったの?ミア・ゴスって!最後の方は、色情狂で殺人鬼、親不孝者のパールちゃんに、すっかり情が移ってしまい、一緒に涙ぐむ始末。これ全てミアのパールが憑依したような熱演と、監督の腕前でございます。ミアは脚本・製作も担い、この作品にかける熱意を感じます。紐づけしながら、前作のテイストとは全く違う語り口で、堪能させてくれた監督にも拍手!

さぁ次はいよいよマキシーンのターン。息切れせずに、突っ走ってくれるのを、大いに期待しています。




2023年07月07日(金) 「青いカフタンの仕立て屋」




観てからすっかり日が経ってしまいました。今年観た中では、一番好きな作品なので、短くても書いておきます。ゲイの男性の葛藤と、異性の妻との夫婦の絆が、しっかり情感豊かに両立させた、奇跡のような素晴らしい作品。珍しいモロッコの映画です。監督kはマリヤム・トゥザニ。

モロッコの古都サレ。民族衣装のカフタンの仕立てを生業にするハリム(サーレフ・バクリ)。妻のミナ(ルブナ・アザバル)は主に接客し、夫婦二人三脚で店を切り盛りしています。その店の新しいアシスタントに雇われたのがユーセフ(アイユーブ・ミシウィ)。手先が器用で筋の良いユーセフに、ハリムは目をかけます。しかし病身のミナは、その事に密かに憂いています。

カフタンとは、結婚式や慶事に着る民族衣装のこと。美しい生地に手刺繍のブレードが施され、目にも鮮やかなカフタン。華やかさと気品が有ります。私は初めて観ましたが、それは見事な衣装です。時代ゆえ、昨今はミシンを使い制作する職人も多いなか、手作業に拘るハリム。ミシンの方が仕事は捗り、お金儲けは出きるはず。でもミナは、夫の心意気に共鳴し、夫を誇りに思う良き妻です。

場面が変わって、公衆浴場にいるハリムを誘う男性。日本でもサウナがハッテン場なように、戒律で禁じられている同性愛が、ここでは公然の秘密なのでしょう。

ハリムは偽装結婚なのか?ミナの誘いに応じるも、心ここに非ずの様子が哀しい。きっと妻には自分の性癖は知られていないと思っているでしょう。ハリムがゲイである葛藤は、戒律を犯した事ではなく、その事はミナを哀しませる事だからです。

自分からプロポーズしたと言うミナ。生い立ちのため、自己肯定感が低く、辛い日々を送っていたハリムは,ミナとの結婚生活が、全てを払拭してくれたと言う。ハリムにとってミナは、母で姉で親友で、そして妻なのでしょう。

結婚と恋愛は別物だとよく言われます。私もそう思う。恋して愛して、そのゴールが結婚が理想です。でも恋はしなくても、愛は育めるはず。結婚生活で恋ではなく、愛が生れるかが、大事なんじゃないかなぁ。私は恋愛と結婚は別との意味は、お金とか打算とではなく、そう思っています。

夫婦で一番大事なのは、お互いの人生に責任を持つ事だと思っています。そして愛するとは、何でしょう?相手の幸福を願い、世界中で一番大切に出来る事、だと思っています。ハリムはミナに恋をせず、結婚。そして世界中で一番妻を愛している。

ミナは当初、好青年のユーセフを毛嫌いします。それは夫の性癖を知っていたからだと思う。今までは、肉欲だけの一度限りの「恋」だったのが、そこに「愛」を観てしまったのでしょうね。夫の気持ちが離れるのが怖かったのだと思います。

でも夫婦の間は揺ぎ無い。あんなに大切な仕事を放り出して、献身的にミナの介護をするハリム。一番愛されているのは私。ハリムの想いが通じた時、ミナの心に変化が起きます。三人揃っての食事やダンス。豊かな心でユーセフを受け入れるミナ。ユーセフもまた、ハリムを通してミナを愛し始めたのでしょう。ユーセフは、夫婦の息子のようにも、私は感じました。

「二人ともラクダのように臭いわ。公衆浴場に行って来なさい」と二人に告げるミナ。結ばれてきなさい、という意味でしょう。

ミナの裸の背中が何度も映る。スリムな肢体はどんどん痩せこけていくのが、観ていてとても辛い。。献身的に介護するのに、着替えだけは、決して手伝わないハリム。妻の裸体は、ゲイの自分を責めているように感じるのだと思っていました。それが「手伝って」と、ミナがハリムに声をかけた時、映った彼女の正面の裸体を観て、私は号泣。ハリムは彼女の身体に刻まれた、遠くない死を見たくなったのですね。「君に恥をかかせた」と泣く夫に、「あなたは純粋は人よ。あなたと結婚して良かったわ」と微笑むミナに、また号泣しました。

ミナは辛い身体を押して、何度もお祈りします。願い事は、自分の病か、夫の心が移らないようにか。決して言葉には出しません。でも最後に映ったお祈りは、ひたすらに夫の幸せを祈っていたのじゃないかしら?

ラスト、涙ながらに大きな戒律を犯すハリムとユーセフ。二人のミナへの愛の深さと、これからの決意を感じます。厳しさと幸福感を共存させた、素晴らしいシーンだと思いました。

数奇な道行になるはずの三人を、至高の幸福感で抱擁した、崇高な作品です。映画後進国だと思われるモロッコの作品で、こんなに感激するとは本当に嬉しい誤算です。マリヤム・トゥザニ、これからも追いかけて行きます。


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