ケイケイの映画日記
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2022年03月29日(火) 「ナイトメア・アリー」




大好きなデル・トロが監督で、オスカーの作品賞候補。見世物小屋が背景で、面子がこの四人。期待しない方が無理ってものです。う〜ん、期待が大きすぎたかなぁ、楽しめはしましたが、めでたさも中くらいでした。監督はギレルモ・デル・トロ。

1939年のアメリカ。故郷を捨てたスタン(ブラッドリー・クーパー)は、クレム(ウィレム・デフォー)率いる、怪しげな見世物小屋に雇われます。読心術を操るピート(デヴィッド・ストラザーン)とジーン(トニ・コレット)夫妻の下で、助手となります。やがて電流ショーをしていたモリー(ルーニー・マーラ)と恋仲になり、一座から抜けた二人は、ホテルで読心術のショーを演じて好評を博していました。そこへ心理学者のリリス(ケイト・ブランシェット)が現れます。

異形の人たちをこよなく愛するデル・トロですもの、どんなに魅惑的な見世物小屋だろうとワクワクしていました。レイティングの加減もあるのでしょうが、これが平凡。確かに美術は凝っていました。しかし、観客の俗っぽい好奇心を煽りながら、異形の人たちに心からの共感や理解を寄せる、慈愛に満ちたいつものデル・トロはありませんでした。これが一番の減点ポイントです。

この作品はタイロン・パワー主演の「悪魔の往く道」のリメイク。「獣人=ギーク」と呼ばれる人が見世物に出てきます。どこから観ても普通の男性ですが、泥だらけで服も着ていません。そして絶望的な顔をして、生きた鶏の首をへし折り生き血を吸います。このギークが、最後まで重要なファクターとして存在します。

監督が力を入れていたのは、スタンと言う男の生き様を描くドラマ部分。ここは、そこそこ成功していました。スタンと亡き父親には理由は描かれませんが、確執がありました。スタンは当初、一切アルコールを口にしませんが、もしかしたら、アルコールが原因で父は身を持ち崩したのかも。

スタンに読心術を教えるピートも、アルコール依存です。彼はジーンを相棒に、ホテルのショーで盛況を収めるも、人の心を操る事で、神にでもなった気がする恐ろしさに身がすくみ、見世物小屋に流れてきました。アルコール依存は、その時の恐ろしさから逃避する手段だったのかと、想像しました。

何故恐ろしいのか?それはピートに良心があったからだと思う。読心術は表情やしぐさから相手の心を読み取りますが、そこには相手の答えを引き出す手練手管があります。しかし相手はそれを知らず、霊能者と崇めてしまう。切羽詰まった藁をも縋りたい人にそれを施せば、金儲けは出来るが、詐欺になります。ピートはそれが出来なかったのですね。親子ほども違う年齢のジーンが、酒浸りの夫を甲斐甲斐しく世話するのは、夫の善良さ故と理解しているからだと思います。

ショーマンとして成功するスタン。自信に満ち溢れている。「あなたは華があるわ」とジーンが言った通りです。しかし、ピートが持つ善き心を持たぬスタンに、モリーは段々と神経が疲弊します。そこにリリスが登場します。

しかしこのリリスがなぁ。心理学の博士である彼女は、「金には興味がない」と言う。なら、スタンをそそのかすのは、何のため?思わせぶりな傷を見せ、エズラ(リチャード・ジェンキンス)に復讐したかったから?その割にはお金に執着しているように感じるし、登場場面が多い割には、描き込みが足りず個々の内が見えないのが、痛恨でした。これはミステリアスではなく、ミステイクだと思う。

ただねー、リリスを演じるブランシェットが、とにかく魅力的なんだなぁ。大きくカールしたブロンド、深紅の口紅と、元々クラシックな世界観が似合う人ですが、むせ返る様な色香なのです。もう50を幾つも過ぎているのが、信じられない。そりゃ酒断ちしていたスタンも、彼女に勧められれば、飲んでしまうでしょうて。お酒を口にした時が、スタンの地獄行きのサインだったと思います。本物の心理士にかかれば、詐欺師まがいの読心術士など、赤子の手をひねるようなものです。

トニ・コレットにもびっくり!彼女の作品は幾つも観ていますが、こんなにセクシーな彼女は初めて観ました。受けた恩を返しているのか、深い愛情でピートを包む様子は、まるで見世物小屋の聖母のようです。艶めかしくスタンを誘う様子は、女性としてまだまだ生臭いのですが、決して低俗に見えなかったのも、トニの演技力のお陰です。

この二人のアラフィフ女優の妖艶さのお陰で、30半ばのルーニーが、「三流オペラ」の底辺に咲く、一輪の可憐で清楚な花に見えるのですから、女優三人のアンサンブルは、とても良かったと思います。誰もオスカーにノミネートされなかったのが、とっても不思議です。

本当はもっと葛藤があったはずのスタンも、描き込みが足りなくそこが見えません。自分の良心と抗って負けるような描き方ならまだしも、あれじゃ元からチンケな詐欺師です。なのでラストの「俺の宿命だったんだ」と言うセリフにも、大きな哀しみが湧いてこない。クーパーの演技が良かっただけに、残念でした。

全体に冗長です。無駄に長い。決して散漫ではないですが、人物一人一人の描き込みが足りず、人物描写が、役者の演技頼りになっているのが、不満でした。決して悪い作品ではないだけに、とても惜しいと思います。私的にこの作品のキーワードは、「良心」だと思いました。

両方見た人が、タイロン・パワー版の方が良かったと書いていたのを読みました。アマプラとか配信ないか、当たってみます。だって「フリークス」も観たんだもん!






2022年03月24日(木) 「ガンパウダー・ミルクシェイク」




すごく良かった、めちゃくちゃ良かった、とにかく痛快でカッコいい!女性ばかりのアクションです。主役のカレン・ギランこそ若いものの、他はアンジェラ・バセット、ミシェル・ヨー、カーラ・グギノ、レナ・へディと言う、数々の名作やアクションにバンバン出演していた、お歴々。大笑いするユーモアと爽快なアクションが共存する、すごい拾い物でした。監督はナバット・パプシャド。

ティーンの頃、訳あって殺し屋の母スカーレット(レナ・へディ)と離れ離れになったサム(カレン・ギラン)。母の雇い主だったネイサン(ポール・ジアマッティ)にその後育てられ、今では組織の名うての殺し屋です。組織の金を持ち逃げした会計士をターゲットに、金の回収を命じられたサムですが、その金は誘拐された娘エミリー(クロエ・コールマン)を助け出すためだったと知り、エミリーの命を優先したため、回収に失敗。組織から追われる立場になります。

白状するとな、冒頭母娘の別れのシーンで、泣き叫ぶサム、咽び泣くスカーレットに既に爆泣き。私は母と子がお互いに恋しがるシーンに異常に弱い。もう孫も出来たので、少しは耐性で来たかと思っておりましたが、もっと酷くなっておる(笑)。しかしこれで、絶対楽しめると確信しました。

とにかくサム強ぇ!演じるカレンは身長180cmだそうで、長い手足を生かしたキレのあるアクションが、全編に渡り炸裂。見せ方も工夫があり、ネオンキラキラのボーリング場、動かない両手の使い方、エミリーを膝に乗せてのドライビングなど、盛沢山です。最初にサムの無敵っぷりを浸透させているので、ドキドキと言うより、ワクワク楽しめます。

追い詰められたサムが頼るのが、元殺し屋のアナ・メイ(アンジェラ・バセット)、マデリン(カーラ・グギーノ)、フローレンス(ミシェル・ヨー)が運営する図書館。もちろんそれは表向き。彼女らはスカーレットととも旧知で、サムを娘、エミリーを孫のように包みます。

逃亡の途中で再会する母と娘。実は常に娘を陰から見守っていました。スカーレットは夫(サムの父)を殺した相手を殺し、やはり逃亡者となっていました。サムに「殺した事を後悔した」と言います。それがため、娘と離れ離れになってしまったんですもんね。仕方なかったとは言わないところに、潔さを感じます。アナ・メイは、当初不義理をしたスカーレットに厳しかったものの、この言葉に「人間だもの。感情が先走る事はある」と、和解。

あー、これなのよ、これ。私が観たかったのは。世代を超えた女同士の連帯です。現実はなかなか難しく、女の敵は女みたいなリアリティ満載の映画も良いけれど、映画くらい、力強くてしなやかな連帯が観たいのです。その絆の核が何かと言うと、子供を守りたいと言う母性愛。なんと解り易い。それがね、何百人死んじゃう(殺しちゃう)中で、深々と伝わってくると言うこの不思議(笑)。

後半はお姉さま方、昔取った杵柄とばかり、とにかくバンバン銃をぶっ放す。これもまた、カッコいい!何が素晴らしいかと言えば、お姉さま方にもたっぷり花を持たせながら、ちゃんとサムが一番引き立っていた事。監督只者じゃないね。

花の持たせ方に、リスペクトがあったのもポイント高し。サムにもエミリーにも一番優しかったマデリンが、「久しぶりに図書館に子供が来てくれて、嬉しかった」と言う場面で、ワタクシ二度目の爆泣き。演じるグギーノね、「スパイキッズ」でママだったでしょう?私は「3」まで全部観たよ。ヨーにも高所から飛び降りさせてるし、へディはドラマの「ターミネーター」でサラ・コナーやってたでしょう?多分ちゃんと彼女たちの作品も観ているんですよ。熟年女優をこれだけ華やかには、なかなか撮れないです。

逃亡が行き詰まると、「ママ、プランBは?いつも用意してくれていたじゃない?」とサムは言いますが、スカーレットはここで殺せば、娘と暮らせなくなるのに、銃をぶっ放してしまう人です。プランBなんか無いよ(笑)。行き当たりばったりがたまたま成功したのに、離れていた歳月が、まだ母を無敵だとサムに思わせているのですね。子供の信頼を、大人は決して裏切ってはいけないのです。

お子様が出ているのに、こんなに殺しまくっていいのか?と言う問題(ほぼ大虐殺)は、みんな悪い奴だからいいんだよ、これは映画のお話しだから(笑)。主要人物で黒一点のジアマッティ。食えない親父っぷりで貫禄もあり、ハチャメチャで華やかな女性陣に、決して負けていなかったのが、作品の底上げに繋がっています。

ポニーテールにジーンズにスカジャンのカレンは、20代後半くらいに見えましたが、30半ばだそうです。うん、あと10年はこのキレは保ってくれると思うので、バンバン続編作って欲しいな。そう感じたラストでした。痛快で爽快な快作です。








2022年03月21日(月) 「THE BATMAN−ザ・バットマン−」(IMAX)




10代の時から注目しているロブ(ロバート・パティンソン)が、新作の「バットマン」に決まったと読んだ時は、小躍りして喜びました。ヒーロー物は、ほぼ観ない私ですが、「バットマン」だけは別。バートン版、ジェエル・シューマカー版、クリストファー・ノーラン版までは、全部観ています。今回ビギニングではなく、バットマンとして活動を始めており、様々な葛藤に苛まれる姿を描いています。「ダークナイト」よりまだ暗かったですが(笑)、私は楽しく観ました。監督はマット・リーヴス。

腐敗した町ゴッサムシティに住む富豪のブルース・ウェイン(ロバート・パティンソン)。彼はバットマンとして、町の治安を守っていました。ある日ゴードン刑事(ジェフリー・ライト)から、謎めいた暗号を残す犯人リドラーの逮捕に協力して欲しいと依頼されます。

180分越えと聞き、げんなりしまくっていましたが、見せ場が程よく挿入されて、飽きる事はありませんでした。まずアクションなんですが、素手を使うもの、銃撃戦、大掛かりなカーチェイスなど、既視感バリバリです。でもそれ程見せ方に斬新さはなくとも、どのタイミングで入れるか、入れる理由に納得出来るか等、創意工夫で全く問題ないんだなぁと実感。全て堪能できました。

ロブのブルースは暗い、とても暗い、ニコリともしない(笑)。バットマンとしての活動の行き詰まり、幼い頃両親が殺されたトラウマから今も抜け出せない様子など、ノーラン版より、一層色濃くブルース・ウェインとして、バットマンとしての苦悩が描かれます。しかしこの作品はDC原作のヒーロー物。この暗い設定に埋没する役者だとダメなんだな。だからロブが選ばれたのでしょう。ロブのバットマンには、ダークはダークでも、品の良い漆黒の華やかさがありました。私は成功だと思いましたが、どうかな?

暗さを助長したのは、今回執事のアルフレッドの関係性もある。ノーラン版は、執事のアルフレッドにマイケル・ケインを起用。ケインの飄々とした暖かさは、執事としての立場を超えて、ブルースの苦悩に寄り添い、時には祖父と孫のように見えました。

微笑みと包容力でブルースに接するアルフレッドをも、ブルースは寄せ付けず、孤独を託ちます。親代わりに育ててくれた人なのに、雇い主の立場を崩さないブルース。それがある一件で、自分にとってアルフレッドは掛けがえのない人なのだと、ブルースが自覚するシーンは、ブルースが孤独から解放され、感動的でした。アルフレッドも、慕っていたウェイン夫妻の事件を断腸の思いで、後追いしなかった事を告白。「私の仕事は家を守る事」と語るアルフレッドに、執事と言う仕事の真髄を観た気がします。きっとブルースのために結婚しなかったんだろうと、長く「バットマン」を観て、初めて思いました。

今回のアルフレッドはサスキア・リーブス。監督の「猿の惑星」シリーズで、スーツアクター的な特殊メイクで、「主役」を演じた人です。この抜擢は、監督の盟友なのかも。ケインに負けない素敵なアルフレッドでした。

今回のお馴染みキャラは、ペンギン(コリン・ファレル)、キャットウーマン(ゾーイ・クラビッツ)、リドラー(ポール・ダノ)です。ペンギン登場時は、誰この人?全然愛嬌ないし、やっぱりペンギンはダニー・デビートがいいわ、とか何とか思っていたら、特殊メイクしたファレルなのでした。特殊メイクで別人が、流行ってんの?ただし哀愁と愛嬌に満ちた「ハウス・オブ・グッチ」のジャレット・レトとは違い、全然良くない(きっぱり)。ファレルの演技が悪いのではなく、このシナリオだとペンギンのキャラである必要が全くない。普通の悪徳クラブオーターで良かったんじゃないかと。これでスピンオフが出来るなんて、何かの冗談かと個人的には思います。

キャットウーマン(セリーナ)は、その都度猫好きだけを軸に、作品ごとにキャラ変していますが、今回は要人の接待要員。マスクが鼠小僧風なのが、個人的にはイマイチですが、先達より小柄でスレンダーな肢体を、お馴染みのボンデージスーツに身を包み、しなやかなアクションを見せてくれます。回し蹴りはゾーイ本人ですよね?すごく決まってました。キャットウーマンと言えば、ハル・ベリー。黒人の女優は演技派や美貌派と、最近はフルに揃っていますが、粋が良くてアクションが出来る、ハルの後継者はいないなと思っていましたが、ゾーイはぴったり。すごく良かったです。

リドラーのダノは、「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」の時の演技を彷彿させました。派手な犯行と地味な外見の落差に狂気を見せて、彼も良かったです。

ブルースとリドラー。二人には「孤児」と言う共通点がある。成育と現在の環境の違いが、同じ葛藤を抱えていているのに、リドラーには相入れないのでしょう。しかし同じく孤児のセリーナが、ブルースに「私たちは似ている」と語りかけます。この思いやりと共感力。淡いロマンスも必然だったと思います。

ラスト近くに出て来た囚人は、ジョーカーかな?全米では大ヒットみたいで、無事に続編は作られると思います。次回も絶対観ますが、出来れば150分くらいにして(笑)。
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2022年03月17日(木) 「パワー・オブ・ザ・ドッグ」(Netlix)




本年度オスカーの大本命作。昨年限定公開していましたが、間に合わず、オスカー発表前に、ギリギリで配信で鑑賞しました。心理戦が盛りだくさんの、面白いサスペンスだったと、鑑賞後はそれだけ思いましたが、一日経つととにかく自分なりに考察したくて、堪らなくまりました。なので今回は大ネタバレ大会です。監督はジェーン・カンピオン。

1925年のアメリカのモンタナ。牧場を経営しているフィル(ベネディクト・カンバーバッチ)とジョージ(ジェシー・プレスモン)兄弟。仕事のため、牧童たちを連れて、ローズ(キルスティン・ダンスト)が営むレストラン兼宿屋に泊まります。ローズは未亡人で、一人息子のピーター(コディ・スミット=マクフィー)と二人暮らし。これが縁で、ジョージとローズは結ばれ、ローズはモンタナの牧場まで嫁ぎます。しかしローズを認めないフィルは、彼女に嫌がらせばかり。追い詰められたローズの元に、ピーターが夏休みで帰省してきます。

とにかく徹頭徹尾、不穏な空気と緊張感に包まれ、あのセリフこの演出、全てが思わせぶりで頭に残ります。冒頭、ピーターの独白で「父が死んだあと、僕は母の幸せだけを願った」と流れます。ここから既に違和感が。このセリフは、母親が息子に向けて言うセリフです。そこには、ただ母親思い以上の何かを感じます。

大きなお屋敷に住むのに、フィルとジョージは同じ部屋で寝ます。大の大人がこれも何なの?予備知識は極力シャットダウンして臨みましたが、フィルがゲイであるのは、何となく想像がつきました。でも弟とはそういう関係はないでしょうし、これは弟への束縛と依存を示していたと思います。

ピーターは今で言うフェミニン男子。彼が作った美しい造花を、バカにして燃やしてしまうフィル。フィルの率いるカウボーイのホモソーシャルは、彼を投影しているのか、ミソジニーでもあります。辱めを受けて涙するピーター。

ジョージは地味ですが温厚で、牧場の経営面を一手に引き受けています。パっとしない容姿に引け目もあったでしょう。美しいけれど所帯やつれをした、子持ちの未亡人のローズは、気後れせずに付き合えたのでしょう。ローズも子供の学費や、これからの人生を一人で生きるのは心もとなく、女気がなく婚期を逸したジョージなら、自分と釣り合うと考えたのかも。しかし理由はどうあれ、お互い誠実に向き合う姿は微笑ましく、私は良い夫婦になると思えました。それを描いていた、モンタナへの二人の道行は、この作品で唯一心が和む風景です。

しかし、ローズを義妹とは認めず、憎悪を露にするフィル。彼女が客に披露するため、「ラデツキー行進曲」を懸命に練習するも、上手く行かない。そこへ無言で軽々バンジョーで弾いてみせるフィル。重圧と焦りで我を無くすローズが、とても痛々しい。この辺り、本当にフィルは嫌な野郎で、彼がローズを憎悪する以上に、私がフィルを憎悪しましたよ、全く。

市長夫婦や両親の前で、ローズに恥をかかすフィル。それ以上に、息子であるフィルに会っても、あまり嬉しそうではない兄弟の親が不思議です。そしてエール大学出身だと言うフィルは、その優秀さとかけ離れた日常を送っており、何かかが彼をそうさしていると感じます。

やがて夏休みが来て、高校に通うピーターがローズの元へ。その頃には、フィルに追い詰められたローズは、アルコール依存になっていました。中世的な匂いを漂わすピーターを、相変わらず侮蔑しながら冷やかすフィルや牧童たち。ローズの慰めにと、野兎を捕まえ、母に渡すピーターでしたが、彼はその兎を解剖してしまいます。

えっ?ちょっと待って。ローズのために捕まえたんだよね?いくら医者志望だからって、その兎を解剖するか?そしてローズも「家で解剖しては駄目」って、外では良いのか?そういう問題か?あまりびっくりしていない母の様子に、これは以前にもあったのだと思いました。もしかして、ピーターはサイコパス気質を持っているのかと感じます。

水浴をする若い牧童たち。牧童は入浴せず水浴するものだと、師匠のブロンコ・ヘンリーに言われたと語るフィル。屈強な若い男性たちの裸を映す画面は、ゲイテイストに満ちている。一人フィルは秘密の自分だけの場所に移動。下着から古いスカーフを出し、身体にまとわりつかせ、自慰に耽るフィル。スカーフにはBHのイニシャルが。ブロンコ・ヘンリーです。偶然散歩中のピーターが、ブロンコ・ヘンリーのヌード写真集を見つけます。隠していたのでしょう。その近くにいたフィルに見つかり、追い出されるピーター。

何故かその後、ピーターに近づくフィル。仲良くしようと申し出る。私は自分ゲイである事をピーターに嗅ぎつけられて、懐柔しようとしているのかと思いました。違う?

しかしピーターは、フィルの手ほどきで、乗馬やカウボーイの日常にすぐ馴染んで行きます。その事に苛立ちを見せるローズ。牛の皮で編んだロープをピーターにプレゼントすると言うフィル。自分の大切なブロンコ・ヘンリーから受け継いだ鞍も、ピーターに座らせます。

最初はゲイである事を隠すためと思っていましたが、この頃になると、本気でフィルはピーターを気に入っているように見えました。亡くなった父からお前は強すぎると言われたと語るピーター。強い人はいないと答えるフィル。これは自分の事を指している。父親は首吊りで死に、自分が遺体を下したと言うピーター。ここで冒頭のピーターの独白が蘇ります。

父親は息子が原因で自殺したのじゃないかな?自殺前はアル中でした。父は息子のサイコパス気質を知っていたのだと思います。もちろんローズも知っている。知っていても、彼女には愛する息子である事に、変わりはないのでしょう。だから責任を感じて、ピーターは母だけの幸せを願ったのじゃないのかなぁ。

乗馬の上手くなったピーターは遠出して、病気で死んだ牛の皮を剥ぐ。これが重要な意味を持っていました。

牧場から見える丘は、何に見えるか?とピーターに問うフィル。犬が吠えていると答えるピーター。感嘆するフィル。それはブロンコ・ヘンリーの答えだからです。自分たちの絆を確信するフィル。この時、ピーターもゲイであると確信したのじゃないかしら?

フィルは牛の皮は売るくらいなら、焼いていました。それを知ったローズは、腹いせに皮を所望する先住民族に売ってしまいます。それを知り、激怒するフィル。今まではオタオタしたであろうジョージも、毅然と妻を庇います。
そこへ、自分で取った皮を差し出すピーター。

ピーターのためのロープを編みながら、ブロンコ・ヘンリーの思い出話をするフィル。煙草をくゆらし、自分の吸った煙草の吸い口を、フィルに吸わせるピーター。妖しい瞳、薔薇色の唇が艶めかしく、ぞっとするような美しさ。恍惚の表情を浮かべ、フィルはピーターに翻弄されているのが解る。フィルはブロンコ・ヘンリーと自分の間柄を、ピーターに当てはめていたのでしょうが、kの時から立場は逆転したのでしょう。

翌日、高熱を出し病院に駆け込むフィル。しかしあっけなく亡くなってしまいます。病名は炭疽症。病気の動物から移るのです。病気の牛には用心して、フィルは決して触らなかったと言うジョージですが、それ以上は追及しません。

綺麗に湯灌して、髭をそり落としたフィルの死に顔は穏やかで、本当は繊細であったであろう、彼の内面を映したような美しさでした。野蛮で豪放磊落、それが男らしさに繋がると考えるフィルは、無理をしていたと言う事です。さぞ辛かったろうと思うと、自然に涙が出ました。

葬儀の日、ローズに指輪を渡す兄弟の母(姑)。何か謂れはあるのでしょうか、多分嫁と認めるみたいな意味だと思います。でも、葬儀の日にする事ではない。両親も牧場の収入で生計を立てていのでしょう。牧場はフィルの持ち物です。ジョージも含め、他の家族はフィルがゲイだと知っていたのでは?自分の殻に閉じこもり、本音も本来の自分も見せないフィルを、家族は持て余していたのではないか?これはフィルの死を、家族が「安堵」と捉えているのかと感じました。

葬儀が終わり、抱擁するジョージとローズを観て、これも安堵して微笑むピーター。フィルから貰ったロープは、手袋をして、ベッドの下に隠します。

最後までピーターに殺された事は、フィルは知らなかったのでしょうね。前半と後半では、フィルはまるで違う人に感じました。それはピーターも同じ。ジョージは妻を得て、兄の従属から一人立ちしていくように見えたし、何も知らないローズは、これで救われるでしょう。

フィルの葬儀を欠席したピーターは、祈祷書から「剣と犬の力から、私の魂を解放したまえ」を読み上げる。犬の力は、障害物と映画では表現されていました。ローズから観たら、それはフィルでしょう。ジョージもそうです。ピーターから観たら、フィルであり、親離れ子離れしなくてはいけない母親のローズ。

フィルは誰かと言われたら、私はブロンコ・ヘンリーだと思う。フィルがヘンリーに「抱かれた」のは、18前後だと描かれています(明言はなし)。でも大人が異性であれ同性であれ、性的な接触を10代の子供にして良いはずはありません。これがフィルが大人になった時であれば、これ程ヘンリーの亡霊に呪縛される事はなかったと思うのです。フィルが恩人で師匠と語るヘンリーこそ、フィルの人生を翻弄した罪人だと思います。

ここから何を学ぶかと言えば、誰しもが剣と犬の力=障害物に成り得るのだと言う事、そしてそれは、死で超えるのではない、でしょうか?ピーターは外科医になれば良いかなぁ。そうすれば、荒ぶる魂が救われ、フィルの死に報いる事が出来るかもしれません。

あー、いっぱい書いた!お目に留まれば、どなたでもお話ししたいな。配信なので、また観返したいです。


※追記 3/20

観た直後は、後味最悪だなぁと思っていましたが、フィルの死は、様々な思いに呪縛されている登場人物全てを、開放したんじゃないかと思えてきました。穏やか死に顔を称えていたフィルも含めて。フィルを「殺した」ロープを、ベッドの下に隠したピーターは、自分の性癖を、これにて封印するつもりなのではないかな?日が経つに連れて、これはカタルシスのあるエンドだったのだと、思い直しています。















2022年03月01日(火) 「ウェストサイド・ストーリー」




凄く良かった!素晴らしい!いつも書いていますが、私は長い映画が嫌いで、ミュージカルにも低体温(ついでにSFも)。それでもスピルバーグが、この普及の名作をリメイクするなら、観るしかありません。復習なしで臨みましたが、新たに作ったリタ・モレノの役柄以外、ほぼ元作に忠実だったと思います。今こそリメイクする作品だと強く思いました。監督はスティーブン・スピルバーグ。

1950年代後半のニューヨークの下町。ポーランド系移民のジェッツと、プエルトリコ系移民のシャークスが対立しています。しかし、ジェッツのリーダーだったトニー(アンセル・エルゴード)と、シャークスのリーダー、ベルナルド(デヴィッド・アルバレス)の妹マリア(レイチェル・レグラー)が恋に落ちます。

元作を初めて観たのは、実はテレビのノーカット版です。マリアの吹替は大竹しのぶだったと思う。今でこそ花も嵐も踏み越えて、女の人生百戦錬磨の大竹しのぶですが、当時は清純で愛らしく、若手演技派のトップでしたから、マリアのイメージに重なって、私は違和感なかったです。その後、一度劇場で観ました。元作の字幕では、「ジェット団」「シャーク団」でした。


冒頭、立ち退きの土地が現れ、お馴染みの曲に乗せ、少年たちが指を鳴らして少しずつ集まるプロローグを観た瞬間、何故スピルバーグがこの作品をリメイクしたのか、とても腑に落ちました。世界中の国に各国の移民が渡り、その土地に根付いて子を生している現在、この作品で起こっている軋轢は、あちこちの国の「今」なのです。


刑事が現在のジェッツのリーダー、リフ(マイク・フェイスと)に言います。「イタリア系が懸命に働いて金持ちになっている中、お前たちの親父や爺さんは、アル中薬注、売人に強盗。母親は売春婦だ。
ろくでなしの親の元に生まれたのがお前たち」と、若者たちの自尊心を踏みにじる。底辺で家庭の愛に恵まれない若者たちは、昔で言う愚連隊となっている。同じく底辺でも、まだアメリカに来て日も浅いプエルトリコ系は、自分たちを脅かす脅威だったろうし、親族や同胞の絆の強さに、嫉妬や憧れもあったでしょう。そしてアメリカ人と同じ白人であるのに、貧しい。

これは、ニューカマーの移民に、自分たちの仕事を奪われるのではないか?と脅威に感じている、古くからの移民や貧しい人々の感情と重なります。トランプ元大統領の移民排除の政策に賛同していたのは、まさにこの層です。スピルバーグがいつからリメイクしたかったのかは知りませんが、トランプ政権が引き金になったんじゃないかしら?

ほぼ完璧な元作なんですから、変に弄らないのは正解でした。変更はジェッツの溜まり場のカフェ兼ドラッグストアの店主が、元作のドックからその夫人でプエルトリコ人のバレンティーナに変更になっていた事くらい。この役がリタ・モレノ!90歳にして演技も素晴らしく、きちんと歌声まで披露して、拝みたくなりました。

他には、アニータ(アリアナ・デボーズ)がジェッツに乱暴されそうになった時に、ジェッツガールズが「止めて!」と涙ながらに懇願したのは、元作にはなかったと思う。この変更も、me tooに連動されたものでしょう。良かったと思います。

バレンティーナは白人のドッグと結婚。融合と和解の象徴です。私が中学の時の社会の先生が、人種差別を無くすには、異人種で結婚して、混血の子を作る事だと言ったのを、思い出しました。少々乱暴な物言いですが、愛情があるなら相手を尊重するはずだし、異文化を受け入れるでしょう。スピルバーグも、モレノ出演なら重要な役にしたく、その意図があったのでは?

今回痛感したのは、楽曲の素晴らしさ。「クール」「トゥナイト」「マンボ!」「アメリカ」等々、大昔の作品なのに、若い人も絶対聞いた事があるはず。全く古さも感じず、見事なダンスと共に、スクリーンいっぱいの躍動感が広がる様子に、本当に胸が躍りました。

音楽のレナード・バーンスタインは、本来はクラシック畑の人。それがダンサブルな曲、愛を歌い上げるポピュラーソングなど、通俗的で、そして色褪せない永遠の名曲を作っている事に、今回目を見張りました。音楽を志すならクラシック、ダンスならバレエ、作家なら古典と、志すなら先ずは先達に学べと、聞いた事があります。文化や世相は、まさに温故知新と言うわけですね。

知っているラストですが、痛みの後に再生と和解が描かれていることに、改めて感銘を受けました。

蛇足ですが、今回少しだけ私的に苦言が(笑)。最初ベルナルド登場シーンで、へっ!はっ?何かの間違いでは?と目がパチクリ。すみません、私には元作はジョージ・チャキリスの映画で、イメージが違い過ぎました。はっきり言うと、もっとハンサムが良かった(言ってしまった)。途中で馴染んでは来ましたが、モレノが出るなら、チャキリスも一瞬でいいから、出て欲しかったなぁ。アルバレスには何の罪もなく、好演していたのに申し訳ない。

レイチェルは画像で観ると、イマイチかと思っていましたが、動き出す彼女は、花が綻んだように愛らしく、とても良かった。エルゴードは無難に演じていたと思います。イマイチ好きじゃないので、冷たくてごめんよ。アニータのデボーズは歌良し踊り良し気風良しで、私的に満点!私はこの作品で、アニータが一番好きなので、嬉しかったです。モレノのように立派になってね。

他はジェッツの面々が、私が子供の頃テレビで観てた、日活の不良に出で立ちから雰囲気までそっくりだったので、びっくり。丁度同じ時代で、若いもんは万国共通の鬱屈さを抱えていたのかと感じました。勘違いかな?

と、今こそリメイクする意義も意味もある作品だと、自信を持ってお勧めします。鑑賞後、グズグズ感想を書くのが遅れているうちに、戦争が始まってしまいました。反戦の意を込めて、この作品がオスカーに選ばれれば、嬉しく思います。





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