ケイケイの映画日記
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2022年02月23日(水) |
「ちょっと思い出しただけ」 |
もう私には、遠い遠い時代のお話しですが、主演の二人が大好きなので、観てきました。瑞々しくほろ苦い、恋愛ものの佳作です。監督は松井大悟。
元ダンサーで、今は劇場の照明担当の照生(池松壮亮)とタクシードライバーの葉(伊藤沙莉)は、かつて6年間恋人同士でしたが、現在は別々の生活。葉は仕事の合間、偶然照生を見かけ、二人の六年間を思い起こします。
別れた後から出会いまでを、遡って描いています。起点は毎年輝生の誕生日。一時は同棲もしていたり、結婚を考えていた描写も出てきます。今は30代前半の二人ですが、当時は20代半ばから後半でしょうか?
二人の破局の原因は、輝生が足にダンサーとして致命的な怪我をした事。医師からダンサーは諦めるように言われ、混乱・焦燥・怒り。様々な感情に苛まれ、一人になりたいと葉と一時だけ距離を置きます。
この気持ちは良く解ります。ただ二週間音沙汰無しと言うのは、葉には長過ぎました。待って待って、意を決して輝生に会いに行く葉。何もないように飄々と迎えられた葉は、すごくムカついたろうし、傷ついたでしょう。葉はダンスを辞めようが、輝生は輝生。普通の仕事について、二人で生きて行きたいと言います。しかし、まだ自分の事に精一杯で、葉と今後まで考えが回らない輝生。
判り過ぎるくらい判る、男女の違い。女性の20代後半からの6年間は重くて長い。女性としての一番華やかな時期でもあるし、出産の事もある。そして葉は、ドライバーとしてスキルも磨き、社会人として安定もしています。しかし輝生にとっては、普通の6年間。まだアルバイトもしながらのダンサー生活で、男性としては、もっと収入が安定してから、プロポーズしたかったのでしょう。そこへ今回の怪我で、結婚はどこかへ飛んでしまったのでしょうね。
私は結婚して今年で40年目。ネットなどで、結婚年数の長い人に秘訣がインタビュー形式で掲載されていますが、みんな凄いな、偉いなと思いますね。私なんか、年月だけ経って、人様に伝える事なんて、何もない。お恥ずかしい限りです。
一つだけ思い浮かぶのは、自分には連れ合いが居る事を忘れない、です。そりゃ常に誠実で優しく、笑顔の暮らしが一番良いですが、人間の感情は、そうはままならない。でも常に連れ合いがいることを、お互い心の中に持ち続けてはいたと思います。その気持ちが、ブレーキにもアクセルにもなったから、今も暮らしているのだと思います。
葉は、輝生が人生の岐路に立った今、自分の存在が彼の中にない、その事に傷つき、哀しくて別れを告げたのでしょう。そう告げた後、「なんだよ、追いかけてこないのかよ」と、泣きながら吐き捨てる彼女の心情も、解り過ぎるくらい解ります。
一緒に飼っていた猫の事。二人でラジオ体操していた習慣が、別れても二人に残っている事。変人だと思っていた男性(永瀬正敏)は、変人ではなく愛の憂い人であること、輝生の部屋は男女には縁起が悪い事(笑)。遡る画面が、二人の六年間を段々と観客に教えてくれます。
若くて少々無鉄砲だった二人が、きちんと自分の人生にけじめと折り合いをつけて、しっかりとした大人になっていた事が、とても嬉しく感動もしました。別れたとは言え、この恋愛は二人にとって、貴重な人生の糧であった証しだと思います。
伊藤沙莉はハスキー、池松壮亮は低音で甘く、二人とも声が特徴的です。どんな役柄でも外す事はない二人ですが、あまりお目にかかれない職業の彼らが、身近で地に足が着く等身大の恋人たちに感じられたのは、やはり二人が好演したからだと思います。
恋愛のゴールは結婚だけど、結婚はスタートでもあります。輝生の怪我が結婚後なら、二人で乗り切れたのじゃないかなぁ。何故早くプロポーズしなかったの!と、思いますが、それが縁と言うものでしょう。結婚は縁と勢いですよ。未婚の人は、それを覚えておいて下さいね。
2022年02月13日(日) |
「フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊」 |
ここ数年は絶対見る監督の一人になった、ウェス・アンダーソンの新作。でも今回、一切前評判を遮断しても、ダメなんじゃないかなーと危惧していました(ただの勘)。いつも通り秀逸な美術を愛でながら、まぁそれなりかな?と思っていたら、三話目で段々思考が膨らみ出し、前の二つのお話をもう一度おさらいすると、それなり→とても良かったに転換しました。やっぱり素敵な監督さんです。
1975年。アメリカ中西部の新聞『ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン』は、世界中のジャーナリストがオリジナリティあふれる記事を寄稿する、別冊雑誌を持っています。それが1925年創刊の『ザ・フレンチ・ディスパッチ』です。。フランスの架空の街アンニュイ=シュール=ブラゼに編集部があり、世界50か国で50万人の読者をかかえていました。しかし、創刊者で編集長のアーサー・ハウイッツァー・Jr.(ビル・マーレー)が急死したことで、彼の遺言どおりに雑誌を廃刊することが決まってしまいます。
ウェスの特性である美術が、またまた素晴らしい!アニメが実写で現れたようで、愛らしい絵本をめくっているようなのに、なんだ、この謎のリアリティは。クオリティが高く、美術だけ目で追っても、充分元は取れます。
構成は三部作のオムニパス。一話目は囚人で画家のモーゼス(ベニチオ・デル・トロ)にまつわるお話し。美術商のガダージオ(エイドリアン・ブロディ)は、モーゼスの絵を気に入り、売り出そうとします。絵のモデルは看守のシモーヌ(レア・セドゥ)。これが一筋縄ではいかない。冒頭オールヌードでポージングするレアにびっくり!そして看守役なので二度びっくり(笑)。シモーヌはまるで猛獣使いのように、殺人犯のモーゼスを調教していて、彼女の事なら何でも聞きます。
二人のラブシーンで鎖骨までしか映していない姿は、多分事後。信頼感と官能性と言う、異質のものが溶け込んでいて、美しい。私が感じ入ったのは、モーゼスの人生が、元々は裕福な家の出であったのが、その後、不潔→飢え→孤独→犯罪→精神病と軌跡を辿ると語られていたこと。犯罪までは一緒くたに起こったのでしょうね。対するシモーヌも、貧困の出自で、学校にも行けず字も書けず、教養とは皆無の育ちながら、看守までなった人。氷の表情の下には、きっと熱い思いを抱えているのだと思いました。違うようで似ている二人。シモーヌは猛獣使いではなく、モーゼスのミューズなのでした。
「007」のヒロイン役はあんなに華がなかったのに、今回一瞬たりともニコリともしないシモーヌ役のレアは、出色の存在感。冷徹さには、女心の情念が隠されていて、そこはかとなくそれが滲み出る様子が、官能的です。レアはこの手の癖のある役柄は、クールな美貌と相まって追随を許さないですね。平凡なヒロインのオファーは断ってくれ。
私はアートには全く造詣がないですが、これは抽象画の値打ちを皮肉ってるのかと感じました。全然見えないと言われていた、絵画の中のシモーヌですが、私には変なポージングの彼女が、確かに見えましたが。これって錯覚?それとも見えないのに、傑作だと騒いでいる人たちを皮肉っているのかな?
二話目は、中年の切れ者記者クレメンツ(フランシス・マクドーマンド)の巻。高潔にして孤高なるジャーナリストの彼女。成り行きで友人夫婦の息子で学生運動のリーダーとして身を投じているゼフィレッリ(ティモシー・シャラメ)と付き合い出します。ゼフィレッリがチェスでまったり学校側と談合する様子と同じく、少々退屈な展開だったのが、ゼフィレッリを好きな女子学生(リナ・クードリ)に、「年増は引っ込んでろ!」と言われて、涙ながらに「私の尊厳を奪わないで・・・」と言うクレメンツに、眠気が吹っ飛ぶ。
えっ!何で?大人の女の度量を見せつけるのかと思ったのに、こんな小娘に泣かされるなんて。それもフランシス・マクドーマンドが!(ここ重要)。そんなに老いる事、独りでいる事に葛藤があったんだ。私はゼフィレッリが付いていったのかと思っていましたが、クレメンツがお持ち帰りしたんだね。成る程。友人夫婦が紹介してくれたクリストフ・ヴァルツの方がお似合いなのに、美少年が良かったんだね。成る程。多分老いに向かう女みんなが、理解と同情を寄せたと思います(私は現実的だから、ヴァルツを選ぶけどね)。
そして三話目。祖国に追放されたフードライターのライト(ジェフリー・ライト)のお話し。美食家の署長(マチュー・アマルリック)のお抱えシェフであるネスカフィエ警部(スティーブン・パーク)の記事を書くため、署長の元に。しかし署長の息子のジジが誘拐されます。
このパートは、最初からユーモアある作りなのに哀しい。ライトはテレビの司会者に「ニグロ」と呼ばれても平然としている。勿論表向きでね。1975年は、まだまだそうだったんだな。ネスカフィエが警部なのは、そうしないとお抱えに出来ないからだと思いました。本職はあくまでシェフだと思う。傲慢だよね、署長。
ライトは黒人でゲイ。当時は二つの差別を背負っている。賢い息子とネスカフィエの身体を張った頑張りで、息子は無事救出。さらっとしたライトの原稿に、「これだけか?」と問う編集長。他にもあったのですが、入れたくないライト。書けないよ、初めて食べる毒の味の事なんて。死ぬかもしれないのに、ネスカフィエには、食べる選択しかなかったんだもん。
アジア系の「フレンチのシェフ」ネスカフィエは、当時のフランスでは勝ち組のはず。断って自分がポシャれば、アジア系に次はないはず。祖国を追われた自分を、どこにいても異邦人だとライトは言う。そして黒人でゲイ。ネスカフィエの言葉の奥に、自分との共通項を見出したから、ライトはネスカフィエに、「解るよ」と答えたんじゃないかな?
ネスカフィエもライトも、シド二ー・ポワチエなのよ。自分たちは礼儀正しく教養があり、白人に都合がよく、付き合ってもいいよ、と思える差別待遇者。自分たちの地位の確立のため、複雑な気持ちを押し殺して今の状況を守らなきゃいけない。ライトはその気持ちを、「あんたなんかにゃ、解るまい」の人々には、知られたくなかったのだと思います。
それでも「入れろ」と言う編集長。そう言えば、サゼラック(オーウェン・ウィルソン)の書いた、編集長の愛するアンニュイ(架空の町)の街のレポートも、表の風光明媚の美しさは皆無。記事は裏の闇社会ばかり。それでも編集長は文句垂れながら、OK出してました。
全編ヘンテコなユーモアで包み、凝った美術でかく乱させながら、眼差しは心に葛藤を抱えた人々の寂しさや侘しさを、温かく見守っていたのですね。そう思うと、楽しさだけではなく、包容力のある優しさを感じます。ゆるゆるなのに、芯が強い。「フレンチ・ディスパッチ」は、さぞ気骨のある雑誌だったのでしょうね。
残念なのは、雑誌を映画化したような作りなので、膨大なセリフと字幕で、目と耳が追い付きませんでした。肝心の俳優の演技と美術も、見落としがあったかも?できればもう一度観たいなぁ。
凄く良かった、びっくりしました。監督の岸善幸は、「あゝ、荒野」で非常に感銘を受けた人。それで観ました。表層的に観ても普通に感動、掘り下げるとより深い感動が得られ、どちらもお安くはない感動です。力作です。
コンビニのバルバイトの傍ら、保護司を勤める阿川佳代(有村架純)。前科のある人々に寄り添い、懸命に保護司として活動する佳代。次の担当は殺人で服役していた工藤誠(森田剛)。自動車修理工として生真面目に働く誠と、信頼関係を築いていました。しかし、もう少しで保護観察が終わる寸前、誠は姿を消します。折しも殺人事件が起こり、重要参考人として浮かび上がったのは、誠でした。
私は有村架純の事、同年代の二階堂ふみや黒木華と比べて、どこかしらアイドル女優のような気がして、後手に位置すると感じていました。売れっ子女優になって、どんどん洗練されていく二人に比べ、演技を評価されることもなく、愛らしいけど、いつまでも垢ぬけないのは、長所であり短所でもあると思っていました。
それが今作では、長所として生かされていました。常にきちんとひっ詰めた髪は、しもぶくれでエラの張った輪郭を強調し、地味な装い、矯正のためだけの眼鏡、若い女性には似つかわしくないお洒落さゼロの家。しかし、形振り構わず前科者たちのため、身を粉にする佳代は、輝いていました。彼女の持ち味である「垢抜けなさ」が、佳代の一生懸命突っ走る熱意に見事にマッチしていて、女優として立派になったんだなぁと、好演にとても感動しました。
誠は子供の時、母親(仲村優子)を義父(リリー・フランキー)によるDVで殺害されており、弟実(若葉竜也)と二人、児童容疑施設で育ちました。語られる生い立ちは辛苦を極めるもの。それが彼らの人生に深い影を落としている。長い間連絡も取れなかった誠と実の様子から、自分一人生きて行くのが精いっぱいで、施設を出てからの支援はなく、それが彼らから安定した居場所を奪っていると感じました。
作品は連続殺人の犯人探しのミステリーではなく、何故佳代は保護司をしているのか?何故前科者たちは罪を犯したのか?前科を負った者は、罪の浅深に関わらず、構成する権利があるのか?を、観客に問いかけていたと思います。
熱心なあまり、保護司としての立場から逸脱した行為の多い佳代。あるとき観察中の元詐欺師と禁じられている酒盛りをし、眠り込むんでしまいます。しかし、それは誠の事で元気がない佳代を慮っての元詐欺師の思いやりでした。若くて可愛い佳代に手を出す事もなく、何も盗まずお暇した元詐欺師は、佳代との信頼関係の方が大事だったのですね。
元保護観察だったみどり(石橋静河)は言います。「佳代ちゃんの長所は弱さだよ」と。正論ばかりで自分を追い詰める人々より、よほど佳代の無手勝流の指導の方が、心に沁みたと言います。自分の全てをさらけ出し、一緒に泣いたり笑ったりする人が、彼らには居なかったのでしょう。そして佳代も彼らによって、磨かれていったのだと思います。人と関わると言う事は、一方通行では、いけないんだな。
森田剛は、常に社会的弱者としての生き方が染みついている誠を、寡黙な演技で好演。実との再会後、兄としての情を掻き立てられ、間違った方向に進む様子は、心情が理解出来るから尚、とても辛かったです。「ヒメアノール」を鑑賞後、これから売れっ子だなと思っていたのに、そうでもなかった森田剛。本人曰く「仕事を選んでいた訳ではない。そもそも仕事が来なかった」と言う一文を読み、びっくり!ビックな妻の力を借りてでも良いので、演技者としての森田剛が、もっと観たいです。
若葉竜也は安定の好演。誠と別れてからの背景を語る場面では、私を含めて場内号泣。ひとえに彼の熱演あってのものです。いつ見ても上手くて感嘆です。
佳代が保護司を志す事に深く関わっている刑事の滝本に磯村優斗。清々しく熱血の刑事ぶりですが、佳代と対峙する場面では、素の滝本が絶妙に現れます。佳代の家での場面の、心の底に秘めた佳代への複雑な思いが迸る様子が、一番 印象深いです。ラブコメではなく、真摯なラブストーリーの磯村優斗が観てみたい。
大人になった誠が義父を観た時、「あんなに小さかったのか・・・」と囁く姿が、とても印象的でした。母を奪われただけではなく、健やかな子供時代も、義父に奪われた兄弟。「罪を犯した全ての人は、平等に更生する権利がある」との信念を持つ弁護士(木村多恵)の言葉は、正直私には賛同出来ません。しかし、「観る事が出来なかった」と言う四人家族の幸せだった頃のビデオを、捨てずに持つ義父からは、自分の罪を悔恨する様子が伺えました。
義父は自分の悔恨を誰かに打ち明けたいと時が来るでしょう。それがもし自分だったら、責めずに自分の言葉で会話が出来る、それくらいの度量は身につけなくちゃなと、娘のような佳代から、教えて貰った気分です。佳代と一緒に、熱くなって下さい。
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