ケイケイの映画日記
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2021年12月31日(金) |
「2021年 年間ベスト5+1」 |
去年はコロナのお陰であまりに鑑賞数が少なくて、書くのがおこがましくてパスしたベスト10。まさか2年連続続くとは、全く嬉しくない誤算。映画館の閉館期間もあり、劇場鑑賞は45本でした。ベストなんておこがましいですが、二年連続書かないのは忍びなく、ベスト5だけにしました。1番以外は一応順番付けますが、順不同です。
1 プロミシング・ヤング・ウーマン
2 ミナリ
3 ノマドランド
4 最後の決闘裁判
5 茲山魚譜 チャサンオボ
番外 孤狼の血 level2
コロナで撮影がストップ、または公開延期で、邦画の方とトントンなのですが、選んだ作品全てが、何故か洋画ばっかり。邦画も記しておきたかったので、一番好きな作品(出来にあらず)を番外で選びました。
きっと他の方は「ドライブ・マイ・カー」選んでいらっしゃるのでしょうね。私は長いと言うだけで、避けて通ってしまうので、多分縁がないと思います。
去年もそうでしたが、思い悩む作品や、感動する作品より、今は血沸き肉躍る作品か、単純にとても「面白い」作品ばかり選んで観た気がします。 そういう意味では、「Mr.ノーバディ」も入れたかったなぁ。6位までにしようかしら?(笑)。
コロナのせいか、観たいと熱望する作品も激減。その中で、期待値マックスで観て、予想していた内容とかなり隔たりがあるのに、それでも様々な感情が刺激され、最後は号泣した「プロミシング・ヤング・ウーマン」は、私にとってダントツの一番でした。1を描けば10理解出来た「ミナリ」。アート系はもういいやと言いながら、不思議と自分の魂に呼応した「ノマドランド」。御大スコットが今に生きる女性たちへ、エールを送った「最後の決闘裁判」。何のために学ぶのか?を、心を込めて描いてくれた「茲山魚譜 チャサンオボ」と、5本は即行選べたので、この5本は長く私の心に残る作品となると思います。
で、「孤狼の血 level2」なんですが、他にもやくざが題材の「素晴らしき世界」や「ヤクザと家族」など真摯な秀作はあれど、私が一番痛快だったのが、これ。血沸き肉躍るは、この作品が一番でした。感染者数多数で、家族に隠れて観に行ったのですが(←内緒にしてね)、観た後すんごく元気が出て(実話)、ホント観に行って良かったです(笑)。
もう本当に感想書くのが遅れて、2本に1本だったのが、最近なんか3本に1本と言う体たらくですが、健康な限り、レビューは書いていきたいと思っています。お付き合い下されば、有難く思います。
あと一時間ちょいで2022年ですね。皆様、どうぞ良いお年を。来年もよろしくお願い致します。
2021年12月26日(日) |
「ラストナイト・イン・ソーホー」 |
大好きな「プロミシング・ヤングウーマン」を彷彿させました。監督のエドガー・ライトは60年代が大好きだそうで、そこかしこにオマージュが描かれ、楽しく、そして切なく鑑賞。大いに楽しみました。
ファッションデザイナーを夢見てデザイン学校に入学し、憧れのロンドンへと出てきたエロイーズ(トーマシン・マッケンジー)。片田舎で育ったエロイーズには、派手な寮の同級生とは馴染めず、居心地の悪い毎日を過ごしています。そこでソーホーの一部屋を借りて、一人暮らしを始めます。程なくしてエロイーズは、毎晩60年代に生きるサンディ(アニャ・テイラー=ジョイ)と言う女性とシンクロする夢を見ます。自信家のサンディと共に、眩い毎日を楽しむエロイーズ。しかし、暗転する出来事がサンディを遅い、そこからエロイーズの日常も、不穏な空気に包まれます。
まずは伸び盛りの二人の新進女優、トーマシンとアニャが抜群の存在感です。 手作りのロマンチックな服装で、繊細な愛らしさを醸し出すトーマシンが「花」なら、若々しいゴージャスさで、自分の未来を信じて疑わない自信あふれるアニャは、「華」。対照的な彼女たちが、シンクロして同化していく様子は不思議ですが、「夢」がキーワードになっているので、それ程違和感はありません。共に適役でした。
しかし、その自信溢れたサンディは、ジャック(マット・スミス)の手玉に取られ、売り出すための枕営業だと説得されたのに、いつの間にか娼婦のような扱いに。
前半は眩いロンドンの60年代を楽しみ、後半は一転し、未来を搾取された若い女性の怨念を禍々しく描くホラー仕立てです。
前半の60年代のロンドンの再現が素晴らしい。あんまり知りませんが(笑)。正確に言うと、素晴らしいと感じさせてくれた、かな?私は1961年生まれで、先日亡くなったモンキーズのマイク・ネスミスが大好きで、「モンキーズ・ショー」を幼い頃毎週楽しみに観ていたもんです。その時代の映像の記憶は確かにあり、ファッションや音楽のカルチャー、そしてロンドンの街並みなど、鮮やかに蘇っており、とても楽しめました。客の目に留まるよう、ジャックから踊れと命令され、狂ったように踊るサンディ。「ゴーゴーガール」と当時呼ばれていたのよね。懐かしくも切ない気分に。
マット・スミスが匂い立つような色気を放っていて、すこぶるいい男なんだわ。そりゃサンディ程の自信家の娘でも、コロッと騙されるでしょうよ。スミスって、整ったフランケンシュタインみたいな顔ですよね?(失礼が過ぎる発言。ごめんよ!)ずっとそう思っていたので、「ザ・クラウン」で、美男子で有名だったフィリップ殿下の役を演じていると聞いて、すんごい不思議だったのですが、これなら上手く演じていたのでしょう。
テレンス・スタンプ、ダイアナ・リグ、リタ・ツゥシンハムなど、60年代に活躍した名優たちが、それぞれ重要な役で出演しいています。枯れ木も山の賑わいではなく、きちんと花を添える役柄で、敬意ある扱いに好感が持てました。
サンディも「プロミシング・ヤングウーマン」です。60年前から現代まで、前途洋々であるはずの若い才能ある女性たちの有り様が、ちっとも変っちゃいないのが辛い。この展開にはme too運動が連動されているのを、感じます。サンディの転落を過去の事とせず、今にも通じている事を感じて欲しいです。
もう一人の「プロミシング・ヤングウーマン」のエロイーズは、霊感体質で亡くなった母を良く見るのです。その霊感体質が、禍々しい出来事を引き起こします。亡くなった霊だけではなく、生霊のような霊も。生きている本人の意向に関係なく、エロイーズの部屋には、その生霊の哀しみが充満しているのでしょう。私自身は霊感は全くないですが、旅行に行くと、良く霊を見ると言う人を二人も知っており、この展開にも違和感は有りませんでした。
悪夢に翻弄され、衰弱するエロイーズの行動や主張は、まるで統合失調症のようで、周囲にもそう認識されます。たった一人、彼女に好意を寄せ、心から信じるのが、同級生のジョン(マイケル・アジャオ)。誰も味方のいなかったサンディとの違いは、ここにあります。ある男性(サム・フラクリン)が救いの手を伸べようとした時、拒絶するサンディ。自分を食い物にする男たちとは、違う男性だと感じていたはず。捨て鉢にならず、そんな時は迷わず差し出された手を、握って欲しいと思いました。
あんな事こんな事。散々やらかしたエロイーズが、全くお咎めなしでハッピーなエンディングは、ちと無理がある気がしますが、エロイーズの前途洋々の未来に免じて、一緒に喜びたいと思います。
何も予備知識なく観たら、各々の視点で別角度から描く作品でした。「運命じゃない人」「カメラを止めるな!」等、これ系は邦画はコメディ仕立てが多いですが、こちらは秀逸なミステリー。練られた脚本は、綻ぶ事無くラストまで突っ走ります。監督はドミニク・モル。
雪深いフランスの田舎町。一人の既婚女性エヴリーヌ(バレリア・ブルーニ・テデスキ)が失踪します。近所に住む農夫のジョゼフ(ダミアン・ボナール)に疑いの目がかけられます。彼は近所の人妻アリス(ロール・カラミー)と不倫中。そしてその夫ミシェル(ドゥニ・メノーシュ)も、誰にも言えない秘密を抱えていました。
幾つもの組み合わせが複雑に入り乱れ、愛と呼ぶには希薄で幼稚な愛憎劇が、繰り広げらます。それぞれの事情に理解を示せる描き方が良いです。
倦怠期の夫婦のミシェルとアリスは、セックスレス。各々性的な不満を抱えている。ジョゼフは不倫と言えばそうですが、アリスでは孤独は癒せず、この関係はアリスの独りよがり。夫がいながら、アバンチュールを楽しむエヴリーヌは、夫とは別居中。離婚はせずとも冷たい関係。寒々とした田舎町に押し込められては、気晴らしの一つもしたいでしょう。
そこへ国際ロマンス詐欺や同性愛など、普遍的な男女の愛憎以外にも、世相も盛り込んでいます。偶然が偶然を呼ぶ様子が、澱みなく展開されることに感嘆しました。
マリオン(ナディア・テレスキウィッツ)性的少数者の自分にとって、運命の人が見つかったと、ときめく。アルマンの住むコートジボワールは、若い男性でも、まともな仕事はなかなか見つからないのが、解ります。
これだけ理解出来るのに、この人たちにあまり共感出来ないのは、何故か?そこに愛がないからです。老婦人はエヴリーヌの失踪がニュースで流れた時、アリスに「この夫婦は愛がなかったから、こうなった。あなたは大丈夫?」と問います。一瞬言葉に詰まるアリス。
愛って何だろう?私は相手の笑顔が観たい、相手の幸せを願う。至ってシンプルな事に尽きると思います。これ以上は欲ではないかな?誰も彼もが、相手への愛情よりも、自分の欲望が勝っていて、相手を見ていない。この複雑な事象は、偶然ではなく必然だったのだと、私は思います。どこかで誰か一人でも、相手を思う本当の愛があれば、この絡み合った紐は、ほどけたのじゃないかしら?
なので私が同情出来たのは、ジョゼフとミシェル。ジョゼフは母を亡くして、抜け殻のようになっていた時、アリスの「私があなたの孤独を救ってあげる」と言う、彼女の性欲を正当化する建前に、堕ちただけです。ずっと心ここにあらずのセックスだったのでしょう。どれだけ相手をバカにしているのか>アリス。
ミシェルもアリスの父の農場を引き継ぎ、口煩い義父付きのマスオさん的生活で、息が詰まっても離婚は言い出せなかったのでしょう。ロマンス詐欺に引っ掛かったのは浅はかですが、それだけ純粋に愛情に飢えていたからでは?歪んだ認識は罪深いですが、そこに欲だけではなく、相手を思う気持ちが、確かにあったはずだと、私は思います。
マリオンも、何度も金で追い払おうとする相手に、「お金なんか要らない!」と拒絶。性的マイノリティの彼女にとって、千載一遇で出会った運命の相手だと思ったんでしょうね。そう言えば、マリオンのお相手も、「貴女とのセックスは楽しいが、愛してはいない」と言ってましたっけ。この三人は、私には情状酌量ありでした。
ラストに雪深いこの街に連れて来られた子持ち女性。彼女もエヴリーヌのようになるのか?私はならないと思います。何故なら、子供を育てなきゃいけない。心から愛する存在が、傍にいるからです。そう思うと、尻尾まであんこ状態の切ない展開も、光が射すように感じました。
幼稚な愛を描きながら、愛って何?鑑みさせる、深みのある群像劇です。
2021年12月03日(金) |
「茲山魚譜 チャサンオボ」 |
すごく良かった、素晴らしい!鑑賞前は、高評価だし、久しぶりでソル・ギョング観るか、くらいの期待値でした。それより学問のお話しだし、高等過ぎて付いて行けなかったら、どうしましょう?の方が心配で。崇高でとても格調高い内容ながら、人生の永遠のテーマとも言える、何故人には「学び」は必要か?を、解り易い描写の数々で、滋味深く問う作品。監督はイ・ジュニク。
1801年、朝鮮時代。高名な学者のチャン・ヤクチョン(ソル・ギョング)は、彼を寵愛した先王亡きあと、後を継いだ幼い王の後継者である先王の母に、カトリ熱心なカトリック教徒であることを疎まれ、黒山島(フクサンド)に流刑となりました。島の人たちは暖かくもてなしますが、手持ち無沙汰のヤクチョン。しかし学問好きで魚の事に博識な若き漁師ジョンテ(ピョン・ヨハン)と知り合い、魚の本を書きたいので、学問を教える代わりに、魚の知識を教えて欲しいと、ジョンテに「取引」を申し出ます。
ヤクチョンは三兄弟で、いずれも学者。次男は一身に罪を被って死罪。三男ヤギョン(リュ・スンヨン)は、黒山島より本土に近い唐津群へ、弟子と共に流罪となります。別れの際に最果ての島に、たった一人で流刑になる兄を想い、涙する弟。しかしヤクチョンは、「これから何があるか、楽しみだ」と弟に頬笑みを向けて旅立ちます。初っ端でもう、ヤクチョンの泰然自若な様子に、魅せられました。弟に心配させまいとの、空元気ではないのです。先王は「弟より兄が優れている」の言葉を、ヤクチョンに授けていました。柔らかい描写で、ヤクチョンの器の大きさを示すシーンです。
当初は罪人として流刑されたヤクチョンを、冷たくあしらうジョンテ。彼は両班である父に、島育ちの母と共に捨てられた青年です。罪人以上に、高貴な生まれのヤクチョンに反発心があったのでは?独学で書物を読み漁るジョンテは、表向きは両班の父に恥じないように勉学すると答えますが、私には湧き出る向学心が、彼を学問の虫にしているように感じます。表向きの答えは、島で浮かないように、かな?
豪奢な都の宮殿に対し、現在は不自由で不便な、あばら家住まいの生活。しかし、雄大で自然の幸に恵まれた黒山島での、都会では預かれぬ恩寵に、素直に感謝するヤクチョン。常に威風堂々、孤高の人なれど、島民への親睦の情を隠さないヤクチョンの人柄に魅かれ、ジョンテはいつの間にか「師匠」と呼びます。
学問を深めると、どうなるか?誰にでも腰が低く謙虚になり、丁寧誠実な対応となる。野蛮で粗野な言動は影を潜め、品が良くなる。幼馴染で憎からぬボンデに、挨拶代わりに「よう、ブス」と言っていたジョンデが、「やあ、べっぴんさん」となる。ボンデもだけど、私もびっくりしたわ(笑)。コミュニケーションまで上がるとは、びっくり。
ここでの学問とは、「学歴」ではもちろんなく、生き方についての教養です。魚の知識を書き留めろとヤクチョンに言われ、何故かと問うジョンテ。後世の人々に役立つからだとヤクチョンは応えます。文字に記す事は、伝聞とは大きく異なり、確実に知識が残ります。目から鱗でした。もう大量の鱗(笑)。今の自分の生活を見渡すと、先人の知恵に囲まれ過ぎて、有難味を感じていなかったのですね。
こうして人生の豊かさ、充実感を味わうジョンテ。学が深まったジョンテの向学心は向上心となり、どこに向かったか?貧しい暮らしに辛酸を舐める人々を救いたくなる。世のため人の為、です。しかしこれが辛い。
役人=両班の賎民への振る舞いは、冷酷にして冷血、特権階級意識まる出しで人権を踏みにじる事に、微動だにせず。元々人格も高潔なジョンテには、魂を売らなきゃ、やっていられない。役人には試験もあり、学がなければなれないはずが、この矛盾。ふと、今の時代の官僚や政治家も、志高くその世界に入ったものの、疲弊して埋没している人も多かろうと思いました。但し、これは一代目の人。長官は「妓生をはべらせ、顔が黄疸で黄色くなってこそ、両班で一人前」。二代目以降は、政より酒池肉林、金儲けに勤しんでいる世界に、どっぷりなのが解る。政治家の世襲が当然の如くの世相が、薄ら寒く感じます。
ジョンテがどのような選択をしたか?この顛末も、きっと書物にしたと思います。跳ね返されたとて、後世の人々が役立つはずだから。ヤクチョンの願った皆が平等な世界は、当時としたら罪深い願望で、決して実現できる世界ではありませんでした。しかし今を生きる私には、大海から、だいぶ向う岸が見えてきたように思えるのです。もうひと頑張り。私たちの言動が、後世の人々に役立つのです。
久しぶりに観るソル・ギョングは、これが初めての時代劇だとか。今回も申し分のない演技で、自然過ぎて好演には思えない程。これこそ名優の証しです。ピョン・ヨハンは、学びを深める過程でのの喜びと挫折を誠実に好演。ジョンテの心が深く届きました。リュ・スンヨンは、兄を支える弟の真心が良く出ており、控えめながら彼も人格者なのが解ります。そしてヤクチュンの世話をする未亡人カゴ役のイ・ジョンウ。破竹の勢いの名バイプレーヤーですが、今回も無学ながら、物怖じせずヤクチュンに進言する様子や、好意を寄せる様子などに様々な女心を、ユーモラスに演じています。この二人の脇役の好演は、確実に作品を盛り上げていました。
幾らでも難しく哲学的な掘り下げが出来る内容を、平地まで降りて来て描いています。モノクロで描く風景は陰影深く、島の日常は貧しさより自然に恵まれた豊かさを感じ、都は欲にまみれた薄汚れたものを感じます。何故学ぶのかは、自分の人生を豊かにし、人に尽くすため。他者が喜んでくれれば、自分の人生は潤い満足感が増すのでしょう。私はずっとずっと、自分のためだけだと思っていました。人生や学びの美しさを実感する作品。
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