ケイケイの映画日記
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先週の土曜日、実に二か月ぶりの映画でした。親愛なる映画友達の方から、直々にメッセが来て、それではと選んだ作品です。もうー泣いた泣いた!予定調和の展開なのに、語り口に情感と希望が溢れ、とても素敵な秀作です。監督はオリヴァー・チャン。
仕事上の事故で半身不随になった初老男性のチョンウィ(アンソニー・ウォン)。気難しくなかなか家政婦が定まりません。今回派遣されたのは、看護師資格も持つフィリピン人のエヴリン(クリセル・コンサンジ)。しかしエヴリンは広東語は話せず、落胆するチョンウィ。チョンウィは仕方なしに英語を勉強し始めますが、これがお互いの距離を縮める事になります。
この作品で珍しいのは、出稼ぎのフィリピンメイドの様子です。彼女たちはコミュニティを作り、自分たちで情報交換します。「バカを装うのよ」「広東語はわからないふりをしろ」等々、あー、仕事上の知恵だわねと、微苦笑しながら観ましたが、彼女たちのガールズトークから、決して楽ではない背景がわかります。各国にフィリピンのメイドさんは多いようですが、それは英語が出来るからと読んだ事があります。日本に彼女たちが少ないのは、人種的な偏見だけではなく、言葉の壁もあると思います。
親代わりに育てた妹とも仲が良いとは言えず、事故が元(多分)で妻とは離婚。唯一の血縁での繋がりは、再婚した妻と共にアメリカに渡った優しい息子とのSkype。そしてかつての同僚で、なにくれとなくチョンウィを気遣い訪れるファイ(サム・リー)。これがチョンウィの生活の全てです。
当初こそ癇癪持ちのチョンウィに怯え、先輩メイドの言いつけを守って仕事と割り切るエヴリンですが、持ち前の勝気で実直な性格がそれを良しとせず、どんどんチョンウィの頑なな心も溶かしていきます。この辺の心の交流が微笑ましい。ユーモアあり喧嘩もあり、恥もあり。エヴリンは住み込みメイド。寝食を共にすれば、お互いに情が湧くのは当然で、その人が「何者」であるか、プライバシーも明かされていきます。
女性と言うのは幾つになっても、男性にとって日常の潤いになるのだなと、この二人を観て感じました。夢を持ち人としての誇りを忘れなかった事で、「バカになる」事が出来なかったエヴリン。それが向上心に繋がり、チョンウィが忘れていた慈愛の心を引き出し、夢を語れる彼にしたのだと思いました。
私がこの作品で一番良かったのは、この二人が男女の関係にならなかった事です。陽光降りそそぐベランダの近く、車椅子で転寝するチョンウィに、そっと体を寄せ、目を閉じ微笑むエヴリン。同じ愛でも、父親にじゃれつく娘のようで、見守られる幸せを感じます。そこに執着も束縛もない二人。愛が何かと問われたら、相手の幸せを願う、この事に尽きるのではないかと思います。
ラストの鍵のやり取りは、二人の関係が、新たなステージに移るのだと想起しました。やっぱり「香港のお父さん」になるんだよ。「最強のふたり」は、大富豪だから出来た事、としらけた方には、香港の片隅に生きるこの二人の、質素で豊かなお話は、きっと気に入って貰えると思います。
Amazonプライムで、やっと観ました。10年前の作品が、あまりに現在と酷似している事に、もうびっくり。コロナ渦の真っ只中の今観た方が、色々感じ入る作品です。監督はスティーブン・ソダーバーグ。
香港からの出張帰りのベス(グヴィネス・パルトロウ)は、ミネソタの自宅に向かわず、元恋人とシカゴで密会。その後自宅に戻るも、急な発熱後突然死亡。茫然とする夫のミッチ(マット・ディモン)。その後ベスの連れ子も急死。その時、日本・香港・ロンドンで、不審な病死が続発。WHOは調査に乗り出し、新種のウィルスを確認。しかし現在治療法もワクチンもなく、48時間後に世界にこのウィルスが蔓延すると、宣言します。
これ程急ではなくても、今年のお正月前後、新種の肺炎が中国で流行と聞こえた時は、まだまだ他人事でした。それが二月の中頃から、あれよあれよという間に世界中にコロナは蔓延。欧米各国はロックダウン。致死率や死に至るまでの経過に若干の差こそあれ、まるでコロナ蔓延の様子をなぞっているようです。
公開時なら、絵空事だったはずの「人は一日3000回顔を触る」「感染者の触ったグラスや扉からの感染」「ソーシャルディスタンスを守る」「手洗いとうがいを入念に」「外へは出るな」等々、今自分の置かれている状況では、身に沁みして理解できます。
お話は群像劇になっており、政治から鑑みる作りではありません。WHOの医療者や研究者(マリオン・コティヤール、ローレンス・フィッシュバーン、ケイト・ウィンスレット、ジェニファー・イーリー)の奮闘ぶりや、幸いにも抗体を持ったミッチが、妻の死を哀しむ暇もなく、思春期の娘を守る様子を軸に、市井の人々のひっ迫した混乱ぶりや暴動。そして政府の発表に懐疑的で、世間を煽るジャーナリスト(ジュウド・ロウ)も配しています。
これだけの面子、幾らでも嘯いたパニック映画に出来るはずが、華やかさは皆無。地道なドキュメントを観ているようで、殺伐でもなく、煽ることもしない乾いた世界観が展開され、恐怖を感じつつ冷静に観られる事に、とても感銘しました。
過剰な泣かせもないのに、私は三度涙ぐみ、それは全て女性でした。志半ばで感染し、悔しさを滲ませながら最後の最後まで感染者を気遣ったケイト・ウィンスレット。故郷の村を想い切羽詰まった中国の衛生部の者に拉致されながら、その村人を見捨てる事をしなかったマリオン・コティヤール。医師として老いた身で全線で治療し、感染して死の淵にいる父に報いるように、自らでワクチンの治験をしたジェニファー・イーリー。
医師として人として娘として、彼女たちは自分の仕事に誇りを持ち、最後まで相手に寄り添う。だから私の心は揺さぶられたのです。翻って、コロナ関係で多くの政治家の長ーい演説を聞いても、全く心に響かないのは、結局この人たち、自分の仕事に誇りを持っていないんだな。自我は強くとも自尊心は薄いのでしょう。
特筆すべきは、感染者や及び家族を誹謗中傷する描写が、無かった事。集団ヒステリーのような、自警団もなし。そして医療従事者に敬意を感じこそ、いたずらに忌み嫌い、村八分にする描写も、一切なかった事。これはアメリカにある認識なのかどうか、その辺はわかりませんが、見習いたいと思います。
映画ではジェニファーの勇気ある勇み足により、140日足らずでワクチンが出来ます。作品のその後は描かれていませんが、ミッチの娘と恋人の、二人だけのプロムのシーンに希望を託していました。若さは希望だと改めて痛感しました。
この作品で印象に残ったのは全て女性だったのに、今の日本で奮闘ぶりが伝わるのは、小池知事ばかり。他の市区町村でも女性はいるはずですが、何も報道されないのは、どうしてかしら?この作品を観て、その辺にも不満が出てきました。
今後緩やかに自粛は解除されていくでしょうが、ワクチンが出来るのはまだ先のはず。この作品を観て、改めて気を引き締めるのもいいかなと思います。ご覧になって下さい。
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