ケイケイの映画日記
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2020年01月21日(火) |
「ジョジョ・ラビット」 |
すごーくすごーく良かった!ナチスが舞台の作品は、あらゆる立場の人々から描かれ、その悲劇は語り尽くせません。この作品の主人公は10歳の男の子。それがこんなに楽しく明るくて、でも切々と戦争は嫌だと思わせる描き方があるとは、本当に感嘆しました。大好きな作品です。監督はジョジョの空想上の友人・アドルフ・ヒトラーも演じる、ワイカ・タイティティ。
第2次世界大戦下のドイツ。10歳のジョジョ(ローマン・グリフィン・デイヴィス)は、青少年集団ヒトラーユーゲントに入団し、架空の友人であるアドルフ・ヒトラー(タイカ・ワイティティ)に助けられながら一人前の兵士を目指していました。でも隊の訓練中、うさぎを殺せなかった事から、仲間から「ジョジョ・ラビット」と揶揄われる羽目に。失意のジョジョでしたが、ある日追い打ちをかけるように、自宅にユダヤ人の少女エルサ(トーマシン・マッケンジー)が、隠れているのを見つけます。
10歳のジョジョの幼い視点と理解力で描かれる画面は、とてもファンタジックで楽しい。しかし大人は、その視点からシニカルな現実を受け取れます。私が感嘆したのは、それがすごく解り易い。大尉(サム・ロックウェル)は、戦局が傾いているのを理解しており、それを隠して少年隊の指導をしている。酒浸りにもなると言うものです。友達のヨギーが落ちこぼれのジョジョを置いて兵士に昇格し、無邪気に喜ぶ二人。でもそれは、敗戦寸前で兵士が足らないので、ほんの子供まで大人に混じって兵隊にさせるのです。
なので、監督演じるヒトラーがお茶目で楽しいので、こりゃダメじゃないの?と思いましたが、これはジョジョの空想。ヒトラーを崇拝ではなく、身近に自分を理解し鼓舞する存在だと、ジョジョが認識しているからなのでしょう。ママ(スカーレット・ヨハンソン)は戦時下であっても綺麗でゴージャス。そして心豊かな人生を送る秘訣を、ジョジョに教える素敵なママです。それでもパパは出征して二年が過ぎ、姉は亡くなり、四人家族は二人に。その心細さをカバーする術として、ジョジョが生み出したのが、空想の親友・ヒトラーなのでしょう。でもそれはヒトラーのせいなのに、子供のジョジョにはわからない。
人生はわからない事ばっかり。醜く恐ろしいユダヤ人を、何でママは匿うのだろう?そしてどうして僕は、そのユダヤ人を好きになってしまったのか?その表現の仕方がイラストであったり、ファンタジックであったり(お腹の中の蝶々がいっぱいのシーンは超素晴らしい!)、嘘の手紙を送ったりで、とても子供らしく微笑ましい。でも、それは身の丈精一杯の、ジョジョの解決の仕方でもあります。悩み深きジョジョの様子は、国の教育や政治を鵜呑みにしない、疑問を持つ事の大切さを示唆していると思いました。
そのきっかけが、エルサへの恋心と言うのは、素晴らしい!やっぱり愛ですよ愛。
そのエルサなんですが、ジョジョに見つかると、家に置いてと懇願するのではなく、脅してジョジョのナイフまで取り上げて、とても獰猛です。呆気に取られましたが、よく考えれば、彼女は何も悪い事をしていません。ユダヤ人だと言うだけで、家族を殺され、自分の身も危ない。これくらい肝が据わらなきゃ、生き残れないわけで。エルサは17歳。子供のジョジョをからかう様子など、元はユーモアがあり賢い子なのだとわかります。彼女の造形もとても好きです。
ローマン君は、とっても可愛い!この作品が初出演・初主役と大変だったと思いますが、素直に伸び伸び、素晴らしい演技でジョジョを体現していました。何か賞を取って欲しいわ。
スカーレットの、ユーモアのある素敵なママぶりも大好きです。颯爽として、女性ながら硬骨漢で、この作品を子供と観る若いお母さんがいたら、お手本にして欲しいな。
そして一番びっくりしたのが、サム・ロックウェル。こんなに素敵な人だったっけ?演技は上手なのは知っていますが、今まで結構なブ男キャラじゃなかったっけ?それがしどけなくナチスの軍服を着崩して、アルコール漬けの陽気な様子からは、やさぐれ感ではなく、落日寸前の自国を憂いている、哀しみを感じるのです。「不具」と言う、今では使われない言葉が字幕に出ますが、戦場で自分は片目を失い、ジョジョは訓練中の事故で、顔に傷を負っています。ジョジョをずっと気に掛けるのは、同病相憐れむ気持ちがあったのかも知れません。大尉が戦場に飛び出す様子は、負け戦必死の「宴」の終わりは、華々しく散りたい気持ちを、表していたのでしょう。
もうサムの事、いっぱい書いちゃった。サム萌えする日が来るなんて、だから映画は面白い(笑)。
子供の視点からの戦場は、すごく怖かったです。もっともっと悲惨なシーンを映す作品を見ていますが、本当に怖かった。私もジョジョの目線に降りて、ジョジョの気持ちになって観ていたからでしょう。どうぞ子供の気持ちで観て頂けたらと思います。「ヒトラーの子」であったジョジョが、色んな悲劇を潜り抜けて、自らヒトラーと決別した時の勇気を、大人も見習わなければなと、痛感しました。
2020年01月19日(日) |
「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」 |
記録的な大ヒットが記憶に新しい「この世界の片隅に」の、アナザーパートととでも言うべき作品。私が前作で感じた違和感や疑問に、返事を貰ったアンサー作品でもあります。監督は前作と同じく片渕須直。
基本的にストーリーは同じで、新たに30分加えられて、3時間の超大作になっています。子供から高齢者まで、誰にでも解り易く戦争前後の市井の人々の、つつましく暖かな暮らしや、暖かなその対極にある戦争の恐ろしさを伝えた前作に比べ、こちらは大人向き。それも女性の当時の扱われ方や心模様に的が絞られ、前作よりずっと大人びた、すずさんが描かれます。
前作では素通りされた、周作とリンの関係ですが、今作では明確に恋愛関係にあったとされています。うーん、でも恋愛かな?客と娼婦として出会い、リンに一方的に熱を上げたのは、周作ではなかったのかな?この作品でも、リンは大人びて聡明な女性に描かれています。異性として好意を寄せても、添えぬ相手だとは認識していたと思います。その気持ちを代弁させるために、新たに登場させたのが、リンと同じ娼館に勤めるテルちゃんじゃないかしら?
すずには「風邪をひいた」と語りますが、あれは惚れた客と逃げて、連れ戻され、折檻されたのだと思います。テルもリンに劣らず心根の優しさを感じる女性で、広島弁が繰り広げられる中、唯一九州の言葉を話す。故郷から遥か離れた処で身を売るテルの孤独は、察して余りあります。その厳しさを、前作同様、繊細で暖かい画が、すずとテルを包む。リンとのパートもそうですが、この三人を同世代の同じ女性として描き、二人の娼婦を、決して蔑みやら哀れな存在にしていません。
それは何故か?私が一番前作で疑問だった、すずの幼馴染の哲とのエピソードが理解出来たから。あれは明確に、すずに「性接待」しろとの周作からの「命令」なのでしょう。あまりに解り易かったので、びっくりしました。そしたら、当時歓楽街のない土地では、家に来た兵隊に、その家の女性が性接待をして「もてなす」との記述を読みました。独身の女性では、後々嫁に行けなくなるので、若い人妻が接待したのだとか。この記述を読んだとき、体から血が逆流するようでした。
夫であれ他人であれ、男で有るというだけで、当時は女を自由に扱って良かったのです。何故未亡人の姉の径子ではなく、すずだったのか?そこに周作の、夫として未熟さが表れている。自分に対しての妻の愛情に自信がないので、きっと、すずも望んでいると思っているのです。馬鹿だなぁ。そこは絶対行かせないのが愛情なのに。その後、夫に逆襲するすずが小気味よいです。
前作ではどんな逆境にも、終始少女のような純粋さで、人を疑う事がなかったすずが、夫にも不審を持つし、婚気での居辛さも描かれています。ただぼんやりしているだけではなく、大人に成長していくのではなく、少女から女へと成長しているのを見て、前作での違和感が取り除かれ、とてもホッとしました。
前作でも好きだった径子は、今作でも大活躍(笑)。すずに「広島に帰ったら」と、出て行けと言ったつもりが、里帰りと取られるのには、笑いました。でも彼女も、夫のいない婚家にいるのは辛く、居場所探しに必死だったのですね。
片手を失い、家の足手纏いになるのが嫌で、実家に戻るというすずに「私は今まで好き勝手して来た。だから何の後悔もない。でもあんたは、知らない相手と結婚させられ、自分の意志で生きた事がない。居たければ、この家にずっと居ていいんだよ」と、すずの髪を梳きながら、径子がすずに言い聞かせる場面が、私は一番好きです。
径子とて、好き勝手したわけではありません。婚家に息子を置いて離縁、空襲で娘の晴美を失っているのです。すずの妹すみは、家と両親を失い、原爆症を負い、戦争で長男と夫を失い、今また次男までも出征させる女性も描かれ、今作では、戦争とは、女性から全ての物を詐取していくのだと、女性の悲しみに 特化して描かれていたように思います。
それと前作では思い至らなかった、母親世代の鈍感さも感じました。すずの事を気に入り、可愛がりはしても、結局は嫁は便利良く家事をしてくれる対象と思っている姑。漏らさなくても良い周作とリンの関係を、すずに話す親戚女性。娘が里帰りしても、町内の集会を優先させる実母。これは彼女たちも、人として尊重された事がないので、若い彼女たちを尊重する事を知らないのです、きっと。繊細な作りだと思いました。
私はこちらが好きですが、しかしこの作りだと、前作のような大ヒットしたと言えば、疑わしいです。改めて、前作はとても上手く全世代に反戦の心を伝えていたのだと、思いました。
前作ほどのロングランは、多分ないと思います。でもこの作品もどうぞお見逃しなく。すずの言動に、若干イライラした私のような人は、きっと安堵されると思います(笑)。
2020年01月13日(月) |
「パラサイト 半地下の家族」 |
昨年度カンヌ映画祭パルムドール受賞作品。中盤で地下ではなく何故「半地下」とタイトルにしたのか理解でき、最後まで見て、ポン・ジュノってやっぱり天才なのだと唸りました。あまりたくさん書くとダメな作品なので、サクサク短く行きます。
半地下の薄暗い家に住む両親と兄妹の四人家族。現在全員が失業中の貧困家庭で、宅配ピザの箱を作る内職が生業です。ソウル大学に通う友人を持つ長男のギウ(チェ・ウシク)が、友人の頼みでソウル大学に通う大学生と身分を偽り、大富豪のパク家のの長女の家庭教師として雇われます。すぐに奥様の信頼を得たドンイクは、妹のソダグ(キム・ギジョン)を皮切りに、父ギテク(ソン・ガンホ)母チュンスク(キム・ヘジン)が、次々とパク家に「居場所」を作っていくのですが・・・。
半地下の家が韓国に本当にあるのかないのかは、わかりません。しかし底辺の貧しさは十分の感じる暮らしぶりです。対極になる大富豪の暮らしとの貧富の差を、映します。貧しい生活が、心にまで浸食した小悪党のギテク一家。凄まじいばかりの金満ぶりながら、偽りの大学生をを見抜く眼力も人としての教養にも欠けるパク家の夫婦。ギテク一家が繰り出す小細工に、全て「金持ち喧嘩せず」を貫き通して、真実を知ろうともしないパク夫婦の頭の軽さには、苦笑するばかり。要するに、ド貧民も大富豪も、両方心が貧しいのです。
この辺は、いつものポン・ジュノらしく、辛辣なユーモアで描いていました。しかし、この作品の真骨頂は、後半から。何故タイトルが地下ではなく半地下なのか?その意味を悟るとき、次々剛速球で投げかけられる監督のメッセージは、とても韓国的であり、でも世界中に蔓延している憂いなのだと感じます。
とても印象的に使われる「匂い」。パク社長は、ギテクの事を気に入りながらも「あの匂いが堪らない」と言う。それは半地下の匂い=貧困の匂いです。お風呂に入ってもコロンをふっても、清潔な衣服を身にまとっても消せない匂い。そしてその匂いを、ギテク以上に発散する人の存在が、ギテク一家を翻弄し、困惑させ、人としての矜持さえ罪をもって蘇らせるのです。
この作品で私が感じた最大のメッセージは、お金持ちは世間を幅広く知り、世の中に対して、市井の人々より、一層責任を持つべきだ、と言う事です。その演出の仕方が説教臭くなく、人の心の機微に訴える描き方で、本当に素晴らしいと素晴らしいと思いました。
普遍的な社会派の作品を寓話的に描いた、第一級の娯楽作です。どうぞ楽しんで下さい。
2020年01月01日(水) |
「2019年 年間ベスト10」 |
もう時間ないわ!急いで行ってみよう!今年は63本劇場で鑑賞しました。昨年の50本より13本増えたのに、全然物足らない本数です。
1 女王陛下のお気に入り
2 家族を想うとき
3 ガール
4 ガラスの城の約束
5 運び屋
6 ジョーカー
7 ブラック・クランズマン
8 ビューティフル・ボーイ
9 ワンス・アポンナ・タイム・イン・ハリウッド
10 ドント・ウォーリー
邦画は本数が少ないため、順不同で3本です。
「火口のふたり」
「Diner ダイナー」
「最初の晩餐」
これが今年の一番だ、あれが傑作だと書き連ねていましたが、結局いつも通り、趣味に走ったベスト10に。ランティモスと蜷川実花が、やっぱり大好きだと、再認識した年でした。
今年もまた、映画どころじゃないぜ!的に怒涛の毎日で、アタクシなんと、日本人になりました。1月に行政書士に相談したのを皮切りに、3月は長男の結婚式、5月に帰化の申請、七月に面接、12月に法務大臣名義で帰化の許可がおり、18日に法務局から帰化届を受け取り来ております。
でもまぁ、何が変わったわけでもなく、呼称が在日韓国人から韓国系日本人に変わっただけで、同じ毎日を送っております(当たり前)。この他、趣味は映画一択の一点豪華趣味だったのが、今では週イチのプールのレッスンがあり、旅行もなんやかやと四回行き、お陰様で感想は落としまくって半分くらいしか書いていないという体たらくで、情けないったら、ありゃしない。
でもそのお陰で、本数は若干上がったので、2020年もこれで様子見しながら、本数と感想とも、上げていきたいと思っています。 年が行けば、のんびり暮らせるのかと思っていましたが、真逆の生活を送っているのが謎ですが、2020年も貧乏暇なし、でも息災で元気で過ごせるよう、希望しています。
では皆様も良いお年をお迎え下さい。
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