ケイケイの映画日記
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2019年11月18日(月) 「最初の晩餐」




ずっとずっと違和感を持って観ていた謎が、ラスト近くの斉藤由貴の台詞で、ストンと腑に落ち、もやもやが晴れて、その後わ〜っと!胸に感情が押し寄せてきた作品です。監督は常盤司郎。今回ネタバレです。

カメラマンの東麟太郎(染谷将太)は、父日登志(永瀬正敏)の葬儀のため、故郷の福岡に帰ってきました。姉の美也子(戸田恵梨香)と継母のアキコ(斉藤由貴)が、通夜の用意をしていた中、突然アキコが、通夜の料理は自分がすると言い出します。かつて東家では、アキコの連れ子であるシュンもおり、五年間は一緒に暮らしていたのです。その事を、麟太郎と美也子は、通夜ぶるまいの料理を出される度、思い出していました。

子供を連れた者同士の家族の有り方、絆を描くのかと鑑賞前は思っていました。夫婦になったのに、何となくよそよそしい日登志とアキコ。子連れの再婚は、男性は家事、女性は経済的な救済を求めてするケースも多々あると思います。それ自体は決して咎められるものではないですが、それならもっと近くの人を選んだはずで、アキコは東京からはるばる福岡の、それも片田舎に嫁いできました。少し不思議でした。

よそよそしかった子供たちを何とか繋ごうと、ハイキング、家族揃っての食事、参観日への出席など、苦心を重ねる夫婦。それが徐々に実を結び様子が微笑ましい。敵同士のようだったのが、いつしか美也子と麟太郎は、シュンを「シュンにい」と呼び、シュンは「美也子、麟太郎」と呼び捨て、兄弟とは又別の、家族としての親愛を築いた頃、一本の電話が家庭に嵐をもたらします。

ラストで明かされますが、二人は不倫関係から結ばれたのです。アキコはシュンの父親があり、日登志は別居中ですが妻がいました。電話は、アキコの夫が亡くなった知らせでした。アキコの夫は、妻との別れ話が拗れ自殺未遂。一度も目が覚めることなく、亡くなったのです。同居から五年、それぞれ大学生、高1、小6となっていました。ラストのアキコの告白で、この淡々と水墨画のような作品が、冒頭から改めて鮮やかな色を伴って、私の心に蘇りました。

日登志が、生き甲斐のような山岳ガイドの仕事を捨て、近所の工場勤務に替わったのは、私は家を空ける仕事は、今の継ぎはぎの家庭には相応しくないと思ったからだと、当初理解していました。そうではないのですね。夫からアキコを奪ったのだから、自分も生き甲斐を捨てなければいけないと思ったのでしょう。

シュンが円満になった今の家庭を出て行ったのは、夫婦の馴れ初め、実父の死を、日登志から二人きりの登山の際に知らされたからです。この家に居られるわけがない。大好きな家庭を出て行かねばならない。シュンにどれほどの失望と怒りと無念さがあったか、あまりあります。日登志とアキコは、二度もシュンから家庭を取り上げたのです。

美也子は日登志を「パパ」と呼ぶのに、アキコは夫を「お父さん」と呼ぶ。日登志もアキコを「お母さん」と呼ぶ。私はこれからは子供たちのため、親を第一に生きようと、夫婦が決めていたからなのだと受け取りました。それが私には、よそよそしさと映ったのだと思います。だってこの二人は、不倫関係だったのに、子供も手放さす一緒になったのです。それが子供たちへの、贖罪だったのでしょう。

美也子はアキコの告白を聞き「何を今頃言うの?自己満足?」と怒ります。そして「新しい家庭には、私は期待しとった!」と泣きました。子供は夫の手元に残し、元夫の葬儀にも顔を出さない美也子たちの母です。暖かい家庭を、当時の美也子が期待し、それが実現出来たと思ったら、シュンが突然いなくなると言う形で、終焉を遂げたわけです。美也子も麟太郎もまた、この夫婦の被害者だと思います。

美也子に謝りつつ、「それでも私は、あなたたちと出会えた事、後悔していないの」と微笑みながら言います。アキコは継子から疎まれているのを知りつつ、そう言うのです。この作品は不倫を肯定しているのだろうか?血の繫がらない家庭の絆を問うのか?私は違うと思います。これは不倫の果て添い遂げた男女の、罪と罰だと思いました。

アキコの夫は二人の不倫のせいで亡くなり、大事な息子は出て行き、継子からは疎まれ、命懸けでで結ばれた今の夫は64歳と早くに亡くなる。罪を胸に秘め、二人で出かけた事もなかったでしょう。罪を背負い罰を受け、それでも継子たちに微笑む。この覚悟がなければ、不倫などしてはいけない。それは美也子に伝えたい母としてのアキコの想いだったのだと、私は感じます。

育った家庭に夢破れた美也子は、早くに結婚して自分の家庭に期待したはず。それが真面目で大人しい夫が、華やかな彼女には、段々退屈に思えてきた。同級生は、そういうことでしょう。美也子がアキコの心を受け取った場面が嬉しい。

家庭というものがわからず、結婚に踏み切れない麟太郎の彼女が作ってきたのは、おはぎでした。それは偶然、日登志の好物でした。家族の誰もが日登志の好物を知らなかったのは、日登志はそれさえ律していたのだと思います。このおはぎは、呪縛からの開放ではなかったかと思います。

シュン(成人後・窪塚洋介)が通夜に現れます。生業は登山家。山の素晴らしさを教えたのは日登志。日登志はアキコを自分の命に代えて、罪と罰から開放してのではないかな?愛だと思います。その意を汲み取った上での、アキコの手料理ではなかったかと思います。

家族には家族の数だけ形があり、歪でも不恰好でも、受け止め昇華していくのが、子供の責任なんだと、難儀な家庭に育った私は、改めて思いました。忘れられない作品になりそうです。









2019年11月14日(木) 「永遠の門 ゴッホの見た未来」




絵画に疎い人でも、誰しもが知るゴッホ。私も普段ならパスの作品ですが、老いて益々チャーミングなウィレム・デフォーがゴッホ役、大好きなマッツ・ミケルセンも出演。何より監督がジュリアン・シュナーベルなので、勇んで観てきました。私のような絵画には縁の薄い者にも敷居が低く、ゴッホの画家としての人生を、鮮やかに映した秀作でした。

だいたい史実に沿って描いていました。耳をそぎ落とした件も出てきて、ゴッホが精神を病んでいたのは周知していましたが、それを表す手法が秀逸。対で会話する相手の顔が、スクリーンにどアップになります。アップになると、皆返って表情がなくなります。そしてぶれたカメラは、焦点が合わない。再々このような光景を、ゴッホは見ていたと表現しているのでしょう。とても怖い。いつも誰かに見張られている気がするでしょう。

それが一転、自然の風景と対峙する場面では、自然は広大で美しく、そして険しい。全部ひっくるめて、神から賜ったものなのだと感じます。それを五感で感じているゴッホは、神に選ばれし人なのでしょう。

芸術とは何か?私は人を感動させるものが芸術だと思います。マッツ扮する聖職者は、言いにくそうに、「君の絵は不愉快な気分になる」と感想を告げます。それは心の暗部が映され、不安が露になるからでは?その感情に突き動かされて、掘り下げて考えるのか、蓋をしてしまうのかは、その人次第なのでしょう。死後彼の作品が評価されたのは、前者を選択した人が多くなったと言う事なのでしょうね。

映画を観ていて、ずっとずっと考えていた事は、ゴッホに連添う人がいたなら良かったのにと言うこと。弟のテオ(ルパート・フレンド)は、献身的に兄を支え、金銭面での援助も惜しまない。しかしテオには妻子も仕事もある。人間的には一向に成熟しないゴッホは、常に誰かの庇護が必要なのです。傲慢な天才は他者を傷つけ、繊細な天才は自分を傷つける。ゴッホは、画く事でしか、生きる術がなかった人なのだと思います。傍らに寄りそう人がいれば、彼の魂もすくわれたのにと、思います。

60過ぎているデフォーですが、自分の半分くらいの年齢のゴッホを演じて、全く違和感なしです。済んだ目で自然を見つめ、情熱的な面持ちで絵を描く姿は、人生の全てを画く事に注ぎ込んだゴッホを、表情で雄弁に語っていました。精神疾患を持つ人を演じると、感情を爆発させる演技になりがちですが、静かに淡々と語り、自分の弱さを隠さず涙を見せる姿に、病の辛さをひしひしと感じました。

多分ゴッホの人生は、これだけではないはず。女性の影もちらほらしたでしょう。しかし、シュナーベルが救い上げたゴッホの姿に、私の心は引き寄せられました。ゴッホの絵が観たくなったのですから、私には縁のある作品だったと思います。


2019年11月05日(火) 「IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり」


実は大昔、前後篇のドラマを観ていましてな。全編の面白さに比べ、ちゃぶ台返ししたくなるほど、後半は最悪。人には前編がこんなに面白いなら、後半はどんなに面白いだろう?と胸ワクの記憶を抱いて、後半は見ずに墓場まで行け、と伝えておりました。だから観るのは躊躇したのよなー。でも私の好きなジェームズ・マカヴォイが出ているし、意を決して鑑賞。大丈夫、面白かったです!監督は引き続きアンディ・ムスキエティ。

田舎町のデリー。27年前ルーザーズの七人が撃退した、ピエロのペニー・ワイズ(ビル・スカルスガルド)がまた現れ、一人街に残ったマイクは、バラバラになったメンバーを呼び戻します。

リーダー格だったマイク(成人後ジェームズ・マカヴォイ)は人気作家になっており、原作の映画化の脚本も担っています。しかし「オチがサイテー」と言われ、監督や妻からダメだしをくらい、目下脚本を書き直しています。本人としては不承不承なのですが、以降「オチがサイテー」はあちこちで挿入され、はーん、これはオチを変えるなとわかる(笑)。アメリカでも不評だったんだなぁ。

過去の彼らが抱える、屈辱、秘密、罪悪感、猜疑心などが、ペニー・ワイズの手によって露になり、彼らを苦しめます。今ではすっかり立派になった彼らなのに、子供の頃の自分に自縄自縛状態です。ほろ苦いを通り越し、ひりつく様な思い出に、彼らは立ち向かいます。その勇気が、辛かった思い出を、愛情や友情に昇華させていくのです。

全編の思春期のルーザーズの面々が回想として出演。現在の彼らと交互に描かれます。これは上手い演出で、ホラーの「スタンド・バイ・ミー」と呼びたいような、陰鬱さと清廉さを共存させていた、好評だった前編が蘇りました。

私は時間の都合で通常版を観ましたが、客を怖がらせようと、あちこち飛び道具が張り巡らされ、これは4Dで見たかったなーと後悔。お金に余裕にある方は、是非こちらでご覧下さい。

仕掛けだけではなく、ユーモアも随所に盛り込まれ(主にリッチー&エディ)、きっちり泣かせにもかかる、パニック映画のお手本のような展開で、三時間ほど、全く飽きもせず楽しむ事が出来ました。

ベンが書いた情熱的で詩的なラブレターが、べバリーの記憶ではビルになっていて、とても哀しい。この哀しさが、どうオチるかお楽しみに。

ドラマ版を未見の人は、何なんだこのオチは!と激怒するでしょうが、子孫にも伝えたいような、サイテーのオチを回避して、ワタクシは大満足でございます。見るなら絶対4Dで!


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