ケイケイの映画日記
目次|過去|未来
いや〜、良かった!評判が良いようなので、観てきました。本当は全然期待していなかったのに。世間の中間層以下でもがく私たちや、仕事を持つ多くの人々の胸に、幾度となく繰り返す鬱憤に、この作品の主人公赤松(長瀬智也)は、たった一人で立ち向かうのです。これが共感せずにいられましょうや。監督は本木克英。
赤松徳郎(長瀬智也)は、社員80人の運送会社の二代目。苦しい経営に、先代からの番頭的存在の宮代(笹野高史)から、整備部門の社員のリストラを迫られています。そんな時、運転中の赤松運送のトラックのタイヤが外れ、息子と二人歩いていた母親(谷村美月)に直撃。彼女は死亡します。警察の査察が入り、事故車を販売するホープ自動車の調査は、赤松運送の整備不良と断定。世間からのバッシングや、得意先や銀行からの取引停止で、四面楚歌の状態に苦悩する赤松。しかし、宮代の持ってきた新聞記事の切抜きには、同じホープ自動車で、赤松運送と全く同じ事故がありました。単独調査により、徐々にホープ自動車のリコール隠しを確信する赤松は、大企業に向かい告発する決意を固めます。
どこでも実名で書いてあるから、いいのかしら?実話が元で、ホープ自動車のモデルは三菱自工。この事件の事は、本当にびっくりも怒りもしたので、とても良く覚えています。池井戸潤の原作です。企業小説で大人気の作家さんで、TBS系でたくさんドラマ化もされています。長尺の原作は連ドラ向きのはずですが、きちんと整理された脚本で、登場人物は多岐に渡るのに、それぞれの立ち居地がきちんとわかり、顔も認識できて混乱しません。展開も淀みなく、起承転結や山場のメリハリも出来ており、まずそこに感心しました。そして、誰が観ても、内容が解りやすい。ほどほどに登場人物の心情を掘り下げ、ナレーションに頼る事もしない。地味な部分ですが、完成度は高いです。
私が印象に残っているのは、週間文春や新潮がモデルのような雑誌で、リコール各誌の記事が没になってしまう下り。ホープ自動車は、財閥系のホールディング形式の会社の一つ。横槍が入り、グループ企業全てが広告を止めたら、雑誌が立ち行かないのです。想像付きそうなもんですが、私は描かれて初めて気がつく体たらくでした。巨大企業の権力の一端です。
かと思えば、系列銀行に有能で冷静沈着な行員(高橋一生)が居れば、融資は受けられない。なぁなぁで仕事が出来るほど、銀行は甘くないって事ですね。高橋一生は冷静沈着ですが、冷徹な印象はなかったです。悪代官のような行員、人間味のある行員、様々な銀行員が出てきて、リアルに感じます。
しかしこの作品の高評価の一番のポイントは、歯が立たない相手である大企業に、弱小会社の社長が、たった一人で立ち向かった事です。赤松が長い物に巻かれなかったのは何故か?運送屋として、社長として、人間としての誇りです。
赤松運送は取引先に屈辱にまみれ、頭を下げる。ホープ自動車内では、真に会社を思い内部告発をすれば、閑職や左遷に追い込まれる。世の中のあちこちで見かける情景です。怒りを胸に押し殺し、理不尽な要求に頭を下げた経験のない人は、いないでしょう。しかし赤松は、一筋の光さえ見えれば、全国を走り回り、リコール隠しの証拠を集めます。家族や社員を守り、被害者遺族に真実を伝えたい。それが赤松の人としての誇りであったはず。
一本気な赤松ですが、彼を慕い、たくさんの社員が倒産になるまで付き合うと言う。妻(深田恭子)も最大の理解者です。窮地には、その人の今までの生き方や人望・人徳が出るものです。そしてそれが、その人の支えとなる。たった一人と書きましたが、彼は一人ではありません。無念の思いで辞める社員を詰ることなく、「悪かった」と謝る赤松の姿は、顔の見える中小の社長として、立派だったと思いました。
主演の長瀬は、当初こそ中小企業の社長には見せませんが、だんだん社員思いの「親父さん」に見えてくる。決して上手くはないのですが、熱演だし存在感は抜群です。存在感と言えば、笹野高史。赤松に忌憚なく物を言い、叱咤激励を繰り返しながら、赤松に付いて行きます。良い意味で自分の身の程を知り、置かれた場所で最大限の力を発揮する姿は、大企業で働く人たちに引けを取らず、とても素敵でした。提案から間髪入れずの、「お幾らですか?」は良かったなぁ。
ビリング二番手のディーン・フジオカは、私は映画の彼は初めてで、アップになる度、まぁ男前だわと感激(笑・←長瀬智也的バタ臭い男前より、ディーンのような、お公家さん的顔が好き)。可もなく不可もなくでしたが、映画は足を運んで貰ってなんぼ。全体にドラマ版の演技巧者たちより、華と旬を取ったキャスティングでしたが、私は良かったと思います。
私の父は現在91歳。今は五人目の情の濃い優しい奥さんに手厚く世話をしてもらい、悠々自適です。私が子供の頃の父は、業種は違いますが、一代で赤松運送のような会社を経営しており、ちょうど事務所はあんな感じで、「社長室」もあんな感じ。とても懐かしかったです。今思えばタコ部屋でしたが、地方からの従業員のため寮もあり、三食付。家族持ちには社宅もあり、社会制度が確立していない45年以上昔の中小には珍しく、社会保険・厚生年金・労災も完備しており、株式にもしていました。
父の痛恨は、笹野高史みたいな番頭さんがおらず、私の母や自分の息子たち(私の異母兄)と険悪であった事。あんなにお金がざくざくあったのに、本当に徐々に衰退していき、最後は廃業。片や夫の実家は赤貧洗うが如しだったのが、両親の愛情たっぷりに育てられた4人の子供たちは、働くようになると、金銭的に両親を支えるようになります。姑はいつも「子供のお陰で、昔を思えば今は大金持ちや」と笑っていました。家族が元気で仲良く笑っていれば、何とかなる。これが両方の両親から得た、私の教訓です。
周りにはロクな人がおらず、窮地はいつも一人でくぐってきた父。本当に人徳のない親父やでと思っていましたが(そして五回も結婚している、子供にとっては、はた迷惑過ぎる親)、「社員や家族を必ず守る」と宣言した赤松を見て、父もそうだったのでしょう。偉かったのだと今更思いました。それが晩年の今の平穏に繋がっているのだと思います。人生とは、誰にも等しくプラスマイナスですね。
現在膝を痛めて、絶賛リハビリ中の毎日でして、鑑賞の当日は仕事休みでしたが、梅雨の晴れ間に布団を干し、タオルケットを洗い、シーツを洗い、病院に駆け込み、スーパーに買出しに行くと、実はこれしか時間が合わなかったんですね(笑)。優先順位下位でしたが、ふらっと近所のシネコンで見たのが、ヒット。遠出して小難しい映画もいいのですが、近場で気軽に元気を貰う。映画の醍醐味の一つだなと、再確認しています。
この作品大好き!観てだいぶ経つのですが、今年の私のベスト10に必ず入れようと思うので、少しでも書いておきたいと思います。サンフランシスコはサクラメントの、平凡なハイスクールの女の子のお話が、こんなにも笑って笑って、胸に染み入るなんて。監督は女優でもあり、私のご贔屓のグレタ・ガーヴィク。
2002年のサクラメント。大学進学間近のクリスティン(シアーシャ・ローナン)は、根拠もないのに自意識過剰で、親のつけた名前を嫌い、周囲に「レディー・バード」と呼ばせます。口煩いママ(ローリー・メトカーフ)とは折り合い悪く、いつも口喧嘩ばかり。それでも親友のジュリー(ビーにー・フェルドスタイン)との毎日は楽しく、イケメンの彼氏ダニー(ルーカス・ヘッジス)も出来ました。後はこの閉塞的な田舎町を脱出して、NYの大学に進むだけなのですが、一騒動待ち受けていました。
彼女たちの日常は覚えがあります。派手なグループを遠めに見ながら、自分と似た子たちと浮かず沈まず、泳いでいたあの日々。あぁ懐かしい。箸が転んでも笑い、男の子への好奇心もいっぱい。友達が入れ替わる時の悪気のなさと寂しさ。男性教師への恋心(これはジュリーね)。でも何か足りないと焦る気持ち。そして親との葛藤。
冒頭、ラジオの「怒りの葡萄」の朗読に、同じように涙する母と娘。楽しくドライブするかと思いきや、その直後の空気の悪さとクリスティンの行動と言ったら(笑)。いやいや、見ている分には面白いけど、親からしたら、トンでもない娘ですよ。
パパ(トレイシー・レッツ)がリストラに遭い、看護師をしているママは、クリスティンの大学は地元にして欲しい。しかし娘は優しいパパに懇願して、奨学金の手筈を整え、NYの大学を目指す。これだけ見ると、自立心旺盛な娘が正しい。でも私が感慨深かったのは、ママをただのわからず屋ではなく、状況を浮かび上がらせて、愛を持って描いている事です。
だらしなさを咎める母に、「ママだって親に口煩く言われて、嫌だったでしょう!」と口答えするクリスティンに、「私のママは酒びたりだったわ」と返事をします。あぁ、そうなんだ。結婚した夫は、ユーモアと誠実さを兼ね備えた良き人ですが、リストラに怯える甲斐性なし。養子の長男ミゲルは、有名大学を出たのに、フリーターの日々で頭が痛い。でもママは、育った家庭でそれ以上の苦労をしていたのでしょう。自分が頑張って家庭を守る方を選ぶ。だって看護師としてフルタイムで夜勤まで入ってるんですよ。家族を捨てて、一人になる方が気楽でしょ?
パパはその気持ちをわかっていたと思います。でも一番解ってほしかったのは、クリスティンのはず。だってこの家庭で、ママと唯一血が繋がっているのが、彼女。そして同性。解ってくれたっていいじゃないの!と、ガミガミ口煩くなるのもわかるのです。四六時中お金の算段で頭が痛いはずなのに、なけなしのお金で整えるクリスマスプレゼントに、家族に捨てられたミゲルの彼女の分まである。ここで泣いたのは、私だけかなぁ?あと、空港のシーンでも、ママの気持ちが痛いほどわかり、滂沱の涙でした。
と、観ながらうるうるしているのに、娘は自分の事で頭がいっぱい(笑)。優しいダニーの、とある秘密に激怒し振った後、スクールカースト上位のジェナに、お金持ちと偽り近づき、首尾よくカイル(ティモシー・シャラメ)をゲット。しかしこれが顔だけの不誠実なバカで、念願の初体験が大失敗。努力と見栄と恥の日々(笑)。しかしクリスティンが、「私はプロムに行きたい」ときっぱり言い放った時、それは彼女の見栄と恥の日々は、自分と確認するのに、無駄ではなかったと感じました。
私が感嘆したのは、女の子のこの手の顛末を描くと、ペーソスだけになりがちなのに、笑いも元気も盛りだくさん。気にすんな、頑張れよ!と声をかけたくなりました。女優としての監督の持ち味が、生かされていると思います。
一人NYに出た彼女が、名前を尋ねられて、どう答えたか?親と離れ、親に感謝出来た、これからがあなたの人生のスタートなんだよ。傷つけば、羽を休めに、サクラメントに帰りなさい。パパとママが温かく迎えてくれるはず。その時、嫌で嫌で仕方のなかったサクラメントから、違う風景も見えるはず。アメリカの女の子物語は、青春を描きながら、親への感謝がいっぱい詰まっていました。
是枝裕和監督が、カンヌでパルムドールを取った作品。私はカンヌ受賞作とは、あまり相性が良くないので、今回も期待値を下げて観ました。貧困・擬似家族を通じて、幸せとは何か?と、問うた作品。演技陣は大人から子供まで素晴らしかったですが、私は安藤サクラに釘付けでした。パルムドールより、彼女に賞を取って欲しかったなぁ。感慨深い描写、好きな描写も多々ありますし、手放しで絶賛ではないですが、秀作でした。
近代的な高層マンションや建売り住宅の谷間に、ポツンと残された古い平屋の一軒家。そこには母初枝(樹木希林)と息子治(リリー・フランキー、)妻信代(安藤サクラ)、信代の妹亜紀(松岡茉優)、孫の祥太(城桧吏)が住んでいました。日雇いの治、クリーニング工場にパート勤務の信代、そして初枝の年金で暮らしている一家は、足らない分は、何と万引きで調達していました。ある夜、万引きの仕事を終えた治と祥太は、団地のベランダに放りだされているユリ(佐々木みゆ)を見かけます。同情した治は、ユリを連れて帰ります。一晩だけと思っていたのが、ユリの両親の壮絶な夫婦喧嘩を見た信代は、ユリを我が家で面倒みようと決めます。
前半はもう疑問がいっぱい。初世の年金は11万ちょっとと、引き出した時言っていましたが、年金の振込みは、二ヶ月に一度。健康保険や介護保険を抜いて、月五万ちょっとくらい。治の日雇いで、少なく見積もって15万。信代のパートで8万くらいかな。合計28万。実際はもっとあるでしょう。祥太が学校へ不登校ではなく、通学していないらしい、親をお母さんお父さんと呼ばないなど、この辺で血の繋がった親子ではないと想像されます。設定は知りませんが、憶測ですが、健康保険・年金・税金など、滞納しているのじゃないかな。30万近くが全部使える。これ、貧しくないでしょう?それで万引きするわけ?シャンプーやカップラーメンが買えないの?そして絶句するくらい、家が汚い。
抜本的なリフォームは無理としても、ゴミ屋敷みたいな家を、片付ける事は出来るでしょ?畳を変えるお金がなきゃ、安い上敷きでもいい。去年新調しましたが、私は襖紙はホームセンターで買ってきて、自分で張り替えていました。とにかく汚い汚い汚い!見ていて体が痒くなりそうです。これだけいい大人が雁首揃えて、このだらしなさ。子供は学校に行ってないわ、可哀想だからと、役所に相談するでもなくゆりを住まわしてしまうわ、失礼ながら、その低能さに、呆れてしまいました。
なので、信代も虐待されていたので、ユリが手放せないのだろうと言う推測も、センチメンタルな音だけの花火鑑賞、お婆ちゃんも連れての楽しい海水浴(そして子供の水着も万引き)など、貧しくても楽しい我が家なんですよ、絆も強いんですよと、これでもかと見せられても、はいそうですよねとは、絶対私は言えません。こんなの、足を引っ掛けられて躓いたら、もう一巻の終わりじゃないかと、段々腹まで立ってくる。あまりに刹那的な生き方です。しかしここまでを描く間に、徐々にこの人たちは家族ではなく、赤の他人同士だと種明かししていくと、私の感想も変化していきます。
土方仕事での事故後、それなりに治癒している風なのに、仕事に行かない治。クリーニング工場をリストラされて、次を探さない信代。二人の過去が明るみに出ると、頷けるのです。この過去を持ち、仕事を探すのは至難でしょう。ひっそり世間から隠れて生きたかったのでしょう。初代と亜紀の間からも、私はお金ではないと思います。風俗店に勤める亜紀の源氏名の由来を知った時、この子の屈託を知りました。初代と亜紀は、愛する人から、「俺の人生にお前は要らない」と言われる絶望を味わった者として、同じ哀しみを共有していたのじゃないかな?
私が古くて狭い団地の我が家を、片付け飾り、少しでも暮らしやすいようにと励むのは、お金のあるなしではなく、明日も平穏で楽しい日をと言う、希望を持っているからなんだ。この人たちは、その希望を持たないから、あの汚い家が気にならないのでしょう。傷ついた自分の人生の立て直し方を知らないまま、今に至った人たち。確かに甘いと思います。その甘さから、祥太やゆりを慈しむ事で、逃避していたと感じました。
しかしラスト近くで、祥太が「わざと捕まった」と、治に話した時、また私に違った感情が生まれました。祥太が「絆」を断ち切ったのです。「あいつ(ゆり)も万引きを手伝わないと、うちに居ずらいだろう」と、子供の「役に立ちたい」と言う感情を自分勝手に解釈する治と、「妹には万引きさせるな」と祥太に告げる、駄菓子屋店主の柄本明では、どちらが正しいか、明白です。学校も行けない劣悪な環境で、祥太が正しい方を選択出来たのは、彼を慈しんだ、治や信代がいたからじゃないか?大人たちが、心から彼を愛したのは、本物だったのだと、私は感じます。治と信代は、これ以外愛する術を、知らなかったのでしょう。祥太の取った行動は、結果的には、自分を愛してくれた人を、救ったと思います。
安藤サクラは、自分の赤ちゃんを連れての撮影だったとか。「母性と母乳を溢れさせて演じた」との事ですが、これは名台詞だな。信代からは、子供のいない女性の、切なる母性がほとばしっていました。祥太からお母さんと呼ばれず、池脇千鶴から、あなたは彼の何なのか?と問われ、「何なんでしょうね」と答えられず、苦悶とも哀しみとも取れる絶品の表情に、涙を誘われました。 私は祥太の、「出来損ないの愛しい母」だったと思います。
手放しではないのは、現実はもっと堅実だからです。夫が56歳の時、当時の職場が廃業になり、何とか再就職するも、給料は激減、朝は7時に出て行き、帰宅は午後10時過ぎ。38度の発熱でも休めず、雇い主からはパワハラに遭い、どんどん鬱に向かうのがわかりました。社会人になった息子三人を集め、これこれしかじか、お父さんには辞めていいよと言うつもり。すぐには次は見つからないだろうから、暫くあんたたちに、金銭的に頼りたいと言いました。長男が二つ返事で、「今まで両親で俺ら三人を養ってくれてたんやから、子供三人で両親を養うのは、わけもない事。お母さんも働いているんやし、お父さんには充分休んで貰って」と言い、次男三男も頷いています。あの時ほど、自分が育んできた家庭が肯定されたと感じた時は、ありませんでした。「あんたから、お父さんにその事言って。きっとお父さん、喜ぶから」。
息子たちから力を得た夫は、次の日自分から三行半を叩きつけ、その三日後には、今の職場が見つかりました。勤めてもう7年になります。なので息子たちからは飯代以上は取れずじまい。ちょっと惜しかったかな(笑)。
その他、私の友人は、ご主人が重大な後遺症の残る病気になり、家業は廃業。友人は介護で働けません。その時結婚の決まっていた長男が、結婚を延期して両親を養い、去年友人が前倒しで年金を受給するようになって、めでたく結婚。今は先に結婚している次男と共に、親を援助しているとか。
別の友人も、ご主人とも大病に罹り、現在は健康を維持していますが、年齢を考えた次男が、「援助するから、もう隠居したら」と言ったのだとか。「旦那さん、喜んでたやろ」「うん。あいつ、なんぼ給料貰って、偉そうな事言うてんねんやろなぁて、嬉しそうやったわ」。最近では長男次男寄って、親の行く末を相談しているようだとか。
この手の世間一般から「美談」と取られるお話は、私の周囲にはゴロゴロあります。私たちは貧困ではなかったけれど、皆々裕福ではありませんでした。貧困に落ちない様に、必死で夫婦で、片親で頑張って来た者ばかりです。それもこれも、立派ではなくても、子供を税金や年金の払える普通の社会人にして、世の中に送り出すためです。だから親も、子供に顔向け出来ない事は、絶対出来なかったのです。その立場から言うと、例え万引きを子供に教えても、この家族の笑顔が素晴らしいと取られると、それは「違う」と言う他、ありません。まぁ監督の意図も、それではないと思われますが。
先行上映で観た私の感想は、このようなもんです。週末どんな感想が飛び交うか、楽しみです。
。
大好きなウェス・アンダーソン監督のストップモーションアニメ。実は私はワンコが苦手。及び腰ながら、ウェスのためならエンヤコラの鑑賞です。珍妙な作品ですが、とっても面白かった!ちょびっと感動までしてしまい、やっぱりウェスとは相性がいいんだわと、再確認出来た作品です。
近未来の日本、メガ埼市。蔓延するドッグ病対策として、小林市長は市内の全ての犬を、「犬ヶ島」に追放すると発表。今まで幸せに暮らしていた犬たちは、突然の事に右往左往している時、小型飛行機が島に墜落。乗っていたのは三年前の新幹線の事故で両親を亡くしたアタリ少年。現在彼は、遠縁の小林市長の養子です。アタリは、事故直後から自分を守ってくれた護衛犬のスポッツを救い出すため、一人この島へ来たのでした。アタリの犬となった五匹と共に、スポッツを探しが始まります。
日本の情景がそこそこきちんと描かれていて、感心しました。ちょっと昭和懐かしい風景が郷愁を誘い、いい感じです。市長の入浴シーンは、お決まりのゲイシャ・フジヤマの雰囲気でしたが、あれはニッポンのイメージを盛り上げる為に、わざとじゃないかなぁ。欧米なら、ジャグジーに美女みたいな。
音楽は今回もデスプラ。ただのオリエンタル趣味じゃなくて、ちゃんと日本人にも納得の出来だと思います。ところどころの太鼓の挿入も気分が上がります。
「だれそれの犬」と言う表現は、服従を誓わされた卑屈は人に向けられる表現です。ですがこの作品での、アタリが「今日からお前たちは、僕の犬だ!」(五匹に向かって)、「私はあなたの犬です」(アタリと初対面の時のスポッツの独白)など、飼い主である人間と、飼われた犬との幸せな間柄が滲むのです。五匹の犬たちが、アタリを「主人」と決めたのは、誰一人自分たちを救いに来た飼い主はいないのに、勇敢にもアタリがたった一人で乗り込んできたから。
犬より上の存在である人間には、犬を守り、リーダーシップをとって、犬本来の力を発揮させる義務と責任があります。アタリはそこに、犬への「愛と誠意」が満ち溢れているのですから、犬たちが忠実に彼に付いて行くのは当たり前です。これ、人間だけの世界でも当てはまる事ですね。昨今の世相を見ても、リーダーによって、状況は180度変わります。
五匹の中で、唯一野良だったチーフ。彼だけアタリに付いて行くのに懐疑的でしたが、孤高の様子の彼は、実は臆病で孤独に苛まれていたのです。その孤独が取り除かれた時、真に勇敢で忠実な、犬本来の姿が現れます(←ここで感動して泣く)。真の孤高は、孤独を超えたところにあるんですね。
ドッグ病には、小林市長の犬への積年の恨みと言う裏があります。お仲間の横には、これもペットとしては太古の昔から犬の宿敵の猫が。どれもこれも、めっちゃ性悪そうな顔(笑)。猫のペット数が犬を抜いたと読みましたが、この描き方は、犬派の監督の、一矢報いたい気持ちなのかも?(笑)。何となく微笑ましくて、笑ってしまいました。
先住犬には先住民族を投影し、外野からの客観的な目の必要性が重要と説く展開も良いです。外野がアメリカなので、いらぬお節介とも取れますが、ここは監督に免じて「第三者委員会」と取りましょう。ラストは正義は勝つ!の大団円で、とてもスカッとします。
犬好きさんへの言い訳になりますが、私は犬だけではなく猫もダメ。と言うか、動物全般苦手です。でも嫌いと言うわけではなく、怖いのです。何故だか解りませんが、物心ついてから、ずっとです。離れて観られる動物園は大丈夫。だから離れているなら、犬も猫もOK。代わりに爬虫類は全然大丈夫!(笑)。
寝起きに犬に囲まれていたなら、もう一度気絶する事必死な私ですが、もしかして犬が苦手なのは、人としての幸福の一部を放棄しているのかなぁと、今回初めて感じました。この感情は、CGでもなく実写でもなく、手のかかるクレイアニメで、丹精込めて作った制作に携わった人々全ての思いが、私に伝わったからだと思います。犬好きさんは、必見の作品
|