ケイケイの映画日記
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2017年06月28日(水) 「ハクソー・リッジ」




主演がアンドリュー・ガーフィールドなので、「沈黙」の神父ロドリゴが、輪廻転生して、この作品のデズモンド・ドスに生まれ変わったのかと、錯覚しそうになりました。この作品のドスも、信心深いキリスト教徒ですが、信仰よりも、人としての信念や、彼自身の固有の誇りを描いていたと思います。素晴らしい作品。監督はメル・ギブソン。実話が元の作品です。

第二次世界大戦末期のアメリカの片田舎に暮らすデズモンド・ドス(アンドリュー・ガーフィールド)。キリスト教の信仰心篤い彼にも、看護師のドロシー(テリーサ・パーマー)と言う恋人が出来ました。しかし、周囲の友人や弟が、次々志願して軍隊に赴く中、彼も良心的兵役拒否をしていた彼も、ついに志願します。衛生兵を望んで志願したデズモンドですが、そこには厚い壁がありました。

前半はデズモンドと周囲の環境を描きます。純朴なれど少々風変わり、だけど好感の持てる彼の人隣が上手く描けています。軍隊に入ってからの、ただの変わり者ではない、信念を貫く様子に、理解が深まりました。デズモンドの良き理解者ドロシーとの初々しい逢瀬、酒びたりの父(ヒューゴ・ウィーヴィング)の哀しみはどこから来るのか?ここも簡潔ながら、しっかり印象付けます。

幼い時の弟とけんかした時に聞かされた、「人殺しは神が一番悲しむこと」と言う言葉。適切な処置で隣人を病院へ運んだ際の、医師からの「君は彼の命の恩人だ」の言葉。兵役拒否者だったデズモンドが志願した事に、この二つは深く関わっていると思います。彼は人を殺すのが戦争なら、自分の戦争は、人の命を救いたいと言うのです。

訓練で銃を手に取らないデズモンドに、手を焼く上官のグローヴァー大尉(サム・ワーシントン)とハウエル軍曹(ヴィンス・ヴォーン)。殴る蹴るではなく、軍隊式正論でデズモンドを追い詰め、精神疾患で厄介払いしようとするも、玉砕。連帯責任で班の兵隊まで休暇が無くなり、辛らつな苛めにあっても、根を上げない。いや、これは周りの人たちが大変だわと、本当に思いました、

しかし、この辺から大尉や軍曹、同僚たちは、デズモンドを見る目が変わってきます。大尉の太陽作戦は、私は本当に彼を心配しているように思いました。臆病者扱いされていたデズモンドですが、そうではない彼の気骨を、周囲は感じたのでしょう。出る杭は打たれるが、出過ぎる杭は打たれない。デズモンドの信念は、周りの人も変えたのですね。

軍法会議までかけられた彼を、誰が救ったか?それは、デズモンドが銃を持たない信念のきっかけを作った人。お陰で彼は、衛生兵として、戦場デビュー出来ました。因果や因縁ではなく、これは人と人を繋ぐ絆ではないかと思います。

後半の戦場シーンは、とても凄惨ですが、私は免疫があるので、それほど観るに耐えなくもない。良いのか悪いのか(笑)。場所は沖縄。日本人兵士が悪役として映っているのが辛い、との感想もありますが、私は公平に撮っていると感じました。ゾンビのようだったのは、アメリカ兵も一緒です。戦地へ赴いての最初、大尉の「敵は死に物狂いでくる。死を恐れていない」の台詞は、効果的でした。史実として、ここで沖縄は負けているのはわかっています。敗戦目前だったのですから、これも当然です。むしろ、敵を称えているかと思います。これで日本を悪く描かれていると感じるのは、観る人にバイアスが掛かっているいるのかも、知れません。

昨今の戦争映画のセオリーは、戦争に英雄なしです。しかしこの作品には、明確な英雄がいる。銃を持たず、人を殺すことが目的の戦場で、危険を省みず、敵味方なく75人の命を救ったデズモンド。その原動力は、彼が必死で祈ったときに聞いた、「神の言葉」でした。神の言葉は、神が発するのではなく、人間を通して発することもあるんだと、このシーンは、本当に本当に感銘を受けました。以降の自分の人生に生かしたいと思ったほどです。彼があと一人、あと一人と、助けに行く姿に、ずっと泣いていたように思います。それは彼が神でもなく、神々しくも無い、ただの好青年だったからです。神に選ばれた人ではなく、デズモンドが自分で選んだ道だったからです。

この作品は、優れた反戦映画であると共に、現代にも反映して観る事が出来ます。隊の皆が、変わり者のデズモンドを理解し、特性を尊重したからこそ、生還できた人がたくさんいるわけです。そこを噛み締めたい作品です。


2017年06月21日(水) 「怪物はささやく」




鑑賞後、胸がいっぱいになり、この作品は是非小中学生の子達に観て欲しいと思っていたら、原作は児童文学でした。なるほどなぁ。遠い遠い昔の、自分が子供であった頃から現在まで、あらゆる感情が引き出されて、鑑賞後は魂が浄化されたような心地になるダークファンタジーです。監督はJ・A・バナヨ。

墓地の見える家に、母リジー(フェリシティ・ジョーンズ)と二人暮らしの13歳のコナー(ルイス・マクドゥーガル)。母は病で臥せっている上、学校ではいじめにも遭っています。病状が捗々しくない母は、コナーの今後を思案します。コナーは別れた父(トビー・ケベル)と暮らしたいのですが、父はコナーを愛するも、今は別の家庭があるからダメと言う。自分とはそりの合わない祖母(シガニー・ウィーバー)が引き取りたいと言うので、コナーには色々憂鬱な日々です。そんなコナーは、夜中の12時7分に、よく夢を見ます。その夢には怪物(声リーアム・ニーソン)が出てきて、三つのお話が終わった後、コナーに真実のお話をしろと言います。

怪物のお話のアニメーションが素敵です。影絵に色をつけたような作りで、展開ごとに水が流れる如くの技法で、とても流麗。内容は、世の中の矛盾を突いたお話でした。皆々様々な顔を持ち、人間は白黒だけで区別はつけられないと言う内容。子供には少々難しいお話ですが、これがコナーの日常にリンクし、心を内省する手立てになります。

幼い時分、親が死んだらどうしよう?と思った事が、誰でもあるはず。私は父もいたし、母方の祖母や叔母も回りにたくさんいたのに、母は皆が私と妹の敵で、あなたたちをお母さんが守っているのよと、呪いのように言い聞かされていました。母が居なくなると、自分には絶望しか残らないと思い込んでいたので、コナーの苦痛は本当によく理解出来ました。

自分を気遣う父に対して、僕を愛しているなら、何故一緒に住めないの?それは愛していないからだと、断罪するコナー。パパは弱い人なのです。孫に愛情があるのに、厳格に対応するお祖母ちゃん。だからコナーは愛情が感じられない。多分、祖母は娘であるリジーとも、このような関係だったと思います。靄がかかって、コナーには父や祖母の本当の姿は見えてこない。

上手くいかない孫との関係に悩み、幼い頃のコナーのビデオを観て、心を落ち着かせようとする祖母。この光景を見たコナーには、怪物のお話を思い出したでしょう。

子供の頃、大人の隠し事には気がついているのに、知らんふりをしていた事はないでしょうか?そして自分も親に対して隠し事があったはず。なのに、自分が親になったら、その事はさっぱり忘れて、子供の事は何でも知っていると思い込む。親とは傲慢な生き物です。子供の成長過程で、その傲慢さを突きつけられ、親も成長していくのです。しかしリジーには時間がない。

毎夜の夢は、私はコナーの想念だと思います。自分の心と向き合う事は、大人でも辛く、勇気が必要です。だから、心の底に蓋をする。その蓋を開けたのは、母の必死の祈りであったのだと示すラスト。彼女は自分の死を、息子に背負わせたくなかったのだと思います。そして、自分の亡き父にも手伝ってもらう。二回出てきた写真に映る人物を見て、沿う思いました。病の床に臥した娘を心配したのでしょう。見守るのは、現世の人間だけでは、ないはず。

厳しい環境に身を置く子供たちへ。私も善き思い出の少ない家庭に育ちました。自分を不幸だとは思っていなかったけど、今は絶対幸せじゃない。でもせっかく生まれてきたのだから、あぁ幸せだと実感出来る暮らしがしたいと思いました。なので早く大人になって、自分の幸せを探そうと決心していました。両親の不和・震災で親を亡くした・貧困である・いじめに遭っている。子供である事で、辛く哀しい思いをする子は、たくさんいます。あなたただけじゃない。子供が子供を満喫していると思うは、大人がそう思いたいからです。辛さの代わりに、子供である事で、夢と希望は、大人よりたくさん持てます。自棄になったり、非行に走りそうになったら、この作品のコナーを思い出して欲しい。自分の心の底の声に耳を傾けて。そして必ず、「普通の大人」になって下さい。「先輩」として、心の底から祈っています。


2017年06月14日(水) 「20センチュリー・ウーマン」




この作品の監督マイク・ミルズの前作は、自身のお父さんを描いた「人生はビギナーズ」。そして今作はお母さんを描いているそうな。鑑賞後、「人生はビギナーズ」を未見な事を、ものすごく残念に思いました。多分鑑賞済みの方は、私以上にあちこちリンクするものを感じていたと思います。シングルマザーの憂鬱を共感を持って描き、私が日頃母親にとって、一番大切な事と感じている事に落としてくれて、とても嬉しかったです。素敵な作品。

1979年のアメリカ・サンタバーバラ。シングルマザーのドロシア(アネット・ベニング)は、一人息子の15歳で反抗期のジェイミー(ルーカス・ジェイド・ズマン)の養育に手を焼いています。そこで間貸ししている若い女性のアビー(グレタ・ガーヴィク)と、ジェイミーの幼馴染で、17歳のジュリー(エル・ファニング)に、子育てを手伝って欲しいと頼みます。そこに同じく間貸ししている独身男性ウィリアム(ビリー・クラダップ)も取り込んで、母子のひと夏のお話が始まります。

私から見ると、何ら問題のない息子なんですが(笑)。これも子育てが終わったから、感じる事ですかね。まず一人息子と言うのは、親に取ってかなりの強敵。子供が一人の方が楽で良いと思われがちですが、これは大きな間違いです。うちは息子が三人なんで、一人何かやらかしても、気持ちが分散しているので、怒鳴り散らして終わってしまう。仕事して、家事して、とにかく時間がないので、子供の動向には気を配るけど、自分の母としての憂鬱にまで、頭が回りません。深追いできず、これが結果的には良かった。

私もドロシアの立場なら、些細な事も引っかかり、穏やかではいられなかったでしょう。そして息子も、家庭に置いて、自分の内なる屈託を発散させる場所がない。上二人よりだいぶ年の離れた三男曰く、「兄ちゃんたち、よくお母さんの事”クソババア”と言ってたで」。いやいやアンタも言ってたはず(笑)。クソババアを分かち合えるガス抜き相手がいる事で、私は面と向かって言われた事は、ありません。

そして父親不在。娘なら昔通った道程と、安穏としていられるでしょうが、例え親子でも、男女の間には深くて暗い川がある。そこでウィリアムに教育係を頼もうとしたけど、息子と合わなさそうなので、断念。そして女性二人に頼む。正直ここは、今でも不可解。ウィリアムは人柄がよく、申し分ないとまで行きませんが、充分合格点はあげられるのに。思うに、二人の方が自分に共感して貰えるかも?と、ドロシアは自分と同じ迷える子羊を、無意識に選んでしまったように感じました。

アビーは子宮系統の病気で、将来子供が産めないかもしれず、自分の女性としてのアイデンティティが揺らぎ、意味づけしないとセックスも出来ない。ジュリーは姉のようにジェイミーを世話しているようで、実際はジェイミーに依存していて、セックスする事で依存相手を失いたくなく、一晩添い寝しても、何もさせてくれない。要するに二人とも、面倒臭い(笑)。いやいや、もちろん理解できるし、切ないですが、男性のウィリアムが、彼もコンプレックスを抱えているのに、平素は全然そぶりも見せずない様子に、やっぱり女性の方が面倒くさいのかなぁと、思った次第。これは監督の価値観かも?

そしてドロシア。身持ち固く生活している彼女が、同僚男性から誘われて、にっこり応じるも、相手は「そうか。君はレズビアンじゃないんだね?」と問われ、顔を強張らせます。確か「人生はビギナーズ」は、年の行った父親に、自分はゲイだと告白された息子のお話。とすると、ドロシアの夫婦生活も、もちろんそこが絡んでくる。妻としては充分過ぎる程傷つくお話で、まだ傷は癒えていないようです。私は女性として否定された日々が、母親としての自信のなさに繋がるように感じました。

思春期のジェイミーを軸にして、彼を何とか成長させようとした周囲が、その事で自分自身の屈託に直面し、それを乗り越えていくお話と受け取りました。やっぱり問題の無い子なのよ(笑)。

名女優アネット・ベニングは、今回も大層素敵。私はこの人の、相好を崩すという表現がぴったりの笑顔が大好きで、ウィリアムが思わず年の離れた彼女のキスしてしまいますが、それは全てを温かく包むような、彼女の笑顔が素敵だったからだと思います。女子供がメインキャストの中、飄々と泳いでいたビリー・クラダップが、意外な存在感だったこと。黒一点が、案外風通しに貢献していて、彼がいなきゃ女ばっかりで、喧嘩していたかも知れないな、と思いました。

子育て本を出す人って、すごいなと私はいつも思います。私なんかその辺に転がっている母親で、偉そうな事は、何も言えないもん。私が子供に願った事は、優秀でなくても良いので、心身ともに健康で、税金と年金の払える大人です。自慢できるものなんて、なくても結構と思っていましたが、昨今の世相で「えっ?お宅息子さん三人とも正社員?すごいね〜!」と言われたりしますが(笑)。

私が一つだけ心がけたのが、子供も私も幸せでいられる子育てです。誰も犠牲にならず、心からの笑顔が出る暮らし。私が犠牲になればと思っているお母さん、その姿を見る子供は、きっと傷ついているはず。そう思わず、自分だけ幸せならば、母親も幸せだと思う子供に育ったら、その子育ては失敗だと思います。紆余曲折を経ての、息子の母親への魔法の言葉。それ以降のドロシアは、自信を持って笑顔いっぱいで子育て出来たと思います。

ラストに出てくる後日談が嬉しい。親になれば死ぬまで親ですが、子育てには終わりがあるもの。ドロシアはフィナーレの後に、自分自身の人生を楽しんだのですね。母親は斯くありたいものです。






2017年06月08日(木) 「LOGAN/ローガン」




好漢ヒュー・ジャックマンの当たり役、ウルヴァリン最終章。「X-MEN」シリーズは、飛ばし飛ばし観るくらいで、そんなにファンじゃないし、通常この手は飛ばすのですが、演じるヒューには特別な感慨があるだろうなぁと思い、観る事に。ラストはしっかり泣きました。観て良かったです。監督はジェームズ・マンゴールド。

ほとんどのミュータントが死滅してしまった2029年。不死身だったローガン(ヒュー・ジャックマン)にも死の影が及んでいます。今はリムジンの運転手として生計を立てている彼は、メキシコ国境沿いの隠れ家に、認知症の兆候が出ているチャールズ(パトリック・スチュワート)を介護しています。ある日メキシコ人看護師の女性から、ローラ(ダフネ・キーン)と言う少女を、ピアース(ボイド・ホルブルック)から保護して、目的地まで届けて欲しいと懇願されます。ローラはミュータントで、ローガンと同じアダマンチウムの爪を持つ少女でした。

静かに世捨て人のように暮らすローガンが、ローラを保護した事により、争いに巻き込まれ、壮絶な戦いに再び身を置く事になります。このしごく明瞭簡単な内容を、どんな語り口で描くか?そこがポイントですが、この作品は上手く組み立てています。まずR15指定なのを生かして、バイオレンスシーンが、わんさか。銃撃戦やカーチェイスなど省いて、スピーディーな身体を生かした戦いが主で、爪を生かした出血大サービス。「ウルヴァリン」を主張したアクションでした。

冒頭ローガン登場シーンは、あまりの老けっぷりに衝撃でした。そして、あのプロフェッサーXは認知症。黄昏感いっぱいの状況に、本当に切なくて。不死身を誇った彼らも、「人間」なのだと思い至ります。その姿にかつての華々しい姿はないものの、衰えた能力から必死でローラを守るローガンに、同じ目線で共感や応援してしまうのです。劇中引用される「シェーン」の台詞、ローガンたちには無縁だった、家庭の温かさを彼らに知らしめるマンソン一家との交流も、ドラマ部分を厚くします。マンソン家の当主は、私が大好きだった「ER」で、メインキャストの黒人医師ベントンを演じたエリク・ラ・サル。10年ぶりくらいに観たかなぁ。あんまり老けてなくて、とても嬉しかったです。

ダフネ・キーンは、劇中ほとんどニコリともせず。獣のような雄叫びを上げ、終始獰猛。しかしこれが、幼いながら非常にクールでカッコいい。顔立ちそのものは愛らしく、ヒットガールを演じて出世した、クロエ・グレース・モレッツくらいになって欲しいと、期待してます。

そしてヒュー。この作品を足がかりに、ハリウッドのメインストリームに躍り出ます。華やかなスター俳優でありながら、人柄の良さは、映画好きなら先刻ご承知の彼。彼曰く、ウルヴァリンは「僕のルーツ」なんだとか。当初は、何で当たり役のラストが、こんな地味な設定なの?と思いましたが、終わってみれば、ヒュー自身の謙虚で明朗な人柄と、「突然変異」で生まれたウルヴァリンの葛藤の裏の、真の人間性が絶妙にブレンドされ、ローラを守るため、渾身の力を振り絞るローガンに、胸が熱くなりました。子供たちからプレゼントされた姿は、「ヒーローのウルヴァリン、一生忘れないよ」の、メッセージのような気がします。

高評価が多いのは、17年楽しませてくれたヒューへの、尽きせぬ万感の思いがあるのでしょう。さらば、ウルヴァリン、ありがとう!



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