ケイケイの映画日記
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2016年08月29日(月) 「後妻業の女」




このお話に似た犯罪がありましたね。当時友人たちと、蜂の巣をつついたように、騒然となったもんです。「犯人67やろ?」「女て、幾つまで男騙せるねんやろか?」「パートなんか、やってる場合ちゃうでなぁ〜」。更年期に喃喃とする中、でもこれが終れば怖れていた老いが始まる、そんな時に起った、自分より一回り以上の年上の女性がお犯した、ザ・女の犯罪。断罪ではない、不思議な感覚に当時包まれたのは何故だったのか?この作品を観てよーくわかりました。監督は鶴橋康夫。

柏木亨(豊川悦史)の経営する結婚相談所に、長年通い続けている小夜子(大竹しのぶ)。二人はグルになって、高齢で病気持ちの資産家を見つけると縁組し、亡くなると財産を山分けを繰り返していました。今回のターゲットは元短大教授の中瀬(津川雅彦)。首尾よく中瀬をあの世に送ったものの、長女(長谷川京子)と次女(尾野真知子)には、公正証書を盾に全く遺産分けがない事に腹を立てた次女は、友人の弁護士(松尾諭)に相談。元刑事の探偵本多(永瀬正敏)が、調べる事になります。

散々流していた予告編通りの作品。実はもうちょい濃厚に作ってあるかと予想していましたが、品はないけど満タンのバイタリティ、金への飽くなき欲望、猥雑な中に高齢者の孤独を忍ばせ、手堅い作りと言う感じです。

男性はだいたい70歳以上、女性は50歳から60歳くらい。年をいっても男性は財力、女性は若さと容姿が決め手で進む熟年婚活。哀しいかな、若い時とちっとも変ってない。「趣味は読書と夜空を見上げる事。得意な料理は鯖の煮込み。私、尽くすタイプです」と自己紹介する小夜子は、熟年の可憐さの中に、はんなりとお色気も醸し出します。そして守ってあげたくなるような、可愛さがある。男はこの手に弱いだろうなぁと言う、典型です。一皮むけばアバズレなのに(笑)。

観ていて殺人も出て来るしね、二人の欲の深さに呆れながらも、何故か痛快な気分になるのですね。それは中瀬の長女・ハセキョーの台詞で納得しました。「そらやっている事はあかんで。でもな、受け身ばっかりで生きてきた私は、あんなに奔放に生きるあの人(小夜子)が、羨ましいねん」。

大人しい長女は、きっと家庭に全力投球で、夫や子供のため、日常を謀殺されてきたのでしょう。うんうん、わかるよ。私もそうやもん。私は21歳で結婚して、今年で結婚生活34年目。妻や母や主婦として、悔いのない生活を送ってきたけど、「女」としての私の人生は?男性にチヤホヤされ始めた頃に結婚。結婚前も結婚後も真面目に暮らし、男をたぶらかした事も騙した事も、不倫もなし。女の部分だけは、不完全燃焼で年食ってしまったのですね。

まぁ妻も母も「カテゴリー・女」の分野なので、そんなに欲求不満を抱えているわけじゃないんですが、この作品から感じる痛快感。小夜子は私より年上。件の現実の犯人も67歳。この歳になっても、男騙していいの?と、目から鱗なわけ(笑)。私も自分の欲望だけに生きる小夜子が、羨ましいのです。

小夜子は独白します。「私の欲しいもんは、みんな私から逃げて行く」。小夜子の背景は語られますが、それは30歳から。初婚がその年齢は、小夜子の年代にしては遅い。それまでの人生は、もしかしたら、苦渋に満ちていたのかしら?一見男好きが犯す犯罪のようですが、男好きが惚れた晴れたもなく、男をとっかえひっかえ出来るかな?充足できない心を埋める為、小夜子は一心にお金を求めたのかと、思いました。もしかしたら、描かれなかった自分の過去に、復讐していたのかも知れません。

ハセキョーは、「私らがお父さんをもっと構っていたら、こんな事にはならへんかったんと違うやろか?」と言います。ありがとうね、そこに気が向いてくれて。でも断言できる。娘がしょっちゅう構っても、お父さんは女の尻を追いかけます(笑)。だって子供には子供の人生があり、自分だけを見つめてはくれない。お父さんは自分だけを見つめて歩いてくれる、パートナーが欲しかったのよ。これは女性の高齢者でも同じじゃないでしょうか?小夜子は言います「あんたのお父さん、死ぬ前にええ気分にさせてやったん、私やんか。お金貰って、何があかんの?」。これが全財産ではなく、小金であったら、小夜子の言い分は正しいと思う。

ただ痛快から爽快にならなかったのは、やっぱり殺人があったから。脚色の段階で、変更してほしかったです。小夜子と次女のキャッとファイト場面も、もっと過激にして欲しかった。小夜子みたいな体張って生きてきた女は、自分に逆らうものには、あんなもんじゃないはず。

大竹しのぶが絶品。この年代の熟年女優は、風吹ジュンに高橋恵子、そして松阪慶子。少し下は黒木瞳に賀来千賀子と、まさに百花繚乱状態ですが、表の小夜子はともかく、裏の小夜子の凄みを出せるのは、多分大竹しのぶしかいません。トヨエツも胡散臭い金の亡者で、育ちの悪さ全開ながら、愛嬌たっぷりに柏木を好演。女に対するだらしなさは、あれは一生やな。そのうち小夜子みたいな女に引っかかるって(笑)。

ラストは否の感想が多いみたいですが、私は可。親指立てた柏木の満面の笑みに免じて、許そうじゃないか。ただしもう人は殺さんといてね。

小夜子63歳まで、たっぷり時間があるので、私も一つ、老け込まないように頑張りたいと思います。夫を見送った折には、男の一人も騙してみたいじゃ、ございませんか?(笑)。


2016年08月21日(日) 「17歳」(オンデマンドで視聴)




大阪は連日35℃超えで、ヘロヘロです。今夏絶対観たかった作品は観てしまったので、大人しくしています。その間オンデマンドで観たのが、「ディーパンの闘い」と「17歳」。両方観たかったのに、時間が合わず見逃した作品です。「ディーパン〜」もそこそこ良かったのですが、期待値の低かった「17歳」の方が素晴らしく、劇場で見逃したのが本当に悔やまれました。監督はフランソワ・オゾン。

17歳の進学校に通うイザベル(マリーヌ・ヴァクト)。両親の離婚後、医師の母と弟と暮らし、経済的にも何不自由ありません。6年前に母と再婚した義父とも、可もなく不可もなく接しており、特に問題があるわけでもありません。家族揃ってのバカンスで、ハンサムなドイツ人と一夜を共にしたあと、何事もなかったように、フランスに戻るイザベル。しかし彼女はその後、自分のサイトを作り、そこで売春の相手を探します。年齢はいつも年の離れた男ばかり。その中の一人の老人ジョルジュと懇意になった彼女ですが、ある日いつものように体を重ねていた時、ジョルジュが亡くなります。その事から、イザベルの売春が母に露見することになります。

とにかく主役のイザベルを演じるマリーヌ・ヴァクトが素晴らしい!心身のバランスが取れない思春期の少女の、獰猛で野蛮、そして幼さからくる純粋さを、余すところなく表現しています。いつも堅い服装、ノーメイクなのも、「売春する女子高生」のイメージからは程遠く、憂いのある美貌と相まって、一層イザベルをミステリアスに感じさせ、この造形もすごく魅力的です。

謎の売春行為をするイザベルですが、作中明確にその理由は明かされず、観る者に委ねられます。バージンの頃から、彼女に性的な欲望がある事は描かれます。しかし何人の男と体を重ねても、彼女は「全然良くない。でもまたすぐしたくなる」と、精神科医に答えます。それは愛情のあるセックスをしたことがないからなんだよ、と私は思う。彼女は好きな人とは、一度もセックスした事がない。

肉体的にも精神的にも渇きを癒すのは、イザベル的には売春だったのでしょう。そこには父性の不在もあったはず。欧米は離婚後も実の両親と頻繁に会う機会が豊富ですが、作品中娘の一大事なのに、実の父親は一度も姿を見せず。義父はイザベルには普通に接しますが、ケアは主に妻(イザベルの母)に向けられます。だから年の離れた男ばかり客に取ったのだと思いました。

母には、元々反抗的だったイザベル。思春期だと言う事を差っ引いても、イザベルの気持ちはわかる。ちょうど娘が難しい時期に再婚し、母自身も新しい夫との構築に気を配らなければならなく、娘の方にも手が回らなかったのでは?
職業的な忙しさもある。「金銭的には不自由させなかった」と警察官に語る母は、それが子供たちへのプライドだったのでしょう。セックスでお金を受け取るイザベルの価値観は、自分の美しい容姿と若さへの相手からの代償と思うのと、同じだと感じます。

何故だか親友夫婦にイザベルの売春を話した母。こう言う俗なところも、娘は嫌なのでしょう。親友がイザベルを警戒して、夫から遠ざけようとする。あろうことか、母までもイザベルの義父である夫を遠ざけようとする。監督、意地悪だなぁ。若さへの嫉妬ですね。これは「商品価値」がなくなったと自覚している彼女たちを、計らずも露呈させています。もう一度言います。この演出は意地悪だ(笑)。

もう二度と売春はしないと精神科医に語るイザベル。反省しているのではありません。「私がジョルジュを殺したから」と、初めて涙を見せる彼女。傷ついているイザベルにとって、ジョルジュは他の客とは違ったのでしょう。「好き」だったのですね。

その好意がどこから来るのか、ふとした事からジョルジュの老妻アリス(シャーロット・ランプリング)と会い、謎が解けました。「ジョルジュは元から病気だったのよ」と、イザベルを気遣うアリスの眼差しは暖かい。「私も昔あなたのようにしたかった。でも勇気がなかったのよ」と微笑む。あぁと腑に落ちる私。

アリスがジョルジュと出逢ったのは、17歳の時。ジョルジュは、若き日の妻を、イザベルを通して見つめていたのでしょう。それは実の娘とは違う、女性を見つめる愛情で。イザベルはその愛を肌を通して感じたから、ジョルジュが好きだったのです。

女性は灰になるまでと言うけど、本当かしら?私はセックスしている70歳の自分は想像できない。男性の方が、性的には煩悩が無くならないのじゃないかしら?妻が肉体的に夫の相手が出来なくなった時、若き日の自分に似た女性を求めた事は、妻を愛している証拠では?

本当は皮肉なはずなのに、幸福感を表す演出が本当に素敵です。それを体現出来たのは、ランプリングだからこそ。彼女の若き日の美しさが脳裏に焼き付いていて、本当に良かった。イザベルは才知と美貌に恵まれながら、自分の若さに弄ばれた子です。アリスがそうしなかったのは、ジョルジュの存在があったからと、アリスは噛み締めていたはず。

アリスと語り合った事で、イザベルの荒ぶる魂は今後収まるのだと私は思います。センセーションな題材で描いているのに、語り口が洗練されているので、決して下品ではなく品があります。これが日本だと、また事情が違うのでしょうね。危うい年齢の少女を描いた、フランスの素敵な青春ものです。


2016年08月11日(木) 「ターザン:REBORN」




大昔、クリストファー・ランバート主演のターザン映画で、「グレイストーク」と言うのがありまして、ターザン=グレイストーク卿と言う貴族で、こちらが原作に忠実と知りました。それでもターザンと言えば、「ア〜アァ〜」の雄叫びと共に、密林の王者として君臨するのが、今でもオーソドックスな認識のようです。この作品は、ちょうど中間かな?美形のアレキサンダーが主役なので、楽しみにしていました。普通に楽しめる娯楽作として、上々の出来だったと思います。監督はデヴィッド・イエーツ。

19世紀末のロンドン。現在は貴族のグレイストーク卿として暮らしているジョン・クレイトン(アレキサンダー・スカルスガルド)。かつて彼はターザンと呼ばれ、コンゴのジャングルで、猿に育てられた過去を持ちます。政府の要請で、妻のジェーン(マーゴット・ロビー)と共に故郷のコンゴに帰郷することになったジョン。しかしそこには、ベルギーの特使ロム(クリストフ・ヴァルツ)の仕掛けた罠が待ち受けており、ジェーンはロムに浚われてしまいます。

CGを駆使して繰り広げるアクションはダイナミックで、全く違和感がありません。動物たちも本物と見まがう出来です。ターザン物なんですから、ここの出来が良ければ、勝ったも同然(笑)。付随する内容も、文明批判、領地略奪、人種差別、奴隷性など、今も影を落とす問題に触れています。この触れ方が軽くもなく重くもなく、絶妙な塩梅。これがあるので、「見世物」的な印象を払拭しています。

見所はズバリ、ターザンのたくましさと、ジェーンとの深い夫婦愛です。アレキサンダーって、こんなに肉体美だったっけ?と思う程体は作り込んであり、これは絶対鑑賞ポイントです(笑)。ゴリラに育てられた記憶は、今は忌まわしいはずなのに、懐かしさを禁じ得ない。その様子が切ない。CGをふんだんに使っていますが、彼も傷だらけになったはず。頑張ってこなしていました。そう言えば、幼い頃の古傷が体にいくつもあって、芸が細かいなと思いました。

コンゴの密林で初めて出会った若き日のターザンとジェーン。二人をCGで若くしていたので、10代かな?ターザンに取ってジェーンは、妻で母で恋人で親友なのでしょう。何としても取り戻したいとの、溢れんばかりの妻への愛情が伝わってきます。ジェーンも一途に夫を信頼し、自ら状況を打破しようとする姿は、現代的。時折挿入される二人の情景が、とてもロマンチックなのもいいです。

ヴァルツの食えない悪役っぷりと、ターザンの相棒となるサミュエル・L・ジャクソンの愛嬌たっぷりの貫録は、安定の存在感です。ジャクソンは70近いのですが、この人、本当に一向に老けない。一緒に観た夫は、50才くらいだと思ったとか。年齢相応の「ヘイトフル・エイト」は、メイクだったんじゃなかろうか?と思う程。このまま頑張って老けないで下さい。

マーゴット・ロビーは、勝気で母性的なヒロインを好演。可憐な感じはガラじゃないと思うので、この人なりの情熱的なジェーンで良かったです。でも私は、「ウルフ・オブ・ウォールストリート」の、レオのトロフィーワイフ役の時のような、輝くばかりのゴージャスでセクシーな彼女を、また観たいな。30前の女優さんで、こんなにセクシーな人はあまり見かけないもん。あれはスコセッシが上手く撮ったのだろうか?

繊細で品のあるハンサムなのに、ちょい大味な感じのアレキサンダーが、私は好きです。ちょい大味のさじ加減がいいのだなぁ(笑)。マッチョな俳優をキャスティングしなかったのは、やっぱり「愛に生きる」ターザンを表現したかったんだと、個人的に思っています。全然似てないと思っていたけど、ふとした拍子に、お父さんのステランそっくりだったので、びっくり。それでステランの若い頃の画像を探したら、今のアレキサンダーそっくりでした。

DNAって、すごいね(笑)。お父さんくらいの名優になって欲しいですね。但し、容姿は今のまま(笑)。アレキサンダーファンならすごーく、それ以外の方も、楽しめる作品です。


2016年08月07日(日) 「シン・ゴジラ」

8月中に観れば良いかと思っていましたが、評判良いので、早速観てきました。私は子供の頃映画館やテレビで昭和の「ゴジラ」シリーズを何作か観たり、平成ゴジラは三男か好きだったので、映画館やレンタルでほぼ観ていますが、それほど思い入れがあるわけではなく、記憶もあやふや。一昨年のハリウッドの「ゴジラ」も、そんなのも観たね、程度でキャストしか覚えちゃいない(笑)。そんな私が観て、今回のゴジラは、大変面白かったです。脚本・総監督は庵野秀明。特技監督は樋口真嗣。

東京都に謎の巨大生物が現れ、都を壊滅状態にします。緊急に会議を開いた政府は、対策を練り、巨大生物と対峙します。

まぁ筋はこれだけです。最初の幼虫状態のゴジラのビジュアルが、何とも気持ち悪くて。私の記憶のゴジラの子供と言うと、ミニラですから(笑)。今回初の完全CG化ゴジラは、当然このままではなく、その利点を生かして、、段々と進化していく様子が禍々しく、上の画像が完成形です。いつものゴジラ。



ゴジラが東京湾から上陸する様子は、津波で飲み込まれた街を描き、3.11を彷彿させます。ゴジラの咆哮と共に燃え上がる街には、私の脳裏に焼き付く神戸の街も思い出しました。これは意図的だと思いました。

政府は緊急に会議を開くも、政策・公式発表も後手後手に回り、現実とリンクします。閣僚・官僚交えての会議での応酬が、クスクス笑えます。総理は最初は大杉蓮、次の捨て石の暫定政権では平泉成が演じますが、どちらもバカっぽい。観ていると総理として一番大事なのは、周辺の側近や閣僚選びなんだと痛感します。裸の王様にならないために。特に暫定だった平泉総理のグッジョブを観ると、国の一大事のためには、プライドもかなぐり捨てる必要も感じました。

徹底的にウェットな感情を廃し、恋も友情も親子の絆を描く事もなし。皆が国を救う事に奔走します。この作りはすごく良かった。下手に描くと、緊張した画面が一気にユルユルになるので、これは正解だと思いました。なので、大災害が起きた起きた時の、シミュレーションのセミドキュメントドラマを観ているような感覚が、ずっと持続します。

政治家のドラマとしても、狡猾ながら、冷徹な分析で政治的手腕を発揮する竹野内豊に対して、ホットでクールな両面を併せ持つ野心家の長谷川博己を前面に出して描き、政を司るには、この両輪が必要なんだなぁと感じました。

自衛隊が命の危険を顧みず出動する時、「彼らも覚悟して入隊しています」と、上官が答えます。これは日本の安全を守るための覚悟、です。決して他国の戦争に首を突っ込む覚悟じゃないはず。この台詞を敢て言わせたのは、私はそういう含みもあったかなぁと、勝手に解釈しています。

咆哮しながら光線を放ち、東京を破壊して行くゴジラ。ゴジラが何故生まれたのか?その意味を考えると、その姿は神の使いとして神々しくもありました。
ここまで来なければ、人間はその罪深さを気付けないのでしょうか?アメリカの茫然とする提案を、懸命で阻止しようとする日本の民に、このゴジラ映画から、教え請う事はたくさんあると思いました。

ただ一点、どうしてアメリカからの特使が石原さとみなんだろう?日系人の設定でしたが、英語と日本語の配分も上手く機能していないし、私の稚拙な聞き取りでも、彼女の英語はネイティブではない。フェロモン出して得する役でもなし、何故彼女の起用とあの演出?彼女が出てくると、一気に画面が安くなる。東宝なんだから、心境著しい長澤まさみじゃダメだったのかしら?女性陣では、いつも能面、でも仕事は抜群に出来るリケジョをユーモラスに好演した、市川実日子が良かったです。

私は「エヴァンゲリオン」も知らないし、この作品で使われた数々のオマージュも、おぼろげにしかわかりません。でも断言出来るのは、ゴジラ映画としても、政治ドラマとしても、素晴らしい作品だと言う事。世界に出して恥ずかしくない作品に仕上がっていると思います。一瞬だけの出演で、たくさんの俳優・監督が出演しています。それを数えるのも楽しいかも?8月は原爆記念日のある月。8月に観る意義も意味もある作品だと思います。


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