ケイケイの映画日記
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2015年12月30日(水) 2015年 年間ベスト10

今年は62本と言う驚異的に少ない鑑賞数でした。全然観足りないのに、感想はちらほら落とすと言う、体たらく(トホホ)。では洋画から。観たのが今年の場合、リバイバル、昨年度公開の作品も含んでいます。


1 ハーツ&マインズ

2 6才のぼくが、大人になるまで

3 イミテーション・ゲーム

4 マッド・マックス 怒りのデスロード

5 フォックス・キャッチャー

6 犬どろぼう完全計画

7 トラッシュ! この街が輝く日まで

8 あの日のように抱きしめて

9 フレンチアルプスで起きたこと

10 尚衣院-サンイウォン

次は邦画です。

1 バクマン。

2 あん

3 この国の空

4 さよなら歌舞伎町

5 野火

寄る年波で、長い映画、思い悩む映画は観たくなく、様相は色々なれど、自分なりに楽しめる作品をチョイスした結果です。勤務時間の変更で、水曜日だけお昼までの勤務となりましたが、平日五日間勤務はちと厳しく、拘束時間も長くなったためと「老化」(笑)のせいで、鑑賞数はどんどん現象。でもそれなりに、満足の行く鑑賞でした。

映画の代わりにハマったのが旅行。ふるさと割のお蔭で、今年夏からは、滋賀県のおごと温泉、同じく近江八幡、三重県の賢島と旅行。新年明けて1月末は、奈良の山の辺近くの温泉、三月は和歌山の龍神温泉を予約しています。夫曰く、モノノケに憑りつかれているが如く(笑)、パソコンにしがみ付いていたお蔭で、外れのない楽しい旅行が出来ました。ふるさと割は今年限りの制度なので、春以降は通常に戻って、また映画一択で楽しみたいと思っています。

感想が減っているにも関わらず、毎日たくさんの方々が訪れて下さり、本当に感謝です。皆様と末永くお付き合いいただけるよう、マイペースですが、今後も励みたいと思っています。来年こそ鑑賞数は戻るのか?(笑)。

年明けは、やっと「007 スペクター」の予定です。皆様、良いお年を。来年も「ケイケイの映画日記」を、どうぞよろしくお願い致します。


2015年12月27日(日) 「母と暮せば」

12月、あろうことか2本目の映画です。賢島に旅行に行ったり、天童よしみ聞きに行ったり、風邪ひいたりしていたら、あっという間に年末。戦後70年と言う事で、たくさんの「戦争」を描いた作品が公開された今年、ラストはこの作品で締めくくろうと思っていました。山田洋次とは相性がイマイチだけど、原爆で亡霊となった息子が母の前に現れると言う設定は、息子三人を持つ私には、鉄板の設定。今回は大丈夫だろうと、臨んだ作品でした。私的には表と裏、監督の巧妙な仕掛けを感じて、好きじゃないけど、やっぱり山田洋次は上手くて黒いと、感嘆した作品です。

終戦から三年経ち、長崎で助産院を営んでいる伸子(吉永小百合)は、結核で夫を亡くし、戦争で長男を亡くし、そしてまた原爆で二男の浩二(二宮和也)を亡くした身の上です。今は浩二の婚約者だった町子(黒木華)を、お互い心の支えとして暮らしています。そんな日々に、ある日突然浩二が亡霊となって伸子の前に現れます。

私の大好きな「父と暮せば」にオマージュを捧げた作品です。辻万長と浅野忠信の出演は、そのためでしょう。存命なら、原田芳雄や、すまけいも出演していたかな?「父と暮せば」が舞台劇が元であったため、ニノの演技に大仰な部分があり、多少鼻につくところがあるのは、そこを意識したせいでしょう。こちらは映画オリジナルなので、映画的な空間や時空の使い方、当時を再現した美術など、どこも十二分に満足させて貰えます。

亡霊であっても息子です。「あんた、浩二?浩ちゃん?」と言う、浩二登場時の伸子の華やかな笑顔が映って以降、もう何度泣いたか。息子三人の身には、この内容は反則なのです。淡々と市井の人々の戦争を乗り越える姿、生き残った苦しみ、命を奪われた人々の無念を、オーソドックスに淡々と美しく描く画面。目新しくはありません。しかし繰り返し同じ事であっても、観る人に反戦の心を刻むには、それも私は必要だと思っています。ましてや人気者のニノの出演で、若い人もたくさん観るはず。これはこれで良いと思っていましたが。

教会で伸子が倒れるシーンで、あれ?と感じる私。以降膨らむ疑念。これって耳なし芳一?牡丹燈籠?これは母と息子の話しではなく、息子は狂言回しで、本当は伸子と町子の話しなんじゃない?

亡くなった浩二を思い、一生独身で伸子に孝養を尽くすと言う町子。結婚はしていないのに。それはいけない、自分の幸せを見つけてと言う伸子。美しい話です。でもこれって、本心かな?町子は軍需工場を腹痛のため休んだ当日が、原爆投下の日でした。一人だけ難を逃れ生き残った事に罪悪感を感じていると、後に吐露。亡くなった友人の母に詰られた事がトラウマとなっている。

あんなに母と娘のように支え合っていた伸子が、「なんで町子だけ幸せになるの?あの子が死ねば良かったのに」と亡霊の息子に泣きつく時、あぁそうかぁと、私は色々腑に落ちました。これは伸子の本音なのです。ずっとずっと、自分の息子は死んだのに、何故死ぬはずだった町子は生き残ったのかと、屈託を抱えて生きていたんでしょう。それが逆恨みだと重々わかるくらい、伸子には理性も知性もあったはず。それでも湧き上がる感情に、彼女自身が一番苦しめられていたはずです。

なら何故友人の母のように突き放さなかったのか?いくら助産師と言う手に職を持っていたとて、熟年未亡人にとって、戦後のどさくさは相当に厳しかったはず。次々家族に死なれ、頼れる身内のない伸子にとって、町子の存在は大きかったでしょう。そしてまだまだ、二夫にまみえずが美徳とされた時代です。男の腕に身を委ねるなど、伸子のプライドが許さない。町子はそんな時、格好の防波堤になってくれたはず。闇商人の男性(加藤健一)の好意以上の気持ちも知りながら、伸子は生きる為巧妙に操っていた節もあります。それは根は善人であると言う事を見抜いていたから。

そして何より、浩二を懐かしむ相手として、町子以上の人はいなかったはず。
伸子にとって、町子は愛憎の対象ではなかったか?

他方町子はどうでしょう?自分だけ生き残った事にショックは大きかったものの、友人の母の言葉で、一生罪悪感を背負わなければと思い込む。多分世間にも、そういう厳しい目を感じていたはず。無意識に婚約者の「哀れな母親」を大っぴらに世話する事で、自分を責める世間の目から、隠れ蓑にしていたのでは?

家に上がる時の、スカートから覗く町子の若々しい膝頭が、私は妙にエロチックに感じました。それは美徳に隠された、町子の生々しい「女」ではなかったのか?そして婚約した同僚教師(浅野忠信)が、傷痍軍人であるのを知らしめる、片足がない事を強調するショット。町子にとって、隠れ蓑の対象が、伸子から婚約者に移ったのでは?仏壇を前に流す伸子の涙は、万感の戦後が一区切りついた、そんな涙ではなく、悔し涙だったと思います。町子は戦争に区切りをつけるのに、伸子の戦争は、まだ終わらないのです。

しかし、伸子を抱きしめる町子も、抱かれる伸子も、本心からだったと思います。お互いがお互いを助け合い、自分を奮い立たせ、生きる糧にしていた彼女たちも、立派な戦友であったと思います。戦争は戦場だけでは決してありません。

表の美徳や罪悪感を描く、それも良いと本当に思います。しかし私は、あまたの作品が描く美徳の心の裏の、市井の人々の本音を描いていたと思えてなりません。正に表裏一体。そしてあのラスト。伸子を苦しみから解放する唯一の方法だったのでしょう。こんな哀しい事がありますか?戦争がなければ、こんな愛憎や葛藤からは、遠い存在であったはずの、善良な人々。そこに監督は反戦の心の思いの丈を描いたのだと思いました。

監督に怒られちゃうかも?の感想です。しかし私には、戦後70年と言う今年最後を飾るに、ふさわしい作品でした。



2015年12月05日(土) 「ハッピーエンドの選び方」




人生初めてのイスラエル作品です。それがこんな素敵な作品とは嬉しい限り。老人ホームを舞台に、人生の最晩年を迎えた老人たちの生死感を、悲喜こもごもに描いた秀作。監督はシャロン・マイモンとタル・グラニット。

エルサレムの老人ホームに暮らすヨヘスケル(リーヴ・レヴァシュ)。発明好きの彼は、何かしら作っては、日常生活に活用していました。そんなある日、辛い延命治療の床に伏している親友のマックスから、安楽死の装置を作って欲しいと頼まれます。悩みに悩みぬいた彼は、マックスのために自分で死を決められる装置を発明。マックスは安らかに亡くなります。しかし秘密下に行われたはずの事が漏れてしまい、ヨヘスケルの元には、安楽死の装置の依頼がきます。また悩む彼。しかしその間に、ヨヘスケルの最愛の妻レヴァーナ(レヴァーナ・フュンケルシュタイン)の認知症が進行してしまいます。

監督は男女二人ですが、とにかくユーモアのセンスが抜群。黄昏たお年寄りばかり出てくるんですから、号泣ポイントは雨後の筍の如しです。しかし、さぁ泣こうと思うと、絶妙にブラックな笑いで煙に巻かれてしまいます。そしてその後、しっかりツボを押さえた泣きポイントを持ってくる。お蔭で感情に流されず、重いテーマであるはずの高齢者の尊厳死について、考える事が出来ました。トーンはずっと明るいですが、明暗の分け方が上手いです。

認知症の進行で、ある恥ずかしい行為をしてしまったレヴァーナを庇うため、素っ裸になる友人三人(泣かせるナイスな気配り)が、施設長に咎めらるのを、「許してあげて。体は老人でも心は子供のように純粋なの」と、レヴァーナは庇います。この言葉、私も実感としてすごくわかるのです。事実マックスの安楽死を契機に友情を結ぶ老人たちも、同性愛(おまけに不倫)、お金への執着、人間関係の難しさ、夫婦愛など、老いて益々の若々しさと生々しさです。

私も両方の親4人のうち、3人を見送りました。死は厳粛で荘厳に迎えるのが理想だけど、どれもこれもてんやわんやの騒動の中、実は笑いもいっぱいでした。そして笑ったかと思うと、もう涙。渦中にいる時はわからないけど、傍から見れば、この作品で描く通りの悲喜劇でした。終末医療・認知症など、老後のやるせない事ばかり映し、死に向かって行く人たちを描いているのに、何故生きるのか?とも考えてしまう。死だけではなく、老人の生も描いていたと思います。なので、安直に安楽死を支持した作品だとは感じませんでした。

皺くちゃの年寄りばかり出て来るし、ずっと死にまつわるエピソードばかりなのに、とても瑞々しい作品です。死が悲喜劇なら、生も悲喜劇。楽しい事ばかりは続かないし、泣く事ばかりも続かないと言う事ですね。それを心に留めて、老いへ向かおうと思います。出来れば賑やかに(笑)。


2015年12月01日(火) 「黄金のアデーレ 名画の帰還」




私のように絵画に疎い人も、このクリムトの「黄金のアデーレ」は観た事があるはず。そんな有名な絵画に、このような数奇な運命があったとは知りませんでした。実話が元のお話で、美術ファン以外にも、幅広い層に受け入れられるであろう秀作です。監督はサイモン・カーティス。

アメリカに住むユダヤ人女性のマリア(ヘレン・ミレン)。夫と共にナチスが台頭するオーストリアから亡命しました。1998年現在82歳。亡くなった姉の遺品を整理していた時、生前姉が伯母アデーレを描いたクリムトの作品、「黄金のアデーレ」の返還を、オーストリア政府に求めていたことを知ります。絵画はナチスに略奪され、その後オーストリアの国立美術館に飾られていました。姉の意思を継ぎ、返還を求めるマリア。知人の息子で、マリアと同じく祖先はオーストリアのユダヤ人であるランディ(ライアン・レイノルズ)を雇い、オーストリア政府を相手に、戦いが始まります。

少し解り難かったので調べたところ、マリアの伯父伯母夫婦と両親は、兄弟と姉妹で結婚しているようです。兄と姉、弟と妹のカップルです。だから一緒に商いして住んでいたのでしょう。両方の血を受け継ぐマリアと姉が、子供のいない伯父夫婦にとって、子供同然だったのは自然な気持ちでしょう。

口やかましく元気なマリアに、優秀そうだけど、青二才で小物感漂うランディは、ユーモラスな凸凹コンビ。タイプは違うけど、「あなたを抱きしめる日まで」の、ジュディ・デンチとスティーブ・クーガンを彷彿させます。自分達家族を引き裂き蹂躙した、ナチスに略奪された絵。それも実の伯母を描いた絵です。マリアに取れば、絵を返還してもらう事は、生家の誇りを取り戻す事でもあります。対するランディの方は、絵に莫大な価値があると知り、お金になると踏んでの仕事です。

それが裁判で、自分の曽祖父が収容所で亡くなったオーストリアを初めて訪ね、自分の中に流れる血を確認するのです。彼自身は祖父の代でアメリカに渡っているので、もうすっかりアメリカ人。自分のルーツに対しての感覚は、希薄なはずなのに。。きっかけはホロコースト記念館を訪れた事からでした。この描写は個人的にすごく納得。ふとした事、何かの弾みで、民族としての自分の血を確認することは、自分のルーツと違う国で暮らしていると、多々あります。

「あなたのスピーチは感動的だった。でもホロコーストはもう忘れた方がいい」と、公開弁論の後、見知らぬオーストリアの人が、マリアに助言にきます。それは彼女の年齢を考えて、穏やかな日々を送って欲しいと願う、心からの言葉だと私は思いました。事実大変な紆余曲折を経て、裁判は数年間続きます。途中で心折れるマリア。年齢から考えたら、姉の意思を継ぐだけでも大変は事です。では、悲惨な出来事は忘れていいのか?

そうじゃないはず。語り継ぐべき存在として、ランディがいるのです。ホロコースト記念館で、自分に流れる血が沸騰するのを感じてからのライアンは、別人のように、裁判にのめり込む。それは知らなかった過去を、知る事でもあったでしょう。まさかランディがこんな変貌を遂げると思っていなかったので、彼の妻役がケイティ・ホームズで、何で今頃こんな老けた人を妻役に・・・と思いましたが、夫の変貌をドンと構える肝っ玉の据わった妻ですから、ケイティくらい年季を感じさせる人がお似合いだと、妙に納得しました(笑)。

マリアは裁判が長引くと判断した知人のエスティ・ローダー社の社長から、駆け出しのランディから弁護士を交替させようと提案されますが、「私はスクール・ボーイ(少年)がいいの」と微笑みます。ランディがユダヤの出自でなかったら、どうだったでしょう?民族の血に、彼女も賭けていたのだと思います。ここもすごーくわかる(笑)。

長きに渡り、ナチスやオーストリアに対しての憎悪の裏には、実は自分自身への猛烈な罪悪感があり、無意識に封印していた事をマリアが悟る場面が感動的。やっと彼女の中で、戦争が終わったのだと思います。憎悪だけでは、終着駅にはたどり着けないと言う事ですね。

マリアの父の「一族でオーストリアに来て、貧乏のどん底から懸命に働き、富を築き、良き家族を作った。その誇りは誰にも奪えない」と語った別れの言葉にも、深く感じ入りました。戦争で財産や住む家が奪われても、人としての自尊心まで奪われてはいけないのですね。世界中で紛争が起こる中、被害にあっている人全てに、伝えたい言葉でした。

時空を度々遡り、過去が映し出され、とても効果的です。マリア一家が、どれほど文化的に豊かに暮らしていたかがわかるので、その後の侵略時の様子と絶妙な対比となっています。ミレン、レイノルズとも適役で好演。でも私は溌剌と若き日のマリアを演じた、タチアナ・マズラニーがとても気に入りました。

何故自分の血ではない国に住んでいる人がいるのか?その事に興味があれば、どうぞ聞いて下さい。その事から偏見が取れ、理解が深まる事もあると思います。人として一番持たなければいけないのは、自尊心。相手に持たなければいけないのは、尊重。ではないかと、私は思います。あちこちで紛争が起こり、世界中に亡命者や難民が溢れている今こそ、観る意義がある作品です。




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