ケイケイの映画日記
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2014年12月29日(月) |
「2014年 年間ベスト10」 |
今年は全部で65本・・・。少ない!では早速洋画ベスト10です。
1位 「セッションズ」 2位 「物語る私たち」 3位 「あなたを抱きしめる日まで」 4位 「マダム・イン・ニューヨーク」 5位 「ゴーン・ガール」 6位 「アデル ブルーは熱い色」 7位 「グランド・ブダペストホテル」 8位 「フランシス・ハ」 9位 「ネブラスカ」 10位 「天才スピヴェット」
次は邦画です。
1位 「円卓 こっこ ひと夏のイマジン」 2位 「イン・ザ・ヒーロー」3位 「東京難民」 4位 「福福荘の福ちゃん」 5位 「僕たちの家族」
1位はダントツですぐ決まりました。それ以外は社会派作品もSFも歴史劇もなく、パーソナルな内容の作品が多い年でした。ワタクシがさつなんですが、脳みそは完璧に女脳(笑)。今年はそれが露呈した年のようです。
昨年の今時分は、転職しているなんて、夢にも思いませんでした。就活を始めたのが7月、転職したのが9月半ばですが、今年は前半もあまり観ていません。早い話が転職をすると言うのは、職場が嫌だったから(笑)。心安らかに映画が観られない環境になったら、就活→転職と言うのは私のこの10年のパターンです。
今の職場は一人勤務ですが、いつでも上司に連絡取って相談は出来るので、一匹狼的な孤独感はありません。マイペースで仕事の段取りを決められて、なかなか快適です。それに何と言っても一人は気楽(笑)。就業時間が格段に増えて、映画を観る時間に四苦八苦していますが、観たい作品が16時台にあれば、前日夕食を二回分作って観ると言う方法を編み出し(笑)、何作か観ました。暖かくなったら、今度は一度家に帰って食事や家事を済ませて、近所のシネコンの最終辺りを観たいと思っています。
鑑賞本数が少ないと、いつも真剣勝負風な感受性を刺激する作品を選ぶため、感動なんかいらない、楽しそうだから取りあえず観たい的な、「遊び」の作品がなくて、それが今年は寂しかったです。寒くなってからは好調で 「スガラムルディの魔女」「毛皮のヴィーナス」などがその手の作品で、二作品ともベスト10に残るような作品じゃないけど、とっても楽しかった!来年はこの手の作品の本数を増やしたいです。
子供三人とも税金の払える社会人に仕上げ、老後と言うにはまだ早い今。今まで夫と子供と言う家庭優先でやってきましたが、これからの数年は、「自分優先」で生活したいと思っています。その為には、夫には細くてもいいから、長く働いて貰わなくちゃ(笑)。
皆様には、今年も「ケイケイの映画日記」をご愛読いただき、ありがとうございました。来年も変わらずご愛読の程、よろしくお願い致します。どうぞ良いお年をお迎え下さい。
2014年12月27日(土) |
「毛皮のヴィーナス」 |
あぁ〜、面白かった!80歳の御大ロマン・ポランスキーが、愛妻エマニュエル・セニエをヒロインに据えての数度目のコラボは、やっぱり変幻自在に妻の魅力を余すところなく引き出し、結婚生活20年過ぎても、まだまだ妻への興味は尽きないようです。多分今年はこれで最後の映画ですが、世は満足じゃ、の作品。
マゾッホ原作の「毛皮を着たヴィーナス」を舞台化するため、ヒロインをオーディションしている脚本家のトマ(マチュー・アマルリック)。今回初めて演出も担当。しかし気に入る女優は誰もおらず、落胆して帰ろうとした時、飛び込んできたのは、ヒロインと同じ名のワンダ(エマニュエル・セニエ)。せっかくなのでオーディションして欲しいと強引に迫る彼女に押し切られ、トマは自分が相手役になりオーディションします。しかし、全く使い物にならないと思っていたワンダは、素晴らしい演技を披露。トマは魅せられて行きます。
マゾッホとは、言わずと知れたマゾヒズムの語源の人。ドMとかドSとか言う言い方は、頭が軽そうで私は好きじゃないんですが、さもありなん。サドマゾの世界観とは、こうも知性とイマジネーションが必要なのかと、感嘆します。
オーディションをしているはずが、演じているワンダに魅せられるトマですが、現実と芝居を行ったり来たりするワンダにはぐらかされ、哀れトマはキスも出来ず抱きしめる事もなく、靴も舐めさせて貰えない(笑)。でもそのじれったい精神性がマゾなんだろうなぁと、おぼろげながら理解出来るので、まっ、これは嬉しいのかも?。
とにかく主演の二人が絶品!セニエは、無教養で下品な売れない中年女優から一変、高貴な若い貴婦人に見える。その表情は、時にはグロテスクなドラッグクィーン風、時には社会問題に取り組む女闘士、時には妖艶な娼婦、そして豊かな包容力まで感じさせて、ミステリアス。トマだけではなく観客も魅了し翻弄していきます。
私が感心するのは、監督の撮るセニエは、いつも至高のエロスを振りまくのです。彼女は存在感抜群の良い女優さんですが、他の監督の作品では、それほどエロスを求められているとは感じないのに、夫の作品では、どうざんしょ?と言うくらい常にエロい。「赤い航路」を観終わった時、ポランスキーは女優としての妻の多面性を描き、愛しているんだなぁが、最初の感想でした。この作品も全く同じ。違うのは妻が女優としても女性としても、より成熟していた事です。
迎え撃つアマルリックは、さしずめ監督の分身かな?尊大だったトマが、ワンダに導かれ、自分の性癖が露呈する様は、ユーモラスでスリリング。その豊かな表情の変化や、苛められる様子が可愛くってもぉ。アマルリックは冷酷な役、インテリの役、何でもござれの人ですが、今回は愛嬌たっぷりの彼が楽しめます。
つくづくセックスとは想像の世界だなぁと感じます。想像力を引き出すには、知性も教養も必要ですよと言う事で。肉体的な性は、いつか枯れてしまいますが、精神的な性は、幾つになっても楽しめますよ、フォッフォッフォッって事ですか?監督(笑)。
印象的だった「 神、彼に罪を下して一人の女の手に与え給う」と言う言葉。ですってよ、男性の皆様。甘んじて受ければ、トマのような至福のエロスが待っています。
監督の名前でお客を呼べる数少ない監督の一人でデヴィット・フィンチャーの新作。ミステリーとしても秀逸だし、人間ドラマとしても、結婚・夫婦と言う形態に対して鋭く深く踏み込んで、とても考えさせられる作品です。
ニューヨークでフリーライターをしているニック(ベン・アフレック)は、雑誌でクイズの問題を作っているエイミー(ロザムンド・パイク)と知り合い、結婚します。しかし三年後ともに失業。ニックの母親が病に倒れたことから、彼の故郷ミズーリへ引っ越します。母は亡くなり、今は双子の妹マーゴ(キャリー・クーン)と共にバーを経営する傍ら、カレッジで文章の書き方を教えています。五回目の結婚記念日を迎えたその日、忽然とエイミーは失踪。彼女の行方は知れず、最初は同情すべき夫であったニックに不利な状況が次々露見。彼は世間から妻殺しの疑惑の目を向けられます。
30年以上前の、「疑惑の銃弾」事件を彷彿とさせます。あの頃はネットなんかなくて、連日連夜マスコミやワイドショーは、疑惑の男性及び再婚相手を追いかけましていましたっけ。ネットやSNSが日常に浸透した現代では、瞬時にニックのプライバシーは丸裸。ちょっと隙を見せれば、ネットで叩かれまくる様子は、こんな大事件でなくても、ちょっとした事で劇場型に発展する今の社会では、「誰もが」容易に予想出来る事です。
誰も知らないミズーリへ引っ越し、自分だけが他人のエイミーの孤独。姑の看病。小姑との確執など、まるで日本かと思う「嫁」の憂鬱。ニックも夫婦の間柄に始終介入してきたであろう、エイミーの両親への反発が透けて見える。結婚とは夫婦だけではなく、お互いの親兄弟とも縁続きになる事です。沸々と抱えていた問題が、この事件で一気に噴き出す様子は、結婚の厄介さは、夫婦だけの問題ではない事を知らしめています。
エイミーの両親は精神医で、父は娘をモデルにした「アメイジング・エイミー」と言う児童書をシリーズで発刊。完璧な本の中のエイミーは父の創作で、実存の彼女はハーバード大学出の才媛でありながら、本のエイミーとの乖離にコンプレックスを抱えています。何故大人の女性の失踪なのに、タイトルはladyでもwomanでもなく、girlなのか?「アメイジング・エイミー」に呪縛されている、エイミーの気持ちを表しているのだと思いました。
精神科医の両親は、そんな娘に気づいているはず(特に母親)なのに、見て見ぬふりです。結婚は新たな自分の人生の構築であり、両親とは距離を置いても良いはずなのに、それでも親を捨てきれぬエイミー。ニックもまた、子供の頃に自分たち兄妹と母親を捨てて行った父親が認知症となり、今は後見人。彼や妹も、憎みながらも父親を捨てきれない。家族と言う厄介さ。
結婚とはともに将来を築くだけではなく、相手の過去も受け入れる事です。だからお互いの家族は結婚生活の一部分となるわけですが、何を優先順位にするかで、夫婦の間に絆が生まれたり、亀裂が生じるのです。
事件の行く末は二転三転、利用されていたはずのマスコミを逆に利用する様子の狡猾さは、実は警察にも向けられていました。でもどんなに完璧でも、人はミスをするし、隙を突く人はいるものです。これからどうなるんだろう?と思っていたら、あっと驚く驚愕の展開が待っていました。
「夫婦はこういうものでしょう?」と言うエイミーの言葉は、そうであるとも、そうでないとも言えます。夫婦とは一様にこういうもの、とは言い切れない。例えば、常に連れ合いは離婚を考えているのに、あなたは一度も離婚を考えた事がない、自分たちは「完璧な」夫婦であると信じている、とかね。
ロザムンド・パイクは、良い女優さんだとは思っていましたが、今回は本当にびっくりの素晴らしさ。これが本領発揮なんでしょうか?美しいブロンドはゴージャスではく、エレガントで知的に映る彼女は、正にエイミーに打ってつけ。ベン・アフレックも、誠実感溢れる彼が演じる事で、逆に数々のニックの「悪業」が真実味を帯びて感じ、観客をかく乱します。
実はこの作品、結婚記念日に夫と観ました。大昔「危険な情事」を鑑賞後の夫の、「なんて可哀想な男の話しや。あんなきちがい女に、大事な家庭をめちゃくちゃにされて」と言う言葉に、衝撃を受けた事が忘れられません。反省も誓も一切なし。きっとマイケル・ダグラス扮する夫も、私の夫も、妻は夫を赦し愛しているから、浮気相手の女を打ち殺した、と思ったでしょうね。違うのよ。妻が守りたかったのは子供のいる「家庭」。家庭の一員としての役目を果たしている限り、妻は夫を守るはずです。
浮気こそしていませんが、結婚十数年は、ニックなんか鼻であしらえるくらい暴君だった我が夫。「良かったやん、生きてて娑婆におって」と私がニヤニヤ言うと、「その代り今は針のむしろや」と言う返事が。でも結構座り心地が良さそうやんか、その針。夫婦とは夫と妻の役割だけではなく、いつまでも息子であり娘であり、兄弟でもあり。そして自分たちも親になる。結婚生活を維持するには、多面性を保ちながら、その時々に何を優先するか、柔軟性を持つべきです。そして一番重要なのは、その優先事に対して、自分のパートナーはどう感じているだろう?と、思いやる事。オープニングと同じ場面で終わるエンディングは、全く別の感想を抱かせるものの、この夫婦の行く末は、そんなに悲観的でもないかもなぁ、と思わせます。ミステリー仕立てですが、夫婦ものとして、私的に傑作だと申し上げます。
2014年12月13日(土) |
「スガラムルディの魔女」 |
この画像を観た瞬間、絶対観ようと思いました(変か?)。CDで言うところの、ジャケ買いっすね。一度は観たかったアレックス・デ・ラ・イグレシア監督作品で、ジェットコースタームービー的で、とっても楽しめました。
妻と離婚したばかりで子連れのホセ(ウーゴ・シルバ)と妻が怖いアントニオ(マリオ・ガサズ)が強盗を働き、それに巻き込まれたのが恐妻家のタクシー運転手マヌエル(ジェイミー・オドルネス)。逃亡中迷い込んだのが、魔女の村スカラムルディだったので、さぁ大変!
冒頭コスプレで堂々と強盗する様子に、まずノリノリ。カーアクションや銃撃戦もスピーディーで、小ネタを挟むユーモアもとっても良い感じ。このままアクションで押し切っても面白いよなぁと思っていると、次第に画面は禍々しくホラー映画に移っていきます。
しかしこの禍々しさが(笑)。爆笑に次ぐ爆笑。男たちの語る女性像は、とにかく悪意に満ちている。そして怖い(笑)。と言いながら、セクシー美女、いや本当の美魔女のエバ(カロリーナ・バング 画像です)のエロエロショットにはメロメロになるバカさ加減と、魔女が男たちをいたぶる様子が、もう楽しくって。男の威厳や沽券何のその、この様子を女性監督が描くと悪意に満ちるはずが、監督も男性なので、わかってくれよ〜!的愛嬌があります。
最初は婆さん、中年(カルメン・マウラ)・娘の三世代魔女だけだったけど、段々増えて画面いっぱいの魔女の饗宴は、一種壮観。巨大な魔女の象徴的クリーチャーも出てきて、結構なバトル。ハチャメチャながらパンチが効いてて楽しめます。
でもこのクリーチャーね、もっと美形に出来んもんか?顔はくちゃくちゃ、おっぱいは垂れて三段腹。あれが魔女=女の象徴とは、ちょっと承服しかねるビジュアルです。それとホセの嫁も気がきつく、自分の感情に任せて仕事するし(ナースです)、人の話は聞かないわ、勝手な行動するわ、それでいて母性だけは暑苦しいくらいある。離婚の理由は嫁に充分同情出来るもんなのに、あの嫁じゃあなぁ〜と観客に感じさせるのは、監督の思惑?怖い怖いと言いながら、監督の描く女像も、女性監督の描く男像同様に、結構悪意があるような。それを笑いでくるんでるけど、私は騙されないぞ(笑)。
まぁ深読みするのは野暮な作品かな?私が一番気に入ったシーンは、エバが仲間も一緒に逃げたいと言うホセに、「私だけじゃダメなの?もう愛してないの?別れたいのね!」と烈火の如く怒るシーン。いやいやまだ付き合ってもいません(笑)。男性に対して、誰よりも何よりも私を一番愛して!と言う若い女性の感覚、万国共通なんだと感慨深いもんがありました(笑)。これは女性の特性として、私は愛しい想いがあるんですが、男性にとっては迷惑なのかしら?
その点カルメン・マウラ魔女は、年食って男に幻想なんかないから、超手強い。彼女もう70歳なんですね。スペインの大女優が嬉々として壁を走り回ったり、ワイヤーで吊るされてバトったり、めちゃめちゃ楽しんでる様子に、観ているこちらも元気モリモリ。婆さんはこうでなくっちゃ(笑)。
女は怖い意地悪自分勝手だ!をそのまま描くと、女性の総スカンを喰らうので、魔女ではどうでしょうか〜?と言う、監督の知能犯的作品。ちなみにセクシー魔女エバ役のカロリーヌは監督の奥さんなんだって。彼女に託した役柄に監督の思いがあるみたいだから、許すとしよう。男って愛されたいのね。なら、あなたを一番愛していると言ってあげましょう(笑)。
2014年12月07日(日) |
「天才スピヴェット」 |
延び延びになっていたのを、やっと観ました。用事があったり風邪を引いたりして時間が合わず、おまけに3Dに拘ったので、やっとこ時間を捻り出したのが、仕事帰りの梅田シネリーブル4時5分。しかしこれが大正解!劇場はXpanD方式で、今までで一番綺麗に画面が飛び出しました。愛らしくユーモアいっぱいの中、前篇を貫くのは、すれ違う愛に対しての物哀しさです。監督はジャン・ピエール・ジュネ。
モンタナの片田舎に住む10歳の少年T・Sスピヴェット(カイル・キャトレット)。実は天才の彼なのですが、そのせいか家庭からも学校からも理解され難く、浮いた存在です。その上家族は双子の弟レイトンが事故死して以来、100年前のカウボーイのような父(カラム・キース・レニー)、昆虫学者のママ(ヘレナ・ボナム・カーター)、アイドルを夢見るお姉ちゃんのグレイシー(ニーアム・ウィルソン)と共に、寂寥感に包まれています。そんな時、権威ある発明賞を受賞したとの知らせがT・Sの元に届き、彼は授賞式でスピーチするため、独りワシントンに向かいます。
とにかく色彩が綺麗!3Dは最近はだいぶ改善されましたが、暗く見えるのが多いですが、今回とてもとても鮮明でした。日常を映す場面は、牧歌的なのにちょっとお洒落だし、T・Sの想像場面のファンタジーっぽさに、舞台はアメリカなのにフランスのエスプリが香ります。
モンタナからワシントンの独り旅は、子供の身の丈に併せたいっぱいの難関を、スラプスティックコメディ風に見せたり、一大冒険物語で、ハラハラと共にこちらもワクワク。そしてフランスのエスプリは、アメリカ人少年のアメリカ国内の旅なのに、異国のアメリカ人少年の如く感じるさせるので、T・Sの期待と孤独感が伝わりやすい。
この作品を観て私が一番痛感したのは、賢くて大人びた物言いする「子供らしくない」子も、中身はとても子供らしい感性と未熟さを持っていると言う事。あんまり理路整然と賢い事を言うので、中身も大人と同じようだと、錯覚するのですね。活発で素直な子供の感性と口にする「子供らしい」レイトンと「子供らしくない」T・Sは、実は中身は同じ10歳の子なのです。周囲の二人の接し方の差は、私はそこだったと思います。
大人には人生の経験値があるので、言わなくてもわかる事、伝わる事がありますが、たかだか10年の人生、そんな事わかりますまいて。レイトンの事を家族が口にしないのは、事故現場にいたT・Sを気付かっての事。T・Sに仕事を手伝ってと頼むパパの気持ちは、私には痛いほど伝わるのに、T・Sはこのまま蛇に丸のみされて死んじゃいたいと思う。そしてパパにもT・Sの心の中は伝わらない。このすれ違いの痛ましさに、思わず泣いてしまいました。だって子供が死にたい程辛いのに、それを知らないなんて、親としてそんな哀しい事がありますか?
普通に接してはいるのに、愛する人に自分は愛されてはいないと感じる物哀しさ。これは誰でも一度は経験のある感情じゃないでしょうか?T・Sがその事を乗り越える方法として選んだのが、ワシントンでスピーチする事だったのでしょう。
独り旅に出会う大人は、優しいホーボーの老人、家出少年のT・Sを捕まえようとする警官、ヒッチハイクさせてくれるトラック運転手など、皆印象深い人ばかり。短い時間で、人としての多面性を彼らから匂わせるのは、その複雑さが人を理解する糸口だと、言いたいのかと思いました。
対するジュディ・デイヴィス始めとする「権威のある方々」金の亡者ぶりや、マスコミのT・Sへの野次馬根性を描くのは、世の中への風刺だと思いました・
自分に似ている息子を観て、初めて事態を理解したママ。愛されてはいない物哀しさを託つのは彼女もいっしょ。ママはもう諦めていたのかもです。それを払拭したラストの愛しさに胸がまたいっぱいに。T・Sを救ったのは彼自身の向う見ずな行動力ですが、それは自分にも周囲にも勇気を与えたわけです。
「科学を発展させるのは、想像力だ」と言う、とある偉い学者のスピーチが出てきました。それは科学だけではないと思います。心の垢や錆を落とさないと、想像力は湧きませんよね。やっぱり幾つになっても映画を観よう!
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