ケイケイの映画日記
目次|過去|未来
2014年10月26日(日) |
「ニンフォマニアック Vol.1」 |
わはは、ラース君の作品で、初めて嫌悪感も疑問も抱かず面白いと思いました(笑)。性を大真面目に語れば語るほど、コメディに感じる作品。R18で、あれこれそのものズバリの表現も出てくるのに、滑稽さはあってもちっともエロくない。それも性の真理なのかも?監督はラース・フォン・トリアー。
ある冬の夜、行き倒れの女性ジョー(シャルロット・ゲンズブール)を見つけた老紳士セグリマン(ステラン・スカルスガルド)。家に連れて帰り彼女を介抱するセグリマンに、ジョーは自分の生い立ちからこれまでの事を語ります。それは彼女の性癖の事が主で、自分は色情狂(ニンフォマニアック)だと言うのです。
お話は四つの章に分かれていて、ジョーの性遍歴と、セグリマンの知識とが交錯する中、進められます。しかしこの交錯っつーのが。こじつけのような、へぇ〜そーなの〜と感心すると言うか。常軌を逸した自分の性衝動の軌跡を語るジョーを、痛ましく思えばいいのか、眉を顰めればいいのか迷っていたら、無駄に何でも博識なセグリマンの解説が被る。この緊張感を絶妙に外すどうでもいい内容に、そうか、素直に笑えばいいのか!と、肯いた次第。
ジョーの初体験シーンも笑ったし(私は鬼畜か?)、ぼかしの入ったいっぱいの男性器も爆笑もん。ジョーに夫を寝盗られた妻ユマ・サーマンの章は、昼メロのような修羅場になるのか?と思いきや、下世話さいっぱいの中、ユマの大怪演が高等技術で、ここでまた爆笑。
若い頃のジョーを演じるのは、少し猫背の長身でスレンダーなステイシー・マーティン。見事な脱ぎっぷりで、果敢にファックシーンを演じています。透明感のある美少女ぶりが、ふしだら娘から不潔感を絶妙に排除。女性が愛なくセックスに浸るのは、不毛感や殺伐とした感覚が残るはずですが、彼女の若さはそれすら感じさせません。なので終盤、セックスの後で泣くシーンが深い印象を残します。
しかしですね、これでステイシーが巨乳や美乳であったなら、不潔感は排他されたであろうか?と思います。貧乳具合が実に良いのです(笑)。この手の映画は得に、女優のプロポーションは重視されるべきだと、つくづく思いました。
女性が誰とでもセックスするのは、私は自傷行為だと思っています。この作品も真面目に読めば、ジョーと母親(コニー・ニールセン)との間に問題があるように見えるし、友人Bが語るように、愛のないセックスをするジョーだから、満足できずに毎晩7〜8人の男を相手にせねば満足出来ない(!!!)のだとも推測されます。父親に近親相姦チックな感情を抱いている気もするしね。
でもね、こんなに朝から晩まで毎日毎日男とセックスして、避妊や妊娠の問題が出てこないのも変だし、生理の時はどうするのか?も描かれていません。予告編では2では、赤ちゃん産むみたいですけど。なのでこれでもかこれでもかと、若いジョーでファックシーンを描いて、大いに中年のジョーに語らせている割には、女性の性の深淵を描いている感がない。と言うか、そういうの監督、興味ないのかも?(笑)。
音楽がとっても良くて、ロックとクラシックの巧みな使い分けが楽しかったです。特に気に入ったのは。さぁ男漁りするぞ!の戦闘場面の「 Born To Be Wild」(笑)。
ラストはえぇぇぇ!ここで終わり!?そんなのありかよ、来週絶対観なきゃいけねーじゃん!(大阪は11/1からVol2公開)と言うわけで、フィリップ・シーモア・ホフマンの遺作は後回しで、こちらを見たいと思います。
先週は同じ韓国映画の「レッド・ファミリー」も観て、そこそこだったんですが、昨日この作品を観て、自分の感受性に呼応するのはこちらだったんで、先に書くとします。南北統一の願いとか壮大なもんより、パーソナルな感覚の方が心に響くとは、人間としてのスケールが測れるってもんですが(笑)。監督はイ・ジョンボム。
アメリカで孤児となり中国人マフィアに拾われ、殺し屋として育てられた韓国人のゴン(チャン・ドンゴン)。ある使命から任務を遂行しましたが、誤って被害者の子供である少女まで殺してしまいます。自責の念に駆られる彼に、子供の母親であるモギョン(キム・ミニ)を殺せと言う更なる命が下されます。複雑な感情を抱き、久しぶりに故郷を戻るゴンでしたが。
スタイリッシュでクールなアクションが炸裂する中、孤独な少女とウォンビンの交流の哀切感がたまらなかった「アジョシ」の監督なので、観ようと思いました。今回は完成度は「アジョシ」には及ばないものの、まずまず。脚本も監督ですが、娯楽アクションにロマンスではなく、親子間の情感や哀切を滲ませるのが上手く、今回もその部分の描き方がとても気に入りました。
非情な殺し屋が、何故母親を助ける気になったのか?定説の展開ですが、それは母親への贖罪だけではないと思います。モギョンはファンド会社に勤める、やり手のキャリアウーマン。一見仕事への情熱のため、娘を捨てて夫に託したため、アメリカで娘は殺されたように思えます。娘への詫びや、亡くした事の辛さは一言も発しないモギョンが、娘の発表会のDVDを観て号泣する姿に、彼女の本心を見たゴンは、自分を捨てた母親を重ねたのだと思います。
捨てられる事を悟り、必死に取りすがったあの日、自分だけを置いて死んでしまった母。しかしゴンの母は、息子を道連れにはしなかったのです。息子には生きて欲しかったのだと思います。子を亡くし、気が狂ったように泣くモギョンのように、自分と別れる時、母だって辛かったのだと。モギョンを救う事は、母への鎮魂となると、彼は決心したのだと思います。それは死んだら地獄行きのゴンの魂をも、救う事です。
後半からの畳み掛けるアクションは、ライフルや拳銃、狭いマンションを使っての銃撃戦、巧みな爆弾処理などで、相応の工夫が見られ、まずまずの緊迫感です。ただし長い。10分は切れるかなぁ。マンション内での銃撃戦は、他に住人がいるはずで、悲鳴も巻き添えも全くないのは不自然です。唐突に裏切り者が出たり、伏線がないのでご都合主義的です。「全員悪者」的な作品ではないので、返って軽い感じになり不必要な気がします。
韓国イチの美貌を誇っていた(当社比)チャン・ドンゴンですが、ファーストシーン登場では、老けたと言うか、劣化が目立ちました。相変わらずの目力ですが、若干線が細い。アクションシーンは無難にこなし、健闘していました。ただしこの分野は、同じスター俳優系のイ・ビョンホンの身体能力が抜きん出ていて、比較されると思うので損な気も。彼も40代に突入ですから、トムちんみたいな永遠の美青年を目指すより、渋さを身に付け、年齢相応の華やかさを目指す方が良いかと思います。
。
ヒロインのキム・ミニは、松島菜々子を地味にした感じで、何でこんな華のない女優を持ってきたかなぁと、少々落胆しましたが、これが演技がとても上手かった!モギョンが娘と別れたのは、自分の母親が認知症で介護が必要だったからです。娘には父親がいるが、父を亡くし一人娘の自分しか母にはいない。介護にお金も必要なので、仕事は辞められない。彼女的には、娘を捨てたのではなく、夫に託したつもりだったはず。内面の葛藤を表現する部分や、疲れ切った表情など非常に上手く、私がこの作品に好感を持ったのは、彼女の演技力が大です。
他に良かったのは、ゴンと同じ組織のチャオズを演じるブライアン・ティー。一見エグザイルのメンバーみたいですが、非情な殺し屋の一面と、温かい血が通っていると両極端な部分を、落差のない自然な演技で感じさせてくれます。
ラスト近くで、ゴンがモギョンを守りたかった本当の真意がわかります。彼はこれを贖罪にしたかったのですね。長男を生んで、一生懸命子育てしている年若い母親だった私は、母としての子へ愛の強さ深さを実感し、母親のいない人生を送る子供の哀しみは、どんなに辛いだろうと、ふと思いを馳せた時がありました。
自分も母となりその心を知り、娘として母を捨てられなかったモギョン。そのモギョンを知り、自分の母への思いがこみ上げたゴン。「泣く男」とは、泣けなかった男が、母の愛を取り戻して「泣く男」のお話でした。私にはただの娯楽アクションではなかったです。
転職してはや一か月弱(てか、そんなもんか?もう三か月くらい経った気分)。今度の職場は土日祝休みで平日は午後3時半まで。転職する時、まず私が条件にするのは、職種よりも収入と休みの日。何故なら映画を観たいから!今回は平日5日間午後3時までの仕事を探していましたが、時間だけちょびっと妥協しました。そんなに違いはなかろうと思っていたのが、これが大誤算。4時台の上映作品は、あんまりないのです(3時半はバンバンある)。
週半ばにタイムテーブルが出る度、しおしおしていたところ、この作品がシネマートで5:15からと出た!。上映は90分足らずだし、心斎橋だし家には7時半までに着けるだろうと、前日に二日分の夕食の用意をして、いざ当日。時間があるから、仕事帰りに難波から歩いて、ウィンドーショッピングしながら、シネマートでチケット買うと、まだ4:20。やる事ないので、本を読みながら隣のマクドで時間潰して(すぐ下のスタバより安いので)。そう、主婦としての貴重な夕方の時間を潰して!これで映画がダメならどうするんだ、ヲレ?的気分満タンで臨んだ「フランシス・ハ」は、いっぱい笑って最後に泣いて、今年の私のベスト10に入りそうなくらい素敵な作品でした。監督はノア・バームバック。脚本は主演のグレタ・ガーヴィクの共同です。現在二人はお付き合いしているんだとか。
27歳のモダン・ダンサーを志してるフランシス(グレタ・ガーヴィク)。恋人はいるけれど、今は大学からの親友でルームメイトのソフィ(ミッキー・サムナー)と過ごす日々が断然楽しい毎日です。恋人から同棲を望まれるも、ソフィとの暮らしを選んだフランシスは、彼とは別れます。しかしソフィは、憧れの地に部屋が空いたのを機に、フランシスとの同居を解消。同年代が次々落ち着いていく中、取り残されてしまったフランシスですが。
冒頭、楽しげにふざけ合うフランシスとソフィーの様子に、学生時代を過ぎてこんな事をするのは男子の特権だと思っていたので、女子でもあるんだ、へぇ〜と新しい発見をしました。でもこの宴が続くと思っていたのは、フランシスだけで、ソフィーは次を見据えていたんですね。
編集者と言う手堅い仕事を得ているソフィーとは対照的に、夢だけはいっぱいあるけど、実情は根無し草的なフランシスは、一人では家賃を払っていけず転居。ここからがまぁ、こいつバッカじゃないの?的選択を次々していくフランシスに、おぃ、ちょっと待て!と、人生の先輩として助言したくなる私。でも見続けていくと、このみっともなくて、ドジで不器用なフランシスが大好きになっていく。それは彼女に、自分を見ているような気になっていくからでした。
二人で見ていたつもりの夢が、実は自分だけだったり、頑張ってきた事が報われなかったり、周囲から知らず知らずに取り残されていく孤独感。その時の悲しかった気持ちを思い出し、それでも夢を追いかけたいフランシスを応援したくなるのです。そして何が偉いって、男に逃げない!劇中老け顔とか、非モテ女子と揶揄されるフランシスですが、実際はクラシックな顔立ちの美女。あぁそれなのに、いいムードのなると自分からぶち壊す。もうちょっと器用にすり抜ければいいものの、次はもうないな的断り方。ユーモラスに男性への媚のなさを表現していると思いました。
しかし親友ソフィーに対しては、一転して女の嫉妬や意地が満開(笑)。この辺とてもリアルに感じて、わかるなぁと一層フランシスが大好きに。彼女的にはソフィーに裏切られた気分なのでしょうけど、それは違う。フランシスは「私たちは熟年のレズビアンのようなもんね」と、自分たちを表現します。セックス抜きの愛情で結ばれていると言う事でしょう。
でも愛は愛でも、友情は友愛、男性とは恋愛。彼女たちは同性に恋するレズビアンではないはず。友情とは、人生を共に歩むのではなく、それは恋愛相手。親友は別々の道を歩みながら、別の場所で支え合い心の拠り所にしていくもの。だと私は思います。その違いをソフィーは理解していて、フランシスは混同していた。一流の編集者になる夢を捨てて、恋人を支える事を選んだソフィーも、ダンサーの夢を追いかけ続けるフランシスも、27歳の女性として、私は両方ありだと思います。
行き当たりばったり無計画で、手を差し伸べる人にも、夢の為には嘘ついて丁重にお断りするフランシス。時間もお金も無駄使いじゃん、とハラハラします。でもどっこい生きている。無鉄砲なのに何とか衣食住を得ていく姿は、逞しささえ感じ、自分の人生を逃げずに向かっていく彼女に、元気を貰えます。
紆余曲折を経て、彼女が選んだ道を見せてくれる終盤では涙が止まりませんでした。孤独を感じる時はあっても、孤独ではないフランシス。思えば傷心を癒してくれる親兄弟がいて、彼女を心配してくれる恩師、友人たち、そしてソフィー。若い人には人生上手くいかなくて、どうしようもなく孤独な時は、この作品を思い出して欲しいです。
多分ね、大人になったんじゃなくて、成長したんだと思うのです。そう思いたい。だってフランシスが大人になったら、面白くないもん(笑)。私もこの歳になっても、自分が大人かと問われれば自信がありません。多分また夕食二日分作って映画観るだろうし(笑)。バッカだなぁ・・と思うけど、私はそんな自分がちょっぴり好きです。世界中のフランシスも、自分を好きでいて欲しい。最後に明かされる「フランシス・ハ」のタイトルの意味に、まだまだ発展途上の彼女の未来が、前途洋洋である事を祈らずにはいられませんでした。27歳は若いんだよ。デヴィッド・ボウイの「モダン・ラブ」の流れる中、馳走するフランシスと一緒に駆け出したくなる作品です。
2014年10月08日(水) |
「アバウト・タイム」 |
大好きな大好きな「パイレーツ・ロック」のリチャード・カーティスの監督引退作品。まだ若いのになぁ、絶対観なくちゃと忙しかったけど駆け付けました。ユーモアたっぷりに同じと時間を繰り返す主人公を楽しく観ながら、考えさせられたり共感したり、楽しく観ていたら、、ラストに出てくる「非凡な僕の平凡な人生」と言う言葉に、どっと涙が溢れました。ありふれた「平凡が一番」と言う言葉、イギリスにもあるんですね。大好きな作品です。
イギリスのコーンウェル。少し風変わりな、でも温かく愛情溢れた家庭に育ったティム(ドーナル・グリースン)。心優しい青年ですが、気弱で何をやっても自分に自信がなく、彼女もなくイマイチな青春を送っています。そんなティムの21歳の誕生日、父(ビル・ナイ)がティムを呼び、我が家の男性にはタイムトラベルする能力があると告げます。最初は冗談だと思ったティムですが、試してみると、本当に過去へ。少しずつ過去を修正して今に戻る事を繰り返す彼は、ある日運命の人メアリー(レイチェル・マクアダムス)と出会い、必死にタイムトラベルを繰り返し、彼女の心を得ようとします。
手垢のついたタイムトラベルものなんですが、この作品は過去を変えようとか、地球を救おうとか、そんな壮大なものではなく、ちょっとした失言、あの時ああすれば良かった・・・的な些細な落胆を軌道修正すると言う、到って小市民的な出来事が繰り返されます。それってティムの元々の性格なんですねぇ。
しかし繰り返し挿入されるティムのタイムトラベルは、メアリーの愛を得る事の他は、知人や妹や父など、自分の大切な人のために使うだけど、決して仕事やお金儲けで使ったりしません。なので、メアリーの愛を得るため、少しずつい時間を変えて、涙ぐましい努力をするティムを観ると、如何に彼女を愛しているのかを痛感させます。だってゴージャス美女のシャーロット(マーゴット・ロビー)は、すぐ諦めたもん。私見ですけど、この心意気があれば、タイムトラベルを使わなくったって、きっとメアリーとは結ばれましたよ。
タイムトラベルで心を掴まれたのは、愛する妹のキットカット(リディア・ウィルソン)を交通事故から救うため、時間を遡るティム。しかし家に帰れば愛しい娘ではなく、そこには息子が。時間軸が少しでもずれると受精のタイミングが変わり、別の子が現れるのだとか。娘に会いたい一心で、妹はそのまま事故に合う方を選ぶティム。一見すごく非情ですが、子持ちの私にはその気持ちがすごくわかる。性別とかではなく、一年慈しんで育てた我が子が、例え血が繋がっていようが、全く別の子にすり替わるなんて、到底受け入れられません。お腹に宿った時から、子供とはそれくらい親の人生にとって「特別な存在」になるものです。その後に妹の救済も描き、親の心情が強く浮き彫りになる、とても良いプロットだと思いました。
この出来事のアンサーのような形で向かい合う父と息子。「何時に戻りたい?」と聞かれて、ティムが幼い頃、二人で海辺を駆けた時と答える父。ここも気持ちがわかり過ぎて、滂沱の涙。私はいつも今が一番好きだと思える、おめでたい人間ですが、タイムトラベル出来るなら、私も上の二人が小学生で、三男が赤ちゃんの頃に戻りたいのです。五人家族になって、必死に子育てして、幸せを噛み締める時間もなかった時。あっと言う間に自分の時間を持てるとは、知らなかった日々。今なら自分の時間なんてなくてもいいから、もっともっと子供たちとの時間を大切に出来るのになぁ。
クスクスいっぱい笑って、あのシーンこのシーン、みんな楽しかったタイムトラベルのシーンですが、私が印象深いのは、笑いではなく上記の親心を描いたシーン。そして時間を割いてセリフなしで描いた、リズミカルでロマンチックなティムとメアリーが愛を育む一年間のシーンが、私は大好きです。と言う事は、「人生を変えるのは、時間軸を変えるのではなく、自分の強い意志が必要なのだ」と言うティムの言葉と重なります。タイムトラベルしなくても、ティムとメアリーは結ばれたと感じた私の思いは、監督のメッセージでもあるのでしょう。
ドーナルは、恰幅が良く線の太い感じのブレンダン・グリースンの息子さんだそうで、びっくり。なるほど顔は似ていますが、お父さんよりナイーブな感じで、押し出しなんてほとんど感じないタイプ。そんな彼が男として息子として夫として、逞しく成長していく姿には、清々しいものがありました。赤毛もチャーミングで、私は好きなタイプの俳優です。レイチェルはまぁ、「パッション」での、ビッチな悪女が印象深かったもんで、まさか30半ばで、こんな可憐な姿を見せてくれるとは、驚愕でした。初登場シーンの野暮ったいのに、新鮮で可憐な様子から、段々と幸せに満ちた妻・母としての美しさが画面いっぱいに広がり、彼女のファンには堪らない作品です。
「非凡な僕の平凡な人生」が、ティムが掴んだ人生訓でした。彼が何を取捨選択したのか、お楽しみに。奇想天外な設定を用い、笑いと涙に満ち溢れて、輝かしい平凡の美しさを描いた作品だと、私は思います。「剣客商売」の再放送を観ていて、大治郎の妻三冬が「この平凡な家庭を、私は切に望んでいました。今幸せでございます」と言うセリフに、最近涙ぐんだばかりです。形は違えど、ティムも三冬も私も、「非凡」な人生を背負って、結婚により平凡な人生を手に入れました。平凡は最強ですよ。その最強さは、毎日の生活を誠実に丁寧に生きる事から得られるのだと、改めて感じました。
2014年10月04日(土) |
「ジャージー・ボーイズ」 |
先週日曜日、二週間ぶりの映画館でした。なので外しちゃならない時は信頼と安定印に限ると、このイーストウッド作品に。目論見は見事的中。ショービズの世界を描いて、さほど目新しい筋ではありませんが、イーストウッドの手にかかると、青春期の若々しさと、中年期以降の人生の苦さや責任を描いて、円熟の手腕。映画では無名のキャストが主要なので、妙な大作めいた雰囲気がなく、軽やかなのも功を奏しています。監督はクリント・イーストウッド。
1950年のニュージャージの貧民地区。ショービズの世界に憧れを抱くトミー(ヴィンセント・ピアッツァ)、ニック(マイケル・ロメンダ)、フランキー(ジョン・ロイド・ヤング)。トミーとニックはケチはチンピラ、フランキーは昼は理容師として働き、夜はライブ活動に励む日々。よそ者ですが、豊かな才能を持つボブ(エリック・バーゲン)の加入を境に動きだし、バンド名も「フォー・シーズンズ」と改め、ヒットチャートを快進撃で登っていきます。
いやいや、フォー・シーズンズの伝記だべ、とだけの知識で観に行ったので、ブロードウェイの舞台版が元とか、ミュージカル仕立てだとか、全然知りませんでした(笑)。フォーシーズンズは有名なバンドですが、私がティーンの頃にはオールデイズのカテゴリーに入っており、それでも「シェリー」「君の瞳に恋してる」など、今でも歌い継がれている曲はたくさんで、時にはしっとりと、時にはドゥーワップでダンサブルに劇中で盛りだくさんに歌われ、もうそれだけでノリノリ。ライブ場面が多彩で、それだけでも充分楽しめます。
特にブロードウェイオリジナルキャストのジョン・ロイド・ヤングの歌声は素晴らしく、最初吹き替えかと思ったほど。他のキャストも舞台出身者が多く、歌唱は本当に素晴らしい。当時の時代考証に基づいたライブハウスや衣装、風俗などと共に、彼らの生きた時代に、一気に飛んでいけます。
トミーの独白で、貧しい自分たちが成り上がるには、軍隊に入るかマフィアになるか、ショービズだ、の台詞は、今でもどこの国でも大なり小なりある事柄。成り上がる事が目的で、いつまでもチンピラ気質が抜けないトミーと、音楽に情熱を持つフランキーの間に、次第に亀裂が走るのは致し方ない事だったのでしょう。
内容的には、バンド活動に励みながらも女の子にちょっかい出したり、警察に出たり入ったりの三人の青春期、品行方正なボブが加入してからの違和感、ヒット街道をひた走りする四人の姿、各々少年から大人となり、自意識の隔たりから、自我をむき出しにする者、我慢する者、辛辣に批判する者など、彼らがどうして不協和音を生じるようになったか?を丁寧に描いています。
スタートは一緒でも、人としての成長の度合いは個人差があるもの。不良感度の高かった無名時代から、端正なスーツに身を包み、ショービズのど真ん中で快進撃を続ける彼ら。外見に中身が追い付けなかったトミーに、身の程以上の者を得た人間の悲哀も感じます。
ツアーの連続で家族との軋轢、その果ての愛人、ギャンブルでの借金。取り分の変更など、ショービズで成功した人を描いて、既視感がある内容ですが、要所要所に、その時の心模様を彼らのヒット曲に託して歌い上げるので、しっとりと胸に響きます。いや〜、字幕がないと何言っているのかわからないはずなのに、言霊を感じるんですから、歌ってすごいなと、しみじみ思います。
彼らを応援する大物マフィアの役で、クリストファー・ウォーケン。滋味深さと怖さが混濁する役柄で、鋭角的な若い頃より、だいぶ顔が下垂してきた今のウォーケンが演じると、画面を引き締め若いキャストばかりの映画の格も押し上げるのですから、大した役者だわと改めて思いました。
そしてフランキーの取った行動など、正に「ラ・ファミリア」を感じさせるイタリア系。愛憎相打つ中、義理人情を優先する彼の生き方は、若い人にはどう映るのか?私は素直に立派だと思いました。金銭的にはシビアで、優男の外見に似合わず冷徹なボブの気持ちを動かしたのは、そんな情に溢れるフランキーを心配する気持ちでした。彼の歌声は、冷めた心も溶かす力があったのでしょう。「君の瞳に恋してる」で、まさか泣くとは思いませんでした。
恩讐を超えた再会の時、ラストの大団円の見事なダンスシーンなど、とても気持ちよく見終える事が出来ました。ポランスキーもそうですが、老いて重厚さだけではなく、軽やかに描きながらも、しっかり観客の心を掴むイーストウッドに脱帽です。
|