ケイケイの映画日記
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2014年06月29日(日) 「渇き。」




大好きな中島哲也監督作。今回はバイオレンス描写がすごいと聞いていましたが、大流血大会で、韓国映画かと思いました(笑)。その他、体臭や汗など、すえた臭いが画面から匂ってきそう中、どす黒い馳走感で一気に描きます。ろくでもない狂気の塊のような人たちばかりが出てきますが、何故か嫌悪感はなく、最後まで面白く観ました。

数年前まで刑事だった藤島(役所公司)。妻桐子(黒沢あすか)の浮気相手を半殺しにして、刑事を退職。その後離婚し、今は警備員として独り暮らしです。コンビニで殺人事件が起こり、発見者の藤島は証拠もないのに犯人扱いされ、苛立ちます。時を同じくして、桐子から二人の一人娘の加奈子(小松菜奈)がいなくなったと電話があり、駆け付ける藤島。加奈子の部屋から覚せい剤が発見され、藤島は娘探しを決意します。

まぁとにかく藤島が(笑)。どうしようもなゲスっぷりで、狂犬のようです。女も平気で暴力ふるうわ強姦するわ、もうやりたい放題。元は妻の浮気が原因の離婚なので、同情されてもいいはずが、この夫ならそりゃ浮気もしたくなるわと、同情すら湧きます。でも娘の日常は全く知らないようで、友人も知らないし、神経科で眠剤をもらっていたのも知らないと、桐子も褒められた母親ではないようです。

キャッチコピーは「愛する娘は化け物でした」。容姿端麗で成績優秀の加奈子の、裏の顔がどんどん明るみに出てくる描き方が上手い。友人たちと言うのがまぁ、軽薄ここに極まれりと言う感じの頭の軽さと常識のなさで、大人舐めてんのか!と一喝したくなるほど。親と娘の乖離を端的に表していたと思います。不良たちのパーティーの大音量の音楽といかがわしさ、それでいて煌びやか様子は、とても蠱惑的。中島監督の真骨頂の気がします。

とにかく派手な暴力と流血場面の連続で、危機また危機でも死なない藤島(笑)。ツッコミと言うより、あぁ映画なんだと、良い意味で割り切って楽しめる作りです。しかしそのせいか、全ての登場人物に、動機づけや人物の掘り下げが希薄になった気がします。あんな濃いキャラの藤島でさえそう。中島作品は、今まで原作をどんなに大胆に脚色しても、その部分はきちんと押さえていたので、ここは少々物足らないです。だから観終わったあと、あぁ面白かったと思えても、後には何も残りません。それでも役所公司をはじめ、華もあって腕もある役者を集めたお蔭で、描きこみ不足は、それなりにカバー出来ていたと思います。

加奈子の堕ちていく理由も、あの描き方だけだと、弱いかなぁ。ここは原作でもそうらしいのですが、ばっさり刈り込んで、見え隠れする両親への不満が高じて、大人に対しての憎悪になった事を、もっと描きこんだ方が問題定義にもなって、良かった気がします。

加奈子を演じる小松菜奈は、清涼飲料水のCMで、お花畑や砂浜を爽やかな笑顔で走っているのが似合いそうな、超美少女でした。とにかく存在感が素晴らしい。この作品の加奈子は、心の闇とか言う部分はすっ飛ばす、常人の頭では理解出来ない、生まれながらのモンスターとして描いていたと思います。あの美しさの中身は、実は空洞なんじゃないかとも思わせ、感情のない怖さを感じさせ出色でした。今を時めく橋本愛も二階堂ふみも出演しているのに、際立っていたのは彼女で、監督のほれ込みようがわかります。

またまた娘への性的虐待を匂わせた場面がありますが、あれは映画では寸止めだったと、私は思いたい。その方がラストの描写を、純粋に子供への愛と受け取れるから。刺激的なプロットと画面の割には、内容は軽いです。娯楽作として、私はまずまず楽しめました。


2014年06月28日(土) 「円卓 こっこ、ひと夏のイマジン」




お子様向けの作品を何故行定が監督?そして主演は今更感のある芦田愛菜。別に見なくてもいいかと思っていたけど、ロケは大阪だし、評判がすごく良いので観てきました。観てびっくり。子供たちの日常をアハハと笑いながら、平易な言葉で、素朴に哲学出来る作品でした。素晴らしい!監督は行定勲。

大阪の団地に住む小学校三年のこっこ(芦田愛菜)。毎日お父さん(八嶋智人)、お母さん(羽野晶紀)、おじいちゃん(平幹次郎)、おばあちゃん(いしだあゆみ)、三つ子のお姉ちゃんたち(青山美郷・三役)と、円卓で食事を取っています。親友のぼっさん(伊藤秀優)たちと、毎日元気いっぱいに暮らしていています。ある日、お父さんから、お母さんに赤ちゃんが生まれる事が発表されますが、何故かこっこは素直に喜べません。

大阪弁がイントネーションも扱い方も完璧なのに感激しました。キャストは平幹次郎以外は隅々までリアル関西人を配して、抜かりなし。大阪弁は時にどぎつい表現になることもあるし、「てにをは」の接続詞を抜いた日常語も茶飯です。夏休みのウサギ小屋の世話に、ぼやきまくる性格のきっつい五年生女子の事を、こっこが「あの女、生理やな」と言った時は、場内大爆笑。「あの子」でもなく「あの女子」でもなく、「女」(笑)。でもあの間合いでは、まぎれもなく「女」で正解。ラストでちょこっと出てくる水商売の風女性の谷村美月の事を、三つ子がボソッと「化粧濃いおばはんや」と言った時も爆笑。とにかくツッコミが正し過ぎ。三つ子の名前を間違えてばかりのおばあちゃんは、「同じ顔やねんから、どっちみちいっしょや」と、豪快な事。コテコテではない、毒があって楽しいリアル大阪が楽しめます。さすが在阪テレビ局全てが協賛ですな。

三年生は、多分男子と女子が共にてらいなく遊べる、最後の学年だと思います。まず体。成長の早い女子は保健の先生からブラジャーを薦められ、イケメンの担任(丸山隆平)にはスリスリ。きっと同級生男子なんて、子供過ぎてストライクゾーンから外れているんでしょうね。しかし母(中村ゆり)の涙を見た朴君が「守りたい人はいる」ときっぱり言ったり、こっこの辛い告白を聞いたぼっさんが、「僕が傍におれんへんかって、ごめんな」と涙する姿は、男としての萌芽です。無邪気な子供時代から、徐々に思春期に向かう複雑な時期であることも、きちんと描けています。

担任が「子供の考えていることは、さっぱりわかりませんわ。僕も子供やったはずやのに」のセリフが、とても印象的。こっこは物もらいの眼帯、ボートピープルや在日韓国人の同級生、ぼっさんの吃音まで、「人と違うことはかっこいい!」と言う、毒舌家で独特の感性の持ち主。かっこいいから真似をする。しかし大人からは理解されず、たしなめられる。本人にしたら、理不尽ですよね。

そのもやもやした気持ちを、ぼっさんにぶつけて聞いてもらう、夜の団地の下での会話が秀逸。二人を見守るためついてきたおじいちゃんに、友達の気持ちを想像する=イマジンを教えて貰った、こっことぼっさん。子供は子供なりに、今の自分を模索しているのですね。今になって思うのですが、子供の躾なんて、すごくシンプルなものなのに、あれもダメ、これもあかん、小言ばかりの母親であったなと、思わず自分を振り返り反省しきりでした。

幼稚園を卒業したら、子育てに一番大事なのは、このおじいちゃんのように、「見守る」事なんだと思います。目の前にある危険を取り除いて歩くのではなく、道に迷ったら、声をかける。ヒントを出す。自分で考えさす。時には救命救急士にもならなくちゃ。見守るという行為は、親としての技量を試されている事でもあります。今なら上手く出来るのに。あぁ、昔に戻りたいなぁ。

私が一番印象に残ったのは、変質者に襲われたこっこが、誰にも言えず鬱屈を抱えて家族にあたるシーンです。作品内ではシュールに描かれていますが、これは性犯罪を表していると思いました。恥ずかしさと怖さが怒りとなって、マグマのようになったこっこ。こんな愛情に満ちた家庭の子でも、親に言えないのですね。いじめの被害者でもそうでしょう、子供には子供のプライドがあるのです。子供に異変があるときは、ただの反抗期と捉えず、注意しなければいけませんね。

私はこまっしゃくれた子役は苦手で、正直愛菜ちゃんもイマイチでしたが、この作品は、彼女の演技力あってのものだと、痛感しました。とにかく上手い!生まれは兵庫の彼女、今は東京に引っ越して関西弁は忘れてしまったそうで、猛勉強したとか。見事な主演女優ぶりでした。他にも子役たちが素晴らしく、嫌味な子が一人もいない。特にぼっさん役の伊藤くんの素朴さには、感激しました。大阪の子は、どぎついだけではありませんのでね、あしからず。関ジャニの中で、私はこの作品の丸山隆平が一番好きなのですが、中堅になりかけの若手の教師の雰囲気が出ていて、良かったです。こんな先生やったら、きっとお母さんたちも足繁く学校に来てくれそうですね。

「人と違うことはかっこいい」。これは他者を尊重するという事。「赤ちゃん生まれるのが嬉しなかったら、別に喜ばんでもええ」と言うぼっさんのアドバイスも、同じですね。そして同級生の幹さんの気持ちをイマジンした二人。紙吹雪で応える幹さんの笑顔を、ぜひ覚えておきたいと思います。

この家に育ち、友達と過ごしたひと夏の事、覚えておいてね。大人になって苦しいとき辛いとき、きっとこっこの人生の糧になる日々だと思います。とにかくずっと笑顔で観ていました(たまに泣く)。観た後、元気いっぱい心が豊かになる作品。




2014年06月22日(日) 「サード・パーソン」




ポール・ハギスの群像劇と言うので楽しみにしていました。余計な憶測したくないので、予告編で観る以外は何も頭に入れず観てにきたら、てっきり人間ドラマだと思っていたら、息苦しいメロドラマではないかと感じていたら、終盤に向けて、ミステリーだったんだ・・・と言う作品。大人な作品です。

パリ。デビュー作でピュリッツァー賞を受賞した作家マイケル(リーアム・ニーソン)ですが、今はスランプで書きたいものが見つかりません。彼の不倫相手のアンナ(オリヴィア・ワイルド)はゴシップ記者ですが、小説家を目指す野心家で、マイケルの他にも秘密の恋を抱えています。ニューヨーク。かつてはメロドラマの女優だったジュリア(ミラ・クニス)は、息子ジェシーの虐待を疑われ前衛芸術家の夫リック(ジェームズ・フランコ)と離婚。息子は夫に引き取られ、現在親権を争っています。ローマ。産業スパイもどきのいかがわしい仕事をしているスコット(エイドリアン・ブロディ)。アメリカを懐かしんで入ったカフェで、ロマ族の女性モニカ(モラン・アティアス)と出会い、彼女の娘の救出に巻き込まれて行きます。

三都市のお話が別々に構成され、それが少しずつ交錯し始め、やがて大きくうねりながら、終盤一気に繋がる構成となっています。

パリパートは、演出の巧みさで見入ってしまうのですが、正直オリヴィア演じるアンナが苦手で。こういうのを「こじらせ女子」と言うのでしょうか?愛する相手に素直になれず、意地を張ったり試したり誘ったり。そして鬱々泣く(笑)。いい加減にしろよ!とイライラ。リーアムは中年の渋さと包容力満点ながら、こんなに大変な若い娘に入れあげてる様子を見ると、あぁやっぱ男なんだと(笑)。そんな気持ちを救うのが、しっとりと私の心に訴える、マイケルの妻を演じるキム・ベイシンガーでした。

ニューヨークパートは、確かにミラに同情は出来る。しかし夫が家にいつかないくらいで、虐待を疑われる行為をするのは、如何なものか?母親としてひ弱すぎる。居つかないどころか多分夫の愛人サムは、その前から存在していたのでしょう。それでも私はやっぱり母親として脆いと言いたい。出産のため例え夫が望んだとして、女優のキャリアを捨てたのも、自分が決めた事でしょう?こんなはずじゃなかったとして、夫に裏切られたとして、それでも子供を懸命に育てている女性はいっぱいいますよ。しかし夫も、妻の行為には自分は一切責任ないと思っているんですね。だから妻は身ぐるみ剥がされ追い出され、一気に経済的に困窮しているんでしょう。これももう、腹立たしくて。お前だって悪いんだよ!だから子供が懐かないんだよ!夫婦は破綻するときは、必ず両方に非があること、子供が犠牲になるということは、よく表現出来ています。

予告編では一番期待していなかったローマパートが、私のイライラを劇的に救ってくれて、これは意外な誤算でした。エイドリアン・ブロディの哀愁の男気に、萌えてしまいました。いくら魅力的でも見ず知らずの女のため、こんな危ない橋を渡るのは何故か?彼くらいの男なら、詐欺だとも感じるはずなのに、これは何か理由があるんだと、そうまで感じさせてくれます。モニカを演ずるモラン・アティアスも、エキゾチックでミステリアスな魅力をふりまき、素敵でした。クールではない、情熱を秘めた苦さがあって、モニカの苦しみをよく感じさせます。

それが終盤になって、あのお話このお話が次々繋がっていきます。伏線はそれほど巧妙ではなく、多分目を凝らしていなくても、気がつくように作ってあるので、途中で気付く人もいるはず。そしてオーラスに向かい、えぇぇぇ!そうだったのか・・・と、驚愕しました。すっかり騙されました。

まぁ作家と言うのは、業が深いもんですよ。他者を傷つけても好奇心の湧く事柄は文章にしたい。そして自分の迷いや苦しみ、贖罪までそこに注ぎ込む
。そしてささやかな希望さえも。書くことでしか、「生」を実感出来ないのかもなぁ。昔亡くなった森瑤子の本を読んでいて、別の作家から「小説は根も葉もある嘘」と、教えられたと書かれていました。成る程なぁと、この映画を観てその言葉を思い出しました。マイケルの妻は、そんな夫の深い業を理解し、いつも見守っていたんでしょうね。

「携帯を壊してしまったの」「お前はあの男に、きっと傷つけられる」などの、何気ないけど後を引く言葉や、印象的な繰り返される「Watch me」、そして「白」。何かあると思いつつ、それでもすっかり騙されました。この答えの出ないグダグダ感、私は決して嫌いではありません。


2014年06月19日(木) 「私の男」

桜庭一樹の原作は、発表当時話題になっていて、内容もあらすじくらいは知っていました。「私の男」とは養父の事。男女関係にある父娘の、そのものずばりの描写もある割には、何故かそれ程背徳的な感情が湧かない。その事よりも、ずっと寂しさが心にまとわりつく作品でした。監督は熊切和嘉。

北海道の奥尻島を襲った津波により、10歳で震災孤児となった花(山田望叶)。遠縁の若い男性腐野淳悟(浅野忠信)が養父となり、養育することになりました。それから6年、高校生になった花(二階堂ふみ)と淳悟は、北海道の田舎町紋別で、二人暮らしていました。しかし街の名士大塩(藤竜也)は、二人の深い関係を知ると、花を別の家に引き取らせ、二人を別れさせようとします。その後ある重大な事件が起こり、二人は逃げるように東京に向かうのでしたが。

冒頭の震災のシーンが素晴らしい。大がかりなCGなど一切ないのに、その悲惨さや無念さが伝わってきます。年端も行かない子が、ペットボトルだけ抱えて放置されているだなんて・・・と、筋に関係ないところで、泣いてしまう私。花は泣かないのに。茫然自失状態なのに、無表情で横たわる遺体を蹴る花に、また涙。こんな時は、大人だって常軌を逸した事をしてしまうものです。それくらい彼女はショックを受けていたはず。多分それ以降の不道徳な展開に嫌悪感が湧かなかったのは、この時の花の孤独が強く印象に残っていたからだと思います。

凍てつく町の静けさと反比例するような、濃密な親戚や隣人との関係。賛美するでもなく否定するでもなく、それらを淡々と表現する雪深い街並みのロケーションが素晴らしい。残る印象は「険しい」でした。

淳悟の恋人小町(河合青葉)とのセックス場面は、まるで官能性も愛も感じないのに対して、淳悟の指を吸うだけで、粘ついた愛欲を感じさせる花。なのに女でもあり少女でもあり。どんなに淳悟とセックスに耽っても、彼女は少女であり続けるのは、何故なんだろう?「俺は父親になりたい」と切に願う、淳悟の気持ちがそうさせているのかしら?なら、本当にファム・ファタールなわけで。

そして花の「あの男は私の全てだ!」の絶叫の時に知らされる真実。震災現場での淳悟の何気ない言葉、あの禍々しい血の描写は、そういうことだったのかと、腑に落ちました。二人の間には濃密な、そしてただならぬ空気が漂い近寄れない。二人がどういう経緯で結ばれたのか、淳悟の背景になにがあるのか、わずかばかりの手掛かりに想像するだけでしたが、その息苦しさを絶妙にカバーしてくれたのが、雪の冷たさでした。前半は本当に息を凝らして見つめ続けたんですが。

東京に逃げてからが、雑。私は原作を読んで無いので推測ですが、10歳の頃の花の声で、「お父さん、キスしよう」と描かれます。と言うことは、その頃から二人は関係があったと判断しました。となると、性的虐待ですよね。大事件を起こし、愛欲に溺れる二人の家は甘いスイートルームなのではなく、まるでゴミ屋敷。自堕落の極みに、ここで初めて二人は罰を受けていると感じます。

この描写は良かったのですが、その後がいけない。ある人物が二人を訪ねてくるのですが、その後が一切描かれません。この作品はストーリー展開より、業の深い父娘の愛の行方を、感性で見る作品だと思います。しかしこの人物のその後を描かないのは、作品上で致命的だと思いました。原作ではどうなっていのか、気になりました。

二階堂ふみがとにかく素晴らしい!垢抜けない無垢な少女の放つ魔性っぷりに、もうクラクラ眩暈がしそうでした。雪深い道上で、淳悟にキスをねだるシーンが、私は一番お気に入りです。浅野忠信は、相変わらずセリフは一本調子ですが、存在感はたっぷりでした。藤竜也が好々爺の役なんだ〜と、時の流れを感じていましたが、「昔は大層モテた」と言うセリフにはにんまり。昔は本当に素敵だったんですよ。それくらいのサービス、あってもいいですよ。

後半の花は、成人して綺麗にお化粧して美しくなっています。少女の頃の無垢な魔性っぷりは影を潜め、代わりに年相応の知恵を感じさせました。自分の身の上に起こった凄惨な出来事、肉体の喜び、愛することの震えを、がしがし踏みしめて「なかった事」にしているような、花。選んだ男は凡庸な好青年。なかったことにするには、一番好都合のタイプ。対する淳悟は、「お前には無理だ」と、花ではなく男に告げます。しかし、もう花は戻ってこないとわかっているのでしょうね。

花は「なかった事」にしたい気持ちはあっても、決して忌まわしい出来事だったとは、感じていないと思います。父親から逃げたんじゃないと思う。堕ちていく「父」を救うのは、二人一緒に堕ちる事ではなく、自分が分別を弁えた大人になる事だと、花は思ったんじゃないかなぁ。こんな背徳的な関係でも、男は幼稚なままで、女は成長するもんなんだなぁ。それでも「私の男」は多分一生一人きり。でもその人には、悟られてはいけないことなのでしょうね。


2014年06月12日(木) 「グランド・ブダペスト・ホテル」

予告編を見てから、とっても楽しみにしていた作品。実は私、ウェス・アンダーソン監督作品は、前作の「ムーンライズ・キングダム」が初めてでして、それが大当たりしたもんだから、すっかり待ち焦がれちゃって。今回も超豪華キャストで奏でるラブリーなミステリーに、しっかり魅了されました。

1932年。グランド・ブタペスト・ホテルは、「伝説のコンシェルジュ」グスタヴ・H(レイフ・ファインズ)の最上級のおもてなし術のお蔭で、一流ホテルの名を欲しいまま、大盛況です。しかし大切な顧客でグスタブと懇意だったマダムD(ティルダ・スウィントン)が亡くなり、その疑いがグスタヴにかけられたから、さぁ大変!グスタヴは可愛がっているベルボーイのゼロ(トニー・レヴォロリ)の助けを借り、嫌疑を晴らそうとします。

とにかくこれでもかと言うくらい、次々名のある俳優が出てきます。それぞれ趣向を凝らした扮装で出てくるので、それもお楽しみの一つです。私はレイフ・ファインズとエドワード・ノートンくらいしか頭になかったので、すんごい得した気分。特に嬉しかったのはジェフ・ゴールドブラム。全然新作では観ていなかったので、素敵な老年に向かっているようで、とっても嬉しかった(あんな最後ですが・・・)。髪の毛のせいで「21世紀のアラン・ドロン」になれなかったジュード・ロウも、そのお蔭で、色んな役を振り当てられ、器用にこなしているのを見ると、これこそ災い転じて福となす・・・かしら?(笑)。レイフは自分の持ち味を上手く使って、楽しんで演じているのがわかります。ウィレム・デフォーは、歯並びから「ノスフェラトゥ」を思い出しました(笑)。怪演の悪役だけど、まだまだクールでカッコ良いですよ。

建物や小物など、美術がとにかく素敵!砂糖菓子のように、本当にラブリー。ラグジュアリーな中に少々のハリボテ感がキッチュな雰囲気を香らしているのも良いです。だって現在は「魅力的な廃墟」となっているのですから。

遺産狙いのため、血生臭い殺戮が起こり、冤罪や底辺の若きカップル(ゼロとアガサ(シアーシャ・ローナン)の純愛があるかと思えば、老女のセックス問題(笑)なども織り込まれ、結構ドロドロなんですが、ユーモラスに漫画チックにポイントをずらし気味に描いているので、ずっとクスクス笑えます。今回は「アルカトラズからの脱出」@アンダーソン版もあり、結構ハラハラしますよ。

グスタヴは懇意と書くとあれなんですが、要するに金持ち婆さんたちの夜のお相手もしている。しかしですね、そこには博愛精神と言うか、敬意と言うか、とにかく言いなりでなくて、断じて男妾なんかじゃないわけ。マダムD(84歳の設定ですよ。ティルダ様怪女優路線まっしぐら)のネイルの色に「吐き気がする」と物申す様子は、ちゃんと彼女を女性として見ている。もちろん酸いも甘いも噛み分けた婆さん方、自分たちは顧客と言う媒介を通じてのグスタヴとの仲だとは、認識しているはず。でもそこにそれ以外の「何か」があるから、こうして毎年ホテルへやってくるのでしょう。それはグスタヴとて同じ。そのニュアンスが演出から香るのが、とても素敵でね。

グスタヴはエレガントで教養溢れる立ち振る舞いをする人です。でも激昂すると「クソ○○!」発言が多発し、多分は生い立ちは下々なのでしょう。努力して洗練された今がある。私も彼に魅了されていきましたが、それは彼が優美なハンサムな男性だからじゃありません。そこかしこに、恵まれない生い立ちも忘れず、大切にしている人だと、思えたからです。

グスタヴは身内がいるのに孤独に苛まれる老女たちを愛し、親を亡くした移民のゼロを偏見なく、「私のベルボーイ」と守り、顔に大きな痣のあるアガサの外見に惑わされず、内面の賢さを見抜けるのか?彼も同じように底辺でもがき偏見にさらされ、孤独と屈辱を味わってきたからだと思います。それを忘れずにいるから、様々な人の哀しさがわかるのですね。本当に素敵な人ですよ。「クソ○○!」発言も含めてね(笑)。

そんな彼は優美なだけじゃなく、戦争で自分が育て守ってきた美意識を壊されることに、憤懣やるかたないのです。グスタヴの時代に流されない気骨の中に、監督の戦争への思いを込めたのだと思いました。

ドタバタのコメディタッチのミステリーの中に、実は愛と欲望、希望と勇気、時の流れの哀切、反戦の心などがてんこ盛りに練りこまれながら、美味しく味わえる麗しい作品です。ちなみにアンダーソン監督作品では、一番のヒット作だとか。是非ご覧くださいね!


2014年06月05日(木) 「ディス/コネクト」




四つのお話が絡み合う群像劇。インターネットの弊害については、あれこれ言われているので、その事については格段目新しくはないです。しかしネットの向こうには何があるのか?その事にきちんと言及している点が素晴らしい。単にネット社会に警鐘を鳴らすのではなく、普遍的な人や家族の絆について描いている、秀逸な人間ドラマです。地味ですが実力派のキャストを集めたのも功を奏しています。監督はヘンリー=アレックス・ルビン。

SNSで知り合った少女が、実は同じ学校の少年ジェイソンとは知らず、恥ずかしい画像を送ったベン。それが学校中に広まり自殺を謀ります。ベンの父リッチ(ジェイソン・ベイトマン)は、事の真相を知りたく奔走。ジェイソンの父マイクは元警官で、今はネット専門の私立探偵。ネットから個人情報を盗まれたデレック(アレキサンダー・スカルスガルド)とシンディ(ポーラ・パットン)夫妻から、捜査を依頼されています。野心家のTVレポーター、ニーナ(アンドレア・ライズブロー)は、ポルノサイトで働く少年カイル(マックス・シエリオット)を見つけ、彼からルポルタージュを試みます。

リッチは仕事中毒、マイクは厳格と、共に息子たちには反発されている父親ですが、それ自体は思春期の頃に有りがちな事で、物語はそれを責めているのではありません。息子の孤独を見過ごしていた自分を責めるリッチ。不正や悪を許さないマイクが、息子のしでかした事が発覚した時、どうしたのか?私はここが重要だと思うのです。それは褒められた事ではないのですが、二人の父親の焦燥に駆られた行動は、とても人間らしい。

子供を亡くしてから、すきま風の吹くデレックとシンディ。心の隙間を埋めるためチャットに熱中した彼女から、カード情報が盗まれました。夫もまた違う形で子供の死を悼んでいるのに、分かち合えない二人。元軍人で、今は仕事の成果も上げられず空虚な毎日を送っているデレックも、妻にその事を吐露できません。

SNSやチャットなど、安易に人を信用するなかれ、とは常々言われている事ですが、彼らを観ていて、知らない相手だからこそ、心の奥底を見せられるのだとも感じます。相手が自分を知らないので、妙なプライドのない裸の自分を出せるから。もちろん、それは諸刃の剣であるとは描いていますが、私は裸の自分をさらけ出す方が印象に残りました。

ネタ探しにネットサーフィンしていて、カイルを見つけたニーナ。彼に同情するでもなく説教するわけでもなく、単に情報元としてしか見ていなかったはずの彼女が、何故危険を冒してまでカイルを救おうとするはめになったのか?それは彼と実際に会ったからだと思いました。カイルから「利用しているのは、あんたの方だ!」と罵られ、差し伸べた手を振り払われたニーナ。あの時、しばらく自分が一緒に住むと言ったら、カイルは彼女の元に逃げ込んだはず。同じ利用されるなら、責任を取ろうとするだけのニーナより、親のように庇護してくれる雇い主(演じるは何とマーク・ジェイコブス)を選ぶカイルもまた、人との温もりを求めているのです。

ラストはそれぞれのお話が暴力を引き起こします。しかしそこに、生身の人間の怒りや哀しみを感じ、殴り合いが裸と裸のぶつかり合いに感じるのです。マイクの差し伸べる手を取るリッチ。冷静に話し合えるはずのない二人が、殴りあった事で、共に息子への愛を確認します。シンディをよく知る男二人の争いを止めたのは、彼女の「シンディ・ハルよ!」の絶叫でした。相手の男性は瞬時に事の次第を慮ったでしょう。そして自分の出世のためにカイルを傷つけた代償を受けたニーナは、野心家ではなく、きっと心あるジャーナリストになってくれると思いたい。ネットだけでは決して得られない感情だと思いました。

それぞれ味わい深いですが、私が好きなのはニーナとカイルのパート。孤独にも色々ですが、一番辛いであろう天涯孤独の辛さを、カイルから感じたからです。野心の強いニーナを作ったのもまた、孤独であろうと思います。ニーナを演じるライズブローは、見る度全然違う人で、その上上手い!今回もやり手の美人レポーターの強気な様子だけではなく、バストトップは見せるは、疲れきったスッピンも見せるはで、その女優根性にとても感心。惚れてしまいました。これから彼女が出ている作品は、できるだけ観ようと思います。

今の生活に欠かせぬネット。この作品は決して使うなと言っているわけではないです。そこそこに使えでもない。目の前の現実から逃げていたら、大事なものを見落とすよ、という事だと思う。ネットに振り回されず、自分の人生を豊かにするツールとして、それぞれが使わなくては。私は長年のSNSで親しくさせていただいている方たちがいます。勝手に心の友と親愛を感じているのですが、その人たちに死ぬまでには絶対に会うぞ!と、誓いました。




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