ケイケイの映画日記
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2011年12月25日(日) 2011年 年間ベスト10

今年は午前十時2本を含み、82本観ました。
ちょっと物足らないけど、好きな作品が多くて楽しい一年でした。

洋画部門

1位 「愛する人」

2位 「ウィンターズ・ボーン」

3位 「キッズ・オールライト」

4位 「127時間」

5位 「メアリー&マックス」

6位 「人生ここにあり!」

7位 「ヒア アフター」

8位 「BIUTIFUL ビューティフル」

9位 「イリュージョニスト」

10位 「リアル・スティール」

邦画はあまり観ていないので、恒例の順不同で三本です。

「毎日かあさん」

「死にゆく妻との旅路」

「八日目の蝉」

洋画の一位「愛する人」は、観た直後今年は絶対これだと直感、以降ちょこちょこ浮気心が起こるものの、読み返してみて、改めて自信を持って一位に選びました。女性に生まれた意味を深く考える機会を持たせてくれる作品で、中学生以上の全世代の女性に、是非観ていただきたい作品です。

娯楽作・インディーズ系入り乱れて、10本中実にアメリカ映画が7本!今年私が豊作だと感じた理由はこれだなと、選びながら感じました。幼い頃テレビの洋画劇場で育った私には、映画=ハリウッド映画なんです。今年は大作・小品問わず上出来の作品が多く、嬉しい限り。ハリウッド映画の王道作品として、10位は「ミッション・インポッシブル ゴースト・プロトコル」とすんごく迷いましたが、心を熱くさせてくれた点と、ダコタ・ゴヨ君の頑張りにより、「リアル・スティール」を選びました。

今年のアメリカ映画は元気の出る作品が多く、世界規模で閉塞感がいっぱいの今だからこそ、値打ちがあると感じました。この調子で来年も期待したいです。

邦画三本も妻として母として、手に取るようにヒロインたちの心情が理解できて、深く印象に残っています。「死にゆく妻との旅路」と「毎日かあさん」は、共にダメ夫を持つ妻です。夫たちのリアルなろくでなしぶりを描きながら、彼女たちがダメな夫を何故愛したのかが描かれており、夫婦は理屈ではないよなぁを、改めて感じました。

我が家も世間様同様、仕事に悩み多き一年でした。昨年夏、長く勤めた職場の廃業により、秋には同種の勤め先を見つけた夫でしたが、長時間の拘束に加えて雇い主とも合わず、ずっと鬱々した日々を送っていたのはわかっていました。普段愚痴やぼやきは多い人なのですが、それもなし。これは相当参っているぞとは思いましたが、本人から「辞めたい」と聞くまで、こちらも辛抱。それで再びの夫の転職に備えて、私もクリニックの空いた日に、デイサービスのお手伝いのパートに就きました。人生初のダブルワークです。

やっと「辞めたい」と聞いたのが五月。夫は仕事に対して誠実で辛抱強い人なので、私も二つ返事で了承。早速夫の留守を見計らって息子三人に相談。長男から「今までお父さんとお母さんで家族5人支えてきたけど、今は息子もみんな社会人や。俺ら三人で力を合わせたら、親だって養える。安心してお父さんには仕事辞めてまた就活したらいいって、言ってあげて」との言葉を貰いました。その言葉、直接お父さんに言って頼むと、了承してくれました。子供の言葉で涙する夫を初めて見ました。

辞めたいと勤め先に伝えた三日後、目先を変えた職種で応募した今の職場の面接、次の日に採用となり、家族全員拍子抜け。夫58歳です(当時57歳)。収入は下がりましたが社会保険など保障の厚い職場で、中高年にはありがたいです。おまけに定年がなく、二方合意なら、ずっと働いて下さいとのこと。息子たちの飯代も一万の値上げだけで済み、お陰様で親の威厳も保てています。

夫より大変だったのが次男。五年務めた仕事を退職直後震災が起こりました。日本中先行きに暗雲立ち込める中の就活は厳しく、一度正社員で雇って貰ったのですが、そこは所謂ブラックで二ヶ月で退職。その後はアルバイトをしながらの就活です。今年から7歳下の弟が安定した企業で働き始めたため、身の置きどころがなかったでしょう。親の目から観ても小さくなっているのが可哀想で(身長185cmです)。

書類や面接で落ち続ける中、「ごめんな、お母さん」「俺会社辞めたん、間違いやったんやろか?」と何度も聞かれ、母親として私も辛い日々でした。次男は大人です。励ましすぎてもダメ、でも放任もダメ、親として「見守る力」が試されているなと感じ、まだ自分も母親の仕事が終わったわけではないと、痛感しました。

毎日ネットやハロワで求人を探す日々、心折れずに頑張った御陰で、10月より正社員で今の職場で働いています。次男は我が家の中でも規格外の変わった子で未熟な部分も多く、向いた職種の方が少ない子です。でもツボにハマれば誰より力が発揮出来るタイプで、今の職場はそうみたい。仕事は大変そうですが、暗黒の就活時代が勉強になっているみたいで、愚痴をこぼさず頑張っています。

私の方も精神科の方の受付スタッフが一人退職、穴埋め無しの方針が決まりシフト増に。おばあちゃんたちに可愛がってもらい、楽しく仕事していたのですが、デイサービスは円満退職させてもらいました。精神科は福祉の側面も強く、介護の現場を少しでも経験したのは、精神科スタッフとして良い勉強になりました。

4位の「メアリー&マックス」は、ダブルワーク中で時間が取れず、一日に三本観た結果、感想が書けずに終わってしまって、非常に残念!他にも「ソウル・キッチン」など良かったのに時間がなくて書けなかった作品が何本かあります。今年はサイトを持って一番、観て書く時間の確保に苦労しました。

お陰様で私も精神科勤務も一年過ぎ、楽しくお仕事させてもらって有難いと思っています。事実は小説より奇なりを地で行く患者さんが多く、この職場で働くようになってから、小さい事にも心の底から感謝できるようになりました。仕事が出来る年齢の家族五人全員職場を得て、心身共に健康でいられる環境に、本当に感謝しています。

現在仕事で恵まれない境遇の方に、少しでも励ましになればと、今年の我が家の状況を書きました。我が家は優秀な者は一人もなく、平凡を絵に書いたような家庭ですが、今年ほど家族のありがたさを感じた年はありません。

皆様、今年も拙い私のレビューを読んで下さり、ありがとうございます。私がいつも平常心で明るく過ごせるのは、映画のお陰(まっ、時々は沈みますけど)。来年もマイペースで、観て書いていこうと思います。
どうぞ良いお年をお迎え下さい。


2011年12月23日(金) 「リアル・スティール」




うわ〜、もう素晴らしい!これこそ私の大好きなハリウッド映画です!ろくでないしのダメ親父が、自分の息子によって再生される話なんて、いつの時代でも作られているけど、面白くて感動出来る作品なら、平凡な内容だって毎年観たいわ。真冬に体がポカポカ熱くなる作品です。監督はショーン・レヴィ。

2020年のアメリカ。人間がロボットを捜査して格闘技をする時代、元ボクサーのチャーリー(ヒュー・ジャックマン)もその一人。現在使用中のロボットが試合で破壊され、次のロボットを買うにも金銭的に窮している時、別れた妻が急死したため、赤ちゃんの時以来会っていなかった11歳の息子マックス(ダコタ・ゴヨ)と、ひと夏過ごす事になります。試合のため旅に出るチャーリーは、マックスをジムの経営者ベイリー(エヴァンジェリー・リリー)にあずけようとしますが、ロボット格闘技が好きなマックスは強引についてきます。マックスはある廃棄場所で、ポンコツの旧型ロボットを見つけます。名前は「ATOM」。二人はこのロボットを使って、試合の旅に出ることにします。

試合では惨敗、同業者の借金取りの追われ、人生どん底で四面楚歌のチャーリー。別れたと言えば聞こえは良いですが、要するに出産直後の妻子を捨てたのです。マックスも引き取りたくて引き取った訳ではなく、元妻の姉デブラ(ホープ・デイヴィス)に親権を譲る際、デブラの裕福な夫を半ば揺するよにして、お金をせしめるためです。愛情なんてからっきしの本当のどうしようもない男。

しかしこの設定は良かった。誰も育てる人がおらず、親戚をたらい回しだったら、マックスが可哀そう過ぎです。実の親父はろくでなしですが、叔母とその夫は善き人たちで本当にマックスを愛しています。そしてそのろくでなしを見栄えが良く底辺でも品の良いジャックマンが演じる事によって、本当はこんな人じゃないのよと、観客も思えます。

気が強くて頑固、一発勝負で大儲けしたいチャーリー。最初こそ父親に「コツコツ稼いで、こことおさらばしようよ」と言っていた賢いマックスですが、ATOMを引き連れての戦いからは、まるで自分の親父とそっくりで、とっても微笑ましい。離れていてもやっぱり親子を表現してるのでしょう。

ATOMは旧型ですが、それ故自分の目にした物を真似る機能がついています。自分と同じ動作をするATOMに、父親と打ち解けられないマックスが愛着を感じ、慈しむ様が切なくってね。ATOMを愛することで、自分の無聊を慰めているのです。

ATOMによって勝つと言う同じ目標を持った事で、急接近する二人。この辺の展開は鉄板なんですが、観ていて気持ちがとても良いです。捻りなんて必要なし。ダメ親父も颯爽としてきて、真っ当に。息子の方が口が立つし度胸があるしで、どちらが親なんだかわからんよと苦笑していたら、チャーリーはいい加減に生きていた時のツケを、払わされることになります。息子も危険な目に合わせたことで、マックスに取って何が一番幸せなのか?と、初めて息子の身になって自問します。

チャーリーの人としての変貌、父親としての成長は、息子を世話する、一緒に暮らして初めて芽生えたものです。ここに血だけではない、親子の本質があります。妻子を捨てたことは卑怯で許し難い事ですが、これからちゃんとするなら、許してあげたくなります。

離れそうになる二人の絆をまた結んでくれたのもATOM。どの試合も熱くなりましたが、最強ロボットとの対戦は、私も思わず叫んで応援しそうになって、止めるのに必死。それで疲れちゃったくらい。それくらい臨場感たっぷりで、本当にこっちも熱くなりました。ATOMには人間の心を認知する機能は付いていません。しかし相手の目を見て反応する様子は、心があるように感じて、遠隔操作だけの無機質なロボットと違い、観客が応援するのに適していたし、チャーリーが元ボクサーと言う特性も活かせており、とても良い設定だと感じました。

出演者はダコタ・ゴヨ君が出色。向っ気は強いのだけど、ませたところのない素直なマックスをとても好演。父親と打ち解けたいのだけれど出来ないもどかしさも、上手く表現出来ていました。ATOMと一緒にダンスする入場シーンもクールで良かったし、これはもう一度観たいくらい。敵に塩を送るシーンの血管切れそうな絶叫も良かったなぁ。とにかく私は大好きになりました。オスカーの助演男優賞にノミネートされないかしら?

ヒュー・ジャックマンも素敵な上腕筋と胸板が生かされた役で、薄汚くなりがちな役どころを、綺麗にまとめていたと思います。もう一人好きだったのが、エヴァンジェリー・りりー。二人を見守る女性の役ですが、温かみがあり、健康的なセクシーさのある女性で、包容力のある優しさが素敵でした。控えめな存在感で、作品を支えていたと思います。

封切りは早めでしたが、お正月映画です。ファミリー映画として出色の出来なので、吹き替え版も用意して欲しかったな。そしたら小学校の低学年の子も観られるのに。マックスはきっとこれから、どんな境遇でも、チャーリーを父親として認めてくれるでしょう。いつの時代にだってダメな親はいるもんです。そういう親を持つと一生恨みたくなる。でも親を許すのは親のためじゃない、自分のためなの。自分の苦しさから解放されるためです。父と息子の二人の笑顔のラストに、そんなことを考えていました。


2011年12月18日(日) 「ミッション・インポッシブル/ ゴースト・プロトコル」




大好きなこのシリーズ、公開初日に観てきました。前評判の高さに偽りなしの出来で、嬉しい限り。今回はチームに私の御贔屓ポーラ・パットンも出ています。監督はブラッド・バード。

ロシアのクレムリンで爆破事故が起こり、アメリカの諜報機関IMFのイーサン・ハント(トム・クルーズ)のチームに容疑がかかります。アメリカ大統領は事件の関与を否定するため、「ゴースト・プロトコル」を発令。チームは孤立無援状態に。ジェーン(ポーラ・パットン)、ベンジー(サイモン・ペッグ)、行きがかり上チームに加わった分析官のブラント(ジェレミー・レナー)は、真犯人を見つけるべく、過酷な戦いに挑みます。

冒頭、何故かロシアの刑務所に収監されているイーサン。ここからの脱出がまずワクワク。素手の戦いとハッカーの頭脳が冴えます。今回「007」並みのアイテムを作るのは、天才ハッカーのベンジーですが、演じるはコメディの出演の多いサイモン・ペッグで、何か不始末するんじゃないかと不安になり、実際チョンボもあったりで、この配役はとても良かったです。

敵はロシア?まぁ〜古式ゆかしいスパイものじゃございませんか?と思っていたら、敵は核兵器推進派のスウェーデンのマッドサイエンティストの通称コバルト(ミカエル・ニクヴィスト)が真の敵であります。う〜ん、超過激なキャラ設定の割には、ちと小粒かな?セリフも少ないし、不気味さが薄いです。前作のフィリップ・シーモア・ホフマンが100点満点の憎々しさと大物ぶりだったので、比較してしまい損しています。ニクヴィストはもうじきフィンチャーのリメイク作が公開される「ドラゴン・タトゥーの女」の主役ですが、セリフが少なかったのは、英語が苦手なのかも。

ブラントは隠せぬデキる様子が謎めいています。演じるレナーは悪党ヅラなんですが、なんか今回は優しげな表情しておるのだな。敵か味方は、割合早くわかります。この人も結構変幻自在に演じられるタイプみたい。




ポーラ・パットンは暖かみのある美貌と知性的な人で、画像より動くほうが素敵な人です。スタイルも抜群なので、今回すごく期待していましたが、敢闘賞と言う感じでしょうが?少し華が足りません。アクションも頑張ってはいましたが、走る姿がちょいドタドタ。これもホフマン同様、前作のマギー・Qのセクシーな美貌のアクション女優ぶりがとても素敵だったので、損をしています。ジェーンは愛する人を殺されたという背景があり、真面目で優秀な人と言う設定なので、及第点はあげられます。

肝心のストーリーとアクションの見せ方ですが、大きな破綻もなくアクションは斬新な見せ方もあり、次から次と、息付く暇なく繰り出されるアクションシーンは、どれも上級で大満足です。今回はイーサン得意の変装を封印しての替え玉作戦もあり、ほぉ〜、そうきますかと言う感じ。アクションは終盤の駐車場の場面がとても見応えがあり、こういう見せ方がまだあったんだなと感心しました。

で、主演のトムなんですが、短い足で今回も全力失踪、とってもカッコいいです。制作も兼ねているので、ストーリーにウェットな部分を入れたいのは、彼の意向でしょう。私はいらないと思いますが、それは娯楽作でも観客の心を動かしたいと言う、ハリウッドのスター俳優トム・クルーズの美学なのかも。容姿ももうじき50なので、衰えは隠せませんが、万年青年の若々しさを目指しているみたいで、アクションのキレはまだ充分持ちこたえています。渋さを増して新たな魅力を見せるブラピとは対照的ですが、これもトムのスタンスなのでしょう。何回も言いますけど、このクラッシクスタイルの銀幕スターぶりが、私がトムを好きな理由です。今回ジェレミー・レナーにも「1」のイーサンを思わすハラハラドキドキの見せ場があり、チームのメンバーににアクションシーンを振り分ければ、後2作くらいはトム主演で安泰だと思います。

難しい事は一切なし、昔懐かしい派手で楽しいお正月娯楽大作です。絶対ご満足いただけると思いますので、どうぞ年末年始にご覧下さいませ。


2011年12月15日(木) 「サルトルとボーヴォワール 哲学と愛」




いや〜、面白い!敬愛する映画友達の方から、哲学には疎い私にもわかると聞いて、観てきました。ジャン・ポール・サルトルとシモーヌ・ド・ボーヴォワールの事実婚関係は、広く知られていますけど、あのフェミニストのボーヴォワールが、これほど「普通の女」の哀しみと苦労を背負っていたとは。それでもサルトルに負けじと、ずっと背筋を伸ばして相対するボーヴォワールに、同性としてとても共感出来ました。監督はイラン・デュラン・コーエン。

1929年、ソルボンヌ大学で天才と謳われていたサルトル(ロラン・ドイチェ)。同じくソルボンヌに通う女学生ボーヴォワール(アナ・ムグラリス)を一目見て、その美しさと知性に心を奪われます。強引なサルトルの求愛でしたが、二人の仲は深まり、一緒に暮らすことに。しかしサルトルは「作家がひとりの人だけを愛するのはダメだ」と、結婚後も自由恋愛を謳歌する契約結婚を申し入れます。女性にとって抑圧された結婚生活が当たり前の時代に疑問を持っていたボーヴォワールは、戸惑いながらもサルトルの申し出を受け入れます。

私の知っているサルトルと言えば、「実存主義」(意味は良くわからん)の言葉と、やぶにらみで如何にも哲学している顔つき、そして小柄です。この作品のドイチェは童顔で幼く見え、やはり小柄。サルトルはボクシングをやっていたみたいで、ドイチェも体付きは締まっており、小柄で賢い男の色気がそこかしこ漂っています。最初こそ、えぇ〜この子がサルトル?でしたが、これが意外と適役でした。

とにかくサルトルは、ひっきりなしに女がいます。そりゃね、「人間は自由という刑に処せられている」なんて言う男が、「君なしではいられない」と、耳元で囁くわけですよ。その知性だって「サルトル」なんですから、似非じゃぁない。自分には縁のない男、憧れるが花、とは思い切れないよなぁ。私もインテリ男に弱いので、よーくわかるわ。しかしサルトルがこんなに女のお尻ばっかり追い掛け回しているとは、知りませんでした。

一方ボーヴォワールは、上流階級の出身ながら、現在は貧乏生活。威圧的な父親に平伏して生きている母親には疑問がいっぱいです。ボーヴォワールは女性にとっての結婚生活を「男の召使いになる事」と言い切ります。その時代でも、召使いではなく妻となっていた女性もあったでしょうが、やはり親が子供に与える影響は強いようです。

陰日向になり、サルトルの執筆活動を支えるボーヴォワール。とっかえ引っ変えサルトルが女を変えるのに対し、彼女は教え子と同性愛関係に。しかしサルトルに「男性はあなただけよ」と、複雑な女心の本音を見せます。この辺から、ずっと遠い、遥か彼方の存在だったボーヴォワールに共感する私。

嫉妬に疲れはてたボーヴォワールは、サルトルにセックスはもうしないと宣言します。愛は愛でも性愛がなければ、この煉獄から抜けられると思ったのですね。しかし彼女の願いは叶えられず、やはり嫉妬に身を焦がし、何度も別れを考えます。「彼とはダメになると言った、お母さんたちは正しかった」と、彼女は自分の母に愚痴ります。しかし夫を見送った母は、「それは違うわ。子供もおらず結婚もせず、でもあなたたちは今も別れずにいる」と。そして「お母さんはお父さんを愛していたわ。お父さんもお父さんなりにね」と語ります。あれほど夫から抑圧されていたのに。娘に男女の愛は色んな形があり、当事者にしかわからないと言いたかったのでしょう。

アメリカ旅行で知り合った作家のオルグレンと恋仲になるボーヴォワール。誠実で女性を守りたいと願う、平凡な男性的魅力に溢れた人で、彼に求婚されます。反対するサルトル。どこがいいのか?と。「彼は私を愛してくれる。子供が欲しいと言われているの」と。そうよね、戦友や同士として、人間としては、誰よりサルトルはボーヴォワールを愛していますが、女として尊重してもらったとは言い難い。彼女の掌で遊ばすには、サルトルは大き過ぎるのですね。ボーヴォワールほどの女性でも、男性には愛されたいのかと、ここでもぐっと彼女が身近に感じられました。

しかし平凡な女の幸せを手にしたとて、ボーヴォワールは幸せになったのかしら?お母さんは父親が亡くなったあと、重苦しく重厚な家から、陽光が燦さんと降り注ぐ、白を貴重の明るい家に引越し、活き活きします。男性から開放された証みたいに。でも実家から離れたボーヴォワールのホテルの部屋は、あの重苦しい実家そっくり。普通の強い女性である母とは違うということです。並外れた才能と叡智に満ちた彼女には、やはり同格かそれ以上のサルトルでなければダメなのでしょう。サルトルとて、自分に見合う女性はボーヴォワール以外にはいないと、確信があったのでしょう。自分たちの関係を保つため、他の女性に手を出して、二人の関係を保ったと言うのが、彼の言い分かな?あのサルトルとて、男としては「凡人」と言う事です。

ただ妻が同業者の場合、その成長や成功を素直に喜べない「夫」が多い中、ボーヴォワールの才知を認め、もっと大きく成長させようとしたところは、やはりサルトルの器は大きかったという事でしょうか?

私の好きな「シャネル&ストランヴィンスキー」でもシャネルを演じたムグラリスは、今作でも女性初の哲学者であるボーヴォワールを、ハスキーボイスも耳に心地よく、好演しています。アナの笑顔の少ない凛とした演技あってこそ、シャネルやボーヴォワールのような、才に恵まれた女性の哀しさが浮き彫りにされるのだと思います。

その他、第二次大戦のナチスのフランス侵攻、作家や知識人との付き合いなども挿入され、歴史的背景も描いています。フランスとアメリカの当時の文化の違いなど、私は面白く観ました。

ボーヴォワールの時代の女性は、一生仕事をするなら、結婚も子供もあきらめなければなりませんでした。でも今は違います。両方手に入れることが出来る時代です。ボーヴォワールが現代に生きていたら、どういう選択をしたかな?ちょっと興味があります。


2011年12月11日(日) 「ラブ&ドラッグ」

あの真面目なエドワード・ズウィックがラブコメなんて珍しいし、主演はジェイク・ギレンホールとアン・ハサウェイと言う素敵な二人。と言う事で、公開後すぐに観てきました。前半はテンポ良くちょっとエッチなラブコメだったのが、後半はずんずん切なくピュアなメロドラマに。やっぱりズウィックは、真面目で心映えの美しい作品を作るのでした。

1990年代半ばのアメリカ。ファイザー製薬のMRのジェイミー(ジェイク・ギレンホール)は、あの手この手を駆使して営業成績を伸ばそうと必死ですが、なかなかライバル会社の製品を追い抜けません。そんな時営業先のクリニックで、若年性パーキンソン病の若い女性マギー(アン・ハサウェイ)と知り合います。尻軽プレイボーイのジェイミーは、美人の彼女にいつものように声をかけます。体だけの付き合いなら、と言う条件付きで、OKするマギー。しかし付き合いが長くなるに従い、段々マギーに惹かれるジェイミー。折しも夢の薬バイアグラが登場し、ジェイミーはぐんぐん成績を上げるのでしたが・・・。

MRさんと言うのは、私たち医療機関の受付も身近に接する方々です。その昔はこんな大層な接待があったと聞いていましたが、なるほどなぁ。にわか自立てのMRを作る様子が、とにかく派手でもぉ〜。イケイケドンドン、セールスマンをその気にさせるやり方は、扱う品が違っても、セールスの基本はみんな同じなのよね。医学知識を詰め込む辺りは、ほとんどブロイラー並み。これじゃ薬の効能を垂れてもドクターに勝てるわけはなく、金品・肉弾の接待になりますわな。今は本当にないですよ。うちの先生なんか、カレンダー貰うために書類後回しにして、結局ウェットティッシュだけだったりするもん。そうそう、ジェイミーは受付さんにも花束渡したりしていましたが、それも皆無。M製菓(薬も出してます)のMRさんは、お菓子の詰め合わせを下さるので、どこでも人気です。

勝気で美人のマギーは、まだ初期のパーキンソンなので、一見するとわかりません。彼女は、セックスを楽しむだけ、決して深入りはしないと言う条件を提示します。尻軽チャラ男のジェイミーにしたら、願ったり叶ったりの条件。速攻ベッドinします。これ以降、陽気なユーモアと若々しいエロス満開のセックスシーンがいっぱいです。偉いのはアンちゃんが何度もフルヌードでバストも見せていること。最近は男優はお尻まで見せても、女優はブラをつけていたり、ありえねーだろ的作品が多く、女性の私でも違和感があります。バストは美乳、スタイルも抜群で、彼女のヌードは見どころの一つです。

マギーがセックスだけと言うのは、自身の持病のせいで、過去の恋愛で傷ついているからです。刹那的であれ、セックスは今は健康であると言う実感は得れるものだし、やはり肌の温もりは心も温めてくれるのでしょう。明るく描いていても、彼女の心の底は見え隠れさせながら話は進みます。

段々真剣になるジェイミーに対して、及び腰のマギーが、彼を受け入れるきっかけは、同じパーキンソンの人たちの集会でした。自分よりもっと病状の重くなった人たちが、ジョークを交えながら語り、新しい事に挑戦する姿を観て、自分に正直になる決心をします。しかし皮肉にも、この集会に彼女を誘ったジェイミーが、ここで気持ちが揺らぐのです。

パーキンソン病の妻を20年介護している男性に、「先輩としてアドバイスはないですか?」と笑顔で問うジェイミー。すると彼は、「ないね。僕は後悔していないが、二度は今の人生を選ばない。歩けなくなり車椅子となり、自分の身の周りの事を全て他人任せになり、やがては認知症になり寝たきりになる。アドバイスがあるとしたら、今すぐ彼女とは別れることだ。」

この辛辣で冷静な言葉に動揺するジェイミー。軽くは考えて居なかったはずのマギーの病ですが、現実を突きつけられたわけです。同じ立場の者に励まされるマギーに対し、この描写は根治の治療が見つからない難病の辛さを強く浮き彫りにして、私は秀逸だと思いました。

一生懸命治療法を探すジェイミー。マギーを思う気持ちからのように見えますが、それは自分の恋人は健康な女性でいて欲しいというジェイミーの我の思いでもあります。もちろん両方すごく理解出来る。しかし集会に行き、病気の自分を受け入れよう、出来なくなった事を悲しむより、今出来ることを見つけようと決心した彼女とは、思いが乖離している。マギーは今の、ありのままの自分を受け入れてくれる人が欲しいのです。

これ以降もバイアグラを強力アイテムとして、ドクターの本音、営業マンの辛さ、結婚生活に悩める弟の気持ちなどが、ふんだんな笑いを取る中、挿入されます。これもプロットと人間臭い感情とが噛み合って、上手く仕上がっています。バイアグラを巡る狂乱と歓喜の毎日は、当時如何に画期的な新薬だったのかと教えてくれます。

主役二人がとにかく超チャーミング!若くて華やかな美男美女は、やはりいいなぁと思います。繰り返されるセックスシーンも、カラッと明るく演じているので、清潔感があります。アンちゃんはまるで少女漫画から飛び出したような目鼻立ちが、デビュー当時こそ少々くどく感じましたが、今ではすっかり洗練されて、この作品でも、難病を超えてハンサムなジェイミーを虜にするのに説得力抜群でした。ジェイクはどの作品を観ても必ず平均点以上の演技で、どんな役柄でも死角なしです。そういう俳優は印象が薄いものですが、彼は存在感も抜群で、濃い系の美形をしっかりチャームポイントに出来ているのが良いですね。この二人を起用したのが、一番の勝因だと思います。

紆余曲折した二人ですが、ラスト近くのマギーの涙には、恥ずかしながら私も声まで上げて号泣しました。ラブコメとしてのこの作品を引き締めたのは、「今すぐ別れなさい」と言う、あの夫の言葉です。でも男と女なんてね、私だってもうじき結婚して29年ですが、夫と二度と結婚なんかしないもん。でも今の人生を後悔なんかしてないし、やっはり結婚して良かったと思っています。この大矛盾こそが、男と女なんだと思います。

さて二人はどうなるか?クリスマスのデートムービーにうってつけだと言えば、わかっちゃうかな?笑って笑って切なくなって、そしてきれいで純粋な涙が流せますよ。泣いたあとは、心もすっかりお掃除されて、綺麗になる作品です。




2011年12月06日(火) 「RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ」




う〜ん、ラストそうきますか!典型的な昔気質の、誠実なれど気難しく不器用な夫と、口答え一つして来なかった事が、今頃仇となった大人しく従順な妻との諍いを、ラストが現代的な味付けで鮮やかに拾い上げてくれます。私は医療事務としてナースさんたちは身近な存在なので、看護師の描き方に文句がありますが、夫婦ものとして観れば、充分及第点の作品です。監督は蔵方政俊。

60歳の定年を間近に控えた滝島(三浦友和)。仕事は鉄道の運転手です。無事故無違反で35年の歳月を運転手として過ごした彼は、定年後は妻佐和子(余貴美子)と静かに暮らしたいと願っていました。しかし佐和子は結婚前の仕事であった看護師として復帰したいと言います。反対する滝島。平行線の二人は、ついに佐和子が離婚届けを滝島に渡して家を出るという事態に発展します。

滝島の今どきでは絶滅に近いような頑固親父ぶりが良いです。真面目に仕事一徹であったろう彼は、飲む打つ買うなどなかったと思います。妻子に迷惑をかけたのは、仕事だけだったはず。大黒柱として働いた、その夫としてのプライドが滲み出ています。

一方の佐和子と言えば、不規則な時間帯の夫に合わせて家庭を守り、実母のがん闘病、子育てを経験しています。常に「誰かのため」の人生であったでしょう。夫の出勤や帰宅に縛られなくなったのを機に、彼女が今度は自分の生き甲斐を求める姿には、同じく主婦歴の長い私はとても共鳴しました。苦労なく、今までと同じ老後より、新たな自分を築き成長したいのです。

それを反対する滝島の気持ちには、未だに女房を働かせるのは男の沽券に関わるという概念があるのかな?設定は富山です。60歳前後の男性でも、都会では気にする人は少ないと思いますが、地方はまだ違うのでしょう。特に滝島のような安定した仕事を持っている人には。

娘より誰より妻が恋しい滝島ですが、それを言い出せない。感謝しているのに、それも言葉に出せない。恥ずかしいのでしょうね。妻はというと、今まで夫に逆らったことはないのでしょう。今回は清水の舞台から飛び降りるが如くの気持ちで、離婚届けを置いて、家を飛び出す。しかしこちらも本心は家に帰りたく、引っ込みがつきません。意地の張合いの不器用さが、事態は深刻なはずなのに微笑ましくさえ思えました。佐和子の気持ちをズバっと指摘する友人・清水ミチコの扱いも良いです。

佐和子がどうしても自分の意思を通したのは、ガン検査で引っかかり再検査となったことです。大丈夫だったのですが、そこで自分の人生を振り返ったのですね。この気持ちもよくわかる。しかし夫には再検査を告げていませんでした。乗客の人命を預かる運転手という仕事に就く夫を気遣い、今まで心配事は何も夫に相談してこなかったのでしょう。美談だと思います。しかし言わなきゃいけないのよ。夫なんてね、言わないとわからない。妻の不満など自分の思惑外なのです。決して悪気はないんですから。「今回の事は全て自分が悪い」と言う佐和子。今までたくさん砂を噛むような想いをしてきたはずなのにと、切なくなります。

この夫婦は話し合いがありませんでした。白か黒かの夫に従う妻。夫唱婦随です。夫は間違ったことは言わない人だと思います。それが結果として凶と出るのですから、夫婦は難しい。

と、夫婦の機微はとてもよく出せているのですが、看護師の仕事について、疑問がありました。まずターミナルケアの訪問看護の看護師として再出発したいと言うのは、ガンが背景にあるし、良い設定です。ブランクが長いので、即外来や病棟では荷が重いはずですから。しかしいくら担当患者(吉行和子)が在宅で治療したい気持ちが強いからと言って、危険な状態を脱していないのに、強引に家に帰るように主治医に物申すのは如何なものか。もちろんナースさんだって、医師に意見は言って良いと思いますが、一度却下されたものを、もう一度懇願する類のものではありません。

その後、患者はひと波乱起こすのですが、明日死ぬかもしれない老がん患者に、この動機は如何にも弱い。また孫が何より大事の描写ですが、孫は生きる望みではなく、幼稚園や学校に行く年齢が多いので、誕生日や運動会・学芸会を一つの目標や目安にする場合が多いはず。もちろん孫は可愛いでしょうが、年寄りと孫の強引なセット販売は、現実とは些か食い違う気がします。

そして危険を顧みず患者の元に駆けつける佐和子。こういう時は勝手に行動せず、上司の支持を仰ぐべきです。自分がケガをすれば、自分だけではなく、病院側や上司、強いては患者にまで迷惑が及ぶもの。この強引なナイチンゲール精神をナースのスタンダートにされると、現役のナースさんたちが可哀想です。それと佐和子が「この仕事をするにあたっては、もう家を守れない」も、現役ナースさんたちに失敬極まりない発言です。専業主婦と同じように家事は出来ないでしょうが、結婚も子育ても、周囲の手助けを受けながらこなしているナースさんたちは、一杯います。

訪問看護は、私は精神科の事しか詳しくはわからないし、ターミナルは昼夜問わずの時もあるかもです。しかし医療者側が私生活も犠牲にしてこそ、立派な医師・ナースのように描く事には、私は反対です。観客に誤解されるような描写には、疑問が残りました。そしてこの事を夫婦の絆が再び結ばれるように描くベタな演出には閉口しました。邦画は往々にしてこういう思い込みの激しい描写があり、垢抜けないなと思いました。

佐和子の仕事ぶりを見たのにも関わらず、朴念仁ここに極まれりの滝島の行動には、がっかりしました。しかしその後が、あっと驚くドンデン返し。こんな古臭い夫が、普通の夫には出来ないホームランをかっ飛ばしてくれるのです。反省して学習したんだと、胸が熱くなりました。

運転の際の周囲の風景がとても美しく、最後の運転の様子には素直にご苦労さまと言う気になりました。新米運転手(中尾明慶)やかつての同級生(仁科亜希子)の扱いは、もうちょっと工夫が欲しかったです。無くても可。娘とその夫(小池栄子・塚本高史)もしかり。要するに夫婦以外はイマイチでした。

しかし米倉斉加年演じる老人の「お前(滝島)、老後の時間なんて短いと思っているだろう。これが長いんだよ」と言う言葉が強く印象に残ります。隠居すると、毎日が長いなどとは、思いつきませんでしたが、当たり前ですよね。やっぱり一日でも長く働くなくちゃ。

平日お昼でしたが、観客もそこそこ入っており、ヒットの気配です。若いときは「俺がカラスを白だと言えば、お前も白だと言え」と妻に言っていたご主人方、老後は喧嘩したら先に謝る方が得策ですよ。だってそれは、あなた方の若き日の仕返しをされているわけで。うんうん、それが夫婦円満の秘訣です。


2011年12月05日(月) 「50/50 フィフティ・フィフティ」




タイトルはガンに侵された27歳の主人公の五年後生存率を表したもの。本作の脚本を書いたウィル・ライザーの実体験が元になっています。私の母もガンで亡くなっており、あぁこんなだったなぁと、悲痛や悲愴ばかりではないガン生活の悲喜交々を、思い出しました。監督はジョナサン・レヴィン。

27歳のラジオ局に勤めるアダム(ジョセフ・ゴードン・レヴィット)は、突然脊髄のガンだと告知されます。恋人のレイチェル(ブライズ・ダラス・ハワード)や母(アンジェリカ・ヒューストン)は、温かく励ましてはくれますが、腫れ物にさわるようです。唯一親友のカイル(セス・ローゲン)だけはいつものまま。主治医からセラピーを促されたカイルは、新米セラピスト・キャサリン(アナ・ケンドリクス)の元に通い始めます。

きちんと整理された家、清潔好き、免許は事故の確率が高いから持たない。アダムは良く言えば繊細で優しく、悪く言えば小心者で神経質。しかし決して他人に自分の主義を押し付けようとはせず、私は前者に見えました。

「僕は今まで通り恋人でいたいけど、君が今去っても仕方ない」と、ガンの事をレイチェルに話す姿も、素直で自然体です。でも今まで精神的にも生活面でもアダムに頼りきっていた彼女には、今後の事は荷が重いはず。それはレイチェル自身が一番知っていました。しかし一度愛した人です、今ここでどうして別れられる?傍目から観たら当たり前の気配りでも、彼女には懸命の献身であったでしょう。あの成り行きは、やはりガンのせいだと思います。

私が些かショックを受けたのは、何くれとなく息子の世話を焼きたがる母に対して、息子が過保護だと思い込んで鬱陶しがること。あれくらい当たり前ですよ。私ならあれ以上構うかも。そして認知症の夫を抱える母に、「お母さんは僕の世話よりお父さんを大切にして」と言うセリフが、個人的には非常に切なく響きます。母も二の句が告げられない。あぁこれが結婚せずとも、子供が親から自立したと言うことなんだと、正直涙が出ました。早く出て行けと息子たちを急かしている私ですが、どうも出ていけば出ていったで、せいせいするばかりじゃないみたいね。

唯一自然体で接するカイル。後述のセリフから、高校の時からの友人だとわかります。高校から職場まで一緒とは、よほど縁があるのですね。ナイーブなアダムに対し、豪放磊落な感じのカイル。まるで水と油のようですが、お互い自分にない相手の長所を尊重しあっているようです。

笑えたのは、「ガンがお前の売りだ!」と、カイルがアダムを連れ出しナンパに出かける事です。絶妙のタイミングで丸坊主の頭を出し、女性たちの気を惹きます。これも実際に監督が経験した事なんだとか。そうですよね、ガンだと言われちゃ、何とか励ましてあげなくちゃと、誰だって思いますから。しかし守備良くベッドに入っても、体調のせいで上手くいかない様子が、もどかしくて切ないです。

新米セラピストのキャサリンは、アダムが三人目の患者なので、最初は教科書丸写しの接し方です。がっかりするアダム。アメリカの医療は日本と違い、主治医はガンを、メンタル面は精神科医がと分業のようで、最初アダムに機械的に告知する主治医の姿に、とても違和感がありました。私の大好きだった「ER」でも、日本より分業は進んでいると思いましたが、あれほどじゃなかったな。主治医にはまだメンタル面のケアも、それなりに望まれていたはず。今はアメリカ全部の医療がそうなんでしょうか?

新米キャサリンより、老いた「抗がん剤仲間」の方が、ずっとアダムを癒やします。正に同病相哀れむ。これは介護する方もそうで、私も母に付き添っていたとき、他の部屋の身内の方とあれこれお話して、お互い励ましあったものでした。

キャサリンとアダムが急速に近づいたのも、お互い似通ったプライバシーを持ったから。これもわかるなぁ。その状況、立場になった者しかわからない事はありますから。自分だけじゃないが、どれほど気持ちの支えになるか、そういう経験は誰もがもつはずです。

ずっと自分を自制していたアダムが、感情を爆発させる手術前。告知されても実感は薄いのです。しかし心の底に黒く重い澱が常にあるのも事実。その相手がカイルです。無神経で無頓着に見えた彼が、本当はどんなに心配していたかがわかるシーンがさりげなくて良いです。月並みですが友情の麗しさを感じます。

ユーモラスに闘病の様子を描きながらも、要所に死を滲まなせながら、お話は水彩画の如く淡々と進みます。演出の強弱が上手く、何気ない励ましや母の涙、様々なアダムの感情が表現されると、本当に平凡な演出なのに、とても胸に染みます。これはあれですよ、名選手は何気なく難しい球を捕球するので、ファインプレーに思えないって言うでしょ?どんな手を掛けた演出よりも、素晴らしい効果がありました。

レヴィットはこれが必ず代表作になるはず。隣にいる好青年の日常を演じながら、彼の俳優としての才能を充分に発揮しています。ローゲンは実際にもライザーの友人だそうで、それほど気になる俳優じゃなかったですけど、とても好きになりました。アナは抜けてる新米キャリア女性をさせれば、天下一品です。ヒューストンは、彼女が演じたので、役柄以上に猛母に感じたのかな?ならキャスティングは大成功です。

アダムの50/50はどうなったのか?このコップには水が半分しかないと焦るより、まだ半分もあるのだと思う方が、ガンに打ち勝つ一つの意識なんだと思います。






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