ケイケイの映画日記
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2011年11月24日(木) 「ラブ・アゲイン」

いや〜、面白かった!実力派豪華キャストの上、私の大好きな「フィリップ、君を愛してる!」の監督、グレン・フィカーラ&ジョン・レクアのコンビなので、あんまり好みじゃないラブコメですが、すごく楽しみにしていました。少々捻りすぎてドタバタした場面もありますが、ストーリーに破綻はありません。大いに笑って切なくなって、結論は道徳的でとても純粋なものでした。

結婚して25年のキャル(スティーブ・カレル)とエミリー(ジュリアン・ムーア)夫妻。高校時代からの付き合いの美しい妻と結婚し、子供に恵まれ家も建て、仕事も順調と、自分なりに順風満帆だと思っていたキャルは、突然妻から離婚を申し渡されます。原因はエミリーが職場の同僚デイヴィッド(ケヴィン・ベーコン)と浮気したこと。咄嗟に離婚を承諾したものの、エミリーに未練タラタラのキャル。毎夜バーに繰り出して、一人愚痴をこぼします。その様子を観ていたのがプレイボーイのジェイコブ(ライアン・ゴズリング)。さっぱりイケテナイ風情のキャルに、ファッションから改革し、女性に対してのプレイボーイ指南を始めます。舎弟のようにジェイコブの言うまま、プレイボーイ修行に励むキャル。しかし心はいつもエミリー恋しさに逆戻り。果たしてキャルは妻の心を取り戻せるのか?

と言うのが大まかなストーリー。ここにキャル夫妻の子供たちのベビーシッターの17歳のジェシカ(アナリー・ティプトン)が実は父親のような年齢のキャルが好きで、そのジェシカはキャルの13歳の息子ロビー(ジョナ・ボボ)の初恋の人で、「魂の伴侶(ソウル・メイト)」だと言ってジェシカを追いかけ回す。ワンナイトラブ至上主義のジェイコブは、真面目な弁護士の卵ハンナ(エマ・ストーン)によって、その主義が怪しくなります。キャルの最初のナンパ相手にマリサ・トメイなんて、こんな捨てキャラに豪華だわぁ〜と思っていたら、これがきっちり後で絡んで・・・と言う具合。

とっても忙しいのですが、脚本と演出に無駄がなく、さくさくテンポ良く笑わせながら進むので、混乱はなし。ペーソス溢れる場面では小技が効いており、余韻が残ります。ベタな描写はなくて、小市民的な人々を描いているのに、ユーモアも涙もすれ違いも、とても洗練されていたと思います。

イケてる旦那さんを、「イケダン」と言うのだとか。キャルは今も美しい妻が、自分がイケてないせいで愛想を尽かした、だから見返してやる!と思っていますが、これが違うんだな。いきなりの妻からの「離婚して!」宣言の裏には、浮気が原因ではなく、夫婦のすれ違いを感じます。結婚には段階を踏んでステージがあり、夫と妻の役割もそれぞれ変わって行きます。それも一つの成長なのに、キャルは「安定」と言う名の元、十年一日の如しだったのでしょう。夫婦として成長して行きたいと思っていたエミリーには、それが夫の慢心に感じたのだと思います。わかるわ・・・。イケテないのは外見ではなく、中身なのですね。

女性はエミリーしか知らないキャルは、盛りがついたように女性に手を出し始めます。これどっかで観たプロットだなぁと思っていたら、「ER」で私の愛しのグリーン先生@アンソニー・エドワーズも、妻しか女性を知らなかったのに、妻に浮気されて離婚。その後箍が外れたように女遊びしていましたっけ。その時指南していたのは、ダグ先生@ジョージ・クルーニー。しかしダグもジェイコブも、芯からプレイボーイのはずが、本当の愛を見つけると、これが13歳のロビーのように純情になってしまいます。どんなにベッドの相手が充実していても、そこに愛がないと、いくら食べても満足しないものです。愛の狩人なんて、やっぱり寂しい人なのですよ。

ジェシカに猪突猛進のロビー君が大変よろしい。男子たるもの、若いときはあれくらい勢いがなくっちゃね。ロビーの卒業式にジェシカがプレゼントしたのが小粋なもので、大人たちの喧騒の中、恋愛について少年少女たちが、ちょっぴり学べた様子も微笑ましいです。

いっぱい好きなシーンのある作品でしたが、一番心に残っているのは、離婚後、エミリーが用事があると、嘘の電話をキャルにかける場面です。用事がなくちゃかけられないのは、離婚前もそうだったかも。嘘だとわかっているのに、丁寧に誠実に答えるキャル。見て貰えればわかるのですが、長年暮らした夫婦でなくては、醸し出せない哀愁がありました。



出演者は映画好きには実にゴージャスでしたが、一般的にはジュリアン・ムーアくらいなんでしょうか?子役に至るまで自分の見せ場はきちんと演じるので、本当によくまとまった作品に仕上がっていました。特筆はライアン・ゴズリング。変幻自在にどんな役でも飄々とこなすので、一見わかりづらいですけど、実は演技派だと思います。今回はとってもカッコ良かった!来春は前評判の高い「ドライヴ」の主演も控えているし、これから大物になっていく俳優さんだと思います。

私事ですが、最近外国人登録の切り替えがあり、写真を撮りました。前回の切り替えは七年前。写真を見比べてびっくり。今の方が若いのです。夫や子供たちに見せたところ、息子たちは「お母さん、フォトショしたやろ?」と冗談を言う子や、「この時(7年前)は、お母さん色々しんどかったんやな」と労いを言う子あり。しかし肝心の夫はと言うと、知らん顔です。まぁいいんですよ。この7年、これは私は私なりに「成りたい自分」になるべく努力した証なんですから。でもあれくらい劇的なもんはないのだから、一言くらいあってもいいんじゃない?

ちょっと前に小学校の同窓会がありました。本当に久しぶりの再会で、子育ても終えた女子たちは、一様に若々しかったのに対し、男子の方は年齢相応か、やや老けて見える人が多かったです。でも私は、むしろその「健康的に老けた外見」に、世間のしがらみから妻子を守って生きてきた彼らの人生が感じられ、好感を持ったもんです。世のご主人様方、イケダンは外見じゃないんですよ。中身よ中身。妻には適切な労いの言葉と会話を忘れずに。うちはそう教えても、思い切り的を外した発言ばっりなので、もう諦めましたが。

映画は「魂の伴侶」を見つけて、末永く愛し合うのが幸せと言う結論です。脇目をふると、後で痛い目に遭うぞ、と言う教訓付きで。男性にとても厳しかった「ブルーバレンタイン」のアンサームービーのような内容で、コミカルにこの男心、わかってちょうだいよ、と言う作品です。どちらの妻を選ぶかは、あなた次第。私はやっぱり元から大好きなジュリアン・ムーアがいいな。





2011年11月17日(木) 「マネーボール」




子供の頃野球を観るのが大好きでした。小学校の四年生頃からです。その頃テレビ中継と行ったら巨人一辺倒で、中継は時間が来たら終わり。でも関西地方のUHF局にサンテレビと言う局があって、阪神主催の試合は全試合完全放送を謳っていたわけ。事実「死のロード」と言われた夏の甲子園が開催されている時は、西京極球場の試合も中継しました。我が家のテレビにアンテナをつけ、家族でそれを観ているうちに、わ〜、野球って面白いなぁと、女の子なのにのめり込みます。阪神にまだ江夏や田淵がいた時代です。どうも私はオタク体質なもんで、その頃から「週間ベースボール」を毎週買い、巨人は嫌いなのに「ミユキ野球教室」を日曜日は楽しみに観るという生活が始まります。当然阪神の試合は全部観る。土曜日は近鉄や阪急の試合も観る。実家はスポニチなんぞも取っており、オタク気質に拍車をかける毎日が高校くらいまで続きました。当時はすごかったですよ、12球団全てのスタメンが言えちゃったりしたもん。この作品は、2000年代初頭の大リーグが舞台なのに、意外とその当時の日本のプロ野球にリンクする部分があり、何だか郷愁を感じながらの鑑賞でした。内容も味わい深く、知的なスリルに満ちた展開の秀作でした。監督はベネット・ミラー。

2000年初頭の大リーグのアスレチックスは、長らく低迷している弱小球団。経済的にも困窮しており、補強にお金は使えません。GMに就任したビリー・ビーン(ブラッド・ピット)は元大リーガーでしたが、大成せずに引退した過去を持ちます。球団の改革を考えるビリーは、独自の理論を持つイェール大で経済学を学んだピーター(ジョナ・ヒル)を、インディアンズから引き抜き、自分の片腕とします。ピーターの理論とは分析を重ねた独自の統計による確率。こんなものは野球ではないと、スカウトや監督(フィリップ・シーモア・ホフマン)に却下されますが、自分を貫くビリーは、GMの名において、独善的とも思えるチーム作りをしていきます。

ピーターの理論である確率を元にする野球は、大昔の阪急ブレーブスの野球に似ています。強いけど華やかさに欠け、観ていて面白くない。そして名選手はいても、突出したスタープレーヤーがいない。巨人が王のホームランのなら、阪急は福本の盗塁ですから。選手の年俸も少なかったはずです。安く外人を取るのも上手くてね、3Aの選手を連れてきてモノにする。マルカーノなんか、長く働いたいい選手でした。当時の阪急は、そりゃ強かったもんですが、それでも全然人気がなくてね。それを大リーグでやるんですから、負ければバッシング必死。で、当初アスレチックスはフロントと現場が噛み合わず、負けばっかり。選手の編成はビリーが強硬にしましたが、試合ではビリーの指示を無視して、監督は自分の采配をします。監督は監督なりに、自分の信じた野球があるわけで、ビリーの言う確率野球なんて、ふざけた話なんですね。

高額な契約金で、「5拍子揃った(打つ守る走る、容姿に性格)期待の選手」と鳴り物入での入団だったのに、ビリーは大成しませんでした。今も昔も短気で激情型の男で、打てなくてダグアウトで物に当たり、三振してはバッドをへし折り。しかしかつての回想場面で、酒や女に溺れる姿は、一度も出てきません。彼なりに必死で頑張っても大成しなかったと言う意味だと、私は取りました。ピーターに「かつての自分を君が評価したら?」と問うビリー。ピーターは「ドラフトで9位指名、契約金はなし」と答えます。身をもって素質や素養・背景のあやふやさを実感しているビリーが、ピーターを信じたのは、ドライで優れたビジネスマンであるとの立証だと思いました。

観ていて私が痛感したのは、大リーグは本当にビジネスなんだなと言うこと。花形選手で活躍していても、「トレードだ」と言われれば、呆気に取られても口答え一つせず、荷物をまとめます。降格させられる選手も同様。懇願したりしない。その事を危惧するピーターのシーンも出てくるので、彼らがこれほど自分を「商品」だと認識しているとは、一般のアメリカ人も知らないのかも?見事なプロ意識です。その他高額なお荷物選手は年俸の半分をつけて放出、そうすればお金の損益は半分で済み、どうしても欲しい選手はトレードにお金を付けて獲得、来シーズンは利益を付けて「売ろうと」する。大リーガーは日本の選手よりトレード歴が多いですが、なるほど、こうなっていたのか。いやはや、本当にシビアです。

最終手段で監督を追い込んだビリーの作戦が功を奏して、投打が徐々に噛み合ってきたアスレチックスは、快進撃を驀進します。ここにトレードが入り試合の場面が入り、コンバートされた選手の心情などが挿入され、個人的にはサスペンスを観ているくらい、心臓が鳴ります。実際に試合を見ている時の感覚に似ていました。

もう一つ当時の日本球界を彷彿とさせたのは、怪我や高齢で他球団でポンコツ扱いされた選手の再生で、これは当時南海でプレイングマネージャーだった、あの野村克也がやっていた事です。見事再生された選手の代表が江本孟紀。私は野村は嫌いですが、今頃彼のやっていた事を目の当たりにして、先見のあった人なんだと感心しました。

勝てば官軍、統計野球の快進撃に世論も付いていきますが、「この好調には、幸運も混じっている」と言うアナウンサーの言葉が印象的。それを象徴するような出来事に、再生選手・ハッテバーグの意外な働きを持ってきたのには、人情も感じます。野球はやはり意外性のあるスポーツで、市井の人々の心に夢を運ぶものだと感じました。

苦い過去を常に振り返り続けるビリー。その姿は自警とも心の疵とも取れます。短気で自我が強く、でも人に対して必要不可欠な礼節は保つ彼。「商品」としての辛さは、彼が一番知っているのです。大リーグの持つ華やかな夢と冷徹なビジネスの溝に、一番葛藤があったのが彼自身だと伝わります。

ビリーはドライでシビア、しかし生身の人間の温かみを感じさせます。離婚していて、今なお元妻や娘と友好な交流があります。生き甲斐や妻子を守るのではなく、心の支えにしている様子は、過度にホームドラマ的なウェットさに流れず、スパイス程度でグッド。この男に家庭の匂いは似つかわしくないです。実際のブラピは6人の父親となり、円熟味を感じさせる演技が今回素晴らしいです。幸せそうな妻子の様子は、彼の男としての格も上げています。

忘れちゃならないのが、ピーター役のジョナ・ヒル。おデブちゃんで人の良い彼のクレバーな姿は、きっと文系のオタク系男子の評価アップに繋がるかも?野球は良く知るものの、やった事のない人間の意見が的を得ていたというのは、何だか痛快じゃないですか。見事は片腕ぶりでした。他にはホフマンが登場のシーンから、どこから見ても大リーグの監督@オッサン系に仕上がっているのを観て、びっくり。彼の持つ優れた演技力を発揮する場面は少なかったですが、やっぱり抜群の存在感でした。

ラスト、ビリーの選択は、「このGMとしての最高額の契約金こそ、あなたの結果だ」と言う助言とも意見とも取れる、ピーターの一言が決めたと思います。思えばあんなに強かった阪急の監督だった西本幸雄は、一度も日本シリーズで優勝したことがありませんでした。阪急を辞めてすぐ、近鉄の監督になったときは、本当にびっくりしたけど、監督は監督の夢を追い続けたのでしょう。ビリーはビリーで、ビジネス哲学としての夢を追った選択は、ファンからも浪花節的に感じられて両方満たされるものです。やっぱり野球には夢が必要不可欠と言うことです。このラスト、本当に素敵です。

野球は私より知っているはずの夫の感想は、意外や「ようわからん、眠かった」そうで、なら別に野球が好きじゃなくても面白いかな?と思います。逆説的過ぎるかしら?私には今年ベスト10入りする作品になりそうです。


2011年11月13日(日) 「恋の罪」

本年二度目の園子温監督作品。東電OL殺人事件は、たくさんの表現者たちの感性を刺激するようで、本作でもこの事件にインスピレーションを受けての映像化です。監督の談話に寄ると、男性目線にならないように気をつけた、と言う事ですが、前半はあまり功を奏しておらず、これは男の妄想だよと言う場面が多く、くだらないなぁと思っていました。しかし、後半は息を吹き返したように俄然盛り返してくれます。う〜ん、でもなぁ、登場人物全ての女性は理解出来るし、嫌悪感もないのですが、共感出来る女性が一人もいないのです。同じように愛が欲しく壊れてしまった女性を描く「人が人を愛することのどうしようもなさ」では、あんなに自分と置き換えて観られたのにと思っていたら、ふと気付いた事がありました。それも書いておこうと思います。

東京のラブホテル街にある、廃屋のようなアパート。猟奇的なバラバラの女性の遺体が発見されます。刑事の和子(水野美紀)が担当です。頭部が発見されず、遺体が断定出来ない中、エリート助教授美津子(冨樫真)と、作家菊池(津田寛治)の貞淑な妻いずみ(神楽坂恵)が、捜査線上に上がります。和子自身、夫と子供のいる幸せな家庭がありながら不倫しており、この事件を通じて、自分自身の心の闇と向かい合うようになります。

三人三様、自分の持つ女の性に翻弄される様子は充理解出来る理由です。いずみがあれよあれよと言う間にAVに出演させられ、自分の中で仕舞い込んでいた性の淵へと流れ着くのがあっと言う間の様子は、「冷たい熱帯魚」の社本が、村田の口車に乗って詐欺や殺人の片棒を担いでしまう様子に似ていて、とても納得出来ました。和子の場合も、冒頭あんな凄い遺体を、眉一つ顰めず検証したあと、家に帰れば食事の用意が待っている。それを淡々とこなす彼女には、浮気という非日常を作らねば、自分の精神を保てなかったのでしょう。「マイレージ、マイライフ」のアレックスと同様の理由だと思いました。一番東電OLを彷彿させる美津子は、やはりエリート稼業のストレスのせいで、と思いきや、その奥にもっと根深いものがありました。

じゃあ何が男目線だと感じたかと言うと、いずみの造形です。あんな幼稚で未熟な30前の女、いるんでしょうか?作家の夫は朝7時から夜9時まで別宅で執筆。ご飯を作ることもなく、唯一夫のためにすることは、毎朝起こして定位置にスリッパを置き、夫好みの味の紅茶を入れること。セックスはなし。これで夫を疑う事を知りません。こんなボンクラいるか?私は始め、この夫は官能的文芸作家なのに不能なんだわと思っていました。が!風呂場で「久しぶりに僕の裸を見ていきなさい」だと?あげく局部を触わっていいぞ(映画ではそのものズバリの言い方)、嬉しいか?だと?あー、気持ち悪い気持ち悪い!いずみは泣きながら「夫がピュア過ぎてついていけない」と号泣しますが、いやいやあんたの亭主は、自己愛が強くて変態なだけだよ。それを満面の笑みで触って「ハイ、嬉しいです」なんて言う30前の女、いないって。

段々と性に大胆になり、あの男この男に体を開くいずみですが、その描写がなぁ。「淫売と言え!」と言われて彼女が興奮している様子とか、夫に電話させて挿入して、悟られないように必死によがり声を我慢させるとか。正直失笑しました。和子も浮気相手から「このビッチ!下品な女だな」と言われるまま、テレフォンセックスで和子が興奮する様子が描かれます。いや東電OLだって実際の事件なんですから、そういう女性もいるんでしょう。でも二人ともって、どうよ?これじゃ女はみんなそうですよ、と言う風に受け取れます。女性がそういう言葉を吐くとき、それは相手がより興奮するからと言う「親切心」があると思います。電話のプロットはよく使われますけど、「子宮信仰」が強すぎる気が。普通の女が性に翻弄されると、みんなにマゾっ気が起きるはずはなく、女王様になる女も描いて下さいよ。

いずみ自身は未熟でも好感の持てる女性です。元々夫を愛していると信じているいずみ自身、本当に愛しているのは「夫に愛されている幸せな自分」です。これも自己愛だけど、こういう錯覚は若い時にはあるものです。私がいずみを好ましく思ったのは、「セレブ妻」だから幸せではなく、「愛されている妻」と言う部分です。この感覚は大変品性が良ろしくってよ。退屈だから何かしたいと、日記に認めますが、「何か」と言うのはセックスなんですね。このままセックスなしで女が30迎えていいものか?と、日記にさえ書けない、いやいや自分でも認めていない風情は、慎ましく感じました。

と、いずみは好きだけど退屈だべと思いながら観ていましたが、今作のメフィストフェレス役・美津子が出てきてから、俄然活気を帯び、サスペンスフルな展開に。カフカが出てきたり、わかったようなわからないような「城」の引用、言葉は体だ、みたいな一見哲学風ないずみへのお説法は、あんただって観念でしか、わかってないんだろうと思っていました。

この見方は当たったようで、美津子の母親(大方斐紗子)が出てきてから、一層加速。美津子の神経を蝕んでいた原因は、実は母親との確執でした。それも実の父親を挟んでの女同士のドロドロの嫉妬。亡くなった父親の方も相当なもんで、あんな卑猥なポーズで娘のヌードを描くのですから、娘に欲望があったと思います。しかし瀬戸際の理性が鬼畜にさせなかった。そのせいで愛する者からの愛は生涯得られず、それが美津子の精神を蝕んだ一端です。美津子が可哀想なのは、そういう夫を観て、普通は女より母親が勝って離婚騒ぎになるはずが、この母は普通の夫の浮気のように相手の「女」を責めるのですね。これがため正常な大人になれなかった美津子。変態だけど相当切ないです。

女優はみんなすごく好演で、とても満足しました。圧倒的だったのは冨樫真。舞台女優さんだそうで、本来なら手足の長いモデル体型と羨ましがられるはずが、とても貧相に感じる全裸を晒し、表と裏の人格まで様変わりする様子を、声まで替えて大熱演。すっかり魅せられました。「冷たい熱帯魚」以上に体当たりの神楽坂恵は、決して美人でもなく演技も上手くなく、でもこの裸が使えるならば何でもしようという女優根性が天晴れ。とにかく一生懸命でいじらしいほど。私はこの子好きです。自分の「愛」の正体を観てからの演技は壮絶で、特に印象深いです。水野美紀は二人の堕落していく女性たちを、観客といっしょに見つめて行くという役柄を理解しての、抑えた演技が良かったです。

と、ここまで自分なりに咀嚼出来ているのに、何で私は誰にも感情移入できないのか?「人が人〜」の石井監督は、この作品の女性たち以上に名美をいたぶっていました。でも石井監督はいたぶりながら、自分も名美と一緒に地獄に落ちてもいいと思っていたんじゃないかしら?愛していたと思います。今作の女性たちは、世間から淫売と罵倒される女たちで、汚らしいセックスもたくさん出てきて、でも決して彼女たちは下劣には感じません。その辺に園監督の彼女たちへの敬意は感じるのですが、何というか冷静なんだな。決して冷徹ではないけれど。女が素っ裸なのに、傍らにいる男性が冷静だと、大変居心地は悪いわけで。一緒に地獄に落ちてはくれなさそうです。私は救ってくれないなら、一緒に地獄に落ちてくれる男がいいな。

それとも監督は、女が性に翻弄されて地獄に落ちるのはダメだと思っているのかな?和子の相棒の刑事のゴミ出しをする主婦のお話、覚えて置いて下さい。そして最後までエンディングを観て下さい。園監督、過激な作風の割には、案外倫理観はしっかりしている人なのかも。

田村隆一の詩、「帰途」の引用が何度も出てくるのは良かったです。本当にこの詩を理解したのが、全てから開放されたいずみだったと言う描き方も。昔亡くなった森瑤子のエッセイを読んで、英国人の夫を持つ拙い英語しか話せない自分が夫婦関係を継続出来て、現地人と遜色なくフランス語を話す妹が、フランス人の夫と離婚したという記述を、思い出しました。

それにしても女性の性を扱う作品は、男性は品性下劣か変態かボンクラばっかり。一度女の性を救う崇高な男性を見てみたいもんです。年齢や性別により、見方の変わる作品だと思うので、色んな方の感想が拝読したくなる作品です。


2011年11月11日(金) 「三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船」(2D字幕版)




え〜と、結論から言うと、結構面白かったです。ロシュフォール伯爵役のマッツ・ミケルセンが見たいだけの鑑賞で、ホント言うと、マッツ〜、何故にこんな作品に出演?と全然乗り気じゃなかったわけ。だって監督がポール・W・S・アンダーソンで、嫁のミラジョボ出演とくりゃ、大味な大作決定でしょ?なので期待値ゼロで観たのが良かった。のんびりまったり(ホントはそれじゃいかんのだが)楽しみました。

17世紀のフランス。若くして王位を継承したルイ13世(フレディ・フォックス)は政治には疎く、リシュリュー枢機卿(クリストファ・バルツ)が国権を握ろうと、配下にフランス一の剣士・ロシュフォール隊長(マッツ・ミケルセン)を置き、着々と準備を進めていました。かつて三銃士として名を馳せたアトス(マシュー・マクファディン)、ポトス(レイ・スティーブンソン)、アラミス(ルーク・エヴァンス)は、今では枢機卿に銃士を解雇され、自慢の剣をふるう事が出来ません。そこへひょんな事から銃士に憧れる若いダルタニアン(ローガン・ラーマン)が加わります。折しもフランスに戦をしかけようと、イギリスのバッキンガム公爵(オーランド・ブルーム)が手を伸ばしており、謎の美女ミレディ(ミラ・ジョボビッチ)が複雑に絡みます。

良かったところは、わかり易い(途中寝ても大丈夫!)、華やか(三銃士+ダルタニアンを含む若手が地味だけど、他はオールスターキャスト)、殺陣がちゃんとしていた(多分)。って結局視覚は満足、中身はスカスカと言うハリウッド量産型大味大作なんですけど、個人的にコスプレ銃士ものは久しぶりだったので、結構楽しめました。

中身のスカスカさは、登場人物のキャラの際立ちで不問にしてもイイ感じです。ミラジョボさんは、うちの次男に言わすと「世界で一番貧乳の美女」だそうなんですが、コルセットがすんばらしい谷間を作って下さっており、美しい御御足も惜しげなく見せ、いつも通りアクションも華麗。ちょい峰不二子っぽい憎めぬ悪女ミレディを、華やかに演じていて楽しませてくれます。三銃士も中々良かったです。アトスとポトス役の人たち、残念ながらワタクシ今までの作品では記憶にございませんのよ。なので抜きん出て男前枠・アラミス役のルークが良いように感じましたけど、この二人も無難な出来だったと思います。ダルタニヤン役のローガン君は、殺陣は頑張っていたけど、正直大作の主役は荷が重いかな?これでブレイクするほどの魅力は感じませんでした。バルツは好演なんでしょうけど、ローガンと反対に、これくらいの役、彼には役不足。もっと見せ場を作って憎々しいのにチャーミングと言う、彼の個性が発揮できるように描かないと、もったいないと思います。オーランドは彼自身に魅力が薄い。最近は年食って新鮮さもなし。ホントに段々その辺の役者になるなぁ、この人は。




で、私のマッツ〜♥は、今回悪役です。ハリウッド大作で今回も手堅く演じています。悪役ですが、特別憎々しい役柄でもなく、剣豪と言う設定のため、軽やかで流麗な剣さばきも見せてくれます。隻眼姿もまた素敵なのよね〜。今回3Dで見ようと思っていましたが、観た劇場ではそれだと吹き替えしかなく、お声が聞けないので、2Dを選択。まぁマッツ様のエレガントで渋い魅力はこんなもんじゃないので、この作品でご興味の出た方は、以下の私の作品のレビューを参考にして下され。

「007 カジノロワイヤル」
「アフター・ウェディング」
「シャネル&ストラヴィンスキー」
「誰がため」
「タイタンの戦い」

マッツはどの作品を観てもそれぞれの魅力があるし、皆様、これからもマッツ様を御贔屓に〜。お薦めは「アフター・ウェディング」と「シャネル&ストラヴィンスキー」です。


 これは「アフター・ウェディング」かな?鋭い表情が印象深い人ですが、故国デンマーク映画では、こんな優しげな表情も素敵。

映画って一般的には、映画見てご飯食べて、お茶もして、とここまでやって「映画を観る」と言う行為が完成される方が、世の中には多いはず。(二本も三本もフォーストフードでハシゴするほうが変だ←私の事です)普通に見て楽しい気分にもなれるし、何か映画見たいなぁ〜と言う方にはよろしいかと思います。その際はどーぞマッツに注目して下さ〜い。


2011年11月06日(日) 「ミッション:8ミニッツ」




面白かったです!デヴィット・ボウイの子息であるダンカン・ジョーンズ監督は、前作の「月に囚われた男」も大評判でしたが、見逃したのを本当に後悔しました。同じ日に観た「ウィンターズ・ボーン」とは全く毛色の違う秀作で、何だかんだ言いながら、やっぱりアメリカ映画はまだまだ底力があるなと、嬉しくなりました。

スティーヴンス大尉(ジェイク・ギレンホール)が列車の中で目を覚ますと、そこには知らない女性(ミッシェル・モナハン)が目の前に居て、親しげに彼に話しかけます。当惑する彼は、鏡に写る自分の姿が別人である事の愕然。ほどなく列車は爆発します。次に目覚めると、彼は軍のカプセつの中。ラトレッジ博士(ジェフリー・ライト)の開発した軍の特殊プログラムで、8分間だけ爆発直前の乗客の一人の意識の中に入り込み、犯人を探ると言うもの。グッドウィン大尉(ヴェラ・ファーミガ)の案内により、8分間を繰り返すスティーヴンスは、違和感と共に様々な感情に苛まれます。

SFと見せかけた人間ドラマ。プログラムについての統合性は、私にはよくわかりませんが、8分間の中で如何に変化が起こっても、現実には何ら変化がないというのは、納得出来ました。それにも秘密があるんですが。犯人及びスティーヴンスの秘密は、私は浴びるほど映画は観ているので、途中でわかってしまいます。しかしこの作品は、そこからが本番です。

知らないはずの女性の名はクリスティーナと言い、最初は恋人同志かと思われたのが、8分間を繰り返す内に、同じ車両に毎日乗り合わせ、親しくなったのだとわかってきます。スティーヴンスが潜入捜査のような事を繰り返す度、プログラム内の8分間は少しずつ違った様相を呈し、袖すり合うだけだった乗客たちの背景が浮かび上がり、その様子に観客の心も少しずつ揺り動かされて行きます。

何故スティーヴンスは、あんなにも父親への電話にこだわるのか?そしてグッドウィンはどうしてはぐらかすのか?その秘密に薄々気付いていた私は、こんなになっても、まだ軍人を過酷な任務に就かせるのかと、アメリカの軍隊に怒りが湧きます。人に対しての敬意なんて、全くなし。中東風の容姿の男性に対し、クリスティーナが「外見で判断するのは偏見よ」と言うセリフも、作り手の見識なのでしょう。

スティーヴンスの心を操るように任務に就かせる事に、今度はグッドウィンの心が疲労して行きます。うんうん、どこだってどんな組織だって、上と下との意見は相違し、中間管理職的な仕事が一番ストレスが貯まるんです(うちの事務長も大丈夫かしら・・・心配)。その人間らしい感情にも共感していきます。

ジェイクは久しぶりに観る気がしますが、相変わらず若々しくてハンサム、演技が上手いです。彼に突然キスされたら、そりゃポ〜となりますよ。納得のシーンがあるので、お楽しみに。今作でも様々な苦悩や葛藤を抱えるスティーヴンスを好演しています。モナハンは普通の親しみやすく知性的な女性をやらせれば、彼女の右に出る女優はいないと、個人的には思っています。今回も素直に演じて好感が持てます。ファーミガは絶好調を手堅く継続中で、クールな仕事の出来る女性が垣間見せる母性は、観客の心を鷲掴みします。

この作品のキャッチ・コピーは「このラスト、映画通ほど騙される」です。私は映画通と言う言葉は嫌いで、自分はただの映画好きといつも称してしますが、映画通=映画をたくさん観る人と置き換えるのなら、私もその類です。確かに人として軍人としての苦悩を見せられたあと、あんな幸福感に包まれたラストを用意されているとは、思いませんでした。しかし!ここで終わってくれりゃあなぁ。その後のラストのラストが蛇足に感じました。暗に軍批判をしていたのに、これじゃどっちつかずに感じます。

と、ちょびっとラストにミソをつけましたが、出色の出来である事は確か。映画はたまにしか見ないので、辛気臭いのは嫌な方、たくさん見るけど大味な大作やお手軽なプログラムピクチャーは外したい方、全方面で満足出来る作品だと思います。抜群のオススメです。


2011年11月03日(木) 「ウィンターズ・ボーン」




久しぶりに打ちのめされました。2010年サンダンス映画祭グランプリ作品。アメリカンドリームなど戯言のように思える、私たちの知らないアメリカを描いた作品。最底辺の貧困家庭を一人で背負うヒロインに、お為ごかしの励ましなど、何の慰めになるんだろうと、大人として恥ずかしくなります。厳しく辛い作品ですが、だからこそラストがあんなに輝くのでしょう。やはりアメリカの映画です。監督はデブラ・クラニック。

ミズーリ州のとある村。17歳の高校生リー(ジェニファー・ローレンス)は、精神を病んだ母親と、12歳の弟、6歳の妹の面倒をみています。その日暮らしのある時、服役中の彼女たちの父親が、家を担保に保釈金を作り出所しているのがわかります。裁判までに出てこないと、家を出ていかなければけません。リーは一人父親を探しに出ます。

荒れ果てたと言う表現がぴったりの村。ベッドや布団さえ満足になく、今日の食事にも事欠くリーの家は、貧しい家ばかりの中で、一番厳しい暮らしをしているようです。父親の親族ドリー家を訪ね歩くリー。男も女も皆、あらくれのならず者です。裏で覚せい剤の密造や売買をしており、父親の行先を教えて欲しいと言うリーの願いを、誰もが無視するどころか、踏みつけにします。

遊びたい盛りのはずなのに、大黒柱として一家を支えなければいけないリー。甲斐甲斐しく家族の世話をしながら、必死で家族を守っている。この子がこの家の母親なのです。本来ならしなくてもいい苦労を背負い込むリー。どんな苦境にも、弱音も愚痴もこぼさない。17歳なりの知恵を絞り体を張って父親を探す姿は、私には逞しさより痛々しさが先に募り、ひ弱いリーの母親に憎しみまで感じました。それほど劣悪な環境なのです。

学校での母親教室が行われているのは、10代の妊娠出産が多いからでしょう。リーを助けてくれる友人もその一人。遠縁の少女、リーの父方の叔父・ティアードロップの妻も、皆夫や目上の男性のいいなりです。暴力を恐れているのでしょう。女にも容赦ない仕打ちが待っています。これほどアメリカ映画で女性が虐げられる姿は、最近は記憶にないくらいです。この描写が、リーを励まし、先に進ますことを観客に躊躇わせているのだと思うと、監督が唾棄すべき一部の男性社会を告発しているように感じます。

ジェニファー・ローレンスがとにかく素晴らしい!いつも強い眼差しで冷静さを自分を見失わないリー。どんな難儀にも怯む事のないリーの、心細い内面が映された涙を流すシーンは、私も一緒に泣きました。ローレンスは抑揚を抑えた熱演で、気高く運命に負けないリーの内面を、観客に届けてくれました。

リーは家族の苦境を救うため、軍隊に志願します。結局は叶いませんが、若く愛らしい少女の選択としては、何と賢明なのだろうと感心しました。安楽に水商売に出て仕送りしてもいいはずですが、そうすると、家族を捨ててしまいそうになると思ったのでしょう。何度も出てくる「私もドリー家の人間よ」と言うリーの言葉。真っ当な人間など一人もいない親族の名を口にする時、切っても切れない血の濃さを自覚している彼女。同じような道を辿ってはいけないと、戒めとして心に刻む意味もあるはず。そして、画面には一度も出てこない、憎いはずの父親への慕情も感じるのです。この複雑であり自然な感情を両立させたセリフだと思いました。

ドリー家の人間だという事を、決して忘れなかった彼女を助けたのは?意外なようで、当たり前の人物でした。私の想像が当たっていれば、その人は自分を守るため、墓場まで持っていかなくてはならない大きな代償を支払ったはず。リーの懸命な姿は、彼に残っていた善き心に火を灯したのですね。ラストの「これはあげるわ」と語りかけるリーは、全てを飲み込み受け入れていたと感じました。17歳の少女としては必要以上の寛容ですが、これくらい器が大きくなくちゃ、この家族は守れないのでしょうね。

立ちすくむような逆境を超える若きヒロインを観て、大人として無力感をとても感じました。現実にもリーのような子は、世界中にたくさんいるはず。せめてこの子たちに恥じない大人でいよう、大切に毎日を生きよう、痛切にそう思います。目を覚ませてくれた監督に、お礼を言いたいです。


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