ケイケイの映画日記
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2010年01月31日(日) 「おとうと」

昨日の初日観てきました。大阪はこの週末から公開ラッシュで、優先順位は下位ながら、前売りが安く手に入ったこの作品からの鑑賞でした。でも全くダメで、ちょっとでも期待した私がバカでした。もう60代半ばだと言うのに、奇跡のように清らかで美しい吉永小百合が、全然生かせていない作品です。かなり怒っているので、今回罵詈雑言のネタバレです。この作品がお好きな方は、スルーして下さい。

東京に下町で薬局を営む吟子(吉永小百合)。大阪出身の彼女は東京の大学で夫と知り合い結婚します。一人娘の小春(蒼井優)が小学生の時に優しく温厚だった夫は亡くなり、以来女手一つで娘を育て、今は姑(加藤治子)と三人暮らしです。大学病院勤務のエリート医師と小春の結婚式に、突然音信不通だった素行の悪い弟・鉄郎(笑福亭鶴瓶)が現れ、大酒を飲んで披露宴を台無しにしてしまいます。

小春の結婚式に行くまでの過程は、一家の背景、下町の人情の厚い付き合い方を描いて、少々古風でしたが気持ちよく観られます。それが小春の結婚式以降、私の疑問や不信感が炸裂します。

私は吟子と鉄郎の二人姉弟かと思っていたら、兄(小林稔侍)がいました。大阪に在住のままのようですが、それにしては大阪弁が下手過ぎ。こんなベテランが赤っ恥です。何故なら吉永小百合が、絶妙に標準語の中に大阪出身を滲ます方言を使っていたからです。私の年上の義妹は神奈川に嫁いで31年、里帰りの時は本当に吟子のような言葉使いです。妻役のベテラン茅島成美も一切標準語で通すし、なんなんだこの手抜きは。

まず問題の鉄郎なのですが、酒で失敗を繰り返している設定なのですから、いくら隙をみて飲んだとしても、円卓で囲んで誰も知らないなんて不思議過ぎ。それと延々酔った鉄郎の醜態を映しますが、何度も酒で失敗しているんですから、こう言う人は一口飲んだら終わりなのは、身内ならわかっているはず。早々に外に引っ張り出す機会はいくらでもあったのに、いつまでも放し飼い状態で、身内も学習能力が足らな過ぎで、ここも大矛盾。

新婚早々に出戻ってくる小春。「何かあったの?あなたはもう嫁ぎ先の人なので、いくら実家でも理由なく泊める事は出来ないのよ」と、古風な価値観を持ちだす吟子。その理由と言うのは夫の吝嗇ぶりを示す事柄で、姑が「金持ちっていうのは、ケチなもんだよ!」と怒りますが、その姑には「大事な話ですから、お姑さんはあっち行ってて下さい」にまず絶句。

この婆さんも口が減らない人で、吟子は相当苦労したでしょうが、このタイミングでそれはないでしょう。第一夫を亡くし大黒柱で子育てして仕事をするのに、今まで同居の姑に何の世話にもならなかったとは、まずは考えにくいです。それ以降母娘で、何度もこの婆さんを邪魔者扱いする様子が、私にはとても腹立たしいです。ろくでなしの弟にはあんなに執着するのに、姑にこの態度では、吟子はただの姉バカです。もっと器の大きい人に描きたいんでしょう?

娘を心配して婿に話をしに行く吟子。昨今大学病院の医師の多忙さは、一般人だって知っているはず。ましてや彼女は処方箋も扱い勉強会も欠かさない薬剤師です。多忙を理由に話し合いを拒否し、何故小春が出て行ったかわからないと語る婿。この様子は離婚する気はないんでしょう。作品ではエリートの婿や嫁ぎ先を悪者扱いしたいんでしょうが、「釣り合わぬは不縁の元」なんて、私だって知ってるぞ。ならこれくらいの軋轢は覚悟の上の結婚じゃないの?娘に諭す場面もなく母もこれで納得。出戻ってすぐに新たな恋にときめくバカ娘に違和感いっぱいの私を、離婚して半年くらいの、まだ20代半ばの娘に「そろそろ再婚してほしい」という、吟子のバカ母発言が追い打ちをかけます。

鉄郎に貸した金を返してほしいと、吟子の前に元同棲相手のキムラ緑子が現れます。金額130万。ちょっとしたやり取りの後、証拠の品を見せてはいますが、あっと言う間に用立てる吟子に絶句。130万ですよ?払う義務はないでしょう?相手だって筋ちがいは重々承知だと、お手柔らかでした。経営は右肩下がりで苦しいというセリフも出ている中、お人好しとしか言いようがないです。しかしこの後、私の怒りが爆発します。

しばらくして、のこのこ出てきた鉄郎が、緑子のことを「頭の弱い女」と詰りますが、その時吟子は「何て事言うの!あの可哀想な女の人に!」と怒ります。可哀想?可哀想だから、あんた130万なんて、身の程知らずの大金を立て替えたの?緑子はケバい化粧に安物のセンスの悪い服装で、表面は明らかに教養の足りない下品な女性でした。しかし吟子に対しての言葉の使い方や心映えは、社会的にきちんとした、常識的な価値観を持つ人でした。だから130万貯められたんですよ。ちっとも可哀想な人じゃありません。それを可哀想とは、何たる上から目線!緑子の教養の無さを強調するショットの羅列は、このためですか?これは「大金持ち」の感覚ですよ。本当の130万の値打ちがわかっている人なら、こんな脚本書けません。

鉄郎が癌で余命いくばくもなく、大阪で身よりの無い人を預かる民間の慈善団体のホスピスで看護されている事を知り、駆けつける吟子。社長(小日向文世)は好人物で、赤字で利益の出ないこのホスピスを一生懸命運営しています。確かに立派ですが、先の130万の件がちらついて、運営に生活保護を充てる話など出てくると、監督の意図に偽善を感じてしまう私。

姉弟だけの兄弟じゃないでしょう?兄はどうした?確かに兄は小春の結婚式で鉄郎に縁切り宣言していますが、家族の絆を描きたいのなら、兄に連絡しない吟子も不可思議。母が病弱で、吟子が母代わりに育てたという背景は語られますが、それだけではこの弟に対しての執着ぶりには説得不足。鉄郎の亡き夫の話は納得出来ますが、それで吟子が出来の悪い弟に負い目を感じる必要はありません。これは親が負い目を感じる類の話です。ずっと感じていたのですが、どうして鉄郎を妾腹の子を引き取ったとか、そういう設定にしなかったのでしょうか?「サマー・ウォーズ」に感動したのは、妾腹の侘助を分け隔てなく慈しむ、栄の姿があったからです。

臨終の際のシーンにも怒りが爆発。それまで甲斐甲斐しく世話をしていて、好感を持っていた小日向の妻の石田ゆり子ですが、虫の息で苦しんでいる鉄郎に「もうすぐ楽になるわよ」ですよ?この意味は「もうすぐあの世へ行くから楽になるわよ」です。何たる無神経な発言!そこには「可哀想なあなたを、心豊かな私たちが診取ってあげるわよ」的心を、私は感じてしまうのです。未見ですが「サヨナライツカ」の予告編でも、とっても怖そうな印象の石田ゆり子ですが、邦画の世界で「石田ゆり子・モンスター女優計画」でもあるんですか?

私が危篤の母のベッドの横で、仲の良かった看護師さんに今までの礼を述べた時、「患者さんの耳は、亡くなる間際まで聞こえています。今そういう事は控えて下さいね」と優しく教えて下さいました。病院とこの施設は違うでしょう。しかし人の最後を診取る場所であることは変わりないはず。こういう施設では当たり前の発言なら、私は野垂れ死にの方がいいです。

同室の他人である横山あきおはいつまでも居るし、姉バカの吟子は娘に電話しても兄には連絡しない。滅多に会わなかった姪より、一緒に育った兄弟の方が血は濃いんですよ。80歳の監督が、今まで身内の臨終を迎えた事がないはずはなく、このデリカシーの無さと矛盾には、怒りと疑問がいっぱいです。

怒りでへろへろになっている私に、最後の最後まで山田洋次は追い打ちをかけます。鉄郎を毛嫌いしていた姑は、今はまだらボケ。鉄郎の死はわかりません。めでたく再婚することになった小春の挙式の話で、今まで邪魔者にされていた鉄郎が可哀想になって来た。呼んであげなさいと言います。それは今まで散々この嫁と孫に邪魔者扱いされていた彼女だからこそ、わかったんですよね?しかし映画は弟を忍び咽び泣く吟子の姿で終わり。えぇぇぇぇ!どうしてここで「お姑さん、今までごめんね」が言えないの?このセリフは、死と引き換えに鉄郎が残してくれた教訓でしょう?もう頭と心が沸騰したまま終わってしまいまいた。

救いは鶴瓶がとてもチャーミングに鉄郎を演じてくれていたことと、加藤治子とキムラ緑子の絶妙のバイプレーヤーぶりです。私は山田洋次は好きな作品もあり、嫌いな作品もあり、それほどたくさん観込んでいる監督ではありません。でもこの作品は、名匠と言われる人が脚本も監督も担当している作品だとは思えないほど、個人的には愛嬌の欠片もないトンデモでした。次回はもっと素敵な吉永小百合が観たいです。


2010年01月27日(水) 「Dr.パルナサスの鏡」




ヒース・レジャーの正真正銘の遺作。というより、私は監督がテリー・ギリアムだから観たんだけど。撮影中にヒースが亡くなり、完成が危ぶまれていた作品ですが、ヒースの友人であったジョニデ、ジュード・ロウ、コリン・ファレルが、鏡に入った時のヒースの役を演じると言う脚本に書き替え、完成させた作品。三人は入ったギャラをヒースの娘に全額手渡すという、「ちょっといい裏話」もある作品です。同じ拡大公開の「ブラザース・グリム」の時は、スティーブン・ソマーズになったんですか?というくらい「普通にそこそこ面白い」という感じのギリアムでしたが、今回は冒頭から、おぉ!ギリアム!という映像に溢れ、懐かしのモンティ・パイソンを思い出させる風刺も入り、ギリアムのシュールな世界が充満で、私は面白く観られました。

2007年のロンドン。パルナサス博士(クリストファー・プラマー)率いる旅芸人一座は、心の中の欲望を描きだす鏡「イマジナリウム」を出し物にしています。しかしそんな胡散臭い出し物には誰も興味を示さず、娘のヴァレンティナ(リリー・コール)、博士の片腕的存在のパーシー(ヴァーン・トロイヤ)、弟子のアントン(アンドリュー・ガーフィールド)は皆、始終腹ペコの貧乏一座です。博士にはある悩みがありました。それは悪魔ニック(トム・ウェイツ)と不死の契約をした時、ヴァレンチナが16才の誕生日に、彼女を差し出すことになっていたのです、悶々としてた博士ですが、ある日首吊りの男トニー(ヒース・レジャー)を救ってから、一座の風向きが変わってきます。

のっけから超クラシックな一座の様子が出てくるわ、住居兼用になっている馬車もぼろっちいけど夢がある。そしてイマジネーションの産物である鏡の向こうの風景が出てくると、ギリアム〜〜〜とため息が出る程、シュールな世界が展開されます。こういうのを観ると、健在ぶりが確認出来て、何だか安心します。想像力豊かなんですが、どこかしらキッチュに感じるのも、贅沢なCGが主流の現在を向こうに回して、カッコいいです。

その想像の世界なんですが、一見良識ぶった女性の深層心理がとっても俗っぽかったり、慈善家は表の顔で、裏ではあくどいことをしていたり。一番面白かったのはロシアンマフィアの欲望で、暴力を渇望すると上半身制服、下半身ストッキングだけの姿のオッサン達が出てきて、「なら警官になりましょう〜〜、殴っても蹴っ飛ばしても殺人もOK〜♪」と歌い踊るシーン。もうゲラゲラ笑っちゃってね、モンティ・パイソンを思い出しました。そういえばこういう毒の利いた、お下品な風刺で笑ったなぁ。もっと見とけば良かったわ。映像はと〜〜〜っても満足しました。

友情出演の三人は、鏡の向こうのトニーが、その時々の願望で顔も変わるという設定で出演。苦肉の策の演出でしたが、違和感なかったです。ジョニデ、ロウ、ファレルの順番で出演で、段々出演時間は長く、トニーの背景が暴露される演出になっています。段々悪い奴になっていくんですが、役者の格で順番決まったのかな?

でヒースなんですが、個人的にはこんなことになるまで、それほど注目した俳優ではなかったですが、今回最後まで観ると、何故この役を彼でキャスティングしたのかが良くわかります。そのまま鏡の向こうもヒースが演じたならば、人間の欲望というテーマは、もっともっとあぶり出されたことだと思います。強烈なキャラが多いハリウッドで、カメレオン俳優でもなくスター俳優でもなく、無個性の個性で勝負の、得難い役者だったなぁと感じました。

ヴァレンチナ役のリリーが超チャーミング。まんまるのファニーフェイスに不釣り合いな長身と抜群のスタイルで、元はスーパーモデルなんだとか。聞かん気で愛らしい、1000歳の博士の不思議な娘を、とても新鮮に演じていました。トロイアは出てくるだけで映画ファンは嬉しいですよね。皮肉屋で、博士の片腕なのに「自分がいなくなれば、また別の小人を探せばいいだけのこと」が口癖で、その達観した様子に知性が感じられます。

トム・ウェいつはエンディングまで気付かなかったんですが、すっかり「人間の顔」になっちゃって、私の知っている彼の顔って、もっと類人猿だったもんで。やっぱ人間っていくつになっても「進化」すんのね。悪魔のくせに何故か慈悲深く、お茶目な好演でした。

良識や慈善や権力の裏側を、いっぱい毒を効かせて見せる片方で、父親の娘への最高の愛情表現を、ラストにああいう形で見せるところなど、ギリアムの懐の深さも感じます。私が知らなかっただけで、この人、本当はとても「大人」なんですね。

博士の奏でるイマジネーションの世界は、とても夢があり楽しいのに、現実の彼や一座は、貧乏で薄汚く時代遅れ。そこには、不死なんてちっとも良くありませんよ、と言う思いが込められているんでしょうね。限りあるから人生は楽しいものさ。白塗りやら乞食姿やら、齢80歳のプラマーにコスプレまでしてもらった甲斐は、充分あった作品です。


2010年01月24日(日) 「誰がため」




私の素敵な映画友達の淑女たちを、ことごとく陥落させているマッツ・ミケルセン主演作。私が淑女かどうかはともかく、私もその理由で観てきました。先行で観た方々には賛否両論だったので、期待値下げた観たのが功を奏したのか、中々見応えのある作品で、私は良かったです。本国デンマークでは2008年度観客動員NO・1作品です。

1944年、ナチスの占領下に置かれているデンマークのコペンハーゲン。23歳の若いフラメン(トゥーレ・リントハート)と33歳の妻子のあるシトロン(マッツ・ミケルセン)は、レジスタンスとして活動しています。末端の活動家である彼らは、上層部からの指示で国を売る敵を暗殺していましたが、フラメンの恋人であるケティ(スティーネ・スティーンゲーゼ)暗殺を命じれてから、本当に売国奴を暗殺していたのか?という疑念が、二人に湧きます。

少し調べたのですが、デンマークはナチスが諸外国に「保護占領下」のモデルとして示す為、表面的には国民の日常は変わらなかったようです。しかし他国に侵略されているのには変わりなく、国民としての誇りや意地が、多数の人々をレジスタンスへと駆り立てたようです。

前半はテンポが遅いです。フラメンの独白で、この任務に対しての葛藤や鬱屈が語られ、相棒であるシトロンの背景も語られます。その他丁寧に登場人物が解説されるのですが、馴染みのないお国事情と歴史、たくさんの登場人物は、マッツ以外は馴染みのない俳優ばかりで、作品の基礎を頭に叩き込む事に必死で、内容を楽しめるまでには至りません。

しかしその苦痛を劇的に救うのが、マッツではなく意外やフラメン役のトゥーレ。実物の彼は北欧の人らしくプラチナブロンドみたいですが、この作品では上の画像の通り赤毛です。気品のある貴公子風の容姿から、冷徹な暗殺者でありながら良心の呵責に悩み、任務と愛する女性との私情の狭間に苦悩する姿は、スクリーンを引っ張る魅力に溢れています。前半はトゥーレを観ているだけで充分満足出来ました。

主に暗殺を担当していたのはフラメンで、妻子のある善き家庭人の側面を匂わすシトロンは、暗殺には逃げ腰です。それがレジスタンス一辺倒で家庭を顧みれない夫に、妻が愛想を尽かして逃げてしまってからは、脇目もふらず活動に入れ込む姿が哀しい。夫が国のための正義の使徒であるより、不穏な世の中の情勢の中、子供と自分を守ってくれる男性を妻が選ぶのは無理からぬこと。期待のマッツも妻子持ちの頃と別れてからの変貌は、何が彼をそうさせたか、静かに観客に訴える演技で、ファンとしては大満足でした。

同じ尊厳を抱き強い絆に結ばれたフラメンとシトロンが、自分達は利用されていたかも知れないと疑念を抱いた時、前半から受ける印象とは正反対の様子を示したのが印象深いです。動揺するフラメン。間違いはなかったんだと言い切るシトロン。愛する人を得た者と失った者の違いが、現れていたように思います。

誰が敵か味方かわからず、疑心暗鬼になる二人。この辺の心理戦は、主役二人が厚みのある演技で重苦しさを好演。しかし誰が黒幕か観客にはすぐわかります。普通のサスペンスなら下手な演出とこき下ろすところですが、この作品は史実に基づくもの。方や裕福なホテル経営者の、頭脳明晰な自慢の息子(フラメン)、方や平凡な善き家庭人であった父であり夫である男(シトロン)の人生を狂わせたのが何なのか?と行きつくと、やはりそれは戦争なのです。そう感じると娯楽として観る気分にはなれず、当時の二人の、自分達は利用されて人殺しをしていたのか?という、とてつもない苦悩に、心は同化していきます。

ちょっと気になるのは、運命の女ケティを演じるスティーネ・ステンゲーゼなんですが、かなり魅力不足。というか、はっきり言って容姿に不満が残るんです。パッと浮かんだのがオアシズの大久保佳代子な訳ね。そう思うともういけない。私は決して彼女を嫌いじゃないですが、あの男この男を手玉に取るファム・ファタールが、大久保佳代子じゃ気がそがれるでしょ?(大久保さん、ごめんね)。個人的にはここが最大の欠点でした。スティーネの画像がなかったので、これは大久保佳代子。この画像はスティーネに似てると思います。

暗殺現場に向かうフラメンを見送るのに、常に汗をかき神経を紛らわす為に酒が手放せなかったシトロンが、ラストにたった一人で繰り広げる銃撃戦が、私にはとても哀しかったです。シトロンが選んだ方法も切ない。生け捕りになると、どんな最後が待っているかを知っていたからでしょう。罪のない人々を手に掛けたことは確かな彼らが、何故民衆から英雄視されたかが、イマイチわかりませんが、デンマーク国民としての誇りを守った最後であったのは確かです。

「自慢の息子であったお前は、今は人殺しで英雄だ」と、フラメンに語る父。父子両方の身を切られる辛さがわかり、涙が出ました。人の運命を変えてしまうのが戦争だと、このことを強く感じることが出来さえすれば、少々描かれる国の事情に疎くても、戦時中を描いた作品を観た値打ちがあるのだと、私は思います。



2010年01月20日(水) 「今度は愛妻家」




うん、まぁこんなもんかな?世評は高いみたいですが、描き方に奥行きがなく、描き込みも不足。要らないプロットもちらほら。でも主役のトヨエツ、薬師丸ひろ子、脇の石橋蓮司が好演しているので、それなりには楽しめました。監督は行定勲。

俊介(豊川悦史)は有名なカメラマンですが、最近は怠惰な生活を送り仕事をしていません。結婚10年の妻のさくら(薬師丸ひろ子)は、そんな夫に明るく甲斐甲斐しく尽くしています。しかし子供の欲しいさくらに対し、協力的ではない俊介は、さくらから離婚を切り出されます。

前半はこの二人を軸に、おかまの文ちゃん(石橋蓮司)、弟子の誠(濱田岳)、女優志願の蘭子(水川あさみ)が絡み、テンポよく進み笑わせてくれます。いつまでも新婚気分の妻の様子や、女にだらしなくて調子がいいけど、何となく憎めない夫の様子も自然に描けていて、楽しめます。

後半ある秘密がわかる展開です。その辺は、一年前と今では家の様子が違うこと、洋装店店主ゆり(井川遥)の様子が訝しげなこと、文ちゃんが俊介や誠の好物は持ってくるのに、さくらの分はなかったこと、さくらの服装がいつも同じ事、文ちゃんが蘭子と言い合いになった時のセリフなどなど、私はなんか変だなぁと思ってずっと観ていたので、なるほどと、腑に落ちました。

しかしですね、この後半からがもたつきます。長々引っ張り過ぎ。中年夫の妻恋しが描かれるのですが、やたらめたら甘いです。妻の方も離婚を切り出す理由に同情も同意も出来るのですが、それまでの描かれ方が結構楽しげなので、ぐっと胸に迫ってくるもんが薄いです。

夫の健康を心配して口やかましい妻に、夫が「俺の健康なんだから、お前に関係ないだろう」と言うと、妻が「私はあなたの健康に関係ないだ・・・」と寂しくつぶやくシーンは、とっても共感出来ました。うちの夫もそうですが、男って不用意に悪気なくモノを言うもんですよ。悪気がないから反省しない。あげくは過度に傷つくお前が悪い、ってなもんですよ(我が家参照)。例え子供がいなくても、こんな無神経なセリフを言わない夫であれば、さくらも離婚は考えなかったはずです。なのでこの辺の、「男と女の間には、深くて暗い川がある」を、もっときめ細やかに描き込んで欲しかったですね。

それと若い誠と蘭子の恋の行方なんですが、いつの時代ですか?と思うほど鉄板な展開。さくらの悩みとかけているのはわかります。蘭子のいでたちは、水商売でもロークラスを思わせますが、あばずれの純情を感じさせるには軽薄過ぎで、始終がなっているだけ。「純喫茶磯辺」の麻生久美子くらいの深味があれば、良かったのですが。誠も実に好青年なのですが、だからどうしてこれほど蘭子に入れ込むのかと疑問に思いますし、終盤の秘密の暴露も不要です。この二人のパートはなくして、夫婦二人だけに的を絞れば良かったかと思いました。

それでもトヨエツは「憎みきれないろくでなし」を演じて、相変わらずカッコ良くて上手いし、薬師丸ひろ子は皺も隠さず若づくりも無しなのに、本当に可愛いです。石橋連司の文ちゃんは哀愁も年輪も感じさせて秀逸だし、何だかんだ言いつつ、終盤はしっかり泣いてきました。

職場のお若い先輩方に聞くと、最近の旦那様方は、皆とっても優しいんだとか。これを観て反省し涙するのは、「言わなくてもわかるだろう」「妻の事は心から大事に思っているんだから、それでOK」の、昭和を引きずる年代の旦那様でしょうね。「今度は」は、ないんですよ。奥さんを大事にしてね。妻の方は、とっくに夫には期待しなくなってますから、この作品の嘆き悲しむトヨエツを観て、溜飲を下げて下さいませ。でもやっぱりちょっと可哀想かな?あの夫。


2010年01月15日(金) 「牛の鈴音」




いや参りました。素晴らしい。昨日は私のマッツ・ミケルセン様を観に、テアトル梅田まで行くはずだったんですが、あまりの寒波に急遽予定変更。自宅からちょっとは近いシネマートで上映のこの作品にしました。リストアップはしていましたが、新作がイケイケドンドンなので、もうパスしようかと思っていたんですが、本当に見逃さないで良かったです。ただひたすら、老夫婦と老牛の日常を撮ったドキュメンタリーなのに、老いること、働くことの意味、ひいては人生哲学まで感じさせる秀作でした。

韓国は慶尚北道の片田舎。80歳前のチェ爺さんと70半ばのお婆さんは、農業を営んでいます。子供たち9人を無事育てあげ、今は二人暮らし。お爺さんの相棒は、御年40歳の雌牛です。普通牛は15歳くらいが寿命なので、すっかりお婆さん牛です。段々老いていく牛を獣医に診せると、あと1年くらいの寿命と言われます。しかし牛を大切にしながらも、お爺さんは毎日の畑仕事に、牛を連れて行きます。

老人の生活にふさわしく、時がのんびりと過ぎていきます。喧騒はない代わり、お婆さんの口の悪さがとっても愉快。口癖は「何でこんな男と結婚したのか。それが不幸の元だ」です。このセリフには場内の大半を占めていた年配の奥様方ともども、爆笑しました。嫁さん稼業というのは、どんな年代も似たり寄ったりですな。朴訥で寡黙だけれど、頑固ぶりもなかなか手強いお爺さんとのやり取りは、とてもユーモラスです。

何故うちだけ機械を使って草取りしないのか、農薬を使わないのかと、お爺さんを責めるお婆さん。もう農業と牛の世話に明け暮れる生活がしんどいのです。しかし機械を使うのはちゃんと収穫出来ないからダメ、牛に農薬入りの草を食べさせるのかと怒り、果ては牛が引くのがしんどいから、お前は荷台から降りろとまで言うお爺さん。

「私がしんどくても薬も買ってくれないのに。私より牛の方が大切なんだろう?」と、悪態をつきまくるお婆さん。何だか牛に嫉妬しているみたいで、クスクス。雌牛だしね。でもずっと観ているうちに、お爺さんの心の中が見えてくるのです。

お爺さんは8歳の時の鍼治療の失敗で、左足が少し不自由です。ふくらはぎの太さは右の半分、筋力が落ち、断続的に痛みが襲ってきます。この不自由な体で少年期から働きづめで、立派に妻子を養ってきました。人より劣る身体で、人並みかそれ以上の、男としての勤めを果たしたのです。仕事で辛い時苦しい時、お爺さんの傍らに常に寄り添っていたのは、この老いた牛だったわけです。

「この牛は畜生だが、わしにとっては人間以上の存在だ」というお爺さん。人々は普通の倍以上の寿命を生きながらえて、農耕牛として働く牛に、働くと言う業を背負っていると言います。取りも直さず、それはお爺さんのことだと思うのです。

会話でわかったのですが、どうも農耕牛として引退すれば、売らなければならなようです。余生を過ごすというのは無理なよう。そこが家畜とペットの違いなのです。お爺さんは大事な牛を売るのがいやだったのでしょう。だから老いてもこき使い、機械を取り入れず農薬もまかず。お爺さんはそこに、生涯一農夫として生きる自分の宿命を重ねたのかも知れません。大切にはするけれど、分は守らせるのです。

旧盆に実家に帰ってくる子供たち。口々に親を思いやるけれど、誰もこの老親と暮らそうとは言いません。「子供は充てにできない。今更子に気を使って生きるのもいやだ」というお婆さん。そう言いながら、新米は一番に子供たちに贈る二人、口うるさく元気いっぱいのお婆さんの耳には補聴器が。頭痛に悩まされるお爺さんも映します。どんなに子が親を思っていたとしても、親が子を思う半分もないもんです。子供を持つと痛いほどわかるのがこの事です。小津の「東京物語」を観た思春期、何て薄情な子供たちだと思いつつ、私は絶対ああはならないと思っていたのに、今の私ときたら似たり寄ったり。お爺さんより年上の父親の顔が浮かび、胸が痛むのです。

段々弱ってくる牛の代わりに、新しく若い牛を買ったのですが、この牛がお婆さん曰く「若いくせに怠け者だ」そうで、働いているシーンが全然映りません。そのくせ角で老いた牛を威嚇し、えさを横取りしようとします。若いと言うだけで傲慢なその姿は、人間そのもの。画面はお爺さんの汚れた爪、白髪交じりの汚い鼻の穴まで映し、決して老いを美化しません。年を取ると言う事は、身綺麗とは反対の薄汚くなっていくものですよ、と言いたげです。
作り手は執拗にその小汚い姿を映しながら、自然に老いることを肯定しているような気がしました。

売られそうな時や今際の際、牛の流す涙がとても心に染みました。「畜生だが、わしには人間以上」の牛が畜生でなくなった時、畜生の証だった鈴が外された時、私から思いがけないくらいの涙が溢れました。寂しくもあり哀しくもあり、そして安堵もし。ほんの一時間半足らず、この老夫婦と時間を重ねた私にも、牛は人間並みの存在になっていたようです。

公開時韓国では、その年一番ヒットした作品だったとか。韓国的儒教の考えが薄らぎ始めているらしい今の韓国。その反動のようなものが、観客動員に繋がったのかも知れませんね。


2010年01月13日(水) 「ティンカー・ベルと月の石」(吹替え版)

昨日観てきました。とめさんから松竹系のチケットをいただいて、板尾の「脱獄王」を観ようと喜んでいたんですが、「脱獄王」は16日からでチケットは15日まで。そこでミノさんから意外と大人もイケるという推薦を受けていたこの作品をチョイス。易しくお子様向けに友情のなんたるかを描いているようで、実は引率のママさんたちに向けた、深〜く含蓄のある描写が随所にあり、なかなか内容も充実した秀作でした。

もの作り妖精のティンカー・ベルは、8年に一度の秋の祭典で一番重要な、「月の石」を置く杖の制作を、女王から依頼されます。張り切るティンクに協力したいと、親友のテレンスは何くれとなく面倒をみますが、度が過ぎ喧嘩に。カッとしたティンクは、不注意から大事な月の石を粉々にしてしまいます。月の石がなければ、妖精たちが飛ぶのに必要な「妖精の粉」が作れず、一大事です。自分の不始末を誰にも相談できないティンクは、願い事を聞いてくれる鏡を探しに、旅に出る事にします。

CGアニメですが、色彩がとてもカラフル。それも強い色味はアクセントくらいで、ほとんどがパステルカラー中心で、綺麗です。画の美しさも、ターゲットである幼稚園児からローティーンの女子向けに、メルヘンチックでとても綺麗です。雄大に空を飛ぶ気球や、危機また危機の場面も織り込み、飽きさせる事はありません。妖精の粉や女王のドレスなど、光りものの処理も上品で夢があります。画に関しては100点満点、私はいい歳こいて少女趣味なので、眼福でございました。

ストーリーはお子様には簡単明瞭に、友情の大切さを説いています。ありがとう、ごめんなさいが言えること。相手の立場に立って友達を思いやる事。そして協力すれば力も知恵も倍になること。ターゲット年齢の子供たちは素直なので、すっと心に入っていくと思います。

で、引率のお母さん向けには随所に細かな深読み的描写が盛りだくさんです。まずは親友と言う括りですが、ティンクとテレンスは男女なので、恋人同士、夫婦にも置き換えられます。ティンクは才能豊かで明るくチャーミングなのですが、少々疳癪持ちなのがウィークポイント。今回も自分のしでかした不始末に対して、あちこちで「あなたのせいよ!」と、相手のせいにしてしまいます。

しかしこれがちゃんとティンクに感情移入出来るようにしてあるんですね。テレンスは良い子ですが、確かに過剰に世話を焼きウザいです。私がティンクでもイラっときます。しかし善意なので上手く断れない。最後には疳癪を起して喧嘩。もう最悪です。ティンクがダメだったのは、素直に自分の気持ちを相手に伝えられなかったからだと、瞬時に観客に理解させる巧みさです。そして短気は損気。自分にもあてはまるよなぁと、観ていて反省する人は、私も含めて多いはず。でっかいコンパスを蹴っ飛ばしたあげくの結果は、一度や二度は、誰だって経験あるはずです。

お互い仲直りしたいのに、意地の張り合いをしてしまう二人。コミュニュケーションで一番重要なのは、プライドよりも素直な心なのだと感じます。ティンクが反省したのは「あなたのせいよ!」を連発して、不幸のつるべ打ちにあって、やっと自分の非を悟るところなど、妖精とは思えぬ人間臭さ。絶対絶命、四面楚歌のティンクに、私自身の似たような経験が蘇り、思わず手を差し伸べてあげたくなります。

そんな彼女に誰が手を差し伸べてくれたのか、ピンチはチャンス、失敗は成功の母なのだということ、形のあるものはいつか壊れるけれど、内面のしっかりした心の強さ優しさは壊れる事はないなどが、感じ取れるようになっています。どれもこれも「自分が変われば相手(環境)も変わる」という、普遍的なことが基礎となって描かれています。

もうひとつ特筆すべきは、テレンスが人生相談をした「ふくろうさん」の存在です。ただただ「ほう〜〜」と鳴くだけで、テレンスの話に傾聴しただけ。同意もアドバイスも一切無し。じっくり話を聞いてもらったテレンスは、自分でじっくり答えを出します。「ありがとう、ふくろうさん。ふくろうさんが森で一番賢いと言うのは本当ですね」の言葉を残します。う〜ん、深い!

昨今のディズニー仕様で、妖精たちは様々な人種が入り混じり、どの国の子も楽しめるようになっています。ティンクもすこぶるつきの美貌には描かず、甘さのないキュートさを前面に出しているのは、今の時代に合わせているのでしょう。細部に気を配った優秀な作品で、大人目線子供目線どちらからでも楽しめます。もうじき終映ですので、DVD化の折にはお子さんのおられる方には特に、是非ともご覧いただきたい作品です。


2010年01月05日(火) 「アバター」(3D字幕)




皆様、明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い致します。

三日に夫となんばパークスまで観に行きました。続々映画友達の方々の感想が入る中、私は2Dで観たかったのですが、夫がどうしても3Dに拘るので、一番鑑賞環境の良いパークスをチョイス。あっと言う間の三時間で、とっても面白かったです!内容の大味感が物議を呼んでいるようですが、それも含めて「大作」と言う名にふさわしい、久々に満足出来る作品でした。

戦場で負傷し下半身不随になった元海兵隊員のジェイク(サム・ワーシントン)は、未知の衛星パンドラの赴きます。パンドラでは莫大な利益をもたらす鉱山が採掘されていました。先住民族ナヴィと友好をはかりたい為、人間とナヴィのDNAを融合させた肉体「アバター」が開発されており、遠隔操作でアバターに意識をリンクさせると、アバターは自由に体を動かせるのです。ジェイクは亡くなった双子の兄の代わりにパンドラに来ました。ナヴィの森で出会った少女ネイティリィ(ゾーイ・サルダナ)を通じて、ナヴィの生活を深く知る事になります。

ナヴィの様子は原始時代を思わす造形ですが、大木に大きな木の葉、精霊が降る様子のロマンチックさ、打って変って夜の密林の猛々しさ、断崖からの滝の雄大さなど、本当に美しいです。それと対照的なSF部分では、パワードスーツや爆撃機が大活躍。充分時間を取った戦闘場面も、もっともっと観ていたいと飽きさせることがありません。映像は充分堪能出来ます。でも肝心の3Dなのですが、私的にはあまり効果なく、臨場感は感じられませんでした。それと3Dメガネは色彩を損なってしまうので、予告編観られた色彩の美しさが半減。これは夫も同感でした(だから2Dにしようと言ったのに!)。うちは夫婦50割引きを使えるので、通常2000円なのですが、この作品は一人2000円でサービスは使えず、4000円。アトラクション気分を味わうには、ちと高くつきました。




お話の脇線が上手く、ジェイクが現実では下半身不随なので、アバターでは大はしゃぎで動き回る気持ちが、観客にとてもよく伝わります。それと特筆すべきは主要女性キャラが、全て強くてチャーミングなのに、誰も男勝りではなかった事です。科学者役のシガーニー・ウィーバーは包容力と母性を強く感じさせ「エイリアン2」を彷彿させます。「2」の監督だったキャメロンが抱くウィーバーとは、こんな女性なのでしょう。兵士役のミシェル・ロドリゲスも相変わらずの男前さでしたが、女っぷりがすごく上がっていて高ポイント。そしてゾーイ・サルダナ。あまりに画面が滑らかなので、特殊メイクを使っているかと間違いそうですが、体の線の細さから推測すると、CGだと思います。サルダナはモーション・キャプチャに起用されたかも知れませんが、出演は声だけでしょう。しかしこれが感情豊かで素晴らしく、最初は半漁人みたいに見えた彼女が、段々勇敢にして可憐な乙女に見えてきました。マッチョな大佐役のスティーブン・ラングは敵役ですが、渋くて男の華やかさもいっぱいで、作品を上手く盛り上げています。

賛否両論のストーリーですが、私はこれでOKでした。ナヴィの容姿から推測するに、彼らはネイティブアメリカンで、そこへ白人が開拓と称して侵略するという図式。抵抗するネイティブ。今まで幾多の映画で描かれてきた内容で、近年では白人=アメリカです。確かに既視感バリバリだけど、ジェームズ・キャメロンが満を持して放った大作で描かれるということに、意義があるんじゃないでしょうか?

ナヴィの自然を大切にし、生物動物と共存し無駄な争いはしない様子、首長の意見を重んじ神を崇める姿は、神秘的で教訓的な部分もたくさんあります。そんな平和な世界へ暴力的に侵略する軍隊。その内部でも「これでいいのか?」と悩む者も居れば、ナヴィに味方する者、そのまま突っ走る者、色々です。平易に描くからこそ内容が掴みやすく、誰が観ても楽しめるのだと思います。この作品は、小学生くらいの子供たちでも充分理解出来る内容だし、年に数回しか映画館に足を運ばない人も満足すると思います。誰もが楽しめてお客を呼べる大作映画が少なくなった今、私は大成功な作品だと思いました。

キャメロンというと、どうも「タイタニック」以降忘れられがちですが、元々は偉大なB級嗜好監督。今回もキャストは選りすぐりながらもお金をかけず、自分の好きなモノをいっぱい詰め込んだ大アクション映画でした。生涯観た洋画では「ターミネーター」が一番だという夫は、大絶賛。何回も心がウルウルしたんだとか。映画的にはすれっからしの嫁としては羨ましい限り。「多分今年一番の映画になるからと、書いといてくれ!」ですと。そういう映画です。


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