ケイケイの映画日記
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2009年08月30日(日) 「96時間」




いやー、びっくりした。リーアム・ニーソンが、あんなにアクション出来るとは。遠めの大がかりなアクションはスタントでしょうが、「ボーンシリーズ」風素手での格闘は、確かにニーソンが演じていました。大物演技派俳優のニーソンが演じていることで、グンと作品に説得力と厚みが増しました。監督はピエール・モレル。

かつてアメリカの有能な諜報部員として活躍していたブライアン(リーアム・ニーソン)。家庭を顧みない仕事ぶりから、妻子とは離婚。妻レノーア(ファムケ・ヤンセン)は一人娘キム(マギー・グレイス)を連れ、大富豪と再婚。今のブライアンは一人娘の成長だけを楽しみに隠居生活を送っています。ある日キムがパリ旅行を認めて欲しいと父ブライアンに頼みにきます。危険であると最初は反対するブライアンですが、自分のアドレスを登録した携帯電話を渡し、渋々承諾します。しかしブライアンの懸念通り、パリに着いたその日、キムは人身売買組織に誘拐されてしまいます。

実はこの作品、夫と観ようと思っていました。近場のラインシネマで上映だし、時間も一時間半のアクションなので、お手軽でしょ?しかし主演がニーソンだと言うと、「どんな作品に出てるねん?」と聞かれ、咄嗟に「『シンドラーのリスト』のシンドラーの人」と、まぁ一番わかり易い作品を挙げたわけですよ。そうすると「いらんわ」との答え。まー、そーくるかなー(夫の今の一番のお気に入りは、セガール先生を抜いてジェイソン・ステイサム)。映画好きには「おぉ!ニーソンがアクションに!」と、興味津々なわけですが、一般的には彼の知名度はその程度なのかも。でも大昔にサム・ライミの、「ダークマン」にも出ていたわけなんですが。面白かったんですよ。相手役もフランシス・マクドーマンドでね、今じゃ考えられないキャスティングでした。

前半は別れた娘を思う父心を、哀愁を帯びた演出で結構丹念に描いています。仕事にために愛する娘と別れなければならなかったブライアン。引退したのは、きっと妻子への贖罪の気持ちだったのでしょう。娘のキムがまた素直な良い子で、愚かさも可愛げもハイティーンならでは。不満もあったでしょう別れた父を、ちゃんと受け入れている姿が好感が持てます。この辺の演出が効いているので、後半の父の無茶苦茶ぶりも全然許せます。演じるグレイスの容姿が健康的ながらも平凡なのも、感情移入し易い要素です。

キムが誘拐されると知るや、ちょこっと元諜報部員の片鱗を見せただけの前半とは打って変わり、ブライアンは元スパイの実力を発揮しまくり。携帯を初めとする通信機器の扱いや、鍵なしでの車の盗み方(←おい!)、家の侵入の仕方や証拠の集め方、果ては以前は「外部委託」していたそうな拷問や、超強引なゲロの吐かせ方まで、娘のためならエンヤコラ、ノンストップで彼がさぞ優秀なスパイであったろう様子が披露されます。

警察に駆け込んでも無駄だという理由も明かされます。わくわくしながら画面を見ながら、隙間に我に返ると、あれ?これはおかしいんじゃないの?という場面も出てきますが、とにかく悪い奴は全部やられるので、大変気持ちがいいです。約一名、罪のない善良なご婦人が巻き込まれますが、夫のした事を思えば、致し方なし(あくまでブライアン定義)。でも私はこのシーンが結構お気に入りでね。アメリカの正義の御旗の元、守るべき妻子はほったらかしにしていたブライアンが、善か悪かではなく、一人の父親として、例え罪を犯したって娘を救いたいと言う執念が、「ここまでやるか」の、このシーンに集約されていたと思います。これは彼が離婚後、何が一番自分にとって大切か?と、学んだ証拠ではないかと思います。

追い詰めるばっかりではなく、その逆もあり。最後が予想されるのも、この手の作品のお約束通り。私が大変微笑ましく思ったのは、キムが人身売買組織に誘拐されたのに、純潔が守られていたことです。お父さん的には、娘の命と同等くらいに大事なものなんでしょうね。ご都合主義的な脚本も、ブライアンの奮闘に免じて許したくなります。

ブライアン役が、ハリソン・フォードやブルース・ウィリスだったら、この作品がこれほど面白く観られたか?答えはノーだと思います。知的で落ち着いた雰囲気を強く漂わすニーソンが演じたからこそ、お約束の展開にも観客は意外性を感じ、ハラハラ度と共感度が増したのだと思います。この作品は50半ばにして新境地を開拓した、ニーソンの頑張りに尽きる作品かと思います。不慮の事故で奥様のナターシャ・リチャードソンが亡くなったばかりですが、同じ俳優だった奥様のためにも、これからもニーソンの活躍に期待したいです。


2009年08月27日(木) 「南極料理人」




わ〜、面白かった!クスクスするぐらいかと思っていたら、終始大笑いしていました。爆笑じゃなくて、大笑いね。微妙に違うんだなぁ。ペーソスもほどほどに取り込んで、「生きる事とは食べる事なり」を、とっても楽しく見せてもらいました。

1997年、南極ドームのふじ基地に、観測隊員としてして赴任してきた西村(堺雅人)。彼の仕事は料理人として、他七人の観測隊員の食事の用意をすること。期間は一年半、毎日手間暇かけた料理で、隊員たちの胃袋と心を満たす西村。しかし日本から14000キロ離れた、平均気温−57度の、閉塞した空間で生活するうち、さまざまなフラストレーションや問題が、彼らを襲います。

「襲います」と、書いてありますが、その辺はあんまり深追いしていません。万人にわかるようなプロットを用意し、行間を読ませるより、役者さんたちのあ・うんの呼吸と演技力で、上手く泣き笑いに転換させています。なので笑いに深みが残るので、物足りなさはありません。それにこの作品は実話が元で、まだまだ12年前のお話です。登場人物の皆さんは一般人で、誰が観ても楽しめるような作風の方が、上品ってもんです。

ペンギンやアザラシさえもいない、「南極僻地」とでも呼びたいようなふじ基地。娯楽なんて夢のまた夢、外に出ても雪だけがしこたまある場所で、外で野球に興じたり、室内で麻雀や卓球したり、夜には酒好きのドクター(豊原功補)の診察室がバーになったりと、それなりに創意工夫する彼ら。しかし一番彼らの心を和ませ癒したのは、西村が作る毎日の食事だったのです。

画面に出てくる料理の数々が、もう本当においしそう。日常食す料理から、ハレの日の特別食まで、画面に出てくる料理は、観客の胃袋も刺激します。てんぷら・お刺身・ステーキ・中華など、全体に高カロリーの食事なのも、極寒で重労働の彼らを表現しているのでしょう。特に私が感心したのは、お握り。堺雅人が実際に作っているのですが、本当に上手です。具は定番のシャケや梅干しの他、豪華絢爛にいくらまで。これは絶対いくらを取ったら当たりだなぁと思って観ていると、隊長(きたろう)のリアクションは、私の予想そのまんま。大笑いしました。

毎日毎日、ご飯を作るのは大変です。メニューを考えるのは更に大変。西村は毎日決まり切った冷凍の食材から、これをこなすので、苦労は如何ばかりかと、主婦なら絶対共感するはず。誕生日の本さん(生瀬勝久)に、「今日何食べたいですか?」と問う西村。あぁぁぁ、わかるわ!実はうちの夫も昨日誕生日だったのよ。同じことを聞いて、「何でもいい」と答えまでいっしょ。何たるリアリティ。(ついでに書くと、「ケーキは?」と聞くと、「チーズケーキ」とのお返事。なんばに出て観たので、「リクローおじさんの?」と聞くと、「いや、お母さん(私のこと)の作ったチーズケーキ」とのお返事。お陰で私は、観る回を一つずらしたのだ)。この辺になってくると、堺雅人が他人に思えない私。しかしこれ以降、食を通じての、西村の「男の母性」が、お話を照らすのです。

生の野菜を隊員に食べさせたくて、栽培を試みるも不発。ラーメンが死ぬほど食べたい隊長のため、かんすいの作り方を聞くや、身を翻して厨房へ走る西村。彼は毎食毎食、隊員たちにおいしいものを食べさせたいと、心を込めて食事を作っていました。画面から一番発散していたのは、彼のその心です。料理人の世界は男の世界だと言われますが、毎日の生活の中での料理は、男が作っても、それは食べる人を元気づけたい「母の心」なのでしょう。

「母」の作った手料理を、毎食毎食「家族8人」揃って食べる。これが彼らがそれなりに円満に過ごせた秘訣じゃないでしょうか?だってラストの方の西村なんか、まるで主婦そのものだったもん。その他、最初は敬語を使い合っていた隊員たちが、その内タメグチになり、髪も髭も伸び放題でも気にしなくなり、一層むさくるしくなる様子などで、彼らが一つの家族のようになっていく様子を映していました。南極と言う孤立した場所で、西村の作る料理は、彼らを孤独にはしなかったのですね。

電話の横の「一分760円。かけすぎは身の破滅」の張り紙は、今ならインターネットで解消なのにと、しんみりしました。超遠距離恋愛の顛末、妻に反対されながらも、好きなこの仕事に励む者、左撰されたと喚く者など、さらりと背景を描いているのが良かったです。私が一番ぐっと来たのが、からあげのシーン。西村の妻(西田尚美)は、「お父さんが南極に行ってから、毎日楽しくてしょうがありません」と、ふざけたことをファックスしてくる嫁ですが、それは夫に心配かけまいとしてだなぁと、わかりました。しかしもうちょっと優しい言葉がかけれんのか?と、ムッとした私(だって年頃の息子がいるんですもの〜)。

しかし隊員たちの作った胸やけするからあげで、西村に涙させるとは、一本取られました。まずくたって、西村にとって、あれは家庭の味・妻の味なんですよ。尻に敷かれたって、悪態つき放題されたって、いいじゃないの息子が幸せならば。後で嫁の本心のフォローも入り、こう言うときは絶対姑は何も言っちゃいけないんだと、深く勉強になりました。(って、息子たちにお嫁さん来てくれるのかしら?)

その他キャストが全て素晴らしかったです。今回初めて観るキャストもいましたが、堺雅人以下、豊原功補や生瀬勝久、きたろうなど、曲者役者たちの意外なほどの素直な演技ぶりは、そのまま作品の好感度アップに繋がりました。特にきたろうが良かったなぁ。あの絶妙の間合いとラーメンに対する愛。どんな御馳走より、あのラーメンが一番おいしそうに感じました。ありふれた俗っぽい食べ物であるラーメンへの執着で、彼らのシャバへの懐かしさを表していたんだと思います。

これからも毎日頑張ってご飯を作ろうと、元気づけてもらえました。この作品を観て、毎日ご飯を作ってくれる人に、皆さん感謝してね。お願いしまーす。


2009年08月22日(土) 「肉弾」

終戦記念日に観ました。ということは、一週間前。もうホント、最近は毎日が矢のように飛んで行って、のんびり働いていた頃が懐かしいっす。九条のシネヌーヴォは、旧作の特集上映を毎月のようにしてくれる、名画座僻地の大阪では貴重な劇場です。今月の特集は岡本喜八。一番観たかったこの作品、上手い具合に時間が空いたので、観る事が出来ました。いやびっくり。製作は1968年ですから、今から41年前です。そんな昔に、時にはシュール、時にはシニカル、牧歌的なユーモアを常に溢れる中、しかし強烈な反戦映画になっているのです。終戦記念日に観るには、とてもふさわしい作品でした。

大学生の兵隊さん(寺田農)は、工兵特別甲種幹部候補生として、軍隊に参加していました。戦局は広島に原爆が落ち、ソ連の参戦で一気に日本の負けに傾いていた頃、幹部候補生たちは魚雷を抱えて特攻隊として出陣していくことになります。出陣の前日、彼らには一日休暇が与えられました。

冒頭、せまーいドラム缶に浮かぶ中の兵隊さんを映し、???でしたが、仲代達也のユーモラスなナレーションとともに、ことの顛末が明かされます。

とにかく終戦間際は、みんなお腹が空いてたんだなぁと思わせる出だしです。豚や牛のイラストの挿入、スッポンポンで練習に励む兵隊さんの様子など、のんびりユーモラスなのですが、しっかり上官(田中邦衛)の人権蹂躙ぶりはソツなく盛り込まれており、まずこの導入部分で感心してしまいました。

活字に飢えていた兵隊さんは、まず古本屋へ。すぐ眠れるように枕くらいの分厚さのもの。それと面白過ぎず、つまらなくもない内容。面白過ぎると心残りだと言うのです。ニコニコと淡々と語る兵隊さんですが、このセリフの奥深さに胸が痛みます。だって彼は明日は死ぬのですから。

古本屋の主人(笠智衆)は、聖書を薦めます。戦争で両手を失った主人が、敵国イチ布教されている宗教の本を薦めるなんて、とっても皮肉に毒がいっぱい。しかし片手がない彼が用を足すのを兵隊さんに頼んだ時、「あぁ気持いい。生きていればこんな気持ちいいこともある」と兵隊さんに語る時、この小さな排泄行為でも、人は快楽を得る事が出来るのだ。ならば生きていれば、食事・睡眠・レジャー・セックス、あらゆる快楽があんたを待っている、だから死んじゃだめなんだよ、と語りかけているように思えるのです。

そして観音様のような主人の妻(北林谷英)の楚々とした風情は、殺伐とした軍隊生活で、兵隊さんたちが如何に女性からの精神的な愛情を欲していたかが、表現されているのかと感じました。

束の間、恋人として結ばれる少女(大谷直子)の出会いと別れ。彼らの出会いのきっかけは、因数分解。明日をも知れぬ時に、勉強など何の役にも立たないでしょう。しかし勉強するということは、明日への自分のため。それは希望という言葉にも置き換えられないでしょうか?明日の命がわからない兵隊さんと、一瞬にして家族を失った少女。少女に「参考書でも買いなさい」と過分なお金をくれた兵隊さん。折れそうな自分の心を励ましてくれた兵隊さんに、彼女が無心でついていったのは、とても理解出来ました。清々しい激情にかられる若い二人に、号泣の私。そこへ「これでやっと死ぬ理由が出来た」という兵隊さんの独白が入ります。彼女を守る為なら死ねるという意味です。当時の多くの下級の兵隊も、お国のためなんかじゃなかったのでしょうね。

翌日砂浜で出会う様々な人たち。「ニッポンヨイクニ、ツヨイクニ」以下、小学校の修身の教科書に書かれているような、「神国・ニッポン」を表現するような文章を音読する少年(雷門ケン坊)。これはもう、本当に痛烈な皮肉です。まだ戦後23年で、よくこんな表現が通ったと感心。もしかしたら、今より40年前の方が「表現の自由」が大手を振って闊歩してたんでしょうね。戦災で親が亡くなり、一人きりで暮らす弟を心配した兄(頭師佳孝)が、軍需工場から脱走します。追いかけて来て激しく殴る教官。独りぼっちの弟を思いやる兄の気持ちは、当然なのに。でも兵隊さんに詰問されると、何故兄を殴らなければならないか、答える事が出来ない教官。本当は国の教えなんて思い込まされていただけで、みんなわかっちゃいなかったんだよ、と監督は言いたいのでしょう。

砂浜で若い兵隊さんを観て、「強チンしちゃおうかしら?」と、艶然と微笑む三人のナース。戦時下の白衣の天使にしちゃ、色っぽ過ぎるでやんの。でも大和撫子らしからぬその言動は、漁師たちに輪姦されるというオチです。でも何となく凌辱されているというより、合意で楽しんでいると言う風に見えなくもない。この作品で強調される人間の欲は、食と性でした。それは戦時下でも同じ事。むしろ飢餓感がいっぱいの戦時下だからこそ、見果てぬ夢のように、その二つを追い求めていたのでしょうね。因幡の白ウサギに見立てられたナースたちで、寓話的に表現されていました。

そしてラスト。せっかく漁師(伊藤雄之助)に見つけてもらいながら、陸へ生還することができなかった兵隊さん。狭い中で一日中いたので、足が立たなく、船に上がれなかったからとは、本当に何ということでしょう。死ぬ気だったんですもの、明日のことは考えていないのは当たり前のこと。明日のある生活。そんな当たり前のことが、本当に素晴らしく思えるのです。

享楽的に海水浴場で遊ぶ人々の中、ドラム缶の中で白骨と化した兵隊さんの姿が。岡本喜八は、愛する人を守りたかった、市井の人々の心はしみじみ深く描きながらも、そこには「お国のために頑張った英霊」を賛美する、靖国的感情の対局を描いていたと思います。

その他小沢昭一・菅井きん夫婦の、俗っぽくも夫婦の愛情あふれる隠れた逢瀬、高橋悦史の敗戦を感じてやけ酒を飲む兵士など、人間味溢れた戦時下の底辺の人々を淡々と描く事で、強烈な反戦映画となっているこの作品。とてもわかり易く描いているのに、監督の旺盛な気骨とインテリジェンスも強く感じます。戦争当時士官候補生だったそうな岡本監督の、これが戦争に対しての答えなのですね。

監督の分身だそうな兵隊さんを演じた寺田農が絶品。圧巻じゃなくて、絶品だというのも、監督の意図するところに、大いに応えたことでしょう。現在は名バイブレーヤーの彼ですが、私は何故か子供の頃から彼が大好き。彼のエッセイも何度か読みましたが、文章も軽妙洒脱で、とても上手い人です。そんな彼の初めて観た主演作がこんな傑作だとは。

戦闘場面は全くなくても、人が殺される場面が出てこなくても、強烈な反戦映画は作れるのですね。戦争が舞台というのは、一種「時代劇」です。なので時代にあせない強さのある作品は、己の頭に反戦を叩きこむためにも、繰り返し見る必要があるのだなぁと、つくづく思った次第です。


2009年08月14日(金) 「サマーウォーズ」




素晴らしい!観た映画友達の皆さんが、こぞって絶賛だったので、観てきました。昔ながらの大家族の絆を軸にしながら、バーチャルな仮想世界をふんだんに織り込んで心躍らせなてくれます。温故知新的な教訓も盛り込んでいますが、新しい家族の価値観もきちんと感じられ、古くて新しい、とっても素敵な作品です。

仮想世界「OZ」が、現実社会にも深く関わっている近未来が舞台。高校二年の健二(声・神木龍之介)は、優しく内気な少年ですが、天才的な数学の能力を持ち、残念ながら数学オリンピックも後一歩の所で及びませんでした。夏休み、友人の佐久間とともに、OZのメンテナンスのアルバイトをしています。そこへ憧れの夏希(声・桜庭ななみ)からアルバイトに誘われ、彼女の田舎である長野県の上田市について行きます。しかしそのアルバイトというのが、彼女の曾祖母・栄(富士純子)の誕生日に合わせ、夏希の婚約者になり済まして欲しいというもの。一度は断る健二ですが、何だかんだと丸めこまれ、彼女の大家族に紹介される羽目に。戸惑う中、寝付けなかった健二は、OZから送られてきたパスワードを解いて、送信します。翌朝、日本中の日常は大混乱していました。

アニメは実写版以上に登場人物のキャラ立ちが大切ですが、格々しっかり描きこまれています。特に夏希の一族郎党など、総勢30人近くはいるでしょうか?これが赤ちゃんから90歳まで、実にわかり易く描かれており、それぞれのキャラにしっかり息吹が吹き込まれており、その見事さにまず感心します。

文科系ならぬ理数系男子の健二。思わぬ濡れ衣をかけられた時などの、気弱で優しく、大人しい様子は全編変わりません。しかし陣内家の人々の濃密な家族愛に触れ合う内に芽生え始めた、大切な人達を守りたいと言う健二の「男気」は、負けが濃厚なここ一番の大勝負での「まだ負けてません!」という言葉で、きちんと実のったのがわかるのです。

「僕、一人っ子で父は単身赴任、母も働いていて、ご飯はいつも一人です。こんなにたくさんの家族でご飯食べる事なかったんで、とても嬉しかったです」という健二の言葉は、こんな時に礼を言ってる場合かい!と言う場面で、出てきます。しかし言わずにおられない健二の気持は、だからこそ観客にも深く届くのです。そしてその言葉をじっと聞いていた栄に、一番届くのです。

大混乱の元は、人工知能の「ラブマシーン」がOZに入り込んだせい。栄の夫の隠し子で、幼い時に栄に引き取られ分け隔てなく育てられた侘助。頭脳明晰ではあるけれど、長い間放蕩していて、家族からはみ出した侘助は、この事件に関係しています。10年ぶりに侘助が現れた時、毒づく彼に栄がかけた言葉は、「ご飯食べるかい?」でした。これが愛情でなくてなんでしょう。

侘助が事件に関係していると知るや、彼を槍で追いかけ回し、「身内の不始末は、みんなでカタをつけるんだよ!」と、家族を奮い立たせる栄。他の家族には血の繋がりがある侘助ですが、たった独り、栄にはないのです。妾腹の子の不始末を「身内」と言いきった栄。身内だからこそ、腹が立つのです。その言葉に栄の器の大きさと、侘助への深い愛情が忍ばれました。

侘助とて、そんな栄の愛情に応えたくて、空回りしていたのでしょう。大金を持ちかえり、名を上げる事で、栄に報いたかったのですね。「ばあちゃんなら、俺の気持ちをわかってくれるだろう!」という、切々とした彼の言葉も胸に響きました。栄が大事にしてくれればくれるほど、妾の子として肩身の狭い思いをしてきたのでしょうね。

「うちはばあちゃんの言う事を守って、ずっとやってきた。だからばあちゃんの言う事は絶対なの」という、陣内家長女の言葉。さらっと聞き流す人もいるでしょうが、実は大変深い意味があります。家族の意見がバラバラの時、絶対服従と言うと聞こえが悪いですが、そんな人が必要でしょう?言いたい事も腹膨るるほどではないのなら、ぐっと堪えて家長の意に沿うように家族が協力すること。それは家族の方向を定めるだけではなく、家長を育てると言う事にも、繋がるのではないでしょうか?

「ご飯はみんなで食べる事。家族は一人にしないこと。お金は残っちゃいないが、私はみんな囲まれたお陰で、幸せな人生だ。」栄の言葉です。健二の言葉と繋がります。何度も何度も書いていますが、これは私が27年の主婦生活で、正に実践してきたことでもあります。出来るだけ手作りの食事を作り、お腹を空かせない。決して家族を個食にはしないこと。夫や子供達が塾やクラブや仕事で遅くなる時も、食べずとも必ず傍で話をしながら、食卓をいっしょに囲みました。家族が家に帰る時間には帰宅し、出来るだけ「お帰り」と言って迎えること。もちろん仕事やどうしてもという時は、パスしましたが、家族の誰かが家にいるとき、必ず私もいるようにしたものです。

言いかえれば、私は「これしか」していません。仕事で疲れてストレスがたまっているのに、休みも家庭・家庭・家庭。でも自分のストレスより、家族の誰かが寂しい思いをしないか、その方が気がかりなのです。多くの主婦が私と同じ思いで生きているはずです。

しかし雑誌などを読むと、現代の主婦はあれもこれも我慢せず、したいことは謳歌してストレスを溜めない方が、家族も幸せなんだとか。私の誤読かも知れませんが、本当にそうなのかな?

自分のために妻が母親が、常に気を配っていてくれる。いつも家族の息遣いが感じられる空間。そういう家庭に育った子は、仮に道を踏み外しそうになった時、自分が曲れば、親が悲しむ。家族に迷惑がかかる。そう思い踏みとどまるんじゃないでしょうか?そういう思いは、栄婆ちゃんの言葉通りの暮らしをすれば、肌に髪に沁み込んでいくものじゃないかと、私は思います。

一見古いしきたりと価値観で統一されているような陣内家ですが、孫やひ孫は、外孫内孫関係無く、大人は皆で愛情を注ぎます。バツイチでも大手を振って参加できる、風通しの良い関係です。そして日蔭者のはずの侘助を決して忘れない心。これは当主である栄が、良き古い血は残し、新しい良き血はどんどん取り入れる、開放的で大陸的な思考の人であることからでしょう。ねっ、古くて新しいでしょう?

「古くて新しい」は、OZでの格闘ゲームを「スポーツだと」と言う、元いじめられっ子のカズマと、カズマと又いとこで、高校野球で頑張る了平の姿を交互に移すことで表現されています。どちらが良い・正しいというのではなく、両方肯定しているように、私は感じました。そしてカズマを強い男にするため協力したのが、祖父である万作というのが、とっても良いです。父親が仕事で忙しいなら、他の身内が代わって指南したって、全然OKですよね。ただの祖父と孫の微笑ましい交流だけではなく、忙しい父親を否定しない様子も、好感が持てました。

そして決戦のゲーム。夏希を軸として始まるゲームの壮大さは圧巻です。いやあのゲームで、あんな迫力あるシーンが作れるなんて、思いませんでした。そして一人はみんなのために、みんなは一人のために一致団結する様子の盛り上げ方は、半端無い感動を呼びます。それがべらぼうな強さを誇る人工知能にはない、人間らしい心というものです。人間とは得てして予測不能な力を発揮するものですから。

こんな地球規模の危機に、どうして政府は動かないのかしら?とも、ちと感じましたが、人が初めて接する社会は家庭です。その家庭で社会を表現したんだと、納得しています。

価値観が様々になり、それが認められつつある現代社会ですが、観客に熱狂的に受け入れられている様子は、やはり家族の強い絆とは、未来永劫普遍的な価値観なのでしょう。しかし古いだけじゃだめなんだぞと、新しい価値観も認めている所に、観客は魅かれるのでしょう。それが成長や進歩だということですね。

全部観た訳じゃないけれど、この夏一番のお薦め作です。いっぱい泣いて笑って、元気をもらって来て下さい。



2009年08月09日(日) 「ボルト」(吹き替え版)




ピクサーアニメで秀作を連発するジョン・ラセターが、親会社ディズニーと組んで製作したアニメということで、観てきました。3D上映で観たかったのですが、なんばパークスまで行ける時間の余裕なし。ということで、普通の2Dで鑑賞です。かなり評判が高いので、だいぶ期待したので、ちょい期待値は割りましたが、良質の家族向けムービーであることには間違いない出来でした。

愛らしい少女ペニー(声・白石涼子)の飼い犬ボルト(声・佐々木蔵之助)。しかしこれはドラマの設定で、本当のボルトはスタジオ以外出た事が無く、自分を改造されたスーパー犬だと信じています。ドラマの設定でペニーが悪者に誘拐されたと信じ込んでいるボルトは、セットの外に飛び出してしまい、現実を知らされます。ペニーの愛情だけは信じるボルトは、外の世界で知り合った猫のミトンズ(声・江角マキ子)や、ハムスターのライノ(声・天野ひろゆき)と共に、ペニーの元へ戻ろうとしますが・・・。

という内容、何だか「トゥルーマン・ショー」みたいでしょ?これの犬版だと思っていただければ、結構かと。私が少し不満に感じたのは、毒の効かせ方や、真実を知ってしまった時のどん底感が希薄だなぁと思ったから。でもこの作品、ターゲットの客層はあくまでお子様なんですよね。それをすっかり忘れていたワタクシめが悪うございました。良い子の皆さんは、そんな浮世の辛さは、もっと年とってから知れば結構。「愛と友情と希望」。この三本柱は、きちんとわかりやすく押さえていました。

冒頭はドラマの追いつ追われつのアクション場面ですが、これが息もつかせぬ勢いで、相当楽しめます。特別斬新な見せ方ではないですが、つなぎ方が非常に上手く、本当にこのドラマの映画版を作ってくれないかしら?、と思ったほどです。

物ごころ付いた時から今の環境のボルト。飼い主と遊んだり甘えたりすることは知りません。自分をスーパー犬と思いこんでいるので、ひたすら愛するペニーを守ることしか知りません。そんなボルトを不憫がり、設定そのまま、ボルトに本物の愛情を注ぐペニーを最初の方で描いてくれるので、後の展開は気持ちに余裕を持って観られます。この辺は子供達にはとても優しい脚本だと思いました。

世間に長けた皮肉屋のミトンズ。一見自由なノラ猫の彼女ですが、そうなったのには深くて哀しい理由が。一匹狼的な生き方が好きだと見えたのに、本当は孤独で寂しいのです。ミトンズの哀しさの理由は、子供達には生き物を飼う上のでの心構えを教え、人間に媚を売る方法をボルトに教える姿は、大人には痛烈な皮肉に感じるでしょう。

ディズニーアニメは擬人化がいつもとても上手ですが、この作品でも本領発揮です。真実を知り、落ち込むボルトですが、彼を励ますのが、今までは家の中しか知らなかったライノ。ライノはボルトのドラマが大好きで、ライノにとって、ボルトは永遠のスーパーヒーローです。愚直なまでにボルトの力を信じるライノには、ちょっとウルウルきました。自分だけのアイドルの輝きに憧れ、つまらない日常を乗り越えてきたライノ。これって、人間の世界でもありますよね?ボルトに励まされてきたライノが、今度はボルトを勇気づけているわけです。

何もかも嘘だとわかっても、ペニーの愛だけは信じるボルト。誤解から傷つきながらも、ペニーを懸命に助けようとする姿と、その結果には、大人から見れば深い意味が詰まっています。普通の犬ではないと思いこんでいた年月が、ボルトに本当に普通の犬にはない機転と勇気を授けたわけです。人間に置き換えれば、イメージトレーニングかな?それには愛情を持って支えてくれる、ペニーのような存在が不可欠なわけで、それは子育てにも使えるでしょう?もちろん親がペニーですね。

商魂たくましいハリウッドの様子が最後に描写され、笑ってしまいました。平凡な「犬生」が一番というラストは、ちょっと年齢高めのオチですが、全ての観客が満足するには、やっぱりこれしかないかと。大人には少しコクが不足していますが、色々考えさせられる描写も多々あり、ファミリー映画として充分に楽しめるかと思います。


2009年08月03日(月) 「サンシャイン・クリーニング」




わぁ〜、良かった良かった!大好きな「リトル・ミス・サンシャイン」のチームが再び製作した、負け犬(この言い方は好きじゃないが)応援歌ムービー。所々繋がりが悪かったり、もう少し突っ込んで描いて欲しかった箇所もありますが、姉妹と父親の心情がしみじみこちらに伝わり、この作品も大好きな作品になりました。

ローズ(エイミー・アダムス)は、高校時代はチアリーダーで、学校の花形的存在でしたが、今は学校で問題ばかり起こす息子オスカー(ジェイソン・スペヴァック)を抱えたシングルマザーとして、ハウスキーピングの仕事をしています。妹のノラ(エミリー・ブラント)はどんな仕事をしても上手くいかず、未だに父親(アラン・アーキン)と暮らしています。この父親も、怪しげな品物で一攫千金を狙うダメ父ちゃん。お金が必要となったローズは、学校時代の恋人で今は不倫相手であるマック(スティーブ・ザーン)から、事件の後や訳ありの場所での清掃業はお金になると持ちかけられ、ノラを誘って仕事を始めます。

アダムスもブラントも美人なのに、世間に置き去りにされた負け犬姉妹って・・・、と思いましたが、そこは二人とも演技派。ちゃんと存在感も華も残して、運に恵まれない垢ぬけない姉妹を上手に演じていました。

特に私が感心したのはブラント。どうしてこの子は美人なのに、いつもゴス風のアイメイクなのかなぁと思っていましたが、今回はそれが役柄に上手くマッチ。ノラの内面の寂しさ・か弱さ、繊細さを隠し、強気に見せるための「仮面」のように感じるのです。亡くなった女性の遺品の写真から、その人には長年離れ離れの娘がいることを知り、どうしても娘に母親が亡くなったことを知らせたいノラ。

ノラの拘りは、彼女が妹だからでしょう。二人の母親は姉妹が幼い時に自殺。私が娘だったら知りたいと言うノラ。汚い部屋を掃除しながら、私たちのママは、こんなだらしない人ではなかったと、きっぱり言うローズ。さりげないけど、ここに下の子の哀しさを感じさせます。下の子の方が親の記憶が薄く、思い出も少なく、親との時間も短いのです。自分の哀しさを、写真の娘に投影しているのです。幼い子がするように、いつまでも母の数少ない思い出を詰めた箱をながめるノラの様子に、思わず涙が出ました。私は私で、ノラの母親のような気になっているのです。

華やかだった高校時代から雲泥の差のローズ。どこでどう間違ったのか、彼女にもわからないのでしょう。それでも一生懸命、姉特有の生真面目さで、ささやかながらも諦めずにもがくローズ。私があぁいいお母さんだと感激したのは、奇矯な行動に出る息子オスカーを叱ることなく、守りに出たこと。これは出来そうで出来ないんだな。普通は「どうしてあんたは、普通の事が出来ないの?ママがこんなに頑張っているのに、少しはそれをわかってよ!」となるはず。

問題を抱えた子を一人で育てる心細さは、いかばかりかと思うのです。不倫する女なんて、私は大嫌いなのですが、ローズはこうやってどこかで自分を慰め、不倫相手マックの妻ヘザー(自分からマックを奪った同級生)に復讐して、自分の気持ちを持ちこたえているのでしょう。鏡に向かって「私は美しい、私は強い」とイメージトレーニングをするも、「私は遊ばれるだけの女。結婚やデートの相手ではないの」と泣き笑いするローズを観て、またまた彼女の母親になってしまい、胸が痛むのです。

早くに母を、それも自殺で亡くなっているというトラウマが、彼女たちの人生に影を落としているのは明らかです。そういう娘たちの演出は柔らかで繊細で、とっても長けているのに、何故かパパは妻に自殺されたのに、全く葛藤の場面がなし。写真の娘リンとノラのエピソードも、ノラ自身はとても浮き彫りになりますが、あの終わり方ではリンが可哀想です。もう少し突っ込んで描いて欲しかったなぁ。ローズと関わるウィンストンとのエピソードも、彼が片腕がない障害者、でもきちんと自立して生きている人だ、という側面を、映画の中では生かせていません。マックとの不倫に悩み、ウィンストンに心惹かれるローズ、という図式を挿入しても良かったかと思います。

と、このようにいささか物足らない部分も多々あったのですが、この姉妹を抱きしめたくて堪らなくなった私の気持ちと、ラストの山師のパパの素晴らしい父親ぶりに免じて、目をつぶりたいと思います。それほどこの姉妹は、私にはとても愛しかったです。

一生懸命頑張って、自分の限界を越えようとした彼女たち。傍目には変わらない現況ですが、紆余曲折を経て、負けない心を得たようです。それが大事なんだよ。だって「リトル・ミス・サンシャイン」のおじいちゃんが言ってたでしょ?「負け犬とは、勝つことをあきらめた者のことだ」ってね。アラン・アーキンの再度の起用のカギは、ここにあったのかも。


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