ケイケイの映画日記
目次過去未来


2007年02月26日(月) 「幸せのちから」


延び延びになっていた作品、日曜日に友達と観て来ました。上映から一ヶ月ほど経つので、もうだいぶ空いているだろうとゆっくりお喋りして劇場に入ったら、超満員でびっくり!人気のウィル・スミスの作品ですが、彼はアクションの印象が強く、こんな地味な作品でも神通力が効くのかと意外でしたが、どうもこれには画像のスミスの実の息子の、ジェイデン・クリストファー・サイアス・スミスの力が強い模様。実話が元の作品です。

医療機器のセールスマンのクリス(ウィル・スミス)は、妻リンダ(タンディ・ニュートン)と息子のクリストファー(ジェイデン・クリストファー・サイアス・スミス)の三人暮らし。一攫千金を夢見て、有り金をはたいて購入した医療機器はほとんど売れず、クリストファーを中国人街の無認可の保育所に預けて、リンダは一日16時間も働き家計を支えますが、毎日の生活費にも事欠くありさまです。方向転換して大手の証券会社への研修生になる足がかりが出来るクリスですが、皮肉なことに妻が彼に愛想をつかして出て行きます。研修生活中半年は無給。家賃も払えずアパートを追い出されたクリスは、息子を抱えながらホームレスまがいの生活をしながら、正社員への道を目指します。

このお話、チラシや予告編が壮大なネタばれでしょう?妻に出ていかれ、幼い息子を抱えたホームレス同然の男が、やがてアメリカンドリームを掴むまでというお話なのは、散々あちこちで読んでしまいました。なのでクリスがどんなに頑張っていわゆる下流から這い上がるのかと思っていたら、この辺はちと中途半端です。

若く美しい妻は、化粧もせず所帯やつれが隠せません。対する夫は信用が第一のセールスマンなので仕方ないですが、パリっとまでは行かなくても、スーツを着てのお仕事で、汗まみれの彼女とは対照的。昼の仕事で稼げないなら、夜寝ないで働けよ、と思った私は鬼嫁か?息子を預けている保育所にいちゃもんをつける様子は教育熱心ですが、父親として向かうベクトルが少々間違っています。これでは妻に愛想を尽かされても当然の気が。

研修生になっても、子供を抱えて寝る場所にも困る生活にはハラハラさせられるのですが、イマイチ彼が大企業に選抜されるような優秀さが感じられません。ちょっとしたきっかけで数々の契約を結ぶのは理解出来ましたが、それも苦労があったはずなのに、台詞だけで終わらせます。ここはもっと有能な働き振りを見せるべきでは?そして一番疑問なのは、時代が1981年にしては、全く黒人差別を感じさせません。実話が元ですが、この辺は多分だいぶ脚色しているのでしょう。でないといくらアメリカンドリームと言っても、これでは世の中甘すぎです。

しかし視点を変えて、父と息子の愛情物語と観ると、このお話は大変丁寧に二人の心のひだを描いていて、秀逸です。クリスは父親を知らずに育ち、お手本がありません。溢れ出る父としての愛情を息子に伝えるのは、何が何でも一緒に暮らすことだったのでしょう。車を失おうが家を失おうが、妻が去ろうが、彼は子供だけは頑として手放しません。生活が安定するまで福祉施設に預けるとか、当面は妻に息子の面倒を頼むとか、色々出来るのにそれもせず。気持ちはわかるけど、少々頑固すぎやしないかと思っていた私に、クリストファーの台詞が全て解決させてくれました。

たくさんのホームレスを無料で一晩泊まらせてくれる粗末なベッドの上で、息子は父に「いいパパだ」とにっこり笑って語りかけます。私は胸が詰まりました。5歳の子が、全く自分以外の世界を知らないことはないでしょう。暖かい布団も清潔なシャワーさえない浮き草以下の自分の境遇に、薄々感じることはあったはず。その前に「ママは僕のせいで出て行ったの?」と、クリスに尋ねます。

クリスはずっと息子の手を離しませんでした。リンダも息子と暮らしたかった。でも彼女は結局息子の手を離したのです。クリスもリンダも子供を愛していました。しかし愛以上に、クリスは息子がいなくては生きていけない人なのです。依存という言葉が最近あまりよくない使われ方で表現されますが、必要という言葉に置き換えるとどうでしょうか?クリスが生きていくのには、息子が必要だと。自分の存在が、父から愛され必要とされているという喜びが、過酷な境遇をこの健気な5歳の男の子が受け入れ頑張った理由だと思います。親の愛とは、お金や物ではないのですね。

サクセスストーリーとしては物足らず描き足りませんが、父子愛として観れば、心温まるお話です。映画的にもそちらへ力点を置いて描いていたと思います。その辺がヒットの理由でしょう。オスカーにノミネートされたスミスの演技では、寝るところがなく、駅のトイレで息子を抱きながら一晩明かす時の涙が良かったです。親としてこんな情け無いことはなく、その気持ちが充分伝わってきました。ジェイデンはとにかく可愛い!天真爛漫で無邪気、偉大な父に一歩も引けを取らず、というより、実の親子が醸しだす自然で暖かな雰囲気は、ジェイデンが引き出したと思います。次はパパ抜きで出演するかな?

簡単にクリスがその後、会社を作って成功する字幕が出ますが、私はそれより、就職が決まったクリスが息子を連れ、NYに旅立ったリンダを迎えに行って欲しかったです。実話が元なので無理なんでしょうね。


2007年02月24日(土) 「カリフォルニア・ドールス」(シネフィル・イマジカ)

CSのシネフィル・イマジカでの録画鑑賞。今ハードディスクにはベルイマンも二本入っていますが、こちらを先に観るのが私というという人間。この作品はロバート・アルドリッチの遺作で、長いこと観たいなぁと思っていましたが、ビデオ屋にも見当たらず、本国アメリカでのDVD発売もないと言う、ちょっとした幻の作品です。もう泣いた泣いた、素晴らしい!最近このフレーズが多くて嬉しい限りです。1981年度作品。

アイリス(ヴィッキー・フレデリック)とモリー(ローレン・ランドン)は、「カリフォルニア・ドールス」と名乗る女子プロレスラーのタッグチーム。マネージャーの中年男ハリー(ピーター・フォーク)と共に全米を試合して回っています。彼女達がチャンピオンベルトを締めるまでの、スポ根+ロードムービーです。

アメリカに置いては男子でもプロレスはキワモノ。だから格闘技として認知されている日本に憧れるアメリカのレスラーも多いのだとか。女子の方はもっと厳しく、イロモノか毛色の変わったストリップのように思われている節があると、読んだことがあります。日本でも古くはビューティペア、クラッシュギャルズなど、アイドル的な女子プロレスラーがいましたが、宝塚的にファンは女性が多かったですが、こちら名前からして、ガールズではなく、ドールスですからね。アイリスもモリーも飛び切りチャーミングで技も持っているのですが、興行主いわく「確かに美人だよ。でも客はおっぱいかお尻しか観ちゃいないんだ」。

そんな美人の彼女達が、それを武器にした仕事をせずチャンピオン目指して頑張るのは、「プリティ・リーグ」で酒場勤めだったマドンナの、「私は男におっぱいやお尻を触られる仕事に戻るのなんか、真っ平だからね!」や「スタンドアップ」のジョージーのような苦労があったかもなぁと思う私。お金のためだけではないことは確か。

だってファイトマネーも雀の涙、ゴキブリの出るモーテルを泊まりながらの転戦は、さながら旅芸人のようなのです。不安定な浮き草稼業に神経をすり減らすモリー。励ますアイリスは三人は家族だと言います。ファイトマネーを上げるため、屈辱的な泥レスリングもやらなければなりません。彼女達は正統派のベビーフェイス的なプロレスラー。こんな座興はもっと雑魚がやってもいいような物ですが、チャンピオンとそうでないとは雲泥の差なのでしょう。泥まみれになりながら、Tシャツを引きちぎられ、おっぱい丸出しになりながら、それでも懸命に戦う彼女達。大笑いの観客には女性もいます。これには涙が出たなぁ。

傷つきハリーに当たりながら、そして三人の絆を深めながら転戦する度にランクを上げていく彼女達は、後一歩でチャンピオン戦まで漕ぎ着けます。まるで枕芸者のような真似をして対戦権を取ってくるアイリス。女ですもの、こんなことをして悲しくないわけがありません。泣きながらシャワーを浴びるアイリス。しかし屈辱も悲しみも、全てリングに叩きつけ彼女達には、したたかさではなく無我夢中という言葉が似合います。

ヴィッキーとローレンは本当にリングに上がれるかと思うほど、あっぱれなプロレスラーぶりで、ロングショットは吹き替えも使っているでしょうが、大技も立派に決めて、びっくりしました。「ミリオンダラー・ベイビー」のヒラリー・スワンクも頑張っていましたが、ほとんど一発KOシーンでしたが、こちらの二人は技も多彩で、チャンピオン戦は30分一本勝負でしたが、本当に30分戦う場面で編集されており、またびっくり。

場面も反則あり、レフリーのいかさまありで、臨場感&リアリティ溢れるもの。私なんぞよく祖母が「あのレフリーは金もらっている!」と怒ってプロレス中継を観ていたのを思い出しちゃった。見応え充分、とにかくお見事でした。

冴えない小男のピーター・フォークが実にいいです。彼女達には憎まれ口を叩きながら、彼女達の夢を応援するのではなく、自分の夢として同化している様子は、さながら高校野球の監督のよう。爽やかさは微塵もないのですが、父のような恋人のような、コーチのようなマネージャーのハリー。彼なりに彼女達を心から守ってやろうとする様子が男らしいです。女二人を引き立てながら、フォークはきちんと自分も光っていました。

日の当たらない女子プロレスを題材に、繊細な女心と格闘技としての女子プロレスを描き、二人を陰になり日向になり守る男性との絆を爽快に描いた作品で、女性のスポーツものとしては秀逸だと思います。「ミリオンダラー・ベイビー」が立派な作品なら、「カリフォルニア・ドールス」は愛すべき作品かな?こんな事情なので、お目に留まらぬ作品でしょうが、テレビ放映の際は、騙されたと思ってご覧下さい。


2007年02月21日(水) 「ドリームガールズ」


昨日観て来ました。監督のビル・コンドンはこの作品の他にも、「ゴッド&モンスター」「愛についてのキンゼイ・レポート」を監督しています。これらはゲイの映画監督や、性へのあくなき探求に心血を注ぐ生物学者を主人公にした、いわばキワモノでした。しかしそのキワモノを誠心誠意生真面目に撮るため、ある種厳格で品の良さまで感じさせる不思議な監督で、私は両作品とも手応えがありました。そんな摩訶不思議なコンドンが、ハリウッドお得意のショービス内幕物娯楽作で、どんな手腕を見せてくれるか興味津々だったのですが、これが実に素晴らしい!同じ題材の「レイ」で感じた物足りなさもの理由も、この作品を観てわかりました。

1960年代初頭のデトロイト。エフィ(ジェニファー・ハドソン)、ディーナ(ビヨンセ・ノウルズ)、ローレル(アニカ・ロニ・ローズ)の三人は、歌手になることを夢見てオーディションを繰り返していた時、カーディーラーのカーティス(ジャイミー・フォックス)に出会います。ショービスの世界に足がかりを掴みたかったカーティスは、彼女達を人気歌手ジェームズ・アーリー(エディ・マーフィー)に引き合わせ、コーラスガールとして採用してもらいます。徐々に実力をつけた彼女達は、今では優秀なプロモーターとなったカーティスの手で、念願の単独デビューを果たします。しかしメインボーカルは、圧倒的な歌唱力を誇るエフィではなく、テレビ時代を見据えて、美しいディーナが取る事になったのです。

冒頭からオーディション場面で、ノリの良いブラックミュージックがいっぱい聞けるし観られるし、つかみは思い切りOK。話題沸騰のジェニファーの歌声もしょっぱなに聞けるし、板の上のコメディアン出身の、エディ・マーフィーの達者な歌もグー。

プロモーターとして、ジミー(ジェームズ)の育ての親的存在のマーティ(ダニー・グローバー)の、自分たちのR&Bを守るには、頑なに黒人社会に留まるべきという保守的な考えと、カーティスの伝統を踏襲しながらも、黒人社会を超えて新しいポップカルチャーを作ろうとする革新的な考えの対比が、当時の黒人たちの若い世代にうねり始めた、波を感じさせます。

黒人社会でヒットし始めたジミーの曲を、いとも簡単に盗作していく白人の世界。白人と同じ土壌に立つには大金が必要と、危ない橋を渡りながらお金を転がしていくカーティス。うちの父が口癖に「日本人と同じ土俵に立つには、日本人が100万なら、韓国人は300万要る」と言ってたなぁ。私の中でカーティスが、在日一世のやり手と重なります。

自分がメインボーカルを取れないことで、ディーナに嫉妬しグループに不協和音をもとらすエフィ。その類い稀な歌唱力は、彼女の生きる希だったのでしょう。経済的にも容姿にも恵まれず、貧しいデトロイトの町から黒人のそれも女の自分が這い上がる道は歌しかない、本当の自分を知るのが怖いエフィの心が、自分を磨こうとしない、歌の上手さで全てを圧倒するしかない彼女を作ったように思います。対するディーナは、自分はメインボーカルの器ではないと最初固辞しますが、その後の成功はただのシンデレラガールではない、ディーナの頑張りがあったればこそです。それをこれでもかとゴージャスなステージで表現し、美しいポートレートの大量投下で、観客に体感させる演出です。

この作品は元は80年代のブロードウェイのミュージカル作品だそうで、楽曲も当時のモータウンサウンドを彷彿させるオリジナルで、ディスコ調あり、メロウな曲調ありでどの曲もとても素敵。惜しむらくは日本では知られていない舞台なので、耳馴染みがなく、観終わった後あの曲この曲と耳が分散してしまい、リフレインする曲が少なかったことです。私は「ワン・ナイト・オンリー」が一番好きでした。それがお馴染みの曲がいっぱいでゴキゲンだった「レイ」とは違うところです。しかし実在のレイ・チャールズを主役に据えてしまったため、描けなかった自由さが、この作品にはあるのです。

ディーナたちはダイアナ・ロス&シュープリームス、ジミーはジェームズ・ブラウン、カーティスにも伝説の大物プロモーターのモデルがいます。しかしあくまでモデル。そして複数のショービズの世界に生きる黒人を浮き彫りにすることで、単一に黒人だからと言い切れない、様々な生き方があるのだと、目の当たりにさせることが出来たのです。そこが「レイ」にあった、「レイ・チャールズの苦悩=才能ある全ての黒人歌手の苦悩」という錯覚に陥らせません。

頑なに自分たちの黒人音楽を守ろうとするマーティやエフィ。古い自分も守りきれず新たな自分も探せず、人気者から凋落していくジミー。時代に融合し、新しい自分を見出しながらも、黒人としての「ソウル」を保つことに拘るソングライターのC・C。自分自身の新たな飛躍を願うディーナ。そして一見所属するタレントは商品、ヒットするため、金になることなら人の心を踏みにじっても厭わぬように描かれているカーティス。成功のために手段を選ばぬ彼は、いつしか白人と同じようになってしまい、黒人の「ソウル」を見失ってしまいます。しかし誰よりも白人の音楽シーンに、ブラックミュージックが席巻することを願っていたはずのカーティス。それが形を変え、ディーナ主演で「クレオパトラ」を撮る事に固執したのではないでしょうか?伝説の世界一美しい女性を、黒人女性が演じるということに。

劇中よく出て来る「ブラザー」「ファミリー」の言葉。自分が黒人であるという「ソウル」を見失ったカーティスが、「ファミリー」というタイトルの歌の流れる中、幼い少女によって自分の「ソウル」に気づく場面は、自分たちの血を大切にする黒人らしかったです。

最初ジェニファーの歌を聞いた時、上手いなぁとは思ったけど、そんなにすごいか?というのが第一印象でした。しかしお話が進むに連れ、彼女の再起を賭けた場面での歌声に私の目からは自然に涙が。そしてラスト近く、ビヨンセが切々とレコーディングで熱唱する場面でも、私は泣きました。それは声量があるとか、技巧的にどうのこうのではなく、二人とも心で歌っていたからではないでしょうか?演技ではなく、歌のみで私は二人に感動したわけ。

初出演作で物怖じしないジェニファーも素敵でしたが、私は賞を上げるなら、現在のアメリカ音楽シーンのディーパでありながら、お飾り人形のようなディーナを演じ、その成長の様子と歌手としての彼女の素晴らしさも再確認させた、ビヨンセにあげたいです。ローレル役のアニカは、舞台で活躍しているそうで、その歌声は二人に一歩も引けをとらず、後半の控えめな存在感も好感が持てました。マーフィーは文句なし。どこか現在の彼のポジションと被るのがちょっと切ないですが、これで復活かも。ダニー・グローバーは相変わらず暖かく誠実、そして「ジャーヘッド」から私が惚れているジェイミー・フォックスは、この作品でも「いやな野郎」加減が絶妙で、惚れ直しました。

圧倒的でゴージャスなステージ場面や歌ばかりが話題にされる作品ですが、それ以上に、いかにショービズに生きる黒人達が、自分たちのアイデンティティーを守りながら、賢明に模索し葛藤しながら、その地位を確立してきたかが、きちんと浮き彫りにされた作品です。そんな黒人の尊厳を込めた作品を、白人のコンドンが撮った事に、深く重要な意味があると思います。


2007年02月18日(日) 「世界最速のインディアン」


木曜日に「Gガール」とハシゴしてきました。観たお友達には全て好評で、観たかったのですが時間の関係でパスしようと思ったら、お友達のともこさんが観ないと縁を切ると言うので(拡大解釈)、頑張って観て来ました。そりゃーもー、こんな痛快な作品、誰だって勧めたくなりますわよ。ともこさんに感謝。持つべきものは良き友でんな。

1960年代後半のニュージーランドの片田舎インバガーギルに住むバート・マンロー(アンソニー・ホプキンス)は63歳。愛車のバイク、20年型の”インディアン・スカウト”を改良し続け、今も少年のような夢を抱き、乗り続けています。彼の夢とはライダーの聖地・アメリカのボンヌヴィル塩平原(ソルトフラッツ)で世界記録に挑戦すること。自分の年齢と肉体に限界を感じ始めている彼は、何としても今年は大会に出場したいと思っています。何とかぎりぎり資金を調達し、63歳にして彼は晴れの舞台に挑戦しようとします。

まぁ、何と気持ちの良い作品でしょう!
黄昏た年齢の老人を描くと、侘び寂びや含蓄が深くても、こんな瑞々しい感性を感じさせる作品は、ちょっとお目にかかれません。バートは掘っ立て小屋に住む少ない年金暮らしの老人で、年相応のお金も地位も、もちろん権力だってありません。でもでも老人どころか、若い者だって憧れる、夢と自由とガッツがあります。

なかなか調達出来ない資金のため、彼がアメリカ行きのために取った作戦は、何と貨物船に炊事係として乗り込むというもの。それまでも屈託無く子供から老人まで誰にでも平等に誠実に接し、女性には敬意を持って紳士として振舞う彼の言動を好ましく思っていた私ですが、この行動力には好感を超えて、思い切り惚れてしまいました。だって63歳ですよ?

観る前はバートが世界記録に挑戦するお話なのだと思っていましたが、アメリカに渡ってボンヌヴィルに到着するまで、暖かなロードムービーとなっています。

アメリカに渡ってからも、彼のフレンドリーな心と、本人曰く「心は18歳のまま」の内面は、出会う人達を魅了します。彼はまず最初に、「私はバート・マンロー。ニュージーランドから来た」と、自ら笑顔とともに相手に握手を求めます。この人懐っこく且つ礼儀正しい様子は見習いたいもの。「渡る世間に鬼はなし」を行くには、相手より自分の心がけが大事なのですね。一期一会の出会いを大切に、そして感謝する彼に、「袖すり会うも多少の縁」と、何故か日本のことわざがあれこれ思い浮かび、納得するワタシ。

この一期一会の描き方が本当に気持ちが良いです。芸は身を助けるあり、ゲイのお姉さんや未亡人の老女に気に入られたり、インディアンに出合ったり、ベトナムの休暇兵にも出会います。いつでも自然体で自分自身がぶれない彼は、アメリカでも故郷でも同じ。誰にでもフレンドリーで礼節を尽くします。

しかしただ瑞々しい感受性を映すだけではなく、ちゃんと年齢相応の狭心症や前立腺肥大の様子も挿入し、これがコミカル且つスリリング。年齢に打ち勝つということは、体力的な老化を克服しなくちゃいけないので、大変なのです。しかし強靭な精神はそれも超えられると立証しているところが、ひたひたと老いに向かう私のような年齢の者には嬉しいです。年寄りの冷や水感が全くないのが素晴らしい。

レースシーンは大迫力。低めの車体からの目線はスピード感がとてもあり、侘び寂び老人映画にはない、若々しい心意気がいっぱいです。

あちらこちらでバートに援助を申し出る人々。一宿一飯だったり、お金だったりしますが、素直に受け取る彼も、与える人々も、施しには全然見えません。与える人々は彼に施すのではなく、バートからもらった勇気と夢を感謝にした形だったのが、援助だったと思います。そしてバートの今の自由な生き生きした暮らしは、彼が若い時分からストイックに一つの生きがいだけに邁進し、多くの物を捨て去って手に入れたものだと、敬意の気持ちもあるのでしょうね。

アンソニー・ホプキンスはほぼ出ずっぱりで、アイドル映画並みに彼の魅力が楽しめます。走る時のゴーグルからのぞく目が、一瞬レクター博士に見えるのがご愛嬌です。老若男女、よっぽどひねくれて見なければ(上手く行き過ぎるとか)、とっても元気がもらえるお話です。ちなみに実話です。

青春の長さとは、心がけ次第なり。


2007年02月15日(木) 「Gガール 破壊的な彼女」


末っ子急病のため、未だ一月分の作品を追いかけている私、やっとどうにかこうにか、追いつきました。この作品は本当は「赤い鯨と白い蛇」を観ようと劇場株主券を購入したのですが、チビが入院中に公開し、退院後も病院通いの息子に付き添っているうち、あ〜っと言う間に映画は終了。残るはこの作品とイ・ビョンホン主演の「夏物語」となってしまい、愕然とする私。ここの映画館は東京なら岩波ホールやBunkamuraなどの作品を上映することが多いのですが、何で今月だけこういうラインナップ!?この忙しい時に、何の因果で観たくもない映画を観るはめに・・・と思いつつ、韓国メロドラマよりおバカ映画を選んでしまう、ある意味非国民のワタクシ。うな垂れている時(嘘ぴょ〜ん)いつもお世話になっているFさんから、私なら大丈夫とお墨付きが(嬉しかったけど、それでいいのか?)。気を取り直して観て来ました。いや実にくらだん、実にバカバカしい。でもなんか愛嬌があって好ましいのですね。Fさん仰るところの、古き良き時代の、のんびりしたアメリカものの良さを思い出しました。

ジェニー(ユマ・サーマン)は普段は普通のOLですが、実はNYの町に異変が起こると、すぐさま超能力を駆使して大活躍する謎のヒロイン・Gガールなのでした。ひょんなことから設計会社に勤めるマット(ルーク・ウィルソン)と恋仲になりますが、嫉妬&性欲の深い彼女にいやけがさしたマットは、別れ話を切り出します。途端にジェニーは、その並外れた力を出しまくって、マットを滅茶苦茶にしてしまいます。

キャッチ・コピーにね、「エロかっこいい」と書いてありますが、それは嘘です。画像のように36歳2児のママのユマが、ミニスカはいて頑張ってますが、それくらい。エロなんて生易しいもんじゃない、はっきり言ってドスケベ女なので、下ネタ満載なんですが、その割にはエッチシーンでもスリップ着ているし、Gガールになったときの衣装も地味。ちょこっとボンデージ風の衣装の時もありますが、エロではありません。「バーバレラ」の時のジェーン・フォンダみたいな姿だったら、カッコよかったのになぁ。

お話の進行は、前半は女版「スーパーマン」のパロディ、後半はマットの裏切りにより傷ついた彼女の、職権乱用ならぬ超能力乱用で、まるで「危険な情事」のグレン・クローズみたいになっていく様子を、豪快に面白おかしく見せています。

まぁね、あんなに嫉妬深くて情緒不安定な女なら、男はどんだけ美人で床上手でもドン引きしますよね。そこが彼女のかわいそうなところで、そもそも彼女がマットを見初めたのも、自分の引っ手繰られた鞄を取り戻してくれたから。いつも庶民を守っている彼女が、人並みの女の幸せが、愛が欲しいのよ!!誰か私を守って!!と思うのは、無理からぬこと。演じるユマが、チョーミングでゴージャスなれど、思い切りよく変な女を怪演していて、これがとっても楽しいです。

マットとて最初は最高の彼女が出来た!と思っていたのが、あてがはずれるどころか、命まで危なくなるんですから、同情します。それと彼女と別れたい理由が、嫉妬や暴力ではなく、「彼女を愛していないから」ってゆーんですから、誠実な男性じゃございませんか?元々愛してたんじゃなくて、恋愛にご無沙汰だったから、彼女に飛びついただけなんですよね。

ルーク・ウィルソンが本当に普通のサラリーマンが似合うので、同僚のハンナ(アンナ・ファリス)と、親しき同僚から愛に移り変わる様子が、自然体に感じます。私は職場恋愛したことはないのですが、きっとこんな感じなんだろうなと、好感が持てました。ハンナを演ずるアンナ・ファリス(←)は、アメリカ版大和撫子とも言うべき女性で、外見は小柄でキュート、控えめ且つ有能なアシスタントぶりとアフター5ではの愛らしさ見せ、反面命懸けで恋しい人を守ろうとする情熱的な一面もあって、言わば男性には理想の女性。ファリスは何作が観ていますが、こんな可愛かったか?と思うほどハンナにぴったりで、堂々大女優ユマに引けを取らない存在感でした。

ハンナの女性らしさを賞賛するのと対照的に、すぐにセクハラだと叫ぶ女上司を登場させたり、ジェニーが嫉妬のあまりGガールの本分を忘れたりと言う部分を強調しているのは、きっとアイヴァン・ライトマン監督、ハンナを見習いなさいな、と昨今の女性たちにはご不満のご様子。しかし!「スーパーマン」から「危険な情事」へ、パロディの収束やいかに?と思っていたら、あっちこっちぶっ壊しながら、なんとほのぼのしたまとめ方かと、私はニッコリ。ラスト戦いに出る恋人を、いっぱいやりながら待とうとする男二人の満ち足りた顔は、はいはい、女性にはかないません、との愛のこもった包容力があるのです。やっぱり女性は男性には守ってもらいたいもの。それは時代によって、人によって、変幻自在なんですね。


2007年02月11日(日) 「ディパーテッド」


ご存知香港映画の傑作「インファナル・アフェア」のリメイク。
監督は巨匠マーティン・スコセッシ、主演はレオナルド・ディカプリオ&マット・ディモンと、堂々のハリウッド娯楽大作としてのリメイク化です。やっぱね、大感激した元作を知っているもんでね、比較しないのは難しいのです。別物と割り切って観ても、少々脚本甘いなぁと感じる箇所も多々あり、初見の人は面白いと思いますが(それも太鼓判は押せず)、私は微妙という、歯切れの悪い感想が残る作品でした。

多くの前科者の血縁者から決別すべく警官になったビリー・コスティガン(レオナルド・ディカプリオ)と、マフィアの大物コステロ(ジャック・ニコルソン)に育てられたコリン・サリバン(マット・デイモン)。ビリーは上司クィーナン(マーティン・シーン)とディグナム(マーク・ウォルバーグ)だけが連絡を取れる覆面捜査官として、コステロの元に侵入し、コリンはコステロの援助で優秀な成績で警察学校を卒業、新進気鋭の私服刑事として、マフィアの”ネズミ”として、警察内部に入り込みます。

コリンのコステロへのつなぎなんですが、よくあれでバレないなぁと思います。「父さん・・・」で始まるのがコステロへの連絡なんですが、あからさまに捜査中に連絡したり、そんなのありえるのか?携帯をつなぎのアイテムに多用していましたが、トニー・レオンのモールス信号のインパクトには負けるなぁ。ビリーにしてもしかり。薄氷を踏みながらという緊張感がみなぎっていた元作と比べると、物足りません。

アンソニー・ウォンが演じていた上司を二人に振り分けていますが、元作の覆面捜査官と上司の深い絆的情感は、主にクィーナンが担当。ちょっと説明不足気味ですけど、マーティン・シーンの持つパーソナリティが補っており、こちらは可。しかしティグナムの役回りが理解出来ない。ある出来事にインパクトを与えたいため、作った役なのでしょう。それならそれでいいのですが、やり手なのでしょうが口汚く敵も味方も罵り、「本当はいい奴なんだ」との同僚の言葉だけで表現されているだけで、具体的には私にはわかりませんでした。ビリーに対しても冷淡で、彼の身に危険が及ぶことがわかっているのに、自分の感情を優先して上司としての責任感を感じません(ネタバレのため事柄は秘す)。ラストに見せる様子も、あれはビリーのためじゃなく自分の自己満足が大きいと感じました。ウォルバーグは悪くなかったけど、これでオスカーの助演賞候補は私には謎。

元作に出てきたアンディ・ラウの恋人とケリー・チャンが演じていた精神科医を一つにして、精神科医(ヴェラ・ファーミガ)をコリンの恋人にして、ビリーにも心動かされる役に変更していますが、これも欲張りすぎ。コリンと上手くいっているのに、あんなにあっさり患者であるビリーと寝るか?「3」ケリー・チャンのバカよりはマシですが。だいたい警察専門の精神科医なのに、退職したビリーを診るのは変でしょ?本当は覆面でも、それは機密で今は上から下までマフィアの手下なんだから、診てもらうと、尻尾を掴まれかねません。どこの国もやくざってそういうことはすぐ嗅ぎ付けると思うけどなぁ。

一番の元作との違いは、「正義」についての欧米と東洋の認識の違いでしょうか?ビリーは自分を見失おうまいと精神科医にかかり、安定剤をがぶ飲みします。その様子は理解出来るのですが、元作のトニー・レオンは正義感に満ちた警察官が、悪にまみれることによって自分も堕ちていく辛さに耐え難く、それに抗う葛藤が胸に染みたわけです。アンディ・ラウもしかり。悪の巣窟で育ち、正義のなんたるかも知らなかったはずの彼が、警察官として日々人の役に立ち、正しく日の照る道を歩く人間らしさに目覚め、それが父とも慕い、自分を心底大切にしてくれるボス・エリック・ツァンとの板ばさみになり葛藤する姿が人間臭さを感じさせました。それがコリンには感じられません。悪の環境は心を蝕み、正の環境は人間らしい誠を呼び覚ますという事です。そこに人の弱さと善なる心の両方を感じさせてくれたことに、私は心揺さぶられたものでした。

なので今回のラストには、余韻は感じませんでした。

登場人物では何と言ってもジャック・ニコルソンが良かったです。最近は「恋愛小説家」や「アバウト・シュミット」「恋愛適齢期」など良質のコメディで、偏屈だけど愛嬌ある善良な人ばっかりを演じていて、それはそれで好感触でしたが、今回の貫禄たっぷりで脂ぎったマフィアのボスの凄みを、愛嬌一切なしで演じて、私は楽しみました。レオもマットもそこそこ良かったですが、彼らの代表作にはならないなぁ。

ところで画像のレオとマット、なんだか似てません?華も実力も兼ね備えたレオには、今一歩負けていると思っていたマットですが、この作品では全く互角でした。私はそこが一番嬉しかったかな?


2007年02月08日(木) 「それでもボクはやってない」


「Shall We ダンス?」から11年、周防正行監督の作品は、社会派”ホラー”でした。痴漢犯罪の冤罪事件がテーマなので、男性だけが恐怖に晒されている感じがしますが、実は訴える側の女性に取っても、とても重要なことをはらんでいるのだと、実感させる作りです。「愛ルケ」の法廷シーンがいかに茶番か、あの「ゆれる」の法廷シーンだって、この作品に比べれば、やっぱり映画的フィクションが満載だったのだとしみじみ感じます(それ自体は全然問題なし)。掛け値なしの傑作ですが、作り手が汗や唾を飛ばしながら主張するのではなく、しかしわかりやすく観客に訴えているところがこの手の作品では珍しく、周防監督の並外れた力量を、改めて感じました。

金子徹平(加瀬亮)は26歳のフリーター。今朝は仕事の面接に行くため、久しぶりに満員電車に乗りました。目的地で降りた徹平に中学生の俊子(柳生みゆ)が、「あなた痴漢したでしょう・・・」と消え入りそうな声で、徹平のスーツの袖を引っ張ります。ぬれ衣なので話せばわかると駅事務室に入った徹平は、話を聞かれることも無く、すぐ警察に引き渡されます。無実だと主張する徹平ですが、当番弁護士(田中哲司)から、「痴漢の場合裁判で争っても、99.9%が有罪。罰金5万円払って示談にした方が良い」と勧められます。しかしこの勧めを蹴った徹平は、こののち、刑事や検事などから恫喝めいた取調べを受けますが、一貫して無罪を主張。話は裁判所まで持ち込まれるのですが・・・。

以前痴漢冤罪事件の被告人のドキュメントをテレビで見ていたのですが、無罪判決まで4年を要したと記憶しています。会社は解雇され、街頭に立ち目撃者を探したり演説したり、この作品の冤罪事件と戦う佐田(光石研)とそっくり。妻が夫の潔白を信じているのが支えというところもいっしょでした。その時も痴漢の冤罪は相当大変だとは認識していましたが、何故そんなに大変なのかが、そのドキュメントより、この映画の方が深く掘り下げてあります。

警察の取調べの横暴さはちょっと想像を超えていたくらいで、あんなもんかと思いましたが、言ったことを書いてくれない、調書は取り調べ云々ではなく、刑事の作文であるというのにはびっくり。映画やドラマでは検事は冷静に被疑者と対応しますが、そんなことは全くなく、主観一辺倒で取り調べます。「疑わしきは被告人の利益」なんて、どうも嘘っぱちなようです。

毎日毎日同じことを聞かれ、頭が変になりそうになりながら、必死で自分を持ちこたえる徹平。無実でも自白なら5万円で釈放、否認し続け在宅起訴なら、保釈金が200万!?名のある人ならともかく、徹平のように失う物がない若い子が、こんなに大金を積んでも戦う様子は、観客にはそれだけで充分潔白の証明のなると思うのですが、国家権力とは、そんなに甘いもんじゃない模様。日本は民主主義の法治国家だと思っていたのですが、この作品を観ると、とてもそうとは思えません。

私が一番びっくりしたのは、裁判官の描き方です。公判が終わっていないのに、途中で交替するのです。無罪にした被告が、控訴で有罪になった時は左遷もありなんだとか。警察・検察が犯人だと思い捕まえた人間を無罪にするのは、国家に反旗を翻すことなのだとか(高橋長英扮する訳ありの裁判オタクの談)。裁判官にも出世がある以上、寄らば大樹の陰になる人が多いのだそう。

裁判オタクの人の手記を読んだことがありますが、私たちには画一的に思える裁判官ですが、かなりその人の個性で裁判の判決が決まることも多いようで、誰が当たるか運が作用するなんてのもびっくり。人が人を裁く難しさも深く認識出来ます。台詞にも出てきますが、真実が明るみに出るのではなく、有罪が無罪かを決めるのが裁判なのです。

徹平はフリーターの若者ですが、一部上々企業に勤めるサラリーマンも冤罪を被害を訴えているところをみると、現在の社会的地位に関わらず、これは男だというだけでまずは犯人扱いです。我が家は53歳から14歳まで男ばっかり4人いますが、この作品を観ていると状況証拠がいっぱいです。夫はいい年をして通勤電車の中で携帯でゲームをするのですが、人様から見れば不審人物かもしれない。長男はガタイがでかく、オマケに坊主頭で眼光鋭いバタ臭い顔です。会社へは(CADの専門職)成人式に親が奮発して買ってやったカシミアのロングコートを着ていくのですが、中学の時の同級生に偶然会った時「お前、街金になったんか?」と言われたそう。次男は今はサラリーマンですが、声優志望なのでオタクグッズをいっぱい所持。中2の三男は「お母さん、おっぱいは男のロマンやで」とほざきながら、兄ちゃんたちの「ヤングジャンプ」のグラビアをニタニタしながら見る様子は、頭の中は「オッパイがイッパイ」の模様。もしもね、うちの家族の誰かが痴漢に間違われたら、全部証拠がために使われちゃう可能性大なんです。
つまり、男なら変態でもなんでもなくても、横一線で犯人扱いだということです。

私が興味を引いたのは、刑事や検事が何度も発する「こんな純真な中学生になんてことをするんだ!」と言う言葉。これは裁判官からも聞かれます。金髪のヤンキーの威勢のいいお姉ちゃんが、「てめぇ、アタシのケツ触っただろう!?話つけようじゃないか!」と凄んでいたら、周囲の反応はこの作品の俊子と同じだったのでしょうか?容姿や年齢によっても違うと思います。痴漢冤罪裁判の0.1%の勝訴の要因は、本当にやったかやっていなかったかではなく、被害者が若く清純そうに見えるか見えないかではないのかな?パーセントの問題ではなく、これは男女共に由々しきことだと思うのです。

大昔、東陽一監督の「ザ・レイプ」で、レイプ犯を告訴した田中裕子は、示談にしなかったため、勝訴はしたものの、自分の男性遍歴や知られたくない過去を暴露され、恋人を含め多いのものを失いました。このような前例はたくさんあり、レイプ犯の弁護人は、被害者のためだからと、示談を勧めるというのも聞きました。判決にも被害者が処女であったかどうかが争点になるとも聞きます。全く持って腹が煮えくり返る思いでしょう?>女性の皆さん。この作品で、イマドキ珍しいいたいけな女子中学生を被害者にしたのは、深読みかもしれませんが、男性をのみならず、性犯罪は例え勝訴でも、女性にも屈辱的な要素を多くはらんでいると、周防監督は言っているように感じるのです。示談という一見穏便な方法に隠された欺瞞は、人の尊厳を著しく貶めることでもあるわけです。

出演者は総じて皆好演。加瀬亮、いいですねー。どの作品でも存在感が抜群で、地味な容姿を逆手に取って、どんな役でもスイスイこなしています。もっとも印象深かったのは、最初の大森裁判官役の正名僕蔵。本当に素人の人を連れて来たのかと思うほど地味〜な外見から、人情味があり裁判官の正義である、「無実の人を有罪にしない」という信念を飄々と演じて◎。彼のおかげで、冷静沈着ステロ型裁判官な小日向文世も、より際立ったと思います。役所広司は悪くなかったけど、もっとキャラの薄い人でも良かったかも。瀬戸朝香は唯一作品から浮き気味でした。私は彼女自体は嫌いではありませんが、「デスノート」の全然らしくない元FBI捜査官や今回の役など無理感が目立ちます。ちょっと仇っぽい美貌を生かした役の方が彼女のためにはいいと思いますが。検事役尾美としのりの抑制された台詞回し、情緒は安定、でも冷たい様子も抜群に上手かったです。「愛ルケ」の陣内&ハセキョーペアは、必ず観て反省して欲しいです。

後味が悪いという感想が多いですが、私はそうは思いません。大森裁判官のような人は昔は皆無だったでしょうし、信念を貫く徹平に、最初人間扱いしなかった拘置所の職員は「よく頑張ったな」と、釈放の際には労いの言葉をかけます。そして彼を支える人達の強い絆。昔の方が良かったこともたくさんですが、人権や在日や障害者などの差別感情に対しては、今の方が格段に理解が深まっています。ラストの力強い徹平の即答に、怒るだけではなく0.1を上げるのは、国民の手にかかっているのだ、それを認識して欲しいと周防監督は言いたいのだと感じました。


2007年02月03日(土) 「魂萌え!」

2週間ぶりにやっと映画館に行けました。急死した夫には、妻の知らない愛人が!という設定は知っていたので、「あなたの妻でいて、幸せでした。今、私のもうひとつの人生が、始まります。」というコピーから、てっきり紆余曲折を経て、しっかり夫の愛を確認してから変身するのかと思っていたら、作品の意図はコピーの後半にありました。おとなしかった熟年女性の冒険と飛躍を、きめ細やかに爽快に描いていて、大変共感出来る作品です。

専業主婦の関口敏子(風吹ジュン)は59歳。63歳の夫隆之(寺尾聡)が心臓麻痺で急死し、生活が一変します。そんな時夫の携帯が鳴り、10年来夫の愛人だった伊藤昭子(三田佳子)の存在が明るみにでます。8年ぶりでアメリカから妻子を連れて帰ってきた長男彰之(田中哲司)は、同居してやるだの、遺産のことばかり話し、恋人と同棲中の長女美保(常盤貴子)はそんな兄を批判するばかりで、子供達は敏子の悲しみに寄り添ってはくれません。友人達(藤田弓子、由紀さおり、今陽子)らに励ましてもらいますが、ついに彰之と衝突した敏子は、カプセルホテルにプチ家出します。このことが契機になり、新たな敏子の人生が幕開けとなります。

今回ネタバレです。ネタバレでも大丈夫だと思います。
主演の風吹ジュンは、黒木瞳が40代に突入する前は、「憧れの40代女性」として、同年代の憧れを一心に集めていた人なので、この年齢の役は可哀想なんじゃないの?と思っていましたが、これがこれが、ちゃんと60前のご婦人に見える。実年齢は50半ばなので気持ち若いですが、服装も野暮ったくもなく、さりとてセンス良いわけでもなく、お色気なんてものもなく、外観を含め実に等身大の善良な主婦を具現化しおり、とても好演です。
まだまだ若い頃の自分を捨てがたく、美貌と若さの維持に必死な同年代の女優も多い中、「美しく」よりも「自然に豊かに」年を取ることを選んでいる風吹ジュンを主役にしたことが、この作品の一番の長所だと感じました。

年齢と言えば、夫の愛人昭子が見るからに自分より年上だというのは、正直面食らったはず。そして自分より年上の女性を愛人にした夫に猛烈に腹がたったと思います。この年代の女性は、一つでも若い方が女は勝ちだという認識が強いはずですから、同時に敗北感も感じたでしょう。それを初対決時、敏子には老けた似合わないオレンジ色の口紅をつけさせて、白髪混じりの髪の昭子には、黒のストッキングに浮き出る艶めかしい赤いペディキュアで表現するなんて、へぇ〜阪本監督やるもんだと、ちょっとニンマリ。これは原作もなのかな?

子供達の遺産相続に絡んでの自分ばっかりの様子にも、うちの息子たちはこんなことはしないよ、と誰が言えよう。付く者が付くと、子供が親のことは二の次三の次なんて当たり前ですから。わかっちゃいるけど寂しいもんですよ。でも寂しさよりも、戸惑いと腹立ちが先に来る敏子にも強く共感。絶対私だってそうだから。序盤は不安定でか弱い敏子の精神状態を表すため、時々急にキレてしまう様子を挿入するのが、後々の彼女の変貌との対比になっています。

カプセルホテルで自由を満喫してい彼女の様子を、とても上手く描いています。一人で映画を観て自分だけのコンビニ弁当を持って帰るなんて、もの凄く羨ましい。家族にコンビニ弁当を食べさせるなんて主婦の恥ですから、敏子だって私だって、朝昼晩毎日せっせと食事を作っていますが、自分だけならインスタントラーメンだろうがパンの耳だろうが、へっちゃらだからね。家事もしないで一日好きにほっつき歩いて、たった一人で手足を伸ばせる空間があるなんて最高ですよ。これが鄙びた温泉にでも敏子を行かせたら、私は羨ましくもなんともなかったはず。だってお金がもったいないじゃん。誰も世話せず自分のしたいように出来るなら、カプセルホテルで充分です。主婦をわかってるなぁ。

このカプセルホテルで暮らす老女・加藤治子の怪演がまた素晴らしい。落ちぶれた女の侘しさはグッと心に秘めて、それを飯の種にして詐欺まがいのことをして生計を立てるなんて、あっぱれなしたたかさです。早くお迎えが来て欲しいと愚痴る年寄りより、ずっと素敵。でも彼女のしたたかさは、頼りない甥の側に居て、見守ってやりたいという母性から来たのだと、のちのちの展開で感じるのですから、女の雀百までは母性も共に、ってか。

林隆三扮する美老人の夫の友人とのアバンチュールは、あれは「愛ルケ」のパロディだわね。年取っても女磨いときゃ、こんな美老人が老人会でモーションかけてくる事もあるかもなぁ、私も頑張ろうと思いましたが、あんまりあっさりエッチまで行くんで、えぇ?遊ばれんぞと思う私。そんなことは露ほども思わず、久方ぶりのときめきに期待をかける彼女は、あっさり裏切られます。彼女の世間知らずさを表現しているのでしょう。二回目に会って、お茶も飲まずに速攻ラブホはないわなぁ。後で食事もと思っていたみたいだけど、順番が違います。きっと林爺ちゃん、かっこいい割には女遊びはしていなかった模様。こういう時渡辺作品の主人公は、長く側に置いておきたい女なら、例え50だろうが60だろうが、たっくさんお金使うぞ。あっちこっち女が行った事ないとこ連れ歩くぞ。現実はこの作品のようなもんですね。

「愛ルケ」と言えば、ケッ!と思った菊治と違い、今回の情けなくうらぶれたトヨエツはとっても良かったです。あれは母性本能くすぐりますよ。妻に愛想をつかされ、叔母のお骨を抱いて泣く彼には、敏子の夫や林老人にはない、弱さをみせるのも男の誠実さと感じさせました。

妻VS愛人の対決シーンはなかなかの迫力。「阿修羅の如く」の大竹しのぶVS桃井かおりに匹敵するかも。昭子が年甲斐もなく、敏子にあんたの夫はああ言っていた、こう言っていたと食ってかかればかかるほど、惨めに見えるのです。昭子自身がそれをわかっていたはずです。それはペディキュアのなかった素足の爪が物語っていました。10年の夢から覚めて現実に戻ったのですね。

夢を観たかったのは、夫もいっしょだったかも。敏子は現実、昭子は夢。夢や希望を持たなければ生きていくのが辛いのには、年齢は関係ありません。お年寄りの「早く死にたい病」は、きっとこれなのでしょう。若い女は気おくれし、手じかにいたのが会社の同期の昭子だった、そんなとこでしょうか?それが思いの外関係が続いたのは、昭子が一人身だったからのように思います。彼女の寂しさが色濃い情になり、隆之を離れがたくさせたような気がします。本来なら敏子といっしょに罵倒したいはずの昭子なんですが、何故か同情したくなるのです。

しかし夫も昭子も林老人も、どうしてみーんなイロに走るの?それもいいけど、人生の成熟期から晩年に、何故それだけなの?みんな渡辺作品の読みすぎなんでしょうか?それとも会社に吸い取られて、もう他のことは考え難く、手っ取り早いから?今まで想像もしなかった現実にぶち当たりながら、ひとつひとつ乗り越えたくましく成長する敏子とは対照的です。今まで夫のため、子供のためと、誰かのために生きるのは、きっと力が蓄えられるのですね。敏子が初めて自分のためだけに生きる姿は、とても眩しく清々しいです。

私がふいに涙が出たのは、娘が結婚に踏ん切りがつかない理由が、相手が子供がいらないと言うからと言った時の敏子の言葉です。「子供いらないよね?」という美保に、「そんなことない!子供はいた方がいいよ!」と力強く敏子が言い切った時です。今は大人になって勝手なことばかりほざく子供達ですが、あの母と子の一心同体で濃密な幸せに満ちた時間は、過去のものではあっても、決して幻ではないのです。親が思うほどではないにしろ、子供達だって親のことは案じているのです。それで充分。さりげなく暑苦しくない描き方が好ましいです。

敏子を裏切った夫とて、敏子に感謝の握手を求めたのも、長男に敏子の行く末を託す電話をしたのも、全て真実なのです。愛人のことは、わからなかった女房も悪いのですよ。発覚時にこそ動揺が隠せなかった敏子ですが、幾多の経験を積んだ彼女には、それがわかったはずです。

豪快にビールを飲み、鉄板焼きを食べる敏子の姿は、「お一人様」の快さが満ちています。いいですねぇ、お一人様。この年代の人は女が一人で飲み食いするなど、はしたないと教えられていたはずです。生理もあがり更年期も乗り越え、子供を育て夫を見送った後のこの自由さは、若い頃とは一味もニ味も違うはずです。老いをきちんと受け止めながら、女は自由自在に進化できるのですねぇ。これは男にはない、女だけのしたたかさかも。ラスト、映写室から「かっこいいなりたかった自分」に見事になった彼女を見て、私もこれからの人生がとっても楽しみになりました。

ところで63歳で亡くなった隆之が愛人を作ったのは10年前なので、53歳の時。うちの夫は今53歳。今まで夫は浮気などしたことがなく、これからもそういう心配はないと思っていましたが、大丈夫かな?本人に聞いてみたところ、「お前だけで手いっぱい」ですと。本当かな?


ケイケイ |MAILHomePage