ケイケイの映画日記
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2004年09月20日(月) 「アイ、ロボット」(吹替え版)

アイザック・アシモフの短編SF、「われはロボット」をモチーフとして、2035年のシカゴを舞台にしたSFサスペンスですが、娯楽アクションとして作られてあり、SFにはからっきしの私でも充分楽しめるよう、解り易く作られてあります。

アシモフのロボット三原則とは、
1.ロボットは、人間に危害を加えてはならない。
2.ロボットは、人間から与えられた命令に服従しなければならない。
3・ロボットは、前掲第一条及び第二条に反する恐れのない限り、自己を守らなければならない。

これは有名な三原則だそうですが、私はこの作品で初めて聞きました。未来社会ではこの原則に守られながら、ロボットたちは人間の忠実な僕として共存していますが、もしロボットが人工知能の進化により、感情を持ち自ら行動を起こすようになったならば?と言うのが、ストーリーの軸で、それにウィル・スミス扮するスヌープ刑事が、ロボット工学の第一人者の謎の死の真相を追い詰める、と言うお話です。

ウィル・スミスの俺様映画と聞いていましたが、なるほどマッチョなヌードシーンあり、期待のアクションシーンも満載、「マイノリティ・リポート」のトム・クルーズばりに出ずっぱりで頑張っています。彼の魅力は、男性的たくましさと愛嬌、そして暖かみだと私は思います。それが硬質でロボット主体になりがちなお話を、生の人間の体温を感じさせ、本来はきっと重く哲学的なテーマのある原作を(未読なので推測)、広く一般大衆にも楽しめる作品に仕上げた功労者だと思います。

相棒のような存在となるカルヴィン博士に、クールビューティのブリジット・モイナハン。ロボットに人工知能を授ける研究をする彼女は、理知的で冷静ですが決して冷たくはなく、ロボットに愛情を持って接しているのがわかります。女性なら一度や二度、ぬいぐるみや人形に擬人化した愛情を持ったことがあるはずで、すんなり彼女の心も受け入れられます。演ずるモイナハンが、知性と共に柔らかさや暖かさを感じさせ、彼女も役柄にぴったりはまっていました。

複数のエピソードがストーリーの展開に絡まっているのですが、それがちゃんとほっこりしたり、思わずうーんと感じ入るよう、後で生きてきます。その出し方が上手いので、何箇所か説明不足に感じたり、早足で進むなぁと感じる部分もありますが、観終わった後そんなに大きなひっかかりとは感じませんでした。ちなみに私はウィンクのエピソードが気に入りました。

SFに造詣の深い方には、古臭かったり深みが足りないと感じる方もあるかと思います。しかし私のようなSFの素人には、その古臭さが想像しやすい近未来と写り、哲学的浅さが内容を理解しやすくさせています。私は吹替え版で観ましたが、家族連れがいっぱい。特に子供に見せられないシーンもなく、安心してお薦め出来ます。ラスト近くのあるロボットの言葉が、深く胸に残ります。ロボットにこう言う事を言われない未来にしたいです。


2004年09月19日(日) 鶴田浩二の「眠狂四郎」(時代劇専門チャンネル)

正確には「眠狂四郎無頼控・魔剣地獄」1958年度東宝作品です。えっ?新東宝は知ってるけど、東宝にも鶴田浩二って出てたっけ?と思ったのですが、そうそう「電送人間」がありました。ちょっと調べて見ると、デビューは松竹作品だそうで大映にもお出になっています。しかし私が覚えている鶴田浩二は、東映の仁侠映画の大御所にして、難聴気味の左耳に手を当てながら(正確に音を拾うため) 「傷だらけの人生」を大ヒットさせた大物俳優の印象が強いです。最近の土曜日の夜中は、「時代劇専門チャンネル」で夫婦して古い時代劇にはまっているので、この珍しい作品に期待いっぱいで観たのですが・・・。

私はジャンルを問わず広く浅く、何でも観ます。ですから映画的知識も広く浅く、雑学程度にしかありません。そんな私でも、眠狂四郎と言えば市川雷蔵と言う印象が強く、映画ファンには不評の、テレビ版・田村正和も結構好きでした。松方弘樹の狂四郎は、生活感溢れていて何か違うと感じ、テレビ版・片岡孝夫も誠実な感じがして、妖しさに欠けたかなと言う印象でした。

しかしこの鶴田狂四郎はもっと珍品でした。私が持つ狂四郎のイメージは、出自からくる(大目付の娘がオランダ人に犯されて出来た子・混血児です。)孤独や空虚を抱える妖しい美しさを持つ素浪人で、愛もなく平然と女性を抱く冷たさや、独特のニヒリズムを持つ、円月殺法を繰り出す剣の達人です。

それが誠実にして明朗、出自からの影も感じられず、テンションの低い桃太郎侍みたいなのです。他の作品は、もう大昔に観たので忘れてしまいましたが、多々良順扮する子分みたいなのがいるのですが、そんな人、他の作品にもいましたっけ?この子分の存在が、またまた子供の時に観た時代劇、「素浪人月影兵庫」の月影兵庫(近衛十四郎)と焼津の半次(品川隆次)を思い出して、眠狂四郎らしさは感じられず、フツーの時代劇にしか感じられませんでした。

でも鶴田浩二なら、きっと円月殺法は華麗に決めてくれるだろうと期待した、最後のニセ狂四郎との対決場面でしたが、これが全然。いやにカメラがロングに引くなぁと感じていたら、至近距離からの殺陣は、豪快さも華麗さも妖しさも感じられません。夫に「鶴田浩二、若い時は殺陣ヘタやってんね。」と思わず言ってしまったほど。それとも殺陣師のせいか?夫が子供の頃は、映画が隆盛を極めていた頃で、東映時代劇3本立てなど小中高を通じて観まくっていたそうで、時代劇にはなかなかうるさいのですが、その夫もこの殺陣にはダメ出しでした。フィルムの状態も悪く、モノクロ作品でしたが、いわゆる白が飛ぶと言う状態で、光が反射し剣先がしっかり見えませんでした。

鶴田浩二は割合好きな俳優さんなので、今回も期待したので残念でした。調べた時に書いてあったのには、東宝時代が一番低迷期だったとか。それを表していた作品かも知れません。任侠物の鶴田浩二は、押し出しが利き、貫禄と包容力も感じ、そしてとてもハンサムでした。「人生劇場」とか、また観たくなりました。他は小暮実千代の美しさは圧巻、背も高くて昔の女優さんはやっぱり惚れ惚れします。その小暮実千代のお手伝いさんが何と市原悦子!そうか、家政婦さんは昔からの持ち役だったのかと納得。外人役で上原謙を起用したり、森繁久弥の特別出演があったり、その辺では楽しめました。キャストを観れば、きっと東宝は気合を入れて作ったのだと思います。
ビデオ化はされていないので、ちょっと得した気分は味わえます。


2004年09月16日(木) 「スウィングガールズ」

先週の土曜日から公開のこの作品、日曜日にはあのシネフェスタがお昼の回は満員で入れない、の情報を得て、急遽予定変更で今日観てきました。なるほどー、レディースデーでもない日に一番大きな第4スクリーンで、ヨン様の「スキャンダル」並みの入りでした。

私がこの作品を観たかったのは、「ウォーターボーイズ」の矢口史靖監督作と言うより、ズバリただいま私イチオシの若手女優・上野樹里ちゃんが主演だからです。「ジョゼと虎と魚たち」「チルソクの夏」と、いずれも地方都市を描いた作品で方言を使っていた彼女、今作でも山形の女子高生に扮しています。私が感心するのはどの役柄も微妙に違っているのに、彼女は地のように見えながら的確に表現し、その上役柄よりも、まぎれもない「上野樹里」の輝きを、観客に強く印象づけます。今回も70年代のちょっとおませだけど熱い体育会系少女だった、「チルソクの夏」に似た女子高生役ですが、現代のイマドキの女子高生のちゃらんぽらんさを出しながら、若さの特権である純粋さも、イマドキ風に軽めに出していました。

彼女のみならず、主要メンバーのトランペットの貴地谷しほりは、ちょっとはずすと意地悪系になりそうです。とっても美少女なので、そちらの方にばかり目がいきそうですが、主要メンバーの中で一番個性が出しにくい良江役を、素直に演じていました。トロンボーンの本仮屋ユイカは、地味な役柄ながら存在感を存分に発揮。すごいなぁと感心していたら、来春からのNHK朝ドラのヒロインだそうです。ドラムの豊島由佳梨はこれがデビュー作。ちょっと田畑智子似の将来有望のコメディエンヌぶりで、初出演でこれだけキャラを立たせたのは立派。ドラムソロもすごく上手でした。ピアノの平岡裕太は、女性陣に圧倒されたか、少し平凡です。映画・テレビ両方の「ウォーターボーイズ」を観ると、今若手の男子は粒揃いみたいなので、彼にも是非頑張って欲しいです。

ストーリーは至って単純。ひょんなことから全く楽器を演奏した事もなかった女子高生達が、いやいやジャズを演奏するはめになり、次第に魅せられ頑張って行く過程を、大いに笑わせながら青春している様子を見せてくれます。ストーリー展開は雑と言うか、そんなわけないだろうのご都合主義で運ばれますが、横断歩道を渡るときの音でジャズのリズムを習得するシーンの若々しさや、イノシシ退治のベタだけど笑わせてくれるシーンなどが、それを忘れさせてくれます。

大いに笑ったけど感動は薄いなと思いきや、ラストの演奏場面で私は号泣。そういえば「スクール・オブ・ロック」でも、私はラストの演奏場面で泣いたなぁと思い、でもこっちはだいぶ薄口ですがねぇと思いつつ・・・。

あぁ、これは子供達が幼稚園の運動会で、年長さんの鼓笛隊が立派に演奏して見せてくれた時の親の涙だと思い当りました。子供さんがおられる方は心当たりがあるかと思います。楽器を持ったこともなかった子が、一生懸命練習して立派に演奏しきる、その成長の様子に親は感動し涙します。

彼女達も楽器の演奏経験もなく4ヶ月特訓して、この作品では吹替え一切なしで、演奏しているそうです。うちの息子もトロンボーンを少しかじっていますが、あれだけ楽器が使えるようになるのは、大変な練習量だったと思います。まして音合わせはそれより大変。彼女達の心の一体感が手に取るように伝わり、それがストーリーと重なり感動を呼んだと言うわけです。蛇足ながら、彼女達の演奏が幼稚園児並みと言う訳ではなく、素人の私の耳にはとても上手でした。純粋さが同じと言う事で。

元気ハツラツ、栄養ドリンクのようなやる気を、疲れた大人にももたらしてくれる作品でした。


2004年09月14日(火) 「バイオハザード II アポカリプス 」

昨日の続きです。「ヴァン・ヘルシング」終了後、急いで三男とラインシネマの隣にあるマクドナルドで昼食を済ませ、1時半前には2時から上映の「バイオ2」のスクリーンまで行ったところ・・・、何と階段まで人が並んでる!3階で上映なのですが、最終的には7階まで並んでいました。この階は、もう一つのスクリーンで「ヴァン・ヘルシング」を上映中で、こちらも長蛇の列。いつもは平日、誰も観なさそうな作品を一人で観ることも多い私ですが、ちょっと疲れるけど、満員で観る映画は活気があっていいものです。

この作品は観るのを渋っていました。ゲームはした事がなく、前作も観ていません。正確に言うと、映画館で見逃してビデオで三男と一緒に観たのですが、夜遅く観始めた事もあり、二人とも途中であえなく爆睡。とゆー事は、脳が面白くなかったと判断したのだと、私は解釈していました。最近テレビ放映があり、それで再見した息子がせがむので、近くですることだしと「イヤイヤ」観たのですが、観賞後は息子に謝る羽目に。面白かったです。

アポカリプスとは「黙示録、大事件、大災害」みたいな意味だそうです。なるほど、今回はラクーンシティ滅亡の危機です。この作品の内容を平たく言うと、ゾンビ+「エイリアン2」。今年は「ドーン・オブ・ザ・デッド」と言うスマッシュヒットを観たため、あまり印象的なシーンはありませんが、全力疾走の「ドーン〜」に比べ、こちらは古式ゆかしいのろのろ歩き。やっぱりこっちの方がゾンビらしいぞ、とは確認出来ました。ゾンビ物に付き物の生死感や無常観はあっさり飛ばし、代わりに小気味良いアクションの連続
が、なかなか楽しめます。

ただ、ラスト近くメネシスと戦うミラ・ジョボビッチなんですが、私はカメラワークとかカット割りなどはド素人で、よくわかりません。その私でもカット割の早さ、グワングワン回るカメラワークに、いったい今どんな技が繰り広げられているか、さっぱりわからず。ミラはこの作品のため、3ヶ月ほどトレーニングに励んだとも聞き、他のアクション場面では、身体能力も高そうに感じましたが、これでは台無しです。見せられない技ならば、CGやスタントで誤魔化しても良いので、きちんと見せて欲しかったです。

「エイリアン2」に似ているのは、小さな女の子の救出が盛り込まれているからです。シガニー・ウィーバー扮するリプリーの、見知らぬ女の子に対してみせる全開の母性愛に、それまでの中性的で男勝りな様との落差に不意をつかれ、思わず感動した私ですが、この作品はそこもすっ飛ばしています。そのためミラ扮するアリスの少女を守る行動も、筋運びのためと言う感じでイマイチ盛り上がりません。少女と自分の共通点に対して、同病相哀れむという描写をもう少し掘り下げていたら、グッとしまったかと思います。

シエンナ・ギロリー扮するジル・バレンタインは、ゲームとそっくりでした。ゲームファンは、アリスより彼女に目がいったのでは?「ヴァン・ヘルシング」同様深みはありませんが、たたみ掛ける危機また危機の連続とアクションは、90分ちょい、何も考えずに充分楽しませてくれます。3も作られるのは確実のラストシーンでしたが、シガニー・ウィーバーと言えば「エイリアン」と連想するように、ミラジョボと言えば「バイオハザード」と連想する時が来たようです。


2004年09月13日(月) 「ヴァン・ヘルシング」

昨日は「バイオ2」を観に、地元布施ラインシネマへ末っ子と出かけたのですが、初回の10時20分少し前に行くと、すでに立ち見。仕方なく一旦帰ろうかと思ったのですが、火曜日に私ひとりで見る予定の「ヴァン・ヘルシング」なら座れたので、息子を誘うとOK。お昼を間に挟んで、2時からの
「バイオ2」と二人ではしごして来ました。

春ごろから「ハムナプトラ」シリーズの、スティーブン・ソマーズ監督で、ユニバーサル映画の怪物君大集合映画があると聞いて、もうワクワク。私はホラーが大好きで、ゴジック・スプラッタ・サイコと何でも観ます。中でもゴジックは、美しい美術やコスチュームが観られるし、何よりロマンがあるので、きっとこの作品もファンタジー仕立てだろうと、楽しみにしていました。先行の噂では、中身がスカスカと聞いていましたが、私は全然へっちゃら。心の目で観る映画もあれば、視覚と聴覚で楽しむ映画もあり。その両方もまたありです。で、私はこの作品にはハートではなく、目で楽しむ作品を期待していたので、大満足でした。

ドラキュラ伯爵と言えば、私の年代には夏になればテレビでお目にかかった
クリストファー・リーです。ダンディにしてエレガント、そしてセクシーだと子供心に焼き付いています。対するのがピーター・カッシング演ずるヘルシング教授。但しこの作品のヘルシングは、うちの次男によるとヘルシング教授より、日本のコミック「バンパイヤーハンターD」の影響が色濃いとか。演ずるはOG俳優ヒュー・ジャックマンで、若々しくハンサムなヘルシングです。が、ちょっとキャラが薄かったかも。

ドラキュラ役は、リチャード・ロクスバーグ。ちょっと堅めの感じがして、愛しのリー様よりは落ちますが、まずまずの出来。他のフランケンシュタイン、狼男も、時間がないので単体作品に比べ薄味ですが、モンスターの悲哀も描いています。(あくまで薄口。その辺は期待しないで下さい)ドラキュラと敵対する一族の王子を演じるウィル・ケンプは、バレエダンサーだそうですが、きっと線も細かろうと思っていたのですが、中々たくましい体つきと端正なマスクで、これでファンになる人もいるかと思います。

出色だったのは、ドラキュラの3人の花嫁。コケティッシュでセクシーで美しく、露出度満点の衣装を着て大サービス。モンスター姿も、怖いんだか笑えるのだか不気味なのか謎ですが、印象に強く残るのは確か。考えれば一夫多妻なのですが、この3人は仲がよく一人死んだら嘆きまくり。伯爵はよっっぽど女心の操縦が上手いとみました。「私にはおまえたちしかいない・・・」の甘い囁きに、「あぁ〜ん、ご主人様〜ん」と伯爵の両脇でキスの雨アラレをふらす彼女達が、何だかとても可愛く見えて、私は凛々しいけど化粧濃い主役のケイト・ベッキンセールより気に入りました。

確かに深みもなければリアリティもなし。ちょっと強引な辻褄合わせもありました。しかし、この手の作品にそれを求めるのはヤボと言うもの。観ている間はハラハラドキドキ、充分に楽しめます。一晩寝れば、あー面白かった!だけで、どこが面白かったのか忘れる作品ですが、それも映画の楽しみ方の一つだと思います。


2004年09月11日(土) 「ヴィレッジ」

「シックス・センス」で世に出たM・ナイト・シャマラン監督の作品で、本日ロードショー公開。どんでん返しが売り物の監督作なので、小耳にはさむ前に、早めに観たいと思っていました。

カテゴリーとしては、ホラー/ミステリーらしいですが、ホラーの方はちょっと違うかなと思います。全然怖さはありません。ミステリーの方も、出だしこそ好調ですが段々失速してしまいます。どんでん返しもあっと驚くには遠く、コミュニティーの謎の種明かしも、理由はどうあれ結論はそんな子供騙しな、と無理を感じトホホなんですが、でも私はこの作品が好きです。

作品のタイプを考えて、ほとんど紹介は読まずに観たのですが、私はホアキン・フェニックス演じる青年が主軸になって、ストーリー展開すると思っていたので、途中彼があんな事(ネタバレのため秘す)になって、えぇ!と言う感じでした。しかしその後を引っ張る、ホアキンと愛し合う盲目の少女・アイヴィー役のブライス・ダラス・ハワードが素晴らしい!

透明感のある清楚な容姿にはか弱さが似合いそうなのに、強く清らかな心を併せ持つアイヴィーの役柄を、とても素敵に表現していました。名匠・ロン・ハワードのお嬢さんだそうです。ホアキンもいつもの優柔不断な感じの延長ですが、寡黙ながらやはり心の強さを好演。今回は穏やかながら男らしいです。オスカー俳優・エイドリアン・ブロディは知的障害者なのですが、よだれを垂らしてまでの熱演で、「戦場のピアニスト」からの変貌ぶりにびっくりでした。

出たがりシャマラン監督の出演シーンはどこ?のクイズをやっているようで、入館前に、クイズのチラシをもらいました。割と簡単にわかります。やる気なさそうに後半に出てきますので、お見逃しなく。

ホアキンとブライスが徐々に二人の距離を縮めていく様子が、叙情に溢れ素敵でした。その他出演者全てが好演。脚本の無理や甘さを、演技で補ってくれていたので、私は不問にしたいです。今回は愛なんです、愛。陳腐と思う方もおられるでしょうが、私は素直に受け取りたかったです。


2004年09月09日(木) 「プリンス&プリンセス」

夏に観た「キリクと魔女」が思いの外出来が良く感激した私は、監督のミッシェル・オスロの名前が強烈に頭に残り、(寄る年波で人の名前は最近覚えづらい)テアトル・梅田のHPに、彼の名を見て飛びついた作品です。「キリクと魔女」の原色の目にも眩しい色彩とは異なる、影絵風アニメーションの、ユーモアとエスプリの効いた6話のお話です。

古代、中世、未来、魔女、日本、そしてプリンス&プリンセスをテーマに、少年・少女が老映写技師に導かれ、自分たちで様々なストーリーを創作していきます。お話は御伽噺風で、短い時間に起承転結がきちんとしており、ひとひねりしたオチがニヤリとさせられます。

一番気にいったのは、最後のお話。婚約中のプリンスとプリンセスがキスを交わすと、何と王子様はカエルに!これって有名な「カエルの王子」の逆パターンだと思っていたら、次に二人がキスすると今度はプリンセスがなめくじに。二人は何度もキスを交わす度、象やキリン、ノミや蝶など次々に変身していくのですが、ラストは本当にとんでもないことに。でもこれって愛しい人を理解する究極の方法かも?と、少々ブラックな味付けが気に入りました。

吹替え版でしたが、穂積隆信の達者なアフレコには大満足、キッチュこと松尾貴文の語り口もなめらかで、意外に健闘していました。宣伝では一番プッシュされていた原田知世は、悪くはないのですが、少し幼く淡々とし過ぎていた感じがしました。作り込んだ日本編の老婆が一番良かったです。

輝くダイヤのきらめき、北斎の絵、古代の壁画など、挿入される影絵以外の部分も美しく、ぬくもりのある手作り感がCGとは一味違う良さを醸し出していました。

ただしこの好意的な感想は、只今テアトル梅田は格安に観られることと、親しい友人たちと楽しく会うついでに映画を観る、と言う条件が加味されてはいます。元々はテレビ用の作品でもあり、ビデオやDVDでも、クオリティーの高さや楽しさは、感じていただけるのではないでしょうか?特別影絵アニメーションファンでなければ、正規の1800円ではちと物足らぬかも。


2004年09月06日(月) 「LOVERS」

ただいま全米NO.1を維持している「HERO」に続く、チャン・イーモウ監督の武侠アクション第2段には、大きいスクリーンが似つかわしかろうと、難波の老舗映画館・角座を選び、昨日夫と観てきました。

イーモウが主演女優のチャン・ツィイーに惚れ込んで、彼女の魅力を余すところなく描いた作品です。ツィイーの作品は、「初恋の来た道」「グリーン・ディスティニー」「HERO」と観ています。主演の「初恋〜」はともかく、「グリーン〜」はミッシェル・ヨー、「HERO」はマギー・チャンと、二人の魅力的なベテラン女優の方へ私の目は行き、ツィイーちゃん頑張ってるなぁ程度の魅力しか感じられませんでした。

しかし本作では彼女の魅力が炸裂。ダンサーとしても一流であるそうで、冒頭の遊郭での踊りのシーンの美しさは圧巻。その他の場面でもCG処理はわかりますが、柔らかな体を生かしたアクション場面もキレがあり、ヌードこそありませんが、美しいデコルテを何度も見せてくれます。演技の方も、揺れる女心を繊細に表現し、涙を浮かべながらニッコリ笑うその健気で可憐な姿に私もジ〜ン。殿方ならば心を鷲づかみにされて当然の魅力です。

衣装部門でオスカー受賞経験者のワダエミの衣装は、絢爛豪華なセットに負けない美しさです。ワイヤーを多用したアクションも、今回は竹や盾の使い方が良く、流麗さを感じさせる殺陣で気に入りました。
金城武は大根と不評ですが、美男美女の道行きはやはりロマンチックで、星の王子様的魅力のある彼は、適役だったのではないかと思います。今回は役に恵まれなかったせいか、アンディ・ラウはもう一つでした。

しかし肝心のストーリーが・・・。ちょっとお粗末。どんでん返しや裏切りの繰り返しも、ちょっと展開に無理がある気がします。朝廷と反乱軍・飛刀門の確執の内容も説明はなし。飛刀門の頭目の扱いも、あんな出し方ならいっそ出さなければ良かったかも。壮大に演出した割には、結局三角関係しか印象に残りません。原題は「十面埋伏」。あらゆる場所で待ち伏せると言う意味らしいです。不評な邦題ですが「LOVERS」とは、私は上手くつけたなと思います。

チャン・ツィイーファンなら必見、金城武ファンも文句はないと思います。
特別彼らのファンではない私ですが、様式美や美男美女など目の保養には充分なったので、まぁ合格です。武侠映画を期待した夫は×だそうです。


2004年09月05日(日) 「デビルズ・バックボーン」

大阪では昨日から封切りのこの作品を、アメリカ村のパラダイス・スクエアまで観に行ってきました。本当はレディースデーに観たかったのですが、ここでは1週間しかせず、その後はあまり好きでない映画館に引き継がれるので、大急ぎで観てきました。メキシコ出身でハリウッドに招かれて、「ミミック」「ブレイド2」などを監督したギルレモ・デル・トロが監督で、スペインの作品です。

時代は1930年代の内戦が勃発していたスペイン。人里離れた孤児院に、内戦のため親が亡くなったカルロスが新しく入って来ました。そこには内戦のため足を失った義足の女性院長、科学者にして詩人の老教師カザレス、孤児院出身で最近戻ってきて子供達の世話をするハシントと言う若い男性、同じくここの出身で若い女性教師・コンチッタ、幼いと形容出来る年から思春期までの男の子ばかりの孤児がいました。ここにきてすぐ、カルロスは幽霊を見ます。そしてその幽霊は、この孤児院にまつわる忌まわしい出来事に関係していました。

義足の女性、ラム酒漬けの胎児、「犬神家の一族」の佐清のような幽霊の少年の顔などなど、猟奇的な味付けに期待して観に行きましたが、良い意味で裏切られました。ホラーと言うより奥行きのある人間ドラマが展開されています。

カルロスが孤児院に入ってから受ける、他の孤児からの仲間入りのためのイジメのような洗礼も、独りで生き抜いていくための力をつける、通過儀式に思えました。そして年に似合わぬ男としての戦う心を芽生えさせる少年達の描き方に深みがあり、子供から少年に移り変わる成長を力強く見せてくれます。

義足の院長は、心は同年代のカザレスと深くつながっているのに、元教え子であったハシントと肉体関係があります。もう女性として枯れても良い頃の彼女は、もし足を失っていなければ、ハシントとそういう関係にはならなかったのではないでしょうか?義足をつける痛みは心の痛みに通じ、失ったものへの無念さを、自然と卒業できるはずの女性の性にしがみつく事で、自分の思考から失くしてしまおう、そんな風に見えました。演じるマリサ・パラデスはスペインの映画界の重鎮で、厳しいが慈悲深い表の部分と、アンバランスな心とをくっきり演じ分け印象に残ります。

でも一番印象に残ったのは、ハシントを演じるエドゥワルド・ノリエガ。「バニラ・スカイ」のリメイク元の「オープン・ユア・アイズ」の彼しか観た事がなかったのですが、やさぐれて粗暴ながら、その裏にある複雑で哀しい心を上手に表現して好演でした。彼がただの悪役にならなかった事が、この物語の輪郭をはっきりさせていました。
声高に主張してはいませんが、上記に書いた物の奥には、この内戦がなければ彼らは今の彼らだろうか?そんな反戦の心も受け取れました。

デビルズ・バックボーンとは、奇形の背骨を持つと言う事だそうです。生まれくる事の出来なかったその背骨を持つ胎児を漬けたラム酒は、強壮剤として売っていると映画では描かれます。その酒を劇中で飲むのは、教養があり子供達を最後まで守ろうとするカザレスです。内戦で一儲けしようとする下卑た輩でなく、カザレスに飲ませたと言う事に、戦争で失われたたくさんの命の分まで、この孤児たちの未来に託したい、私はそう受け取りました。

ホラーとしては肩透かしですが、薄気味悪く小汚い風景を映すのに、なかなか格調高く味わい深い作品です。上映はすぐ終わってしまいそうですが、ビデオ化の折など、どうぞご覧下さい。



2004年09月02日(木) 「刺青」(日本映画専門チャンネル)

本物の刺青を目の当たりにした方、割といらっしゃるのではないでしょうか?。上の息子たちが小学校高学年の頃、銭湯にはまって毎日二人で通っていたのですが、桜吹雪のオジサンを見て一目散に退散。それ以降、自分たちだけでは行かなくなったので、よほど怖かったのでしょう。このように刺青には、威圧感や怖さ、背負うことで二度と堅気に戻れないなど、因果因縁がこもっている感じがします。

大店の質屋の娘・お艶は、婚礼の相手を嫌い手代の新助と駆け落ちしますが、手引きをしたやくざ者の権次に騙され、芸者に売り飛ばされます。その時お艶が逃げ出さぬよう、腕の良い彫物師・清吉に女郎蜘蛛の刺青を入れさせます。以降お艶は、背中の女郎蜘蛛が乗り移ったが如くの悪女として生きて行くこととなります。

見事な美しい背中を披露するのは、主演の若尾文子ではなくボディダブルだそうですが、私はあんな綺麗な背中は見た事がありません。斉藤耕一の「旅の重さ」の中で中年の旅芸人役の三国連太郎が、「背中が弛んじまって、せっかくの般若が今じゃ笑ってらぁ。」みたいな自嘲気味のセリフを言ったのを覚えているのですが、なるほどこの作品の引き締まった背中の女郎蜘蛛は、背中がうごめく度、本当に蜘蛛が動いているようような妖しさです。

しかし背中は本当に語ってくれるのですが、この物語のポイントは女郎蜘蛛が乗り移ったように悪女に変身していくお艶の姿だと思うのですが、いかんせんそれ以前のお艶も、大店の娘には不釣合いの不良娘ぶりです。それも青い不良ぶりと言うより、腹の据わった貫禄のある極道の姐のようなので、刺青を入れて以降との落差が、あまり感じられないのです。

でもあんなに仇っぽく艶っぽい若尾文子なら、男は誰だって見境なくなるでしょうと納得出来るので、あんまり気にしない事にします。それくらい若尾文子は絶品です。美しいだけでなく、生々しい女の香りもします。昔同じ大映の山本富士子が高嶺の花で、この人は低嶺の花と言われていた、と母から聞いた事がありますが、もう本当に?????がいっぱいです。

昔読んだ渡辺淳一のエッセイの中で、「自分はエロスを描いているつもりなのに、映画化されるといつもポルノになっている。」と、不満を漏らされていました。増村作品を観ると、渡辺氏の仰る事が何となく理解出来ます。裸も肝心のところは映さず、曲線美や背中ばっかりなのにこの色っぽさ、艶っぽさ。演技とセリフで想像力がかき立てられ、性を通じて人物の内面まで深く描写する。これってエロスですよね?


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