2001年08月31日(金) |
現世に戻った(四国巡礼編) |
この日はたしか。。。。
朝の6時に石鎚温泉の宿を出た。。。。と思う。 雨は降ってなかったけどかなりあやしい空模様だったが昨日の天気よりかはよほどまし。いくらかの不安はあったものの昨日いけなかった60番の横峰寺へ。
第六十番 横峰寺(よこみねじ)
ここは有料道路を通らないと寺までたどり着けないかなり厄介な場所。 有料道路つってもかろうじてコンクリートがあるくらいでほとんど林道つーかなりガタガタ道だったんだけどなぁ。おまけに雨も降り出してきてたのでかなり辛かった道でもある。しかも霧でてたし。。。。 頂上ついたときは5メートル先が見えなかった。 少し休んでいこうかとも思ったけど休む場所さえなかったので先に進む事に。
第六十五番 三角寺(さんかくじ)
このころになるとだいぶ雨も小ぶりになってたのでカッパ脱いで走ってた。
第六十六番 雲辺寺(うんぺんじ)
屈辱的な場所である。ここはロープウェイが設置されていて歩いていくとかなり時間がかかる。先の21番の寺でロープウェイの値段の高さを思い知ってたので何が何でも歩こうと思い山をぐるっと一周して歩き遍路の道を発見した。 愕然としたね。。 傾斜25〜30度くらいの急勾配でおまけに道がメチャ細い。 バイク一台ぎりぎり通れるくらいの道でこんな坂なんです。 ちょっとチャレンジしたけどこのまま先いったら絶対バイクつぶすと思ったのであきらめた。そんで泣く泣くロープウェイ乗り場に。 頂上は雲の上で空気もかなり薄かった。こんなところで夜を迎えたらきっと恐ろしくなって泣き出しそうなくらいなところだったなぁ。
あとで聞いた話によるとおれが最初行った道というのはどうやら下りの道らしく上りの道は別なところにあったらしい。そこからだったらバイクでもけっこういいところまで行けたらしいのだが、これはほんとに後の祭り。
あとここでロープウェイを下るときに一緒になった団体の人の先達さんから千円のお接待を受けた。このときは疲れてたので歩いているんですか?との問いにハイと言ってしまいその後は引っ込みがつかなくなり、ここでは俺は歩いて周っているということになってしまった。
ちなみにここから香川県、この寺自体は徳島になるんだけど香川の最初ということになっているらしい。いよいよラストの県だね。
第六十七番 大興寺(だいこうじ)
ここはかなり急いで通過。お接待を受けてバイクで周ってますとばれた日にはかなり申し訳ないとおもったので団体バスを引き離すために急いで周ってしまった。 かなりお寺にたいして申し訳なかったな。。。
第六十八番 神恵院(じんねいん) 第六十九番 観音寺(かんのんじ)
二つの寺が一緒になってるところ、納経代も600円取られた。 ここは近くに琴弾公園つーのがあり観光地としても有名らしい。 頂上の展望台から下を見下ろすと砂でできた寛永通宝があり、見た人は健康で長生きしてお金に困らないそうだ。ウソツケ。 でも一度見てみるとおもしろいかも。
第七十番 本山寺(もとやまじ) 第七十一番 弥谷寺(いやだにじ) 第七十二番 曼荼羅寺(まんだらじ) 第七十三番 出釈迦寺(しゅっしゃかじ) 第七十四番 甲山寺(こうやまじ)
普通に通過
ここで今日はおしまいだった。次の75番、善通寺まで行ったはいいものの5時過ぎてたので残念ながら納経できず。そこでしばらくたたずんでいたらお寺のオンナの人らしき人が声をかけてきて善根宿が近くにあるので空いてるかどうか聞いてみれば?といってくれた。 さっそく寺の人に聞いてみるとOKということで早速行ってみる事に。 先にきていた遍路の人が2人いたけど余裕で泊まれるスペースがあった。 つうかかなりいい宿だった。風呂ははいれるし台所も自由。冷蔵庫も使っていいしとまぁ至れり尽せり。これでタダつーのがなによりうれしかった。
ここで一緒になった福井さんという名古屋の社長さんに晩飯をご馳走になった。 なんかバーみたいなところに連れて行かれかなりいい気分な夜を迎える事が出来た なんか現世にもどった気分だったなぁ。。。。 もう一人の同じ宿の人、塩川さんにも緑茶を凍らせてもらいペットボトルに何本か詰めてもらった。ここでは恩を受けてばっかりだ。
翌朝、善通寺で朝の勤行に出るという福井さんに従い、俺も行く事にした。
この日はかなりシアワセな気分だった。 遍路の事を思い出すたびに感謝すると思う。
2001年08月30日(木) |
急げや急げ(四国巡礼編) |
もう資料を見てもうすらぼんやりとしか覚えていないぞ、コンチクショウ。 つうわけで今日は10月の10日、旧体育の日です。またの名を目の日だな。
えーとたしかこの日は坊様と一緒にお参りしてから旅立った気がする。
第四十八番 西林寺(さいりんじ)
朝から渋滞だった。さすが松山市内。四国第一の75万の人口を誇るだけある。 道路狭い上にやたら混んでた。 寺は普通に通過
第四十九番 浄土寺(じょうどじ)
納経代のお接待を受けた。 300円得した。ラッキー。
第五十番 繁多寺(はんたじ)
団体がうざかった、うん。
第五十一番 石手寺(いしてじ)
さすが観光地、松山市内でも一番でかい寺。道後温泉のすぐ側にあるので観光客もやたら多かった。遍路以外に訪れていた人も多かったみたい。浅草の浅草寺みたいに門から本堂までが出店でいっぱいだった。なんか現世の世界に戻った気分だった。
第五十二番 太山寺(たいさんじ) 第五十三番 円明寺(えんみょうじ) 第五十四番 延命寺(えんめいじ)
普通に通過
第五十五番 南光坊(なんこうぼう)
88ヶ所で坊とつくのはここだけ、けっこう珍しい。 このへんから雨降ってきた。だるかった。 場所的には今治あたり。
第五十六番 泰山寺(たいさんじ) 第五十七番 栄福寺(えいふくじ)
普通に通過
第五十八番 仙遊寺(せんゆうじ)
ここもあれ、頂上までバイクでいけたのに途中の山門で止まって歩いていったのでひたすら辛かった。このへんで雨本格化。ふもとからかなりの急勾配だったんだけど前の寺を一緒に出たチャリの軍団に追いつかれた。やっぱ雨だと速度的に大して変わらなくなる。とはいってもこいつらすげぇ。。。。
第五十九番 国分寺(こくぶんじ)
愛媛の国分寺、88箇所のうち国分寺は4つ、各県に一つずつある。 まぁあたりまえだよね。ここはけっこうまよった気がする。 同じところをいったりきたり。 あとここに脇屋義助の墓があった。 知ってる人はえらい歴史好きだね。 新田義貞の弟です。 南朝方の武将として活躍しました。
第六十番 横峰寺(よこみねじ)
ここは。。。いけなかった。 順番どおり周るつもりが初めてとばしたところです。 59番を行くと次に近いのが61番なんだけど61番の寺であった遍路さんに行くのをやめろと言われ断念した。どうやら土砂が崩れ気味で危ないらしい。 翌日朝一で行く事に。。。。
第六十一番 香園寺(こうおんじ)
えらい立派な近代的お堂だった。 土砂降りで気が滅入ってた。まじで泣いてたな、こんとき。
第六十二番 宝寿寺(ほうじゅじ) 第六十三番 吉祥寺(きちじょうじ) 第六十四番 前神寺(まえがみじ)
雨、雨、雨 ただただ辛かった。。。
64番を終えた時点で本日のお務め終了。 近くにダイソーがあったので野菜ジュースを購入(二本で百円だった) あとは消臭スプレーを買った。 カッパを乱用したのではっきり言って汗と雨の匂いでけっこうきつい匂いを発していたからだ。 その後ダイソーで雨宿りするも一向にやむ気配がなかったので移動した。 伊予小松駅という無人駅だ。昨晩坊さんと話してここの無人駅は安全だという情報を頂いたので言ってみる事にした。当然の如くまだ6時前後だったので人が多い。 しばらくそこで休んでいたのだが、寒くなってきた。 雨つーこともあり体がどうにも冷えてきたみたいで耐え切れなくなってきた。 おまけに腹までいたくなってきたし。 これでかなり弱腰になったようで結局宿に泊まることにした。 近くにある石鎚温泉というところだ。 素泊まりで3千円。 普段なら安いけどここまでけっこう無料で泊まり歩いてきた俺にはかなり高く感じられた。まぁ背に腹はかえられないつー事で。。。 つーか泊まった部屋がめちゃ広い。10畳くらいの畳の部屋が2部屋分くらい。 一人じゃかなりもてあまし気味だった。日頃狭い部屋に住み慣れてるとこういう広い部屋にきたときに対処にこまる。うん。 つうわけでこの日はここで温泉、そして布団という豪華絢爛な宿泊ができた。
ちなみにここの温泉、塩サウナというめずらしい趣向のサウナがおいてあった。 塩がヒリヒリして気持ち痛かった。
2001年08月29日(水) |
やっと半分(四国巡礼編) |
もうそろそろ書かないと9月おわるって。 今日は9月の20日。もうすぐ21日だ。 とりあえず最初この日記を書くにあたって、後ででもいいから かならずなんかしら書くように努めようと心に決めたのでレッツ初志貫徹。
つうわけで朝七時に39番の寺につくように宿毛の健康ランドを後にする事にした。とはいってもここから39番の延光寺まではバイクで5分。 7時に出ても間に合いそうなものなのだが昨晩知り合ったキムタクさんと一緒に宿を後にした。 とりあえずはバイクの応急処置しときたかったのね。 昨晩はフロントブレーキがほぼ効かない状態で来たのでなんとかならんもんかと四苦八苦してたらなんとかなったんだわ。 (バイクの場合はフロントブレーキが強くリアブレーキは結構おまけみたいなもんなのでこれが効かないとほんとに死ぬ恐れあり) ブレーキが効くようになったので勢いよく出発したら案の定道を間違え、結局寺についたのはキムタクさんと同じくらいだった。
第三十九番 延光寺(えんこうじ) キムタクさんと写真とって別れた。 つうかこの人ウ氏っぽい顔してたな。思い返してみると。。。。
第四十番 観自在寺(かんじざいじ) ここから愛媛県になります。 天気も良かったので気分は上々だった。これでバイク無事だったらなぁ。。。 寺に着いて納経してるときに住職さんにこういわれた。 「昨晩はよく寝れたかね?歩きは大変じゃろう。。。。」 ぼけてました、住職さん。誰かと勘違いしてたようです。
第四十一番 龍光寺(りゅうこうじ) 第四十二番 仏木寺(ぶつもくじ) 第四十三番 明石寺(めいせきじ)
特に何事もなく通過
第四十四番 大宝寺(たいほうじ) 前の寺からはおよそ100キロ、かなりダルダルだった。 四国に入ってからはほんとに食い物らしい食い物を食ってない気がした。 たしかこのときは奮発してカップ麺を食べ、カキ氷を食った。 オレはなんて贅沢なんだって思いながら食った気がする。 このあたりから道の駅があっても入るのをやめて素通りし始めた。 スタンプ一つに回り道ってなんかなっとくいかねぇよなぁ。という理由で。
第四十五番 岩屋寺(いわやじ) 今日一番の難所だった。ひたすら階段上った気がする。 しかも時間ねぇとかいって麓からずっと走ってった。 バカだ、おれ。 お参りを済ませ、階段を下ってると下のほうから山口の老夫婦、林さんたちが登って来た。どうやらオレとは別ルートで44番より先にこっちのほうにきたらしい。 なんかほっとした気分だ。しかしここから先はもう会うこともなかった。今回の旅で一番多く会った人だ。 無事結願できたといいなぁ。。。。
第四十六番 浄瑠璃寺(じょうるりじ) ここからは松山市。松山観光は後でゆっくりすると決めていたので遍路の途中は素通りしようと最初から決めてた。ここについた時点で4時45分くらいだったかな。もう間に合わないかと思って次の寺行ったらギリギリで納経してもらえた。
第四十七番 八坂寺(やさかじ) 今日はココでおしまい。宿を探そうと思ってたらお寺の若い人が声をかけてきてくれて通宿があるから使いなさいといってくれた。
なんとうれしいお言葉。。。。
荷物降ろしてしばらくボケっとしてたらもうひとりお遍路さんがやってきた。 よくよく話を聞いているとこの方、高野山から来たお坊さんだそうだ。 ほんとに修行のために遍路を行っていて、しかも四国に上陸したときは無一文で来たというからものすごい。 オレもやってみたくなった。 結局この日は7時くらいから3〜4時間ずっと説法を聞かされていた。 すごくいい経験をさせてもらったと思う。 今度高野山に行ったときに会えるだろうか。。。。
ここでお坊さんに会った事で明日以降の遍路に対する心構えが明らかに変わった。 何が変わったって言葉でいえるもんでもないけど、もう少し物事を真摯に受け止められるようになった気がする。
今のオレは仏教徒です。
2001年08月28日(火) |
カワイソウだよな(四国巡礼編) |
35番の清瀧寺の通宿で一晩を明かした後、朝一で納経。 昨晩6時過ぎに到着したときも納経してあげようか?といわれたが断った。 なんかルール違反のような気がしたからだ。 でもこの日のことを思うと昨晩のうちに済ましておいて朝一の納経を次の寺ですればよかったと思う。 一つ一つの積み重ねで人生って決まっていくんだろうね。 36番の道中は海沿いの峠道といった感じ。 見晴らしはいいものの道がうねうねしててちょっとアレだった。 あさっぱらからこんなことしたくねぇ。 道中に甲子園で有名な明徳義塾高校があった。 学校以外周りに何もない。買い食いとかもできないし遅刻早退もかなりめんどくさそうだ。都市部までバスで20〜30分と行った所だろうか。
第三十六番 青龍寺(しょうりゅうじ)
8時すぎぐらいにはついてた気がする。ここも本堂は200段くらいの石段を登らなきゃいけない。疲れた。 ここをめぐってから37番の寺に行くまでにだいぶ寄り道をする事になった。 寺のほうは海沿いの道を走ってればつくのだが道の駅が山奥の方に固まって4つくらいあったのでそっちに行ってみる事に。 ついでだから四万十川の源流にも行ってみるかということで行ってみた。 ある種の達成感はあったがそれほどの感動はなかった。 これも話の種になる程度だったかなぁ。
第三十七番 岩本寺
ここで山口ナンバーのナディアに乗っていた林さん夫妻と再会。 昨日は各寺で一緒だったのだがこの日もあえるとは思わなかった。 四万十川の源流を見るのに2時間ほど費やしたのがよかったのかな? と思ったのもつかの間。
岩本寺を出てすぐのことでした。 国道に出ようと思い細い道を通っていると 横から軽自動車がひょいと飛び出してきた。 とっさによけたので衝突は免れたが転倒。 体は無事だがバイクがバイクがバイクが。。。。。
すぐさま警察を呼びいちおう事故証明をとってもらった。 あっちの被害は右前のウインカーが壊れ、そのあたりの凹みがついたくらい。 こっちはアクセルワイヤーが一本いかれ、タコメーターが壊れた。 その他クランクケースやサイレンサーのジョイント部分などにも傷がついた。 しばらくフロントブレーキも効かない有様。 でも走れる分だけ軽傷だったと思う。 結局相手の保険で修理代全部出してもらえる事になり一応はよしとする事に。
第三十八番 金剛福寺(こんごうふくじ)
足摺岬の先端に位置する寺、到着時刻は午後4時半。 事故がなければもう一ついけたのになぁ。 次の39番で高知県も終わり、一応は二日で一県のペースは保たれるはずだったのだが。 ここ足摺岬も観光地として名高く夕方というせいもあってかやたらと人が多かった。ジョン万次郎の銅像があった。 つうか高知人は銅像建てる事しか能がないのかくらいの勢いで海沿いの目立った場所に銅像があった。 ここ足摺にはジョン万次郎、高知市内からすぐの桂浜には坂本龍馬、室戸岬には中岡慎太郎。 土佐の歴史だと他に思いつくのが長宗我部家と山内家くらいなのだがその辺の足跡つーのは全然観られなかった。 そんなに武士が嫌いなのかね?
この日は事故とかあって精神的に参ってたので風呂に入って寝たかった。 つうことで次の寺がある高知は宿毛市まで行ってみる事に。 事前の調べではここに健康ランドがあるので利用しようと思ったからだ。 結局午後7時半くらいに宿毛の健康ランドに到着。 ここで知り合った歩きの遍路、木村拓哉さんと歓談して寝る事に。 これが本名というから驚きです。
この日は4つしか寺を周ることができなかった。 でもまぁペースとしてはちょっと遅れくらいの感じなのでまだよかったかな。 しかしCBに傷がついたことにはカナリのショック。 娘を傷物にされた父親の気分だわ。
2001年08月27日(月) |
板についてきたね(四国巡礼編) |
まだ8月だというのに朝起きたら顔がビショビショに濡れてた。 別に何かに感動したとか誰かに襲われたとかそんなんではない。 朝露がひどくてこうなった。露出してたのは顔だけだったのでそれほど大きな被害にはあわなかったんだけどね。 周りを見渡すと車が何台か停まっていてどれも朝7時を待っているようだ。
ちなみにこの時点で午前5時。オレ以外みんな年寄り。 身支度してるとおっちゃんが近寄ってきてコーヒーのお接待をしてくれた。 身も心も暖まる想いだった。 こういうときに人から施しを受けるといい気持ちになれるな。
場所柄かどうかはわからないがこの時とまっていた車の中に四国内のナンバーが一台もなかったのもまたちょっとおもしろかった。室戸岬という四国では一応の観光地のせいかも知れない。特に山口ナンバーのナディアに乗っていた林さん夫妻はこの日だけでなく後々まで縁をすり合わせる事になる。
つーわけで 第二十四番 最御崎寺(ほつみさきじ)
朝っぱらから200段くらいの石段を上る事に。いい運動にはなったが疲れた。 次の寺は室戸市街地にあるのだがガソリンがない。いれようと思いつつスタンドを探してたんだがどこも値段が書いてない。基本的に値段が書いてないスタンドつーのはカナリ怪しいのでなるべくいれないようにしているのだ。
第二十五番 津照寺(しんしょうじ)
津寺とも言うらしい。ここの住職はやたら話し掛けてきた。 一番の寺にはお参りする必要はないということをひたすら強調していた。 通常納経代というのは各寺1度しか納めないものだが1番の場合は一番最初とお礼参りということで2度も納経代を納めるという風習になっている。それが我慢できないらしい。そういわれると一理あるなぁということなのでこれから先道中でいろんな人にこの話題を持ちかけてみた。結局どうしたかはまた後ほど。。。
第二十六番 金剛頂寺(こんごうちょうじ)
普通に通過。 この先27番に向かう途中に道の駅があったので寄ってみた。 道の駅はどこもたいてい9時〜21時前後のところがおおいのであまりに朝早いと開いていない。ちょうどこの辺通過したときが8時45分くらいだったので15分くらいなら待ってもいいかということで駐車場にて待機。スタンプ一つでこんなことするとは。。。後で思い返してみると甚だバカらしく思えるな。 結局9時を10分過ぎるまで待っていたのだが一向に開く気配がなくしょうがないのでそのまま通過。
途中ガソリンをいれた。りったー118円。免許取ってから今までで最高値更新した。バイクでレギュラー満タンつって1500円超えたのは初めてだ。俺の中では話題性抜群なんだけどムカツクことこの上なかった。やはり田舎は駄目だ。
第二十七番 神峯寺(こうのみねじ)
ここも辛かった。雨降ってたら21番の太龍寺並に辛い道のりだっただろう。 寺についてからも石段で200段くらい登った気がする。 幸い?カンカンに晴れてたので汗ダラダラ、息も絶え絶えになりながら納経所に行くと住職さんがジュースの接待をしてくれた。うれしい。 ベンチに座りながら遍路チャリダーの人としばし歓談。 遍路にはまってしまったという彼はこれで3回目、1,2回目は歩きでチャリは今回初めてらしい。遍路を終えたら彼は九州上陸、屋久島まで行くといっていた。 うらやましいなぁ。。。。
第二十八番 大日寺(だいにちじ)
ここでもちょっととち狂った事をやらかした。ここの寺を見つけた後20Km北に道の駅が2つあることを発見。 行った。往復で90分くらいだったか。
第二十九番 国分寺(こくぶんじ) 第三十番 善楽寺(ぜんらくじ) 第三十一番 竹林寺(ちくりんじ)
普通に通過、31番の竹林寺は高知市内の五台山というところの頂上。 市内にあるので観光地になっており遍路だけでなく家族連れやカップルも多かった。たしかに景色がいい。高いところから町を見下ろすと自分がえらくなった気分になるなぁ。昔の人がなぜ城下町を作ったか理解できる気がする。 ここらあたりから団体のバスツアーの人たちとかち合うことになり納経に待たされる時間が多くなった。
第三十二番 禅師峰時(ぜんじぶじ) 第三十三番 雪蹊寺 (せっけいじ)
団体うぜーぞ、時間がなくなるつーの。
第三十四番 種間寺(たねまじ) 今日はココでうちどめ。 33番の時点で4時45分くらいだったのでいけるかどうか微妙だったのだがなんとかここも通過。
これから宿探しなのだが一面田んぼだらけで何もない。。。 ちょっと賭けだが次の寺へ行ってみる事に。次の寺は一応市街地の外れ、何かしら寝袋広げられるような場所はあるだろうということでいってみることにした。
第三十五番 清瀧寺(きよたきじ)
ここも山の上、車でもいけるので道のりはそれほどきつくはなかった。 ついたのは6時過ぎ、当然納経もできるはずもなく途方に暮れてたら通宿みたいなのを発見、寺の人に聞いてみると使ってもよいということだったので遠慮なく使わせてもらう事にした。電源供給と水源補給ができたのは大きい。ここは全て山の湧き水で生活用水をまかなっているということなので水道水でも普通に美味かった。 宿が決まったのでふもとのスーパーまで買出しに。この時間になると値引きシールがアホみたいに張られるので安く済ますにはもってこいだ。 500円で明日の昼食分くらいまでをカバー。
住職さんが蚊取り線香を持ってきてくれた。蚊もおらず心地よく眠れた日だった。 屋根と囲いがあるのはやはり良い。
2001年08月26日(日) |
修行だよ、こりゃ(四国巡礼編) |
鳴門の健康センターを午前6時に出発。 この日は朝からやばげな天気でした。 案の定30分くらい走ってると雨、雨、雨。あっというまに大雨です。 7時直前に16番の観音寺に到着。 火がともってるロウソクが1本もなかったのでどうやら最初の模様。
第十六番 観音寺(かんおんじ) 上記の通り、朝一だったのでなんだか住職さんは不機嫌そうだった。。
第十七番 井戸寺(いどじ) 第十八番 恩山寺(おんざんじ) 第十九番 立江寺(たつえじ)
この辺は普通に通過。といっても大雨だったのでひたすら辛かった。 前は全然見えないしロウソクやライターなんかも濡れて使えなくなるし散々な目にあった。でもこの辺はまだ市街地にあったから救われたかなぁ。
第二十番 鶴林寺(かくりんじ)
ここも12番の焼山寺と同じく急な勾配をどんどん上っていった。88ヶ所で2番目の難所らしい。やっぱり歩きだとかなりつらそうだ。でもまだ頂上までバイクで行けたからよかったかなぁ。ここの住職さんに次の寺の情報を聞く。バイクで周ってると行ったのでどうせならそれでいける道をいったほうがいいと言われたので素直に従ってみた。
第二十一番 太龍寺(たいりゅうじ)
泣きたくなるほどつらかった、ここは。 後でわかった事なんだけどこの太龍寺は3つの進入ルートがあって、一つはロープウェイ、一つはバイク、もう一つが歩きの道ということなんだがオレはどこをどう間違えたのか歩きの道を選択してしまったらしい。怪しいとは思いつつもどんどん進んでいったら案の定ダートになって道もえらく細くなっていった。夜通ってたら絶対泣きそうな道です、ココ。捨てられて何年も経つ車とかマネキンの頭とかわけわからんものがゴロゴロ転がってた。今思い返してもほんとに泣きたかった。 挙句の果てには途中からバイクじゃ登れない段差のある道になり、そこからは歩き。1時間以上ずーっと上ってました。途中になんか色々文字が書かれたプレートとかが木にぶらさがってるんですよ。 「信じるものは救われる」 「南無阿弥陀仏」 「あなたの後ろにはお大師さまが」 こんな感じです。 ある程度の安心感と共に泣きたくなるような不安にもかられました。 やっと山門が見え寺の中に入ったときはなんかある種の達成感があったな。 それと同時に帰り道の心配も生まれてきた。 さすがに90分くらい山登りしてたら喉の一つも渇くってことなんで自販機探してたら、ロープウェイ発着所のところでお茶のお接待を受けた。松茸茶だ。 心のそこから美味いと思った。つうかこんなへろへろの状態なら何を飲んでも美味いと思うのだが、この松茸茶は普通に飲んで美味い。昆布茶好きなら文句ナシにはまる味だと思う。あまりに気にいったので土産として一つ買った。帰ってからも毎日飲んでる一品です。あんまり休んでてもバイクのほうが心配になってきたので早々に戻る事にしました。ちょっと土砂が崩れ気味だったので帰りも1時間以上かけて慎重に下りてきた。バイクは無事。帰りは行きほどの不安感はなかったけどここを早く離れたいという気持ちは強かった気がする。 遍路道を抜けて一般道に出ると一路反転してロープウェイのほうに行ってみた。 ちょうどそこは道の駅になってたので休憩と洗車の目的で寄ってみる事にした。 というのも林道を通ったためにアホほど単車が汚れたからね。 ロープウェイ見てみると往復で2400円も取られるらしくこの金額を見て まぁ歩きでもよかったかなぁと無理やり自分を納得させる事にした。 歩きの時間2時間と2400円、どっちを選ぶかっつったらオレは前者だもの。
第二十二番 平等寺(びょうどうじ)
やっと普通の寺、救われる思いでした。 しかしここの寺をまわってから次の寺まで回り道をする事に。 実はここまで寺巡りと共に道の駅のスタンプラリーのほうもやってたんですよ。 あまりにも見るものないから、四国。 このときはまだ道の駅全部行くつもり満々だったので30キロほど引き返すことに。これが後になって響いてきたんだよな。。。。
第二十三番 薬王寺(やくおうじ)
ここで徳島県の寺は終了。24番からは高知県になります。 ここから次の寺までは約80キロ、歩きの人なら通常3日かかるっていわれてます。場所は室戸岬の最南端。 この薬王寺をまわった時点で時間は午後4時。 あと1時間で80キロの道を行けるかな? つうことでちょっと賭けをしてみました。
結果、到着時刻は5時10分前後。ぎりぎり間に合わずだった。 途中道の駅によってスタンプおしてなければ間に合ってたのなぁ。。。 つうわけでこの日はこの寺のふもとにある公共パーキングで野宿をすることに。 そこにいた歩きのお遍路さん、大学生の坂本くんと仲良くなり一緒に室戸岬の展望台で夕日を眺めた。前後に瀬戸内海と太平洋があるのは圧巻だ。 めちゃめちゃ景色が綺麗だった。思わず大声で叫んでました。 2時間ほど歓談した後、彼は民宿に予約を入れているというので別れる事に。 オレの方もガソリンが底をつきかけてたのであまり動けず。 やる事もないので9時には寝た。
途中何度か目を覚ましたなぁ、やはり野宿でテントなしだと安心して熟睡できない。常に気を張り詰めているという状態なのでちょっとつらかったかな。 このへんは室戸スカイラインつーのがあってこのへんの走り屋さんたちが多く集まるところらしく、それ系の車が結構行き交ってた。あとは虫や動物たちもたくさんいたなぁ。寺の境内とかでもいいから屋根と囲いのあるところに泊まりたいと切実に思った日でもあったな。
2001年08月25日(土) |
お遍路開始(四国巡礼編) |
徳島のフェリーターミナルについたのが午前4時半。 まだ暗いです。夜明けまではあと1時間ちょいってとこかな。 初めての土地をあんまり暗い中でうろつくのもアレなんで徳島港でちょいと待機。 バイクの側でふたたび仮眠を取る事にしました。 コンタクトつけながら寝るつーのはどうにも苦手です。
しばらくして夜が明けてきたのでそのへんぐるぐる周って見る事に。 とりあえず徳島つってどこへ観光するのかまったく思いつかなかったので駅と県庁を見ることに。とりあえずそのへん見とけばその土地に来たんだなぁって実感できるからね。 感想>駅は結構でかかった。県庁は特に感想はなし。普通の建物だ。その他に町並みにはちょっと目を見張るところがあった。マリーナが異常に多いんです。 それこそ県庁から1km圏内ってくらいにマリーナが建ち並んでた気がする。 ちなみにマリーナって中型クラスの船の停泊所です。徳島の感想はこんなもんだったと思う。
つーわけで市内観光を一通りすませた後、お遍路スタートってことで 第一番霊場霊山寺(りょうぜんじ)へ。 到着したのが午前6時半くらいだったかな。 寺は7時から始まるので駐車場でちょいと待機。 だんだんと遍路始めの人が集まってくるのがなかなか風情があった。 やはり老人が多い。あとは子供。20代、30代つーのはやっぱ少ないのかなぁと思いつつ、7時になったので寺に入る。
まずは遍路用品をそろえないと意味がない。白衣と数珠、線香にロウソク、それに納経帳と納め札は必須だ。事前に調べていたよりもかなり安い値段でそろえることが出来た。これらに加えて金剛杖がどうしても欲しかったんだけど残念ながらバイクに積載するのはかなり難儀かなぁと思ったので全部まわってから記念に買うという方向で落ち着いた。
そこの売店で遍路のやり方とかを聞いて始める事に。 基本的には各寺で本堂と大師堂へ行き、それぞれに線香3本とロウソクをお供え、 納め札とお賽銭を納めてお経を唱える、それから納経所へ行って300円支払って 納経帳に記入してもらうというのがお参りの仕方。本堂と大師堂でそれぞれやらなきゃいけないところがちょいと面倒なことではあるんだけれどもまぁしょうがない。
つうわけで準備も整い、お遍路開始です。まずはこの霊山寺(りょうぜんじ)で それらの作法を一通りすませ、次の寺へ。
第二番 極楽寺(ごくらくじ) 1番からはバイクで5分くらい。近いです。 ここで富山から来たというSV650Sに乗ったおっちゃんとちょいと世間話を。 旅の醍醐味ですね。若干オレの方が早く終わったので次の寺へ。 このおっちゃんとは12番の寺までほぼ一緒にまわることになります。
第三番 金泉寺(こんせんじ) 第四番 大日寺(だいにちじ) 第五番 地蔵寺(じぞうじ) 第六番 安楽寺(あんらくじ) 第七番 十楽寺(じゅうらくじ) 第八番 熊谷寺(くまたにじ) 第九番 法輪寺(ほうりんじ)
このへんは何事も泣く通過。9番終えた時点でだいたい昼くらいだったかなぁ。
第十番 切幡寺(きりはたじ) 初めて山の上にあるお寺に遭遇。333段の石段をひたすら登った。 つらかった。汗ダラダラ。SVのおっちゃん曰く、バイクなら頂上の寺のすぐ側までいけたのこと、石段駆け上がった苦労がその一言ですべて吹き飛んだ。
第十一番 藤井寺(ふじいでら) ここも普通に通過
第十二番 焼山寺(しょうさんじ) この日一番の辛さでした。標高が約1000メートル、とりあえずバイクで頂上までいけたものの路面はアスファルトチックなダートっていうんでしょうか。 つぎはぎだらけで路面ボコボコのコンクリートの急斜面をずーっと登ってました。 これで雨だったり暗かったりしたら最悪なんだろうなぁ、歩きの人たちかわいそうだなぁとか思いつつ、この寺をあとに。下りはものすごく怖かった。 ちなみにここでここまで一緒だったSVのおっちゃんと別れる事に。 次の13番にたどり着くまでにえらい時間がかかったのが原因なんだけど。。。
第十三番 大日寺(だいにちじ) 12番からここまでってあんまり距離は離れてないんですがなんか地図が読みにくくて到着するまでに2時間近くかかってしまった。本来なら30分くらいでいけるところらしいんだけどね。おまけに道路沿いにあって民家かなんかと同じように並んでたので見つかりにくかったという事もあった。もうちっと目立てよ、寺。 ここで福岡から来たビラーゴに乗ったおっちゃんと知り合う。
第十四番 常楽寺(じょうらくじ) 第十五番 国分寺(こくぶんじ) ここまで終わった時点で定刻の5時になったので遍路活動はお終いです。 ビラーゴのおっちゃんは徳島市内のユースホステルに行くということなので 市内までナビしてあげました。 オレは家を出てから風呂に入ってなかったのでさすがに風呂に入りたいということで健康センターへ行く事に。徳島には鳴門市にあるということなので片道1時間くらいかけてそこへ向かいました。深夜料金合わせて2300円はけっこう良心的だ。隣人のいびきと遠くから聞こえる親父ドモの話し声に悩ませられつつこの日の活動は終了。
1日走りどおしだったけど北海道に比べてガソリンの減りが少ない。 納経代以外はそんなに出費のでなかった日だったな。
2001年08月24日(金) |
和歌山フェリー(四国巡礼編) |
昨晩ずっと走りとおしてたのでさすがにこれ以上走ったら事故って死ぬ というくらいまで心も体もボロボロだったのでとりあえず公園で寝てました。 翌日の朝7時に徳島の第一番霊場霊山寺(りょうざんじ)という自分の中での勝手な予定を立ててたのでそれまでは気楽にぶらぶらしてました。 結局和歌山ついたのがこの日の23時ちょいすぎくらいだったかなぁ。 それからフェリーターミナルつーか券売所のベンチで2時間くらい仮眠を取った後、午前2時半和歌山発のフェリーに乗り込んだ。徳島港着は4時半だ。
和歌山港は大洗に比べたらせまくて施設もそんなに充実してなかった。やっぱ1日に10便以上もあると待合所なんかにはそんなに気を使わないんだろうなぁ。 券売所のにーちゃんもガラ悪かったし。フェリー発着所も色々あることがわかった。物心ついてからは大洗しか利用した事がなかったしな。
フェリーの中でもふたたび睡眠。 2時間だろーとなんだろーと寝れる時に寝ておかないと後でつらくなるからね。
つうわけで続きは翌日へ。
2001年08月23日(木) |
そして旅立ちへ(四国巡礼編) |
さて台風も去ったという事で待ちに待った旅立ちです。 こう何回も旅すると必要最低限のものしか持っていかなくなるようで、先日まで行ってた北海道のときよりもさらに少ない荷物で行った。
荷造りも済んだところでリビングいって飯食おうと思ったらウチの母御がぶっ倒れてた。どうやら朝から熱が下がらないらしい。9度2分くらいまで上がってた。 さすがに放っておく事もできず、家人(父と弟)を呼び戻す事にする。 オヤジは釣りで弟はスロット、そんで当人はこれから旅。なんつー家族だよな。 とりあえず母親のほうは立つこともかなわなかったのでタクシーすら呼べず。 車はオヤジが乗ってったのでオヤジ待ちで病院へ行く事に。 それを見届けてからの旅立ちとなった。なんか不安な旅立ちだよなぁ。。。
この日は一気に大阪まで行く予定。もうこの辺の道は慣れたもんで時間の計算も休憩ポイント&給油ポイントとかは把握してる。きついけどいくらか安心だ。 いつも行くルートといってもほぼR1をひた走るだけなんで楽といえば楽かなぁ。 R1は静岡からいくつかのバイパスが出ていてそれを通ると早いんだが昼間はそのへんみんな有料、午後10時をすぎると無料になるのでいつもそれにあわせて 静岡につくようにしてる。静岡まではR246をひたすら直進。沼津が終着だ。 だいたい家からだと3時間くらいかなぁ。沼津まで行くとそこからR1、5つくらいのバイパス通ります。単車だと料金合計して1000円くらいだったかなぁ。 それをけちるためにわざわざいつも夜に出てます。
沼津からR1に合流したときにえらく元気のいいホーネットくんに遭遇。 発進するときかならずウィリーかましてくるんです。あきらかにオレ意識してたな、ヤツ。まぁそういうのもキライではないので結局バトルです。直線のみのシグナルバトルなのでアクセルワークと単車の性能だけの勝負なんですが。。。。。 負けました。250のホーネットかと思いきや、えらくエンジンがでかい! よーく見てみると600じゃないですか。んでパーツ見回すとえらくいじくってるんだもの。400超えると馬力の規制が100馬力まではなくなるので圧倒的に不利。ずるいよなぁ。。。。ちなみにCBは53馬力、ホーネットの600は95馬力。PWRとかも考えるとやっぱ勝てません。
まぁそんなこんなで愛知突入。愛知の場合R1をひたすら走ると名古屋市内をつっきる羽目になるのでいけません。昼だろうが夜だろうがとても混みます。 名古屋手前の豊橋あたりでR23に乗り換えて三重の四日市までこちら。 そのほうが圧倒的に早いです。四日市からはまたR1、あとは大阪までひた走り。 だいたい11時間くらいの道のりでしたかね。 いくら慣れてもこの道はつらいなぁ。。。。
今日は昼からT山家へ。 外に出たら土砂降りだ。 車で行こうと思ったけど弟が使うようだったので迎えにこさせた。 最近車乗ってないなぁ。 今日もT山家で映画観賞。ホワイトアウトだ。 納得行かないなぁ、あの映画。矛盾多すぎだって。 でも銃撃戦やら爆撃だのがやたら多くてちょっとアメリカ映画っぽかった。
見終わった後、外に出てみたら案の定晴れてた。出発は今日でもよかったかなぁ とちょいと思ってみたものの準備と心構えがまだできてなかったのでやはり明日。
明日は長い1日になりそうだなぁ。。。千葉〜和歌山間を一気に駆け抜ける予定。 願わくば青森〜自宅よりも短い距離であって欲しい。
北海道日記コンプリート。ヒマだったら御覧ください。 なおどこかの日にも書きましたが見る祭は北海道の地図を片手に読まれると 一層楽しむ事ができるかと思います。
ここんとこT山くんと映画ばっか見てる。 今日で4本目、今日はカルという映画を見ました。 劇場公開してないらしく俺はそれまでまったく知らなかった。
ひさびさに考えさせられる映画でした。&一人じゃあんまりみたくない。 劇場公開されなかった理由ってこのへんからなんだろうなぁって思うわ。 結構残酷なのね、これ。でももう一度見たいと思った。 最後がとても納得いかない終わり方だったし。
自宅の近くの角煮屋つーラーメン屋で夜食を食う。胃がもたれた。 腹いてぇ。。。
本日23時くらいからT山家にてMI2上映会。 ありゃすごいね。内容は単純だけどアクションがすごい。 素手で岩壁上ったり高度何千メートルのところから飛び降りたり バイクでアクセルターンやったり。。。 真似してみたいけどしたら怪我するんだろな。 スタントなのか本人なのかは知らんけどやった人すごいわ。ただただ尊敬。 明日は昼からT山家にてホワイトアウトとカルを観る予定。 どうせ雨だろーしね。
普段というか生まれてからあまり映画を見るという習性が自分にはないらしい。 なぜかわからないがずっと画面の前でじっとしているというのは苦手らしいのだ。 同じところでじっとしているのが苦痛なんだろうな。だからどこでも持っていける本とかゲームボーイとかは自分の中で重宝されるらしい。プレステはおろかスーパーファミコンも買わなかった原因というのはこの辺にあるのではないだろうかと思う。映画自体も多分今年になってからは初めてじゃないかと思う。自分から行こうと言い出すことはまずない。例によってT山が行こうといったので行く羽目になった。別に映画自体は嫌いじゃない。ただ見始めるまでが億劫なだけなんだ。 つーわけで今日は市川妙典まで行ってジュラシックパーク3を見てきた。ナイトショーだったので普段よりも安価な1200円。迫力はあったが内容はなかった。まぁ見るのは一度でいいかと思う。その後、いつものとおりM本くんに電話してみると、彼を混ぜてもう一本なんか見るかということになりM本家でバトルロワイヤルをビデオで見ることに。。。。 俺は一度本で読んでいたので内容にはついていけたと思うのだが、あれはいきなり映画を見るとほとんど理解できないと思われる。登場人物が多すぎるし話のテンポが速い。やはりあれももう一度見るという気にはなれなかったな。
でもあれだ。映画はこれから見なきゃいけないと思った。あそこから得られるモノというのはかなり大きいと思う。立ち振る舞いや言葉遣い。見習うものは多いと思う。人間的に成長する上でかかせないカテゴリーの一つではないだろうか。 明日もT山家で見ることになるだろう。どうせ雨だしね。
時たまというかほぼ毎日一緒に遊んでいるT山くん。それに加えてM本つーやつがいる。だいたい夜はこの三人でいることが多い。なにしてるかっていえば特に何もしてない。ラーメン食いにいったり、寿司食いに行ったり、ファミレスいったり。 ギャンブル関係なしの健全な友人関係築いているやつらの一人です。知ってる人は知ってるかもしれないけど以前に彼のシビックの助手席に乗って峠を走ってたときに死にそうな目にあったことがあります。当然、シビックは廃車、そのときの状況がまた二度と同じ目にはあいたくないつーくらい悲惨な出来事だったので詳細はふせておきます。 さてそのM本くん、数ヶ月前からバイク欲しい病にとりつかれたらしく俺のCB見るたんびに「バイクほしー」「いいなー」などと言ってたので免許取れ取れ、バイク買え買えとそそのかし、教習所行きとバイク購入を決めたそうだ。つーわけでT山もつれて近くの某赤男爵に連れてってバイクの見積もりさせました。9月の下旬には俺とツーリング行くってのたまわってます。このM本くんは前のバイト先で一緒だったのでぼちぼち付き合いも4年になる。入ったときすでに大学生やってて来年もまた大学生やるそうだ。まぁこういう生き方もありなんだろうな。
北海道日記は少しずつ書いていきます。 次に旅立つまでには全部書き上げたいなぁ。
次に旅立つのは台風の様子を見てやりたいのでおそらく22日の夜が有望かな 調布の花火大会を見に行ってその足でいこうかな。 今度は一人旅なので好き勝手にできる。 テントほしいなぁ。。。
え〜え〜え〜家に帰るとおちつきますね。 つーかダラダラしても平気になるところがあれだ。 イイ感じで自堕落しているということが実感できる。
朝起きて、飯食って、昼寝して飯食って。そんで夜から友達と遊ぶみたいな。
台風が接近してるらしくてちょいと様子見することに決定。 四国出発は20日の予定だったけど遅らせます。 台風11号がそれたら出発しよう。 雨の日の野宿はつらすぎるって。。。マヂで。
2001年08月16日(木) |
帰宅へ(北海道旅行編) |
午前7時、10日ぶりに本州の土を踏みました。 フェリーの待ちで2時間、フェリー内で4時間睡眠は取ったんですが けっこうヘロヘロです。今日の予定は一応青森〜仙台までおよそ350キロという 道のりの予定だったんですが結局家まで帰ってきてしまった。。。 ちなみに仙台は青森〜東京の中継地点なので仙台〜東京も約350キロあります。 いままでは千葉〜大阪の池田という650キロが1日の最長走行距離だったんですがここで自己ベスト更新。こんな自己ベストはカナリの勢いで更新したくないですな。まぁそれはいいとして今日の出来事を簡単に。 今日は仙台の牛タンを晩飯に食おうということだったので最初はけっこう楽な気持ちで走ってました。夕方6時につくとしても11時間。11時間で350キロなら 楽です。楽。と思ってましたが案の定岩手抜けたあたりでヘロヘロ度120%くらい。渋滞なのと暑いのとで死にそうになってました。本州は暑すぎる。。。 気温33度で路温40度ってなんですか?そんな中でちんたら走ってたら本気で死にたくなります。でもあれだ。リポD飲んだら一気に回復した。一時的な疲労回復にはやはりこういった栄養剤が役にたつわ。多量摂取はよくないけどこういうときは重宝されます。その後の仙台までの道のりは元気ハツラツってな感じで。。 到着は結局午後5時〜6時くらいだったかなぁ。。。 目当ての牛タン屋はお盆休みとのことだったので残念ながら他の店になってしまった。ちなみに目当てのほうは「太助」という名前の店です。仙台行く事あったらゼヒ一度食してみてください。まじで美味い。今回いったところもそれなりに美味かったので一応満足することにはしました。その後は同行者のウ氏と別れ、一人帰路へつくことに。なんか昼間のリポDがまだ効いてたのか、やたら元気だったんで帰る事にしました。宿泊代ももったいないかなぁと思ったので。 家についたのは午前2時。無事到着できたのはやっぱりうれしい。
青森〜仙台が350キロ、約10時間 仙台〜東京も350キロ、こっちは約6時間でつきました。 青森から国道4号線をひたすら走り、高速はおろか有料道路もつかわずに行きました。いや〜疲れた(笑) 今晩はゆっくり寝ます。
2001年08月15日(水) |
最終日(北海道旅行編) |
この日の予定。 午前3時に函館からフェリーに乗って本土上陸すればいいのでだいぶ余裕がある行程になった。と思う。宿泊先である洞爺湖畔のライダーハウスを午前8時に出発。 温泉へ行こうということになり対岸の洞爺温泉郷に向かう事になったのだが、これといったモノにめぐり合えず、とりあえずコンビニで朝食を取るだけにとどまった。 地図でどこか温泉はないものかと探してみると伊達市というところに温泉があるじゃないかということで一路伊達温泉へ。やはり温泉は気持ちがいい。だが昼間入るのは間違っているという事に気づいた。基本的に風呂というのは疲れる。1日の始めに入るとその後ずっと疲れる。この北海道旅行で昼間に温泉というのはこれで2回経験したのだが、この入った日だけが俺がヘロヘロだったと思われる。あとは基本的には元気だったし。風呂というのは夜入り逃したら入るものではないな。もし翌日入るのであればシャワーだけにとどめておく事を推奨。これなら疲れない。 とまぁ風呂講釈はこのくらいにしておき、その後昼飯。 長万部のバイキングで昼飯。相席になったライダーが話し掛けてきた。 「いやーススキノよかったっすね。自分ハマっちゃいましたよ。」 だからなんだ。こっちは札幌は素通りだっつーの。 つーかいくらライダーどうしだからっつって最初に話し掛ける言葉がそれじゃ品性下劣ですって自己紹介してるようなもんだろ。もうちっと分わきまえろよな。旅の恥はかきすてとは言うけれど、もうちっと自制しろよ。 メニューのほうはバイキングだったのでいろいろ食したが基本的には長万部名物のカニ飯。これさえ食すればここでのミッションはコンプリート。最終目的地である函館に向かう事になった。この長万部から函館の間だが見事なまでに観光名所というものがない。ちょっと見たいものがあるとなると結構な回り道をしないといけないので体力的問題から直接函館に向かう事になる。途中牧場やら昆布館やらには寄ってみたが全て国道5号線沿い。ちなみに国道5号線は函館から小樽経由で札幌までの幹線道路である。 結局函館についたのが午後6時くらいだったか?フェリー出発まで9時間くらいあるのでとりあえず晩飯。ウ氏がカニ一匹をひたすら貪り食ってたのが印象的でした。食ってる間一言もしゃべらず黙々と食べてたことが。。。 そのあと函館山からの夜景を見るといっていったん別行動になりました。 俺の場合はわざわざ金払ってまで見たくはないとその時思ったのでフェリーターミナルの方に引き返して仮眠でも取ろうと思った次第で。 結局霧のために夜景はみれずウ氏も引き返してきましたが。
これで北海道もしばらく行く事はないんだろうな。 同行者の方々には結構申し訳ないことをしたとおもってます。 自分にあわせてのスケジュールをほぼ強行させた気がするので。 でもいい経験になりました。ありがとうございます。
2001年08月14日(火) |
目って大事だよな(北海道旅行編) |
この日は、夕張の富野無料休憩所からのスタート。 なるべく早めの出発にしたかったので早起きを意識してたのだがその心配もなかった。2メートルくらい先で寝転がっていたオヤジの鼾と虫のプ〜ンプ〜ンという音が気になって早めに目が覚めた。それでも6時間くらいは寝たような気がするので体力的には充分回復。札幌へ向かう事になりました。札幌着は午前8〜9時くらいだったかな?当然こんな時間に札幌見物をしてもやることないのでテレビ塔と大通公園、時計台と道庁を見て終わりになりました。夜くればもうちっと他にやることもあったんだろうけどね。(笑) その後札幌から小樽へ。この間ちょっとしたというかかなり重大なハプニングがありました。コンタクト破けたんですよ。コンタクト付け始めてから4,5年たちますが初めての出来事でした。左眼がぜんぜん見えなくなり、走行に支障をきたすと判断したので以降ずっとメガネでの走行になりました。かなり厄介モノです。 メガネで走ること自体がそんなに好きじゃないんだよね。なにしろ路面が荒れてるとメガネがゆれて焦点が定まらない時とかある。まぁそれもこれももうちっと鼻がたかければ解決する事なんだろうけどこればっかりはしょうがない。
小樽着は午前10時〜11時くらいだったかな?運河周辺の倉庫街などを一望したあと、積丹半島へ。 某氏曰く、小樽は期待外れだったらしい。何を求めてたんだろうか。。。 前々から見たいところの一つだった神威岬があるところです。それとウニ丼かな。稚内でのウニ丼が非常にアレだったのでウ氏をけしかけて半ば無理やり連れてきたんです。(最初は札幌か小樽あたりから別行動するつもりだった。)幸いにして積丹でのウニ丼には満足されたらしい。俺も北海道来るまではあまりウニは好んで食べるほうじゃなかったけど今回ので克服。これ以降、おいしいウニは食べれそうです。 その後は神威岬から別行動。やはり岬の先端まで歩きで往復40分つーのでダルかったんだろうなぁ。俺もひたすら疲れたし。でもそれに見合う景色は見れた気がする。それからはニセコを経て今日の目的地の洞爺湖へ。ニセコのパノラマラインは最高でした。頂上付近でキツネ見たし。峠道っておもろいですね。なんでみんな走りたがるか少しわかった気がする。次回はもうちっと左カーブの練習しよう。 右に比べてあまりに遅すぎるという批判が相次いだので。左利きの人は左カーブ苦手つーのはウソじゃなかったね。これは街乗りしてたんではわからんかったと思う。 洞爺湖畔のライダーハウスには6時ごろ到着。その日の晩飯は炭火をつかっての焼肉でした。ちょっぴりアウトドアな気分に浸れてよかった。ただ洞爺湖で毎日やっているという花火はちょっと失望。対岸から見たのでとても小さかった。これじゃあ花火を見たっていわないって。。。。。 この日もコンタクト以外は大きなトラブルはなく無事終了。
2001年08月13日(月) |
こんなところで。。。(北海道旅行編) |
旭川の健康ランドを午前9時くらいに出発だったかな? たまりにたまった洗濯物の処理とエンジンオイルの交換をしようかと 思ったのでこんな時間になってしまった。まぁどっちみちこの日は たいして移動する気はなかったのでこれくらいでちょうどいいかという 感じになりました。俺の場合、バイクを購入したのが赤男爵ってとこだったんですがこういうとき全国チェーンの店は助かる。オイルリザーブシステムってのに 入ったんですが、これ入ると全国どこでもオイル交換が規定料金でできるって システムらしくちょいと助かった。あとコインランドリーつーものは多分生まれて 初めて利用したと思う。生まれてこの方ずーっと自宅暮らししてる人にとっては コインランドリーなんて無縁のものではないかと思うんだがどうだろうか? 結局旭川を出たのはお昼くらいかな?旭川からは南下して富良野へ。北の国からとキャプテン翼をよく知ってる人は多分なじみのある土地じゃないかと思う。 時期があえば一面のラベンダー畑が美しい所らしい。 どうやら時期があわなかったらしくたいして眺めはよくなかった。 その後は十勝岳へ。北海道に来てまだ露天風呂に入ってないじゃないかということになり露天風呂を求めて十勝岳に行ったんですよ。入浴料が800円とまぁ割高ではあったんですがよかった。入浴後は富良野駅近辺にて牛刺身丼(1900円)というのを食す。美味である。それこそ味王みたいに口から光が漏れてきそうなくらいの 味だった。いままで食べた丼モノのなかでも最上位に位置するくらいだと思う。 「くまげら」って店だったかなぁ。行く機会があればゼヒもう一度食べてみたい ところだ。 富良野を後にしてこの日の宿泊地の夕張へ。予定では札幌近辺までは行きたかったんだけどどうやら時間が許してくれなかったらしくこの辺で宿を取る事に。夕張メロンを食った後に夕張駅の近くにある無料のライダーハウスへ。ここは夕張市の第三セクターが建てた施設らしくとても綺麗なところだった。 ついた瞬間にすいかを差し出された。冷えててとても美味かった。 この日も心地よく寝れた。この旅で睡眠不足という言葉は無縁のものらしい。
2001年08月12日(日) |
つらくながい1日(北海道旅行編) |
サロマ湖のライダーハウスに宿泊しててこういう流れになった。 やっぱサロマ湖来たら日の出か日の入りはみなきゃだめだろ。 つーわけで午前三時におきましたよ。まだ暗いっての。。。。 つーかこの日記を書いてる時間が午前三時(8月22日) 目覚しをセットしたはずがなぜか作動せずに結局ウ氏に起こしてもらう事に。 とりあえず1回ここに戻ってきて朝日を拝んだらまた寝るということになったので ほとんど何ももたずにサロマ湖畔へ出かけました。 やっぱ暗い道の北海道つーのはいかんねぇ。。。 街灯もあまりなく対向車もない。ほんとに真っ暗なんだよ。 別に暗いのが怖いってわけでもないけどもうちっと明かりつけてくれても いいかなぁって思った。 無事朝日を見終わった後,いったんライダーハウスへ戻るもののあまり眠れず。 早々に出発することになりました。この日の行程は稚内までという事でした。 が、途中温泉寄ったり宗谷岬で最北端到達の感慨にふけったりしつつも稚内到着は午後1時くらいだったかな。ちょうど昼飯時でした。稚内ではウニ丼食おうということだったのでガイドブックにのっていたノシャップ岬の樺太というライダーびいき?の店で3千円もするウニ丼くいました。みんな食ってるときは寡黙でした。 俺はいままで生きてきた中でウニつーのをほとんど食したことがなかったので美味いまずいの識別つーのがいまいちできなかったんだが同行者のウ氏に言わせるとそうとう不味かったらしい。こんなことなら稚内港でやっていた海産物の浜焼きのほうがよほどよかったけど、ウニ丼に3千円も使ってなおかつ他の飯を食うというのは財布のほうが許してくれなかったらしく泣く泣く断念。 稚内を後にしてもうちっと南へ進む事になりました。予定としては美深かもうちょい手前で宿を取るつもりだったんですが、疲れてたのかなんなのか見過ごしたつーかなんなのか、通り過ぎてしまいました。もうそろそろ日も暮れ、いいかげん宿も探さなきゃってことで地図を見回したはいいものの道北中央って何もないんだよな。名寄に無料のキャンプ場がありバンガローが2名から利用できるって書いてあったのでとりあえずそこへ向かう事に。 見てビックリ。スゴイところだった。あんなところで泊まるくらいならまだ道路の脇に寝たほうがまだマシという感じで。シーズン中のキャンプ場なのに人っ子一人いないんだわ。おまけに周囲は森林、なんかでそうな雰囲気いっぱいでとてもじゃないが野宿って感じじゃなかった。林の近くには必ずといっていいほど「熊出没注意」の看板がある北海道なのでこういうところはちょいとまずいだろうということに。おまけにそこにたどりつくまではダート道だったのでマイバイクじゃちと辛いというのもあった。キャンプ場の様子を見に行くのにはウ氏のバイクを使って見てきたわけで。。。。途中一台の車が停まってて中で若いカップルが×××してたんだがそこの目の前をバイクで2往復もしてしまったためにどこかに行ってしまった。悪いことしたなぁ。。。ちょっとした目の保養にはなったけど。 つうわけでもう日もしっかり沈み、ちょいと途方に暮れ気味になり、協議の結果旭川の健康センターを目指す事に。ライダーハウスは夕方くらいまでが受け付けだし、いまさら野宿ってのもあれなんで結局そういうことに落ち着いた。 旭川到着は午後9時。心身ともに疲れ果てた一日でした。
この日は600キロ近く走った。 つるんでのツーリングじゃ二度と走りたくない距離だ。
2001年08月11日(土) |
別離(北海道旅行編) |
根室の民宿「高野」を出た後、納沙布岬へ。 ここは日本最東端のところ。今回の目的の一つでもあります。 今回はとにかく最北端と最東端には行こうと決めていたわけなんで。。。 ここで帯広のライダーハウスで一緒になった新婚さんとまたもや遭遇。 思い返してみるとこの新婚さん、帯広で一緒になり、阿寒湖へ向かう途中のローソンからも見かけ、摩周湖でもバイクだけ確認し、また納沙布岬でも遭遇。 うちらと同じだなぁ。。。この先も会うのだろうかと思っていたら、ここで終わりだったらしい。それ以降遭遇する事はなかった。 つうかこの時期になると各地で見たバイクがまた目の前に現れたりして結構おもしろい。やっぱみんな見るところはおんなじなんだなぁとつくづく思い知らされた。 さて、納沙布岬を見物し、北方領土見物証明書なるものをゲット(ちなみにこのときは曇り、北方領土なんてものは見えてない)してから根室を後にしました。 ここでU君とはお別れになります。13日までに苫小牧に到着してフェリーに乗らねばならないという彼の予定からしてこの先の同道は無理と判断。以降はウ氏との二人旅になりました。予定としては知床を通過して網走近辺までというのがこの日の予定。Uくんは旭川へつければ上出来ということでした。 そして羅臼にて海馬肉というものを食した後、網走を通過してサロマ湖へ。 知床はもうちっと時間と元気が欲しかった。 思い返してみると知床五湖行ってみたかったなぁ。。。 サロマ湖ではホタテが美味かった。ちなみに俺は貝類が食えません。 しかし今回の旅は「モノはためし」つーのが自分の中でのスローガンだったので なるべくその土地の名物は全部食おうつーことで食いました。ホタテの浜焼き。 美味、美味、美味。これでホタテは食えるようになりました。 その日のライダーハウスは食堂の主人が経営していてそこで飯を食べると宿泊費が無料となるシステム。そこでもまたひたすらホタテを食べ、今日はひたすらホタテ尽くしだった気がするなぁ。
本日で道東エリア終了。翌日から道北エリアになります。 今度来るときは道東だけでもいいからもうちっと堪能したい。
2001年08月10日(金) |
いまは根室です(北海道旅行編)追加バージョン |
昨日書き忘れたらなんかめんどくさくなったので書くのやめた。帰ってからまとめてやります。
つーわけで追加修正。 この日は帯広スタート。 とりあえず海沿い走るのは飽きたってことなんで峠道っぽいところを走ろうという ことになり、直接釧路ではなくて阿寒湖と摩周湖を見物したあとに向かいましょう ってことになった。やはり峠はいいねぇ。ゆっくり走っててもそれなりに楽しめる。 だけどあれだわ。タイトなコーナーを連続して走るとわかるんだけど左折が苦手なんだよねぇ。。。右カーブだったら80キロくらいで曲がれる道が左カーブになると40〜60キロくらいまでスピード落とさないと曲がれないんだわ。 これで後ろを走ってたウ氏にかなり迷惑かけた。 夏のツーリング終わったら練習しないとなぁ。。。 つーことで摩周湖到着。阿寒湖も綺麗だったけど摩周湖はよかった。。。 幸いにして訪れたときは快晴! かなりいい眺めだった。。。
湖見物が一通りすんだので進路は南へ 釧路湿原を左手に釧路市内を目指します。 昼飯は釧路でって考えがはなれなかったんだろうなぁ 昨日とまったライダーハウスで仕入れた情報に 釧路の和商市場はたいしたことないっていわれてたので あまり気はすすまなかったのだが「モノハタメシ」つーわけでいってみました。 行ってみるとなーんか微妙にイメージと違うんだよなぁ。 思ったより手狭で海からも多少遠くにあって、なんか普通の建物って感じのところでした。とりあえず思ったよりも値段は高くならないだろうということで和商市場名物の勝手丼を食す事に。全部で1500円くらいだったかな。俺は。 飯を食ったという事でとりあえず進路を東へ。 一応俺の希望としては根室まで行きたかったんだけど同行者の意見と天候を見ると ちょっときついかなぁって思い始めた。北海道上陸してから毎日1回は雨にやられてるんだよなぁ。案の定厚岸あたりで雨にふられ、3人ともぼろぼろになりながら 東を目指してました。中継地点のキリタップというところでここで泊まるか先にすすむかということになったんだが結局根室へ行く事に。この時点で根室にあるライダーハウスの受付は間に合わないだろうってことだったんだが根室にはなにかあるだろうということになり、根室に希望を抱いて向かったわけなんだな。 結局午後7時くらいかな?根室到着は。 そっから宿探しってなったんだけどやはり安いところは全くなく、無料で泊まれそうな施設もなかったので渋々民宿へ。素泊まり三千円ってところでまぁ妥協線だ。 しかし根室はこの日お祭り。かなり夏の気分に浸れたのでよかった。 けっこうでかいお祭りだったらしく近隣から人が集まってた模様。 神輿やら山車やら出ててかなり気分よくなれました。
この日は布団で寝れたのでみなさん朝までぐっすり。 いい休養がとれたことと思います。
2001年08月09日(木) |
高速作る意味あるん?(北海道旅行編) |
健康センターで一夜を明かした後の翌日午前7時。 どうもこの日はあまり睡眠がとれなかった。 いや、風呂なんかはとても気持ちよかったんだけどね。 なにせ他の人たちのいびきのすごいことすごいこと。 北海道の人たちは鼻の構造ちがうんじゃないかってくらい うるさくて寝れなかったんだわ。 こんなうるさい中で安眠なんてできないさ。だってデリケートだもの。
今日の予定は帯広まで。同行者たちは帯広になにか過剰な期待を寄せてるみたいで ひたすらユニクロといってました。ただ苫小牧から直接いったんではあまりに芸が ないってことなのでえりも岬経由で行く事に。 こうすると直線距離150キロくらいの行程が350キロくらいに増えます。 幸いにして朝は晴れていたので気分よく走ることが出来ました。 道中でまともな朝食をとることもできたので爽快って感じです。 苫小牧から襟裳岬までひたすら海沿いを南下。 雨に降られたりなんだりしましたが正午過ぎに無事到着。 このあたりは風がものすごかった。5メートル後方でクラクション鳴らしても 気づかないんだもんなぁ。不幸にして襟裳岬近辺のレストランを通過してしまい 空腹と戦いながら食堂をさがしてました。途中に通った黄金道路はよかったなぁ。 なにがいいってわけでもないけどなんか道南通ってるよっていう一種の郷愁感に ひたることができました。 夕刻六時くらいには無事帯広のライダーハウスに到着。 荷物を置いてさっそく市内見物へ。 帯広もそうだが北海道の都市っていうのはなぜか縦横に道路が張り巡らされていて 北3条東5条って塩梅で地理的にけっこうわかりやすい造りになっている。 京都と同じだね。結局ユニクロは発見できず。後日どっかのライダーハウスで一緒になったオネーチャンも道内でユニクロ探してたらしい。釧路などにもなかったのできっとユニクロはまだ北海道にはあまり進出してないんじゃないかと思った。 しかしライダーハウスってのはいいね。色々な人と話ができるのでよい。 バイク乗っててよかったと思えることの一つだ。集団で旅しているとそんなに味わえないかもしれないがこういう行く先々で人との触れ合いをもつ事が できるってのはいい事だ。普通に生活してたら絶対に味わえない。 だから旅をやめられないんだろうなぁと思う。
つうか初めてUくんの後ろにのっかりました。 クラッチワークもうちょい練習したほうがええよ。 つなぐたびにガクガクいうから。あんま人のこと言えんけどね。 明日から道東の予定。ここから東は俺も初体験。楽しみです。
2001年08月08日(水) |
北の大地(北海道旅行編)追加バージョン |
上陸しました。小雨が降っていたので当初予定していた洞爺湖の花火見物をキャンセル。宿を求めて一路苫小牧へ。雨はひどくなるは前は暗くて見えないはで最悪の初日でした。強いていうならダメもとではいったラーメン屋がそこそこおいしかったくらいかな。店出た瞬間に名前忘れたけど。後で聞いたら町役場という名前らしい。今、現在は苫小牧のフェリーターミナル。うまくいけば今日の宿はココの予定。もう動きたくないや。
上記が携帯での日記。 ここから下方修正していきます。 苫小牧のフェリーターミナルからの出来事。 結局ここのターミナルは深夜0時をもって閉まるとのことだったので 再びねぐらを探しにさまよう事になった。同じ事考えてたチャリダーの人は とくにカワイソウだったと思う。しかし彼はターミナルの玄関の横でテントを 開いて再び睡眠についたようだ。こういうときテントって羨ましいと思う。 しかし男三人が公共建築物の敷地内でテント広げて睡眠ってのは ちょっとどうかと思う。ああいうのは一人だからまだ許されるんだろうな。 集団でやるならキャンプ場行けってことなんだろうな。きっと。 つーかこの時点で雨みたいな潮みたいななんだかわからないモノの被害を確認。 最悪でした。ほっといたら確実にサビます。やばい。。。。 とりあえず応急処置(ウエットティッシュでふく)だけ済まして寝床さがしに。 つーか寝床さがしでそれほど距離走るわけにもいかないんだよねぇ。。。 なにせガソリンない。スタンドはいくらでもあったんだけどとりあえず俺の中で 北海道でのガス補給はホクレンでってのが頭の中にあったのだが上陸してから ここまで一軒もないんだわ、ホクレン。結局苫小牧市内にある健康センターで 休養する事に決定。上陸初日からとんでもなく疲れた一日だったな。
2001年08月07日(火) |
大洗(北海道旅行編)追加バージョン |
携帯からでも書き込みできるというタレこみがあったのでめんどくさいとは思いながらも暇には勝てないので書いてみることにしようと思う。とはいっても字数制限があるのであくまで簡易ばーじょん。帰ってから詳細まとめるっつーことにします。同行者たちは2時半ごろウチに到着。入るなりだるいだるいを連発してくれました。一休みして3時半に出発。大洗港には7時ごろかな、着いたのは。美空ひばりを眺めつつ出航まちの最中。どんな旅になるんだろーなー。
上記が携帯からつーことでちょいとだけ補足。 とはいってもこの日は23時出航ということなので特に書く事はないかな。
これから北海道日記を読んでいく上で一つだけ注意をば。 日記を読んでくれる方へ。 北海道の地図を手元に持ちながら読まれるとより楽しむ事ができると思います。 つーかそうして読んでください。地名がわからないとつまらないでしょ? あとは1日どれだけ走ったのかっていうのもわかってくれるとうれしいです。 ちなみに今回の題名の大洗。これは茨城の水戸から海に向かったところにあると思います。関東からフェリーで北海道に行くにはここから行く事になります。 都心からだと120キロくらいのところかな。はっきりいって田舎です。 中心部に銀行とかがあまりないところ。
2001年08月06日(月) |
VS ZZR1100 |
テレコムセンターでのバイトも無事?終了。 電話待ち受け業務の仕事だったのに6時間入ってたのに、取った電話が全部で8件 あとはやる事ないのでテレビをぼーっと眺めてた。通販業務だけに通販のテレビを延々と。。。外人わんさか、おきまり日本語ってなパターンです。でもずーっと見てると欲しくなるのが人情ってなもんだよな。1万や2万であれ買えるならちょっと買っちゃおーかなぁとか思ったりしてしまうからテレビって怖い。 結局ヒマ疲れ。まぁ夜が心地よく寝れるなぁと思いつつ帰路についたわけで。
えーと舞浜大橋わたった辺りですかね。わかりやすくいうと葛西の観覧車が身近に見えるあの橋の手前あたりでした。渋滞してる車を縫って走行してる俺を後ろからあっというまにすり抜けていった一台のバイクがありました。 ヤツの名はZZR1100。一昔前のKawasakiのフラッグシップモデル。 ZX−12Rが出る前まではKawasaki最強を誇ってたバイクです。 あまりにむかついた抜かれ方されたんで次の信号でとっ捕まえてシグナルバトル やらかしました。信号から信号までをヨーイドンってあれです。 スタートだけだったね、タメ張れたのは。やはり排気量の差はでかい。 こちらは400cc、それにたいしてあっちは1100cc、トルクの太さも3倍近くとスペック的に見ればかないっこないですね。勝てるとするなら年式くらいかなぁ、こっちは最新型の400cc最強つーだけだしね。750くらいならまだ勝負できたけどやはりリッターバイクはつらかった。 マフラーとハイテンションコードとプラグの強化を図りたいなぁ。。。
明日から北海道、しばらく日記もおやすみですね。 続きは帰ってからまとめてアップって形になるだろうなぁ。
人間ヒマになるとなにしでかすかわからないですね。 今日は外に出ようか出るまいかちょいと迷ってたんですが 1日中家にいるとやはり体の調子がいまいちということになってしまうので 出歩いた。いつものように散歩?である。 ブックオフへいって100均いって、ちかくのホームセンター行って、ってな感じでぶらぶらとしてた。 なんか財布をみたら珍しく漱石さんがたくさんいたので本をまとめ買い。 本といっても漫画だけど。。。 来年社会人になるってことでサラリーマン金太郎を買うのはワンパターン? 嶋耕作に手を出すのもありかなぁとも思ったけど金太郎を10冊くらい購入。 カバチタレも最近欲しくなったなぁ。。。 旅行から帰ってきたらまとめて買ってしまおう。
カキ氷が歯にしみる。。。
あーそうそう、今日HONDAのバイク屋さんに行ってタイヤに窒素ガスを充填してもらってきました。どんなもんだからしらないけど千円くらいでできたのでまぁいいかって感じで。。。どうせそろそろ空気圧調整しなきゃと思ってたときだからちょうどいいやとも思ったわけで。空気のほうは買ったときと大差なかったよって店の人はいってたけどね。。
起きてからずっとドラクエ。
あとちょいでクリア。
でもあれだ。
しばらく終わりそうにないよなぁ。。。。。
続きがいっぱいあんだもんよ、あれ。
バイト三日目。 ここテレコムセンターでのバイトも随分となれました。 つーかこれだけの研修に3日もかけるほうがどうかしてると思うんだが。。
はい、あーぺーせーです。うんたらかんたら。。。。(以下略) ひたすらこれの繰り返しです。あとは端末にデータ入力。 楽だよ楽。
つーかあれだ。テレコムセンターに1階から入るときに回転ドアを通るんだけどね。アレの側を通るとき、なぜか耳元からか脳からかはわからんけどキーンという音がひたすらするんだよね。自分ニュータイプに覚醒か?って思ったけどどうなんだろ?
帰りに市川IC近くの新行徳橋近辺で信号待ちしてたら見慣れたSteedが止まってた。前のバイト先で一緒だったKです。やめた今なら何の問題もないんだけどね。一緒に仕事したくはなかったんだよなぁ。。だって四六時中タバコくさいかなんかわけのわからない臭さを発しているんだもの。
発している匂いの我慢できないやつは好きじゃありません。 結構匂いって大事よ。
滞りなく終了。
テレコムセンターってこのバイトするまで入ったことなかったが意図がよくわかりません。展望台があってそこは金とるし、ドコモタウンという名の遊戯施設?が存在し、なおかつコンビニ、銀行、会社までいろんなテナント入ってます。 つうかお台場ってampmが多い。。。。ような気がする。 まぁあそこのコンビニは変わった具のおにぎりがたくさんあるのでよいかも。
今日もなぜかしらんがウ氏と会う。ラーメン食って帰っただけだけど。 よく会うなぁ。まぁ時期的にこんなもんだとは思うが。 もう一人はさっぱり連絡つかず。心配である。
2001年08月01日(水) |
電車はやはり不便だ。 |
バイトです。今日から3日連続、飛んで月曜も然り。 隠れる前にかっちり稼いでおかないと先が不安だわ。 つーわけで行ってきました。お台場です。 あいかわらずあそこは電車では行きづらい場所です。 同様に車でも行きたくない場所ですね。船もバスも飛行機やヘリもまた然り。 やっぱりバイク、バイクですよ。 これを見た皆さん、今がチャンスだ、免許を取ろう。 それでバイクに乗ろう。 世界が広がります。 行動範囲が広がります。 視野が広がります。 めくるめくステキな世界がキミをまってるぞ、そら、いけ! 話が大きく横にずれてしまった気がしないでもない。 そんなことはどうでもいいとしてお台場です。 ゆっくりいってウチから1時間、とばしてなおかつ道路が空いていてさらに信号の接続がいいと40分弱でつきます、お台場。 バイト内容?テレコムセンターにてテレオペの仕事だよ。文句ある? なんか多いよね、そのバイトやるの、イヤだっていってなかったっけ?とかいう 突っ込みはこの際虫蟲無視。今回は研修が3日で実働が1日という内容です。 初日の今日はひたすらアーペーセーについての講義でした。 ジャン・トゥイトゥがどーたらこーたら。フランスがどーたらこーたら。 若い人たちをターゲットにうんたらかんたら。そんな感じで7時間。 いままでにあまり興味がなかった範囲なのでかなりの勢いでチンプンカンプン。 さっぱりわけがわからない。だいたい服一着に10万という価値観がおれに あるわけもなく、漠然とした知識のみが頭に入っていった模様。 今も昔もこれからもこんな世界には縁はないでしょうみたいな勢いでした。 ここんとこ一日が過ぎるのがうれしい今日この頃。 夏なのに肌寒い夕暮れ時でもありました。
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