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2003年05月16日(金) うつつ

5月だというのに。おそらく10度以下だったと思われる。冬と夏だけのカナダ。

朝からあいにくの雨。昨日からの体調不良がさらに悪化し、已む無く学校は欠席。それでもブラントフォードに戻る約束はやはり果たさねばという思いがありお昼前には重い体を無理に起こす。栄養食品を一口だけ口にしてから、アンドレアへのプレゼントを買うため近距離ながらバスを使ってGift of Artへ。昨日と同じ人がいた。デザイナーか。珍しく感じのよい男性。ピアノモチーフのメモパッドを購入。いったん部屋に戻ってから、すぐにバスターミナルへ。

途中でトランペットを演奏している老人を見かけた。一度目は、雨に濡れるであろうに、信号のすぐ下で「雨に唄えば」他、ミュージカル作品を軽快に演奏していた。二度目は場所を変えたようでマーケットプレイスの入り口のした。音色と、響きそのものが、このロンドンの町並みと驚くほどに馴染んでいたうえ、道行く人の表情も、演奏の前ではまた違ったものに見えた。私も真似したくなった。そう思っただけ。

音楽はいい。たとえ空気の汚れた街でも、たとえ天気が悪くても、気持ちを軽やかにしてくれる。

バスは苦手。たいていは眠ってしまうまでに時間がかかる。それまで、遠くを見る目で(本当に遠くを見ているのだが)窓の外を眺める。とくにこれといって珍しい景色でもない。こういう状況は考え事をせずにはいられないのだ。普段あえて考えないようなことを、無意識か意識的か、記憶から持ち出し、それを辿り、物語化したりしている。脳内で悲劇なり演じるのは、想像の自由は許されるとしても、かといって創造力の強化には決してならないのだから。単に、夢の続きだろう。


2003年05月09日(金) ホームシック

同じダウンタウンと呼ばれる地域とはいえ、ここはこんなにも居心地が良い。

ブラントフォード一時帰宅。途中バスの中で寝ていたが、気がつくと馴染みのある町並み。ほんの1週間離れていただけであるにもかかわらず、まるで1年ぶりに異国から故郷に帰りついたような感動だった。同時にものすごい安心感を覚えた。

ターミナルの外で、Ericの車を待つ。数分後道路の向こうの車から誰かが叫ぶ。車が、方向の関係なのか、まったく別のものに見えたので、私ではないだろうと思い、ふと目を遣っただけで、また視線を正面に戻した。“Maki!”二度目にして、確かに私を呼ぶ声だと気付く。車の窓から顔を出しているのはまさしくLogan。笑顔を隠しきれないまま道路を横断し、彼らの元へ。I missed you!!!互いに言葉を掛け合い再会を喜んだ。そしてさらなる安堵感。

一度トレイシーの店に戻る。アンドレアにも久々に会った。

ただのホームシックかと思っていた。しかし離れてみて初めて、どれだけ私の周りに居てくれた人たちが大切だったかに気付くことがある。どれだけの安息の中に生活していたかということがわかる。


それでも日曜日にはまた騒音とネオンの街ダウンタウン、ロンドンに戻らなければならないというのは億劫だが。しかし耐えてみせよう。


2003年05月08日(木) 日本食をご馳走になる

学校は10分遅刻。午前中は眠いので沈黙を通す。お昼は公園側のカフェで。またしても特大のコーヒーを頼んでしまう。目が覚めたのかも分からないまま午後のクラスへ。リーディングだったが、自分の順番が回ってくるまではほとんど参加せず。座っているのが必ずしも参加とは言わないのは分かってはいたが。終了後shinobuと、近くにあるという日本食の店へ。むしろ中国の食材のほうが多かったが、某有名メーカーの醤油とか各種調味料が日本の倍以上の値段で売られていた。私としては、こんなに払ってまでも、まだ日本食が恋しいかということだ。答えはNo。何も買わずに出る。夕食はShinobuに再びお世話になった。彼女の料理は、全くお世辞はなく美味しいので、感動も感謝も伝えきれないくらいだった。


2003年05月07日(水) 期待過剰でした

いつも居場所を探して彷徨っていた。しかし、結局ここだと確信できる場所に出会えない。今居る場所が最高の場所だということに、悲しいかな後になって気付くことしかできない。

Mein lieber Freund!


2003年05月01日(木) 一歩。一般論。

頭痛が続いている。今の季節、どういうわけか体調が思わしくない日が続くのは日本に居ても同じだ。

明け方の嵐がまるで嘘だったかのように、日中は風も温かく、空は晴れ渡っていた。ベルばらのビデオを見ながら朝食。そのあと半地下で勉強しようとするも、頭が冴えずなかなか進まない。思い切って中断し、外出。ウォルマートの方向へ、かなりの距離があると思うが歩く。本当に、今日は散歩日和だったので、部屋にこもっているよりずっと良かっただろう。新鮮な空気のおかげで、家に戻って来たときには頭痛も心なしか軽くなっている気がした。

夜なかなか寝つけない。寝つけないとなるとどうしても何らかの思いや考え事に耽ってしまう。それでますます寝られないのだが。ホームシックではないが、妙に、自宅や大学周辺を思い出しては懐かしんだりしている。その影響で、一時的に実家に帰っていたり、バイト先のダイエーにいたりする夢を何度も見た。まあ確かに、家の方が安心する通りだ。頭痛以外の、ある症状も環境変化によるストレスが原因だとか言われ、私はそれを完全に否定していたが、やはり自分の家が最も落ち着くことのできる場所だと分かった。考えてみてようやく分かった。それでも、今の場所は好きだ。気持ちの奥深くにはいつも、不安という要素が存在しているけれど、日々新しい発見を求めて、すべてが貴重な経験となるように、毎日を過ごしたいと決心したはずだ。この場所で。

かつての自分を比べると、今随分と「ポジティブ」な一面が見受けられるようになった。こんなにも変わるものなのか。何かが私を変えたのか。もちろん答えは決まっているが。

悩みも不安も自分では常に多く抱えている気がしてならないが、以前との唯一の違いは、対処の仕方そのものにあるだろう。以前はただ、悩むことが生きがいであるかのように悩み続け、悩み抜き、物事が解決しようがしまいが、時間が過ぎてようやくそれが取るに足らないような悩みであったことに気付くという繰り返しだった。自分では何もせず。客観的に見ようともせず。何が不安にさせているのか、そして自分に原因があるのかないのか、それを少しでも真剣に考えることを忘れてはならないと思う。一般論的に述べると、過去や、そのときにはどうしようもない不安に捕らわれることは少なからずあるだろう。しかしそれでも時間は確実に過ぎてゆく。たまにはペースを落としてもいいから、確実に一歩ずつ進まなければならない。その積み重ねで、成長し続けなければならないのだと。「仕方がない」と諦めるのは、全てが終わってから。

と、君が意味するのはこういうことでしょうか?

随分と間が開いてしまったが、ルディあての手紙を投函した。メール自体あまり好きではないが、かといって手紙を頻繁に、しかも気軽に書く習慣もないので、ついつい先延ばししてしまいがちだったが。手紙というのは、書けるあるいは書きたいと思ったその時が、書くときである。それに相手への気持ちが強ければそれだけ筆も進むことだろう。同時にそれだけの慎重さと緊張感も欠いてはならないが。

肉筆ならではの温かさが好き。

来週はオンタリオ州ロンドン進出のため、その準備に取り掛からなければならない。今日はこれまでとしよう。

「縁」というのを、君は信じるか。


川村 |MAIL