地上懐想
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2001年06月01日(金) |
プラハ、1989 - 2003 |
今日、職場のPCからインターネットのニュースを読んでいたら、チェコのハベル大統領退任という文字が目に飛び込んできた。
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「大統領としての13年間を終え、みなさんにさようならを言います」。 ビロード革命の立役者、チェコのバツラフ・ハベル大統領(66)が2日、退任し、89年12月に就任宣言をしたプラハ城の官邸のバルコニーから、国民に別れを告げた。
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89年秋の、一連の東欧革命は忘れられない。 ベルリン、チェコスロヴァキア、ルーマニア・・・「東」と呼ばれていた国の体制が次々と崩壊していく様を、TVを通して毎日リアルタイムで見ていた。
とりわけ、チェコスロヴァキアは・・・ あの国の革命では死者がほとんど出なかった。 プラハのヴァーツラフ広場には連日、大勢の市民が集まっていた。 皆、胸に「市民フォーラム」のバッジをつけて、あくまで理性的に、忍耐強く。 あの人々の姿は「成熟した市民」そのものだった。
プラハには特別の思い入れがあった。 10代の頃に見た、プラハを舞台にした映像作品を通して、 また、「旅」というものを教えていただいた大学の恩師を通して。 そしてドヴォルザークの音を通して。 あの都市の抱え持つ美しさに憧れていた。
革命から3ヶ月後、90年の1月に私は東欧へ向かった。 ベルリン − プラハ − ウィーンという旅の行程を組んだ。 もともとその時期に旅をする予定があったのだが、 行き先を、と考えた時、 やはりどうしてもあの革命の現場に身を置いてみたかった。
ベルリン・ブランデンブルク門周辺のあの時期だけの奇妙な風景、 プラハの言いようのない美しさと、喜びに溢れてデモをする人々。 (小学生だけのデモ隊というのも見かけた!) 古い街並みに響くシュプレヒコール・・・
そのことを書きたいとずっと思っているのだけれど、なかなか時間がとれない。
でも今日、ハベル大統領のことだけは書いておきたい。
プラハ城の敷地内を歩いていたら、ものすごい数の修道女達が城内の官邸前に集まっていた。 そのうちバルコニーに、就任したばかりのハベル大統領が出てきて、彼女達に手を振った。 彼女達も皆、笑顔で手を振りかえしていた。
いま推測するに、旧体制下で修道生活が禁じられていたシスター達が、 革命によって「自由の身」となり、 その感謝をハベル大統領に伝えるため全国から集まっていたのかもしれない。
何より印象的だったのは、私のような外国人旅行者もその場にいられるくらいに、 警備がゆるやかだったこと。 日本では考えられない。 劇作家で、旧体制下では投獄されたこともあるハベル大統領らしいと思った。 人々との間にけっして壁をつくらないのだ。
来日した時に出演したTVのニュース番組で、 司会者の隣でずっと机のふちをいじっていたのも微笑ましくて忘れられない姿。
退任後は、これまで大統領職のためにできなかった執筆活動を再開するという。
回顧録の出版が待ち遠しい。
2003 02/03 23:29 記
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