地上懐想
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マントンという町に行くことを、長いあいだ夢見ていた。 マルセイユからニースを経て、さらにモナコの先、イタリア国境のすぐ手前にある海辺の町。
はじめてこの町のことを知ったのは20代の頃、日曜の午前にかならず見ていた旅のTV番組だった。 海上から町の全景を撮った映像が忘れられなかった−−レンガ色をしたたくさんの屋根が、坂にそって連なり小山のようになって、その中からひときわ高く、ひとつの塔が天に向かってのびている風景を。
98年の春、ほとんど突発的にフランスへの一人旅を思いたった時、まず決めたのがマントンへ行くことだった。
旅のガイドブックを見ても、マントンの町の紹介はごく短い。 大きな美術館とか、見学の対象になるような歴史的な建造物といったものもない。
けれども、フランス国内の、地中海に沿う他の町を訪れたことがないので、コートダジュールといえば、わたしにとってはこの町である。 そして、それまで遠くからわずかな時間だけ見るのみだった地中海を、日がな一日何するともなく眺め、初めてその水に手をひたしたのも。
その日、海辺から見た地中海は、明るい緑色をしていた。翡翠色、というのだろうか。 そんな色の海を見るのははじめてだった。 4月の下旬、あたたかな光がふりそそいでいた。 沖合いの海面の照りかえしも、そんなに眩しくはない。 シエスタで人けのなくなった海岸。きこえてくるのは、波の音ばかり。
美しい地上の幸福につつまれている。
いったいわたしがどんな善い事をしたからといって、こんな幸福が与えられてくるのか。 この祝福の記憶さえあれば、多くのことを捨てることになってもいい、と思った。 捨てるというより、手放すということだけれども。
わたしは、わたしなりに誠実に決心したつもりだったのだが・・・。
いつか、ふたたびこの町を訪れることはあるだろうか。 訪れても、訪れなくてもいいように思う。 そんなふうに解き放たれつつある自分がいる。
マントンの海辺で決心したことは、その後、実現には至らなかったけれども、 いろんなことから解き放たれて、あるいは手放して、 それでも静かでいられる自分というものを、20代の、旅の夢を追っていたあの頃は想像もしなかった。
2002.3.7 記
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