地上懐想
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2001年01月06日(土) マントンの海辺

マントンという町に行くことを、長いあいだ夢見ていた。
マルセイユからニースを経て、さらにモナコの先、イタリア国境のすぐ手前にある海辺の町。

はじめてこの町のことを知ったのは20代の頃、日曜の午前にかならず見ていた旅のTV番組だった。
海上から町の全景を撮った映像が忘れられなかった−−レンガ色をしたたくさんの屋根が、坂にそって連なり小山のようになって、その中からひときわ高く、ひとつの塔が天に向かってのびている風景を。

98年の春、ほとんど突発的にフランスへの一人旅を思いたった時、まず決めたのがマントンへ行くことだった。

旅のガイドブックを見ても、マントンの町の紹介はごく短い。
大きな美術館とか、見学の対象になるような歴史的な建造物といったものもない。

けれども、フランス国内の、地中海に沿う他の町を訪れたことがないので、コートダジュールといえば、わたしにとってはこの町である。
そして、それまで遠くからわずかな時間だけ見るのみだった地中海を、日がな一日何するともなく眺め、初めてその水に手をひたしたのも。

その日、海辺から見た地中海は、明るい緑色をしていた。翡翠色、というのだろうか。
そんな色の海を見るのははじめてだった。
4月の下旬、あたたかな光がふりそそいでいた。
沖合いの海面の照りかえしも、そんなに眩しくはない。
シエスタで人けのなくなった海岸。きこえてくるのは、波の音ばかり。

美しい地上の幸福につつまれている。

いったいわたしがどんな善い事をしたからといって、こんな幸福が与えられてくるのか。
この祝福の記憶さえあれば、多くのことを捨てることになってもいい、と思った。
捨てるというより、手放すということだけれども。

わたしは、わたしなりに誠実に決心したつもりだったのだが・・・。



いつか、ふたたびこの町を訪れることはあるだろうか。
訪れても、訪れなくてもいいように思う。
そんなふうに解き放たれつつある自分がいる。

マントンの海辺で決心したことは、その後、実現には至らなかったけれども、
いろんなことから解き放たれて、あるいは手放して、
それでも静かでいられる自分というものを、20代の、旅の夢を追っていたあの頃は想像もしなかった。

2002.3.7 記


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