砂漠の図書室
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2003年01月05日(日) 『いつくしみ深き』


先週、あるサイトが閉鎖された。
とても美しい名前の女性が運営する、掲示板が一つあるきりのサイトだった。
閉鎖は、その方の体調のためだった。

7月に開設されてから閉鎖されるまでの半年間、その掲示板では毎日、美しいことについて語られていた。

一日にひとつ、美しいものを見つける。
目に映る自然の美しさ、ふと通りすがりにかかわりを持った人の美しさ、いのちの美しさ・・・
そうした神の現れの美しさを、管理人さんや参加者の方々が日々持ちよって、分かちあっていた。

私は開設されてしばらくして、その掲示板の存在を知った。
昼休みになると、毎日見に行っていた。
そのころ個人的にとてもつらい日々を送っていたので、そこに寄せられるメッセージの一つ一つが心に沁みて仕方なかった。

いつだったか、どなたかがその掲示板に「ここは天国のようですね」と書かれていた。
ほんとうにそんな感じだった。
それぞれ本名も知らず、職業も肩書もまったく知らない人同士が、お互いを祈りあったり、どなたかのご家族やお友達についてみんなで祈ったり・・・そんな姿が天国の風景のようだと思った。


掲示板を続けていくというのは、じつはとても大変なことではないかと思う。
書いてくれたメッセージに答えて何かを伝えたいと思ったら、相手のことを思いめぐらす時間が必要だから。(内容によって、かかる時間はちがってくるにしろ)
そしてどんな管理者にも、日々の生活が掲示板とは別にあって、人間には1日24時間という限られた時間しか与えられていないのだから。

その方はいつも、じつに丁寧な、祈りのこめられたレスをつけておられた。
毎日ではなくても、あのレスの深さとその方の体調のことを思うと、そこにかける時間とエネルギーはたいへんなものだったと思う。

管理人さん自ら、ご自身の病のことを書かれていたこともあった。
小さなことの背後に神を見る・・そうした霊性が好きとも言っておられた。
でもその小さなことをしていくだけでも、今の体調ではとても大変なのだと言われたのは、最後の最後になってからだった。

でも参加者の誰もがずっと、その方のお身体のことを気づかっていた。
その方に無理をかけたくないと、書き込みを最後まで控えた方もきっとおられたと思う。
誰もが管理人さんとそのサイトを慈しんでいた。
そんな優しいつながり方がとても好きだった。
奇跡のような掲示板だった・・・


「いつくしみ深き」という讃美歌がある。
どなたかが、その歌詞とともにメッセージを寄せ、以後、ときどきその讃美歌のことが話題にのぼった。

ある祈りの集いに行った折りにその曲が歌われて、私はその掲示板に集う人々のことを思い出さずにはいられなかった。
そのことを掲示板に書こうと思っていたら、次の日に管理人さんが「昨日、祈りの集いに行ったところ、『いつくしみ深き』が歌われて・・」と書かれていた。
私と同じ集いに参加されていたのである。
お互い、まったく知らないままに、同じ時間に同じ聖堂で、同じ掲示板の人々のことを思いつつ祈っていたのだった。

サイトが閉鎖される日は夜半まで、いろいろな人の「ありがとう」のメッセージが書き込まれつづけた。
管理人さんが最後のメッセージでくりかえし書かれていた言葉。

「主の御国が来ますように・・・・御国が来ますように・・・」


天国はこの地上で始まっている、という三位一体のエリザベットの言葉がある。
天国はすでにあの掲示板で始まっていたと思う。



「いつくしみ深き」・・・この曲は学生時代の合唱団で何十回となく歌って、じつに思い出深い。
指揮者の先生がクリスチャンの方で、練習の最後には必ずなにか讃美歌を1曲歌っていたが、先生のいちばんのお気に入りがこの曲だったのだ。

出だしの、あの優しさに満ちた旋律を思っただけで胸がいっぱいになる。


「いつくしみ深き」

いつくしみ深き 友なるイエスは
罪とが憂いを とり去りたもう。
こころの嘆きを 包まず述べて
などかはおろさぬ 負える重荷を。

いつくしみ深き 友なるイエスは
われらの弱きを 知りて憐れむ。
悩みかなしみに 沈めるときも
祈りにこたえて 慰めたまわん。

いつくしみ深き 友なるイエスは
かわらぬ愛もて 導きたもう。
世の友われらを 棄て去るときも
祈りにこたえて いたわりたまわん。



MIDI および この曲の解説
http://www.geocities.co.jp/Broadway/3875/whatafriend.html


2003 01/22 21:54 記


clara-p |MAIL