管理人日記
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 ピアノ界のパンク

菅野美穂主演のフジ子・ヘミングのドラマを見た。

私が以前聞いた話によると、フジ子のお母さんはもっと激しく理不尽な人だったような気がしたが、まあ、いいお母さんね、と思わせるような話になっていた。

あまりの個性と才能っぷりに日本国内では伸び悩んでいたフジコはドイツ留学し、そこでもリストの曲なんか弾いて「それはジプシーの曲だあ!」などどドイツ人に殴られたりしていたが(やはりジプシーって忌み嫌われているのね…)、ここ一番ってとこで運が悪い人だった。

ドイツでぼろぼろになって暮らしていても、お母さんに顔向けできない、お母さんは私を認めない、お母さんが恐いって日本に60歳くらいになるまで帰れなかったのだが、母の死をきっかけに日本の自宅に帰ってみたら壁じゅうにいっぱいフジコの新聞記事やら写真やらが貼ってあったのだ。

そこで、自分は母に愛されていた、認められていたと気づいたと聞いていたのだがTVドラマでは一枚ピアノの上にフジコの新聞写真が立ててあっただけになっていた。

それじゃあここの親子の壮絶な関係がわかりにくいんじゃないかな〜と思ったが、虐待っぽいから変えたのか、それとも私が以前聞いたのが間違っていたのかわからなくなってしまった。どっちがホントなんだろ?

ま、その話は置いといて、フジコのピアノだよ、ピアノ。なんというか〜重いというか、どす黒いというかとにかく闇に吸い込まれるような凄い弾き方なんだよな。とにかく個性的で衝撃を受ける。

私も4歳から13歳までピアノやっていたけどセンセイから言われるのは、とにかく楽譜の解釈通りに弾くことだった。

イタリア語でだんだん大きくとか、だんだん小さくとかやさしくとか、命令の形容詞がピアノ(というかクラシック音楽)にはがたくさんある。そしてこの曲を弾く早さがあらかじめ楽譜に書いてあり決まっているのでその範囲内で解釈して弾くんだが、当時の私には大変面白くなかった。

それから加えて、運指(指運び)の練習練習練習!!まあ、ギター弾くにもこの運指って大切なことだからやらなきゃならないのだが、とにかくイヤでたまらなかった。練習のための練習曲ばかりで、じゃいつが本番で応用編なんだよっ、と突っ込みたくなる毎日だった。

自分の解釈で自由に弾けないクラシックがたまらなく退屈で坂本龍一やら、矢野晶子やらポピュラーピアノを弾くようになり、それから自分で曲を作るようになってからはすっかりクラシックピアノはご無沙汰していた。

そんなある日に大衝撃をくらったのが、スタグラフ・ブーニンである。彼は旧ソ連の天才ピアニストで私と同い年であったが、彼のデビューアルバムを聞いてぶったまげた。

それはショパンの「別れの曲」だったが、この解釈は!!!最初の数秒聞いてもう絶句。恐ろしく心をこめてゆっくりと引き出す第一楽章。こんな解釈していいって、私習ってないよっ、っつーかそんな風に弾いてる別れの曲を過去に聞いたことがないよ。これはピアノ界のパンクではないか!!

これは本当に天才なんだな〜とうらやましく思った。こんな弾き方が許される=弾きこなせる=考えられる…とにかくなんか敗北を感じたのだったよ。何かの天才って、凄いよなって自分の凡人っぷりをかみ締めたのだった。

世界的に賞をとったそんなブーニンにすら「ピアノの練習音がうるさい」だのなんだの文句つけておかしくさせて、アメリカ亡命までさせた旧ソ連て一体?(笑)やはりおかしな国だといえよう。

そしてフジ子・へミング。ブーニン以来の衝撃で彼女もまた私にパンクを感じさせたのだった。こんな弾き方ができるなんて。技巧的とは言えないらしいが、これはもはや魂のピアノだ。魂こがして(by ARB)だよ。

しかし基本のクラシック練習が山ほどあっての自分流、革新的なのピアノなのか、最初っから自分のやりたいようにやったらいいのか、それとも天才はどうやっても天才なのか。考えてしまうとこだね。

機会があったら一般的な街頭で売ってるような無名のピアノ弾きの弾くショパンのCDと、ブーニンやフジ子・ヘミングが弾くショパンの違いを聞き比べて見て下さい。永遠に変らないように見えるクラシック界にも明らかに改革を起こしてる人はいますっ!!ハイ。


2003年10月01日(水)
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