管理人日記
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 ジプシーのバイオリン引き

今でもありゃー白昼夢だったのかい?って光景が目に浮かぶ。

それは、イタリアのローマから地下鉄で20分くらいの郊外のチネチッタという駅の大型スーパーでのこと。

イタリアでは個人店がほとんどで、大型スーパーや百貨店っていうのは外資でないと存在しない。例外はリナ・シェンテという化粧品やらのデパートのみ。

代表的なイタリアのチェーン店だと思われているベネトンはイタリア国内では個人経営なので、ショップによって品揃えが全然違う。百貨店も日本の三越があるのみ。

だからチネチッタにできた大型スーパーってのはイタリアでも珍しかったのだよ。だからいろんな人が集まってくるんだ。いい人ばかりではない。ジプシーと言う名のホームレスも集まってくる。

ジプシーとは聞いたところによると、旧ユーゴスラビア難民である。国内は戦争でガタガタ。土地が陸続きな他国に難民として逃げるのであった。島国の日本では考えなれないことだよねえ〜

しかしイタリアなんかに逃げたところでやっぱ食ってかなくちゃならないので、様々なことをする。

オープンテラス(というのかな?)なレストランテなんかで飯を食っていると背後からヌッと子供が近づいてきて、花を買ってくれという。これは花売りの子供。花だけならいいが、親切な人が花を買おうと財布を出したところで引ったくりに早代わりなんてことも少ないのでご用心だし、とても悲しい。

そして親子で引ったくり。

「地球の歩き方」なんかにもよく書いてあるが、子供が旅行者の気を引き付けたところで母親がダンボール紙を持ち上げ、旅行者の目を隠し財布をひったくるというもの。まんまダンボールを持って歩いているんで絶対近寄らないようにする。

そしてやっぱり売春。

事情がよくわかならかった頃は、夕方街角でどう見ても15〜6歳の女の子が数人固まっているとその中に一人はお腹のでっかい子がいたのを「太って体格のいい子だな」と思っていた。それを連れにいうと「バカ、あれは妊娠してんだよっ、ジプシーの売春婦だよ」と言われた。そっかーと驚愕。だって、あれは子供だぞ。

いづれにしろ、親が体罰をくわえながらやらせてるそうだ。焼きごてあてたり、ものすごい殴ったりしてね。それがイタリア国内でも問題になり、救済措置がとられたそうだ。恐いよね。

イタリアではジプシーは忌み嫌われている。汚いってね。

話戻すけど、そのチネチッタの大型スーパーでのこと。この日はイタリアではウン十年ぶりというような零下80度の寒波がやってきていた。温暖な地中海性気候のイタリアではありえないような寒さだった。そんな寒波の日に出入り口の外側にピッタリと張り付くように(店内に入ると放り出される)ジプシーの少女がいた。20歳前だろうね。

彼女はものすごく痩せていて、しかもヒラヒラとした紫のインド綿のような服しか着てない。みんなダウンのコート着込んでも寒いっていってんだよ。アクセサリーは日本のインドショップなんかで買えるようなジャやジャラしたやつつけてる。そこで物乞いをしてるんだよ。私も話しかけられたよ。

「裕福なジャポネーゼ(日本の女)よ、どうかおめぐみを」

と言われた。私は自分は裕福ではないと思ったし、ここでお金をあげてしまうとますます働かないで物乞いだけするようになってしまうなと思うので、施しはしなかった。でも私は本当に裕福ではないのか?悩むよね。

貧乏旅行してるんだから、裕福ではないけど彼女らから見たら、私は裕福なんだよね。

どうしたらいいのか、自分には何ができるのか。

こういうときは非常に落ち込む。自分ひとりに何ができるのか、その場でお金をあげればいいのか、あげないほうがいのか。己の無力さを思い知る。加えて彼女はとても美しい女性だった。激寒の青空の下で、ユラユラ揺れながら物乞いする姿は紫の蝶々のよう。それはとても現実感が無かった。私が男だったら彼女をお買い上げしたりするんだろうな。

落ち込みながらも宿のある、中心街のレプップリカのほうに帰ってきた。ここには世界でも有名なブランドショップ街がある。プラダ、ヴィトン、エルメス、フェラガモ、ブルガリまだまだ有名な高級品が立ち並ぶ。

ふと気が付くと、初老の女性が立っていた。何をするのかな?と見ていると、高そうなバイオリンをハードケースから出し、そして静かに引きはじめた。それはバッハの曲だった。

彼女もジプシーだったのである。

指はかじかみ、真っ赤になっている。

時折吐く息は真っ白である。

しかし、彼女はこのブランド品街にふさわしく上品に、にこやかに笑いながらバイオリンを引き続けた。施しをたくさんもらえるように幸福そうに笑っていたのかもしれない。足元に空き缶がありそこに少々のコインが入れられていく。

もしかしたらこの人はユーゴを追われなかったら有名なバイオリン引きだったのかもしれない。あらぬ想像が膨らんでいく。

彼女はバイオリンのソリストとして、街角でずっと引き続けていた。

芸を披露してるジプシーにはお金をあげてもいいんじゃないか?でも私はお金を施せるような立派な人間だろうか?もしかしたらこの人の方がよっぽど人間的には優れた人かもしれない。

本当に寒く、私は鼻水が止まらなかった。

でも、このジプシーのバイオリン引きにはお金をあげることができなかった。相手を見下しているような気がしたのだ。

でも彼女はお金が欲しかったんだろうな。しかし、邂逅しただけ。

チネチッタの薄着のジプシー少女を何が違うんだろうか。

さっきはお金をあげなかった。

だからここでもお金を施さないことにしてしまった。

私のしたことは正しかったのか、正しくなかったのか、今でも考え、結論が出ない一件であった。

2003年08月23日(土)
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