一橋的雑記所
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※ホントは090111.その2。 まさか容量オーヴァーにつき。 27日付の続き。
イメージに合わない。 送りますよ、なんていわれて呆然としているあたしをさっさと助手席に誘導するや、いかつい車をいとも軽やかに発車させた彼女に向けて思わず口にした一言に、あの子は薄い苦笑いを浮かべた。
「よく言われちゃいますけど、でも、体が少々ちっさくても運転するのには別に支障ないんですよ?」 「や、サイズの問題だけじゃなくってさ。おっきい車って運転、辛そうじゃん?」 「んー、今時はパワステ……ハンドル軽くする仕掛けなんてどんな車種にも普通についてますし、後は車両感覚っていうか」 「しゃりょうかんかく?」 「ええと、ちょっとカッコいい言い方すると、車体の輪郭を自分の体みたいに感じ取れるセンスといいましょうか」
えへへ、と照れ交じりに説明するあの子にミラー越しに何ソレ、な顔みせたら案の定、得意げな表情は瞬く間に恥ずかしげに朱に染まりながら崩れていった。
「あー……スミマセン、水樹の癖に調子に乗りました……」 「やだな、そこまで言ってないよ」 「ていうか、あの、真面目な話、」
慎重だけれども臆病という程じゃない穏かな運転を続けながら、あの子は少しだけ表情を改める。
「実は私も最初はもっとこぢんまりっていうか、身の丈にあった可愛い車にしようかなあって思ってたんですけど、うちの親が『最初に乗るのは、ぶつけられても大丈夫な頑丈で大きい奴にしときなさい』って」 「へえ……」 「確かにそうかもしれないけどでも、自分からぶつけたとき、相手に酷い事になりそうだから怖いっ
て言ったら、『自分からぶつける心配しなきゃなんないほど自信ないんだったら車なんて乗っちゃ駄目』って」
その時のことでも思い出しているのか、あの子は目元を緩ませて小さく笑い声を立てる。余りにもあの子らしいエピソードに何気なく相槌を打ってから、なんでだろ、胸の奥にさくっと差込む感じを覚
えて、あたしは目を伏せた。
「……あ、えーと、ゆかりさん? 気分でも悪いですか?」 「あ、ううん、平気」 「あの、安全には気をつけてるつもりなんですけど、乗り心地が良い運転かと言うとさすがにそこまでは自信ないんで……すみません」 「大丈夫、奈々ちゃん、上手だよ?」 「ホントですか?」 「うん、タクシー乗ってるより普通にずっと、良い感じ」
胸はまだ少し痛いけれど、それは決してあの子の運転のせいなんかじゃない。ちらっと一瞬だけこちらに向けられた視線にあたしは強く頷いて見せた。
「ほんとほんと。このままどっか遠くへ乗せてってもらいたいくらい」 「遠くへ、ですか?」 「うん。うーんと遠くへ」
何故だか繰り返してしまったあたしの言葉に、あの子の横顔がほんの少し真剣になる。あたしは慌てて顔を背け、窓に軽く額を預けた。緩い冷房に冷やされたガラスのひやりとした感触が気持ち良い。
「――それじゃ、ホントに行っちゃいます……?」 「え?」
思いも掛けないほど真面目な声が返ってきたことに驚いて、振り返る。けれども、声とは裏腹に彼女の表情はどことなく悪戯っぽく崩れて見えた。
「実はですね、ワタクシ、今からちょっとばかり遠くへ出掛ける予定だったりするんです」 「え? 何? 今から?」 「ええ。打ち合わせも早く終りましたし、明日は午後からしかお仕事入ってませんし。だもんで、準備万端、今日のお仕事にも車で来ちゃいました」
笑い混じりに続けられた言葉に思わず振り返った後ろ座席には、ぱっつんぱつんのお仕事鞄以外にも、膨らんだボストンバッグっぽいのがぼてっと積み込まれている。
「今回はさすがに急すぎて、友だちにも振られちゃったんで、けえたんだけ預かってもらって独りで行くことになっちゃったんですけど」 「急すぎ……って、奈々ちゃん、そんなにしょっちゅう旅行とか、友だち誘ったりとか」 「ええ、まあ」
少しも悪びれない様子に、呆れるのとはまたちょっと違う、何だか落ち着かない気持ちになる。
「私と同じで不規則な仕事してる友だちが一人いて、いつもはその子に付き合ってもらってるんです。高校時代からの付き合いなんで、まあ大体の無理はきいて貰ってるっていうか」
何で、だろう。 よどみの無い運転と共に続くあの子のいつもどおりの饒舌が、そのまとう雰囲気も口調もいつもとは少し違って聴こえるのは。 何で、だろう。 いつものようには、上手く茶化せない気がする。 何でなんで、と繰り返す内に。 不意に気づいた。 あたしは。 こんな風に。 あたしの見知らぬ誰かのことを話すあの子を。 今まで全く、知らなかったことに。
「……ゆかりさん? ホントに大丈夫ですか?」
赤信号で止まった瞬間、こちらを覗きこむように体ごと近づいてきたあの子に、あたしは思わずびくり、と肩を震わせた。
「もしかして、やっぱりどこか具合……」 「何でもないよ、大丈夫」
あたしのテンションが変わる度に、酷く心配そうにちょっと自信なさげに下がる眉尻も。 何か言いたげに小さく開いたり閉じたりを繰り返す唇も。 いつもの、あの子のものでしかないのに。 その手は、ハンドルから離れなくて。 当たり前なんだけど、信号が変わった途端、その瞳も顔も、見慣れたそれとはちょっと違うものになっちゃうんだなって。 そんな当たり前の事にさえ、なんだか、ひどく、どきどきしている自分が、おかしくて。 だから。
「……ホントに」 「え?」 「連れてって、くれる?」
気付いたら、するり、と。 そんな言葉が、唇から零れ落ちていた。
「奈々ちゃんが今からいくとこに、あたしも、連れてって」
明日の仕事は、とか、誰に連絡も無しで大丈夫ですか、とか、そもそも旅行の仕度どうするんですか、とか。 青に変わってしまった信号に慌てて前に向き直りながら、矢継ぎ早に言葉を繰り出すあの子に。 明日はあたしも半日オフだから、とか、連絡なんてしなくても平気、とか、仕度なんてなくても出先で買えばいいじゃん、とか、あたしも間髪いれずに淡々と答え続ける。
「でもあの、結構遠くまで行く予定なんですけど。着いたら多分、晩ご飯時で、お買い物する暇なんて……そもそも、そんな便利なお店がある場所かどうかも分かりませんし」 「だったらちゃんと支度するからゆかりんちに寄って。どうせ送ってくれるつもりだったんでしょ?」 「そ、それはそうですけど、でも、」 「てか、ホントはやっぱり、連れて行きたくないんでしょ、ゆかりのことなんて。だったら、」
だったらなんで、って続けそうになった瞬間、ずきり、と胸の奥が今度ははっきりと痛んだ。 さっきのは多分、まさかあたしが乗り気になるなんて思っていなかったからこその冗談で。 だから、あの子もこうまでしつこく食い下がられるとは夢にも思わなかったに違いなくて。 でも、調子が良いだけじゃなくって、どっか気持ちの優しいところのあるあの子は。 こんな風に言われちゃったら、きっと、断り切れなくて困っちゃうだろう。 そこまで分かっていて、どうして、あたしは、こんなこと。 ぐるぐると回る考えと一緒に、こめかみを締め付けている鈍痛が、熱に代わる。 脈打つたびに、何かを打ち込まれるみたいに鈍い痛みが熱と一緒に溢れ出して、胸の中まで達するみたいで、まともにあの子の顔をみることも出来なくなる。
真っ直ぐに座っている事も難しくなったあたしは、胸元を自分の掌で抑えるようにして俯いた。
「…………」
小さな、溜息みたいな声であの子が何かを呟いた、けれども、痛みに気を取られていたあたしにはそ
れは意味のある言葉としては、感じ取れない。 気まずい沈黙に満たされたまま、あの子の車はいつしか、あたしのお家の近くに辿り着いていた。
「……着きましたよ?」
緩やかに路肩に停車させた後、あの子の遠慮がちな声があたしの肩を叩く。 ありがと、ごめんね、困らせて。 冗談だってば、もう、本気にしちゃって、やだな。 言うべきそれらの言葉は実際には、あたしの引き結ばれた唇からはこれっぽっちも紡ぎだされることは無くて。 すくんだままの身体も、動かなくて。 どうしたら良いのか分からないままじっとしていたら、小さなため息があの子の口元からもう一度零れ落ちて、瞬間、ぎくりと身体を強張らせた。
「……ゆかり、さん、」
躊躇うような、一瞬の間を置いて。 あの子は、うー、と軽く唸った。
「15分で、、仕度、してきてください」
……15分? 一体、何を言われたのか咄嗟には分からなくて、思わず振りかえる。 視線の先、ハンドルを両手で握り締めたままフロントガラスの向こうを見据えていたあの子は、困ったように、項垂れた。
「やっぱり駄目だって思ったらそのまま降りてこなくて良いです、15分経ったら、私、このまま一人で行きますんで」 「……奈々ちゃん?」 「あ、15分じゃ短すぎでしたか! じゃ、ええと、」 「……十分だと思う、けど」 「そ、ですか。分かりました、それじゃ、」 「まって、奈々ちゃんは……っ」
何故だか、泣きそうな顔で笑って目を逸らしてしまったあの子に、あたしは焦って声を被せた。
「ホントに、待っててくれる? ゆかりのこと、置いてかない?」
吃驚したように、あの子が勢い良く振り返る。 大きく見開かれた瞳が一瞬、泳いだ気がしたけれども、次の瞬間、へにゃり、といつもの困ったよう
な笑顔がその顔全体に浮んだ。
「そんなに、信用ないですか、私」 「や、だって、迷惑かなあって、流石に」 「そんなこと、無いです」
区切るように力強く返ってきた声に、寧ろ却って不安になる。 この子の優しさに、あたしは、時々、すごく、怖くなる。 真っ直ぐに邪気なく近づいてきたと思ったら、微妙な距離を置いて、あたしの出方を探って、それから慎重に言葉を紡いだり、かと思うと、思いもかけない行動に出たりする。 そんな、酷く曖昧な、なのにどこか大人びた反応に気付くたびに、あたしの胸には怯えにも似た、痛みが走る。 黙ってしまったわたしに何を思ったのか、いっそう苦笑を深くしながらあの子は、シートベルトを外し、後ろの席へと腕を伸ばした。
「それじゃ、これ、預けます」
言葉と共に、とっさに広げてしまったあたしの掌に、ずしり、と重い感触。 ルームランプを反射して、きらきらと輝くシルバーのチェーンに繋がれた、変わった形の鍵らしきものが、二つ。
「なに……これ?」 「鍵ですけど、私の部屋の」
鍵なのは分かってる、けど。 なんで、こんなもの。 戸惑うあたしを振り向きもせず、フロントグラスの向こうを見据えたまま、彼女は口元を綻ばせた。
「やっぱり、15分縛りは無しにします。けど、もし、行く気がなくなっちゃったら、これだけ返しに来て下さい。それまでは待ってますから」 「え? え? 奈々ちゃん?」 「これでも、信じてもらえませんか?」
笑い含みの、でも何だか苦しげな声を呟いて伏せられたあの子の首筋が、ほんのりと色づいているのに気付いて、あたしは鍵ごと自分の掌をぎゅっと握り締めた。
「……奈々ちゃん、へんなドラマの人みたい」 「え?! へ、へんなドラマって?!」 「仕度、もしかしたら一時間くらい掛かっちゃうかも」 「え、あ、さすがに一時間は……って聞いてます、ゆかりさん?!」
あの子の焦った声を背中に聴きながら、あたしはさっさと車を降りる。 あの子は、優しい。 馬鹿みたいに。 でも、その優しさを向けられることを恐れ続けているあたしは、多分。 もっと馬鹿なんだろう。 けど。 預けられた鍵を、着替えを詰めたボストンバッグの底に押し込みながら。 あたしは、少しだけ、泣きたくなっていた。
ええと。 でっかい黒い車を運転するシーンを書きたかった模様。 続くかどうかは、やっぱり未定(えーえー)。
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