Onry Me
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2001年05月14日(月) |
父がガンで死んだ時(2)12月:父がガンだと知った瞬間 |
1999年11月下旬のある日。 深夜に父がトイレで吐いていました。 私の部屋からトイレまでは廊下を挟んですぐの場所に ある為、父の吐いている苦しそうな声が私の部屋まで 聞こえて来たのですが、それが普通の吐き方ではなか ったのです。
とても長い時間に渡り、今まで聞いた事もないような 苦しそうな吐き声でした。
翌日、その事を父に尋ねると父は、昨日食べた肉マン が古くてそれがあたったんだろうと苦笑しながら話し ていました。
それから数日後・・・。 今度、父は激しい腹痛に苦しんでいました。 ご飯もほとんど食べられず、水すら満足に飲めない 状態に陥ってしまったのです。
私が父に大丈夫かと尋ねると父は市販の腹痛薬を 飲んでるから大丈夫だと答えました。
しかしこの時、腹痛に顔を歪め脂汗を流す父の様子を 見て私の中に漠然とした不安感が生じていました・・・
その後、一時は具合が良くなり父は私と車に乗って 出かけたりしていたのですがその数日後、父はまた 腹痛で苦しみ始めました。 そして、その苦しみ方は以前より激しくヒドイもの となっていたのです。
さすがの父も痛みを我慢出来なくなり私が付き添い、 近所の総合病院に行くことにしました。
12月11日(土)内科の診察を受けた父はとりあえず 薬を飲んで様子を見ようと言われ帰されました。
12月12日(日)翌日、症状が一向に良くならない父は 日曜だったのですが救急で診察を受ける事にしました。
・・・しかし、この日もどういう訳か何の治療も して貰えず家に帰されました。
結局、父が入院したのは翌13日の月曜日の事でした。 この日、ベテランの医者に見てもらった所、今すぐ入院 して検査をした方がよいと言われ、そのまま入院手続き を行い入院する事になりました。 私はとりあえず父の着替え等を持ってこなければならない 為一旦家に帰る事にしました。
夕方、父へ着替えを届ける為、祖母と共に病院へと 向かいました。 病室に入ると、そこには父の姿はなく母がいました。 昼間働いている母は、仕事帰りにその足で直接病院に 来ていたのです。 父は地下の検査室で検査を受けている最中だと言うので 私達三人は父のいる地下へと向かいました。
私達三人は地下の検査室の前にあった長いすに腰をかけ、 父の検査が終わるのを待っていたのですが、検査が終わ るまでに何時間かかるかわらないとの事なので母だけを 残し、私と祖母は一旦家に帰る事にしました。
祖母と私が病院を出ようとした所で祖母が自分が持って きた手提げカバンを先ほどの長いすに置き忘れた事に 気付き、取りに戻る事にしました。
地下へ行くと、そこには母と女性の医者が何やら 話しこんでいました。 私と祖母が母の側に寄ると私の耳に会話の内容が 聞こえてきました。
「・・・まだ、検査の段階ではっきりとした事は 言えませんがレントゲンを見た所、ご主人の体は 間違いなくガンに侵されています。 ・・・それも、かなり進行した状態です」
その女性の医師は冷静な口調で淡々と父の病状に ついて説明していました。
私と祖母は偶然にも父の体がガンに侵されている事を 聞いてしまったのです。 それは、良くあるドラマのワンシーンのように思えました。 あまりにも自分にとって非現実的な状況だったのです。 ・・・まさか、自分の家族がこんな事になるなんて 今まで生きてきて想像した事も考えた事もなかったからです。
私はあまりに突然の出来事に頭の中が一瞬、 真っ白になってしまいました。
しかし医者の次の一言が私を現実へと引き戻しました。
「今すぐ、ご主人にガンである事を告知しますか?」
父がショックを受ける事を考えると今すぐ告知など 出来る筈もなく母はガンの告知はとりあえず詳しい 検査結果が出てからにしてもらうようにお願いして いました。
父がガンである・・・。
この受け入れがたい事実を頭の中で繰り返すうち、 私は漠然と父が近いうちに私や私の家族の前から いなくなってしまうような気がして言いようのない 不安と恐怖に襲われました。
私はいつの間にか自分でも気付かないうちに涙を 流していました。 人前で涙を流す事など、かっこ悪いので涙をこらえよう としたのですが涙を止める事は出来ませんでした。
検査室の父に泣き声が聞こえてはいけないと 声を押し殺し涙を流し続けました。
その頃、何も知らない父は検査室でまだ検査を 受けていました。
その父の事を思うと私の涙は一向に止まる事が ありませんでした・・・。 私はその場に立ちつくし、ただただ、 涙を流し続けました・・・。
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