ラグといえば - 2001年10月05日(金) 京都ラグ(京都の老舗のライブハウス)には高校生の時の苦い思い出がある。その頃、渡辺香津美さん(ギタリスト、YMOの世界ツアーに参加したことでも有名)とか東原りきやさん(ドラマー、元なにわexpress、高校生の私はこの人のタイコにとりあえずびっくりした)に、めちゃめちゃ憧れてた私は、香津美さんのMOBO(バンド名)にりきやさんが参加するというので、喜び勇んで見に行った。説明多いな。 当時ラグは京都の中でもかなり北の方の植物園の横にあって、京都駅からバスで20-30分ほどかかったんじゃなかったか。バスの最終を確認してから、ラグに入るともう立ち見状態だった。入り口からすぐのところで、1stステージは始まった。 「おー、Jazzだよ。大人だよ」 メンバーの顔なんかは見れない。前のおっさんの頭しか見えない。それでもわずか数メートルのところで、生でどこどこ言ってるりきやさんのタイコと、香津美さんのギターの音を一所懸命聴いてた覚えがある。 始まってしばらくしてからもちょろちょろと人が入ってきて、後ろから押されたお陰で結構いい位置で2ndステージは見れた。途中で何人かが席を立つ。最終のバスの時間だ。タクシー代ぐらいある事を確認した私は、腰を据えてもう少し見て帰ることにした。終電まではまだ間がある。2ndが終わって半分ぐらいの客が帰ってしまった。言ってるうちに、演奏がまた始まり、僕はいい位置で聴けて嬉しかった。3rdステージが終わって空席が目立つようになってからも、せっかくすいたので、ステージの際まで行って、りきやさんのタイコのセッティングやら機材をじろじろ観察してた。 「終電」っていう文字が頭に浮かんだのはその時だった。慌てて飛び出し、バス通りに出た。京都のはずれの真っ暗の通りにはタクシーのかけらもない。「一人で来ててよかった」とも思ったけど、そんなこと行ってる場合じゃない。できるだけ明るい方へ歩きながら、なんとかタクシーを拾う。JR(当時はまだ国鉄)の駅に急いでもらったけど、残っていた電車は、ぎりぎり大阪駅止まりの各駅停車だった。 5月の霧雨の降る寒い夜だった。傘がなかった。 大阪駅の待合いで夜を明かせばいいものを、終夜営業の喫茶店ぐらいあるに違いない、とふんだ私は、外に出て、近所を歩いてみた。霧雨といってもしばらく歩けば冷えてくる。当時はまだコンビニもなく、車を持っている友人もいないし、確か最近、吉野屋とかいう24時間の店がこの辺に....と思ってた所には、新しい工事中のビルがあるだけだった。 しょうがない、駅に戻ろう。引き返した大阪駅にはシャッターがおりていた。入れない。いやどっかから入れるはず。また周りを歩いてみるけど、入り口は見つからない。寒い。地下に入ればなんとか。私鉄と国鉄を結ぶ地下道だけが唯一入り込めて暖かい場所だった。 そこには先客がたくさん、段ボールと新聞紙でみの虫と化したドレッドなおじさん達。10分ぐらいは我慢しただろうか。でも耐えきれなかった。くさかった。もう2時を廻っている。始発は5時頃か。あと三時間くらいなら、起きていられるだろう。 外で雨をしのげる場所を探して、新鮮な空気を吸った。寒いことより、息ができる方が大事だ。ただ一つすくいのウォークマンを聴きながら、朝を待った。「にいちゃん、仕事探してるんか」とか日雇い労働者の親玉に声をかけられながら。 今考えると間抜けな話だけど、当時の高校生はこんなもんだったんじゃなかろうか。 次の日の授業はもちろんパスした。確か木曜のライブで金曜の午前の授業をさぼったような気がする。昼から出ていったら、友人に「今日は特別遅いな」と笑われた。普段から遅刻は多かったので。 この話を母親にしたら「うちに言うてくれたら、京都なんかあたしの地元やねんから、なんぼでも泊めてくれるとこあるのに、アホやなぁ」と言われた。母のやんちゃしていた頃の友人が、今でも京都駅周辺で若いやんちゃの面倒を見ているとか何とか。無断外泊はどうでもいい、というあたり、うちの母親である。相談はしてみるものだ。 -
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