心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2016年03月18日(金) 分け隔て無く vs. アルコホーリク限定

2年ほど前に、僕が引っ越しと転職をしたことをご存じの方も多いでしょう。

環境が大きく変わったことが、この「日々雑記」の更新が滞った原因の一つですが、それ以外にもAAのゼネラル・サービスに時間を費やされたことが主な理由でした。そのサービスの頸木(くびき)からもようやく解放される見通しがつき、これからはもう少し「家路」に時間を割くこともできる、と自分で期待しています。

新しい仕事の関係で、社会福祉の勉強をすることになりました。先日も5日間のスクーリングに行かせてもらいました。エリザベス救貧法とか、救血規則・・じゃなかった恤救規則とかから始まって、現在の自民党の政策までの社会福祉の歴史の話だとか、援助技術論とか公的扶助論とか。講師は大学で福祉を教えている先生でした。

社会福祉とは何なのか? 僕の単純な理解では、それは「困っている人を手助けすること」です。社会生活をしていく上での基本的な欲求を満たせない状態の人に、何らかの制度を使って助けてあげることです。

福祉制度の無かった時代は、裕福な人が行う「慈善」活動が福祉の役割を果たしていました。だが、慈善は与える側の善意が元になっていて、受け取る側のニーズは反映されにくいものです。他にも血縁・地縁による「相互扶助」の仕組みもありました。でもこの互助というのは、「頂いた分へのお返し」が必要なので、お返しできない立場の人は辛くなってしまう。そこで、税金などを使った公的な制度を作ったわけです。それが、公的扶助(生活保護)や年金や保険制度などの仕組みです。

社会福祉とは、困っている人のニーズと公的な仕組みを結びつける役割であって、必要な仕組みがなければそれを作る活動をしたり、自ら仕組みの一部となってサービスを提供するマンパワーになったりする・・・。

社会福祉は人権思想に基づいているので、対象を選別することを嫌います。例えば、生活保護には無差別平等の原則があって、困窮に至った原因は問われないのです。酒を飲んで身を持ち崩したのは自業自得だから生活保護は支給しない・・という扱いはしてはいけない。要件を満たす人は、分け隔てなく、可能な限り多く助けるというのが基本です。

先日、障害福祉の現場で働きながら、アルコールのことにも関心を持ってくださる、ある方と話す機会がありました。そしてすぐに、あることに気がつきました。その方は、手助けする対象がアルコホーリかどうかを気にしていないのです。アルコール多飲の原因が、依存症であっても、依存症以外の知的な障害や統合失調であっても、同じに扱っているのです。

福祉としては、それが正しい態度なのだと思います。アルコールで問題を起こしていれば、その人にとっては分け隔て無く助けるべき存在なのでしょう。

AAはそうではなく、アルコホーリクに対象を限っています。伝統5は「靴屋よ、なんじの本分をはみ出すな」(12&12, p.203)と、AAがアルコホリズムに専念するように言っています。アルコール多飲には、依存症以外の原因も考えられます。それを区別するのはAAメンバーの仕事ではありませんが、アルコホーリクではないことが明らかな人は、AAの対象でないことも明らかです。

もちろん、アルコホーリクでない人をAAミーティングから追い出せ、と言っているわけではありません。排除の理屈ではない。ただ「下手に多くのことに手を出すよりも、一つのことを最大限うまく行う方がよい」(12&12)という、選択と集中の原理が、AAを世界的に広める力になったことを忘れてはいけません。近年のAAの国際会議でも、"Singleness of Purpose"(AAの目的の単一性)というテーマが繰り返し扱われています。

同じことは、アルコール依存症の回復施設にも言えるのだと思います。アメリカの回復施設のスタッフやAAメンバーと話していて、強く印象に残ったのは、彼らは「(真正の)アルコホーリクだけを対象とする」ことに誇りを持っていることです。同じアルコホリズムという共通の問題を抱えていることが、助ける側と助けられる側に深い理解を生み、その共通の問題に対して12ステップという共通の解決策が提供される・・・。解決策を受け渡す手段が、ミーティングやスポンサーシップである、というわけです。

日本のAAメンバーや施設スタッフが、アメリカの施設のスタッフに会うと、よくこんな質問を投げかけます。

「ほかに障害があるみたいで、回復のプログラムに馴染まない人は、どう手助けしたらいいんだ?」

僕も同じような質問をしました。それに対して彼らは一様に困った顔をし、そして親切に、こう言ってくれるのです。

「アルコホリズム以外の問題は、その専門家にまかせたらどうだろう」

この答えに対して、質問した側が、はぐらかされたような気持ちになってしまうは、AAプログラムが誰を対象にしているかの認識にギャップがあるからです。目的の単一性を良く認識している人たちと、アルコールで問題を起こしている人なら誰でも助けたい人たちと。

アルコホリズムとそれ以外の問題を同時に抱える人はいます。僕の福祉の勉強は、そのような重複障害の人を手助けするのに役立ってくれるでしょう。だから、AAメンバーが福祉の勉強をすることに反対しようとは思いません。でも、福祉の思想をAAに持ち込むとおかしなことになっていきます。

日本のAAは40年間、「関係者」と呼ばれる人たちの応援によって発展してきました。最初はその方たちを、英語の professional を訳して「専門家」と呼んでいたのですが、職業的専門性に自信のない人たちから「俺たち援助職を<専門家>と呼ぶのは止めてくれ!」と言われたので、仕方なく20年ほど前から援助者のことをAAの「関係者」と呼ぶようにしたのです。

この「関係者」には、医療、行政、矯正などいろいろな分野の人が居るのですが、数が一番多いのは福祉の分野の人(ワーカーと呼ばれる人たち)でしょう。その人たちの善意があってこそ、日本のAAがここまで成長してきたのです。だから、その人たちが気を悪くされたら申し訳ないと思いながらも、やはり言っておくべきことは言わねばならぬ、という気持ちがあるのです。

ケースワーカー、ソーシャルワーカーの人たちは、福祉の仕事をしているだけあって、「分け隔て無く、なるべくたくさん」を手助けするという理念があります。個人的にそういう指向性を持っていない人だって、職場の倫理観がそうなんですからね。だから彼らには、AAを福祉の社会資源と捉えて、

「AAは、アルコールで問題を起こしている人なら誰でも引き受けるところ」

であって欲しい、という願いがあり、それがときには「であるはずだ」という思い込みにもなる。それは福祉の理念をAAに押しつけることになる。それに対してAA側は「アルコールで問題を起こしている人には、アルコホーリクもいれば、そうでない人もいる。AAはアルコホーリクのみを対象にしている」ときちんと伝えなくてはいけないのでしょう。

AAのことを正しく伝える努力が弱まると、AAは「別の専門家に任せるべき人」を引き受けるようになってしまいます。それは、その人にとっても、AAメンバーにとっても不幸なことですし、苦しんでいるアルコホーリクが助かるチャンスを減らしてしまいます。

AAメンバーは、AA以外にもやらねばならないことがたくさんあります。仕事もあるだろうし、家庭のこともある。ストレスにつぶれないように、人生を楽しむレジャーの時間も必要でしょう。24時間の中から「AAのメッセージを運ぶ」ために割ける時間は多くないはずです。限られた時間を有効に使うために、対象を真正のアルコホリズムに限定するということも必要でしょう。

だがそれは、どこかで誰かに冷たい態度を取らねばならないことを意味します。12の伝統の中で、伝統5の実践が一番厳しい気もします。

(最近アメリカのGSOから出てくる文章は、AAプログラム(12ステップ)がアルコホリズム以外にも効果があると受け取って欲しくない、というニュアンスが強くなってきています)。

さらに、AAの(真正の)アルコホーリクと、医師が医学的にアルコール依存症と診断を下した人は同一ではない、といことも述べておかねばなりませんが、それについては稿を改めましょう。

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年末年始にこの雑記が書けなかったので・・・

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