心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2015年01月30日(金) 翻訳企画:AAの回復率(その6)

セクションd)の後半部です。

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1949年11月−「アメリカ精神医学ジャーナル」での記事でビル・Wはこう書いている。

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私たちの元に留まって真剣に取り組んだアルコホーリクのうち(強調追加)50%はすぐに酒をやめて留まり続け、25%は何回かの後に酒をやめ、残りにも通常は改善が見られた。しかし、多くの問題飲酒者、おそらく5人中3人から4人が、短い接触の後にAAをやめていった(強調追加)。その中には精神病質やダメージが大きすぎる者たちもいた。ではあるが、大多数は強力な自己正当化を抱えており、それはやがて行き詰まる。実際のところ、その行き詰まりは最初の接触においてAAが「良い接触」と呼ぶものによってもたらされる。アルコールという業火に焼かれ、彼らはたいてい数年以内に私たちの元に戻ってくる。
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ビル・Wは、この成功率は、5人の候補者のうち1~2人の「私たちの元に留まって真剣に取り組んだアルコホーリク」というサブセット(部分集合)に対して当てはまるものだと限定条件を付けている。残りの候補者たち「5人のうち3~4人」(60-80%)は「短い接触の後にAAをやめていった」としている。

1955年7月−以下はビッグブック第2版の序文から抜粋である。

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AAに加わって真剣に努力して取り組んだ人の(強調追加)半数は、すぐに飲酒がやめられて、飲まない生活を続けることができた。何度か再飲酒をしたがやめられた人は二十五パーセント、残りの人もAAにつながっているかぎり、良いほうに変わり、いろいろな改善が見られた。ほんのちょっとAAミーティングに顔を出して、プログラムが気にくわないと決めつけて来なくなってしまった人は何千人もいたが、そのうちの約三分の二は、後になって戻ってきた。
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ビル・Wはこの序文を書き、「AAに加わって真剣に努力して取り組んだ人」と表現を再び使っている。(20周年を迎えた)1955年のAAに、どんな人がやってきて、どんな人が残り、どんな人が戻ってきたかを詳しく描写しているが、これは誰かによる推測であり、それも「最も良い推定」にすぎない。ではあるものの、何であれビッグブックに書かれたことは、しかもそれがビル・Wが書いたことであればなおのこと、多くのメンバーにとってそれは疑うことない真実、間違いを指摘することなど思いもよらないものとして受け止められたであろう。

1955年7月−ビッグブック第2版の物語の部分の序文にはこうある。

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1939年出版された本書の初版では、29人のアルコホーリクの体験が掲載されていた。この第2版では、膨大な数の読者に最大限自分も同じだと気づいてもらえるよう、上記のように体験のセクションを拡充することとした。当初の29人のその後の経過を見ると、その記録はこの上ない歓びである。そのうち22人は明らかにアルコホリズムから完全な回復を遂げている。私たちの知識と信頼のおよぶ限りでは、そのうちの15人は完全な断酒を続けてきており、その平均は17年におよぶ。15
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15. ビッグブック第2版、AA Publishing, Inc. 1955年。第3部「ほとんどすべてを失った人たち」の序文、ページ番号の振られていないp.167。

「AAのパイオニアたち」の部の序文では、こう述べられている。16

16. ビッグブック第2版、AA Publishing, Inc. 1955年。第1部「AAのパイオニアたち」の序文。ページ番号の振られていないp.169。

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AAの最初のグループのメンバーであったドクター・ボブと12人の男女が、彼らの経験を語ってくれる。そのうち3人は自然な原因によってすでにこの世を去ったが、彼らのすべてが完全なソブラエティを維持し、その期間は1955年の時点で15年から19年におよぶ。今日では、その他にも何百というAAメンバーが少なくとも15年間にわたって再発することなく過ごしている。彼らは、アルコホリズムからの解放が永続的たりうる証人である。
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ビッグブック初版に掲載された29編の物語のうち、22編が第2版に引き継がれなかった。この数字は、それらの物語はメンバーが飲酒に戻ってしまったから外されたのだ、という誤った伝説を生む原因となってきた。現実はその正反対である。22編の物語は、単にその時点(1955年)でのAAメンバー構成をより良く反映するために差し替えられたのだ。

・ビル・Wによるビッグブック第2版の物語の序文によると、ビッグブック初版に物語を掲載した29人の初期メンバーのうち、76%(29人中22人)がAA20周年(1955年)に断酒を続けていた。

・初期メンバー29人中7人(24%)は飲酒に戻ったが、後に再び断酒した。他の7人(24%)は飲酒に戻ったまま再び断酒することはなかった。

ここに表されたものが、「50%+25%」の成功率の主張を明確に支えるデータとして唯一のものである。その範囲は3つのグループ(アクロン、ニューヨーク、クリーブランド)に限定されており、そのサンプル数(29人)は1939年4月時点でのAAメンバー数推定100人の約30%となっている。

1958年4月−ビル・Wはニューヨーク州医学会でアルコホリズムについて講演を行った。17 その中で、AAの初期の歴史についてこう述べている。

17. ビルの1958年4月のスピーチはAAパンフレット(P-6) “Three Talks to Medical Societies” c AAWS, Inc. に収められている。

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私たちが次に必要としたのは広報でしたが、それには協力が得られました。1939年には著名な編集者でライターでもあったFulton OurslerがLiberty誌に記事を書いてくれました。翌年には、John D Rockefeller, Jr,がAAのために夕食会を開いてくれ、そのことは広く取り上げられました。その次の1941年には、Saturday Evening Postが特集記事を掲載してくれました。その記事によって何千もの新しい人たちがやってきました。私たちは数の上でも、有効性の点でも成長し、回復率は向上しました。

AAに真剣に取り組んだ人の(強調追加)かなりの割合はすぐに酒がやめられ、その他の人たちも最終的には酒をやめました。残りの人たちも、AAに留まっている限り、確かに改善が見られた。私たちの高い回復率はその後も保たれており、それは『アルコホーリクス・アノニマス』の初版に体験記を載せた人たちについても言えます。彼らの75%は最終的に断酒を成し遂げており、死あるいは狂気に至ったのは25%に過ぎません。現在も存命の人たちの断酒期間は平均して20年になります。

AAの初期から今まで、たいへん多くのアルコホーリクが私たちのところにやってきて、そして去って行きました――おそらく今日では5人中3人がそうでしょう(強調追加)。しかし幸いにも、彼らの大多数はやがて戻ってくることが分かりました。ひどく精神病質であったり、脳にダメージがなければですが。死をもたらしうる病気に取り憑かれていることを、他のアルコホーリクの口から一度聞かされると、その後の飲酒が彼らを行き詰まらせるのです。結局彼らはAAに戻って来ざるを得ません。そうするか、死ぬしかないのですから。これは時には最初の接触から何年か後になります。ですから、AAにおける最終的な回復率は、当初考えられたよりすっと高いのです。
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ビル・Wの1958年の講演では、50%という数字は「かなりの割合(a large percent)」で置き換えられている。ビルがまたAAにやってきて去って行った候補者について述べていることに着目して欲しい。75%の回復率は、ビッグブックの初版に体験記を載せたAAのパイオニアたちに限定されている。

ビルの説明の中で、さらに有用と思われるのは、「AAから今まで(1958年)、たいへん多くのアルコホーリクが私たちのところにやってきて、そして去って行きました――おそらく今日では5人中3人(つまり60%)がそうでしょう」と述べている部分だ。AAの歴史のこの時点では、ビル・Wが報告した成功率を確認するものも、論破するものもない。単に記録がないのである。

1960年4月−ゼネラル・サービス評議会での発表で、ビル・Wはこう述べている。

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私たちの未来に何が待っているのでしょうか? それは危機かも知れません。否定的に考えれば、どうやって私たち自身を危機に備えて強くできるでしょうか? 肯定的に考えるのなら、どうやったら、私たちの周りにあふれる酔っ払いともっとコミュニケーションできるでしょうか? 私たち自身良くやったと言ってきましたし、これまでの成功を喜んできました。けれど冷静に考えれば、私たちのソサエティが成し遂げたことは、アルコホリズムという問題全体に小さなひっかき傷をつけたに過ぎません。そのことを無視するわけにはいかないのです。・・・私は思い起こします。・・・AAがあったこの時代、この25年間、世界のアルコホーリクが行列をして私たちの前を通り過ぎ、断崖から落ちていったのです。世界的に見れば、そのような人たちがおよそ2千5百万人いるでしょう。過去25年の間に、絶望と、病いと、不幸と、死の流れの中から、私たちが救い出せたのは100人に1人にすぎません。
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ビル・Wによるこの声明は、2千5百万人がAAにやってきて、そのうち100人に1人しか残らなかったという意味だとしばしば誤解された。華麗な言葉を注意深く読んでみれば、アルコホーリクの行列が「私たちの前を通り過ぎた」と述べられている。彼は「私たちの中を通り過ぎていった」とは述べてはいない。これはアルコホリズムという「世界的な」問題について、アルコホーリクス・アノニマスがアメリカ・カナダ以外ではほとんど知られておらず、またアメリカ国内でも「どこにでもある」という状態からほど遠かったそれまでの25年間についてである。

AAが成功していないと悲観的に見ているわけではない。そうではなく、これはアルコホーリクに手を伸ばせるようにAAが可能な限りどこにでも広がっていく挑戦である。ビル・WはAAがより多くのアルコホーリクに手を伸ばすことを予見し、その可能性からすればAAがこれまで小さな一部しか達成してこなかったと述べている。彼はこれまでの成果は良かったからこそ、より多くの場所で提供される必要があると考えていたのである。

この文脈の中から「100人に1人」だけを抜き出して、それを1%の成功率と呼ぶこともできる。そうではなく、これは奇跡と説明される。25年前にオハイオ州アクロンで二人の男が酒をやめた。その方法が世界中のアルコホーリクの1%を助けたのである。1960年後半、“AA Today”18 という本の中でビル・Wはより曖昧でないかたちでこう述べている。「残りの人たちには、依然として手が届いていません。なぜなら彼らはアルコホーリクス・アノニマスを知らず、また文字通り、彼らの住む場所にAAが届いていないからです。世界中の何百万人ものアルコホーリクが彼ら自身で「AAのことを聞きつけて行ってみる」ことができずにいます」。

18. “AA Today”はAA25周年を祝う1960年の国際コンベンションの記念品。

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これまでの25年の間に、世界中で2,500万人の男女がアルコホリズムに苦しんでいたのは確かなことです。そのほとんどすべてが、今も病み、狂い、また死んでいることでしょう。

AAはこれまでおよそ25万人に回復をもたらしました。残りの人にはまだ手が届いていないか、すでに届かないところに行ってしまいました。次の世代の酔っぱらいたちが今も大量に誕生しています。この問題の大きさに直面して、いったい私たちの誰が満足して座って、こう言えるでしょう。「皆さん、私たちはここにいます。あなたたちが私たちのことを聞いてやって来ることを願っています。そうすれば手助けしてあげられますよ」

もちろん、私たちはそんなことはしません。私たちは広くさらに広く開拓し、考えられるありとあらゆる手段と経路を使って私たちの仲間に手を伸ばそうとしています。・・・奉仕(サービス)するという伝統を受け継ぐ者として、私たちの何人がこう言ったでしょう。「ジョージが12番目のステップに取り組んでいる。彼は他の酔っ払いに関わるのが好きなのだ。だが私は忙しい」 きっと、そんなことを言った人は多くはないはずです。そんな独りよがりになれるはずがありません。

おそらく私たちの次なる未来に待っている大きな責任はこれでしょう。私はアルコールの問題全体を、アルコホリズムのぞっとする結果に苦しんでいる人たち全員のことを考えています。その数は天文学的です。
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ビル・Wはさらにこう述べている。「アルコホリズムが最優先の健康問題であるという事実への認識が広まるにつれ、公共の、国の、また個人のレベルでも、あらゆるところで取り組みが起きてくるでしょう」。彼はAAメンバーが政府機関に対して持つ怨嗟や疑念をたしなめ、AAの友人たちとのさらなる協力が必要だと説いている。

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外部の機関とより友好的に、より広範囲に協力することで、そうしなければ取り逃がしてしまう数多くのアルコホーリクに私たちの手が届くようになるのではありませんか? 私たちは愚かしくも成功を台無しにしているのではないでしょうか。おそらく、途方もない可能性を秘めたコミュニケーションを自ら妨げているのでしょう。

ですから、これについて新しい見方をしてみましょう。

考えてみれば、どのような見方をしたところで、私たちは成長から遠く離れていることにほとんどの皆さんが同意してくれるでしょう。私たちの使命は、個人としても、共同体としても、12のステップを継続的に使って正しく成長していくことです。
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1968年−最初のAAメンバー調査のパンフレットがAAWS/GSOから配付された(『アルコホーリクス・アノニマス調査―11,355人のAAメンバーが彼ら自身について答えた』と題されていた)19 。その7ページから引用する。

19. このメンバー調査は1968年の6月・7月に行われ、466のAAグループの11,355人のAAメンバーが参加した。

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とはいえ、このような調査票に回答することで、AAメンバーは幅広く抽出されたサンプルと、自分の経験を比較することができるようになった。これは1968年の夏の間に北アメリカのミーティングに出席した1万人以上のAAメンバーを調査した結果である。

これまで一般的にすべてのメンバーが手にすることができた調査・比較の基準としては、この共同体の初期に作られた大ざっぱな推定が唯一のものだった。その推定値は意外に正確であり、真剣にAAに参加した者(強調追加)の50%はすぐにあるいは最初の数週間以内に酒をやめ、さらに25%が最終的には酒をやめ、残りの25%は酒をやめられないひとつ以上の原因があるように見受けられた、というものだった。

この他にも何年間にもわたった調査があった。その中のひとつ、テキサスではあるひとつのグループのメンバーの経過が追跡された。また、ニューヨーク市やイングランドではより入念な調査が行われたこともある。

これらの調査の結果は50-25-25の推定を補強する傾向があり、AAが異なった場所で、またたいへん多くの人たちにとって、長い期間効果を現してきたことを示す励まされるものであった。ではあるが、これらの初期の調査には欠点もあった。例えば、標本数が少なすぎるか、地理的に限られた地域から得られていた。ある場合においては、標本はランダム抽出ではなくあらかじめ選ばれたものであった。
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(続きます)


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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