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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2013年10月11日(金) AAはAA、断酒会は断酒会 AAは「言いっぱなし、聞きっぱなし」というやり方でミーティングをやっています。AAに馴染みのない人には聞き慣れない言葉かも知れません。AAでやっているのは「ミーティング」といっても会議ではなく、他の人の発言に意見したり、批判したり、質問を挟んだりしません。人の話は黙って聞き、自分の順番が来たら話をする。このやり方を日本では「言いっぱなし、聞きっぱなし」と名付けています。
海外のAAでも、おおむねこのやり方だそうです。僕の数少ない経験からもそうですし、海外でAAに出席した人たちに聞いても同じです。
「言いっぱなし、聞きっぱなし」を英語で何というのだ? と聞かれることもありますが、それに相当する言葉はないみたいですね。ポピュラーだからこそ名前が必要ないってことなのでしょう。ビル・ホワイトの『米国アディクション列伝』では、これを「crosstalkを排除した」やり方と呼んでいます。
あらかじめ話し手が決まっており、他の参加者はそれを聞くために参加するというミーティングを speaker meeting (スピーカー・ミーティング)と呼びます。そうではなく、参加者の中から適当に話し手が選ばれるのを discussion meeting と呼びます。ディスカッションと言っても議論(debate)ではなく、その中身は「言いっぱなし、聞きっぱなし」です。
いずれにせよ、AAのミーティングは対話を排したやり方が主流です。なぜそうなのか理由は分かりません。意外に思われるかも知れませんが、AAは特に「言いっぱなし、聞きっぱなし」のやり方をするとは決めていません。別のやり方をしても良いのだし、実際別のやり方をしているところもあります。
僕はアメリカに行ったときに、講師役のAAメンバーがホワイトボードに図を描きながら他のメンバーにステップを「教えて」いるミーティングに出ました。その会場はたくさんの参加者で溢れかえっていました。また、ビッグブックを少しずつ読み進めながら、1行1行の意味を読み解いていく形式もあるそうです。メンバーお手製のテキストを使っているところもあります。参加者が「その場で」ステップに取り組むワークショップもあります。共通しているのは、経験の深いメンバーに新しい人が導かれていくという形式になっていることです。「議論(ディベート)」を行うやり方をしているところは聞いたことがありません。
最近、断酒会の関係の人と話す機会がありました。(具体的に名前を挙げて良いのか分からないので伏せておきます)。近年断酒会はその人数を減らしています。なぜ減っているのかその理由はいろいろあるのでしょうが、(AAの影響を受けて)「言いっぱなし、聞きっぱなし」を望む声が増え、そのように運営される断酒例会が増えたことも一因だろうという話を聞きました。
本来、断酒例会は「言いっぱなし、聞きっぱなし」ではないわけです。会員が順番に話をするという点ではAAの discussion meeting と同じですが、話をした後に、進行役である会長さんから、話の内容を褒められたり、逆に一くさり小言を頂戴したりします。あまり莫迦なことを言えば、他の「先輩」や家族からも批判を受けます。このようにして褒められたり、批判をされたりしながら、断酒会的な考え方と行動を身につけていくのが断酒会のやり方なのだそうです。
断酒例会を「言いっぱなし、聞きっぱなし」にしてしまうと、考え方や行動を修正する機会が失われ、回復が難しくなってしまう。それが会員の減らす原因(少なくともその一つ)になっているのだと。
では、AAはなぜ「言いっぱなし、聞きっぱなし」なのか。それは、AAにはミーティングの他にスポンサーシップという一対一の関係があるからです。メンバーシップ・サーヴェイという調査によれば、「スポンサーシップが弱体化した」という日本でもAAメンバーの半数はスポンサーを持っており、アメリカでは実に8割のメンバーがスポンサーを持っています。
スポンサーという言葉は日本では経済的な援助をする意味で使われますが、AAのスポンサーは本来の英語の意味(引受人の意)で使われます。AAの回復の原理は「12ステップ」に表されていますが、12ステップに取り組むのにスポンサーは欠かせないものです。AAに真面目に取り組む多くの人たちが、指導役たるスポンサーを持ち、一対一の関係の中でアルコホリズムから回復していきます。ただし、その関係は個人的なものであるだけに、公けに目立つことはありません。
このように「言いっぱなし、聞きっぱなし」だけに着目するのは片手落ちです。AAにおいてはスポンサーシップが回復をリードする(lead = 導く)役割をしています。スポンサーというのはリードする者(指導者)です。どのようにリードするかはそれぞれのやり方があるでしょうが、導く者とそれについていく者という関係が確かにAAの中にあります。また、本来の断酒会の例会は「言いっぱなし、聞きっぱなし」ではないことによって、例会そのものが回復をリードする(導く)場になっています。
ところが「言いっぱなし、聞きっぱなし」さえあれば十分だという考えの人たちが、AAの中にも外にもいます。導かれたくない人もいるし、回復に導きは不要だと考える人もいます。「言いっぱなし、聞きっぱなし」だけの場を作りたい人もいるし、実際それを作る人もいます。それはその人の自由でしょう。しかし、AAは「言いっぱなし、聞きっぱなしだけではない」ところです。
松村春繁が、高地で断酒会を始めたのは、下司孝麿医師にAAの存在を教えられたからだそうです。その後、彼は全国を回って断酒会を組織し、全日本断酒連盟の初代会長となります。彼は断酒会をAAの日本支部として認めるようにNYのGSOと交渉をしますが、GSO側ではAAの12のステップや12の伝統をそのまま採用することを求めました。それが日本人の気性に合わないと考え、断酒会はAAに合流することを諦めました。これが1960年代のことです。それ以降、断酒会とAAは別の道を歩むことになりました。日本で現在のAAが成立するのは1970年代になってからです。
断酒会がAAを参考にして作られたのは間違いありません。後に作られた「指針」と「規範」が、AAの12のステップと12の伝統の影響を受けているのも、その類似性からして明らかです。しかし、文化の移入がAA→断酒会の方向にだけ行われたと考えるのは誤りです。
断酒例会は「酒害」を語るところとされます。また「例会は体験発表に始まり体験発表に終わる」と松村語録にあります。「酒を飲んで酷いことをしてきた過去の自分」を語ることが推奨されます。しかし、本来AAではこの類の話はドランカローグとして避けられる傾向があります。AAのミーティングは「経験と力と希望」すわなち12ステップを伝える場であり、ステップの経験が望まれるところです。ところが、日本のAAではドランカローグ(飲酒譚)が好まれる傾向があります。これは、酒害や体験発表を軸とした断酒例会の影響を日本のAAが受けているため、と考えられます。
日本においてはAAは断酒会よりずっと後になって成立しました。AAグループが誕生するところでは、すでに断酒会が活動していることも珍しくありませんでした。AAのやり方をよく知らない人たちが、断酒会のやり方を取り入れ、それが「AAのやり方」として後の人たちに受け継がれていったことが少なからずあるはずです。
AAも断酒会も似ている部分があります。みんなで集まって順番に話をするところなど、そっくりです。しかし、どうやって回復を導くか、やり方はずいぶん違います。AAはAA、断酒会は断酒会です。似ている部分もありますが、違っているところも多い。違いは理由があって生じたものです。違っていなければ、別々に存在している意味がありません。
AAは「言いっぱなし、聞きっぱなし」だけでは成り立ちません。スポンサーシップがあればこそです。「言いっぱなし、聞きっぱなし」の部分だけに着目するのは、木を見て森を見ずです。
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