心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」

たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ過去へ未来へ


2013年09月19日(木) AAを統治するもの

AAには統治機構はありません。他のメンバーやグループに命令を発することができる人は誰もいません。

AAも、国や自治体のように、三権分立になっています。まず評議会という決議機関があります。これは国や自治体で言えば議会のようなもので、選挙で選ばれた代表が集まって方針を決めます。日本のAAの場合にも20人の地域選出評議員がいます。

内閣に当たるのが常任理事会です。そして内閣が政府を設置するように、理事会もJSOというオフィスを構えてサービス活動をやっています。

評議会も理事会も、メンバーやグループに命令を発することはできないのです。そこがよく誤解されるところです。ビッグブックやミーティング・ハンドブックには「12の概念」が載っています。普段あまり注目されることはありませんが、その12番目に書かれていることは「6つの遵守事項」と呼ばれて、とても大事なことだとされています。

その中には、評議会は「他のメンバーに対して絶対的な権威の地位に着く」ことがないとか、個人を罰したり、「政府の役割」をしないという項目があります。同じことは理事会にも当てはまります。

理事会というのは、AAメンバーやAAグループを統制をする側ではなく、(評議会機構を通じて)AAグループから統制を受ける側なのです。

だから、理事会といえども、AAメンバーやAAグループに対して命令を発することはできませんし、従わない人を罰することもできません。ただ穏やかな「お願い」をして自発的な協力を求めることができるだけなのです。

オフィスには数人の職員がいるだけですし、それに理事会のメンバーを加えても全部で十数人にしかなりません。そんな少人数ではAAのゼネラルサービス活動を全部まかなうことはできませんから、そこで「お願い」をして、様々なAAメンバーの自発的協力を求めます。命令して人を動かすことをしなくても、協力のお願いだけで、多くの人が自ら進んで時間や労力を割いてくれ、これまでなんとかやってこられたわけです。

理事会はそうした「お願い」が無視されたとしても憤ることはありません。例えば、2015年に横浜で40周年集会を開くために、メンバーやグループに追加の献金の「お願い」がありました。お願いをしても、追加献金に協力してくれるのは一部のグループだけです。応じてくれないグループやメンバーに命令を下したり、罰したりすることはできません。お金の集まりが悪く、これでは足りないと思ったら、追加で「お願い」をするだけです。

ところで、AAのミーティングでAA以外の本を使うことについてはどうでしょう。各グループがミーティングでどんな本を使うかについて、評議会や理事会が何らかの見解を発表したことはありません。ただ一つ、数年前に、病院メッセージなどAA外部にて行うものについては、AAの本を使うように、という「お願い」が出されたのみです。これはAAのことを外部に知らせる場合に、個人の見解ではなく、AA全体の共通した見解を伝えて欲しいからです。

これもまた、その「お願い」に応じてくれないグループやメンバーがいたとしても、それを問題として取り上げることはありません。もし事態が深刻化すれば、なんらかの「お願い」を追加することはあるかもしれませんが、今のところそんな心配は要らないでしょう。

12の伝統の4番は、各AAグループの主体性が尊重されるべきだ、としています。ここで主体性と訳されていますが、autonomous は「自治権を持っている」という意味です。各AAグループは自治権を持っているので、自分たちのことは自分たちで決められます。

理事会(や他の委員会)の求めに応じて追加の献金をするかどうか、ミーティングや病院メッセージでAAの本を使うか、あるいは他の何かの本を使うか、そのほかのもろもろも、そのグループが決めることです。

こうして見ると、AAはメンバーもグループも「やりたい放題」できるのではないか、とお思いになるかもしれません。だって、評議会という決議機関も、理事会やオフィスという執行機関もあるのに、三権分立の一つ柱である司法機関がないですから。

しかしAAメンバーにも、AAグループにも「見えない強制力」が働いています。その強制力とは「ボトルの中に隠れてやってくるもの」(『ビルはこう思う』134)です。AAメンバーは、12のステップに象徴されるAAの回復の原理から極端に外れればやがて飲んでしまうでしょう。同じように、AAグループはAAを一つの共同体に保っている一体性の原理(12の伝統に象徴される)におおむね従っていかなければ、存続していくことができません。もし、グループがばらばらに分解して存在をやめてしまったら、その支えを失った多くのメンバーは再び酒に戻ってしまうでしょう。AAにいる誰でも、極端に自分勝手なことをすれば、アルコールによる報いを得る可能性があります。

このような強制力があるので、AAには個人を罰する仕組みは必要ない、というのがAAを作った人たちの考えでした。(だからこそ、そうした強制力が働かないアルコホーリクでない人がメンバーがAAに加わっては困るとも言えます)。

12の伝統の1番目では「全体が優先される」とあります。伝統1の「全体を優先する」ことと、伝統4の「グループの自治権」は時に相反します。12の伝統は何番が何番に優先する決まりはありません。だから、相反した場合には、どちらが優先されるべきか「個別のケースごとに」よく考えて判断しなければなりません。

個別のケースごとに判断が必要なるのであれば、それをルール化することはできません(ルールというのは個別判断が要らないように作るものですから、個別判断が必要ならルールは作れません)。追加の献金が必要だからと各グループに献金額を割り当てることもできません。この本は使ってもオーケーで、この本はダメとかも決められません。そうしたルールを決めて、盲目的にそのルールに従うのではなく、一件一件のことについて、頭を使って考えることをAAプログラムは一人ひとりに要求するのです。

AAは人によって統治されているのではなく、ルールによって統治されているのでもなく、原理によって統治されているのです。

人によって統治されているのなら、自分の頭で考えなくても、その統治者の判断に従えば良い。ルールによって統治されているのなら、自分の頭で考えなくても、そのルールにただ従うだけで良い。けれど、原理によって統治されているのであれば、毎回自分の頭で考え、自分で判断しなければなりません。自分で判断することなのですから、もし結果が悪かったとしても、誰を責めるわけにもいきません。

ルールではなく、原理を求めて下さい。


もくじ過去へ未来へ

by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


My追加