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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2013年04月03日(水) その力があなたの問題を解決する 日曜日は夕方からステップの勉強会をやりました(月イチでやっている)。その内容の振り返りなど。
ステップ1は「アルコールに対して無力」であることを認めるステップです。
アルコホーリクが1杯の酒を飲むと「渇望現象」が起こり、酒を適量にコントロールすることができなくなることが問題です。今のところ、これを根治できる治療法は見つかっていません。これは「解決できない問題」ですから、変えられないものとして受け入れるしかありません。
酒(や薬やギャンブル)を適度にコントロールできないのなら、きっぱりやめるしかない、ということです。
では、酒や薬やギャンブルをきっぱり断った人が、なぜ再び酒や薬やギャンブルに手を出すのか? それは、その時その人の頭の中で「今度こそうまくコントロールできる(うまく飲める)」という間違った考えを信じてしまうからだ、と説明されています。こちらの問題をビッグブックでは「強迫観念」と呼んでいます。
強迫観念とは「真実でないこと(ウソ)」を信じてしまうことです。断酒中の人は「私は今度こそうまく飲めるとは思っていない」、自分はウソを信じる人間ではない、と主張するでしょう。もちろんそのとおりです。飲めばどうなるか分かっているからこそ断酒が続きます。ところが、その同じ人が、いつかは今度こそうまく飲めるというウソを信じてしまう瞬間がやって来るのです。その時にはもう酒を退けることはできず、最初の一杯に手をだしてしまいます。
アルコホリズムの傾向がある人には、いつかはその時と機会が必ず訪れ、だから必ずまた飲む(p.61)、というのです。
飲めばどうなるか分かっていながら、自暴自棄の気持ちで「どうなってもかまわない」と酒に手を出す場合もあるでしょう。でも、飲酒したことを後になって必ず後悔するわけですから、「どうなってもかまわない」というのは真実ではなかった(ウソ)であることがわかります。
再飲酒(リラスプ)というのはそんなふうに起こるのです。つまり、今度こそ違う結果が起きるというウソを信じてしまうことです。これこそが私たちが抱える問題の核心(crux)だと言っています(p.51)。その強迫観念は人の力では解決できないため、アルコホーリクはアルコールに対して無力なのです。
渇望現象を理解すると「なんとか酒をコントロールしてうまく飲もう」という考えを捨て、酒をやめる努力をするほうへ切り替えることができます。強迫観念を理解すると「自分の力で酒をやめていく」という考えを捨てて、人間以外の力を頼るほうへ切り替えることができます。
さて、昨日の勉強会の主題は第4章でした。ビッグブックの p.66 にはこうあります。
「必要な力がないこと、それが問題だった。私たちは生きていくための力を見つけ出さなければならなかった。それは自分を超えた偉大な力でなくてはならないことがはっきりしている。けれどもその力をどこに、どうやって見つけ出すのか」
必要な力が無い=無力、ということです。普段は酒を飲めばどうなるか良く分かっていますから、意志の力が働いて断酒が続きます。しかし、いつか強迫観念に襲われる瞬間が来たとき、酒を退ける力はアルコホーリクにはありません。「そんなことは自分には起こらない」と信じるのは勝手ですが、そういう人はいざ再飲酒をした後で「魔が差した」とか「ついうっかり」という言い訳を自分にします。
「魔が差す」「うっかり」という言葉は、ウソを信じるという強迫観念の本質をよく表現しています。
自分に解決する力がないのなら、解決できる「力」をどこかに見つけ出さなくちゃなりません。
さて、その次の文章(p.66の最後の行)はとても大事な部分です。学校の先生が黒板を指して「ここテストに出るからな」と言うのと同じで、ここだけは押さえておけ! という部分です。
「それこそがこの本の主題である。この本の目的は、あなたが自分の問題を解決するのに必要な、あなたを超えた偉大な力を見つける手助けをすることである」
ビッグブックという本の主題は、私たちの強迫観念という問題を解決する自分より偉大な力を見つけることだ、と言っています。その偉大な力のことを、ある人は「ハイヤーパワー」と呼び、また「神」と呼ぶ人もいます。なんと呼ぼうとその人の自由です。ビッグブックは12ステップの解説書ですから、つまり12ステップはハイヤーパワー(あるいは神)を見つけるための手段だということです。
日本語の文章だと分かりにくいのですが、原文はこうなっています。
Its main object is to enable you to find a Power greater than yourself which will solve your problem.
「この本の目的は、あなたの問題を解決してくれる、あなたを超えた偉大な力を、あなたが見つける手助けをすることである」という意味です。
その力があなたの問題を解決する、と言っています。
問題を解決するのは私たちではなく、その力のほうです。その力の手助けによって自分で解決するとは言っていません。もちろん、私たちが何もしなくて、その「力」が勝手に強迫観念を退治してくれるわけではありません。私たちはステップ3から先に進み、棚卸しや埋め合わせなどをすることになります。その行動の結果、私たちに強迫観念を解決する力が備わるとは言っていません。私たちがやることをきちんとやれば、あとは神様側でなんとかしてくれる、ということです。
アルコホーリクは、途中から誰かに渡すことを嫌がるものです。始めた以上は、最後まで自分が主導権を握ってやりたがります。12ステップに取り組めば、最後には自分に問題解決の力が備わる、と考えたがります。
でも12ステップをやってもその「力」は自分に備わりません。その「力」に自分を預けることで、その力が自分に働きかけ、代わりに問題を解決してくれるのです。12ステップはその仕組みを実現するための手順です。
「AAミーティングに通い続ければ、仲間の支えで酒をやめ続けられます」というのは、実は無力を認めていないし、ステップ1も出来ていません。なぜならば、(自分以外の力を頼んでいるにしても)解決の主体はあくまで自分のままだからです。
ときどき「私はステップ1の無力を認めていますが、ステップ2はまだできていません」と言う人がいます。僕にいわせれば、そんな状態はありえません。ステップ1と2はひとつながりになっていて、途中で立ち止まったりできないのです。
というのは、ステップ1の無力を認めるということは、私たちには強迫観念という問題があって、いつ再飲酒してしまうかも分からない、という不安で耐え難い状態を認識する(認める)ことだからです。普通なら、とっとと問題を片付けて安心したいと思うものでしょうから、解決を求めて自動的にステップ2へ進みます。ステップ1と2の中間で踏みとどまる人などめったにいるものではありません。だから、そう発言する人はステップ1ができていないのだと思います。その人は「何かを認めた」のでしょうが、「無力は認めていない」のです。
ステップ1では「認める」という言葉が強調されます。だから、何かを認めただけで、ステップ1がこなせた気分になってしまうのでしょう。私たちは医者に「アルコール依存症だ」と診断を下されたとき、それを嫌いました。もう飲んではいけないと言われたときにも、それを拒絶しました。ミーティングに通いなさいといわれたときにも嫌がりました。
しかし、自分でいろいろ試してみて、拒んでいたことを受け入れ、自分の状態を認めることにしました。今は病気であることを認め、飲めないことを認め、そのためにAAもやっている、自分ながらよく認めてきたと思ってしまいます。けれどそれはステップ1の入り口に過ぎません。
ステップ1は、「誰のどんな手助けを得ても自分では解決できない問題を、私たちは抱えている」ということを認めるステップです。問題が分からなければ、解決することは難しいのです。
この問題を把握するために、何度も失敗(再飲酒)を繰り返さなければならなかった人たちもいます。
「アルコールは偉大な説得者だった。アルコールはとうとう私たちを打ち負かし、正しい状態に叩き込んでくれた。だがそれはうんざりする道のりだった」(p.70)
あくまで自分の力で解決したい人を、無理に説得する必要はありません。やがてアルコールが彼らを説得するでしょう。けれど、何度再飲酒を繰り返そうとも、問題を把握できずに死んでいってしまう人もいますし、説得されるまでに時間がかかりすぎて、いろいろ失ってしまう人もいます。
参考:問題飲酒者に共通の性格
http://neatthing.blog.fc2.com/blog-entry-955.html
(a)私たちはアルコホーリクであり、自分の人生が手に負えなくなったこと
(b)おそらくどのような人間の力も、私たちのアルコホリズムを解決できないこと
(c)神にはそれができ、求めるならばそうしてもらえること
AAミーティングで毎回これを読んでいるのに、ミーティングに出ている人ほど(仲間の力とか自分の力という)人間の力による解決を好んでステップ1の無力から遠ざかりがちなんです。とは言うものの、ミーティングに出なくても断酒が続いていると、ますます無力から遠ざかってしまうわけですが。
まあ、そういう話をしている勉強会なんです。
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