心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2013年03月05日(火) 回復施設について

日本にはアディクションの回復施設が結構たくさんあります。僕もそのすべてを知っているわけではありませんが、数え上げれば100ちかく・・いや100ヶ所以上存在しているかもしれません。

日本の回復施設の起源は、日本でAAを始めた二人の神父が設立した「マック」という施設でしょう。大宮で始まったマックは、後に全国に広がります。アルコールの問題を扱っていたマックに対し、薬物の問題を扱うために作られたのが「ダルク」です。現在では、マックに薬物の人もいるし、ダルクにアルコールの人もいるので、両者の違いは明確ではなくなっています。この他にもたくさんの施設がありますが、その多くは源流をたどれば直接・間接にマック・ダルクの系譜につながります。

アルコールの問題に限れば、クリニックに通院することも、精神病院に入院することも可能です。また、AAや断酒会のようなグループも存在しています。なのになぜ、病院に入院するのではなく施設に入所する必要があるのか。またグループに通うのではなく、施設に通所する必要があるのか。

それを説明する前に、なぜ現在の日本のAAで施設の話題が嫌われているのかを説明する必要があるでしょう。

前述のように、日本でAAを始めた二人は、マックという施設も始めました。おかげで、始まりのころ日本のAAとマックは一体となっており、二つの名をつなげて「マックAA」あるいは「AAマック」という呼び名すら通用していたそうです。これが初期のAAの発展に大きく寄与したのは疑いありません。マックが全国に広がるとともに、AAも広がっていきました。各地でマックはAAの中心的存在として機能したはずです。

しかしながら、AAには「12の伝統」があり、その6番目でAAが治療施設を運営するのは良くないとされています。それはなぜか。12の伝統はすべて実際の経験に基づいて作たわけですが、アメリカのAAでは幾度かアルコールの専門病院を作ってみたそうですが、どれもうまくいきませんでした。施設を運営するには多額の資金が必要になりますが、そうした多額のお金はたいていAAグループをおかしな方向へ導いてしまうからです。

「AAは施設を運営しないほうが良い」ということになりました。しかし、あの有名なヘイゼルデンもAAメンバーが作った施設であることからもわかるように、施設はAAメンバーの必要に応じてできたものです。AAメンバーが施設の運営に関わらざるをえません。

そこで、AAメンバーが施設スタッフをやっていることが例えバレバレだったとしても、施設はあくまでAAとは別の団体としてAAの名を使わず、AAメンバーが施設スタッフとして活動しているときはAAメンバーの立場を使わず、逆も同じとする(「二つの帽子をかぶり分ける」)ことを要求しました。

(AAメンバーとして活動するときは施設スタッフではなく、施設スタッフとして活動するときにはAAメンバーではない)。

また伝統の3番は、AAグループがAA以外のものに従属することを戒めています。このようなことから、日本のAAがマックと一体となっていたことも問題視されました。

そこで、AAとマックを分離する運動が行われました。これはAAの側からすれば「マック排除運動」という様相でした。私たちは酒をほどほどに飲むことができず、とことん飲んでしまった人間です。アルコホーリクは白黒思考であり、行動も極端から極端に走ることが多いものです。このときも同様で、AAはそれまで一体だったマックを徹底的に排除することになりました。

結果として、AAの中でマックの「マ」の字も言いづらい状況になり、「ある施設」などとあいまいにぼやかした言い方がされたりしました。施設内のことをミーティングで話すと咎められ、施設スタッフだという理由だけでミーティングで話をさせてもらえず、AAの役割からも外されるということが起きていました。

今では排除運動も過去のものとなり、そうした行き過ぎは是正されつつあるものの、今でも施設の話題はAA内部では嫌われる傾向は残っています。

なぜあの時代に、あれほどまでに苛烈なマック排除運動が行われたのか。「そうしなければならないほど、マックの影響は大きかった」というのがその理由でしょう。それほどまでの排除を行わなければ、施設の影響を拭い去ることができないと考えられた。伝統3の重要性がわかる事例です。

それでもAAは、施設の影響から脱することができて良かったと言えます。日本のAA以外の12ステップグループには、施設との関係を断ち切れていないところもあります。グループとしての独立が今後の課題となっていくでしょうが、AAの経験はそれには痛みが伴うことを示しています。

参考
バック・ツー・ベーシックス騒動(その3)
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=19200&pg=20120412
バック・ツー・ベーシックス騒動(その4)
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=19200&pg=20120415

僕が酒をやめたころ、長野県内には回復施設はありませんでした。10年ほど前にダルクが誕生しましたが、AAの側にかなり強い拒絶反応が起きました。それは施設の必要性が十分理解されていなかったからでしょう。

施設を利用することなく、医療機関からグループにつながって酒をやめていった人には、施設の必要性は感じにくいものなのでしょう(僕もそうでしたし)。

施設の必要性というのは、言い換えれば「施設の良いところ」ということになりますが、良い点の一つは「基本的な生活習慣が身につく」ということです。

基本的な生活習慣とは何か。それは、毎日規則正しい生活をすること(起きる時間、寝る時間)。規則正しく三度の食事をする。洗顔・歯磨き・入浴して体を清潔に保つ。洗濯や掃除やごみ捨てなど、身の回りの清潔を保つこと。干した洗濯物をたたむとか、自炊するとか。

意外とこうした基本的な生活ができない人が多いのです。自分ではできるつもりでいても、実は同居者が代行している場合が多く、飲酒が原因で家族を失うと、身辺自立ができなくて困窮することも珍しくありません。

被虐待児や発達障害が原因で親による養育が困難な子供を預かる施設の人に聞いたことがあります。特別な養育をするのではなく、暖かい食事、清潔な服など、そうした基本的な生活の面倒を見ることで、子供たちの精神状態は見違えるほど変わるのだそうです。(そうしてせっかく良くなっても、親元に戻すと生活が乱れて元に戻っちゃうのもよくある話)。できることは自分でやらせることが大事で、中学生くらいの子供が、自分の服を洗濯して干してたたんでいたりするのは、今の世の中からすればちょっと可哀想ではあるのですが、それが自立の第一歩でもある、という話でした。

アディクションの施設も同じことです。ただ利用者は基本的に大人ですから、自分でできることは自分でするようにするわけですが。

せっかく酒をやめていても、寝る時間・起きる時間のリズムが崩れていたり、食事を食べたり食べなかったり、入浴や歯磨きをサボりがちで、部屋はごみが散乱して異臭を放っているようでは、精神状態も向上せず、質の良いソブラエティは望めません。仕事に就く(経済的自立)の前に、身辺の自立からです。

家族を失ったことを契機にソブラエティが崩れる(再飲酒)ケースでは、喪失の悲しみが原因とされることが多いのですが、実は身辺の面倒を見てくれる人を失った影響だったりします。(年老いて妻に先立たれたダンナさんはかなり大変なようで)。

集団生活で「自由が利かない」ことを理由に施設利用を嫌う人もいますが、勝手気ままにしていたら生活習慣は身につかないのですから、こればかりは致し方ない。

これは入所型の施設の場合で、通所型(デイケア)の場合には基本的な生活習慣が身についていることが前提です。そうでなければ通所が続けられません。通所が続けられないようなら、入所型施設に移ることを考えることになるのでしょう。

他の利点として「回復に集中できる」ことが挙げられます。AAのようなグループ(共同体)が一人ひとりのメンバーを支える力はとても強いもので、断酒の維持に役立ちます。しかし、毎日ミーティングに通っていても、仲間と接していられるのは一日のうちの限られた時間に過ぎません。酒や薬というのは、一人でいる時間に忍び寄ってくるものです。長時間仲間と一緒にいることになる施設利用は、まず酒や薬を断つという、回復の基盤を作るのに役立ちます。

だから、なかなか酒をきっぱり断てず再飲酒の繰り返し、だからといって入院ばかりしていられない、という人には施設利用を勧めることになります。(依存対象からの物理的隔離だけでは根本的な解決にはなりませんが、上に書いたように回復の基盤作りに役立ちます)。

そして多くの施設では「12ステップ」を回復のプログラムとして取り入れているのも利点と言えます。アメリカの施設でも12ステップをプログラムの中心に据えるところが多いそうです。12ステップを使ったプログラムについて州政府の認可が得られ、保険が適用できるのであれば、それを「治療(treatment)」と呼んで良いのだそうです。ですので、同じプログラムがある施設では「治療」、認可の取れていない別の施設では「回復」と呼ばれていると聞きました。

(日本では12ステップが有効な治療手段として認められるに至っていないので、治療と呼ぶのはやや時期尚早かもしれません)

残念なことに、日本の施設で12ステップ全体を提供しているのは少数派です。多くはステップ1・2・3を中心に、利用期間中にステップ4・5の棚卸しまで済ませる、というパターンです。これはマックがそのようなプログラムを組んでいた影響によるものと考えられます。(現在では12ステップ全体を行うところも徐々に増えています)。

日本のAA共同体では12ステップが弱体化してきました。12ステップに取り組むメンバーの比率は下がり、ミーティングの中で12ステップのことが分かち合われることが減っています。弱体化が起きた原因はさまざまあると思いますが、そのひとつはマックとの分離もあるでしょう。

12ステップの前半に偏ったプログラムとは言え、施設は12ステップを回復プログラムの柱に据え、スタッフは毎日それを利用者に提供するのを仕事にしています。スタッフから12ステップを受け取った利用者は、アフターケアとしてAA(やNAなど)に通い続け、やがてグループの中で新しい人に12ステップを伝えるようになっていきます。つまり施設スタッフという職業家の存在が、AA共同体への12ステップの供給源になっていたものと考えられます。しかし、共同体と施設との分離が起き、しかもしれが必要以上に厳密に行われた結果、AA共同体は12ステップの供給源を失ってしまったのではないでしょうか。

分離後のAAの中でスポンサーシップが隆盛し、12ステップが一対一で伝えられていけばうまくいったのでしょう。でもそうなりませんでした。「ステップをやるもやらないも自由」「ステップはどう解釈してもかまわない」というのはそうなのですが、それを口実にステップに取り組む人は減っていきました。今、日本のAAはステップをやる団体ではなく、ミーティングをやる団体になってしまっています(そりゃミーティングは必要だけどね)。

ビッグブックをテキスト(教科書)として12ステップ全体に取り組む運動が目立ってきたのは2003年ごろでした。あれから10年。運動の担い手から気になる言葉を聞くようになりました。「俺たちがAA共同体のなかでいくらがんばってみても、これ(弱体化)は食い止められないのじゃないか」。まあ、弱音を吐きたくなる気持ちも分からなくもない。一度失った生活習慣を取り戻すのが簡単でないように、共同体が失いかけたプログラムを取り戻すのは簡単ではないのかもしれません。

僕も視野の広い人ではないので、以前は(AA共同体がしっかりしていれば)施設は不要だと考えていました。だから、過去のこのサイトのリンク集には施設へのリンクはまったく張られていませんでした。しかし、AA共同体には限界があることを知り、施設の現状をいろいろと見聞きする中で、その必要性を認めるように考えが変わっていきました。

本来的には、AA共同体の中で12ステップ全体を伝えるスポンサーシップが普及するのが本筋です。しかし、そのような理想は簡単には実現できません。東京近辺でビッグブックの12ステップのセミナーでも開こうものなら、ちょっと驚くぐらいの人数が集まります。しかし、スポンサーシップが提供できるメンバーは限られていて、爆発的な普及は見込めません。

もう一度施設に12ステップの供給源としての役割を期待する声があるのは知っています。もし、そうなるとするなら、「ステップ1・2・3の繰り返し」という偏りを正して、12ステップ全体を提供してほしいものです。まあ、施設は「AA外部の問題」なので、メンバーとしてとやかく言うべきではないものなのでしょう。

そもそもAAがしっかりしていれば、施設の必要性はもっと薄れるとは思います。仮にAAがしっかりしていたとしても、それでも施設の必要性は残ることでしょうが。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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