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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2013年01月04日(金) 人の欲望の複数性 先ほど年賀状を郵便局に差し出してきました。
誰かを助けることは、あなたの回復の基礎である。
Helping others is the foundation stone of your recovery.
(ビッグブック p.140)
今年もゆるゆるとしたペースで雑記を更新して参ります。何らかの形で皆様の需要に応えることができれば幸いです。
はてさて。
ビル・Wは『12のステップと12の伝統』のステップ4の冒頭で、人間は欲望(欲求)を複数持っていることや、それらが競合して人間に葛藤をもたらすことを論じました。また、ジョー・マキューはそれを分かりやすい表の形にまとめました。
しかし、欲望の複数性を論じたのはビルが初めてではありません。例えばフロイトは、神経症を性欲と自我の葛藤として説明しました。ここでいう性欲は自由や自己実現を、自我は伝統的な価値観に基づく承認欲求を指していると考えられます。自由や自己実現への欲を持たない人はいないでしょうし、周囲からの承認が要らないという人もいないでしょう。普遍的であると見なされたからこそ、フロイトの考えは現在にまで残っているのではないでしょうか。
人の持つ複数の欲求を分類する試みはフロイトだけではありません。マズローは人間の欲求を5段階に分類しました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E5%AE%9F%E7%8F%BE%E7%90%86%E8%AB%96
その階層構造はともかくとして、これらの5つの欲求を詳しく見れば、5つのすべてが自分にも、また他の人にも当てはまることは納得していただけると思います。また、これら5つの欲求とジョーの表には共通項が多いことにも気付かれるでしょう。
また、日本発祥の森田療法を作った森田正馬は、人の欲望を「生への欲望」と「死への恐怖」の二つに分け、強すぎる欲望が葛藤を生むことを説明しましたが、これらの欲求はさらに細目に分けられ、それを子細に見れば、やはりビルの主張やマズローの段階説と構成要素の多くが共通しています。
このように、人間の欲求に関する理論は、どれも欲求の複数性と、その欲求の構成要素が似ています。なぜでしょうか。それは、どの理論も人間という共通のものを対象にしているからです。分類の仕方が異なっているのは、(理論というのは実践のためにあるのだから)その後の治療の展開に都合の良いように、それぞれに合わせてあるのは当たり前です。
分類の仕方の優劣の議論は脇に置いて、一つひとつの構成要素が自分に当てはまるかどうか、またそれらの競合が自分に葛藤をもたらしていないか、自分に照らし合わせて考えることができる人ならば、「どの欲求理論であれ、自分に当てはめうる」ことは認められるでしょう。
そして、それが他の人にも当てはまるかどうかを現象学的に積み重ねれば、ビル・Wの言うことも、ジョー・マキューの言うことも、フロイトの言うことも、マズローの言うことも、森田正馬の言うことも、こと人間の欲求に関しては、アルコホーリクであれ、それ以外の人間であれ、すべからく当てはまることはうなづけるはずです。それぞれの説によって用語の違いがありますが、字面の違いに惑わされずに理解を深めることが大切です。
もちろん、複数の欲求説があるのには、どのように分類するかとか、それをどう役立てるかについて、それぞれの考えの違いがあるわけですが、あのビル・Wの文章の肝心なことは、人が複数の欲求を抱えていて、それらの競合が人に苦悩をもたらすということです。
どの欲求説を使うにせよ、それを自分に当てはめて考えられないのであれば、理解できているとは言えないのではないでしょうか。
ジョー・マキューの表がアルコホーリク以外にも当てはまるかどうか、という問いのナンセンスさはそこにあるわけです。もちろんそんなことは言わずもがなのことであるわけですが。
今年もよろしくお願いします。
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