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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2012年10月03日(水) 脳の機能障害と回復 掲示板のほうで、脳の機能障害という話をしました。
この脳の機能障害が何を示しているかというと、大脳皮質、特にその前の部分(前頭前皮質)の機能低下のことを指しているわけです。前頭前皮質は、僕らの額の中の所に収まっています。前頭前皮質は、過去の経験や知識に照らし合わせて計画性や創造性を発揮する・・という、まさに人間らしさを実現しているようなところですが、その部分の活動が鈍ってしまいます。すると考えることやることが、無計画で衝動的になってしまいますし、トラブルになると易怒的・他責的な対応になってしまいます。
アル中は、酒をやめて素面になればすぐにマトモに戻る、と信じています。しかし、アルコールによる脳への影響は酒をやめても長く残ります。自分の脳が酒のせいで萎縮しているかどうか、を気にしている人がいますが、容積の問題ではなく機能しているかどうかです。脳の働いている部分は、酸素の消費量が多いので血流が増えます。この血流を計測して三次元的に視覚化したSPECT画像が こちらのページ にまとめてあります。
これを見ると大脳皮質の機能は、断酒後の時間の経過と共に戻っていく様子が分かります。1年経過しても、かなり機能低下が目立ちますが、それでもかなり正常に近づいています。「イライラ3年、ぼちぼち5年」というのもうなずける話です。
ちなみに、うつ病の人も、前頭部の血流が低下している(機能低下)が認められ、これを利用した診断方法の開発が進められているとニュースにありました。
何もしなくても経時変化で良くなっていく、というのなら、自助グループに通わない人でも良くなっていったり、共同生活とミーティングだけで特別なプログラムのない回復施設の効果が説明できます。ただ、なかなかそれだけでは、うまくいく人が少ない、というのがアルコール・薬物依存症の現実です。だからみんな苦労するわけです。
断酒初期に再飲酒が多いのは、前頭全皮質の機能障害で衝動的に行動してしまうことが多いから、という理由で説明できるとします。ではなぜ、10年経っても、20年経っても飲む人がいるのか。それについての話をしてみます。
ジェリネク博士は、50年以上前に大量のアルコホーリックを調査した研究者です。彼の文章は こちら に置いてあります。アルコホーリックになる前の段階のところに、こんな記述があります。
「後のアルコール中毒者(時々異常に飲過ぎる人も)は、大方の社会的なドリンカーとは対照的に、間もなく酒による際立った開放感を味わう」
後にアル中になる人は、酒を飲んだときに感じる快感が普通の人より大きい、と言っているわけです。
人間の脳には「報酬系」とか「報酬回路」と呼ばれている仕組みがあります。生存に有利なことが起きると、報酬系が働きます。人はそれを「快感」とか「気分の良さ」として感じます。食物を食べれば血糖値が上がりますが、それは生存に有利なので気持ちよさを感じます。暖かい布団で寝るのが気持ちよいのも、セックスが気持ちよいのも、お金が入ると気分がいいのも、良い人ですねと褒められれば気分が良いのも、この報酬系の働きによるものです。
この報酬系というのは脳全体の働きによるものですが、その中核は、側坐核や腹側線条体と呼ばれる部分です。これは脳の表面(皮質)ではなく、もっと真ん中あたりに存在します。人が心地好さを感じているときには、側坐核が活動しており、現在の技術はその活動を測定することを可能にしています。
なぜアルコール依存症になる人は、他の人と比べて際だった快感を酒で感じるのか、という疑問に挑んだ人たちがいます。
参考リンク:
心の由来:「心」についての身もふたもない話
依存症なままでは早死にしちゃうよ? パートIII
http://blogs.yahoo.co.jp/kopheee/9869947.html
Wrase先生たちは、アルコール依存症(断酒中)を集め、アルコール関係の写真を見せたり、ゲームをさせてお金が手に入ったり失ったりという体験をさせ、その時の側坐核の活動を普通の人と比較しました。
すると、アルコール依存症の人は、ゲームで普通の人と同じ程度の結果を出していても側坐核の活動は鈍く、飲酒を予感させるアルコールの写真には逆に強く反応しました。
この結果から、おそらくこんな事が言えるのではないかと考えられます。「報酬系の働き」も人によって違い、生まれつき働きが強い人も、弱い人もいるだろうということは、当然予想されます。
報酬系の働きが強い人は、生活の様々な場面で喜びや幸せを感じます。逆に報酬系の働きが弱い人は、他の人と同じ環境に置かれていても、喜びや幸せを感じることができず、むしろ惨めさを感じる回数も多いでしょう。
つまり「幸せを感じる能力」も、人の能力の一つで、個人差がある。勉強であれ、スポーツであれ、能力を伸ばそうと思ったら、努力して鍛えるしかありません。幸せを感じる能力も、同じように鍛えることはできるはずです。能力を伸ばすのに、努力が要らない近道はありません。鉄棒で逆上がりができるようになるには、ひたすら練習を繰り返すしかありません。
ところが、「幸せを感じる」ことについては近道があります。アルコールや薬物は直接報酬系に働きかけ、人に多幸感をもたらします。普段、喜びや幸せを感じていないぶんだけ、アルコホーリック候補生は強い開放感を味わいます。何かをきっかけにして、多幸感を常に酒に求める行動を繰り返すようになります。
報酬系の働きで、脳のシナプスでドーパミンがたくさん放出されると、私たちはそれを気持ちよさとして感じます。放出されたドーパミンはシナプスの受容体で再取り込みされますが、ドーパミンの大量放出が繰り返されると、受容体が閉じて数を減らしていきます。すると私たちは、以前ほどの快感を感じられなくなります。
そこで、元のような快感を求めて、よりたくさんの酒を飲むようになる。それが「酒が強くなる」ことであり、酒に溺れていく原因でもあります。ぶっちゃけ、鈍感になったので、より強く刺激しないと感じなくなっただけなんですが。アル中が何年酒をやめても、この報酬系は元には戻りません。再飲酒すると、最初はうまく酒がコントロールできても、遠からず元の飲んだくれに戻るのは、脳の中でこういうことが起きているからだと考えられています。
元々幸せを感じる能力が低かった上に、さらにそれを酒で鈍感にしてしまった僕らはどうすればいいのでしょうか。
酒をやめたアル中が「酒に変わる趣味を持ちたい」とよく言いますが、残念なことに、アルコールほどの快感をもたらすものは(その人にとって)ありません。手っ取り早い心地好さを求めている限りは、酒以上のものはないでしょうね。
それでも人間の脳にはいくばくかの復元力があるらしいのです。イライラと自己憐憫の塊だったアル中が、断酒何ヶ月かで道ばたに咲いている花の美しさに感動した、という話をして周囲をビックリさせたりします。幸せを感じる能力が幾分戻ってきている、ということでしょう。
ところが、僕に言わせれば、こうした能力を対人関係の中で発揮するには、相当の高さが求められるのです。
例えば私たちは、褒められれば嬉しい(快)だし、叱られれば切ない(深い)。切ないどころか不愉快で反発したり、叱られることが理不尽だと感じたりします。ところが、叱られながらも、相手が本当に自分のことを心配して叱ってくれているのだとか、自分に期待をしているからこそ叱るのだと気付いて、相手の思いやりに嬉しさがこみ上げて涙がにじんでしまった・・という体験が、普通の人なら(アル中でない普通の人なら)あるはずなんです。でも、酒をやめただけのアル中には、そういうのはありません。同じ体験をしても反発だけです。何年酒をやめても。これは単なる例に過ぎませんが。
物に幸せを感じるのは比較的容易でも、人に対して(特に自分の意のままにならぬ人に対して)幸せを感じるのは、難しいことで、経時変化に期待することは出来ません。そして、生きていてもつまらない世界に住んでいる人が、即効性の幸せ薬に手を出すのは時間の問題です。
だから、幸せを感じる能力を鍛えることが必要です。その手段の一つが12ステップというわけです。認知を変えれば、行動が変わり、その人を取り巻く世界も変わります。人を変えるのは難しいし、ましてや世界を変えることはできません。しかし、自分を変えれば世界が変わります。なぜなら、自分の感じ方が変われば、世界は以前とは違って見えるからです。
血流だとか、神経伝達物質とか、受容体というミクロレベルのことが、認知というマクロなことで変わりうるのでしょうか。うつ病に使われる抗うつ剤は、脳内の神経伝達物質のバランスを調整することでうつを解消する働きがあります。しかし、薬を使わない認知行動療法でも、抗うつ剤と同様の結果が出ていることが知られています。つまり、認知の修正というマクロな手段が、脳内のミクロな世界に影響を及ぼしうる、ということです。
酒をやめても回復していないアル中は、即効性の喜びを求めてウロウロします(即効性の喜びは酒には限りませんが)。
それは、何とか練習しないで鉄棒ができるようにならないか、勉強しないで合格できないか、という考え・行動と同種のものです。さらには、努力している他者に対するやっかみも相当強くて、それがますますその人を不快な気分にさせ、一時の慰めがさらに欲しくなります。
飢えた人に魚を与えれば、その日は満ち足りるかもしれません。だが、その人は翌日も魚を要求するでしょう。漁の仕方を教えれば、その人は一生飢えることはありません。でも、漁の仕方は要らないから魚をよこせ、よこさないお前が悪いのだ、と言うのがアル中の脳の機能障害です。
飲まないでいれば経年変化で解消される部分もあるでしょう。しかし、持って生まれた報酬系の働きの弱さは、意識的な努力と行動によって鍛えるしかありません。
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