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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2012年09月05日(水) AAの共同体とは(その4) 「日々雑記」というタイトルにしているのに、更新がせいぜい週に一回という体たらくで、名を「週一雑記」に変えた方が良いかも知れません。
不思議なもので、更新頻度が落ちているのに、日々のアクセス数が増えています。
さて、本題。
日本のAAは1975年に東京・蒲田でステップ・ミーティングを行ったのを始まりとしています。日本AAの最初の事務所は、マックという回復施設に間借りしていました。しかし、AAの「12の伝統」は、AAとAA以外のものを区別することを要求しているので、それに沿ってAAを施設から独立させることになり、1981年に信濃町のマンションの一室に「AA日本ゼネラルサービスオフィス」(AA JSO)が作られました。
1980年代は、日本のAAが海外のAAからいろんなやり方を学んだ時期でした。その中の一つがセントラルオフィス(CO)の設置でした。これは、全国を7つの地域に分割し、それぞれにAAメンバーの献金で支えられるオフィス(事務所)を設けようというアイデアでした。地域割りは、北海道・東北・関東甲信越・中部北陸・関西・中四国・九州沖縄です。
当時の日本AAの規模ならばオフィスはJSOひとつあれば十分だったでしょう。けれど、当時のAAメンバーたちは、あえて、ひとつのJSOに加え、7つのセントラルオフィスを設ける決断をしました。JSOには全国レベルの広報などのサービスとAA書籍類の出版の役目を与え、各セントラルオフィスには、本人や家族からの問い合わせに答えたり、グループに直接サービスを提供する役目を負わせました。
こうして数年かかって、次々とセントラルオフィスが作られていきました。一番最後にできたのは、関東甲信越のセントラルオフィスで1993年1月のことです。東京にはすでにJSOがあったため、わざわざ別にオフィスを作る必要はないという意見が多く、意見の調整に手間取って順番が最後になったと聞いています。
オフィスを維持するにはお金がかかります。スタッフに給料を払わねばなりませんし、家賃光熱費その他の費用もかかります。すべてを、AAグループからの献金や出版物の売り上げでまかなわねばなりません(AAは「12の伝統」で外部から助成金などを受け取ることを禁じているため)。
JSOは全国のAAグループが支えてくれます。そのJSOですら、しばしば金銭的に危機的な状況に陥ってきました。まして、もっと少ないグループ数で支えているセントラルオフィスは大変です。日本のAAグループの4割ぐらいは関東甲信越地域(というか東京都と近県)に集中しています。おかげで、関東のオフィスは比較的財政規模が大きいのですが、その他の6つのセントラルオフィスは年間予算が数百万円(しかもその下の方)で、これで全経費をまかなっていくのですから大変です。
日本のAAのメンバー数は数千人です。そのメンバー数に比べて、オフィス職員として給料をもらっている人数が多いと言われます(他の国のAAと比較しての話)。献金は任意で強制されることはありませんが、それでもメンバーの負担感は重く、オフィスのスタッフに対して「俺たちの献金で食べているんだから」と余計なプレッシャーがかかったりします。
北海道や東北では、いったん作ったオフィスを支えきれずに、いったんは閉鎖した経験もあります(その後再開しています)。
どうしてこのような過重な仕組みを作ったのか・・・。当時の決定に関わったメンバーに聞いた答えはこうです。過剰負担は重々承知していたのだが、AAが発展して、メンバーやグループの数が増えれば、遠くない未来には余裕で8つのオフィスを支えられる日が来るだろう、と予想しての決断だった、というものです。
残念ながら、その予想は甘すぎたと言わざるを得ません。AAの8つのオフィスは、いまでも個人的な犠牲と献身に寄りかからねば維持できない有り様です。(少なくとも、オフィススタッフの待遇は魅力的とは到底言えません)。
話を少し変えます。
日本のAAでは、1996年に「評議会」を開催しました。これは日本AAの意志決定機関(決議機関)で、全国のから選挙で選ばれた20人のAAメンバーが「評議員」として参加しました。以後毎年開かれています。
評議員はAAの中の重要な役割ですから、依存症からしっかり回復していて、AAのことに詳しく、AAのサービス活動に割ける金銭的・時間的・体力的な余裕がある人が望ましいわけです。しかも、そういう候補者を何人も立てて、選挙で選抜しよう考えでした。(任期は二年で再選不可なので、毎年10人ずつ必要)。
最初の頃は各地域から熱意に溢れる評議員が選挙されていました。しかし数年すると、立候補者が定数に足りないという現象が起きるようになりました。立候補者をたてるのに汲々とし、昨今ではいったん評議員を経験した人を「代理」として送ることが常態化しています(再選不可の形骸化)。
メンバーが評議員という役目を引き受けたがらない(評議員以外の様々な役目も同様)、という状況に対して、古いAAメンバーから「最近の人たちはAAへの感謝が足りない」という批判が出ることがあります。しかし僕は、そうした「自己犠牲が足りない」という批判は的外れだと思います。
評議員としてAAに自分を捧げられるメンバーは、AAの中にもともと多くはありません。評議員候補者というのは限られた資源なのです。最初に20人の評議員による評議会を作り、毎年毎年10人ずつ新しい評議員を必要とする仕組みは、日本のAAには過大すぎました。だから、早晩資源を使い果たし、可能な候補者全てを使っても足りないという事態を招いてしまったのです。
1995年頃に評議会システムを設計した人たちに話を聞くと、やはり作った仕組みが過大だったという反省はあるようです。でもその時も、将来AAが発展して、メンバーもグループ数も増え、評議員の役割を担う人々も次々出てくるだろう、という楽観的な予想があったと言います。
7つのセントラルオフィス、毎年10人ずつの評議員。どちらも、制度を設計した人たちは、それが大きすぎるのは重々承知の上で、将来AAが発展することを期待し、うすうす無理を承知しながらあえて大きな仕組みを作ったということが分かります。それは、子供が成長するのを見越して、大きめの服を買う親の心理に似ているのかも知れません。しかし、あまりにサイズが大きすぎ、しかも期待通りに成長してくれなかったので、今でも不釣り合いなほどブカブカの服を着ているのが日本のAAです。
制度を修正する必要があるのでしょう。AAが発展を続けるという過去のビジョンにしがみついている人たちからは大きな反発があるでしょうけれど。
日本のAAグループ数は550を越えました。グループ数は毎年増え続けています。しかし、メンバー数が増えているかは疑わしいものです。たぶん、グループ数が増える一方で、1グループあたりのメンバー数は減少し、結局総メンバー数は増えていないのじゃないかと思います。
増えていないという根拠のひとつは、オフィスへの献金が増えていないことです。それはおそらく、グループは増えたけれど、献金をするメンバーは増えていないということでしょう。また、BOX-916というAAの月刊誌の売り上げも、2004年をピークに減ったままです。
献金したり、BOX-916に親しんだり、というのは、AAプログラムに関心を持ち、AAプログラムに感謝を表す行動です。いわばAAプログラムの恩恵を得た人たちの行動です。グループが増え、会場が増え、ミーティングに参加する人たちは増えているのでしょう。自らをAAメンバーだと名乗る人の数も増えているのでしょう。しかし、AAプログラムの恩恵に浴した「中核的な」AAメンバーの数は増えていない、それが献金やBOXの売り上げ停滞・減少につながっていると思います。
ひとつ確かなことは、AAの中でプログラムが薄まっているということです。薄められたプログラムは効果を失い、やがてはメンバー数増加が停滞し、減少へ向かう、というのが先行するアメリカでの経験です。日本AAのメンバー数の増加ペースは鈍り、おそらくはすでに停滞しています。やがてメンバー数の減少が始まるでしょう。あちこちのグループが潰れ、ミーティング会場が閉鎖されていく・・そうなったときに、状況を反転させるだけの力は日本AAに残されていないだろうと予測します。
セントラルオフィスや評議員の数という切り口で見ると、仕組みを設計した人たちがAAの発展に対して楽観的過ぎたことがわかります。その過大な設計には、「量的拡大こそがAAにとって最善」という考えが伏在しているのは間違いありません。それは「AAの発展は量的拡大による」という考え方です。確かに、グループが増え、メンバーが増えていくことは、より多くのアルコホーリクが助かることですから、それがAAの発展そのものです。
しかし「質」という観点を見落としていたことも間違いありません。量を拡大するためには、質を保ち、質を向上させる努力がなければ、薄まる一方です。
AAを量的に拡大するために、医療や福祉や地域社会にAAの存在や魅力を発信する「広報活動」は熱心に行われています。しかし、AAを「質的に向上」させるための試みはされず、ないがしろにされたまま、結果AAのステップセミナーに行っても、ステップの話はほとんど聞けず、AAプログラムの恩恵を受ける人は増えていません。それではAAが発展したなんて言えません。
では質的向上にはどうすればいいか。この「AAの共同体とは」という一連の雑記のテーマもそこにあります。前回までの雑記で、そもそもAAは、ミーティングをやるための団体ではなく、12ステップをやるための団体だということが見えてきました。質的向上のためには、メンバー一人ひとりがより真剣に12ステップに取り組むこと、それ以上でもそれ以下でもありません。量的拡大と質的向上はバランスが取れていなければなりません。量的拡大への偏りを正す必要があります。
古いメンバーの話を聞くことも大事です。彼らは今の僕らにはない経験を持っています。しかし、古いAAメンバー達の欠点が、今のAAの欠点になっていることも忘れてはいけません。オールドタイマーの話を、ただありがたがって聞いているだけではダメです。彼らは日本のAAの礎を築いた人たちでありますが、同時に、今の日本のAAをこのようにしてしまった人たちでもあります。
先人の業績は、後から来るものによって否定されるものです。これはどの分野でも繰り返されてきたことで、AAもその例外ではありません。僕らが今取り組んでいることも、10年後、20年後には否定されているかもしれません。それで構いません。ともかく、今やらねばならないことをやる。それだけです。
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