心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2011年11月22日(火) 「これにしか使えない」の大切さ(その1)

はいはい、雑記ね。書きます、書きます。

リンク集家族の回復ステップ12、じゅんさんのブログSTRONGESTBABY.comを追加しました。

さて本題。何度も取り上げている内田樹×春日武彦の対談、「中腰で待つ援助論」。
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2004dir/n2613dir/n2613_01.htm

このなかに、

> 「ここには有効だけれども、ここから先には使えません」と言う、地域限定、期間限定、条件限定の、適用範囲が限定されている理論のほうが、僕は理論としてはずっと上等だと思うんです。「何にでも使えます」なんて怪しいですよ。

という一文がありますが、これは実に的を射た意見だと思っています。

アメリカのアリゾナ州に「アミティ」という治療共同体があります。犯罪者や依存症者の更正と社会復帰のための施設です。

常習的な犯罪者や薬物乱用者の中には、子供時代に親から虐待的を受けたり、イジメなどの被害的体験を経ていることが多く、思春期から逸脱行動(つまり非行)が目立ち、大人になってからも何度も犯罪を繰り返す傾向があります。彼らは「反省しろ」と言われても、どうやって何を反省したらいいのか分からない、という問題を抱えています。アミティでは、まず子供時代の被害体験を振り返ることから始めます。それによってまず被害者である自己を確立し、被害者がどんな感情を味わうかを捉えます。次に、自分の加害によって相手にどんな傷を与えたかを自覚する段階へ進みます。僕がいろいろ説明するより、ここらへん(アミティを学ぶ会)あたりを読んでもらったほうが話が早いです。

アミティは加害者更正プログラムとして高い評価を受けています。しかしどんな場合にでも使えるわけではありません。以前信田さよ子さんの講演を聴きに行ったら、アミティのモデルはDV男性の更正プログラムとしては使えない、という話をされていました。夫婦間のDVは、必ずしも別居や離婚に進展するとは限らず、同居の生活を続けなければならない場合も多いのですが、その場合、被害を少なくするためには更正プログラムは短期間で効果を上げねばなりません。アミティのプログラムは「変化に時間がかかりすぎ」て、同居の被害者を守りきれないのです。このため信田さんはアミティのモデルを採用することを諦め、カナダの司法当局が使っているモデルに切り替えた、という話でした。

これはアミティのモデルを貶めているわけではありません。単に犯罪常習者や薬物乱用者向けの更正プログラムが、DV加害者に適用できなかった、というだけの話です。それを無理に「アミティのモデルはどんな犯罪者にも適用可能だ」と推し進めれば、かえってアミティの価値を引き下げてしまいます。

昨日上京した際に、グリーフワーク(グリーフケア)に関する資料をもらいました。

グリーフは悲嘆と訳されます。例えば、人の死後、残された家族の悲嘆のことです。大切な人を失ったとき、人はまずショックを受け、次に大きな喪失感を味わい、やがて抑うつ的な絶望を経て、最後に死んだ人への愛着を手放し、新たな自己像を獲得する(再生)、という「悲嘆段階説」が信じられています。(悲嘆の段階についてはバリエーションが諸説あるようです)。

これには「悲嘆は期限付きのもの」という思想が含まれており、悲嘆者はこの段階のどこかで立ち止ってしまい、次に進めないために肉体的・精神的なダメージが残ってしまう。そのため専門家のサポートを得て(グリーフワーク)、次の段階へと進んでいくことが大切だとされています。

僕はグリーフケアにはほとんど関心を持っていなかったため、この悲嘆段階説が疑問視されていることや、「正常な」悲嘆にある人に対する専門家のサポートは効果がないか、あるいはあってもごく僅かであるというエビデンスが出てきているとは知りませんでした。自死遺族会などでは悲嘆段階説とは異なる思想を持っており、悲嘆のどこかの段階にとどまることを否定的に捉えたり、死者への愛着を手放す論理に対して反論があるといいます。

もちろん悲嘆が長く続くために社会生活に支障を来している人はいるでしょう。しかしそうしたいわば「異常な」悲嘆へのケアとして有効だったグリーフワークを、自殺予防対策の名の下に自死の遺族への事後対応として専門家が無批判に採用してしまったことが、グリーフワークの評価を引き下げてしまったと言えます。

このように、何らかの治療論・援助論があったとき、それがどの範囲に有効で、逆にどの範囲には有効でないかを示すことが大切だと思います。「何にでも使える」「これを使えばどんな人でも良くなる」という話ほど怪しいものはないわけです。

ひるがえって、AAのことを考えてみます。

(続く)


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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