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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2011年11月11日(金) ステップ4の訳のmoralについて AAの12のステップの4番目は、原文ではこうなっています。
Made a searching and fearless moral inventory of ourselves.
で、現在の日本語訳はこれです。
「恐れずに、徹底して、自分自身の棚卸しを行い、それを表に作った」
日本語訳と原文を対比してみると、moral という言葉が訳から抜け落ちていることに気づかれるでしょう。だからこれが不完全な訳であり、「モラル」という言葉を入れるべきだという指摘があります。
今回はこの moral がどんな意味なのかという話です。
その前にちょっと脇へ逸れ、この部分が日本の様々な12ステップグループでどう訳されているか調べてみましょう。ネットに12ステップを公開しているグループの moral inventory of ourselves の部分です。
・自分自身の棚卸し(現AA・OA・SA・SCA・EA・ACA)、生きてきたことの棚卸表(アラノン)、モラルの棚卸表(NA)、モラルの棚卸し(GA)、個人的棚卸し(MA)。
実に様々です。さて、moral の意味を問う前に、棚卸しとは何かという話をしなくてはなりません。これはもちろん商売の棚卸しを元にしたものです。ビッグブックには、それを説明した文章があります(p.93)。
Taking commercial inventory is a fact-finding and a fact-facing process. It is an effort to discover the truth about the stock-in-trade.
棚卸しは、事実を把握し、それに正確に向き合おうとする過程であり、在庫品の現状を知るための努力である。
日本語英語の言葉をを一対一に対比させてみましょう。
棚卸し = commercial inventory
事実を把握する = fact-finding
正確に向き合う = fact-facing
在庫品 = stock-in-trade
現状 = truth
これはステップ4の文章「恐れずに、徹底して、自分自身の棚卸しを行い、それを表に作った」に対応しているので、それも同じように日本語英語を対比させます。
棚卸し = inventory
探し求め = searching
恐れずに = fearless
自分自身 = ourselves
= moral
moralに対応する言葉がありません。日本のAAは2000年にステップの文章を改訳しましたが、それ以前に使われていた旧訳ではこうなっています。「探し求め、恐れることなく、生き方の棚卸表を作った」。生き方という言葉が moral に対応しています。
(生き方) = moral
一つにまとめます。
棚卸し(commercial inventory) = 棚卸し(inventory)
事実を把握する(fact-finding) = 探し求め(searching)
正確に向き合う(fact-facing) = 恐れずに(fearless)
在庫品(stock-in-trade) = 自分自身(ourselves)
現状(truth) = (生き方)(moral)
商売の棚卸しと、ステップ4の棚卸しが、一対一に対比された表ができあがりました。ビル・Wの文章は論理的です。
この表を見ると moral が何を意味するかが見えてきます。ステップで言う moral とは、日本語のモラルや道徳という意味ではなく、「自分自身の現状」「自分自身の真実」を示しています。fact-finding も fact-facing も truth も、一つのことを示しています。
つまり、自分自身について、目を背けることなく、ありのままを表に書き記す。棚卸し表は回復の根源をなすものですから、そこにウソ偽りやごまかしがあっては回復の成果はおぼつきません。(だから、どうしても moral を訳せというのなら「ありのまま」とでもするしかありません)。
商売の棚卸しでは、帳簿上の在庫と現実の在庫を一致させます。帳簿上では存在しているはずの在庫でも、実際には万引きされてなくなっていたり、日焼けしたり腐ったり賞味期限を過ぎていたりで売り物にならないかもしれません。帳簿の数字が間違っていたらどうなるか。帳簿より実際の在庫が少なく商品棚に並んでいなければ、客は商品を買うことができませんから、売り上げが落ちてしまいます。逆に実際の在庫が多いのに、帳簿だけ見て少ないからと次の仕入れをすれば過剰な在庫を抱えてしまいます。「棚卸しをしない商売は、たいてい倒産する(p.93)」のです。
棚卸し表と実際の商売の姿がきちんと一致しなければ、商売が破綻してしまいます。世界的に有名な光学機器のメーカーも、何年も帳簿の数字をごまかし続けてきたために、大変な窮地に陥っているではありませんか。
ビル・Wは、人の生き方を商売に例えました。12&12でもステップ1の冒頭で人生を「私たちが営む人間商会」と表現しています。商売の仕方、つまり生き方が変わらなければ、私たちも破綻します。だから私たちはステップ4で棚卸しを行うのですが、その対象は自分自身です。
商売の棚卸しにおいて帳簿と在庫が一致しなければならなかったように、ステップ4でも実際の私たちの考え方や行動が棚卸し表にありのままに書かれなければなりません。だから怠ることなく探し求め、目を背けることなく向き合って、自分自身の真実を表に書きます。
こうして見ればわかるように、ステップ4では moral という言葉が「真実」あるいは現実・実際という意味で使われています。表(帳簿あるいは棚卸し表)と棚卸しの対象(在庫あるいは自分自身)が一致することが最も肝要な点ですから、それを fact-finding/searching, fact-facing/fearless, truth/moral と言葉を変えながら繰り返し強調されているわけです。
モラルがどうのこうのという議論は、12ステップのあの短い12個の文章だけを元にして議論しているわけですが、そこで使われている一つ一つの言葉がどんな意味で使われているのか、それはビッグブックに書かれています。ここまでの話は僕の考えではなく、緑本(『ビッグブックのスポンサーシップ』)のp.87に書かれていることです。緑本では moral を「生き方に即した」、truthを「事実に即した」と訳しています。
なぜAAの12のステップが moral を「モラル」と訳さなかったのか分かっていただけるでしょう。逐語訳をするよりも、原文の意味に忠実な訳を選んだほうが、読者に正確に伝わるからであり、回復をもたらすことができるからです。
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