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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2011年11月10日(木) 断薬について追記 前の雑記で、抗不安剤を中止すべきかどうか、見極めができる人材を増やすべきだと書きました。これは個別のケースごとに判断しなければならない、ということです。
いつも同じ判断をすれば良いのなら楽です。例えば「薬を飲んでいるのはソーバーじゃない」と言って、薬を止めさせる圧力を常にかけていれば良いのなら判断は要りません。その逆で「必要なら薬をどんどん飲めばいいじゃないか」と言っているのも、同じく判断は要りません。
けれど現実には一件一件判断を重ねなくちゃなりません。今の日本の精神科医療の仕組みでは、その判断をすべて医者任せにするわけにもいかない、という事情があります。ましてやその薬がアディクションに通じていない精神科医や、さらには内科医から出ている場合には。
とは言うものの、依存症以外の病気が絡んでいる場合には、医者の判断を優先するのが基本でしょう。これまで一連の話はベンゾジアゼピン系の抗不安剤に限りました。睡眠薬として使われる機会の多い薬です。それ以外の、例えばうつ病患者に抗うつ剤を飲むなとか、統合失調の人に抗精神病薬を飲むな、と素人が言っていいとはちょっと思えません。また、ベンゾジアゼピン系の薬も一時的に必要なこともあるでしょう。それ以外の病気についても同じことで、てんかんの人が抗てんかん薬を飲まなかったら、てんかん発作を起こすのは当然の話です。
統合失調症を患う知り合いがいます。彼はアディクションの問題も抱えていました。統合失調の人がしばしばアルコール乱用やギャンブルへの没頭をすることは以前に書きました。それをアディクションとして捉えるよりも、統合失調のケアをしたほうが本人のためになるということも書きました。彼がそれに該当するケースなのかどうか、詳しく話を聞いてみたわけではないので分かりませんが、その可能性は十分あります。
統合失調の場合には、時折のアディクション再発は「スリップ」と捉えないほうが良い。再発の背景には統合失調の症状悪化があるもので、医者の出番です。12ステップとか言っている場合ではありません。
だから、彼がスリップを契機にアディクションの施設に入所したと聞いたときには、少々驚いたのですが、分野は違えど24時間ケアしてもらえる環境も悪くないかも知れないと思っていました。
ところが先日機会があって彼に会ったときに、顔から表情が消えているのでまたまた驚いてしまいました。彼らしい快活さも消えていました。それを見て「陰性症状」という言葉が浮かんでこなければ、よほどのボンクラです。さらに後日、彼が薬をやめていると聞いて暗い気分になりました。
統合失調の場合、最も避けたいのは人格の荒廃です。陰性症状を治療せずにおくと、やがて、思考が散漫になって現実とのズレが大きくなり、感情は平板で無為、コミュニケーションがとれない状態になってしまい、その悲惨さから人格崩壊とか人格荒廃と呼ばれます。統合失調の治療が進歩する以前は、多くの患者がそうした結末を迎えたために、恐ろしい病気と見なされた時期もありましたが、幸い非定型精神病薬など治療法の進歩により、運が良ければ完治し、完治しなくてもサポートを受けながら社会生活を十分送れる普通の病気になってきました。良い予後のために最も必要なことは、早期の治療開始とその後の治療継続です。
服薬の中断はその正反対の選択です。時にこうしたことが起こるため、日本のアディクションの施設が、乱暴なところ、信用に値しないところと見なされてしまうわけです。犠牲になるのは常に弱者です。そもそも彼を入所させようと思うあたりがボンクラです。
日本でアディクションの施設を運営するのは経済的に大変で、スタッフの待遇も決して良くありません。でもそんな環境の中で、良心的なケアを提供しようと真剣にがんばっている人が多数です。しかし、一部の不届き者のせいで、弱者を食い物にする貧困ビジネスと全体が見なされてしまいかねないのです。
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