心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2011年10月07日(金) どこから手を付けるべきか(その1)

病気を原疾患と合併症に分ける分類があります。

糖尿病の合併症は、腎障害・網膜障害・神経障害です。糖尿病が原因で網膜症や勃起不全になった場合、その対症療法も必要ですが、まずは糖尿病がきちんと治療されなければなりません。
原疾患→合併症という構図の場合、ともあれ原疾患の治療が大事です。

ウィリアム・L・ホワイト先生の来日公演の時も、ラリー・ゲインズ氏の講演でも、「アルコホリズム(あるいはアディクション)は primary disease である」ことが強調されていました。依存症は原疾患です。

アルコールや薬物を大量摂取すると、肝臓病や腎臓病、神経障害やうつ症状など、いろいろな合併症を呼ぶ・・・という経験的に当たり前のことを強調したいのではありません。

「依存症は(別の病気や障害の)合併症ではない」ので、依存症そのものが病気として治療されなければならない、というわけです。

ACAのビッグレッドブックはまだ全部読めてないのですが、その中に回復の段階についての話があります。それによれば、ACの回復は三つの段階に分けられます。アディクションを抱えている人は、まず最初にアディクションのケアが必要で、これには数ヶ月から数年必要です。アディクションの再発はACとしての回復の障害になるので、まずアディクションの安定化がなにより大切です。これはつまり、ACの問題に取り組む前に、AAやNAに行ってそこの12ステップをやり、きちんと酒や薬をやめてこい、ということです。二番目・三番目の段階が、ACとしての12ステップによる回復です。

アディクションとACの問題の両方を抱えている人は、ACとしての苦しさが自分に酒(や薬やギャンブル)を乱用させていると捉えがちです。だから、ACとして回復すればアディクションの問題も収まるはずだ、という誤解に基づいて、ACや共依存の問題を先に扱おうとします。そして酒がやめられない結果となります。

アディクションは原疾患であり、それがまず治療されなければならない。これが大原則です。

アディクションになりやすい体質は遺伝することが知られており、親が依存症で自分も依存症、あるいは自分の子供も依存症というケースもあります。アディクション問題が深刻なアメリカでは、夫婦揃って依存症とうことも珍しくありません。この場合、依存症の「本人」という立場と、「家族」という立場を併せ持つことになります。

両方の立場を持っている人は、(例えば)AAとアラノン家族グループの両方に通うべきなのでしょうか? アメリカのアラノンでは、回復していない本人の参加を歓迎していないと聞いています。まずAAに通って12ステップをやり、自分のアルコホリズムの問題に取り組んだ後に、家族としての回復を得るためにアラノンに来なさい、という仕組みです。「アディクションは原疾患」とすれば、これは当然のことです。また、まだ回復していない本人に来られたのでは、家族グループの意味がありません。お互いのためになりませんから。

(ちなみに、アメリカのアラノンメンバーの20人に一人はAAメンバーでもあるそうです)

日本でも物質系のアディクションのグループでは、未回復の本人が家族のグループに参加するという混乱はあまり聞きません。しかし、どうもギャンブルについては話は別です。

こんな話があります。家族の誰かがギャンブル依存症になったので、それを止めさせようと、市内のパチンコ屋を何軒も探し回っているうちに、いつの間にか自分もパチンコをやるようになって、しまいにはギャンブル資金で借金をこさえてしまった・・・。そんな状況なのに、まだ自分はギャンブル依存症の「家族」であると自認して、ギャマノンに通っていると言うのです。そんな話をいくつも聞きます。

これはもはや「家族」ではなく、ギャンブル依存症の「本人」です。ギャマノンの人たちは、こういう人たちに対して「まずGAで本人として回復してから来なさい」と導いてあげる必要があるのではないでしょうか。(中にはGAに行くとギャンブルを止めされられちゃうのが嫌でギャマノンに通っている、という人もいるのだとか、やれやれです)。

また、家族の立場でありながらも、例えば買い物依存があるのならば、「本人」としてそちらのケア(DAに通うとか)が要るものでしょう。「本人」としての部分を抱えているなら、その部分の回復をきちんとやらないと、本人としても、家族としても、どちらの回復も成し遂げられなくなってしまいます。それが最大の問題です。

アディクションは原疾患であり、まずそれに取り組む、というのが大原則です。これは、その人自身にも、グループにもメリットがあります。

だがしかし、アディクションでないならば、この原則は通用しません。例外について話をする前に、原則についての話を済ませておきたかったので、次からが本題です。これはいわば前フリ。

(ちゃんと続くか心配)


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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